戦場で拾われた少女は薬師を目指す

鈴元 香奈

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お仕事再開

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 今日はアンドルー先生の診療所で勤務する日。
 私は、診療所の台所で薬を作っている。サイラスが手伝ってくれるようになったので、力仕事が捗るようになった。たくさんの薬ができたら、多くの人を救うことができる。頑張ろう。
 診療時間になったので、薬草をすり潰すのをサイラスに任せて、私は玄関へと向かった。
 貧民街の住民には、セロンが診察証を配っていた。それを持っていると無料で診療が受けられる。それ以来、患者が増えた。薬も大量に必要になった。それでも、セロンが行ったパン配給の効果で栄養失調の人が減ったのと、アンドルー先生の沸騰消毒の教えが徐々に浸透して、病気への感染が減ってきたことで、診療所は一時よりは落ち着いてきていた。
 それでも、玄関の前には三人の患者さんが並んでいた。その三人を待合室に案内する。さぁ、仕事だ。くよくよしてはいられない。

「足首を挫いて歩けないんだ」
 三十代の男性が訴える。大工さんで、高所から降りた時足を捻ったとのこと。仕事ができなくてとても困っているらしい。
「サイラスさん、桶に井戸の冷たい水を汲んで来てくれますか?」
 アンドルー先生が台所にいるサイラスに頼む。
「セシィは、湿布薬を用意して欲しい」
「わかりました、先生」
 捻挫や打ち身に効く膏薬を四角く切った紙に塗っていく。同じものを五枚作った。
 サイラスが汲んできた桶の水に、大工さんの捻挫した足をつけて貰う。
「冷たい」
「冷やした方が早く治るんです。しばらくそうしていてください」
 大工さんの足を冷やしている間に、他の患者を診る。
「お腹が痛くて」
 次の患者さんは、母親に連れらてきた十歳ぐらいの女の子。食中りのようだ。アンドルー先生の処方した薬を渡す。
 セロンは、収入がある患者さんからは、診察代金を受け取るようにしている。そのお金で、この領地では採れない薬の材料を買ったり、医療器具を揃えたりしている。
「指を切ってしまった」
 大手商店の下働きの少女が、皮むきを手伝っていて指を切ってしまったという。アンドルー先生が、止血薬を塗って包帯を巻く。
 薬を渡す合間に、大工さんの足に湿布薬を貼り付けて包帯で固定する。そして、作った湿布薬の残りを渡す。

「鼻水が止まらない」
「頭痛がする」
 診察中にも、様々な患者さんがやって来る。
 サイラスが患者を運んだり、私がお薬を渡してお金を受け取ったり、忙しく働いているうちにお昼の時間になった。
 結局、午前中には、三十人ほどの患者さんが来院した。
 豊かではない平民が気軽に医師の診察を受けることができる領地、ここは天国だと思った。

 一旦診療所を閉めて、私たちの家で昼ご飯を食べる。
「セシィ、疲れませんでしたか?」
「アンドルー先生の方が大変だったでしょう? いっぱい食べてね」
「僕は慣れていますし、今日はサイラスさんもいてくれて、とても助かりました。サイラスさんの方が大変だったのではないですか?」
「俺は、なんてことないぞ」
 大きな燻製肉を食べながら、サイラスが言う。アンドルー先生も豪快に食べている。
「昼からは、貧民街へ往診に行くのよね。サイラスが馬に乗せて行ってくれるの?」
 いつもは、セロンに乗せてもらっていた。そして、セロンは貧民街の様子を調べて、問題があれば対策を立てていた。
「セロンに乗せてもらう方が良かったか?」
「そんなわけないじゃない。サイラスがいいに決まっているもん。ただ、私の産まれた村の領主様も、セロンみたいな人だったら、私は一人になることもなく、戦場に売られたりしなかったと思う。領主代理としてのセロンは、とても尊敬している」
 サイラスを恨んで命を狙っているし、私の事を隣国のスパイだと疑っているし、あんなことをしたセロンだけれど、領民思いのいい領主代理だとは思う。

 貧民街の人は、自家用の馬車を持っていないのはもちろん、乗合馬車の料金を払うのも難しい。軽微な病気人や怪我人は歩いて診療所まで来てくれるけれど、重病人や重傷人は来院することができない。そこで、こちらから往診に出向くわけです。
 いつもの様に教会に馬を止め、歩いて重病人や重傷人の所を回る。サイラスがいるので、今日は荷物がたくさん持ち運べる。ちょっと欲張りすぎたかもしれない。

「先生! うちの子が、うちの子が、井戸に落ちてしまって、助けて!」
 教会に十歳ぐらいの男の子を背負った中年の女性が走って来る。
 教会の中に運び込まれた男の子は、蒼白な顔色をして人形のように動かない。
「水売りの仕事をしていて、水を汲もうとして井戸に落ちてしまったんだ。先生、助けて。お願い」
 アンドルー先生が口と心臓の上に手を当てる。顔色が曇る。男の子は呼吸をしていない。
「部屋を暖めて」
 アンドルー先生は寝かされた男の子の胸を押す。心臓の真上だ。何回も何回も繰り返す。
 時折、口から空気を入れながら、ひたすら心臓の上を押す。
 神父さんが暖炉に火を入れ、薪をくべる。
 皆が息を殺すように見守る中、男の子の口から咽るようにして水が溢れてくる。息が戻る。
「心臓が動き出した!」
 アンドルー先生が叫ぶ。吐き出した水が気管に入らない様に、男の子を横に向ける。
「顔に血が戻ってきた。もう大丈夫だ」
 男の子がゆっくりと目を開ける。良かった。生きている。井戸に落ちたのは不幸なことだったけれど、アンドルー先生の往診日で本当に良かった。

 色々あったけれど、どうにか往診が終わった。寝たきりの老人がいる家庭や、高熱の子どもがいる家庭など、二十か所ぐらい回った。さすがに疲れた。
 夕方になって教会に戻ってみると、井戸に落ちた男の子はすっかり元気になっていた。もう一度、アンドルー先生の診察を受けて家に帰って行った。
「やっぱり、多くの人を助けることができるアンドルー先生は凄い!」
「そんなことはないです。セシィの薬があってこそ、病気や怪我が治せるのです。セシィも凄いです」
 アンドルー先生が褒めてくれる。
「そうだな。セシィは凄い」
 サイラスの大きな手が私の頭を撫ぜる。子ども扱いだけれど、褒めてもらえたので我慢する。
 荷物をまとめて馬に載せて、帰り支度が出来た。ようやく、長かった一日の仕事が終わった。
「旧領主館へ行って、セロン様の様子を確認してきてから帰ります。セシィたちは先に帰ってください」
「それなら、私も行く」
 ちゃんと食べているのか心配だから。

 セロンが住んでいると言う旧領主館の別館は、寒々としていた。秋が深くなってきている。昼間はまだ暖房を入れなくても我慢できるが、夕方になってくると、暖房が入っていない室内はとても寒い。セロンは、そんな寒々とした執務室の机の横に倒れていた。椅子から転げ落ちたらしい。
 アンドルー先生がセロンの首に手を当て熱を計る。
「凄い熱だ。サイラスとセシィに来て貰ってよかった。サイラス、セロンをベッドに運んでくれないか?」
 サイラスは、かなり大柄なセロンを背負いベッドまで運んだ。確かにアンドルー先生だけでは、セロンをベッドに運ぶのも苦労する。
「セシィ、解熱剤は持っているか?」
「もちろん。馬に載せたままだから取って来る。待ってて」
 馬小屋まで行き、馬の背に載せた鞄を取り外す。
 セロンの執務室に戻ると、サイラスが暖炉に火を入れていた。部屋が徐々に暖かくなっていく。
 アンドルー先生が水を飲ますと、セロンがぼんやりと目を開けた。
「セロン様、大丈夫ですか? 何がありましたか?」
「このままでは、凍死する領民が出る。薪がもっと必要だ。冬の間の食料も確保しなければ。せっかく戦争で生き残ったんだ。この領地に逃げてきた人を死なせたくない。私が領主代理である限り、飢えや寒さなどで領民を死なせやしない」
 うわ言のように苦しそうに呟くセロン。執務机の上には、王宮への支援嘆願書や、『王都の医師養成所卒』の医師が保証した薬を、薪や食料と交換してほしい旨の他領地の領主宛の書簡が、所狭しと置かれていた。
「食事はちゃんととっていましたか?」
「そんな事をしている暇はない」
「何てことを言うんです。セロン様が倒れたら、多くの命が失われることになるのですよ。とりあえず、今日は薬を飲んで寝てください。今夜は僕が付いています」
 アンドルー先生は、セロンに薬を飲ませると、毛布を被せた。しばらくすると、呼吸が楽になったらしく、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「セシィ、お願いがあります。セロン様を家入れて貰えませんか。このままここ放っておくと、また倒れてしまいそうです。この前のようなことは絶対にさせませんから」
 アンドルー先生に頭を下げられる。
「わかった。だけど、セロンの事許したわけではないから。この領地に人のためだからね」
 セロンはなんて世話の焼ける人なんだと思った。
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