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十一、六

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 見よ、美しい弧を描いて落ちていく俺を。離れていく子クラゲと我が家。さらば、俺の中途半端なドラマ。ナイトスカイダイビングだなんてシャレてるではないか。

 さて、走馬灯でもよぎらせようか。一体何から振り返ればいいのやら。

 サンシン、助けられなくてごめん。松先輩、いや旭さん。せめて地の文だけでも名前で呼ばせてほしい。最後に見た姿がゴスロリ風メイド姿でめちゃくちゃ興奮しました。ありがとうございます。

 ちゃんとみんなで本番のステージをやりとげたかった。旭さんと江井先輩と美池先輩が魔術を繰り広げて、トールとサンシンが歌って、ツカサがキーボードを弾いて、タケと川中島がギターを弾いて。拍手喝采。

 なあ川中島。このまま俺も天使になれるだろうか。死んで幽霊になったら、あんたが推薦してくれないだろうか。天使になったら、俺は空を飛んでいる家に舞い戻る。名前も姿も変わって、記憶が消えても、みんなのことをあんたのように思い出してみせるから。

 ああ、でも。旭さんには確実に呪われるだろうな。死ぬまでに夢を叶えると約束をしたのに、さっそく俺は死ぬのだ。天使になって戻って、サプライズ! と、両腕広げて笑って見せても、恨みのこもった呪いのフルコースを叩き込まれてしまうのだ。嫌われはしないと思うけれど、一度胸に突き刺さった絶望はそう簡単には抜けることはないのだろう。

 ……さて、どこまで落下しただろうか。走馬灯のよぎる速さは一瞬で、意外とそこまで落ちていないらしい。思考がフル回転しているせいで、時間の感覚が狂っているのか。できれば気を失って、地面との衝突の瞬間を感じたくはない……。

 ……さて。

 さて、こんな場面で話を終わらせる訳にはいかないのだ。万人納得のハッピーエンドとはいかないが、良い結末を迎えなければいけない。それが俺の責務であるはずだ。

 家が光った。ペンキのような白い『↓』が縦列になって伸びてくる!

 ……人影!
 そいつはアプローチから飛び降り、ポンチョを大きく広げ、モモンガのように滑空した! 夜空にはっきりと描かれた『↓』に沿って落ちてくる!

「ォォォオオオオーーーーギガヤーーーーーーツ!!」

 川中島が俺に目がけて飛んできた!

「見ろオーギガヤツ! 天使が飛んでるぞぉおおおおーー!!」

 唇をぶるぶる震わせて、歯をむき出しにしながら。

 ぎゅん!
 と、俺を通り過ぎた。

 なんでやねん!
 と思ったら、ぽふん、と。下から抱き止めてくれた。衝撃を吸収した天使の抱擁は柔らかく、背中の痛みも優しく包み込み、春のようなぬくもりを与えてくれた。

「川中島!」
「アイ・アム・ハクトーさんだ。どうだオーギガヤツ、天使に助けられた気分は?」
「助かった……! あと、姫様抱っこが不満だ……」
「私も姫様扱いするのが不満だぞ」
「本当に飛べたんだな」
「信じてなかったのか? 私は本当に必要な時にしか飛ばないぞ」

 不服そうな川中島の翼は、取り巻く風で揺れるだけで羽ばたいてはいなかった。頭のラッパスイセンも取れていない。一体どんな力で飛んでいるのか、俺を抱えている状態で家へと戻る川中島は正真正銘のスーパーマンであった。

「オギ!」
「扇ヶ谷様ぁ!」

 メイド服のままの旭さんと操縦を止めたおっさんが玄関から顔を出す。

「ダメじゃないですかぁ! 雉子さんじゃあるまいし! ビックリしちゃいましたよー!」

 Fの部屋から落ちるところが丸見えだったらしい。川中島が間に合っていなかったら雉子の落下の時と同じ呪文を唱えていたのだろう。そう考えると走馬灯をよぎらせたのは単なる時間稼ぎということになる。お恥ずかしい限りだ。

「ハクトーさーん!」

 えんじぇるすの三人も窓から手を振っていた。

「もうバカタレッ! 心配させないでよ!」

 生還した俺にまたもや旭さんは飛びつき、胸を叩いた。俺は疲労で後ろに倒れそうになったが、川中島の胸にぶつかって止まった。

「すいません」

 旭さんも生きた心地がしなかっただろう。申し訳なくて彼女の頭をなでた。ああ、生きていて良かった。

「スッゲェや! ハクトーさんはマジもんの天使だったんだ!」

 タケはリスペクトの眼差しで頬を紅潮させ、『北斗の拳』のラオウのように握り拳を掲げた。興奮のあまり顔が真っ赤で、血管がプッチンと切れないか不安になる。

「話聞いたわ。クラゲとサンシン君は?」

 窓の外を仰ぐトール。双子クラゲは高く遠く逃げていた。

「おっさん、もう一度頼む!」
「わかりました、任せてください!」

 俺がお願いするとおっさんは操縦室に戻り、トールとタケも興味津々について行った。家はぐんぐん上昇し、下界をのぞいてみれば日本列島の本島が姿を現した。

「みなさーん! 玄関のドアや窓は開けていても構いませんがぁ、けしてアプローチや屋根から外へ離れないでくださーい! 陣地から外は制御してないのでぇー!」

 おっさんが警告した。「いやいや、離れたらふつうに死ぬやんけ」とトールのツッコミもかすかに聞こえた。離れれば当然落ちて死ぬ。しかしおっさんが言いたいのはそういうことではない。大気圏の温度変化は激しい。無防備で耐えられるほど、人間は高性能な生き物ではない。大気圏を出れば宇宙だ。落ちる以前の問題なのだ。

 この家は魔法の家。家に足をつけている限りは安全で――

「サンシンやばくねぇ!?」

 俺の言葉に旭さんもあっと口元を押さえる。

「今は対流圏か」

 ツカサが外を見て言う。

「気温はどんどん下がる。上部にはジェット気流もある。その前に低酸素症、高山病……もしかしたら低体温症で凍死する可能性だってある。登山家と違って何の装備もしてないんだ。いつやられてもおかしくないぞ」

 俺たちは絶句する。そこでバイオレットスワンのエンジン音が聞こえたので、俺は扉を開けた。

「いつもの場所に家がないと思ったら! “F”を起動しているんですか!?」

 ヘルメットのスピーカー部分から声がする。奴のライダースーツとヘルメットはいわば宇宙飛行士の着るそれと同じで、寒さも暑さもシャットダウンしている。

「ハッコウソラクラゲの群れが成層圏上部でストップしています! エッキゾーストさんから連絡がありました! ボスクラゲの内臓の発光色が異常だそうです!」
「異常ぉ!?」
「傘の部分にも謎の模様あり! 常に鳴いていて、どうも親を呼んでいるようにしか考えられないそうなんです! 成長段階からして親は死んでいるはずなんですが! デンパル現象のせいですかね!」

 旭さんが「もしかして!」俺の隣に並び声を張り上げる。

「サンシンが小さい時に飼ってて、それで逃げ出したクラゲがそうなんじゃない!? 親だと思ってるのよ、きっと!」
「ああ、そうでしたか! そうかもしれません! ソラクラゲは成長するに従って宇宙へ上昇しますからぁ!」

 俺は疑問を投げかける。

「サンシンに助け呼んでるんかなぁ!? 異常なんやろぉ!?」
「可能性の一つですけど! それでですね! クラゲの群れに邪魔されてミンパラとヴァチイネを見逃す恐れがあるので、店長からクラゲの動きを止めてまとめておくよう伝言があります!」
「止めてまとめるったってどうやって!?」
「ハクトーさんいけますか!?」

 川中島は「止めればいいのか」と、合点といった具合に早足で二階へ上がった。慌てて様子を見に行くと、川中島はハープを用意して、天窓を開けるところだった。

「ノックをしないか、オーギガヤツ」
「どうする気だ?」
「クラゲを呼んでみる」

 川中島と俺は屋根に上がり、俺は身震いした。魔法で制御されていても木枯らしが吹いているようで縮み上がる。川中島のポンチョがうらやましかった。だがサンシンはこれ以上の極寒に耐え、人間の限界を超えようとしているのだ。急がなければならない。

 川中島がハープを奏でた。耳の穴をなでられ、頭が軽くなるようだった。甘美なさざなみは宇宙空間を歪ませ、星の配列をめちゃくちゃにする、そんな幻覚を見た。

「子クラゲの動きがストップしたようです! 降りてきます!」

 花御堂が報告によって、俺は我に帰った。

「よし! サンシンを屋根の上に!」

 双子クラゲが戻ってきた。サンシンが小さく手を振っている様子が確認できた。

「サンシン! 無事け!? どこも変じゃないけ!?」

 顔面蒼白で、唇が花御堂のように紫色のサンシンは弱々しくて未完成のオッケーサインを見せる。ああ生きている。俺は袖の上からでも感じられるほどに冷え切った腕を引っ張り、足を屋根につけた。

「ああもう、取れない!」

 双子クラゲは大人しくしていたが、サンシンを放すつもりは毛頭ないらしく、触手を解こうとしても滑り、指を入れる隙間がないほどがんじがらめになっていた。

 その時だった。


 ひゆおいいいいいいいい、おおおおおおおおおおんんんん――――


 残り少ない空気を振動させて、とても遅く長い重低音が、天空全体にぐわんぐわんと響いた。

「な、なんだ……?」
「ボスクラゲです! 奴も降りてきます!」

 花御堂が声を張り詰めた。星と信じていた無数の白い光は、実は一匹一匹のクラゲだと知るや血の気が引いた。

 一際に目立つ赤い光があった。天使の旋律に反応したボスクラゲは群れまでも引き連れてきたのだ。家は大きさ異なる大量のクラゲに囲まれ、ここは海中だと錯覚してしまうほどである。浩浩こうこうとした宇宙空間で生命をむき出しにして活動を続けてやってきたこいつらにおぞましさすらあった。
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