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決意

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 陽が昇る頃にやっと火は消えた。

 焼け跡からは遺体が出た。それだけで充分だった。清八には、もうその目に映し受け止めるだけの心の余はなかった。

 当然だ。誰かが意図的にやったのだ。それだけが清八の頭中を占めていた。

 昨日は雨が降っていた。あんな大きな火が上がり、消火に手間取るとは思えなかった。それににおい。あれは間違いなく軽油のにおいだと清八は気づく。トラックを持たない健司の家に軽油があるはずがないのだ。
 誰かが家に軽油を撒いて、火をつけた。
 
 清八は拳を握る。怒りで満たしておかないと正気を保てないでいた。

 冷たい空気が煙の臭いを纏う。
 鬱々うつうつたる表情の村人も、このどうしようもない状況にまばらになりはじめた。

「これは、何事かね」

 清八はまだ現実に戻りきれていなかったが、怒りの矛先を向けるべき人物の声に反応して、咄嗟に眼球が動いた。大声を出したい気持ちを抑え、一歩ずつ近づいていく。
 
「おい。政尚はどこだ」
 
 清八の怒りに、正和まさかずは冷静に応える。
 
「政尚? ああ。生憎急な仕事で隣町に出張っている。しばらく戻らない」
「生憎? 本当に皮肉だな。この状況でトンズラかまして仕事だなんて、誰も信じやしねえ」
「ほう……どうやら今回の火事、政尚の仕業だと決めつけているようだな」
「こんなもんが落ちてりゃ誰だってそう思うだろ!」
 
 清八が握っていたのは、家の紋が彫られたピンだ。
 政尚の家は代々名主の家であった。父の正和は政治活動を行なっていて、長男の政尚はその秘書も務めていた。
 
「健司の家の外に落ちていた。どう説明する」
 
 清八が投げつけたピンは、地面に弾けて正和の足元に転がる。正和はそれを冷たく見下ろした。
 
「たしかに、これは政尚のものだ。だがこれがなんの証拠になる?」
 
 話にならん、と立ち去る正和に掴みかかり、清八は顔を震わせる。
 
「どうして!」
「私にはこの村を背負って立つ責任がある。秩序を保ち、恩恵を受け、余計な心配事を解決している。政尚も同じだ。全ては村のため、民のためだ。清八、お前も公務員の端くれだろう? 警察官として村を守る志は私と同じじゃないのか」
 
 正和は清八を振り払い、ピンは預かっておく、そう言い残して行ってしまった。

 
(人が死んだ。幼い命も。その者たちを悼まずして、なにが村のため民のため)


「何が、警察官だ」






 清八は昔を懐かしむように、視線を遠くへと馳せた。

「俺は村から姿を消したよ。何もかも嫌になったんだ」
 
 小屋の中。話を聞く中で、遥は幾つか腑に落ちないことがあったが、清八に尋ねようとした横目に涼子の肩が上下に揺れているのが見えて言葉を引っ込める。
 
「その名主親子、本当最低ね。気分が悪くて喉がカラカラよ」
 
 おかわりくださる、と涼子は三杯目のお茶を催促する。
 
「大体、どうしてみんな赤ん坊を、その……酷いことしようっていうのに、どうしてもっと強く反対しないのよ」
 
 こういう時、涼子の素直に正しいことが言える性格を遥はいいなと思った。
 初枝の件でもそうだが、目の前にいる人が困っていたら自分が損をすることになっても助けようとする。

 遥は清八に視線を戻した。
 
「清八さんは今、本当なら八〇歳くらいですよね。でもそうはみえない。あなたは村を出て行った先で、不老不死を手に入れたのでしょうか」
「まあな。村を出た直後は政尚をただ探したり、健司の家族の無念を、栄介の死との共通点はないかをひたすら考えて眠ったよ。生活も堕落し、風呂にも入らずぼうっと過ごすことも多かった。だがある人に出会って、俺は人間らしい生活を取り戻せた。しばらくその人と過ごし、俺は村に戻るんだ。この不思議な身体になったのはそのあと。傷は先の通り、数秒あれば治る。それを不老といえばそうなるな。不死かどうかを語るには、まだ生きてみねば」
「あ、今不老って認めた」
 
 涼子はすっかり清八を受け入れていた。






 
 清八は、二つの目的を果たそうと村に帰った。
 
 一つは墓を作り、守ること。

 栄介と洋平。それぞれの死に関わった骨は、村の外れに適当に埋められて近づかないように札が貼ってあるだけで、ほとんど放置されていた。
 目を閉じ手を合わせ、これからすることへの許しを乞う。清八は埋められた骨を一つずつ掘り起こし、改めて納骨をした。
 何度も手が止まった。丁寧に、震える手で傷つけないように。それから墓石を建て、祭壇を作った。
 
 もう一つは、毎日墓に備えを置き経を唱え、死者と共に生きることだった。
 なんとか墓が形になる頃、勝手なことをされては困ると役場の人間が清八の元を訪ねてきた。
 
「村も、時代とともに変化していてな。人口が少なくなると島の外からも人を呼び、正和の理想とするものが出来つつあるようだった」
「それで清さんはどうしたの?」
「どうも無い。無視をした。既に墓のそばにこの住居と、小さな畑も作ってしまっていたしな。来るたびに経を唱えて目を合わせないでいたら、おかしな奴だとそのうち諦めてくれたよ」
 
 やるじゃない、と涼子。いつのまにか清八を『清さん』呼びになった涼子に、清八も夕食だったであろう魚を振る舞ったりして。涼子のグラスの中身は、茶から酒に変わっていた。
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