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九、七

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 セッションをする。どこからが幻想で、どこまでが妄想なのか、境目が曖昧になっていく。

 ふたつの無限の音が絡み合って一体化する。頭がしびれる。自画自賛の頂点だ。羞恥心が砕け散り、自尊心が新たに構築されていく。

 快感が指先からほとばしる。渾身の弾き語りだ。およそ六年間共に青春を生きた相棒を俺のリリックで奏で続けた。

 何も恥じることはないのだ。音楽はいつだって真剣で、歌はいつだって前を向いて歌うものだ。俺は音楽を隣で支えたい。そうしていたい。

 魔法はとけることはなかった。気負い立ち、月に向かって宣戦布告した。

「見てろ天国! 見てろ神々! 俺はやるげんぞ! やればできる奴だぜ俺は! 魔女っ子メグちゃんでもキューティーハニーでもクリィミーマミでもなんでも! やれと言われればいくらでも冷めるまで弾いてやるねんわぃや! 言っておくけど俺はそこらの素人よかできる奴ねんから! 宣言してやんぜぇー!」

 決壊して、溜まりに溜まっていた濁りを押し流す。あの黒いヘドロの正体は黒歴史だったのだ。
 無理やり抑えていたものが、忘れていたものが一気にあふれる。指を痛めてる? 冗談じゃない!

「情熱だよ情熱ぅ! 俺はっ! 情熱だああああっ!! 努力と情熱ゥううううっ!!」

 空飛ぶ家を独り占めしているのをいいことに、まだまだ胸の内から欲望が湧き出てとどまることを知らない。

「俺はうなじが好きだぁああああッ!! うなじにチューしたああああいアアアアッ!! アアアアッ!! よぉーしよしよしよし! よぉーしよしよしよし! よぉーしよしよしよしアアアアッ!! 松先輩のぉおおおおッ! 先輩の犬みたいなモジャジャジャジャジャジャアアアアッ!! アアアアッ!!」

 バイオレットスワンの明かりが見えてくるまで、ワーワー叫び狂いながら相棒を弾き狂った。髪を振り乱し、ヨハネス店長の変な歌もアレンジして歌った。これぞミュージシャンズ・ハイ。今宵から俺は世界一の恥知らずになったのだ。もう誰に何を言われてもアコベを手放すことはない、鋼の心臓を手に入れたのだ――


 今夜は幸福感に満たされながら眠りにつくことができた。そして夢を見た。消灯されているリビング。仙人がひとり、正面玄関を開けて月明かりを浴びた。

 仙人は外へ踏み出して、振り向いた。何も言わず、ただ満足気に微笑んだ。


 その翌朝から。俺の目に見えない仙人は俺にも見えなくなった。
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