崩れゆく世界に天秤を

DANDY

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第十章 エスケープ 1

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「うっ……」

 鳴り響いた銃声は、桐ヶ谷の斜め後ろで震えていた部下の銃から発せられたものだった。そしてその銃弾はまっすぐに俺の左腹部を貫いた。

「暮人!? 暮人!!」

 あまりの痛みに、意識をクラクラさせながらその場にしゃがみ込んだ俺の姿を見て、真姫は取り乱して俺の名前を連呼する。真姫はすぐにしゃがみ込み、自分の着ている服を切り裂いて俺の腹部にあてる。

 俺の腹部からは夥しいおびただしい量の真っ赤な血が流れ出し、腹部にあてられた真姫の服を紅色に染め上げる。

「暮人、大丈夫? 意識はちゃんとある?」

 真姫は俺の傷を押さえながら懸命に俺の意識を繋ぎ止める。押さえられた傷口が痛むのだが、その痛みのおかげで意識が飛ばずに済んでいる。


「ま、真姫……逃げ」

 俺はなんとか真姫に逃げるように告げるが、上手く喋れない。口が回らない。肺から空気が抜け出る感覚がする。痛い、寒い、悲しい、辛い、憎い、熱い……様々な感覚や感情が入り乱れ、意識が飛びそうになるが、真姫によって引き止められる。

 ああ、このまま死ぬのかな?

 俺は自身の人生を振り返る。

 走馬灯のように流れる過去の記憶。それでも二十年近く生きた俺の走馬灯の中で、一番色濃く再生されたのは、やはりあの時の記憶……夕暮れの小学校の教室、意識を失ってぐったりとしている少女。泣き叫ぶ俺。そこに佇む青白い人型の化け物。

 あの日から俺の人生は変わってしまったのだろう。普通とは縁遠い生活、真姫と再会してからの日々。あの日から影を落としていた俺の人生に陽光を差し込んだのは、間違いなく真姫だ。だからこそ、俺は真姫をここから逃がさなくちゃいけない。

「真姫……俺を置いて逃げろ」

 声に出して驚く。ここまで声が出ないのか。心臓の辺りから体温が引いていくのを感じる。頭は寒く、それとはあべこべに腹部は熱い。これはいよいよ死ぬ時かもしれない。

 そのまま横たわった俺の横には、しゃがみ込んで俺の体に泣きつく真姫の姿があった。

 何してんだ? 逃げろって言ったじゃないか……

 そう内心思いながらも、それでも心の内で納得している自分がいた。逆の立場なら絶対に逃げられないと分かっている。無理だ。好きな人を見捨てて逃げるなんて、俺にも真姫にも出来やしない。

「お前! 何してんだ!」

 朦朧とする意識の中、遠くの方で桐ヶ谷の怒号が鳴る。俺を撃った部下を叱責しているのだ。桐ヶ谷は出来るだけ生け捕りにしたかったのだろう。それは命令もあるだろうが、彼自身の私情でもあるはずだ。いくら俺と真姫が崩壊病の原因を作ったとはいえ、彼からしたら部下であることに違いはないのだ。

 俺もそれを期待して反抗していた面もある。俺を撃ったあの部下の行動が普通だ。星の使徒と通じているかもしれないような相手に、生け捕りなど危険すぎるから。

 だからあまり怒ってやるなよ桐ヶ谷……こうなることは分かっていただろう?

「暮人。暮人。暮人。暮人……」

 遠くで響く桐ヶ谷達の声から、一番近くの真姫に意識を向ける。体が冷えていく俺に縋りつきながら、彼女は壊れたラジオのように俺の名前を呼び続ける。答えようと口を開くが、もう声は出なかった。声の代わりに鮮血が飛び散るだけで、望んだものは何一つでやしない。

「おい小西真姫……大丈夫か?」

 桐ヶ谷は真姫の様子がおかしいことに気がつき、彼女に声をかける。一方の真姫は、ただひたすらに俺の名前を連呼するばかりで、反応しない。

「壊れちまったのか?」

 そう言う桐ヶ谷の表情に哀れみが浮かぶ。俺も桐ヶ谷と同じ心配をする。彼女には生き延びて欲しい。そうでなくては、なんのために世界を差し出したのか分からなくなる。

「おい小西?」

 呼びかけても反応がない真姫を不審に思ったのか、桐ヶ谷が俺達に近づく。

「近寄るな!!」

 あと数歩で俺達に触れる距離まで来た桐ヶ谷はしかし、真姫から発せられた怒号に驚き、歩みを止めた。

「ま、き……?」

 俺はか細い声で彼女の名を呼ぶと、真姫は俺の頭を優しく撫でて、耳元に顔を近づける。

「ちょっと待っててね暮人…………すぐに終らせるから!」

 そう言ってゆらりと立ち上がった真姫の背中から、無数の触手が大量に溢れだし、俺と真姫自身を覆うように伸びていく。俺は赤く濁った目を見開く。驚く。あれは星の使徒が出す触手と同じもの。それが真姫の背中から羽のように広がっている。

「くそ! 撃て! 撃ちまくれ!」

 慌てた様子で下がった桐ヶ谷は部下たちにそう命令を下す。部下達は、待ってましたと言わんばかりに大量の銃弾を真姫に浴びせるが、それらは大量に発生し続ける触手に全てはたき落とされる。

 真姫の変化はそれだけにとどまらず、触手が羽のように生えた彼女は、そのまま地上から一メートルほど宙に浮かんだ。もともと色白だった肌はさらに白く、彼女の全身から青白い光が発せられる。

 まるで天使だと俺は思った。横たわりながら宙に浮かぶ彼女を見て、最初に出てきた感想はそれだった。そして星の使徒から聞いた話を思い出す。星の使徒達は、もともと人間だったと。今なら納得できる。このまま真姫が進化を遂げれば、星の使徒にでもなってしまうだろう。そんな気がした。

「ダメです! 全然効きません!」

「弱音を吐くな! 撃ち続けろ!」

 桐ヶ谷達は、とにかく撃ち続ける。その銃声は止むことがなく、その銃弾は届くことはない。全てが真姫の触手にはたき落とされ、撃たれて消えていった触手の代わりに、新たな触手がすぐに生えてくる。その間、真姫は虚ろな目で虚空を見上げ、桐ヶ谷達を見ることもしていない。

 まるで意識そのものがないみたいだ。

 数分間の銃声の後、静まり返った山の中。弾切れをおこした桐ヶ谷達は、ゆっくりと後ずさりする。真姫は再び地面に足をつけ、ゆっくりと前進する。

「お前達がいけないんだ」

「お前達が悪い」

「お前達が追い込んだ」


 真姫は正気を失ったように、支離滅裂なことを呟きながら桐ヶ谷達に迫る。怯えて逃げようとした隊員よりも早く、触手が回り込み、完全に桐ヶ谷達を包囲してしまった。

「お前達に暮人は渡さない!!」

 そう叫んだ真姫に呼応するように、触手の包囲はゆっくりと狭まり、桐ヶ谷達に迫っていく。そして一番外側にいた人間、つまり一番最初に逃げ出そうとした隊員に触れた瞬間、崩壊病が発生する。真姫の触手は星の使徒のそれと同じ能力を有していた。

「やめてくれ! 頼む!」

「嫌だ! まだ死にたくない!」

 一人目の犠牲者を見た隊員達は、皆一斉に命乞いをし始める。触手の包囲の中は地獄絵図と化していた。

「死にたくない? それは私達だって同じなのに!!」

 惨めに命乞いをする隊員達に向け、真姫の怨嗟の声が紡がれる。彼女の怒りの感情が爆発し、それが具現化したのがあの触手なのかもしれない。

「お前達は自分が死ぬ場面になると、命乞いをするんだね? 私達には散々死を迫ったのに!」

 真姫の暗い声が響くたびに、隊員達は一人ずつ崩壊していく。

 崩れていく。

 塵になっていく。

 星の寿命が、命の糸が抜かれていく。

 細胞が散り散りになる。

 人が人でなくなる。

 そのまま真姫による処刑が進んでいき、最後に残ったのは桐ヶ谷だけになっていた。

「小西真姫……とんだ化け物になったものだな」

 桐ヶ谷は掠れた声でそう綴った。そしてそれが彼の最後の言葉だった。真姫から生えた触手が容赦なく桐ヶ谷に伸ばされ、他の隊員達と同じように崩壊させてしまった。
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