グレン・ヴァンプ

依近

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第5話

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5.


 寝起きの頭で広いベッドの空白を探り、体温の余韻に触れることが最早習慣のようになっていた。ハスミは起き抜けの瞼をぼんやりと瞬いて、重い溜息を吐きつつ寝癖頭を引っ掻く。こみ上げてくる欠伸をそのままクァッと吐いて立ち上がり、着替えに取り掛かった。
 クローゼットを開き服を取り出す間に、扉の内側についた鏡と目が合った。若い吸血鬼であるアスカとつがいになり、命を繋いでから。実年齢より20歳近く若返った体と、すっかり伸びるのが遅くなった無精髭。さらにはほとんど目立たなくなったクマに、相変わらずハリ艶のいい肌。ハスミは顎を持ち上げ意味もなくぐるりと一周輪郭を撫でてから、フムとひとつ息をついた。
 デニムとTシャツというラフなスタイルの上に丈の長い白衣を羽織り、履き古した革靴を履く。デスクの横に設えたフックにかかる2人分のIDを持って、白衣のポケットに手を突っ込みつつ部屋を出た。
 昨日の襲撃の余韻は取り払われて、ほとんど元通りに修復の済んだドーナツ型の浮遊区。曲面の壁に並ぶガラス窓の向こうには。昨日と打って変わって一晩中降り続いた雨に洗われた澄んだ青空が広がっていた。
 ハスミは透明なガラスに映る自身の姿を一瞥し、再び行く手に視線を戻す。
 目指す先は彼らの暮らす部屋からは離れた場所にある医務室兼入院設備を備えた病室。ハスミは白い扉に軽く握った拳を弾ませ、数秒待ってからスライド式の扉を開けた。
 薄いカーテンの引かれた部屋に満ちる透明な朝陽。白を基調とした部屋には、それだけで眩しいと感じるほどの明度。思わず目を細めたハスミは、ここ数日で何度も目にした光景を視界に映してデジャブを覚える。

「アスカ」

 ベッドで眠るミナミの布団に上半身突っ伏す形で眠っているアスカ。ハスミは小柄なその肩を掴んで軽く揺さぶった。アスカはぼんやりと瞼を開き、ハスミを見上げて目尻を擦る。
「んぁ……おはようございます」
「はよ。お前なんでいつもここで寝てんだ」
「んぇ? ……確かに、なんでだろう」
 アスカの回答を聞きながら、ハスミは言わずもがなの質問だったと口の中で小さく舌打ちをした。アスカを無意識化で突き動かすものの正体――血の共鳴を思い、ハスミは漏れかけた溜息を飲み込む。
 もともと夜の住人である吸血鬼は、朝に弱く、寝覚めも悪い。アスカは寝起きの眼を周囲にさ迷わせて、クァァと大きな欠伸を吐いた。
「そういえば、ヒイラギの意識が戻ったらしいぞ」
「えっ!?」
 急に見開く濃い深紅。先ほどのまでの眠気など忘れたとでも言うように、アスカは大きな瞳に光を揺らして身を乗りだす。
「下の階にある医務室にいる。昨日連れてったから、行き方わかるよな?」
「はい! オレちょっと行ってきます!」
 アスカは座っていた丸椅子から勢いよく立ち上がり、リノリウムの床を蹴って走っていった。昨日の戦闘で正体不明の吸血鬼から攻撃を受けたヒイラギは重傷を負って意識不明になっていた。なかなか意識が戻らないのは、吸血鬼を駆逐する際に彼らにとって毒となる自身の《血》を大量に使ったことも災いしてるだろうというのが、治療に立ち会ったシドウの見解。
「ツバキも十分強い吸血鬼だってのに、人間のつがいが前線に立つリスクも考えねえと」
「ヒイラギさんは、言ってもたぶん聞かないですよ」
 ポツリと聞こえた声に視線を向けると、いつの間に目を覚ましたらしいミナミがぱっちりと目を開けていて、薄茶色の瞳を瞬いた。
「おう、起こしたか」
「いえ……っていうかここに来てからわたし寝すぎですよね……不甲斐ないです」
「まあ、あんな目に遭ったんだししゃーないっちゃしゃーないだろ。あんたの体感的には、眠い以外にどっかおかしいところとかねえの?」
「いえ、特には……あ、ちょっと右手が痺れてるかも」
「そりゃアスカが乗っかってたからだろ」
「あ……」
 ミナミは自身の右手を引き寄せ、左手で包み込む。戸惑いが揺れる薄茶の瞳をジッと観察しながら、ハスミは探る口調で問いかけた。
「まだ、あいつが怖いか?」
 ハスミの問いに、ミナミは小さく微笑んで首を横に振る。
「アスカさんは、怖くないです。ツバキさんも、リクさんも」
「……ふぅん」
 軽い調子の相槌を返して、ハスミはアスカが座っていた椅子を引き寄せ腰かけた。
「あんた、弟いるって言ってたよな。今はどうしてんだ?」
「あの子の友達の家でお世話になってます。こういうことはよくあるんで、友達の家も慣れてるみたいで」
「そうか……弟とは仲良いの?」
「はい! すごく仲良しです」
「じゃああの……その、弟とかに、プレゼントとかって何をやったら喜ぶんだ?」
 目を逸らし、口元を手で隠して尻すぼみに消えていく声を出すハスミ。ミナミは会話のテンポで返そうとした言葉を一度飲み込んで、パタタと瞬きをしながらハスミの様子をまじまじと見る。ミナミの反応を気にしてか、一度上目遣いのような視線を寄越したハスミは、すぐにパッと目を逸らして斜め下を剥いた。掌の影に隠れた顔面の肌がジワッと赤く染まっているのを目にしたミナミは、瞳を輝かせて身を乗り出す。
「アスカさんにあげるってことですか?」
「んぁ……まあ、そう」
「ケンカして、仲直りしたいとか?」
「ケンカはしてない。……ただ、あいつが他の血に目移りしてばっかだから」
「嫉妬!? かわいいとこありますね!」
 年下の女性に「かわいい」とはしゃがれる言われはない。ハスミはムッと表情を顰めて猫背にしていた背中を伸ばし、腕組して溜息を吐いた。
「違げえよ。つがいの力っつーのは、信頼とか好感度の高さに比例すんだ。俺とアスカは昨日の襲撃で関係がもう一段階進みそうなとこまできてて、ここでもう一押しできりゃいいんだが……感情分野は専門外だし、迂闊してなんかやらかすんじゃねえかって不安っつーか、焦ってるっつーか……なんだよ」
 流暢に述べていた言葉は、ミナミの無言の圧によって遮られる。瞼を半分下ろして向けられる険しいジト目にたじろいだハスミは、唇を引き結んで黙り込む。
「既に思いっきりやらかしてますが」
「はぁ? どこが」
「つまりは、下心ってことですよね?」
「……悪いかよ」
「素直に嫉妬だって認めてアスカさんの気を引きたくて、ってことだったら相談に乗りますけど、単につがいの力の強化のための下心だっていうならお断りします」
「単に、ってお前な……そりゃ俺だって、アスカの好意は理解してるよ。けど、あいつの場合は特殊で、あいつの意思や感情だけで行動してないところが多分ある。その本能みたいなもんに介入できる可能性は低いし、だったら多少下心だって言われても、感情の部分にアプローチするしかねえんだよ」
「そんなガチガチの理由にする必要あります? 力の件はわたしにはよく分からないですけど、単にハスミさんがアスカさんを好きってことじゃダメなんですか? そのままの感情で動いた方が、アスカさんも絶対にうれしいと思います」
「そんな甘いこと言ってる場合じゃ」
「アスカさんが可哀想です!」
「いつの間にめちゃくちゃアスカ派じゃねえの……」
 言い放った後でフゥと息をついたミナミは、ハスミに恨みがましい視線を据えつつ白い布団カバーをギュッと強く握った。握りしめたミナミの華奢な拳から、薄い生地に放射状の皺が刻まれる。
「ハスミさんは、アスカさんのこと好きじゃないんですか?」
「そりゃあ、つがいだし」
「そんなこと聞いてるんじゃありません!」
「なんだよ、お前……出会ってからそんなに日も経ってないのに、好きとかそんな」
「アスカさんは、ハスミさんのこと好きですよ」
 ミナミは確信を持って所感をハスミにぶつけた。ハスミはグゥと喉を鳴らして、瞳に戸惑いを浮かべる。ミナミは強い意思を込めた瞳でハスミを圧倒した。ハスミはハァと深く息を吐いて、観念したように両手を上げた。
「わかったって。ちゃんと考えるから、そんな怒んなよ」
「別に……怒ってないですけど……」
「ってか、お前なんでそんなアスカに肩入れすんだ?」
 ミナミは薄茶の瞳を大きく見開いて、フッと伏せながら応える。
「それは、だって……アスカさんがあまりに普通で……というか、びっくりするくらい一生懸命だから。いきなり知らない世界に来て、不安でいっぱいなはずなのに、ちゃんと全部を理解しようとしてて、自然と応援したくなるっていうか……だれでも好きになっちゃいますよ」
 フッ、と。柔らかくほどけていく皺。ミナミは眼差しに込めていた険を解いて、フワリと優しい表情を浮かべた。薄茶の瞳に揺れる光を目にしたハスミは、ふと重なるデジャブを感じる。――出会ったばかりの未知の相手なのに、好奇心のままに知りたがって、覚えたすべてのことに感動して無邪気に笑う。その様に惹かれ、憧れて、育っていった好意の記憶。
つがいって、すごいことなんじゃないですか? 吸血鬼も人間もたくさんいるのに、つがいになれる人間と吸血鬼はお互いだけなんですよね? しかも血が引き合って、出会った瞬間に分かるなんて、本当にすごいことです」
「……お前も、どこかに自分のつがいがいるって思うか?」
 ハスミの問いかけに、一瞬ミナミの瞳に戸惑いが揺れる。ついこの間までは吸血鬼を心の底から憎んでいた彼女にとっては酷な問いかもしれない。けれどもミナミはハスミの予想に反して、澄んだ目を向けながら答えを口にした。
「……はい。そうだったら、会ってみたいです。人間とつがい関係を結んだ吸血鬼は他の人間の血を吸えなくなって、人間も吸血鬼に襲われなくなるって言うなら、吸血鬼にとっても人間にとってもつがいと結びあうことは幸せなんじゃないかなって思うんです」
 柔らかな口調で言ったミナミは、自身の答えに満足したようで緩やかに微笑んだ。ハスミの視線がミナミの表情をジッと捉える。そして、静かに息を吸い込み口を開いた。
「……なぁお嬢ちゃん、それなら――」
 ハスミの発した言葉に、ミナミの瞳の温度がスッと下がる。

――パァン。直後、乾いた音が廊下に響いた。

 ヒイラギの病室にいたアスカは、クンッと鼻先を上げ、振り返って周囲を見回す。
「アスカっち? どうした?」
「ごめん、ちょっと」
 アスカはヒイラギに断りを入れ、丸椅子から立ち上がり、駆け足で病室を出た。エレベーターを待つ時間が惜しいので、通用口から階段を上ってドーナツ型の浮遊区に戻る。目指すのはエレベーターと対面の位置にある医務室。アスカは四つ足になりそうな姿勢で廊下を駆け抜け、白いドアの前にたどり着いた。半端に開いたままだったドアに手を掛け、スライドさせた瞬間。ミナミの声が耳を刺した。

「二度とそんなこと言わないでください。……アスカさんと、つがいを解消するなんて」

「――え?」
 ミナミの発言の意味を理解するまで、数秒を要した。少なくとも、3回呼吸を行き来させ、ゴクンと唾を呑みこむ音を聞くまでの時間。アスカはパタタと瞬きして、感情とは別の思考回路で状況を把握しようと努める。
 首を横に向けて俯くハスミと、大きく指を開いた平手を胸の前に置くミナミ。扉がスライドする音に気付いたのか、ハスミが顔を上げて入口に視線を向ける。じわりと赤が滲む頬に、ミナミの平手がハスミの頬を打ったのだと察する。
「アスカ……」
 ハスミの呼ぶ声に導かれるように、フリーズしていた体の動きを解いたアスカは、ふらつく足取りで病室の中へと足を踏み入れる。
「なんですか、今の……ハスミさんは、オレとつがいを解消したいんですか?」
「そうは言ってない。……だが、いずれは――」
 逆説が聞こえた瞬間、アスカの頭は激しい拒絶を示すように何も聞こえなくなった。冷えていく頭の温度。アスカは震える両脚を叱咤して、くるりと向きを変え病室から出る。遠ざかっていく足音を聞いて、ハスミはギッと強く奥歯を噛んだ。
「やっべ……」
「わたしも、余計なこと口走ったのは反省しますけど、それ以上にハスミさんも反省してください」
「……わかってるよ」
 ハァと深く息をついて立ち上がるハスミ。複雑な表情で後頭部を掻き、病室を出ていく。
 一人になった病室で、ミナミは俯いて溜息を吐いた。ハスミの口にした言葉が頭を巡ってズキズキと脈打つ痛みが額の辺りを襲う。

――あんたがアスカとつがいになるか? なんて。

 初めて2人がつがいの契りを結んだ瞬間も、そして、昨日の戦闘の中での決死の叫びも、ミナミは間近で目撃していた。つがいというものについて、分からないなりに理解できそうな気がしていたのに。何者の介在も許さない、唯一無二の繋がりなのだと、予感していたのに。
「何考えてんの……あの人」
 ハスミの真意が見えなくて。ミナミは今ばかりは2人の安寧を願うことができなかった。



 ドーナツ型という構造はすべてを繋ぐ希望の輪のようであり、時に逃げ場のない檻のようにも思える。アスカはできるだけ遠くへ向かおうとした足を途中で止めて、その場に膝を抱えて蹲った。
「このまま進んだら、戻っちゃう……」
 アスカは病室のちょうど対になる位置にあるエレベータを見上げ、絶えず変化する数字を呆然と眺める。カウントアップを続けてこの階まで近づいてくる数字に、アスカは一瞬外に行ってしまおうかと考えた。けれどもIDはハスミが持っていたし、IDなしで外に出たあとのリスクについて具体的に知らされていないけれども、なにかとても恐ろしいことになるということだけは予告されている。
 八方ふさがり。アスカは抱えた膝に額をつけて深く項垂れた。
 不意に、空気の変わる気配。少しだけ視線を上げると、到着したエレベーターの扉が丁度開くところだった。中から現れた人物と視線を交わしたアスカは、パタタと瞬きして「あっ」と声を上げる。
「リク!」
「……何をしているんですか? こんなところで」
「えっと……あの」
 答えに詰まる間に、先ほどアスカが走ってきた側の通路から近づく足音が聞こえた。アスカはハッと慌てて左右に視線を走らせる。その様子を見ていたリクは、何かを察した様子でアスカの手首を掴んで引っ張り上げた。
 リクはアスカをエレベーター横の通用口へと引き入れて扉を閉めると、目を閉じて静かに息を殺す。片耳を押し当てた胸から聞こえる心音さえ静かに変化するような。リクの周辺だけ静寂の空気が満ちる中、扉の向こう側からシドウの声がハスミを呼ぶのが聞こえた。
「……行った、かな」
「まだです。少し待って」
 あくまで静かな口調で窘められ、アスカはハッとして口を閉じる。リクは再び目を閉じて扉の向こう側の音を探り、やがてフゥと息をついた。
「もう大丈夫です。マスターがハスミをつれていきましたから」
「うん、ありがとう」
「いいえ」
 リクは引き寄せていたアスカの体を開放し、通用口のドアを開く。アスカは一歩廊下に足を踏み出してから、傍らに立つリクを見上げた。
「……なんですか?」
「さっきのタイミング、リクとシドウさんはその……心で会話? みたいなことできたりするの?」
「それほど強い結びつきだったらいいですね」
 リクはフッと微かな笑みを口元に浮かべる。アスカはリクの深い青眼をジィと覗き込み、小さく喉を鳴らした。
「あの、リク。少し話せないかな?」
「……いいですよ。マスターとシドウは研究室の方へ行ったようなので、僕らの部屋でよければ」
「ありがとう」
 アスカは先を歩くリクの背中について廊下を進む。エレベーターに近い位置から、ツバキとヒイラギの部屋、ハスミとアスカの部屋が続いて、一番遠い位置にシドウとリクの部屋がある。リクはIDで鍵を開け、ドアノブに手を掛け開く前に、小柄なアスカを見下ろして忠告した。
「あの、あまり片付いていなくて」
「え? ああうん、わかった」
 わざわざ忠告するほどのことはあった。シドウとリクの部屋は見渡す限り物が多く、そして雑多に散らばっている。床に落ちた脱いだ服と、散乱した本や紙資料。謎の模型と不思議な形のオブジェ。幼児向けのおもちゃのようなものも落ちている。デスクの上にも容量を超えた本が積み上がり、少しの衝撃で今にも崩れそうな高さとバランスを保っていた。アスカは引きつりそうになる顔をブンブンと振って真顔を保ち、「お邪魔します」と言って部屋に足を踏み入れる。
「何か言いたそうですね」
「いやっ、あの、別に……んん、……ってか、ギャップがすごくない?」
「よく言われます。僕もマスターも、家事や片付けが苦手なんです」
「なるほどお……」
「部屋には寝に戻ってくるだけで、ほとんど研究室で過ごしているので」
 きっちり、を画に描いたような2人の意外な弱点を知り、アスカはへらっと力の抜けた笑みを浮かべる。
 床に落ちたものを踏まないように慎重に隙間を縫って進んで、アスカは唯一物の乗っていないベッドの縁に腰かけた。
 座った高さから、遠慮がちに巡らせる視線。ふと、床から壁、天井へと視線を移動させていく間。アスカが座った位置からちょうど真正面に当たる場所に置かれた棚の上に、ちょこんとひとつだけ据えられた銀のフレームが目に入った。棚の上はそのフォトフレームの占有地とでもいうように、他の物が乗っていない分よく目立つ。アスカはわずかに身を乗り出してジィと目を凝らして見ると、フォトフレームに収められている写真には、シドウともう一人、見知らぬ男児が写っている。
「子ども……?」
 ポツリと漏らした声でアスカの視線に気づいたリクは、無言でそちらに足を進め、縁に指を添えてフォトフレームをパタンと倒した。
「……それで、話とはなんですか?」
 冷たい口調にゴクリと唾を呑んだアスカは、無意識に背筋を伸ばしてリクに応じる。
「あのっ……その、えっと……リクは、シドウさんとつがいでいられて幸せ?」
「幸せですよ」
 間髪置かずに返ってくる答え。アスカはゴクッと唾を呑んで、長い髪を低い位置でひとつに束ね、片方の肩に垂らしたリクの後ろ頭を見つめた。
「それは、シドウさんも同じ気持ちでいるって思う?」
「マスターは……どうでしょうね。けれども僕は、マスターのつがいの位置を誰にも譲る気はありませんから。マスターのお役に立つことだけを考えています」
「その……、例えばの話なんだけど、もし、シドウさんがつがいを解消したいって言ってきたら、どうする?」
 差し出した問いを呟く声は情けないほど震えていた。喉奥が詰まって、呼吸が下手くそになる。アスカはグズッと小さく喉を鳴らして、熱を持つ瞳を懸命に瞬いた。左手が熱いような感覚。血液の線をなぞるように赤く浮き出た紋様に、ハスミと繋ぎあった瞬間の熱を思い出してしまう。
 気を抜けば、泣いてしまいそう。アスカは扱いきれない身体反応から、自身が相当ショックを受けていることを知る。
 リクは静かに振り返り、壁に背中を預けて腕組をした。
「ハスミにそう言われたんですか?」
 核心を突いてくる言葉に、胸を抉られる思いがする。アスカは下手くそな呼吸を隠すために口元に手を添えて、真っすぐ見つめてくるリクの瞳から逃げるように目を逸らした。
「……うん。って、言っても直接言われたわけじゃない。ハスミさんも『そうは言ってない』って言ってたし……まあ、最後まで聞かないで出てきちゃったんだけど」
「意図を否定したところで、簡単に聞き入れていい発言じゃないですね、それは。アスカのリアクションは正しいと思います」
 冷静な物言いながら、アスカの心を救ってくれる発言。アスカは逸らしていた目を上げて、リクに視線を向ける。リクは一瞬だけアスカと目線を絡めて、フゥと吐息しながら瞼を伏せた。
「対吸血鬼討伐の手段としてつがいシステムに組み込まれている僕らからしたら、吸血鬼は目的を持ったマスターたち人間の側に立場なんだと思います」
「選ばれる、立場」
「ええ。……でも」
 リクは一度瞼を完全に閉じて、ゆっくりと開く隙間に美しいサファイアブルーを揺らしながら、アスカを見つめる。
「自分でことを考えた方がいい」
「え……?」
 リクは壁に預けていた背中を剥がして、棚の上に手を伸ばした。一度伏せたフォトフレームを返して、手元でジッと写真を見つめる。
 写真に写る今よりも少し若いシドウと、その隣で全開の笑顔を見せる紺色の髪の男の子。
「僕も、マスターとつがい契約を結ぶときに言われました。『自分で選べ』と。お前が僕を選んだら、二度と離してやれないから、と。そうした自身の意思を提示した上で、マスターは僕に選べと言った」
 柔らかく微笑むリクの瞳に、愛しい光が滲んだ。ホゥ、と、柔らかく吐息する唇。リクが浮かべる微笑みを見つめるうちに、鼓動が繋がるように早鐘を打ち始めるのを感じる。
「優しくて、残酷なんですよ。マスターは」
「残酷……?」
 アスカがその言葉を繰り返すと、リクの瞳に滲んでいた温かな感情がスゥと消えた。引き合い、結びあうことを求めるつがいという関係だとして、定められた運命を前にしたとしても、それ以前に自分自身の意思を持つ生命であるわけで。
 血が引き合ったからと言って、即決で命を繋ぐ選択をするのもよく考えればおかしな話。――運命か、意思か。引き合うままに盲目的に結んでしまうのではなく、リクに『選択』させようとしたシドウはとても冷静で、吸血鬼リクの意思を尊重する優しい人間に思えた。そこにどうしても『残酷』という要素が結びつかない。
 アスカはリクが言葉を継ぐ気がなさそうなを見て、タイミングを待って口を開く。
「オレは、どうだっただろ……。オレを見たハスミさんはとても嬉しそうで、オレも、体の中が熱くなって、この人の願いを叶えたいって、心から思った……」
 リクはアスカが記憶を辿って反芻するのを黙って聞いている。サファイアブルーが光を溜めて揺れ、ハァというため息の音を共に伏せられた。リクの指先がツッと、写真の表面をなぞる。
つがいとして引き合う感覚……出会ったときに感じるもの、ですよね。確か」
 まるで他人事のように呟いて。リクは短く息をつき、フォトフレームを再び伏せた。
「あなたちがつがいになったのは、確実に血が呼びあって結びついた必然なのだとは思います。その上でハスミがの可能性を提示してきたことにも、何か意味があるのかも知れません。ハスミはあなたの体に起こっていたことなど知らないでしょうし、改めて不安になって、確認したくなったのかも」
「……」
「それでも、そんな提案は僕らにとっては地雷でしかないですけどね」
「……うん」
「それを地雷だと感じるなら、あなたが選べばいい」
 アスカは顔を上げて真っ直ぐにリクを見据える。リクはアスカの濃い深紅が鮮やかな光を揺らすのを見て、ソッと目を細めた。



「ずいぶん男前じゃない」
「うっせ」
 時間が経ってから赤く腫れあがってきたハスミの頬を見て、シドウはにやけ顔でそう言った。ハスミはしつこく視線を突き刺してくるシドウから努めて顔を背け、彼に提示されたデータの分析に思考を回す。
 手元のタブレットに表示させたデータは、昨日の戦闘時に収集したデータだった。ヒイラギの撃った銃弾が《影》の頬を掠めたことで、弾を回収して得たという血液データ。数値は明らかに人ならざる数値を示していて、一目見ただけで別の生き物であることが知れる。
「数値上の結果だけみたらグレン・ヴァンプで間違いない」
「数値だけで判断すんなら、ミナミだってそうなるだろうよ」
「八つ当たりやめてくんない?」
 グサッと突き刺すシドウの一言に、ハスミはグゥゥと喉を鳴らして黙り込んだ。
「彼女の件もまだ分析中だからなんとも言えないし、仮定のひとつとしては十分ありえるでしょ」
「仮定なら、まあ」
「僕のリクだって、理を無視して作った人工吸血鬼なわけだし」
 ハスミはシドウの発言にフッと視線を向ける。久しぶりに、彼が口にするのを聞いた紛れもない《事実》。
「リクだって、の歴史にはないものでしょう? それでも僕らはちゃんと番関係を結べてる」
「……それは、お前がそうなるようにリクをからだろうよ」
 シドウの瞳が静かにハスミを見返した。シドウは何の感情も読めない瞳でハスミを見据えた後、口元だけで薄く笑う。
「褒めてる? ありがと」
「お前のその自己肯定感の高さ、すげー尊敬すんわ」
「あはは、めちゃくちゃ褒めんじゃん。なに、雪降る?」
「嫌味だボケェ」
 ケッ、と。気のない息を吐き捨てるハスミ。淡々とデータを送りながら、ブルーライトを浴びる横顔でポツリ呟く。
「よくそんな顔してられんな」
「ん? 何が?」
「リクに全部話してんだろ? お前の意図や、リクが産まれた経緯や目的も」
「ああ、生け捕りにした吸血鬼の細胞と、僕の遺伝子を掛け合わせて培養したって話? リクは頭の良い子だからね、なんとなくでもちゃんと理解してるようだった」
 シドウはグロテスクな話題をなんでもないことのように口にした。ハスミはシドウの軽薄さにゾッとしつつ、否応なく湧いてしまう嫌悪感を飲み込んで、言葉を継ぐ。
「それ聞いても、リクは変わらなかったって言ったよな、お前」
「うん。そうだね」
「俺からしたら、リクが笑わなくなったように思えたんだが。……あんなによく笑う子だったのに」
 ハスミは一度画面をスクロールする手を止めて、シドウの部屋に飾ってある銀のフォトフレームに入った写真を思い出す。そこに写るシドウと――幼い頃のリク。写真の中のリクの笑顔は、今の無表情とは似ても似つかなかった。
 リクはシドウの《実験》における唯一の成功個体であり、細胞から赤ん坊の大きさになるまでを培養液の中で育ち、そこからはシドウが手ずから面倒を見た。
 およそ育児に向いているとは言えない性質なりに悪戦苦闘しながらリクを育て、シドウの言う通りとても優秀だったリクは、物心つく頃にはシドウと対等に言葉を交わすようになっていた。一方で子供らしい愛嬌も持ち備えていて、愛想がよく、よく笑う子供だったことを覚えている。
 ハスミに背を向ける形で、壁に垂らしたスクリーンに映した昨日の動画データを再生していたシドウは、フッと軽く笑って応じる。
「それでも僕は、僕のしたことにひとつも後悔してないよ。それはリクも同じ」
「……なんでお前が、リクの気持ちを言い切れるんだよ」
「だって、僕のつがいになることを選んだのはリクだから」
 スクリーンに映像を映すために敢えて薄暗い照明の中で、シドウの眼鏡のレンズが彼の表情を隠していた。それでも口元だけは笑みを絶やさずにいるのを目にして、ハスミは怪訝そうに唇を歪める。
「あの子は本当に、なんだ」
「……それは、お前のエゴじゃねえの?」
「エゴじゃない。エゴだとしたら、僕はリクの願いを裏切ってでも、彼をつがいにはしなかったから」
「じゃあお前はなんのために、リクを作ったんだよ」
「最初の目的を後生大事にしなきゃならないなんて、倫理的には正しくても、感情はそうもいかないってこと、お前はまだ気づかないの?」
 シドウはどこまでもブレなかった。常識的に考えて自分が間違った指摘をしているとは到底思えないながらも、ハスミは徐々に自信がなくなっていった。シドウはハスミの心の内を見抜いたように目尻を窄めて鮮やかに微笑む。
「まだ何か言いたいことある?」
「……感情の話でお前に負けるとは思わなかった」
「あはは、ウケる」
 シドウは言葉の通りに手を打ち合わせて笑い、腰かけた椅子の上で長い足を揺らした。ハスミはガシガシと頭を掻いて重い溜息を吐き、恨めしげな視線をシドウに据える。
「俺ら人でなしツートップだけど、人と関われば人は案外変わるもんだよ。相手が純粋であればあるほどね」
「……アスカは赤ん坊じゃねえよ」
「似たようなもんでしょうが」
 あっさり否定されたことに反論できない悔しさに、ハスミは再び口を噤んだ。
「連戦連勝過ぎて気分がいいな。ってか、わざと殴られにきてない? それで反省代わりにするつもり? あの子に反省しろって言われてたよね、確か」
「テメ、見てたな?」
「この《塔》の中にはプライベートな区画以外無数に監視カメラがあること忘れないでよね。さすがにあの病室は誰かが入ってきた時しか動作しないようにはしてるけど」
「当たり前だろ」
 悪びれなく舌を出したシドウの後ろ頭を平手で叩き、ハスミはすべて目を通し終えた画面を閉じた。
「……で、結局なんかわかったのかよ、昨日のやつのこと」
「いんや、正直全然。お前に見せたデータが全部だよ」
「じゃあなんでわざわざ呼び出したんだよ」
「アスカと話しする気だった? あんなド地雷発言した後で何を言う気だったの。嘘下手すぎて全部見抜かれてさらに崩壊するだけだったと思うけど? それこそお前がどうこうする前に、アスカの方から愛想尽かされてたかもね」
「……」
「番結んでから日が浅いのに進化までした矢先にそれなら、僕も嫉妬して損した」
「……お前こそ八つ当たりじゃねえか」
「バレた?」
 べっと再び舌を出しながら、シドウは眉尻を下げて苦笑する。
 つがいシステムについて古くから共にパートナーとして研究してきたからこそ、窺い知れる焦燥。それぞれがそれぞれに結んだ《絆》にプライドを持っている。
「ってか、割と冗談抜きでアスカと仲直りした方がいいかも」
「あ?」
 声のトーンが変わったシドウの横顔を見たハスミは、彼がスクリーン上に映し出したマップを見上げて息を呑んだ。《塔》を中心に周辺図を写したマップに打たれたいくつもの赤いポイント。それは広範囲に広がり、クラスを示す大きさも中級ダーカー以上のものばかりだった。
「種が確認されたって報告があった。今夜きっとくるよ。軍部はもう警報を出すって決めてる」
「……また、が来ると思うか?」
「さあね。けど、あいつの影響である可能性は高い」
「なるほどな……」
 ハスミはマップを見つめて、ぶら下げた拳を強く握りしめる。
 強さと絆。求める2つの源は同じようでいて全く質のことなるもの。いやというほど身につまされた焦りとプレッシャーが、背筋を冷たくした。

《5/END》
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裏切りの代償

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キャラ文芸
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