お揃いの匂いで包まれて

カゲ

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お揃いの匂いで包まれて

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 物欲が無いということもあって、普段からあまりお金を使わない優佳はさほどお金に困っていない。欲しい物くらいはあるが、それも貰っているお小遣いでやり繰りができる程度。だからあまり自分の時間を削ってまでバイトしてお金を稼ごうなどとは思ったことが無かったのだが、それでも社会勉強として経験しておいた方がいいだろう、ということで、夏休みの短期間ではあるが、ドラッグストアでバイトをすることにした。
 お金に困っていないとは言ったが、貰えるのであれば多少話は変わってくる。同じ労働時間ならお給料が高い方がいいと、優佳は夜間の時間にシフトを入れてもらっている。お客さんの数も日中と比べると減るため、忙しさ、という意味でもこちらの方が得、という考えだった。
 夜間だと酔っぱらったお客さんとかが来やすくなる、などの話もあったが、今のところ優佳はその経験が無い。周りの人の話を聞いているとやはり少なからずそういう顧客は居るようではあるが、近くに交番があるという立地の関係上か、このお店自体にそういう顧客が来る頻度は少ないようであった。
 また、やはり終業が遅くなるため、睡眠不足なども心配されるが、こちらも優佳にはあまり関係が無い。というのも、普段からこの時間は勉強をしているため睡眠時間、という意味ではあまり変わっていないのだ。
 現在閉店5分前。店内には優佳しか居ない。あまり大きくないお店とはいえ、バイト初心者の優佳一人に任せるのはいかがなものかと思うのだが、信頼されているのか何なのか、普通に任されてしまった。
 店長曰く、この時期にこの時間帯はまずお客が来ないから一人でも平気なのだとか。確かに優佳もかれこれこの時間帯での勤務は3回目となるが、来たお客さんなど一人居たかどうか。もういっそ閉店時間を早めればいいのでは? と思わんでもなかったが、営業時間が明記されている以上、色々事情もあるのだろう。
 閉店30分くらい前から閉店準備を始めてもいいとのことだったので、お店のシャッターは既に半分ほど下ろしている。暗に入って来るなよ、ということを伝えているわけだが、当然入って来る人は入って来るし、入って来られたら対応しないわけにはいかない。
 レジの前に立ちつつ、お客さんが来ないためコッソリと英単語帳で勉強をしていると、
「あれ?」
 聞き馴染みのある声がした。慌ててレジの下で見ていた単語帳をポケットにしまい、顔を上げるとそこにはクラスメイトの彼が居た。顔が合うと彼も確信を持ったようで、
「あ、やっぱり。へー、このお店でバイトしてたんだ?」
 来るなら来ると言っておいてほしい、こちらにも心の準備があるのだ。優佳は急に自分の格好が気になり始める。一応お店に出る前に一通りの身だしなみは確認してあるが、それはあくまでエチケット的な必要最低限のもの。彼の前に出るためのチェックではない。
 店員としての態度としてはあまり褒められたものではないだろうが、ここはやはり恋する乙女の事情を優先させてもらう。自信が無いのであまり直視されたくはない優佳は若干目を逸らしながら、
「つい最近だけどね。それもこの夏休みの間だけ」
 そんな期間限定イベントで出会えたわけだから、これは運命なのでは? とか都合のいいことを思わんでもない。
「へー、それは残念」
「?」
「制服似合ってるんだから続ければいいのに」
「……」
 続けようかな? と割と本気で優佳が検討していると、彼は手に持っていた商品をレジへと置いた。そこでようやく、あ、私はバイト中だった、ということを思い出した優佳は慌てて業務へと戻り、彼が置いた商品を受け取る。が、
「シャンプー?」
 優佳はしばらくジーっと見つめた後、
「閉店間際に急いで買いに来るほどのもの?」
 お客さんとして来てもらっているわけだから、別に文句を言うことではないのだが、純粋に気になった優佳は聞いてみた。薬とかを慌てて買いに来るのは分かるが、さほどシャンプーに至急性を感じなかったのである。明日でも良くない? とか思ってしまう。
「いやそれが、シャンプー切らしてたのすっかり忘れててさ。買い置きも無かったし、慌てて買いに来たってわけ」
「え? じゃあこれからお風呂?」
「そうそう。観たいテレビがあったからそれ観終わってから入ろうと思ったらこれよ」
 ここだけの話。その時間帯で気付いたなら一日くらい我慢しちゃうけどなー、と優佳が思ったのは内緒である。男子の方が美意識が高いなど、優佳の沽券に関わる。
 商品をレジへと通しながら、優佳はチラリと店内を確認する。居るのは二人だけなのでちょっとくらい談笑してもいいかな、と思った優佳は、
「何かこだわりのメーカなの?」
 この店に来るまでの間にコンビニの1,2件はあったハズである。もちろん、値はそちらの方が張ってしまうだろうが、特にメーカにこだわりが無いのであれば、そっちでも済ませられたハズ。わざわざ少し歩いてまで閉店間際のお店に滑り込んで来た辺り、このメーカに対するこだわりを感じた。
 それにさっき彼は『買い置き』と言った。そして彼が買いに来たのはボトルではなく、詰め替え用のもの。普段からこのメーカを愛用しているであろうことが伺えた。
「ん? ああ、いや、そういうわけでもないんだけど、小さい時からこれ使ってるから、何となくずっと使ってるって感じだね」
 聞いておいてなんだが、優佳もあんまり各メーカでのシャンプーの違いなど分かっていない。よく宿泊先に自分用のシャンプーを持っていく、という人の話を聞いたことはあるが、あまり違いの分からない優佳にはこの辺のこだわりは存在しない。彼と似たようなもので、家で使っているシャンプーだって、親が買ってきてくれたものをそのまま使っているというだけである。
 そういうところの感性が似てるんだな、というのが何となく嬉しくて、優佳はややご機嫌に彼に渡されたエコバッグにシャンプーを詰めていき、レジに表示された値段を告げると、彼は悪戯っぽい笑顔で、
「それが? 今なら何と? クラスメイト割引で?」
 何だったらタダにしますよ? というのが優佳の本音ではあったが、別に向こうも本気で言っているわけではない。どう返したものかと少し考えてから、
「私のスマイルを無料でお付けしましょうか?」
「あ、結構です」
 秒速で断られた。地味にショックである。優佳はムーっとむくれると『ひどーい』と彼に文句を言う。が、彼は可笑しそうに笑いながら、
「だってもう貰ってるし」
「へ?」
 間抜けな声を上げた優佳を彼は無言で指差す。どうやら自覚は無かったが優佳は既に相当スマイルだったらしい。そりゃスマイルしている人間に『スマイル要ります?』と言われても困るだろう。無意識になっていた笑顔を見られていたのが何だか急に恥ずかしくなり、優佳はスーッとレジの下へと隠れる。
「店員さん、お会計は?」
「ツケといてください……」
「いや、店側が言うことじゃないよね? それ」
 おっしゃる通りなので頑張ってレジ裏から這い出てくる優佳。彼からお金を受け取ると深々と頭を下げ、
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
 マナー研修担当者も口出しできないほど完璧な礼節でお客様をお見送りしようとすると、
「いやいやいや」
 お客様からクレームが入った。はて? と。身に思い当たる節が無い優佳は疑問符を浮かべながら、
「はい?」
「お釣りをください」
「え、要ります?」
「ちょっと店長さん呼んでもらっていいです?」
「わぁっ! ごめんなさいごめんなさい!」
 慌ててレジが吐き出していたお釣りを手渡す。お札みたいに大きい金額ではないので、そこまで律義にやることもないのだが、きちんと小銭を1円単位まで確認してもらってから手渡した。これは別に彼だから特別親切に、というわけではなく、どのお客さんにも優佳はそうしている。後から貰ってない、足りないなどと揉めるのが嫌だからである。
 優佳がそうやって渡した甲斐もあってか、普段であればお釣りが合っているかその場で確認する彼は、受け取ったお釣りをそのまま財布へとしまった。そして商品の入ったバッグを手に取ると、
「じゃあ、また明日」
 そう言って手を振りながら店を出て行く。そう『また明日』である。
「………………」
 ちょっと思い付きでやりたいことができた優佳は時計を見ながら、閉店となる時間を待ちわびた。


 閉店後、優佳は商品棚を確認しに行く。すると、お目当ての商品が何とラスト一個で残っていた。
 これはもう運命だろうと自分を納得させ、優佳はその商品をレジへと通した。


 後日、夏休みでも優佳の学校では補講をやっている。基本的にはあまり成績の良くない人向け、ではあるが、別に成績の良い人が来てはダメ、ということはない。塾に行っていない優佳としては無料の塾代わりとして通っている。
 ……というは表向きの理由。というのも、そもそも優佳が塾に通っていない理由は自分のペースで勉強ができないのが嫌だから、である。無料だろうが何だろうが、結局ここが解消されないのであれば、優佳としてはあまり行きたくない。
 では何故通っているのか、理由は一つ。
 優佳は緊張気味に自分の席へと向かうと、隣の席に座る彼に声を掛ける。
「お、おはよう」
「おはよう」
 学校に来て一番初めかつ、一番緊張する瞬間がこれである。何せ最も自然に彼に話し掛けられる瞬間だ。無駄にはできない。
 そして今日に限っては、彼に話し掛ける、ということ以外に緊張している理由が一つある。その理由である髪を優佳は無意識に触りながら席へと座る。
 別に気付いてほしいわけではない。気付けるようなものではないと思うし、何だったら気付かれたくはない。気付かれたら恥ずかしいというのもあるが、色々と問題になりそうだから。
 ただ、優佳だけが知っている。それだけでいい。今日の自分の髪の匂いと彼の髪の匂いはお揃いであるということを。ただ、これ、昨日思い付きで試してみたはいいものの、思っていた以上に、
(は、恥ずかしいな……)
 授業の内容など全く頭に入ってこなかった。


 いつもであれば彼と帰る時間が一緒になるよう調整する優佳だが、今日に限っては恥ずかしさが勝っている。早く帰ろうと、早々に身支度をすましていると、
「あ、ねぇねぇ」
 席を立とうとした瞬間、彼に声を掛けられる。どこか万引きしたところを店員さんに声を掛けられた、みたいなぎこちなさで優佳がギギギ……、と振り返ると、彼が少し言いづらそうな顔で言い淀んでいた。この『女子に聞いてもいいものか?』という雰囲気で何となく嫌な予感というか彼が何を言いたいのかおおよそ察したが、とりあえず優佳はぎこちない笑顔で続きを促してみる。
 すると案の定、
「シャンプー変えた?」
 まさか気付かれているとは思わなかった。流石に自分と同じ匂い、ということまでには気付かなかったようであるが、優佳の髪の匂いが変わったことには気付いていたらしい。それはつまり、普段の優佳の髪の匂いを何となくではあるにしろ、覚えてくれているということで、それがどこか嬉しいような恥ずかしいようなで優佳の頬が意志とは無関係に緩みかけたが、ふと現実に戻る。
 そう。お揃いにしてみたい、という気持ちが先行していて、優佳は一つ失念していた。彼に気付かれた時どう返答するかをまるで考えていなかった。
 ここはとても返答が難しい。例えばここで、『うん、変えたよ。よく気付いたね?』みたいなことを言ったとする。これ自体は事実を言っているだけだからさして問題の無い回答ではあるが、懸念点が一つ。それは優佳の返答後、彼が会話を続けるために、『何のメーカに変えたの?』みたいな質問をしてきた場合だ。いや、シャンプーを変えた、という話をしているのだから、この質問をされる可能性は極めて高い。
 しかし、バカ正直にここでメーカを答えるわけにもいかない。何せ昨日の今日だ。明らかに彼と同じメーカにしたことがバレバレである。シャンプーを買いに行ったら、次の日レジをしていたクラスメイトが同じシャンプーを使っている……。それなりに距離感の近い人たちならいざ知らず、優佳程度の距離感の人がやった場合、気持ち悪がられても文句は言えない。何せこれ、やったのが女子側だからフィルターで可愛く見えているかもしれないが、男子がやった場合どこかストーカーチックな印象を受けることだろう。
 ではウソでも吐くか? いや、実はこれも優佳にはハードルが高い。大前提ウソが得意ではない、というのがあるが、そもそもシャンプーのメーカにだって詳しくない。家で今まで使っていたシャンプーのメーカだって覚えていない優佳にとって、今言えるメーカというのは彼が使っているメーカくらいである。
 ではいっそ黙秘権を発動してみるか? いや、これも中々リスキーだ。というのも今のシチュエーション的に男子がクラスメイトの女子にシャンプーを変えた? と聞いているシーンだ。ここで無言にでもなろうものなら、シャンプーを変えたことに気付いた彼のことを気持ち悪がっているように見えることだろう。その誤解は優佳が彼に気持ち悪がられる以上に避けなければいけない。
 つまり優佳は『シャンプー変えた?』というこの質問に答えつつ、その後メーカの話に持っていかれないように会話の主導権を奪うなり、話を逸らすなりしなければいけない。
 果たしてそんなこと、さほどボキャブラリーが多いとは言えない優佳にできるのか? 答えはきっと、彼女が現在進行形で浮かべている、とっても困っている笑顔にあることだろう。
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