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第一章 闇夜の死竜

第一話「闇夜の死竜」

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「もう逃げ場はないぞ。観念するなら良し、さもなくば……」


 俺は対峙している男の様子をうかがう。
 勧告はした。このあとの展開は相手の出方次第だろう。
 返答を待つ間に俺はいま一度、男を凝視する。

 上から下まで黒を基調とした装いは明らかに闇に紛れて暗躍するスパイのそれだ。
 右手には剣が握られているが構えを解かないことから、まだ降伏の意思はないようだ。

「はあっ、はあっ……」

 夜も更けて静まりかえった路地裏の奥で、壁際に追い詰められた男の荒い呼吸だけが聞こえる。

(弁明もしないか。それはそれで暗に不審者であると認めたようなものだな)

 俺は男の挙動に注意を払いつつ慎重に歩みを進める。
 少しでも妙な動きを見せようものなら、即座に対応する準備は万全にできている。

 男も俺を観察しているのだろう。
 お互いに持っている情報が多くはないはずなので無理はない。
 所属はだいたい見当がついているが、問題はその目的だ。
 表情が確認できる位置まで近づいたとき、男が口を開きかけたので俺は一旦足を止めた。

「……闇夜の死竜!?」

 男は息を整えながら微かに漏らした。
 俺を知っているなら早く諦めてくれれば助かるのだが、鋭い眼光からはその気は微塵も感じられない。
 しかし動揺を誘うだけの効果は十分あったと判断する。
 額に浮き出た汗が男の焦りを象徴しているようだった。

「俺を知っているのか?」
「ウルズの守護神、神出鬼没、ウルズの双剣使い。幾度となく聞いた噂話だ。この界隈じゃ有名だからな。……まさか実在したのか?」

 男の視線が下がり俺が両手に握っている剣を凝視し、間違いないとでもいうふうに二度頷いた。
 俺は左右で対となる剣を手にしている。銘はないが四年ほど使い続けて、それなりに愛着がある双剣だ。
 男は視線を戻すと、左手の甲で額の汗を拭った。

「オレをここまで追い詰めるほどの手練れ。そのドラゴンの仮面……まさしくウルズの双剣使い――本物の闇夜の死竜、か」

 ドラゴンの仮面、これは死竜を模した仮面だ。
 死竜とはこの大陸に伝わる十二神竜の一匹で、死者を弔うドラゴンだと言われている。
 そう、俺はいま顔の上半分を仮面で覆っている。
 男には俺の口元しか見えていない。

 アステリア王国の首都ウルズの町。
 国内で二番目に広大な土地を誇るウルズでも、こんな仮面を着けているのはおそらく俺ぐらいだろう。
 積み重ねた仕事のせいか、どうやら俺の名は他国にまで知れ渡っているらしい。

 男の素性は隣国ゲルート帝国が送り込んだスパイだというのが濃厚だ。
 俺の仕事は男からその真の目的を聞き出すことにあった。
 だが、その前に訂正しておくべきことがある。

「ウルズの守護神? 闇夜の? ……勘弁してくれ、なんて二つ名だ。自分自身で名乗ったことなど一度もない」

 苦笑する。俺が闇夜の死竜と呼ばれる存在だと肯定しつつも、男に対する警戒心を弛めずに続ける。

「俺を知っているなら話は早い。洗いざらい話してもらおうか。ウルズの町、いやアステリア国内へは何人潜り込んだ?」
「……舐められたもんだな。オレが簡単に話すと思ってるのか? たとえ闇夜の死竜が相手だとしてもオレは一歩も引く気はない。オレも剣術には自信があるんだ。あんたの噂を初めて耳にしたときから、ずっとオレが殺すと決めていた。一対一で負ける気はしねぇ!」

 風を切る音がした。
 言い終えると同時に、男は剣を突き出してきたのだ。
 巧みに偽装しているが、技の型から奇襲を得意とするヤーデ流剣術だと瞬時に看破する。
 予備動作をほとんど見せない刺突で、その動きは非常に洗練されていた。

 だが躱す。
 翻したのは闇夜に溶けるような漆黒のマントだ。男の剣はかすってさえいない。
 一瞬、男の顔に焦りが見えたが、すぐに真顔に戻ると接近戦に持ち込んできた。
 矢継ぎ早の攻撃。

「オレの連続斬りからは逃れられんぞッ!」
「体は正直だ。実力者ゆえに直感で俺に恐怖したな? 表情は取り繕っているが、動きに焦りが透けて見えるぞ」
「ほざくなッ!」

 男の顔が歪んで振るう剣の速度が増した。
 それでも俺は両手の剣を上下左右に振り分けて、男の攻撃をすべていなす。
 剣を交えた感じから、剣術の技量は上級ほどだと認識する。

 軍の兵士でも一部の例外を除いて大半が初級か中級止まりだ。
 冒険者でさえ剣術の上級を修めている者は上位の一握り。
 なるほど俺の噂を知っていて、なお向かってくるだけの自信はそういうことか。

「おまえの剣術はヤーデ流、腕前は上級相当とみた。ヤーデ流は奇襲の剣、すなわち不意を突いて攻めるから効果がある。格下相手ならともかく、正面から斬り結ぶには分が悪い。おまえのほうがわかっているだろう?」

 俺は呼吸一つ乱さずに告げる。
 対する男のほうはスタミナの限界だろうか、随分と息が上がっていた。
 俺に指摘されたことが図星だったらしく、怒り心頭な様子で動きも大振りになってきている。

「まるで自分のほうが格上みたいな口上だな! 俺の腕を測るとは、ちょっとは腕に覚えがあるようだが、上級まで体得したオレを舐めてないか?」

 男は口角を吊り上げると、動きを一新する。
 型を変えたのだ。
 これまでの奇襲を主とするヤーデ流剣術から、攻守のバランスが取れたグラナート流剣術へだ。
 複数の流派を習得しようとする者は意外と多い、しかし多くは器用貧乏で終わる。
 先人たちが生涯をかけて研鑽した技術は、そう簡単に体現できるものではないからだ。

「それが奥の手か。だが、接近戦はまずかったな」
「なんだと!?」

 こいつも器用貧乏か。
 男の腕前を十分推し量ったところで、俺は攻めに転じる。
 眼前に迫る剣を右手の剣で受け止める。
 二つの剣尖が衝突する。
 そして、がら空きになった男の腹を左手の剣で横に薙いだ。

「うっ……!」

 男はよろめいて、三歩後退した。
 剣を地面に突き立てて、かろうじて踏みとどまる。

「はあっ、はあっ……バカな!?」

 驚きと痛みに耐えるような苦悶の表情を浮かべている。
 追撃して昏倒させるのは容易いが、俺はまだ肝心の情報を引き出せていない。

「最後の質問だ。ここへは何人潜り込んだ?」

 そう告げて沈黙する。
 だが、男は無言を貫いた。
 その表情は苦渋に満ちている。

「それが答えか。わかった、その決断を尊重しよう。おまえ一人に時間をかけているわけにはいかないから、他のやつから聞き出すことにする」

 男の意思が固いことを知ると、俺は早々に対話を打ち切った。
 こちらに近づいてくる足音を耳にしたからだ。
 数は二人で、男の味方ではない。
 男にもそれがわかったはずだ。
 俺を睨みつける男が勢いよく立ち上がり、最後の抵抗で刺突を繰り出す。

「くそがぁぁっ! おまえの首だけはもらっていくッ!」

 最後の抵抗だが悪くない。
 これまでで一番鋭い攻撃だ。
 俺は二本の剣を交差するように一閃した。

「言っただろ? 接近戦を仕掛けたのが間違いだと。これは俺の間合いだ」

 男が気を失い地面に倒れる。
 急所を外したので傷は深くはない。

 そこへ二人の警官が駆けつけた。
 息を切らせている。
 一人はよほどキツかったのか、上体をかがめて膝に手をつき、肩を上下させている。
 先に呼吸を落ち着けた警官が困惑した顔で言った。

「闇夜の死竜……また、あなたですか? いったい今日何人目です?」
「この男で五人目だ」
「はあ……見事な手際です。ご協力、感謝します」

 警官は軽く頭を下げた。

「俺の相棒も同じことをしているはずだが、そっちは何人だ?」
「ええと、我々が聞いた限りですと今のところ二人です。かなりの手練れで苦労したそうです」
「そうか、他にもいるかもしれないな。俺はもう行くから、あとは頼んだぞ」

 俺はこの男と対峙する前、すでに四人の侵入者を昏倒させていた。
 いずれの男も口を割らなかったので、以降は警察か軍に任せるしかないだろう。
 俺が考えていると、視界の端で民家の窓に明かりが灯ったのが見えた。
 就寝していたところを、物音に気づいて起こしてしまったようだ。
 騒ぎになる前にここから離れたほうがいいだろう。

「取りあえず早く拘束して運んだほうがいい。あとで俺の相棒が事情説明に向かうはずだ」

 俺が警官に指示すると、彼らはさっそく取りかかった。
 それを横目で確認してから、俺は反対の方角へと足を向ける。
 少し進んでから小声で呪文を詠唱すると、俺の背中に翡翠色の翼が出現した。

 魔法で生み出した翼を羽ばたかせ跳躍すると、俺は二階建ての民家の屋根にそっと降り立った。
 そうして、次々に高い建物へと飛び移っていく。
 この辺りで一番高い教会の鐘塔に辿り着いた頃には、背中の翼は消えていた。
 右目に魔力を集中させる。

(魔眼、――開眼ッ!)

 力ある言葉を念じると、俺の魔眼はその能力を発動した。
 魔眼は見えないものを見る。

「さて、六人目を追いかけるか」
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