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雲島

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 白く薄明るい外に出ると、まだ気温が上がり切る前の涼しくて静かな朝。
 涼子のまだ眠気の残る身体を起こすように、それは目の前に現れた。
 

「圧巻、ね」
 

 涼子のすぐ後に船を降りた遥も、思わず息を呑む。
 
 堂々とそこに構える石造の門。黒黒として威圧的であると同時に、蛇の皮のように細かい模様が曲線の始まりと終わりを繋げる。小さな隙間に散りばめられたガラス細工に、ついさっき昇ったばかりの朝日が反射して、キラキラと瞳を揺らした。
 
 雲島くもしま。面積十二・四平方キロメートル。人口約四〇〇人。
 撫子村なでしこむら、カナリア村、玻璃村はりむら、そして壁書村へきしょむらの四つの村で成り立つ。
 壁書村の外れにある鉱山では、ガラスの材料になる純度の高い珪石などが採れたが、鉱山自体は既に閉鎖されている。
 雲島の伝統であるガラス加工技術は類い稀なもので、ステンドグラスや独特の色味が出せるガラス細工は本島でも人気の代物である。
 
「お待ちしておりました」
 
 門を抜けて少しすると、涼子は男性に声をかけられた。
 
「松永様でいらっしゃいますね。青池様のご紹介で、本日よりご宿泊いただく宿屋のものでございます。お荷物を」
「あら、どうもありがとう」
 
 男性はスーツにポマードで髪をきっちり分けていて、島の雰囲気には合わないな、と遥は思った。と同時に、男性と涼子は遥を置いてどんどん離れていく。
 
「え、ちょっと」
 
 どうやら男性には涼子しか見えていないようだ。涼子も遥を特に気にする様子はなく、二人の背中は少し先の角を右に曲がって見えなくなった。
 
「……またかよ」
 
 置いてきぼりにされた遥もまた、特に涼子を追うことはしない。適当に辺りを見回していると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
 
「伊東さん」
 
 遥を見つけた晃が手を振り、たか絵も一緒に向かってくる。
 
「あれ、松永さんは?」
「置いていかれました」
「それは……自由な方、ですね」
 
 晃の言葉に遥は苦笑した。
 
「そういえば、婚姻届をこちらで出すと言っていましたね」
「はい。来て早々ですが、たか絵が急かすので」
 
 ちょっと、とたか絵は強めに晃の腕を押す。
 
「改めて、おめでとうございます」
 
 微笑む二人。指にはしっかりと例の指輪がはまっていた。遥が役場はどこかと尋ねると、すぐ近くだという。

「婚姻届は出せましたけど、まだ開いてないですよ。この時間ですし」
 
 たか絵にそう言われスマートフォンを確認すると、時刻は六時五〇分だった。
 
「そうですよね。地図みたいなものがあればと思ったのですが」
「あ、それなら持っていますよ。たか絵」
「はいはい」
 
 どうぞ、とたか絵に手渡された地図には島の形や村の位置、施設や道などが細かく記載されていた。晃はそれを指差しながら遥に説明する。
 
「雲島は、島の地形から別名『ダイヤモンド島』とも呼ばれています。ちなみに港があるこの村は、撫子村なでしこむら。撫子村の右上がカナリア村、左上が玻璃村はりむらです。この三つの村はそれぞれ行き来が自由ですが、壁書村へきしょむらだけは簡単には入れません」
 
 壁書村は撫子村の真上に位置し、撫子村から続く一本道を行く。
 壁書村へ入るためには役場に署名を出し、スマートフォンなどの通信機器やカメラも持ち込み厳禁だという。
 
「菊田さんのホテルはどの村に建設予定なんですか?」
「玻璃村です。しかし少々疑問もあるんです。玻璃村も含め、雲島には元々民宿などがそれなりに存在します。建設予定地にも民家や商店などが最近まであったようで、急な立ち退きを強いられたとの噂もある。島の代表は納得の上だと強調しますが、どうも計画に不安な部分があるように思うんです」
 
 晃は叔父である青池から、島の状況を確認してくるよう頼まれたのだと言った。
 
「観光開発を進めるならば、壁書村の存在は大きな目玉になるでしょう。しかし港の門をはじめ、雲島は立派な文化のある唯一無二の島です。この島の人々の嫌がるような開発では当然あってはならない。この場所にうちのホテルを建設できるとしたらそれはもちろん喜ばしいですが、意にそぐわなければ中止も充分あり得ます」
「私たちにとっても、大切な島になりましたしね」
 
 指輪を触りながら、照れたようにたか絵は言う。
 
「そういえば、尚美さんと梨沙さんはどちらに?」
「二人は先に玻璃村の旅館に向かいました。今日は夜に大事な打ち合わせを控えてまして、その前に壁書村を見ておこうかと」
 
 すると、涼子が先程曲がって消えた角から今度は出てきた。
 
「なにまたちょろちょろしてんの。ちゃんと着いてきなさいよ、探したじゃない」
 
 ぷりぷりしながら向かってきた涼子だが、晃とたか絵を見つけてぱっと笑顔を顔に貼り付けた。
 
「すみません連れがお引き止めして。あ、結婚式! 前向きなお返事、お待ちしておりますね。ほら遥、行くわよ」
 
 足早にまた歩き出した涼子を見て、今度こそ付いていかないと機嫌を損ねられると遥は思った。
 
「地図、ありがとうございます」
 
 遥は晃にそう告げると、駆け足で涼子に追いつく。涼子は既に機嫌を損ねていた。
 
「色々と情報を仕入れていたんですよ。というか涼子さん、仕事がメインになっていませんか? 私たちはノートに書かれていた壁書村の呪いを調べる為にこの島に」
「はいはい、ちゃんとわかっているわよ」
 
 涼子は遥を遮るように言葉を重ねる。
 
「今日からお世話になるのは、カナリア村にある『びいどろ』って宿よ」
 
 遥は地図を見る。びいどろの名前が確認できた。
 
「その地図どうしたの?」
「さっき晃さんにもらったんです。でもこのびいどろって、宿じゃなくて工房って」
「あーもう! とりあえず、車で説明するから」
「なんかお腹も空きましたね」
「だから! はじめから遥が付いてくれば今頃もう食事にありつけていたわよ!」
 
 涼子はたまらず声を張り上げた。
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