押し付けられた婚約

鈴元 香奈

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押し付けられた婚約

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 馬車が急に止まる。乗っていた子爵令嬢のエルゼは前のめりになり、侍女が慌てて座席から落ちないように支えた。
「何があったのですか?」
 緊急なことが起こったのかとエルゼは御者に問うと、
「お嬢様、申し訳ありません。騎士見習いらしい少年が、犬を助けようとして飛び出してきたのです」
 御者の言葉を聞いたエルゼは、慌てて窓の外を見た。道路脇には子犬を抱えた金髪の少年が倒れている。

「大丈夫ですか?」
 もし大怪我をしていたらどうしようと思って心配したエルゼだったが、少年は犬を抱いたまま立ち上がった。その様子を見て安心したエルゼは大きく息をした。
「僕は大丈夫だけど、この犬が……」
 少年の騎士服は所々破れて血が滲んでいた。しかし、犬に怪我は見当たらない。
「犬は無事のように見えますが」
 不思議に思いエルゼが首を傾げる。
「かなり痩せていて、可哀想なぐらいだ。まだ小さいから放っておけば死んでしまうかもしれない。僕が面倒を見たいけど、母上は犬が嫌いだから……」
 少年は唇を噛みながら悔しそうにしている。その姿はとても可愛らしいとエルゼは思った。

「すぐ近くですので我が家までいらっしゃいませんか。よろしければ、山羊の乳ぐらいなら差し上げます。それほど広くはありませんが庭もあるので、犬を飼うことは可能だと思いますよ」
 エルゼが微笑みながらそう言うと、少年は顔を上げてエルゼを見た。
「本当にいいの?」
 少年は嬉しそうにエルゼを見上げる。エルゼは微笑みながら頷いた。

「貴方は怪我をしているわ。馬に乗ることができますか? よろしければ馬車に乗っていきませんか?」
 少年が道路の脇で草を喰んでいた馬の方へ向かったので、エルゼは慌てて訊いた。
「これぐらいの傷は慣れているから。でも、この子犬が……」
 少年は騎士見習いである。子犬を抱えて片手で手綱を操作することは可能だが、痩せて震えている犬にあまり負担をかけたくはない。しかし、子犬はかなり汚れていたので、馬車に乗せてほしいと少年は言い出せないでいた。
 エルゼは少年の思いを正確に汲み取った。
「馬車の床に乗せてあげてくれる。本当は抱いてあげたいけれど、ドレスを汚すと侍女に迷惑をかけてしまうから」
 エルゼが馬車の扉を開けると、少年は嬉しそうに空いた床に子犬を寝かせた。
「僕はマリオンです。貴女のお名前を聞かせていただけますか?」
 マリオンは精一杯背伸びをして、騎士のように微笑みながらエルゼに訊いた。その様子があまりに可愛らしいので、エルゼも微笑んだ。
「私はエルゼ・アスムスと申します。よろしくね。小さな騎士様」
 エルゼが手を差し出すと、マリオンは顔を染めながらその手を取り、口づけを落とす真似をした。



 エルゼの父であるアスムス子爵は司法局に勤める文官であり、領地は持っていない。そのため、家族全員で王都の屋敷に住んでいる。爵位は高くはないが、屋敷は決して小さくはなかった。
 庭には山羊が三匹放牧されていた。つがいとその子らしい山羊たちはとても仲良く草を喰んでいる。
「乳児院に乳を届けるために飼っているの」
 それは、山羊の乳ならば赤ちゃんに飲ませても大丈夫と本で読んだエルゼのわがままから始まった。厩舎の隣に山羊小屋が作られ、庭の半分は手入れされずに雑草が生えている。
 マリオンはここならば犬が一匹増えてもどうってことはないと安心しながら、子犬を馬車から降ろした。

 侍女が木の器に入った水で薄めた山羊の乳を持ってくると、エルゼが子犬の前に器を置いた。震えて横になっていた子犬がよろよろと立ち上がると小さな舌を伸ばして乳を飲み始める。
「可愛いわ。たくさん飲んで大きくなってね」
 エルゼが子犬の頭を撫でていると、マリオンは嬉しそうにその様子を見ていた。
「本当に可愛いよね」
 マリオンも子犬の体を撫でていると、エルゼの手と触れ合う。顔を真っ赤にして慌てて手を引くマリオンに、集まってきた侍女全員が可愛いと呟いたが、マリオンは子犬のことだと思っていた。



 それから半年間、マリオンは騎士訓練所からの帰りにはアスムス子爵邸の庭に立ち寄り、エルゼと共にギーナと名付けられた子犬と遊ぶのを日課としていた。
 子犬だったギーナは毛並みも艷やかな中型犬となり、山羊の親子と随分と仲良くなって、庭を一緒に走り回っている。時には庭を抜け出そうとする仔山羊を連れ戻したり、夕方には山羊小屋へ誘導したりしていた。

 ある日のこと、エルゼは男性を伴って庭にやってきた。
「私の婚約者のヘルムート・グローマンよ。こちらはマリオン。ギーナを助けてくれた小さな騎士様なの」
 エルゼよりかなり年上のヘルムートは、金髪碧眼の天使のような容姿を持つマリオンを胡散臭げに見ていた。
「エルゼ、こんな子どもといつまでも遊んでいてはいけないよ。君はもうすぐ私の妻になり、将来は伯爵夫人になるのだから」
 エルゼを諌めるようにそう言うヘルムートを、マリオンは不機嫌そうな表情で見上げた。
「僕はもう十三歳だ。子どもではない」
「二十五歳の私から見れば、十分に子どもだけどね」
 そうヘルムートに言われて、悔しそうに顔をしかめるマリオンだった。

「あの、ヘルムート様、結婚の時に犬のギーナを連れて行ってもいいでしょうか?」
 できれば結婚後もギーナを可愛がりたいし、弟のように思っているマリオンとも仲良くしたいと思ってしまうエルゼだった。
「屋敷の中で飼う愛玩用の小型犬でもなく、番犬にするような大型犬でもない。ただの雑種みたいだな。犬を飼いたいのなら、こんな駄犬ではなくて伯爵家に相応しい犬種を選ぼう。その犬は悪いけどアスムス家で面倒を見てもらってくれ。それでは私はもう帰るから」
 ヘルムートはギーナに全く興味が無いのか、足早に馬車止めまで歩いて行った。

「エルゼさんには婚約者がいたんだ。ギーナを駄犬だというような奴のことを好きなのか?」
 子ども扱いされたことが悔しいのか、マリオンの声にはどこかすねた響きがあった。
「彼は大人だから頼りになるの。私が子どもっぽいのがいけないのよ。ギーナは侍女に預けるから大丈夫よ。マリオンさんも今までと同じように庭に入ってもらえるように伝えておくわ。安心して」
 エルゼがそう言っても、マリオンは辛そうにしながら返事をしなかった。
 その日以来、マリオンがアスムス子爵家の庭を訪れることはなかった。



 それから一ヶ月ほどが経った。やって来ないマリオンに寂しい思いをしていたエリゼは、父のアスムス子爵と共に本家筋に当たる司法局長のウェラー侯爵から呼び出された。
 ウェラー侯爵邸の応接室に通されると、そこには婚約者のヘルムートが既に座っていた。にこやかな顔をしたウェラー侯爵から椅子を勧められ、アスムス子爵とエルゼも腰を下ろす。
 
「エルゼ嬢とヘルムート君の婚約を解消してもらえないか」
 エルゼが座るなり、ウェラー侯爵がそう言った。既に聞いていたらしいヘルムートは驚くことはなかったが、アスムス子爵親子の驚きは大変なものである。
「ウェラー卿、娘はもう十八歳になっております。婚約解消されてしまうと、結婚もままなりません」
 国の司法を一手に担う侯爵家の当主であり、司法局長でもあるウェラー侯爵に逆らうことは、一族の傍系であるアスムス子爵には難しいことであった。しかし、娘のためを思うと、唯々諾々と受け入れることはできない。
「エルゼ嬢の年齢はわかっている。代わりの婚約話を紹介するから安心してくれ。ヘルムート君には既に了承をもらったので、どうか同意してくれ」
 エルゼは驚いてヘルムートを見る。

「エルゼ、本当に済まない。私との婚約はなかったことにしてくれ。君にはもっと相応しい男がいると思う」
 済まなさそうにそう言うヘルムートを見て、彼も辛いのだとエルゼは感じていた。上司であるウェラー侯爵には逆らうことができないので、婚約解消を不承不承受けたのだと思ったのだ。
 婚約相手のヘルムートが婚約解消を受けた以上、エルゼが了承しないと彼や父に迷惑をかけるだけだ。
「わかりました。ヘルムート様との婚約解消に応じます。私のような不束な女を今まで婚約者として扱っていただきありがとうございます」
 そう言ってエルゼが頭を下げると、ヘルムートは居心地が悪そうな様子で部屋を出ていった。


「新しい婚約者なのだが、武のハルフォーフ家の四男なのだ。国を救った英雄の弟で、元財務局長の不祥事を暴いた功労者でもある。その功に報いるため新たに子爵位と領地が与えられることになり、荒れた領地の復興のため、婚約者と領地に赴きたいとのことだ。山羊や犬の飼育に熱心なエルゼ嬢ならば、田舎の生活にも耐えられるのではないかと思うのだが、どうだろう?」
 疑問形ではあるが、ウェラー侯爵の言葉に異を唱えられる雰囲気ではない。エルザは頷くしかなかった。
「それではハルフォーフ家にはそう返事をしておこう」
 ウェラー侯爵はかなり機嫌よく立ち上がり、部屋を出ていくアスムス子爵親子を見送った。エルゼは婚約解消が衝撃すぎてウェラー侯爵の話をほとんど聞いていない。新たな婚約者候補はまだ十三歳の少年だということしかわからなかった。


 馬車置き場までやって来たエルゼは、グローマン家の馬車がまだ停まっているのを見てヘルムートを探した。すると、庭の方へ向かう彼を発見する。エルゼは五年も婚約者として過ごしたヘルムートに最後の挨拶ぐらいはしたいと思い、父に断りを入れてヘルムートの後を追った。
 
 庭には一人の令嬢が佇んでいた。社交界へデビューしたばかりのウェラー侯爵の末娘アマーリアである。
「婚約解消は上手くいった?」
 まだ十五歳ではあるが美しいと社交界で評判のアマーリアは、潤んだ目でヘルムートを見上げる。
「ああ、問題なく了承してもらえた。元々政略的な結婚だったから、相手が誰でもエルゼにとっては変わらないだろう。子爵夫人になるので格は落ちるけどね」
 ヘルムートの言葉を聞いたエルゼは、足元の地面が柔らかくなっていく錯覚に陥った。血を濃くして本家の血が途絶えた時に備えるという意味合いが強い政略的な婚約であったけれど、エルゼは七歳上のヘルムートを頼りがいのある好ましい男性だと思っていた。しかし、彼はそうではなかったようだ。

「私は、結婚相手が誰でもいいなんてとても思えないわ。だから、ヘルムート様と結婚したいとお父様にねだったの」
 実はハルフォーフ家の四男との婚約は、アマーリアへの打診だった。それを嫌がったアマーリアのために、ウェラー侯爵は代わりにエルゼを婚約者に仕立て上げようとしていた。
「私だって、若くて侯爵令嬢の君と結婚できるようになって嬉しいよ。一生大切にするから」
 エルゼさえヘルムートより七歳下である。それなのに若い方がいいというヘルムートに、エルゼの恋心は粉々に壊れ散ってしまった。もう挨拶さえしたくないと思ったエリゼは、そっとその場を後にして馬車に戻った。




「母上、どうしたのですが?」
 大国ブランデスの守護神であるハルフォーフ将軍ディルクが、様子がおかしい母親に訳を聞いた。戦乙女として名を馳せた母は、先の戦争で命を落とした先代ハルフォーフ将軍よりも息子たちを厳しく鍛え、長男のディルクなどは、闘神や破壊神、武神と恐れられている今なお母親を苦手としていた。そんな母親が珍しく落ち込んでいる。
「マリオンとの婚約を打診した令嬢が他の男性と婚約したとの知らせがあったの。それはいいのよ。でもね、親戚筋の十八歳の女性を代わりに推薦してきたの」
「マリオンより五歳も上なのですか。それはさすがに年が違いすぎませんか?」
 ディルクが十歳下の末弟を可愛がっていることは、家族全員知っていた。そして、初恋の女性と結婚をした今となっては、弟に政略的な結婚を許さないだろうと母は思っていた。
 現在のハルフォーフ侯爵家当主はディルクである。彼が認めない婚約が調うことはない。
 
 母も末の息子に愛のない結婚を望んでいるわけではない。ただ、幸せになってもらいたいと思ってはいる。

 ハルフォーフ家には四人の男子がいるが、賜っているのは侯爵位と伯爵位、そして、子爵位しかなく、末の息子に爵位を与えることができないと母は悩んでした。そんな中、元財務局長の不祥事によりシュニッツラー侯爵家取り潰しと、領地の解体があり、国への貢献が著しいハルフォーフ家にも新たな子爵位を与えられることになった。
 その領地は広大だった旧シュニッツラー侯爵領でも貧しい地域で、シュニッツラー侯爵も夫人も放っていたので随分と荒れていた。母はマリオンに子爵位を継がせ、領主として当地の再生を目指して欲しいと思っている。そのためには年上のしっかりした婚約者が必要だと感じていた。そして、社交界へデビューしたばかりにも拘らず、美しくて聡明だと噂の令嬢に打診してみたのだ。


「一度会わすだけでもしてみようかなと思うのだけど」
「でも、マリオンが嫌がればちゃんと断ってくださいよ」
 母親の言葉に眉をひそめるが、強く反対はできないディルクだった。
「わかっているわよ。でも、相手の女性は侯爵家の意向でそれまでの婚約を解消したみたいで。こちらから断ったら、もう結婚できないかもしれないわね」
「それは気の毒だとは思うけど、マリオンに望まぬ結婚を強いることはできない。新しい爵位は僕がしばらく預かって、領地にも僕が行ってもいいよ。もちろん、妻のリーナは連れて行くどね」
 初恋の女性と紆余曲折を経て結婚したディルクだが、娘が欲しかった母親に取られることが多くて、二人だけで件の領地へ行ってもいいかと思い始めていた。

「将軍であるお前が行けば一番楽に領地を改革できると思うけれど、ディルクが赴いて平和になった領地をマリオンに渡して、あの子が納得するかどうか」
 ディルクには三人の弟がいるが、マリオンだけが戦場に行かなかった。彼がまだ幼かったことと、最悪の場合でもハルフォーフ家の血を残すためだったが、マリオンはそのことを悔いている。そして、彼が早く大人として認められたいと思っていることは、母もディルクも感じていた。
「会ってみるぐらいはしてもいいかもしれないけど」
 しかし、十八歳の女性が五歳も年下の少年との婚約を了承するとは思えないディルクだった。よしんば、婚約を受けたとしても、貧しい領地で幼い弟を支えてくれるとは思えなかった。


 
 エルゼはギーナの散歩のため公園を訪れても気持ちは沈んだままだった。
 婚約を解消するまでは世界は輝きに満ちていたのに、今は色が抜け落ちたように灰色になってしまった。エルゼの大好きな花を見ても、気分が浮き立つことはない。
 いつものように侍女と護衛を連れての散歩だったが、エルゼはギーナに引っ張られて惰性で歩いているだけだった。

「あの方をそんなに愛していたのですか?」
 同行している侍女の言うあの方とは、もちろんヘルムートのことである。
「まさか、ただの政略だったのよ」
 若い方がいいと言ったヘルムートを、少しでも好きだったことをエルゼは後悔している。今更何の未練もないのは本当だった。
 エルゼが心配しているのは、十三歳の少年が五歳も上の女性と結婚したいと思うだろうかということである。十八歳で婚約解消されて、新たな婚約話も断られることになったら、今度は年の離れた男性の後妻になるしかないとエルゼは思いつめていた。


 エルゼは沈鬱な表情でぼんやりと公園を歩いていた。いつもは護衛しやすいように気をつけながら歩いているが、そんなことを失念するぐらいエルゼは思い悩んでいた。
「痛いな! 腕が折れたかもしれない」
 そんなエルゼが大柄な男にぶつかった。もちろん大した衝撃は与えていない。服を着崩した男の太い腕が折れるほどぶつかっていれば、小柄なエリゼは大怪我をしているはずである。しかし、男は腕を押さえて痛がっている。
「大丈夫ですか?」
 普段なら用心するはずが不用意に近づくエルゼ。本当に彼女の頭は回っていなかった。
「お前が相手してくれたら治るかも」
 そう言ってエルゼの腰に手を回す男を、剣を抜いた護衛が止めようとする。ギーナも吠えて威嚇する。

「俺はぶつかられた被害者なのに、剣で脅そうというのか。そんなことをすると、このお嬢様の腰が折れるかもよ」
 そう言われた護衛は近づくことはできない。逆に護衛に近づいた男はその太い腕で護衛の顎を殴りつけた。悶絶する護衛。侍女は顔を青くして座り込んでしまった。
 調子に乗った男は吠え立てるギーナを蹴り上げた。
「キャ、キャン!」
 ギーナは驚いて公園を走り去ってしまった。
 
「離してください。騎士様を呼びますよ」
 男の所業に驚いたエルゼは、もがきながら男の腕から逃れようとしたが、太い腕はびくともしなかった。
「俺はお嬢さんに詫てもらいたいだけなんだ。あの護衛のためにもっと腕が痛くなったしな」
 護衛を殴った腕を振りながら男はそう言った。
「腕は折れているようには見えませんが」
 エルゼはあれほどの勢いで殴っておいて、痛いとはよく言うと思っていた。それよりも護衛や侍女のことが気になる。ギーナだけでも逃げてくれたので、それは良かったとエルゼは思っていた。
「でも、とっても痛いんだよ。お嬢さんにぶつかられたから」
 男はエルゼを抱えたまま歩き出そうとしていた。


 驚いて逃げ出してしまったギーナは、慣れた匂いを嗅いで顔を上げた。そこにはマリオンがぼんやり立っている。ギーナはマリオンのズボンを噛んで引っ張り、エルゼのところへ連れて行こうとする。
 久しぶりに会ったギーナの様子がおかしいので、マリオンは馬に飛び乗り迷わず後を追った。
 疾走するギーナ。後を追うマリオンも負けてはいない。
 すぐにマリオンは、人気のない公園の小道をエルゼを抱えたまま歩いている大柄な男を見つけた。


「待て! エルゼさんを離せ」
 馬を飛び降りたマリオンが声を張り上げて男を止めようとする。
「マリオンさん、危険だわ。逃げて」
 騎士見習いとはいえ、マリオンは天使のような容姿の少年である。大柄な男と闘えるとエルゼにはとても思えなかった。
「逃がすかよ!」
 騎士見習いの服を着たマリオンを逃がせば、本職の騎士がやって来て面倒になると思った男はマリオンに迫る。
 マリオンも男の方に走りながら、男の腕をかいくぐり、腕を掴んで逆にひねり上げた。

「うぉー!」
 獣のような悲鳴を上げた男は、エルゼを放り出し関節の外れた腕を手で押さえている。マリオンはエルゼを抱き止めながら、剣を抜いて男の喉元に突きつけた。
「僕は騎士見習いだけど、緊急時の捕縛権は認められている。暴行、誘拐容疑で騎士詰め所までついてこい。従わなければこのまま喉を刺してもかまわないぞ」
 マリオンが美しい顔に精一杯の力を込めて睨むと、男は観念したように首を振った。
 エルゼを地に降ろしたマリオンは、縄を出して器用に男を後手に縛りあげた。

「エルゼさん、無事ですか!」
 気遣わしそうにエルセを見つめるマリオン。
「私は平気です。本当にありがとうございました」
 エルゼはマリオンの顔を見て、ほっとしたように笑顔を見せた。
 その後、騎士詰め所から騎士がやって来て護衛と侍女は馬車でアスムス子爵邸へ送り帰されることになった。
 エリゼはマリオンの馬で騎士詰め所へ行く。被害の状況を証言しなくてはならないからだ。
 
「最近、我が家へ来てくれないですよね。ギーナも寂しがっていますよ」
 ゆっくりと進む馬の上で、エルゼはマリオンに訊いてみた。後からついてくるギーナも頷いているように見える。
「だって、エルゼさんが結婚してしまうと思うと、辛かったから」
 マリオンにとって、エルゼは初恋の人であった。そのことに気づいたのはヘルムートに出会った時である。十三歳の騎士見習いでは大人のヘルムートに対抗できるはずもなく、逃げるしか道はなかった。

「それが、ヘルムート様との婚約は解消されてしまったの。次のお話をいただいているのだけれど、断られてしまうと思うわ」
 エルゼの表情は浮かない。弟のように思っていたマリオンだったが、助けに来てくれた彼が思いの外格好良くて戸惑ってる。そして、新たな婚約候補に断られると苦境に立たされるとはわかっていたが、見知らぬ少年と結婚することに抵抗を覚えてしまっていた。
「それなら、僕と婚約しよう。僕の兄様はとても強いんだ。僕だってすぐに兄様みたいな強い騎士になる。正騎士になったら結婚だって認められるから、三年ぐらい待ってくれたら結婚できる。領地も子爵位も得ることができそうなんだ。そうなれば、アスムス子爵殿だって認めてくれるはずだ」
 機を逸するつもりのないマリオンは一気にまくしたてた。
「それは嬉しいかも。マリオンさんは今でも十分強い騎士様だから」
 エルゼはマリオンの妻になることができるのは嬉しいと感じた。今は少年の彼の成長を側で見守りたいと思い始めていた。
「それならば、うちへ来て。ディルク兄様は優しいので応援してくれるはずだ。問題は母様だけど、何とかなると思う」

 騎士詰め所で証言をしたエルゼは、その後マリオンに連れられてハルフォーフ家を訪れ、新たな婚約候補がマリオンだと気づき大層驚いた。


 二人の婚約は順調に調い、マリオンはペーターゼン子爵となった。ハルフォーフ将軍率いる精鋭部隊を護衛として、新たに賜ったペーターゼン子爵領へ赴く二人の乗る馬車には、ギーナが同乗していた。
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感想 3

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みんなの感想(3件)

yumeji
2018.07.23 yumeji

いつの間にかマリオン君のお話が。短編だけど二人が幸せそうで安心しました。

2018.07.23 鈴元 香奈

感想ありがとうございます。

他の兄弟のもございますので、よろしければ読んでみてください。

次男ツェーザルの物語「前世でイケメン夫に殺されました」
三男ヴァルターの物語「初恋を探して」(他の兄弟のを既読推奨)

解除
レン
2018.05.27 レン

二人が幸せになれそうでよかったです。
ウェラー候爵やヘルムート、アマーリアへのざまあはないのでしょうか。
愛し合うっていたわけではなくても娘可愛さに取り消しさせてるので評判を落とすとか、なにかあればと思いました。

2018.05.27 鈴元 香奈

感想ありがとうございます。

アマーリアは、口うるさいロリコン男との結婚がざまぁかなと思います。
ヘルムートにはわがまま女との結婚ですね。上司の娘だから気を使わなくてはならないので、将来はストレスでハゲると思います。
この家庭、絶対にうまくいかないと思うのです。

ウェラー候爵は、強大な軍事力を誇るハルフォーフ家に睨まれることです。
国の英雄に嫌われたら、ちょっと大変かもしれません。

解除
いど
2018.05.26 いど

いつも楽しい話を有難うございます。

これで終わりにするのでなく是非とも
後日譚やふたりの婚約時代の話なども知りたいと思います。

2018.05.27 鈴元 香奈

感想ありがとうございます。

三男の話も考えておりまして、そちらで再登場させようかなと思っております。
読んでいただければ嬉しいです。

解除

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