古神偃武

西崎 劉

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第一幕 アンドロギュヌスの鍵

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 その日の夕方、スザンナの買い物に付き合って商店通りから帰ってくると、いつもよりやや帰宅の早かったフェムが出迎えた。
いつも穏やかな笑みを浮かべているフェムの様子と少々異なって、暗い影を落としていた事から、スタンは驚きスザンナを見る。
スザンナは何かを察したのだろう。
申し訳ない様子で、スタンに席を外してくれるように頼んできた。
スタンは素直に頷き、この屋敷の厨房へ向かう。
手持ち無沙汰になると、スタンは厨房に行って、この屋敷の厨房で働くコックたちの調理光景を隅で見学していたのだ。
今回も自然足が向いたわけだが。
「……どうしたんだい?」
 見習いコックで、まだ皿洗いしかさせてもらえない、一つ年上の青年が声をかけてきた。
 目が糸の様に細いので、スタンはこの青年の瞳の色が何なのか、未だに判らない。
「……あっ、いけないんだ。料理長に見つかると、怒られるよーっ!」
 指を差して指摘すると、ハリスは小さく笑った。
「先程、今夜の材料選定に貯蔵庫に向かっているから、しばらくは大丈夫。で? どうしたんだい?」
 スタンは腰掛けた椅子に座ったまま、足をブラブラさせていたが、ぽつりと呟いた。
「ハリスさん、なんかね? フェムさまの様子が奇怪しいの」
 すると、それを聞きつけた他の見習いの者
たちが近寄ってきた。
「フェムさまがどうしたって?」
「なんかね、落ち込んでいるというか、元気がないというか、そんな感じ」
スタンはフウッとため息をつく。
すると、背後でパンパンと柏手を打つ者が居た。
「何をさぼっておるっ! ばか者」
 見習いコックたちは、背後に仁王立ちしている料理長の姿を認め、ちりじりと持ち場に戻る。
「お嬢さん、邪魔するなら部屋に戻ってもらいたいのだが?」
スタンはうなだれて立ち上がり「すみません」と頭を下げた。
素直に厨房から出て行こうとすると、料理長がスタンのスカートのエプロンポケットに、小さな紙の包みを忍ばせてくれる。
「部屋に戻って食べなさい」
 太い笑みを浮かべて小さく耳に囁いた。
 そのまま、厨房の外までスタンを送る。
「……旦那様の様子が奇怪しいと心配しているのだろう?」
 スタンはその通りだったので一つ頷いた。
「儂も詳しくは知らないのだがな、城から遣いが来てからなのだ」
 そう言って、軽く肩を竦めてみせた。
(……お城から遣い?)
「……例の王子様捜索についてかな?」
「さあな。今の所、大々的に動きがあるとしたら、それくらいだろう」
 そう言い置いて、料理長は厨房に戻っていった。
(……どうしたんだろう……)
気になったが、直接聞くために押しかけるわけにもいかず、スタンは部屋に戻る事に決め、二階に通じる階段を登っていた。
「……スタンギール」
 踊り場に足を踏み入れた時、階下から柔らかな声がスタンにかかった。
「スザンナさん?」
 驚いて声のした方へ振り返ると、ちょうど見つけたとでも言わない様子でスザンナがスタンを見上げていた。
「ちょっと、下りてきてちょうだい。お話があるの……」
 スタンは返事をして承諾すると、階段を再
び下りてスザンナの後について歩く。
「……あの?」
スザンナは、困った様な表情で少し微笑むと、一つの部屋にスタンを案内した。
そこは、先程スザンナとフェムが引きこもった書斎だ。
 なんだか怖かったが、促されるままその部屋に入った。
「……スタンギール。きみは、何時でも村に帰って良くなったよ」
重い沈黙のあと、顔を上げて一言フェムはそう言った。
スタンはフェムの言葉の意味を少し考える。
「……それは、王子が見つかったという事ですか? 見つかって救出された、という事ですよね」
「…………」
「それにしては、送りだした時のような大々的な報告が無いのが不思議です」
すると、横で聞いていたスザンナの頬に涙が一つ伝った。
驚いてスタンはスザンナの方を振り返る。
「………スザンナ……さん?」
スザンナは痛々しい笑みを浮かべると、夫であるフェムを見た。
妻の視線を受けて、フェムは感情の籠もらない声で答える。
「王子の捜索は一時中断だそうだ。再開の目処もたたないそうだよ」
 スタンは驚きのあまり、目を見開いた。
「……な……ぜ? 何故……どうしてなのですか? フェムさまっ!」
 スタンは拳を握りしめて叫ぶ。
「シュレーン王子は、三番目とはいえ、れっきとした王子様なんでしょ? 他の王子、王女と同じく王家直系の。なんで、そんな見捨てる様な決断が下りたんですかっ!」
 フェムは視線を落としたまま一つため息をついた。
「……王子がおられると思われる海域に、異常な数の魔物が集っているのだそうだ」
「……魔物?」
「しかも捜索隊に参加していた魔導士の話では、そんな場所で、誰かが大がかりな魔術をおこなっているらしい」
「…………」
「僕も詳しい事は聞いていない。……長年、スザンナはシュレーン王子の乳母をしていたからな。国王陛下は、労いの言葉を承ったよ……」
 スタンは泣きそうな表情になる。
「ねえ、フェムさま。シュレーン王子も、陛下のお子様でしょ? ……かわいくないのかな? そんなに簡単に自分の子供を諦められるものなのかな? ねえ……どうして?」
 スザンナは、半泣きしかけたスタンを抱きしめた。
「あたしのお父さんや兄弟たちだったら、絶対に諦めない。どうにかしてでも助け出そうって努力するはずよ! 
何故、シュレーン王子のお父さまやお母さまであらせられる国王陛下と王妃さま、御兄弟の王子王女様がたはそうしないの? 
そんなにアッサリ延期出来るの? 心細い思いをなさっているかもしれないのにっ!」
真っ赤になって涙声に成りながらスタンは訴える。
すると、スザンナは切なくなる程優しい目で見つめて微笑んだ。
「……ねえ、スタンギール。あなたは王子が何者でも変わらず愛してあげて欲しいの」
 スタンを腕から開放すると、スタンの額にキスをした。
「王子は、肉親の愛情を本当の意味で知らないわ。……だから、あなたが忘れられなかったの」
「…………」
「時々、王宮で会った王子がわたくしに仰っていたわ。一番幸せだったのは、わたくしと一緒に暮らしたチヌルヌ村での一年ですって。本当に嬉しそうにそう言って、あなたとの文通を心の支えにしていたの」
 スタンは俯いてエプロンの裾を握りしめた。
「あなたは一度、家へお帰りなさい。……王子の無事が判ったら、手紙を書くから」
スタンは、スザンナを見た。次にフェムを見る。
交互に見比べていたが、最後にはどうしようも無い事だと悟り、一つ頷いた。
「はい」
 スザンナは微笑んだ。
「……有り難う……」
 



 
 ロバの背に揺られながら、スタンは徐々に遠ざかるリャーメンを見つめた。
「……親子って、なんだろう……」
スタンは四人の弟たちを思い出した。
両親の思惑が外れすぎてとんでもない名前を持ってしまったが、それでも肉親の愛情を疑った事はない。
「あたしの父さんも母さんもあたしを好きでいてくれる。何かあれば心配してくれるし、危ない目にあっていたら、きっと助けにきてくれる事を信じられる」
頭上では、ミルが小さく囀りながら留まっていた。
だからスタンの頭の一部分が、ミルの体温で丸く温い。
右手にはバンクウが腕輪に擬態して嵌まっていた。
声が聞こえないから、多分眠っているのかも知れない。
(あたしの兄弟たちは、あたしが危ない目にあっていたら、一生懸命助けてくれようとする。だって、あたしも弟たちの誰かが《るりりん》の様な目に合っていたら、助けに行くもの!)
 脳裏にクスクスと笑う、銀髪に瑠璃色の瞳のシュレーンを思い出した。
幼い声が「お姉ちゃん」と呼ぶ。
だから、スタンは「るりりん」と呼んで抱きしめた。
 スタンは俯いたまま暫く考え込む。
「スタンギール様」
鈴を転がす様な美声が耳朶を打った。
いつの間にか、スタンのロバの横に立ち、並んで歩いていた。
「……お助けしたいのでしょう?」
顔を上げると、男女一組のペアがにこやかにそう確認してきた。
一人は簡素だが丈夫な革鎧を纏った見上げるほどの背丈の男で、背
負った大剣が異彩を放っている。
もう一人は胸の大きく開いた歌姫の様な黒いドレスを纏った女だ。
 スタンは二人の顔を見て、困った様に笑う。
 スタンは並んで歩く、この男女を知っていた。
直接話すのはこれが初めてだし、こういう 《人型》の姿を見るのも初めてだが、彼らは先日ミルとバンクウから譲り受けたモノたちだったりする。
名前も付けた。
だから、それで呼ぶ。
「……あたしでは、無理かな? ゲンカさんにコハクさん」
 ゲンカと呼ばれた美女は、見事な黒髪をさらりと払うと妖艶な笑みを浮かべた。
「呼び捨てで結構ですわ。あなたは私の主人ですもの」
 金の短髪に褐色の肌をしたコハクと呼ばれた青年は、不敵な笑みを見せて目を細めた。
「あんたが、俺の主人だ。……願い事を言え」
 スタンは、進めていたロバの手綱を引いて止めると、ゲンカとコハクを見て答えた。
「るりりんはね、どう考えてもあたしの妹で弟なの。助けたい!」
 スタンはひたと二人を見つめた。
「よっしゃっ!」
「……行きましょう」
スタンは大きく頷くと、頭上を見上げた。
「ミルちゃん、あたし……内海へ行くよ」
 すると、ミルは肩にふわりと舞い降りる。
 ――― スタンギール、では《ロバ》はどうする?
 ゲンカは、己を作ったミルに「私にお任せ下さい」と答える。
「……私が、御実家の方へ届けて参りましょう。届けた後で皆様に合流します」
 ロバを下りたスタンから手綱を受け取る。
 スタンは首を傾げた。
「でもゲンカさん、チヌルヌ村まで遠いよ?」
 すると、ミルは可笑しそうに笑った。
 ――― スタンギール、忘れていないか? ソレは人間ではないし、その程度の魔術も使えないようなデクではない。そうだったら、あの勝負で我は早々に負けている。
スタンは「そうだった」と思い出した様に頷いた。
ゲンカはにっこり微笑んで一礼すると、ロバ共々煙のように消える。
「さて、行こうかね?」
 楽しそうな様子でコハクは目を輝かせると、指を鳴らして軽くスタンの肩に触れた。
 一瞬回りがぶれた様な気がした。
「……ここは?」
潮騒が遠く聞こえる。
眼前に小さな漁村があった。
先程までは、王都リャーメンから一番近い村がやっと見えてくるかという場所に立っていたのである。
「……なんか生臭い……」
鼻をひくつかせて呟くと、足元で子供の笑い声が聞こえた。
それにギョッとする。
まさか転移した先に人がいるとは思わなかったのだ。
「それは《海》の磯の匂いだよーっ」
 簡素な服の良く日に焼けた少女だ。
「磯の匂い?」
 少女は、クスクス笑いながら、スタンとコハクの回りをクルクル回る。
「お姉ちゃんたち、お空を飛んできたの? だから、海の近くの村に来たのは初めてなの?」
 スタンは少女の言いようにつられて笑うと少女と視線を合わせるために屈んだ。
「そうなの。あたしが住んでいる所は、海なんて見えないからね。山と森しか無いのよ」
 少女は目を丸くして聞き返す。
「山……森?」
 スタンは少女の頭を撫でながら、大きく頷いた。
「草や木がたくさん生えている所……かな? あまりにもたくさん生えているから、この海みたいに見える事もあるよ? 緑色の海」
 少女は目を丸くして不思議そうに反芻する。
「緑色の海?」
「そうよ? この辺りには、見ることの出来ない光景かもね。だってここは見渡すかぎり青い海と平野だけだものね」
少女なりに一生懸命連想したのだろう。
ややして楽しげに笑うとスタンを見上げた。
「へえーっ。凄いね、お姉ちゃん」
 スタンは少女の頭を撫でて立ち上がると、背後を振り返った。
 コハクは、首を軽く指で掻きながらツイと顎をしゃくる。
「じゃあね」
 軽く少女に手を振って、その場に少女を残してコハクと村に入ろうとした。
 すると、残してきた少女が再び追ってきてスタンのスカートの裾をツイツイッと引く。
スタンは、引かれて振り返ると、少女はにっこり笑ってこう言った。
「ねえねえ、お姉ちゃん」
「?」
「お姉ちゃんとお兄ちゃんは、ここの村に随分前にやってきた、違う国のお兄ちゃんたちと同じなの?」
 スタンはコハクと視線を交わして首を傾げた。
「……違う国のお兄ちゃんたち?」
 少女はにっこり笑うと、大きく頷いた。
「沢山の、沢山の人が来たの。でも、しばらくして、殆どの人が帰っちゃった。今居るのは、その時帰らなかった大きな剣を持ったお兄ちゃんたちだけかな?」
 スタンは不思議そうに顔を上げて村の方へ視線を向けた。
(……一時撤退の知らせを受け付けなかった人が居る?)
 その時、誰かがこちらへ近づいてくる。
スタンは、駆け寄ってくる数人の男女の中に、見知った顔を見つけ目を見開いた。
「……パガードさま?」
コハクは、スタンの側に立ったまま、彼らを迎えた。
 



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