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第25話「風の傷跡」
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夜明け前の草原は冷たい。
けれど、それはいつもの冷たさとは違っていた。
風が落ち着かない。
一定の向きに流れようとしては、ふいに逆へ回り込み、また止まる。
霧が地面を這い、草の穂先だけが小刻みに揺れている。
「……行ける」
エイラは言った。
声は普段どおりのつもりだった。けれど、自分でも分かる。少しだけ硬い。
翼は畳まれている。
羽根の根元に残った鈍い痛みが、歩くたびにじわりと広がる。
飛べないことより、飛べないと認めることが悔しかった。
ライアスは隣で、黙って歩いていた。
歩調を合わせる。時々、エイラの足運びを確かめるように視線を落とす。
「……無理してないか」
結局、彼のほうが口を開いた。
責める声でもなければ、慰める声でもない。事実確認の口調だった。
「してない」
エイラは即答した。
「大地を歩くのは日常だよ。
私は“空しか知らない”わけじゃない」
言ってから、少しだけ可笑しくなる。
こんな主張、今さらだ。
ライアスは小さく頷く。
「知ってる。
だから言った。無理するタイプだって」
返せなかった。
図星だった。
王都で崩れ落ちる塔の中でも、落ちていく瞬間でも――
自分の身体より、止めなきゃいけないものを先に考えていた。
(……でも)
生き残った。
だから今も歩ける。
その事実が胸を苦しくするのは、たぶん“まだ終わっていない”からだ。
陽が上がり、霧が薄くなる。
草原の向こうに、渡り獣の群れが見えた。
本来なら、群れは一定の隊列を保つ。
風下へ向かって静かに進む。地上の生き物は風を読むのが上手い。
だが今日は違った。
先頭が進もうとする方向と、後方が押す方向が噛み合わない。
一頭が急に止まり、別の一頭が突っ込む。
蹄が土を抉り、鳴き声が乱れる。
「……方角を失ってる」
ライアスが呟く。
エイラは唇を噛んだ。
地上が日常だからこそ、異常がよく分かる。
風が乱れれば、群れは迷う。
迷えば事故が起きる。
事故が起きれば、人が巻き込まれる。
そして――胸元のペンダントが、微かに熱を持った。
薄い光が、脈打つように滲む。
「……来る」
喉が勝手にそう言った。
言葉が出た自分に、エイラ自身が一瞬だけ驚く。
「何がだ」
ライアスが横を見る。
「わからない。でも……嫌な感じがする。ここ、風が変だ」
そう答えた瞬間、ペンダントが一度だけ強く震えた。
視界がほんの一瞬、白く滲む。
(また……)
膝が揺れた。
ライアスの腕が伸びる。
「おい」
触れられる直前に、エイラは踏ん張った。
「大丈夫」
息を整える。
大丈夫と言い切らないと、足が止まりそうだった。
(王都のことが……終わってない)
空の中枢が軋めば、その影響は空だけで終わらない。
地上にも届く。
今、目の前の群れがそれを教えている。
昼過ぎ。
丘陵を越えると、狭い崖道が現れた。
下には乾いた谷。
風がぶつかって唸り、砂が舞う。
そこに、人の気配があった。
荷車が横倒しになっている。
車輪が外れ、荷が散らばり、旅人たちが困り果てていた。
尾のある者。角のある者。耳の長い者。
種族の違う者が混ざった、小さな交易団らしい。
「……助けを呼ぶには遠いな」
ライアスが立ち止まった、その瞬間――
エイラの身体が先に動いた。
「怪我してる!」
倒れた荷車のそばに駆け寄る。
角持ちの若い男が肩を押さえ、歯を食いしばっている。
近くで子どもが泣きそうな顔で荷を抱えていた。
「大丈夫。動かないで」
エイラは膝をつき、布を裂く。
応急処置。旅の中で覚えてきたことだ。派手な力はなくても、手は動く。
「おい」
背後から、ライアスの声が飛ぶ。
「今は目立つな」
エイラは振り返らずに言った。
「放っておけない」
「放っておけって言ってるんじゃない。
“今”じゃない」
「今じゃなかったら、いつなの」
声が少し強くなる。
自分でも分かる。ここで折れたら、何かが壊れる気がした。
「中立都市まで行けば誰かが助ける、って?
その“誰か”が来るまで、この人は痛みに耐えろって言うの?」
ライアスが黙る。
黙り方が“負け”ではないのが分かった。現実を計算している。
「……五分だ」
やがて低い声が落ちた。
「五分で手当てして、荷をまとめて、離れる。
それ以上はやるな」
エイラは短く頷く。
「うん。ありがとう」
ライアスは小さく鼻を鳴らした。
それ以上は言わない。言うと長くなるからだ。
五分。
エイラは必死に手を動かした。
布で肩を固定し、出血を止める。荷を寄せる。子どもを落ち着かせる。
「助かった……あなた、アヴィアンか?」
角持ちの男が息を整えながら言った。
「うん。旅の途中」
「中立都市へ?」
頷くと、男の目が少しだけ曇った。
「気をつけろ。最近、風が変だ。
それに……“星”の噂が回ってる」
「星の噂……?」
「空で何かあったんだろう?
こっちは情報が遅い。遅い分、怖がり方が派手だ。
原因を探して、誰かを吊るそうとする連中もいる」
エイラの指が一瞬止まる。
(……もう噂になってる)
恐怖は、理屈より先に広がる。
それを地上で見てきたから、分かってしまう。
「行くぞ」
ライアスが声をかける。
その視線が、崖道の向こう――草原の稜線を鋭く射抜いていた。
エイラも顔を上げる。
丘の上に、人影がひとつ。
はっきり見えない。けれど、“見られている”だけは分かった。
次の瞬間――草が、一線で切れた。
刃が走ったわけでもない。
風そのものが鋭くなり、地面を撫でたように見える。
旅人たちが息を呑む。
「……っ」
ライアスがエイラの腕を掴む。
「今だ。走れ」
「でも――」
「今!」
迷いのない声だった。
この距離、この気配。彼は“知っている”。
エイラは歯を食いしばり、旅人たちに叫ぶ。
「都市に向かって!人の多い場所へ!」
そしてライアスと共に崖道を駆けた。
背中の翼が疼く。
飛べない。飛ぼうとしたら裂ける。
分かっているのに、悔しさが喉に詰まる。
(追われてる……)
炎の裂谷で聞いた言葉が過る。
――正しさは一つではない。
――いずれ我らと対峙せねばならぬ。
影は追ってくる。
だが距離を詰めすぎない。
まるで、こちらの動きを見ている。測っている。
エイラの胸が冷える。
夕暮れ。
丘陵を抜けた先で、ようやく都市が見えた。
城壁。
見張り塔。
多色の布が風に翻り、種族の違いを示す標が並ぶ。
中立都市。
交易路が何本も集まり、門へ続く列が伸びている。
獣人も、角持ちも、長耳も、背の低い種族も――
それぞれが荷を抱え、声を交わし、入門の順番を待っている。
「……入れる」
エイラが小さく言った、その瞬間――
風がねじれた。
空気が一気に冷える。
砂埃が渦を巻き、人々の衣が翻る。
見張り塔の旗が、あり得ない方向に引き裂かれるように煽られた。
「な……っ」
誰かが声を上げる。
エイラのペンダントが灼けるように熱くなった。
胸元から光が溢れ、星の形が浮かび上がる。
ただ光るのではない。光が“紋”の形を作り、渦の中心に刻まれる。
渦の中には、淡い光の粒が混じった。
砂ではない。火花でもない。
星屑のようにきらりと弾けて、風に乗って散っていく。
(……やめて……!)
止めようとした。
だが止まらない。
風がエイラに引き寄せられる。
彼女を中心に、渦が大きくなる。
門前の人々が一斉に下がった。
恐怖の目が突き刺さる。
それは“何か分からないもの”への目ではなく、“知っているもの”への目に変わっていく。
「見たか!? 星の紋だ!」
誰かが叫んだ。
次の瞬間、別の声が重なる。
「星の異変だ!」
「巫女か!? 巫女が来たのか!」
見張り塔の上で兵が騒ぐ。
「星紋!」
「門前に巫女印だ!」
叫びが飛び交い、弓を構える気配が一気に増える。
「おい、落ち着け!」
ライアスがエイラの肩を掴む。
だが、エイラの身体は震えていた。
(私が……また……)
恐怖ではない。
自分の力が、自分の意思を離れて動くことへの震えだった。
その時――群衆の中から甲高い声が突き刺さる。
「門を閉じろ! 災いを連れてきたのはあいつだ!」
一人が叫ぶと、二人が叫び、十人が叫び、声が膨らむ。
「入れるな!」
「街が汚れる!」
「星の呪いだ!」
反対に、怒鳴り返す者もいる。
「待て! ただの娘だぞ!」
「助けを呼べ!」
「何も確かめずに決めるな!」
門前が割れた。
同じ都市を目指していたはずの列が、同じ言葉を使って争い始める。
“守る”側と、“裁く”側。
中立であるはずの場所が、たった一つの光で分断されていく。
城壁の上で、重い音が鳴った。
ごぉん――。
巨大な門が、閉まり始めた。
「閉門! 閉門だ!」
兵の怒号。
弓兵が並び、矢が風に鳴る。
エイラの喉が締まる。
「……待って……」
言葉が震えた。
(私のせいで……)
人々の恐怖は、理屈じゃ止まらない。
それを地上で何度も見てきたから、エイラは痛いほど知っている。
「エイラ!」
ライアスの声が耳元で鋭く響く。
「ここにいたら撃たれる!」
彼はエイラの腕を引き、半ば引きずるように人波の端へ逃がした。
エイラは抵抗しなかった。抵抗できなかった。
門は閉じきった。
中立の門が、彼女の前で閉ざされた。
風の渦が、ようやく弱まる。
ペンダントの光が、苦しそうに脈打ちながら落ち着いていく。
門前に残るのは視線だった。
恐怖。怒り。疑い。
そして――“誰かを悪者にできる”と気づいた時の、あの目。
エイラは息を吸い込む。
涙は出ない。
ただ胸が痛い。
「……私……」
言いかけた言葉を、ライアスが遮った。
「謝るな」
短く、強く。
「謝っても、あいつらは止まらない。
必要なのは……逃げることじゃない。生き残ることだ」
エイラは唇を噛んだ。
生き残る。
止める。
繋ぐ。
全部、同時にはできない。
それでも――どれかを捨てたら終わる。
遠くで、誰かの叫びが続く。
「巫女を差し出せ!」
「災いを外へ追い払え!」
エイラの胸元で、星のペンダントが小さく震えた。
まるで、次の答えがまだ遠いと言うように。
中立の門は閉じた。
そして世界は、巫女を守るのではなく――
まず裁こうとした。
その現実が、夕暮れの風より冷たく、エイラの頬を撫でていった。
けれど、それはいつもの冷たさとは違っていた。
風が落ち着かない。
一定の向きに流れようとしては、ふいに逆へ回り込み、また止まる。
霧が地面を這い、草の穂先だけが小刻みに揺れている。
「……行ける」
エイラは言った。
声は普段どおりのつもりだった。けれど、自分でも分かる。少しだけ硬い。
翼は畳まれている。
羽根の根元に残った鈍い痛みが、歩くたびにじわりと広がる。
飛べないことより、飛べないと認めることが悔しかった。
ライアスは隣で、黙って歩いていた。
歩調を合わせる。時々、エイラの足運びを確かめるように視線を落とす。
「……無理してないか」
結局、彼のほうが口を開いた。
責める声でもなければ、慰める声でもない。事実確認の口調だった。
「してない」
エイラは即答した。
「大地を歩くのは日常だよ。
私は“空しか知らない”わけじゃない」
言ってから、少しだけ可笑しくなる。
こんな主張、今さらだ。
ライアスは小さく頷く。
「知ってる。
だから言った。無理するタイプだって」
返せなかった。
図星だった。
王都で崩れ落ちる塔の中でも、落ちていく瞬間でも――
自分の身体より、止めなきゃいけないものを先に考えていた。
(……でも)
生き残った。
だから今も歩ける。
その事実が胸を苦しくするのは、たぶん“まだ終わっていない”からだ。
陽が上がり、霧が薄くなる。
草原の向こうに、渡り獣の群れが見えた。
本来なら、群れは一定の隊列を保つ。
風下へ向かって静かに進む。地上の生き物は風を読むのが上手い。
だが今日は違った。
先頭が進もうとする方向と、後方が押す方向が噛み合わない。
一頭が急に止まり、別の一頭が突っ込む。
蹄が土を抉り、鳴き声が乱れる。
「……方角を失ってる」
ライアスが呟く。
エイラは唇を噛んだ。
地上が日常だからこそ、異常がよく分かる。
風が乱れれば、群れは迷う。
迷えば事故が起きる。
事故が起きれば、人が巻き込まれる。
そして――胸元のペンダントが、微かに熱を持った。
薄い光が、脈打つように滲む。
「……来る」
喉が勝手にそう言った。
言葉が出た自分に、エイラ自身が一瞬だけ驚く。
「何がだ」
ライアスが横を見る。
「わからない。でも……嫌な感じがする。ここ、風が変だ」
そう答えた瞬間、ペンダントが一度だけ強く震えた。
視界がほんの一瞬、白く滲む。
(また……)
膝が揺れた。
ライアスの腕が伸びる。
「おい」
触れられる直前に、エイラは踏ん張った。
「大丈夫」
息を整える。
大丈夫と言い切らないと、足が止まりそうだった。
(王都のことが……終わってない)
空の中枢が軋めば、その影響は空だけで終わらない。
地上にも届く。
今、目の前の群れがそれを教えている。
昼過ぎ。
丘陵を越えると、狭い崖道が現れた。
下には乾いた谷。
風がぶつかって唸り、砂が舞う。
そこに、人の気配があった。
荷車が横倒しになっている。
車輪が外れ、荷が散らばり、旅人たちが困り果てていた。
尾のある者。角のある者。耳の長い者。
種族の違う者が混ざった、小さな交易団らしい。
「……助けを呼ぶには遠いな」
ライアスが立ち止まった、その瞬間――
エイラの身体が先に動いた。
「怪我してる!」
倒れた荷車のそばに駆け寄る。
角持ちの若い男が肩を押さえ、歯を食いしばっている。
近くで子どもが泣きそうな顔で荷を抱えていた。
「大丈夫。動かないで」
エイラは膝をつき、布を裂く。
応急処置。旅の中で覚えてきたことだ。派手な力はなくても、手は動く。
「おい」
背後から、ライアスの声が飛ぶ。
「今は目立つな」
エイラは振り返らずに言った。
「放っておけない」
「放っておけって言ってるんじゃない。
“今”じゃない」
「今じゃなかったら、いつなの」
声が少し強くなる。
自分でも分かる。ここで折れたら、何かが壊れる気がした。
「中立都市まで行けば誰かが助ける、って?
その“誰か”が来るまで、この人は痛みに耐えろって言うの?」
ライアスが黙る。
黙り方が“負け”ではないのが分かった。現実を計算している。
「……五分だ」
やがて低い声が落ちた。
「五分で手当てして、荷をまとめて、離れる。
それ以上はやるな」
エイラは短く頷く。
「うん。ありがとう」
ライアスは小さく鼻を鳴らした。
それ以上は言わない。言うと長くなるからだ。
五分。
エイラは必死に手を動かした。
布で肩を固定し、出血を止める。荷を寄せる。子どもを落ち着かせる。
「助かった……あなた、アヴィアンか?」
角持ちの男が息を整えながら言った。
「うん。旅の途中」
「中立都市へ?」
頷くと、男の目が少しだけ曇った。
「気をつけろ。最近、風が変だ。
それに……“星”の噂が回ってる」
「星の噂……?」
「空で何かあったんだろう?
こっちは情報が遅い。遅い分、怖がり方が派手だ。
原因を探して、誰かを吊るそうとする連中もいる」
エイラの指が一瞬止まる。
(……もう噂になってる)
恐怖は、理屈より先に広がる。
それを地上で見てきたから、分かってしまう。
「行くぞ」
ライアスが声をかける。
その視線が、崖道の向こう――草原の稜線を鋭く射抜いていた。
エイラも顔を上げる。
丘の上に、人影がひとつ。
はっきり見えない。けれど、“見られている”だけは分かった。
次の瞬間――草が、一線で切れた。
刃が走ったわけでもない。
風そのものが鋭くなり、地面を撫でたように見える。
旅人たちが息を呑む。
「……っ」
ライアスがエイラの腕を掴む。
「今だ。走れ」
「でも――」
「今!」
迷いのない声だった。
この距離、この気配。彼は“知っている”。
エイラは歯を食いしばり、旅人たちに叫ぶ。
「都市に向かって!人の多い場所へ!」
そしてライアスと共に崖道を駆けた。
背中の翼が疼く。
飛べない。飛ぼうとしたら裂ける。
分かっているのに、悔しさが喉に詰まる。
(追われてる……)
炎の裂谷で聞いた言葉が過る。
――正しさは一つではない。
――いずれ我らと対峙せねばならぬ。
影は追ってくる。
だが距離を詰めすぎない。
まるで、こちらの動きを見ている。測っている。
エイラの胸が冷える。
夕暮れ。
丘陵を抜けた先で、ようやく都市が見えた。
城壁。
見張り塔。
多色の布が風に翻り、種族の違いを示す標が並ぶ。
中立都市。
交易路が何本も集まり、門へ続く列が伸びている。
獣人も、角持ちも、長耳も、背の低い種族も――
それぞれが荷を抱え、声を交わし、入門の順番を待っている。
「……入れる」
エイラが小さく言った、その瞬間――
風がねじれた。
空気が一気に冷える。
砂埃が渦を巻き、人々の衣が翻る。
見張り塔の旗が、あり得ない方向に引き裂かれるように煽られた。
「な……っ」
誰かが声を上げる。
エイラのペンダントが灼けるように熱くなった。
胸元から光が溢れ、星の形が浮かび上がる。
ただ光るのではない。光が“紋”の形を作り、渦の中心に刻まれる。
渦の中には、淡い光の粒が混じった。
砂ではない。火花でもない。
星屑のようにきらりと弾けて、風に乗って散っていく。
(……やめて……!)
止めようとした。
だが止まらない。
風がエイラに引き寄せられる。
彼女を中心に、渦が大きくなる。
門前の人々が一斉に下がった。
恐怖の目が突き刺さる。
それは“何か分からないもの”への目ではなく、“知っているもの”への目に変わっていく。
「見たか!? 星の紋だ!」
誰かが叫んだ。
次の瞬間、別の声が重なる。
「星の異変だ!」
「巫女か!? 巫女が来たのか!」
見張り塔の上で兵が騒ぐ。
「星紋!」
「門前に巫女印だ!」
叫びが飛び交い、弓を構える気配が一気に増える。
「おい、落ち着け!」
ライアスがエイラの肩を掴む。
だが、エイラの身体は震えていた。
(私が……また……)
恐怖ではない。
自分の力が、自分の意思を離れて動くことへの震えだった。
その時――群衆の中から甲高い声が突き刺さる。
「門を閉じろ! 災いを連れてきたのはあいつだ!」
一人が叫ぶと、二人が叫び、十人が叫び、声が膨らむ。
「入れるな!」
「街が汚れる!」
「星の呪いだ!」
反対に、怒鳴り返す者もいる。
「待て! ただの娘だぞ!」
「助けを呼べ!」
「何も確かめずに決めるな!」
門前が割れた。
同じ都市を目指していたはずの列が、同じ言葉を使って争い始める。
“守る”側と、“裁く”側。
中立であるはずの場所が、たった一つの光で分断されていく。
城壁の上で、重い音が鳴った。
ごぉん――。
巨大な門が、閉まり始めた。
「閉門! 閉門だ!」
兵の怒号。
弓兵が並び、矢が風に鳴る。
エイラの喉が締まる。
「……待って……」
言葉が震えた。
(私のせいで……)
人々の恐怖は、理屈じゃ止まらない。
それを地上で何度も見てきたから、エイラは痛いほど知っている。
「エイラ!」
ライアスの声が耳元で鋭く響く。
「ここにいたら撃たれる!」
彼はエイラの腕を引き、半ば引きずるように人波の端へ逃がした。
エイラは抵抗しなかった。抵抗できなかった。
門は閉じきった。
中立の門が、彼女の前で閉ざされた。
風の渦が、ようやく弱まる。
ペンダントの光が、苦しそうに脈打ちながら落ち着いていく。
門前に残るのは視線だった。
恐怖。怒り。疑い。
そして――“誰かを悪者にできる”と気づいた時の、あの目。
エイラは息を吸い込む。
涙は出ない。
ただ胸が痛い。
「……私……」
言いかけた言葉を、ライアスが遮った。
「謝るな」
短く、強く。
「謝っても、あいつらは止まらない。
必要なのは……逃げることじゃない。生き残ることだ」
エイラは唇を噛んだ。
生き残る。
止める。
繋ぐ。
全部、同時にはできない。
それでも――どれかを捨てたら終わる。
遠くで、誰かの叫びが続く。
「巫女を差し出せ!」
「災いを外へ追い払え!」
エイラの胸元で、星のペンダントが小さく震えた。
まるで、次の答えがまだ遠いと言うように。
中立の門は閉じた。
そして世界は、巫女を守るのではなく――
まず裁こうとした。
その現実が、夕暮れの風より冷たく、エイラの頬を撫でていった。
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