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「お前、聞いたりしねえの?」
「なんで死にたかったって? 聞いてほしいの?」
「別に」
「ならそんな質問しないでくれる?」
「お前は死にたいって思ったことある?」
「ないわよ」
「嘘だ。オカマのくせに」
「偏見かまさないでくれる?」
「心と体が一致しないのって苦痛じゃねえの?」

 核心をついて傷をえぐってやろうとしたが、櫻井は平然としていた。

「いちいち男らしくしとかなきゃ周りに馴染めないのが苦痛ね、あたしは。今って情報社会じゃない。比較的早いうちに自分はオカマなんだって自覚したから、演じることでいじめられることを避けられた訳。うちのお父さん頑固でさぁ、オネエタレントのこと嫌悪してんのよね。あと宝塚とか。男は男らしく、女は女らしくってね。カミングアウトしたら殴り殺されると思う。まだ勘当されたくないし。おこづかいもらえるうちは良い子でいるわ」

 あのおねえさんは家族じゃないのか。親戚だろうか。――どうでもいい。

「ずっと内緒にしとくつもりかよ」
「親にはね。早いとこ家を出るつもり。あとは環境によるかな。自然体でいられるような高校生活を送れたら最高なんだけど」
「ねーよ、そんな学校」

 俺がそう言い放つと、クスクスといやらしく笑い出したから気持ち悪い。

「性転換とか考えてんの?」
「いいえ」
「ちんこがぶらさがっててキモくねーの?」
「オカマでもタイプがあるの」
「普段は女装してんの?」
「しないわよ」

 嘘をつけ。とぼけたって無駄だ。俺は知っているのだ。スカートを履くことにミジンコも抵抗がなく、自然な女の子のふりを楽しむことができることを。スカートの中で男のシンボルをぶらぶら揺らしているにもかかわらず、それがあることを周囲が気づくか気づかないかと胸を高ぶらせることすら快感であることを、知っているのだ。心は女のくせに、容器は男で構わなく、その装飾は女にする三重構造。意味不明だ。

「お前絶対に女の格好いけるぜ。試しにやってみろよ」
「勘弁してよ。何のネタにするつもり?」
「俺が爆笑するだけ」
「爆笑じゃなくて大笑いでしょ。爆笑は大勢で笑うことよ」
「いちいちつっこむんじゃねーよ。そこは男かよ」
「もうやってらんない」

 櫻井は大袈裟に溜め息をついて、雑誌を閉じると無愛想に立ち去った。後ろめたさがあって逃げたのだろう。クソ野郎だと思った。

 入れ違いに月子が現れた。許可してもないのに俺のそばに座り込む。その顔に似つかわしくないダサいスカートがいい加減に折れ曲がる。可哀想に。お前の親は哀れな頭をした人間だ。

 月子は幼稚園からの馴染みだ。毎回クラスが一緒で、ことあるごとに俺のところへ寄ってくる。猫みたいな奴だ。猫みたいに眼はでかくて、俯きがちに顔をなで回している。触り過ぎるからニキビが悪化するのだ。

 月子からは妙に信頼されている。園児の時に、彼女は俺に秘密を明かした。兄弟の死と、暴力。
 そうして俺たちは繊細でくすんだ糸で結ばれた。なぜ俺にしたのか、月子は教えてはくれない。切なげにうなだれるだけだ。

 無条件に受け入れるしかなかった、暴力と死という秘密の共有は、確実に俺の心の陰りを濃くした。幼くして俺の心はずたずたにされた。

 そうだ、俺は月子の影なのだ。心のよりどころなのだ。頼りにされているのだ。しかし。だから。なんだというのだ。月の影なんて、闇夜に紛れて存在しないも同然じゃないか。

 一体俺は、何のために生まれてきたのか。アイデンティティーはあるのか。
 わからない。わからない。
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