平安あやかし奇譚 〜少女陰陽師とかんざしの君~

花橘 しのぶ

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頭中将

五十四、鎮魂

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 頭中将の独白が終わっても、小春たちは一言も言葉を発することが出来なかった。
 小春の目に見えている香子は、ただ穏やかに頭中将を見つめている。何かを、祈るように。

 か細く差していた夕陽の光が消え、あとに夕闇だけが残される。薄暗い部屋のなか、小春の目には香子の姿だけがぼんやりと光って見えた。
 この姿を、そのまま頭中将に見せられたら、どれだけ頭中将の心は休まるだろう。頭中将は、自分が香子を殺したという罪の意識に今も悩み続けている。
 小春が見えている彼女の姿を、頭中将に伝えられないだろうか。

「頭中将さま。信じていただけないかもしれないのですが」

 小春はゆっくりと口を開いた。

「香子さまは、おそらく貴方のことを恨んではないと思います」

「……なぜ、そう思う?」

「彼女、すごく穏やかな顔をしているんです」

 小春の言葉に、頭中将は目を見開く。信じられない、と顔に書いてあるようだった。
 そう思うのも無理もない。
 それだけ、彼は香子へ罪の意識を感じているのだ。
 どうしたら、彼の罪の意識を軽くできるだろう、そう思って口を開こうとしたとき、助けに入ったのは葵の君だった。

「……私も、そう思うわ。最初は怖かったけれど、今はもう怖くない。彼女、ただあなたのことを愛していたのだと、思う」

 悔しげに唇を噛んで、葵の君は言う。
 静かに、諭すような声だった。
 
「私ね、左大臣家の姫君のことが怖かった。彼女から奪われるのが怖くて、自分からあなたの手を離した。でも、彼女も、怖かったのだと思う。東宮妃という重い責を背負うことも、自らの本心を偽ることも」

 葵の君が瞼を伏せる。

「彼女が選んだ道が、自身を貫く道しかなかったのは、本当に残念だけれど」

「……」

 頭中将は、唇を噛んだまま動かない。
 じっと、何かを耐えるような表情をしている。

(もしかして、泣くのを耐えているのだろうか——)

「俺は、きっといつまでも忘れられないと思って。彼女を死に追いやったことは消えない。これから先、どれだけ経っても」

「……彼女は、あなたにも幸せになって欲しいと思っているはずです」

 悲痛な表情をしている頭中将を見ていられなくて、小春はそう告げた。
 小春の言葉に、頭中将ははっと顔をあげ、そして悲しげに小さく微笑んだ。

「……ありがとう。君らは、陰陽師なのだろう? 彼女を、どうか極楽浄土に導いてくれないか」

「いまの彼女が、極楽浄土へと還るかどうか、わかりません。……それでもいいですか?」

 保憲がたずねる。
 保憲が言う通り、彼女は自らの命を絶った。その魂魄が、極楽浄土へ向かえるとは限らない。

 けれど、小春と保憲とで、少しでも彼女の魂が安らかであるように、舞を舞うことはできる。

 小春は、保憲とともにゆっくりと立ち上がった。死者の魂を鎮める舞。陰陽師として、小春たちにできること。

 保憲とふたり、向かい合って目を合わせる。視線をずらさぬまま、保憲の喉から祝詞のりとが紡がれる。

 それに合わせて、指の先まで心を込めて、ただ舞う。
 笛の音も、太鼓の音もなく、保憲の声だけを頼りに、一心不乱に踊る。

 香子の魂が、どうか穏やかでありますように。この巡り会いが、どうか香子の魂を癒しますように。

 小春は目を閉じ舞う。
 小春に出来ることは、香子へ祈りを捧げるだけだった。

 
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