メビウスの帯 繰り返す私とあなたの婚姻にまつわる顛末

月鳴

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序・わたしのターン!

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 美しい銀の髪。端正な顔立ち。優しく艶のある声。初めてその人を見た時、私は一目で恋に落ちた。初恋だった。

 彼の名はヘンドリック・オーフェン。ヘンドリックは地方に領地を持つ伯爵家の次男坊で、彼はいずれどこかの家に婿養子に入るか、独立するかの選択をしなければならない立場であった。
 彼の周りには人が尽きない。夜会でも一際目立つその容姿は若い娘の目を引き、悪い評判のない彼は私みたいに一人娘を持つ貴族の親達にもそれはそれは人気があった。
 焦った私は公爵家の力を使って、彼を私の婚約者に仕立てあげた。だってどうしても彼が欲しかったのだ。
 美しくて綺麗で見ているだけで幸せになれそうな彼を一番近くで見ていたかった。その隣を誰にも譲りたくなかった。
 無理やり婚約者にしたというのは秘密にしていたはずなのに、どういうことかヘンドリックにバレてしまい悲しいかな、私への好感度はマイナスだった。
 優れた容姿を持ち前の気品と、努力を怠らない素晴らしい人格。相手などより取り見取りだった彼は、私の我儘によりその将来が決定されてしまったのだからさもありなん。
 蝶よ花よと育てられ苦労したことも困難にぶつかったことなどない箱入り娘。そんな私は金と地位にものを言わせて彼の婚約者という立場を奪い取ったことを悪いとも思わなかった。それがさらに彼と私を隔てていると知りもしないで。
 求める前にすべてを与えられる環境にいた私が初めて自分から欲しいと思ったものが彼だった。
 でも彼は人間で、意思のないジュエリーやドレスではない。そんな当たり前のことすら知らなかった愚かな私は、ただひたすらに彼を自分に縛り付けることしかできなかった。
 人の心の射止め方などこれっぽっちも知らなかったなんて言い訳にもならない。

「ヘンドリック、今の方は誰?」
「彼女は親戚筋の末娘だよ。今年デビューしたから挨拶にと」
「へえ、それにしては距離が近かったのでは?」
「……何が言いたい」
「私というものがありながら鼻の下を伸ばしていたのではなくて」
「違うといつも言っているだろう。僕は君と別れられない」
「関係ないわ! あなたの心も全て私のものなのよ! あなたに近づくもの全てが許し難い」
「エリザベート、声を抑えてくれ。公の場だぞ」

 ダンスパーティーの会場で、揉め始める私たちを周りはまたかという目で見てくる。『マークス家の我儘娘の悋気が始まったぞ』と。
 私は彼が好きなあまりに気持ちを抑えることができなかった。もともとなんでも受け入れられていた私に、自分を否定される、自分を自制するという考えはまるで存在しなかった。
 だから私は彼が他の女と話すことも嫌だったし、それを嫌だということを我慢することもできなかったし、嫌がられているということにも気がついていなかった。
 どうして彼は私の嫌がることばかりするのだろう。そんなふうにしか思えなかった。彼は彼自身のものですらなく、私のものであって、それが当然だと思い込んでいた。ものすごく傲慢で人として最低な考えだということすらわかっていなかったのだ。
 それでいて彼に好かれようなんてはっきり言って無理に決まっているのに、誰もそれを指摘しなかったし、私も最後の最後まで気づかなかった。

 彼がとある子爵家のご令嬢と仲睦まじくする姿を見るまでは。



 ある日のことだった。春の優しい日差しが暖かく空気をなだめて寒く辛い冬を覆い包もうとする、そんな時節。
 彼は仕事で出掛けてしまい、暇を持て余した私は王都の中心にある広場へ向かうことにした。
 意外に思われるかもしれないが私は花や緑を見るのが好きだった。蝶よ花よとは言ったのものの、それは言わば籠の鳥と同じで、過保護な両親は庭にすらめったに出してくれなかった。
 時たま、許可が出た時は大喜びで庭を駆け回ったものだ。いつも違う花の咲いた庭は驚きと新鮮さに溢れていて、その空気を吸うだけで元気が貰えた。
 さすがに大人になった今、外出に制限はほとんどなくなったが、その感覚は今でも持ち続けていた。
 家にいても振り向いてくれない彼を思ってくさくさとした気持ちになるだけなので、気分転換に花を見に行くことにした。その方が家で腐っているより絶対楽しい。

 晴天の空の下、侍女を馬車に待たせて私は一人広場を進む。白薔薇のアーチを抜けて、お気に入りの木陰のベンチを目指していた私の目に入ったふたつの人影。
 花の弦が屋根になった東屋にいたのは陽の光がキラリと反射する銀の髪と、ピンクのワンピースがよく似合うふわふわな薄茶色の長い髪。
 一人は一瞬で誰かわかった。当然だ、毎日見て恋焦がれ求めている相手なのだから。銀の髪はいつもうんざりしたような顔で返事をする私の、婚約者のもの。
 もう一人は誰だろう。女の顔は皆どれも同じに見える私にはその時はわからなかった。
 ショックを受けた私が唯一覚えているのは、いつも会う度に顰め面のヘンドリックがその日の日差しのように柔らかく穏やかに笑っていることだけだった。

 ──あんな顔、私は知らない。

 今思えば、あのときの胸を突き刺すような痛みは、絶望という名前がつくのだろうか。

 彼は私のものなのに。彼は私の前であんなふうに笑ったことなんてない。どうして。

 目の前が真っ暗になった。




 気がつけば見えるのは自室の天井。部屋にいたメイドから三日も眠っていたと聞かされた。どうやって自分がここに帰ってきたのかは怖くて聞けなかった。知りたくもなかった。だって私は彼らの前で倒れたのだから。ここにいる理由はひとつしかない。

 相変わらず胸はつきつきと痛んで私を苦しめる。彼は今不在だと言われた。それはそうだろう。彼は公爵家に逆らえないから、私の元にいるに過ぎない。

 メイドが医師を呼ぶと言っていなくなり、一人になった私はふらふらと覚束無い足取りで部屋を出た。

 気がつくと、私は何代か前の当主が建てたという西の塔に登っていた。何のために建てられたのか正確なことは伝わっていない。誰かを閉じ込めるためとも、敵の襲来をいち早く見つけるためとも言われている。
 吹きさらしの天辺から見えるのは王都に広がる街並みと王城。それから、あの広場。黄昏の空に照らされて赤く染まる美しい景色だった。
 私はこの美しい国に生まれ、生きている。それはこの上ない幸福で幸運だと思った。

 ビュウ、と風が音を立てて、私は思わず真下を見る。そして今いる高さを感じてゾッとした。怖い。この高さから落ちれば確実に死んでしまうだろう。
 死のうと思っていたわけではなかった。死んでしまいたいとは思っていたけれど。
 実際に死に近づくとそれはそれはひどく恐ろしくて。死にたい、なんて一時の気の迷いだったことに気付かされた。
 離れよう。そう思い吹き抜けの最上階から降りようとした私は、足をもつらせたたらを踏んだ。三日も眠っていて身体が弱っていたのだろう、あ、と思う間も無く上体が塔の外に落ちて行く。

 塔から身体が完全に離れるその瞬間、ずっと焦がれた銀糸を見た気がしたけれど、あれは私の願望が見せたものだったのか。





 そうして私は死んだ。

 ……はず、だったのだけれども。


 ふたたび目を覚ました私の目の前には

「初めまして、エリザベート嬢」

 輝く銀の髪の見慣れた美丈夫が、私に握手を求めて手を差し出していた。



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