悲しきロボットは、今日も平常運転。

true177

文字の大きさ
1 / 1

悲しきロボットは、今日も平常運転。

しおりを挟む
 誰だ、中学校を卒業すれば受験勉強から解放されるとほざいたのは。高校に入れば、二年間は安泰だと虚像を見せていたのは。

「おいおい、これ、終わらないぞ……」

 机に高く積まれている教材は、学習塾と宿題とが対等になっている。バランスはどうであれ、とても教室から出るまでには消化できそうにない。

 末期のジェンガタワーのように、教科書の塔がぐらぐらしている。たった五冊なのだが。

 呑気に現実を見ない体育会系の掛け声が、窓から飛び込んできた。耳栓を付けていても忍び込んでくるのは、流石の肺活量と言ったところか。

 ……集中しないと、集中しないと……。

 羊を数えると却って眠れなくなるらしいが、尚史(なおふみ)も同じ現象に悩まされていた。勉強に使うべきスタックが、他の用途に使われては意味がない。

 額から汗が垂れ落ちて、机上のプリントにしみ込んだ。じわりと滲んで広がっていくそれは、心を見透かされているようだった。

 尚史を苦しめるものは、灼熱の太陽と無理難題だけではない。

「ねーえー! まだ終わらないのー?」

 トイレに行くヒマも惜しんでいるというのに、性懲りもなく腕を引っ張ってくるクラスメートだ。一度貼り付かれると、スライムのようにべとついて離れなくなる。

 赤ちゃんより態度の悪いこの駄々っ子ちゃんは、妃奈(ひな)である。乳幼児のころから人離れが悪かったようで、親から中々離れられなかったらしい。

 ほっぺたを風船にして、目が本気で自らを向いていないことへの抗議を示している。

「言っただろ、宿題が終わらないって……」
「そんなの、どうでもいい! さ、帰ろう、帰ろう!」

 そう言うなり、折角完璧な角度で積み上げることの出来た教材を彼女のバッグに詰め込もうとする。何とも、人の気持ちを考えられない奴だ。

 口で注意しても聞く耳を持たないのなら、これは実力行使せざるを得ない。

 ……勉強の方が、遊びより百倍も大事なのに……。

 チャックを閉めようとする妃奈の手を、真横にはたいた。床にぶつかって本が傷んでしまうが、盗まれそうになったことを考えれば悪い結果ではない。

 厳格な父親の制度が崩壊してから、もう数十年。弱腰になり続けてきた大人たちは、国際社会での競争力を失ってしまった。秀才軍団だった日本は、今や落ちぶれ先進国に成り下がってしまったのだ。

 能無しの同級生のせいで、十秒もロスしてしまった。一刻も早く、勉学に戻らなくてはならない。

「……今日こそは、何もせずに帰るって約束したじゃん!」
「そんなの、口約束だから無効に決まってるだろ!」

 絡みへの対処が鬱陶しかっただけだ。それ以外の何物でもない。

「……私は、尚史のことを思って……」
「……高校一年生から頑張らないと、いい大学に入れないんだ。努力しないと負け組になるんだ……」

 ……そういえば、中学校までは彼女とうつつを抜かして雑談をしてたな……。

 幼馴染だからと言って、情けは無用だ。悪は、切り捨てられて当然なのだ。

 他人と仲良くすることが、何のプラスになるのか。それでテストの点が一点でも上がるのなら喜ぶが、そうでないなら無用の長物というものだろう。

「……」

 厳しく諭してあげるような尚史の目に楔を打ち込まれて、ようやく厄介者が黙った。明日から、バッテンマークのマスクをつけてくれると尚嬉しいのだが。

 現代は、学歴社会だ。大学進学への努力は、一秒たりとも惜しんではならないのだ。道を一歩でも踏み外せば、負け組になって資本主義の犠牲になる。

 だから、仕方がない。幼馴染の異性は、嫌気が差して人生の橋を降りた軟弱者であるから、切り捨てられても文句を言う資格はない。

 ……最後に妃奈が笑ってたのは、いつだったっけな……。

 冷徹に物事を処理する脳に一滴の雨が落ちたのは、きっと気のせいだ。





----------





 金属で作られている重たい教室の扉が、閉まる直前に。

『……いつから、こんなことに……』

 瞳を青く落ち込ませた少女がいたことを、尚史が知る由は無かった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜

小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。 でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。 就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。 そこには玲央がいる。 それなのに、私は玲央に選ばれない…… そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。 瀬川真冬 25歳 一ノ瀬玲央 25歳 ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。 表紙は簡単表紙メーカーにて作成。 アルファポリス公開日 2024/10/21 作品の無断転載はご遠慮ください。

つかまえた 〜ヤンデレからは逃げられない〜

りん
恋愛
狩谷和兎には、三年前に別れた恋人がいる。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

【完結】泡になった約束

山田森湖
恋愛
三十九歳、専業主婦。 夫と娘を送り出し、静まり返ったキッチンで食器を洗う朝。 洗剤の泡が立っては消えるその繰り返しに、自分の人生を重ねながら、彼女は「ごく普通」の日常を受け入れている。 愛がないわけではない。けれど、満たされているとも言い切れない。 そんな午前中、何気なく出かけたスーパーで、背後から名前を呼ばれる。 振り返った先にいたのは、かつて確かに愛した男――元恋人・佐々木拓也。 平穏だったはずの毎日に、静かな波紋が広がり始める。

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

離れて後悔するのは、あなたの方

翠月 瑠々奈
恋愛
順風満帆だったはずの凛子の人生。それがいつしか狂い始める──緩やかに、転がるように。 岡本財閥が経営する会社グループのひとつに、 医療に長けた会社があった。その中の遺伝子調査部門でコウノトリプロジェクトが始まる。 財閥の跡取り息子である岡本省吾は、いち早くそのプロジェクトを利用し、もっとも遺伝的に相性の良いとされた日和凛子を妻とした。 だが、その結婚は彼女にとって良い選択ではなかった。 結婚してから粗雑な扱いを受ける凛子。夫の省吾に見え隠れする女の気配……相手が分かっていながら、我慢する日々。 しかしそれは、一つの計画の為だった。 そう。彼女が残した最後の贈り物(プレゼント)、それを知った省吾の後悔とは──とあるプロジェクトに翻弄された人々のストーリー。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...