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1.前世の記憶

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「貴女は私を裏切り、私が留守の時に間男を部屋に引き入れた。そして、その男に刺し殺された。皆はそう思うでしょうね」

 友人の結婚祝いに行くからと三日ほど家を空けると出ていった夫が、二日目の晩に帰ってきた。
 帽子を目深にかぶり外套を羽織ったまま、夫がバルコニーの掃き出し窓を叩いたので驚いて鍵を開けると、夫はそのまま部屋に入ってきた。
 様子がおかしいと思っていると、そう言って短剣を取り出した。
 迫ってくる銀色の刃。光る刃面には美しい顔に皮肉な笑みを浮かべている夫の顔が映っている。
 逃げなければいけない。そう思うのに体は動かない。自分の心臓の鼓動と荒い息だけが聞こえる。

 短剣が私の胸に突き立てられた。
 思った以上に大きい私の悲鳴が頭の中に響き渡る。
 最後に見たものは不敵に笑う美しい夫の顔。そして、目の前が真っ赤に染まる。



 私はゆっくりと目を開ける。小さい時から何度も見た夢。それでも慣れることはない。
 既に夜が明けているらしく、カーテンから光が漏れて私の顔に当たっている。あたりを見回すと、見馴れた自分の部屋だったので少し安心した。
 私は大きく息を繰り返した。額には汗が浮いているのがわかる。全身がだるくて身を起こせなかった。目を閉じると、私を殺した男の姿を思い出してしまいそうで、私は眩しいのを我慢しながら目を開けていた。

 私の名前はリタ。ソルヴェーグ子爵家の長女。今年で十六歳になる。兄と弟がいるので家を継がなくてもいいけれど、家同士の縁を繋ぐために嫁にいかなくてはならない。でも、繰り返し見る悪夢のせいで私は結婚に恐怖を感じていた。
 夢の中の夫は私に不義の罪を着せて殺した。現実の夫がそんなことしないとは断言できない。

 私には前世の記憶がある。

 かつての私はシェーンベルク侯爵の一人娘エディトであった。商業や貿易を担う産業局の局長の娘であったエディトは、父から商業や経済についてみっちりと教えられていた。家を継ぐのは婿養子となるエディトの未来の夫だが、実務は彼女が取り仕切ることができるぐらいにはなっていた。
 そんなエディトが十六歳の時に初恋を経験する。

 エディトは父であるシェーンベルク侯爵と共に関税の話し合いのために隣国へ赴くことが決まり、大国ブランデスの騎士団を束ねるハルフォーフ将軍と、彼が率いる精鋭部隊が護衛として同行することになった。
 現在は存在しないその国とブランデスは度々交戦しており、平和条約を結んでいるとはいえ、いつ反故にされ開戦することになるかわからない状況であったからだ。

 王宮の経済局を訪れたハルフォーフ将軍は、シェーンベルク侯爵と共に娘のエディトも隣国へ行くことになったと聞いて、顔を曇らせた。
「失礼だが、エディト嬢はまだ十六歳。危険な旅に同行させるのはいかがなものか?」
 ハルフォーフ将軍はエディトを心配してそう言ったのは理解できるが、それでも彼女は馬鹿にされたと思い、偉大な将軍を睨みつけた。
「私はシェーンベルク家唯一の跡継ぎです。騎士の方ならば女性は男性と同じように戦えないかもしれませんが、我が家が担うのは産業振興や貿易なのです。それらを学ぶのに男女の違いはないと考えております。また、文官である父と私の強さにそれほどの違いはありません。どのみち、将軍閣下に護衛していただかなければ、父だって生きて戻ることは難しいでしょう。ハルフォーフ将軍閣下は、私のような小娘を護衛するのはご不満ですか?」
 エディトの言葉は、シェーンベルク侯爵の顔が青くなるぐらいの挑発だった。しかし、厳ついハルフォーフ将軍の顔に笑みが浮かぶ。

「一つ訂正してもいいか。我が妻はそんじゃそこらの男よりも強い。かつては戦場を駆ける戦乙女と呼ばれていた。騎士でさえ、性差など個人差を上回るものではない。エディト嬢、貴女の護衛、喜んで引き受けよう」
 ハルフォーフ将軍の言葉はエディトが欲しかったもの。女には無理と馬鹿にされながら肩肘を張って生きてきたエディトの心を、暖かい日差しのように溶かしていった。
「ハルフォーフ将軍閣下、娘が失礼をことを。真に申し訳ない」
 シェーンベルク侯爵が頭を下げるが、ハルフォーフ将軍は首を振る。
「いいお嬢さんだ。シェーンベルク侯爵家も安泰だな。我が家には息子しかいないから、うらやましい」
 十六歳のエディトの倍ほどの年齢のハルフォーフ将軍。体は大きくて顔は厳つい。しかし、彼の笑顔は少年のように輝いて見えた。


 そして、隣国へ出発する日がやって来る。
 王宮門前の広場には真っ白な甲冑に身を包んだハルフォーフ将軍が、騎乗した精鋭部隊五十名と共に待ち構えていた。
 シェーンベルク侯爵父娘が乗った馬車が広場に着くと、一人の女性と幼い兄弟が近づいて来る。
 エディトを側で護衛するため、ハルフォーフ将軍夫人も同行することになった。三歳の長男ディルクと一歳の次男ツェーザルも一緒だ。
「エディトじょうはぼくがまもるから。あんしんして」
 やっと歩き始めた弟のツェーザルの手を引いたディルクは、そう言って優しそうにエディトに笑いかける。エディトはそのあまりの可愛らしさに頬に手を当てて微笑んだ。

 隣国への旅はとても順調だった。
 戦乙女と呼ばれるほど強いというハルフォーフ将軍夫人は、女性としては背が高く騎士服がとても似合っているが、動作も優雅で威圧感があるわけではない。横に座っているエディトが、ハルフォーフ将軍夫妻の仲の良さをからかうと、夫人は真っ赤な顔で俯く。
 向かいに座るディルクはとてもいい子で、たまに抱かせてもらうツェーザルは天使のように可愛かった。
 エディトは旅を堪能していた。
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