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引退を決めた冒険者、少女と出会う。

第10話 安らぎのひととき

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 サブギルドマスターのマリンから告げられた踊る子鹿亭での慰労会。ロックは一旦自宅に帰ってから夕刻に向かうと告げて帰路についていた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
 アルトとレイチェルが笑顔でロックを迎えた。事の報告はギルドから聞いていたが、ロックがケガなく帰ってきたことにホッと胸をなで下ろしていた。
 左肩のショルダーガードの破壊具合に、魔獣の攻撃力の高さを震撼し、アルトはいう。
「ミスリル製のショルダーガードがこんな風に砕かれるなんて……」
「ミスリル製だったんですか? これ」
 レイチェルがおうむ返しに問う。
「ロック様の亡き父上様が旅先で手に入れたものでした。どこぞのドワーフの作だとうかがっておりましたが……そう簡単に破壊されるようなものではなかったのですが……」
「それだけすごい魔獣だったって事ですね。ほんとよくご無事で……」
「俺もそう思う。まあ町に被害がなくてなにより。ところで今日は踊る子鹿亭で今回の討伐に参加した人たちと飲んでくるから……」
「分かりました。ゆっくりしてらしてください」
 アルトは言う。
「レイチェルもよかったら来るか?」
「え、でも……。私は討伐に何も参加してませんし……。そもそも場違いですよ」
「まあ、気晴らしというか、気分転換に、ね。無理にとは言わないけど」
「そうですね……」
 レイチェルは考えながらアルトの方に目を向けると、アルトは微笑んで頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
 レイチェルは笑顔でそう呟いたのだった。

 ロックは着替えを済ませてのんびりとくつろいでいると、日が傾き初めていた。
「レイチェル、準備できたかな?」
 ロックの問いかけに、いつもより少しめかし込んだレイチェルが奥から顔をのぞかせた。
「あ、あの。笑わないでくださいね?」
 頬を紅く染め、そう一言念を押してレイチェルは姿をみせた。ワンピースに身を包んだ彼女は普段着とはまた違った可愛さだった。これまでは地味め色のスカートと白いフリルのシャツがメイン。それに見慣れていたロックは新鮮みを覚えていた。
「へん、ですか?」
「いやいや。そんなことない。む、むしろ……」
 ロックは照れ笑いを浮かべながら顔を逸らし、「かわいいよ」と呟いた。心なしか、頬が赤く染まっている。
 アルトはそんな二人のやりとりをほほえましく見つめそれから、「そろそろ時間ですよ」と二人を送り出す。
 ロックは右手を差しだし、レイチェルの手をそっと握り「行こうか……」と呟いた。
 そんないつもと少し違った表情のロックを見て、レイチェルはクスクスと笑う。
「変かな?」
 クスクス笑いながらレイチェルは「変です。だって、ロックさんらしくない……」と冗談めかして言った。
「ま、まあ、そうかな……」
 ロックは空いてる手で頭をぽりぽりと掻きながら相づちを打った。
 自分でもらしくないな、と思いながらも、ロックは呟いた。それから、何を話すでもなく、二人は無言で踊る子鹿亭へと向かって歩いていった。
(考えてみれば、女の子と手を繋いであるくなんて、無かったな。これまで、冒険一筋で、パーティー組んだ女の子とご飯食べたりってことはたくさんあったけど……)
 恋愛対象として今まで意識した事など皆無と言っても等しい。そんなロックが今初めて胸をときめかせ、ドキドキしながら手を繋いで女子と歩いていた。
 気の利いた話題などあるわけではないし、エスコートもなれていない。随分と遅れてきた思春期のような感じで、どう接すればいいのか、ロックにはよく分からなかった。
 ふと、ロックは彼女の胸元に、首から提げられたネックレスとその先端についている宝石が目に止まる。
「その宝石。というか、ネックレスは……」
「ああ、両親の形見なんです。北の町を逃げ出すとき、唯一持ち出せたもので……」
「そっか。ごめん、つらいこと思い出させたかな?」
「いいえ? つらい思いでばかりだったら、こんな風に身につけられませんよ。両親の形見で、お守り代わりなんです。あの時、ロックさんに助けてもらったときも、これを握りしめて祈ったんです。神様、どうかお助け下さいって。そしたら、ほんと、奇跡のようにロックさんに出会えて……」
「じゃあ、僕らを引き合わせてくれたキューピット見たいなお守りだね」
 冗談めかしてロックは言う。
 レイチェルが首から提げているのは、真紅の宝石は天使の羽のような装飾の中心についており、そこに首から提げる金の鎖がついたネックレスだった。
 その天使の羽の装飾こそ、まるで二人を引き合わせた天使のようだな、と不意にロックは思った。
 いい出会い方だったとは言えないかも知れないが、運命の出会いだったと言えばその通りかもしれない。
 レイチェルとの出会い、この町に帰ってきて。身寄りのないレイチェルを家に住まわせて……。お手伝いのアルトもいるけれども、少しのんびりとした生活は、ロックにとって少し新鮮で。戦いのない平穏な日々を少し楽しんでいたのは事実。
 出会っていなければ、そんな新しい日々の営みに気づく事はなかったかもしれない。それに、いくら魔獣が現れたからといって、剣を取って戦ったか、というとそうではなかったかも知れない。
 ベヒーモスとの戦いの時に、奴が町を目指してる理由は分からなかったけれども。それでも、守りたいという気持がこれまで以上に強かった。
 もしかすると、あの剣の力を引き出せたのは、レイチェルとの出会いがあったからなのかも知れない。
「だとしたら、やっぱりそのお守りに、ありがとう。だな」
 ロックの小さなつぶやきはレイチェルの耳にしっかりと届いていた。
「えっ?」
「俺をレイチェルに引き合わせてくれたこと。レイチェルにもし出会ってなかったら、あのベヒーモスと戦っていたかどうか。それに、あの剣を使いこなせたのは、この町にきてからの君との生活があったから、だと思う」
「私との生活?」
 レイチェルは不思議そうに問いかけた?
「守りたいと思った。普通の人々が普通に営んでいる生活を。僕は冒険することしか知らないから。小さい頃からさ。人々の過ごす日常を、君とこの町で過ごしてようやく知った気がするよ。そして、思い出したんだ。俺がなぜ冒険者になったのか、を」
 二人はいつしか立ち止まって見つめ合っていた。
「レイチェル、君がいつか家を出ていく日が来るのかも知れないけれど。もし、出来ることならずっと家にいて欲しい」
「えっ」
 ロックは真剣な眼差しで言う。レイチェルは突然の言葉に、頬を赤らめながらそっぽを向いた。
「嫌かい?」
「い、嫌ではありません。ロックさん。そ、それって、プロポーズです、か?」
 レイチェルの言葉に、ロックはハッと我に返る。ずっと家に……。確かにその通りだ。
 今はただの居候のレイチェルと、恋人付き合いをしているわけでもなく、一足飛びにずっと家にいてくれと……。冷静になってロックは顔から火が出るかというほど真っ赤になっていた。
(確かに、レイチェルの言うとおりだ)
 レイチェルも頬を紅く染めて。それでもまんざらでは無さそうだが、少し不満そうな表情にすぐ切り替わる。
「あの、ロックさん。私がすぐ出ていくことはありませんし、出来ることならずっと居させていただきたいとも思うのですが……」
「すまない。いきなり。えっと、何というか。君のことが好きなんだ。ずっと傍で守りたいと思うほど」
「……はい。でも、なんというか、お嫁に行くのは少し待っていただきたいです」
 早まった~。ロックは勢い余っての言葉を紡いだことに後悔を覚えていた。わかりやすくがっかりとした表情を浮かべている。
「少し恋人同士っていうか、そういう関係に憧れがありまして……」
 レイチェルは照れ笑いを浮かべながら呟いた。
「一緒に暮らしてるから、アレですけど。少し恋人付き合いしてからでもいいですか? いきなりですと、何というか覚悟? というか、心の準備もまだ出来て無くて……」
 ロックの表情もすぐに明るくなる。
「あ、了解。それもそうだよね。じゃあ改めて。レイチェル、僕と先々を見据え、僕とつき合ってください」
 改めたロックの申し出に、レイチェルは即座に頷いたのだった。

 それから二人は手を繋いで歩き出した。恋人同士というにはまだ少しぎこちないけれども、それでも二人は新鮮な気持ちで歩いていた。
 ドキドキ胸が高鳴るが、それもまた新鮮で心地よい。これまで知らなかった心境だ。そして、二人が踊る子鹿亭にやって来たときには中から賑やかな声が聞こえてきた。
 どうやら宴会はもう始まっているらしい。
 店の入り口には本日貸し切りの看板が立っていた。ギルドは今日は店を貸し切っての宴会にしたようだ。
 二人は顔を見合わせると並んで店内に足を踏み入れたのだった。
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