ある日、ある蕎麦屋にて

銀河星二号

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ある日、ある蕎麦屋にて

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 立ち食い蕎麦は庶民の味である。庶民とは言っても、主にサラリーマン、しかも殆どは男なのだが。

 まあ、無理もない。狭い店内に男がひしめき合って蕎麦をすすっているのである。その状況に女性が割り込むのはなかなか難しい。

 このカウンターにしても奥行きが三十センチぐらいしかない。しかも七味や箸入れが置いてある。実際はもっと狭い。

 隣の席との間隔だって狭い。昼時ともなれば、ギュウギュウになることもある。

 俺は男なので、全く気にしない。それよりも蕎麦が食いたい気持ちが勝る。例えばこの春菊天そば。実に良い。

 俺は目の前の蕎麦をすすった。

 春菊天のパリパリとした食感。少しの苦味。衣は甘く、塩辛いつゆと交わると何とも旨い。

 器の湯気の立ち上る中、俺は一心不乱に蕎麦をすすった。美味い。

「ごちそうさま」
「ありがとうございましたー」

 いつものように器を下げ、俺は満足な気分で店を出た。



 ある日の昼時、俺はいつものように蕎麦を求めていた。しかし、その日は用事で見知らぬ場所に来ていた。まるで土地勘が無い。

 駅前に行けば蕎麦屋はあるだろうと踏んで、しばらく駅前を右往左往していたが、見つからなかった。俺は途方に暮れた。

 いっそ今日は蕎麦以外にしようか。うどんのチェーン店ならあるのを見かけた。あそこでいいじゃないか。そう思いながらトボトボと歩いていた。

 ふと、小路から出汁の香るいい匂いがしてきた。醤油の香りなので、和風の店なのは間違いがない。俺の足はいつの間にかその小路の中へと進んだ。

 店があった。看板に、うねった文字で蕎麦と書いてある。

 中はすりガラスで見えず、店内の様子は分からない。

 店構えから見るに、立ち食いでは無さそうだが、蕎麦ならこの際構わない。値段は高いかもしれないが、今の俺は蕎麦が食いたいんだ。

 入ろうか。でも値段がバカ高かったらどうしようか。しかし周囲を見回しても他に店はあまり見当たらないし、住宅地の小路だし、破格と言うことはあるまい。

 そう思って、意を決して引き戸を開いた。

「いらっしゃい」

 そう声をかけられた。

「お一人様で?」
「ええ」
「空いてますんで、お好きな席へどうぞ」

 見回すと、テーブル席が6席ぐらい。カウンターもある。小綺麗な店だ。俺は角のテーブル席へ着いた。

「メニューはこちらになります」
「どうも」

 メニューを開いた。……何のことはない。せいぜい千円台だ。普通だ。

 俺はホッとし、品定めを始めた。

「決まりましたら、お声をかけて下さい」

 店主はそう言うと、厨房へと消えて行った。

 さて、何にしようか。いつもの立ち食い蕎麦屋とは違う、それなりに本格的な蕎麦屋だ。ここはいっちょ、高いやつにしようか。

 俺はそう思い、メニューのページをめくった。

「チョコ……」

 そんな文字が目に入った。デザートかな?

「アイス……」

 そんな文字も目に入った。……おかしいな。いや、デザートならあってもおかしくは無いが。
 
 「……チョコレート天……」

 おかしいな。寝ぼけているのかな俺は。しかし、それは夢でも幻でも無かった。チョコレート天そば。そう書いてある。アイスもアイス天だった。

「……」

 他にもクッキー天、ナポリタン天、饅頭天などがあった。

「お決まりですか?」

 気がつくと店主が傍らに立っていた。

「あの……けっこう変わったメニューがありますね。他ではあまり見ない」
「そうでしょう!良く言われるんですよ」

 やけに嬉しそうだ。

「この……チョコレート天と言うのは……チョコを揚げたやつですか?」
「ええ!」

 目眩がした。どうしてくれようか。いや、ここはいっそ頼んでみると言うのも一興……いやいや。

「も、もう少し選びたいので!」
「分かりました!」

 店主はまた厨房へと消えて行った。

「……」

 困ったぞ。

 メニューをめくる。普通のメニューを探す。パラハとめくると、海老天、春菊天があった。うん、普通だ。

「あの……」

 手を上げて、店主に春菊天を頼もうと思ったその瞬間、壁に貼ってあった「おすすめ!チョコレート天」の文字が目に入った。思わず手を下ろした。

 どうしようか……もしかして美味いんだろうか?これはチャンスなのか?もしかして甘くないチョコレートとか。春菊天もどちらかと言うと苦味が入っているから、同じ苦味の原理で美味いのかもしれない。そう思った。

 丁度よく傍らを通りかかった店主に聞いてみた。

「あの……このチョコレート天と言うのは……」
「おお、お客さんお目が高い。それおすすめですよ!」

 ……聞きにくい。が、聞かねばならぬ。

「その……チョコと言うのはカカオと言うことで?」
「……ええ、まあそうですね」
「カカオを使った特殊な天ぷらと言う事ですか?」
「特殊……いえ、普通の板チョコですけれど」
「……お店で売ってる?」
「ええ、買ってますね」
「甘い?」
「いちおうブラックを選んでいますが。あ、ミルクチョコレートも何なら出来ますよ?」
「……あ、もう少し考えます」
「そうですか。何か聞きたいことがあったら、遠慮なく聞いてくださいね」

 そう言うと、店主は店の外へと消えて行った。掃除だろうか。まあそれはいい。

 さて、困ったぞ。聞きたいことは、「何ですかコレ?」なのだが、流石にそれは聞けない。ここはいっそチョコレート天の事は忘れて、正統派の春菊天とかにしよう。

 そう考えた瞬間、店の外で声がした。

「あ、いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
「うむ、世話になる」

 誰か来たようだ。

 入口の戸を開けて入って来たのは、恰幅のいい和服の男だった。見るからに美食家と言う感じがした。男は俺から遠い席へ座ると、店主を呼んだ。

「あれをくれ。いつものやつを」
「かしこまりました」

 店主はいそいそと厨房へ入って行った。しばらく蕎麦を煮る音や揚げ物を揚げる音がした後、店主が蕎麦を持って出て来た。

「どうぞ」
「うむ」

 男は蕎麦をズゾゾとすすり、乗っかっていた天ぷらをハフハフと熱そうにほうばると、汁まで飲んで満足そうに一息ついた。

「お茶です」
「うむ」

 男は食後のお茶を飲むと勘定をして立ち去った。実に美味そうだった。

「あの……!」
「はい」
「今のお客さん、常連さんですか?」
「ええ、贔屓にして頂いております」
「……あの!何を注文されました?」
「チョコレート天そばですね。特製のミルクチョコレートのやつです」

 俺は考えた。ここは一発勝負に出るしか!

 そして俺は特製チョコレート天蕎麦を注文し、食べた。

(まずい……)

 俺は心で泣いた。八百八十円だった。

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