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8.名も無き国
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鳥に乗ったロッコは、ジャングルに降り立ちました。
「ここにいる人たちは、言葉を喋れないんだ。君は友達を作れずに一人ぼっちだ。それなら幸せにはなれないよ。それが不幸だと思うならボクを呼んで? また君を遠くへ連れて行くよ」
ロッコの心配は杞憂に終わり、鳥は悠々と空へ飛んで行きました。
再会の喜びを考えると、二度と鳥の背に乗って空を旅することはないでしょう。
さて、今、ロッコがいる国には名前がありません。
この土地は国と呼べない、と言う人もいるでしょう。
この国の住人たちには、文字という概念がないので、独特なコミュニケーション方法をとっています。
ロッコの周りでガサガサと、葉っぱが擦れる音がしました。
音の正体はここの住人たちです。
茂みから出てきた彼らは木の槍を持ち、ロッコを囲みました。
どうやらロッコは警戒されているようです。
「僕は何もしないよ。寒くないの?」
男も女も必要最低限の腰巻きや胸当てしか身につけていません。
ロッコの問いかけに対する返事はありませんでした。
彼らは目配せをしながら、舌を出したり歯をむき出しにしたりと、表情をコロコロ変えています。
その奇妙な光景は、にらめっこをしたことのないロッコでも笑ってしまうほどでした。
「アハハハハ!」
ロッコが笑った途端、住人たちは顔を動かすのを止め、ロッコをまじまじと見ました。
一際体の大きな男が、目を大きく見開いて舌をペロペロと出しました。
ロッコは彼らが言葉を話せないことをようやく思い出し、ヘビになったつもりで男の真似をしてみせました。
すると住人たちは大笑いし、木の槍を下ろして、ロッコを彼らの居住地へと連れて行きました。
ロッコは気に入られたのです。
目を大きく見開いて舌をペロペロするのは、私たち風に言えば「ご機嫌いかが?」といったところでしょうか。
彼らはロッコが敵ではないことを知り、ご馳走を振る舞いました。
カラフルで熟した果物や、表面がカリッと焼かれた肉。
ロッコは今にも幸福を感じるところでした。
一人の男がちょうど獲物を持って帰りました。
ロッコが口にしている肉は、鳥だと分かりました。
話したことも友達でもない小ぶりな鳥でしたが、足を持たれて逆さ吊りにされた姿を見ると、ウッとむせました。
向かいに座っていた男が、眉毛を上下に2回動かし、「大丈夫か?」と心配しています。
ロッコは首を何度も縦に振って、果物を美味しそうに食べてみせました。
住人たちは肉を食べるように顔に近づけましたが、それ以上食べることはできませんでした。
この名も無き国に来て数日で、ロッコは簡単なコミュニケーションがとれるようになりました。
細やかな心の機微を気にしなくて良いので、とても気楽な毎日です。
時折頭上の数字は何だと言わんばかりの表情をされますが、詳しく説明する術を持たないのでロッコはニッコリと微笑んでやり過ごしました。
住人たちも、ロッコなりのコミュニケーションを理解できるようになっていたのです。
この国でロッコに勉強を教えてくれた人物は、多くの子供を生んだ女性でした。
今は年をとって子供を生むことができませんが、世話役として子供たちの面倒を見ています。
ロッコはそこに紛れて、この世界の真理について勉強するのです。
文字がないのに世界の真理などと小難しいことを考えることは、できるのでしょうか。
この国の住人たちは、どんな時も哲学的に物事を考えていました。
人は目的を持って生まれてくるのか?
思考するとは?
感情はどこから湧いて出る?
そんなことをいつも議論していました。
言葉や文字、高度な文明を持たないだけで、彼らの精神は随分と成熟していたのです。
ロッコは単純な喜怒哀楽の感情しか分かりません。
その上、彼には他者と考えや気持ちを共有するという感覚が欠けていました。
これまでの旅で感じた幸福は、全てロッコの価値観によるものでした。
誰かの幸せがロッコの幸せに影響を与えてしまっては、彼の小さな数字では足りないのです。
子供たちが議論している時、ロッコは俯いていました。
彼らが答えの出ない問いを延々と話していることは、何となく察していました。
初めは歓迎してくれた住人たちですが、ロッコが議論に参加しないことに少しずつ不満を持ち始めました。
ロッコがこの国の生まれでないことは何の問題でもありません。
彼らは、少しずつコミュニケーションを避け始めたロッコに、親しみを持てなくなっていたのです。
そして大人たちは夜な夜な集まり、この問題に対し哲学的な観点から解決策を見つけようと、話し合っていました。
本日、女性が示したテーマは、「愛とは何か?」です。
ロッコにはテーマすら伝わっておらず、周りの子供たちもロッコを無視して議論を始めました。
ある者は閉じた口をにーっと横に開いて、瞬きを繰り返しました。
その隣の子供は、向かって右側の眉毛をピンっと上げ、鼻の穴を大きく膨らませました。
奇抜な表情をするのにも見慣れてしまい、ロッコは無関心になっています。
彼女はそんなロッコの目を見て、ぐるりと黒目を一周させました。
「あなたも何か言っていいのよ」
とでも解釈しておきましょう。
ロッコは意味を理解しましたが、再び目を伏せて拒否しました。
彼女はロッコを立たせると、優しく抱きしめました。
そしておでこにキスをして、頭を撫でました。
彼女が考える愛とは、我が子を胸に抱いた時の温もりでした。
ロッコにそれを伝えるため、彼らの方法ではなく実際の行動で示したのです。
抱きしめられたのは何年ぶりでしょう。
両親は生まれてすぐにロッコの数字の小ささを心配し、スキンシップをとらないように注意深く接していました。
皆はこの温もりについて議論していたと、分かりました。
幸せについてだ、と――。
頭上の数字が3から2になりました。
ロッコは住人たちに深々と頭を下げると、名も無き国を出ました。
もう二度とあの温もりに触れることのない場所を目指して――。
「ここにいる人たちは、言葉を喋れないんだ。君は友達を作れずに一人ぼっちだ。それなら幸せにはなれないよ。それが不幸だと思うならボクを呼んで? また君を遠くへ連れて行くよ」
ロッコの心配は杞憂に終わり、鳥は悠々と空へ飛んで行きました。
再会の喜びを考えると、二度と鳥の背に乗って空を旅することはないでしょう。
さて、今、ロッコがいる国には名前がありません。
この土地は国と呼べない、と言う人もいるでしょう。
この国の住人たちには、文字という概念がないので、独特なコミュニケーション方法をとっています。
ロッコの周りでガサガサと、葉っぱが擦れる音がしました。
音の正体はここの住人たちです。
茂みから出てきた彼らは木の槍を持ち、ロッコを囲みました。
どうやらロッコは警戒されているようです。
「僕は何もしないよ。寒くないの?」
男も女も必要最低限の腰巻きや胸当てしか身につけていません。
ロッコの問いかけに対する返事はありませんでした。
彼らは目配せをしながら、舌を出したり歯をむき出しにしたりと、表情をコロコロ変えています。
その奇妙な光景は、にらめっこをしたことのないロッコでも笑ってしまうほどでした。
「アハハハハ!」
ロッコが笑った途端、住人たちは顔を動かすのを止め、ロッコをまじまじと見ました。
一際体の大きな男が、目を大きく見開いて舌をペロペロと出しました。
ロッコは彼らが言葉を話せないことをようやく思い出し、ヘビになったつもりで男の真似をしてみせました。
すると住人たちは大笑いし、木の槍を下ろして、ロッコを彼らの居住地へと連れて行きました。
ロッコは気に入られたのです。
目を大きく見開いて舌をペロペロするのは、私たち風に言えば「ご機嫌いかが?」といったところでしょうか。
彼らはロッコが敵ではないことを知り、ご馳走を振る舞いました。
カラフルで熟した果物や、表面がカリッと焼かれた肉。
ロッコは今にも幸福を感じるところでした。
一人の男がちょうど獲物を持って帰りました。
ロッコが口にしている肉は、鳥だと分かりました。
話したことも友達でもない小ぶりな鳥でしたが、足を持たれて逆さ吊りにされた姿を見ると、ウッとむせました。
向かいに座っていた男が、眉毛を上下に2回動かし、「大丈夫か?」と心配しています。
ロッコは首を何度も縦に振って、果物を美味しそうに食べてみせました。
住人たちは肉を食べるように顔に近づけましたが、それ以上食べることはできませんでした。
この名も無き国に来て数日で、ロッコは簡単なコミュニケーションがとれるようになりました。
細やかな心の機微を気にしなくて良いので、とても気楽な毎日です。
時折頭上の数字は何だと言わんばかりの表情をされますが、詳しく説明する術を持たないのでロッコはニッコリと微笑んでやり過ごしました。
住人たちも、ロッコなりのコミュニケーションを理解できるようになっていたのです。
この国でロッコに勉強を教えてくれた人物は、多くの子供を生んだ女性でした。
今は年をとって子供を生むことができませんが、世話役として子供たちの面倒を見ています。
ロッコはそこに紛れて、この世界の真理について勉強するのです。
文字がないのに世界の真理などと小難しいことを考えることは、できるのでしょうか。
この国の住人たちは、どんな時も哲学的に物事を考えていました。
人は目的を持って生まれてくるのか?
思考するとは?
感情はどこから湧いて出る?
そんなことをいつも議論していました。
言葉や文字、高度な文明を持たないだけで、彼らの精神は随分と成熟していたのです。
ロッコは単純な喜怒哀楽の感情しか分かりません。
その上、彼には他者と考えや気持ちを共有するという感覚が欠けていました。
これまでの旅で感じた幸福は、全てロッコの価値観によるものでした。
誰かの幸せがロッコの幸せに影響を与えてしまっては、彼の小さな数字では足りないのです。
子供たちが議論している時、ロッコは俯いていました。
彼らが答えの出ない問いを延々と話していることは、何となく察していました。
初めは歓迎してくれた住人たちですが、ロッコが議論に参加しないことに少しずつ不満を持ち始めました。
ロッコがこの国の生まれでないことは何の問題でもありません。
彼らは、少しずつコミュニケーションを避け始めたロッコに、親しみを持てなくなっていたのです。
そして大人たちは夜な夜な集まり、この問題に対し哲学的な観点から解決策を見つけようと、話し合っていました。
本日、女性が示したテーマは、「愛とは何か?」です。
ロッコにはテーマすら伝わっておらず、周りの子供たちもロッコを無視して議論を始めました。
ある者は閉じた口をにーっと横に開いて、瞬きを繰り返しました。
その隣の子供は、向かって右側の眉毛をピンっと上げ、鼻の穴を大きく膨らませました。
奇抜な表情をするのにも見慣れてしまい、ロッコは無関心になっています。
彼女はそんなロッコの目を見て、ぐるりと黒目を一周させました。
「あなたも何か言っていいのよ」
とでも解釈しておきましょう。
ロッコは意味を理解しましたが、再び目を伏せて拒否しました。
彼女はロッコを立たせると、優しく抱きしめました。
そしておでこにキスをして、頭を撫でました。
彼女が考える愛とは、我が子を胸に抱いた時の温もりでした。
ロッコにそれを伝えるため、彼らの方法ではなく実際の行動で示したのです。
抱きしめられたのは何年ぶりでしょう。
両親は生まれてすぐにロッコの数字の小ささを心配し、スキンシップをとらないように注意深く接していました。
皆はこの温もりについて議論していたと、分かりました。
幸せについてだ、と――。
頭上の数字が3から2になりました。
ロッコは住人たちに深々と頭を下げると、名も無き国を出ました。
もう二度とあの温もりに触れることのない場所を目指して――。
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