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第九章

勝ち続ける馬 4

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 一緒に走る騎手が仕掛けだったとは思わなかった。しかし……

「一つ気になったのですが、どうしてあの医者はライジングサンに勝って欲しいのですか? 八百長で儲けるなら、どこかで負けてそこで稼ぐと思うのですが、ずっと勝ち続けてますよね?」

 俺の質問に、富田さんは心底嫌そうな表情を浮かべ、説明を始める。

「もちろん、もう少し勝ち続けてからどこかで負ける指示はあるはずですよ。ですが今は、もっと勝ち数を伸ばしてライジングサンのブランドを高めたいのでしょう」

「その理由は?」

「ライジングサンの馬主は、実はあの院長なのです。普段は別の人の名義なので、知っている人はほとんどいませんが」

 俺は驚きで言葉が出なかった。

 そんな奴が存在しているとは思わなかった。八百長で儲けるために騎手を脅して、その馬で勝ち続けてその価値を極限まで上げてから、自身の馬を売るつもりなのだ。

 ふと胸ポケットを覗くと、珍しく本気でハムスケは怒っているように見えた。明らかに目つきが違う。

「酷いですね……」

 俺が言えたのはその一言だけだった。


 その後、病院を出た俺達は、事務所に一旦戻ることにした。絶賛ブチ切れ中のハムスケと共に、今後の計画を立てる。知ってしまった以上、どうにかしてやりたい。


「わざと負けることになっているのは、いつのレースだっけ?」

 ハムスケは事務所に着いて早々に口を開く。

「確か……次のレースを含めて、3回目で仕掛けるはずだ」

 別れ際に富田さんはチラッとそう溢していた。

「オーケー、目にもの見せてやる!」

 そう叫ぶハムスケの背後に炎が見える気がした。





 そしてライジングサンが負けるレース当日、俺達は競馬場に足を運ぶ。ライジングサンが圧倒的過ぎて、ライジングサンが負けた場合のオッズが軒並み200倍を超えている。あの院長はこれに大金を賭ける腹積もりだろう。

 俺はひっそりと客席のVIP席が見える位置に移動する。こんな大金を賭けたレース、絶対に見に来るはずだ。

 そう思い監視していると、案の定現れた。白衣を着てないから、一瞬分からなかったが、あの醜い小太りの体系はアイツぐらいだ。

 ハムスケは最早隠す気も無いのか、敵意を全身から放出している。


 そしてレースが開始された。

 レースは戦前の予想通り、ライジングサンが抜け出すが、計画通りなのか徐々に速度が落ちてきている。

 やはりこうして見ていると悲しくなってきた。ここで走っている騎手たちは、それぞれがこの仕事に熱意ややりがいを持って挑んでいる。それを、こんな醜い金持ちの欲望で汚すなんて、我慢ならない。

 そしてレースの終盤、ライジングサンは明らかに速度が落ち、中盤辺りまで順位を落としている。周りの客は大パニックだ。思い思いに馬券を握りしめて泣く者もいれば、歴史的な敗北を目の当たりに出来そうで、期待と興奮に目を輝かせている者もいる。

 そんな中、あの院長は遠目からでもほくそ笑んでいるのがうかがい知れた。

「安心しろ、好きにはさせない」

 そうハムスケの声が聞こえた気がした。

 周りの大きな歓声に、視線を試合に向けると、ゴール直前で他の馬たちが一斉に走るのをやめてしまった。

 乗っている騎手達の反応から、わざとではないのは分かる。

 そして速度が落ちたままのライジングサンがラインを通過し、計画に反して一位をとってしまった。

 俺はハムスケを見ると、ハムスケは疲労で眠る寸前だった。

 やっぱりコイツがやったのか! よくやった!

「後は頼むぞ……」

 そう小さく言い残し、ハムスケは夢の中へ旅立って行った。

 俺は眠りについたハムスケの頭を軽くなでる。

 ここからは俺の仕事だ。流石にペットに見せ場を全て持ってかれたんじゃあ、飼い主として示しがつかない。

 そうして俺は駆け出していく。向かう先は、当然あの部屋だ。

 部屋のドアが見えたあたりで、ドアが開かれ、中から醜い院長が出てこようとしていた。

「どこに行く気ですか?」

 俺はVIPルームから出ようとする院長を押し戻し、尻もちをつかせる。

「どけ小僧! この俺を押すなんて、どういうつもりだ! 後で痛い目にあってもらうぞ!」

 目の前の醜い院長は尻もちをついた体勢で凄むが、悲しいかなまったく怖くない。

「後で? お前に後なんてないんだよ」

 俺はポケットからボイスレコーダーを取り出し、再生する。

「流石は富田騎手だ、連勝中じゃないか! これからも頼みますわ!」

「もう十分ではないですか!」

「いや、まだだ。もう少し勝ち続けてくれ、その後に負けてくれれば、そこで大金を賭ける。その後にライジングサンを売り飛ばせば、一生遊んで暮らせる金が手に入る」

 ボイスレコーダーに録音されていたのは、先日のコイツと富田さんの会話だった。職業柄、常に最高品質のボイスレコーダーを持ち歩いている。俺が聞き取れなかった部分もしっかりと録音されていた。

 みるみるうちに院長の顔が青くなっていく。

 人間って、追いつめられると本当に青くなるんだな。

「それを渡せ!」  

 院長はそう言って立ち上がろうとする。

「もう音声データのバックアップは取ってありますので、これをどうこうしても無駄ですよ? この音声テープと、お前が実際に賭けた異様な金額が証拠となる。お前に未来はない」

「そんなことをすれば、富田だって、他の騎手だって、ただでは済まないぞ!」

 院長の必死さが、この男をより惨めに演出する。

「八百長を直接刑事罰で罰する法律は無い。暴力団関係を疑われるケースはあるが、それだとまずお前に調査が入る。それ以外にあるとすれば、誰かが訴える場合だが、その場合の訴訟の対象は当然お前に向く」

「富田の娘の治療はどうする? 俺が捕まればあの娘は――」

「それなら警察に事情を説明してある。警察の中にちょっと顔見知りがいてね、あの娘さんを治療出来る医者なら特例で用意して貰ってる」

 目の前の男は完全に力が入らないのか、床に寝そべってしまった。

 やがて慌ただしい足音と共に、警察が数人やって来た。

「後はお任せします」

 俺はそう言い残し、事務所に戻っていった。




「金本さん。貴方、最初から分かってて調査依頼しましたね?」

 俺は報告のために来てもらった金本さんに尋ねる。

「ほう。流石は名高い探偵さんだ。どこで気が付いた?」

 金本さんは悪びれることなく、逆に聞き返してきた。

「決め手は貴方と富田さんの関係値です。自分の娘の病室まで話すほど信頼している貴方に、富田さんが相談しないとは思えません。それに、金本さんからの依頼内容を聞いた時、富田さんは「あの人らしいな」と言ったんです。それで思いました、金本さんは最初から全てを知ったうえで、俺に話を持ちかけたのだと」

 気づくと金本さんは拍手をしていた。

「お見事だ。しかも俺の期待以上の結果までついてきた」

「しかし、どうして俺にそんな依頼を? 警察にでも行けば……」

「このまま全部警察に話したところで、あいつらが動くか分からねえし、富田達を守ってくれるとは限らねえ。その点、ここの探偵は奇跡のような結果をもたらすと、もっぱら有名でな」

 そんな噂が立っていたとは思わなかった。

 じゃあ今回は、まんまと金本さんの思惑通りに動いてしまったというわけか。

「そうですか、まあでも期待に答えられて光栄ですよ。結果的には納得のいく形になりましたし」

「本当に良かった、ありがとうよ! 富田の奴もお礼を言いたいそうだが、どうする?」

「遠慮しておきます。それよりも、娘さんの治療に専念するように伝えといてください」

「わかった。そう伝えとく。世話になったな!」

 そうして片手で豪快に手を振りながら金本さんは去っていった。

「本当に嵐のような男だ」

 ハムスケはそう呟くと、動画を見始める。

 今回はコイツに助けられたと思いながら、一緒になって動画を見始めたのだった。



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