異世界転生した妹がワンダーウーマンみたいなマッスルボディになって帰ってきたよ

スーパーマンで世界1位に勝ったライター

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第二章:彼は如何にしてワンダーウーマンみたいなマッスルボディに兄としての強さを見せつけたか

はじめてのvs異世界

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【二】

『あなた達に言われた通りに誘導している。もう15分ほどしたら、魔獣がそこに到着する』

「わかった。ありがとう」

 志紀の出した「戦うのにちょうどよいスペースはあるか」という要望に見合う場所として、いつもトレーニングに使う裏山に来た。
 澄んだ空気。広葉樹が次々に重なって作る木陰が、冬の肌寒い気候でも内なる火を鎮める、心地よい冷たさをくれる。
 街中にいるよりは自然に囲まれている方が元の生活に近いのか、進藤志紀は落ち着いていた。

「たしかにここなら魔獣と戦うのに良さそうね」
「だろ? なんでもできるようにしてあるんだ」

 家よりも長い時間を過ごしている場所がここだ。
 ここで毎日毎日、体を限界まで傷つけ、倒れる寸前のところをゾンビのように生きていく。
 図らずも、妹に家より先に、今の自分にとっての家を紹介したことになるのだろう。

「ここでずっと修行を?」
「まあ……あちこち行っていたこともあるけど、今はな」
「こんなところでひとりで?」
「ひとりは好きだ」
「友達がいないのなら、なんとしてでもあの三森茜と仲直りしましょうね」

 深刻な顔で志紀が進言してくる。

「い、いいだろ!! 他にも友達はいる!!」

 嘘である。
 三森茜が唯一の友達だ。
 そして、今はそれもいなくなってしまった。

「あっ」

 友達がいない相手に友達がいないことを言及するとムキになる。
 そのことに思い当たった志紀は、慌てて誤魔化した。

「べっ……べつにいいのよ。友達は量ではなく質だから。私はいればいるだけ良いと思うタイプだけど、あなたはきっと違うんでしょうね」
「いやっ、俺も……友達は多い方が良い気もしなくもないが……!」

 改めて己の友達観をまとめようとすると、形にならない。
 両手を開閉してなんとか言おうとするのを、女戦士が優しく励ました。

「こういうのは各々のペースがあるから、ゆっくりやりましょう」

 妹に歳上らしく諭されてしまう。
 当然のことではあるのだが、どうにも屈辱だ。
 ついムキになって話を盛ってしまったのが馬鹿みたいである。

 友達なんてほとんどいない人生を少年は送ってきた。
 いつも修行修行で、人付き合いを疎かにしてしまってきた。
 それに後悔はないはずだったのに、妹に突かれてしまうとどうにもバツが悪い。
 妹は普通に友達がいたらしいことを考えるとなおさらだ。

「とにかく絶対に三森茜と仲直りすればいいから」
「ヤケにこだわるな……」
「当然でしょう。友達との別れは一生の後悔になるわ。わたしは人生の先輩だからわかるの」

 進藤蓮の目をじっと見ながら志紀が言う。
 兄を見ているようであって、その先の遠い時代を見ている表情だった。
 深い悲しみが宿っていた。
 魔王との戦いを繰り広げてきたのだ。大切な人との別れはいくらでもあるだろう。

 ともかく、三森の他に友達がいるかをもっと探られると終わりだ。
 咳払いして強引に話題を変え、これからの戦いのことを妹に尋ねた。

「お前に言われた通りにここに誘導してもらったが、大丈夫なんだな。向こうの化け物のことはまだ詳しくないから、お前が頼りだ」
「ごめんなさい。少しだけ面倒なことを言わせてほしいの」

 褐色の肌と抜群に優れたスタイルで、ホットパンツとラフなシャツを着こなした志紀が告げる。
 服屋で彼女自身が選んだものは森での行動には適していない。
 なので兄が用意した、動きやすさを重視した服装にした。
 意識していないと絶世の美女と会話をしているだけの気分になり、進藤は気後れしてしまう。
 こんな美女、進藤蓮の人生では概念すらなかった。

 そんな彼女が人差し指を立てる。

「“異世界”という名称は、できればやめてほしいわ」
「ああ……」

 蓮は今まで思い当たっていなかった考えに至って、声を出した。
 妹を転生という形で連れ去ったことから、蓮は異世界に良い感情を持っていない。
 むしろ、悪感情を持っていると言ってすら良かった。
 だが、進藤志紀にとっては、まがりなりにもずっといた世界なのだ。
 彼女にとっては異世界こそが故郷と言って良いだろう。

「悪かった。お前がいた世界の名前は?」
「ジャヒムって呼ばれていたの」

 呼ばれていた……。
 若干引っかかる言い方だった。

「星の名前か? それとも大陸の名前?」
 国の名前は違ったはずだ。
「とにかくそう呼ばれていたから、貴方もそう呼んでくれたら嬉しいかな」

 約十年、志紀の視点ではおよそ二十年の時を過ごした世界、ジャヒム。
 その名前を口にする志紀の横顔は、穏やかと言いきるには深い悲しみがあった。
 彼女がどんなことを経験してきたのか、平和な世界で安穏と生きてきた蓮には知りようがない。

「無理にとは言わないが、向こうでの思い出を聞いていいか?」

 魔獣が来るまで約10分。
 もう準備もできているが、じっとしていると興奮で変なことをしてしまいそうだ。
 少しだけ突っ込んだ話をしてみた。

「んんっ」

 妹の心情に配慮した言い回しで尋ねてみるが、志紀の反応は芳しくない。
 普通ならもっと時間を置いてから訊くべきなのだろうが、明るく楽しそうに振る舞っている志紀を見て、今なら訊いても問題ないと判断したのだ。
 しかし、志紀は顔を顰めて黙ってしまう。

 友人や親しい相手を作っていたとしても、何十年も戦い、別れが当たり前、毎日が殺し合いをしてきた生活となれば、思い出というもの自体がデリケートなのか。
 戦いの日々、物騒な日々というのは進藤も修行の名目で似たようなことをしてはいたが、帰る家があってのものだ。
 彼女が向こうでの思い出をこちらに語るようになるには、まだ時間がかかるだろう。

「……話せる時で良いから、いつか教えてもらえると嬉しい。もちろん、話したくないならそのままでも問題ないからな」
「ごめんね。気を遣わせてしまってばかり」
「べつに普通だろ」

 昼過ぎの暑さのピーク。
 学校では、そろそろ授業が終わる頃合いだ。
 三森茜も進藤蓮も、あそこに戻ることがあるのかどうか。
 人生の一大転機はいつも突然に来る。

「きょっ、きょっ……兄妹なんだし」

 かなり遅れて、やっとの思いでその言葉を吐き出した。
 短い文章なのに、喉を通って口から転がり落ちるまで、錆びた車輪を動かす自転車のように軋んだ。
 ほぼセンテンスとして成立していないせいで、志紀も不思議そうに首を傾げた。
 ややあって、進藤蓮の言わんとしたことを理解し、顔を真っ赤に染めて俯いた。
 彼女は意外と照れ屋さんなのかもしれない。

「ちょっと! いきなりそういうこと言うのやめて」
「悪かった」
「謝ってほしいわけじゃなくて……」

 あうあうして困り果ててしまったようだ。
 妹の反応を見ているだけで、こっちも顔が熱くなってきた。
 手で自分の顔を扇ぐ。
 なんとも締まらない流れだ。

 色々な混乱が過ぎ去ってからようやくまともにこれからのことを考え、行動する余地ができた。
 だというのに、至らないことがある後悔だけは雪だるま式に膨れ上がり、全身を固めてしまう。
 少なくとも、今の自分には力がある。

 これから来るという魔獣との戦いに向けて、進藤蓮はもう一度ウォーミングアップをしていた。
 ボロボロの体はまだ癒えきっていないが、傷んだ筋繊維を辛抱強く丁寧にほぐせば気休めにはなる。

「本当に貴方も戦うの?」
「当たり前だろ」

 心外だと言わんばかりに兄が両手を広げる。

「頑張ってきたのは認めるけど、無茶すぎないかしら。わたしだけでは貴方を守りきれないかもしれないし、せめて物陰で待っててくれる?」

 はっきりと「足手纏い」と言いたいのがわかる。
 戦いが迫っていると、志紀の横顔が引き締まり、英雄としての色が濃くなっていく。
 民間人を側に置くなど愚の骨頂と考えているはずだ。
 たしかに彼女の思考は正しいだろうとは蓮も自覚している。

 魔獣との戦いは、現実のチンピラや軍人と戦うのとはまるで違う。
 銃を持った相手と戦ったことは何度もあるが、それはしょせん対人戦だ。
 もっとも、異世界の魔獣には通用しないのが事実だろうと、引き下がる気も彼にはない。

「自分の身は守れる。それくらいは鍛えた」

 ついに魔獣をこの手でぶちのめせると思うと武者震いが止まらない。
 戦いの結果として死のうが生きようが、底知れない興奮が少年を突き動かしている。

「それはあくまでこの世界レベルの危険から身を守るものでしょう。ボトルネック──戦いの妨げがあったら共倒れもありえるわ」

 実戦経験で言えば自分は志紀の足元にも及ばないだろうことは理解している。
 とはいえ、確かめもせずに足手纏いと断言するのは如何なものか。
 500円玉への突きという演舞はともかく、三森を追い払ったのはどう考えているんだ。

「硬貨にしたことは凄いけれども、それで強さはわからないし、幼馴染さんと戦ったのも残念ながら見られなかった」
「じゃあ体験してみろよ。それから決めてみろ」
「それにね。さっきからニヤニヤが凄いけれど……魔獣とのバトルは遊びじゃないのよ」
「えっ」

 口元に手をやると、唇が耳まで裂けそうなくらいに深い笑みを浮かべていた。
 その上で、今の少年は目が爛々と暗く輝いている。
 どう見ても悦びに狂った精神異常者だ。

「とにかく、今からわたし直々に試してみるけど、この一閃で思い知ったら後ろにいてもらうわ。これだけは聞いてもらいます。あなたを守るためなんですからね」

 教師が聞き分けのない生徒に言い聞かせるように、丁寧な口調だ。

「やってみろよ。英雄にしては無駄口が多いぞ」

 まるでこちらを評価しないことにムッとしてつい挑発してしまった。
 だが無力な少年が何を言っても通じるわけはない。

 無言の志紀が手首のスナップだけで、巨大な戦斧を持ち上げた。
 何処からその武器を取り出したのか、蓮にはわからないが、これも異世界――ジャヒムの技術かなにかなのだろう。

 志紀が無造作に蓮へと斧を振り下ろし、首筋で止めた。
 斧の一薙ぎで草が一方向に払われ、木々が軋む。
 風圧だけでも相当なものだ。
 本当に攻撃をする気だったなら、蓮は絶命していた。

 微動だにしない兄に、志紀は眉を上げた。

「見抜いていた……?」
「だから、何度も言うけどトレーニングを頑張ってきたんだよ。いくら努力したところでお前の足元にも及ばない量だろうし、質も劣るのはわかるけどな。殺気の無さと、踏み込みで攻撃の意図くらいはわかる」

 手の甲で戦斧の刃をどかし、胸を張った。
 仮に志紀に殺気があって、それを見抜いても今のコンディションでは避けるのは難しかったが、そのことは敢えて言わない。
 まだまだ全身が泥の海に浸かっているかのようだ。

「気が済んだか」
「まだよ!」

 戦斧から手を離し、志紀が互いの空間を消し飛ばすほどの速度で密着する。
 左の腕を鞭のように撓らせ、手刀を繰り出してきた。
 戦斧の一撃よりは軽いが、その分だけ速さがある。
 空間そのものに孔が穿たれる一撃。

「なんでまた首を狙うんだ……」

 そうぼやいて右手で相手の左手を弾いた。
 裏拳によって跳ねられた手刀に、志紀ははっきりと驚嘆を浮かべた。

「うそ……!!」

 戦士として、英雄としての自信と自覚がある志紀をして、進藤の技量は驚嘆せしめるものがあった。

「もういいだろ」
「さっきの貧弱さとはぜんぜん違う」
「もう15時だぞ……今日は体育にも出なかったし、トレーニングの疲れはかなり取れてるよ」

 三森茜との戦いが長引いていたらダウンしていただろう。
 幸いにも幼馴染がすぐ退いてくれたから、まともに捌けた。
 そう言って鼻を鳴らす。

 まだ何か言いたげだった志紀だったが、渋々と戦斧を収める。
 かつて少女だった美女は蓮の主張に折れ、同行を認めたようだった。

「奴らは魔王を殺した私を追ってくる。もうすぐここに来るわ」
「いっそ110番に頼ってもよかったかな」

 《反異世界転生町内会》だけでなく、より公的な機関に協力を要請すればいいかもしれないと今更思いついた。

「110番は知らないけど、奴らには銃弾は効かないのよ。私の世界の武器が必須だわ」
「そうなのか?」

 志紀の発言が事実だとしても、市民の避難に協力してもらうという手もありそうなものだ。
 それにこの世界の武器が無駄なら、あの牛頭を相手にした時も、これからも蓮ができることはかなり少ないということになる。
 というか体術が本当に効くのだろうか?
 イメージしていなかったことだ。
 確認するのが怖くもなってきた。
 効かないとすれば、自分の地獄の修行が無駄になる。
 そうなれば、また修行し直しだ。
 時間がかかってしまう。

「……やってみるさ」

 妹の発言が本当だとしても、何もしないわけには行かない。
 背を向けて、少年はいつでも戦えるように準備をしていく。
 もうすぐ来るだろう魔獣に向けて、備品のチェックもしていく。

 これは攻撃や防御の準備ではない。
 戦闘用の武具は、一般市民として生きる進藤蓮には無縁のものだ。
 ここでやっているのは、襲われた人を見つけた際に、できるだけの応急処置を施せるようにしておく程度のものだ。

 ザックの中には消毒液、包帯、バンテージ、簡易担架……。それらを確認してから元の位置に戻していく。

 気づくと、すぐ側で志紀がしゃがみ込んで、フンフンと鼻息荒く作業を見守っていた。

「手際が良いわ。それも教わったの? どんな人に教わったの? 武術を教えた人と同じでしょう。わたしよりも手慣れているかもしれない。ご挨拶してみたいかも」

 お世辞でも妹にそう褒められると悪い気はしない。
 しかも歴戦の戦士に褒められたとなると、単純に誇らしい。
 進藤は少しだけ機嫌よく答えた。

「ああ、ちょうど裏山に住み着いていたホームレス……世捨て人だよ。強そうだったし、実際に強かったからさ。棲家と食事の用意を条件に、去年まで教えてもらっていた。とりあえず色々と教わったけど、こういう準備の仕方は一度覚えたら一生忘れないね。まず最初は何度も用意したのを指さして『消毒液よーし!』と叫ばされてた。最初はなんなんだ馬鹿馬鹿しいって思ったけど……反復すると骨身に染み付いたなあ」

 少しだけのつもりが無自覚に話しすぎた。
 バツの悪い思いで妹の顔色を伺ったが、膝の上に頬杖をついて楽しそうに兄の話を聞いてくれている。

 師匠のことは今でもよくわからないが、師匠に関連した思い出だけは無数に残っている。
 初めての疲労骨折、失神、血尿、血便、みぞおちを殴られる感触。
 警察に相談すれば即座に法の裁きを下せただろう。そういう扱いを受けてでも、戦い方を教えて欲しいと頼んだのは蓮本人だが。

「まあ、愉快な人だった。お前もいつか会えると良いな。お前のことについても話していたし、帰ってきたって伝えたい」
「フフッ。会ってみたいわ、本当に……」

 その返事に重い含みがあったが、蓮は気づかない。
 師匠と妹が出会うシーンを空想し、そのミスマッチさがおかしくなった。
 満月とモグラだ。もちろん満月の美しさは志紀担当。

 彼の気を引いたのは、庭のように知っているはずの裏山に、正体不明の気配があるのが気になったからだ。
 枝葉が擦れ合う音が徐々に激しさを増し、だが動物にしては一切の鳴き声がない。

 蓮と志紀がいるところは木々のない開けたスペース。
 そこに小柄な影が複数体、飛んできた。

「来た。構えて!」

 蓮が地面に拳を押し当て、力を解放させた。
 石礫と土埃が発生し、そこに魔獣がぶつかる。
 悲鳴も鳴き声もしないが、やってきた何かの動きはたしかに止まった。

 地面にぼたりと落ちたものに目を凝らすと、腹を上に向けて多脚をわしゃわしゃと動かすウサギだった。
 ゴキブリのように多くの脚を動かして高速で這い、飛んでくるウサギめいた魔獣だ。

「来ったあああああああああ!!!!! 倒したああああああ!!!! 見ろよ見ろよ見ろよ、普通に倒せてるじゃねえか俺えええええええ!!!!」

 魔獣を殴った拳を突き上げてぴょんぴょん跳ね回り、蓮は喜びを体現した。
 いつもはクールを通り越した根暗と言っても差し支えない精神に、歓喜の嵐が吹き荒れた。

「えっ、なぜ?」

 こちらの世界の武器は効かないと言っていた志紀が、目の前の出来事に目を丸くした。

 こちらの世界の武器は効かないと言っていた志紀が、目の前の出来事に目を丸くした。
 驚くには至らない。武術の理念上は。

 彼の修めた武術。否、「叩き込むように望んだ狂気」は、不可能を可能にすることを旨としていた。
 名前のない流派。師匠は「武の答えだから、名前も必要ない」と言っていた。
 事実、その力を修めれば修めるほど、過程で骨と筋繊維と内臓を潰せば潰すほど、少年の中にある不可能は超えられる壁になっていた。

 最初は巨岩を壊せて、次は鋼鉄の板を壊せて。踏破していた不可能の壁は、超え続けることで気づけば、麻薬カルテルを一晩で壊滅させられるくらいに低いハードルになっていた。
 気づけば、力のない少年は大型トラックをパンチ一発で破壊できるようになっていたのだ。

 そして、今はこうして“異世界”にも攻撃が通じた。

 どれだけありえないことなのかはわからないが、進藤蓮は自分が戦えることに深く安堵した。
 己の武術が通じないと思っていたわけではないが、とにかく安心した。
 そしてテンションのままに、下手くそなステップで乱舞した。

「イエイイエイイエイ!! ザマア!! 魔獣、ザマア!! 俺に勝てるわけねえだろ、何年修行したと思ってんだボッケエェェェェェェィ!!!!」

「落ち着いて。あなたが倒したのはポップローチ。名前は可愛いかもしれないけれど、凶悪よ、蓮!」

 牛頭の魔獣とは違うが、どちらにせよこの世界にはいない生き物。
 別の世界というのは、つくづくこの世界の仕組みとはまるで違う。

 三森茜からの連絡が無かったら、不意を討たれていただろう。
 この山のことは隅々まで知っているはずの蓮すら、こんな異形に気づくのが遅れたのだ。
 異世界からの来訪者というのは、やはり一筋縄ではいかない。

 まるで山の中にいきなりポップしたかのように現れたのだ。
 普通なら、このような凶暴で強力な生き物が動けば野生動物が騒ぎ立てるはずなのに、そんな気配は一切なかった。

 ゴキブリとウサギのハーフめいた生き物が高速で飛んできて、志紀の戦斧にぶつかる。
 彼女は空いている手で敵の胴体を掴み、地面に叩き潰していった。
 それに倣って蓮も右腕を駆使し、掌で潰していく。

「オラッオラッ!! オラアアア!! 世の中舐めてんじゃねえぞクソが!!」

 志紀はその場をほとんど動くことなく、飛んでくる魔獣を的確に倒していく。
 一方で蓮はというと、人が変わったかのように走り回りながらひたすらに魔獣を殴っていく。
 当たれば当たるだけ爆散していくのだ。楽しくないわけがない。

 これまでの修行の苦痛、社会的疎外感から来る悲しみも、何もかもをぶつける。

「本当にどうして有効なの……?」

 志紀がどれだけ驚こうとも、事実として蓮は敵を叩き潰し続けている。

 進藤蓮が修め、モノにした名前のない武術。
 それは「自らの全能性を理解し、受け入れよ」を核にしている。
 いわば「不可能という概念の否定」を、修行と技術に取り込んだ技術体系と思想によって成り立つものだ。

 拳の握り方、突きの出し方を覚えたら、まずは瓦を割らせる。
 達成したら次に樹木を折らせ、大樹に穴を穿たせ、車のバンパーを粉砕させる。
 普通に生きていれば「できるわけない」と済ませそうなことを、一つ一つ念入りに潰していく。

 気づけば全てを砕ける突きを放てるようになり、目視するだけで敵の弱点――突けば壊れる箇所がわかるようになる。
 それを師匠は破砕点と呼んでいた。

 過集中で対象を分析し、弱点を見抜き、そこを突く。
 それが武術の真髄にして最強の型。

 身につけるのには決して平坦ではない道のり。折れた骨で突き、剥がれた爪が皮膚を傷つけ、血尿も毎日出した。
 ただ「妹が消えたあの日」の全てを赦せずに鍛えた武術が、こうして異世界の魔獣を相手に結実している。

 敵を殴り潰すのは非常にグロテスクな感触がするものだが、志紀を襲ってくるのなら躊躇う気はない。
 そして──異世界を殺すのは脳髄をつんざく快感だ。

 これまでにひたすら狂気の執念で鍛え上げ、練ってきた技巧、肉体、技。
 自分の人生と価値観をグチャグチャにした異世界のモノにぶつけ、砕き、潰す。
 それも一度だけではない。次から次にとこちらへ跳んで来る。

「ヒヒヒヒヒヒ!!!」

 拳に魔獣の体液、骨、歯がこびりつきながら、哄笑を上げる。
 ずっとずっと「異世界だろうとぶん殴れる」と確信して鍛えたのだ。

 進藤蓮にとってみれば殴れて当たり前、倒せて当たり前。最高の充実感。

「…………ッ!!」

 狂ったように戦う兄を、英雄として帰還した女戦士が愕然と見やる。
 ずっと真っ当な大人として進藤蓮と話してきた彼女には、兄の狂気が異様なものに見えている。

 それとは別に、木々から飛んでくるゴキブリウサギ軍団を、ルーチンワークのように潰していく妹。
 元気いっぱいに楽しく、狂おしく魔獣を殴り倒していく兄。

 帰ってきてから初めての共同作業は、形容できないほどに楽しかった。兄にとっては。

 一匹一匹潰すごとに、自分の中の昏い感情が僅かだが癒やされた。
 それの何十倍も「もっと異世界を殺したい」という感情が膨れ上がる。
 内臓の、肺腑の奥より膨らむ衝動。
 異世界という概念を、その向こうに惨めったらしく貼り付いている妹を守れなかった自分。
 憎いそれを殴ったつもりになって、少年は楽しかった。
 妹と遊んでいるかのようにも思えた。

「最後に遊んだときのことを覚えているか、志紀!!」

 弾んだ声で蓮が声をかけた。
 言葉は軽い。だが軽すぎて、自分でも少しだけ胸の奥がひゅっと冷えた。
 今まで、殴ることにだけ夢中だった。笑って、潰して、砕いて、勝ったことを確かめ続けていた。
 あれだけ待っていた妹のことが、意識に上るまで、自然と忘れていたのだ。

「………………覚えていないわ」

 側頭に飛んできたポップローチを、蓮がかがんで躱し、志紀が叩き斬った。
 刃が通る音。肉が裂ける音。体液が散る音。
 それはさっきまで“快感”だったはずなのに──今は、ただの音になった。

 蓮は自分の口元を、遅れて意識した。
 笑っていた。歯を見せて。唇の端を吊り上げて。
 まるで、殴るたびに何かを取り戻せると信じているみたいに。

 志紀の声は短い。
 けれど、その短さが逆に重い。
 覚えていない。
 それは、忘れたというより、忘れざるを得なかった響きだった。

 蓮の中で、どこかの糸が緩む。
 拳を握る力が、ほんのわずかに抜けた。
 次に飛んできた一匹を、反射で潰す。
 潰せる。殺せる。勝てる。
 ──でも、さっきみたいには笑えない。

「ごめん。全然、相手してやれなくて」

 声が勝手に出た。
 戦いの最中に口にする言葉じゃない。わかっているのに止まらない。
 謝罪の言葉が、胸の内側から浮き上がってきて、喉を擦って落ちていった。

 その瞬間、胸の奥にずっと燃え続けていたものが、別の熱に上書きされた。
 異世界を殴る衝動の熱ではない。
 妹に向けるべきだった言葉の熱だ。

「覚えていないから良いのよ。帰って来たんだもの。これから良い思い出を作るわ」

 返答は簡潔だが、声音からは暖かさが滲んでいる。
 それだけで、蓮の目の奥がきゅっと痛んだ。
 今まで目を血走らせて見ていた“破砕点”とは別の、触れてはいけない弱点を突かれたみたいに。
 胸の中で絶えず荒れ狂う悦びが凪へと鎮まっていく。

 笑いが、遅れて消える。
 口の形だけが取り残され、そこに意味が戻ってくる。
 自分が何をしていたのか、何に酔っていたのかが、じわじわと冷えてわかってくる。

 さっきまでの自分は、勝っていることを理由に、壊すことを肯定していた。
 十年もの間に熟成させていた憎悪をぶつける楽しみに酔っていたり
 妹の隣に立つ資格を、殴って証明しようとしていた。
 妹のことを、忘れてまで。
 ……馬鹿みたいだ。

 呼吸を整え、肩の力を落とす。
 拳に残った体液のぬめりを、手のひらの感触として“ただの情報”に戻す。

 激情に任せた殺戮から、武術を最適効率で繰り出す動きに移る。
 同じように殴っているのに、体の中で鳴っている音が違う。
 不気味な笑顔も嗤い声も、今の彼からは消えていた。

 落ち着いたとはいえ、戦いが終わったわけではない。
 蓮は呼吸を整え、動きを抑えたまま魔獣を処理していく。
 殴る。倒す。確認する。
 そこに余計な感情は挟まらない。

 だが、妙なことが一つあった。

 妹の位置が、やけに近い。

 すれ違うたびに、肩が触れる。
 背を合わせる形になったとき、腰の位置が被る。
 連携を取るというより、無意識に距離を詰めてきているように見えた。

 最初は偶然だと思った。
 次も、その次も──偶然だと考えようとした。
 だが、四度目で確信に変わる。

 志紀は、必要以上に近い。

 それも、戦闘効率が上がる距離ではない。
 避けられるはずの接触を、わざわざ残している距離だ。

 蓮は一瞬だけ、動きを止めそうになるが、止めない。
 戦いの最中だ。

 魔獣を一匹潰しながら、横目で妹を見る。
 志紀の表情は、戦士のものだ。
 集中している。怯えてはいない。
 だが、どこか──落ち着ききっていない。

 まるで、距離を測りかねているような。

 人肌への執着が強いことは知っている。
 だが、戦闘中にまでそれが滲むほど、何かが彼女を焦らせているのだろうか。

 蓮は考えるのをやめた。
 今は敵を処理することが先だ。

 そう判断した、その瞬間だった。

 ──音が変わった。

 木々が、折れる音ではない。
 引き裂かれるのでも、砕けるのでもない。
 “押し潰されていく”音だ。

 裏山が、ゆっくりと呻く。

 蓮は反射で距離を取り、妹の前に出た。
 鎮まっていた体温が、静かに上がる。

「見て」

 志紀の声は低い。
 指さした先で、影が形を持つ。

 熊ほどの体躯をした、多脚兎。
 雑魚とは明らかに違う圧が、周囲の空気を歪ませている。

「あれがこの群れのボスよ。普通なら連隊を編成して討伐するような相手。絶対に油断しないで」

 蓮は笑わない。
 さっきまでのような高揚もない。

「倒せばどうなる?」

 声は落ち着いている。
 それが、逆に異様だった。

「魔王を通して埋められていたエネルギー。その根源体が手に入るの。武具につければ特殊な効果を発揮するわ」

「……なるほど」

 息を吸い、吐く。
 拳を軽く握り直す。

 頭の中で、狂気は眠っている。
 だが、必要ならいつでも起こせる。
 起こすかどうかは――相手次第だ。

 蓮は一歩、前に出る。
 今度は無意識ではない。
 明確に、妹を背に庇う位置取りだ。

「来るわ」

「わかってる」

 多脚に溜められていた力が解放され、巨大な毛玉が直進してくる。
 風圧で視界が白くなる。

 蓮の中で、スイッチが一つ切り替わる。

 激情ではない。
 冷静でもない。
 ──“全力を出す許可”だけが下りる。
 そのことに、心が、復讐者ではなく武術家として、兄としての自分が沸き立った。

「言ってしまえばお前からの里帰りのお土産になるのか……相手にとって不足なしだなああアアア!!!!!!」

 両手を上に突き出して戦いの雄叫びを上げる。
 今度は妹のことをちゃんと凝視している。忘れてはいない。
 おかげで、妹を見つめながら戦闘に興奮して両手を高くあげる異常者が出来上がりは、した。

 なんてことのない軽口のつもりだったが、言われた側は引きつった笑いを浮かべた。
 悪気が無い少年はこれからの大きな山場に向けて、テンションを高めていった。

「ボスだろボス!! どんどん修行の成果を試せるなんてフルコースかよ!!」
「こ、この人おかしい……」

 妹は怯えているが、こちらとしては絶好調な精神状態だ。
 自分のこれまでの修行が報われているということ、そして進藤志紀が隣にいるということ。
 その二つが、少年の心に常にかかっていた重い曇り雲を薄めた。

 ずっと少しでも伝えたかった妹への謝罪を告げられたことで、心の核心が安静かつ満たされていた。
 妹との時間が続けば続くほど、進藤蓮の心の底は浄化されていくと確信できた。

 構えを取り直し、妹の前に位置取って巨大な敵と相対する。

「来るわ!」
「さあ来いよ!!! 全力を味わってやらあ!!」
「いやあテンションめっちゃ高いわね、この人……」

 多脚に入れていた力を解き放ち、巨大な毛玉が直進してきた。
 風圧で髪がめくれ、視界いっぱいに薄汚れた白が広がる。

 全身で防御を固めたが、訪れた衝撃はトラックの衝突と同義だ。
 衝撃としては耐えられるレベルでしかない。

 地面を殴り、その衝撃で体を宙に飛ばす。

「いつでも異世界に行ったお前の力になれるように、鍛えてきたんだ」

 妹の表情は見えない。
 本来は地面に両足をつけ、呼吸を整えることで最大の破壊力になるのだが、贅沢を言う余裕はない。

 眼球、視神経を特殊な身体操作法で活用し、過集中させる。
 怪物の弱点、最も弱いところ──すなわち破砕点(シャッターポイント)を探って捉えようとする。

 この世界の物なら、ほとんどを直視した経験から弱点を見抜くのに苦労はしない。
 しかし相手が異世界となると、弱点を探るのは予想以上に手こずってしまう。
 雑魚同然の小物なら通常の突きでもかなりカバーできるが、大型ともなれば弱点を突かないと通らない。

「今の俺はひと味違うぞ、化け物!!」

 初めて見る生き物を観察、分析するのに集中しすぎて、眼から血が流れていく。
 激痛は我慢するが、長引けば眼球が砕けかねない。

 集中、集中…………。

「見つけた!」

 敵の右耳の裏に、肉体を超えた存在のほつれ目があった。

 ただちに丹田で氣を練り、五体に意識を張り巡らせ、最大効率の動きを達成しろ──というのが師の教え。
 しかし進藤蓮はその教えに背き、ただ一つのことを繰り返し繰り返しで鍛えてきた。

 高速で飛んでいる状態で、蓮は自分の体を大きく回転させ、腰・丹田・背骨・肩の順で伝わる力の流れのみを駆使し、空中突きを繰り出した。

 志紀の攻撃でも絶命させられなかった巨大ポップローチが、蓮の全力の突きを受け、たまらず爆散した。

「ええええええええええええええええええええええええええええ!?」

 目を飛び出させ、顎をあんぐりと開けて志紀が絶叫した。

 粉砕され、大気に溶けていく肉片がどろりとした影になって大地に染み込んでいく。

 着地に失敗し、地面に頭から突っ伏した蓮が、土と雑草にまみれた顔で笑みを浮かべ、親指を立てた。

 妹が驚愕から覚めて、称賛してくれるのを待ったが、それよりも先に奥の手を使ったことによる反動が来た。
 攻撃に使った右腕と、過集中に酷使した目が内側からちぎれるような痛みを発した。

「ガアあああああああっ!!!! 痛えええええええ!」

 たまらず転がりまわる進藤を見下ろし、徐々に衝撃から戻ってきた志紀が状況を受け止め終えて、一言漏らす。

「信じられない……わたしは倒すのに30分かかったのに……」

 目の前の出来事に、進藤志紀は呆然と立ち尽くし、つぶやいた。

 激痛を堪えた蓮が、しがみついた。

「へえっ!?」

 気の抜けた悲鳴を上げた志紀。
 痛みに悶える体を押し、口をあんぐりと開けた彼女の体の両脇に手をやった。
 それから身長いっぱいに持ち上げて、兄が妹を回した。
 いわゆる“高い高い”の形であり、上げられている方は顔を真赤にして首を振った。

「ちょちょちょっと! ななにしてるの、やめて!?」
「いいじゃないか、ほら認めろ! 俺は強いだろう! 頑張ってきただろう!!」
「わかった! わかったから下ろして! 恥ずかしいから!」

 顔を真っ赤にして腕を軽く叩く。
 本気で嫌なら全力で逃げるだろう。
 つまりは妹も満更ではないに違いない。

「いいじゃないか、兄妹なんだから!」

 満面の笑みでそう告げられ、進藤志紀は全身を強張らせて停止した。
 されるがままになった志紀を満足いくまで振り回し、だんだんと冷静さを取り戻した少年は、妹と同じく顔を赤くしていく。

 咳払いをして、負傷した蓮は用意してあった治療のための備品があるザックの方へ行く。

「こっちは後片付けするから、お前は休んでろよ。久しぶりに兄妹で共同作業をしたんだから、疲れてるよな!」

 脳が茹で上がりそうなくらいに真っ赤になった志紀が、くらくらした頭を上下させ、ぼんやりとしている。
 兄がテーピングをし、ゴミになりそうなものを拾い集めるのを見て、こっそりと距離を取った。

 顔を両手で揉みほぐして平静を取り戻す。
 呆けていた目元と口元がふっと冷めたものになり、真紅の宝玉に囁いた。
 魔王を倒した報酬。この世界に来るのに必要だったものへ。

「ええ、予定通りよ」

 長いまつ毛を揺らし、英雄は冷え切った声音で続けた。
 宝玉からは一切の音がしない。
 これは空間を超えて声を届ける効果もあった。

「魔王シキ=ヴァンキッシュは理を遂行する。私はこの世界のすべてをたいらげる」
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