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マイノリティ
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一つは底が少しへこんだ水筒、一つは凍ったお茶が入ったペットボトル。夏の必須アイテムは展望台の古いベンチに毎日並び、時折トンボをこさえながら、ハルとあかねの話を聞いている。
日に日にハルの肌は健康的に焼け、日に日にあかねのきつい眼差しは柔らぎ、ハルの絵日記に描かれた二人はひまわりに負けないくらいの笑顔になった。
*
「シャボン玉とんだ、やねまでとんだ、やねまでとんでこわれて消えた」
夏休みも半ばを過ぎ、今日も高台に自転車を停めたハルが草だらけの階段を上っていく。鼻歌は二人の暗黙の合図。聞きつけたあかねが「ヘタクソだなぁ」と笑いながら展望台へと招いてくれるのだ。
だがこの日はいつもと様子が違った。
ハルが階段を上り切ると、あかねはぺたんと座ったまま苔むした壁に石を当て、ガリガリと何かを描いていた。
「あかねちゃん、何してるの?」
「復讐」
壁いっぱいに刻まれていたのは沢山の棒人間。どれもがのっぺらぼうで、てるてる坊主のように首から紐が伸びている。
あかねは気が済むまで首吊り棒人間を描き終えるとポイと石を捨てた。
「はぁ、スッキリした。これでもう私の中のあいつらは全員死んだ」
「あいつら?」
「そう、もう二度と思い出さない。あんな奴ら大嫌いだ」
投げ出されたあかねの足。ふくらはぎの下で働き蟻が慌てて逃げだしていく。ハルは隣にそっと腰を下ろし、膝を抱えて柵の向こうを見つめた。
今日は朝から灰色の雲がのさばり、仄かに雨の気配が匂う。ぬるい風が錆びた風見鶏をキィキィと鳴らしていた。
「ハルはさ、誰にも自分を理解してもらえない時ってある?」
元気のない声だ。ハルは困ってしまい、どうしようどうしようと目を泳がせてから膝に乗せた顎をこくんと引いた。
「そっか。じゃあその時どうした?」
あかねがもたれかかった壁には沢山の首吊り棒人間がいて、描いていないはずの無数の目がハルの心を覗きこんでくる。ハルはじわじわと汗をかき、普段なら絶対に誰にも打ち明けない胸の内を口にした。
「……なにもしてない。だって、ボクが悪いから」
「ハルが?どうして」
「先生がそう言ったから。ケンちゃんも、みんなも」
あの事件が起きたのはたった一ヶ月前のこと。乾き切っていない傷口を思い出したのか、ハルの口がへの字に曲がった。話し下手な少年に、あかねがもう一度「どうして?」を重ねる。辿々しい自白は、騒音を撒き散らすバイクが通り過ぎてから不器用に続いた。
ことの発端は、ケンちゃんがアゲハ蝶の蛹を教室に持ってきたことだという。
数日見守った末の羽化に誰もが興奮し、押し合い圧し合いしながら黒と黄色の美しい縞模様に魅入った。虫かごの中の生きた宝石はクラス中を夢中にさせたのだ。
誰もいなくなった教室、ハルが指先に乗せたそれは高く空へと舞い上がる。
空っぽの虫かごを抱え、ケンちゃんは泣いた。友達は残らず眉を吊り上げ、先生もどうして勝手にそんなことをしたのかとハルを問い詰める。そして最後に、君はもっと人の気持ちを考えるようにならなければダメだと長く言い諭された。親には到底話せなかった。
「もっと人の気持ちを考えるように……か」
痛々しくしょぼくれた肩に、あかねの頭が寄り添う。
「そいつら全員バカだね。せっかく空を飛べる羽があるのに蝶々だって早く出たいに決まってる。私がその場にいたら、お前らこそもっとハルの気持ちを考えてやれよって怒鳴りつけてやったのに」
光を失いかけたハルの目がハッと開いた。ずっと感じていた、四角い壁に囲まれたような孤独と閉塞感。
あかねは冷たい壁をこじ開け、うずくまった少年の手を取りシャンと立ち上がらせる。重なる手の温かさは、沢山の人に後ろ指を指された小さな背中に己を肯定する勇気を与えてくれた。
ポツリ、ポツリ——、雲から銀の雨粒が落ちてくる。夏空は気を利かせてくれたのだろうか。展望台から聞こえてくる少年の嗚咽は、誰にも知られないよう柔らかな雨音が包みこんでいた。
日に日にハルの肌は健康的に焼け、日に日にあかねのきつい眼差しは柔らぎ、ハルの絵日記に描かれた二人はひまわりに負けないくらいの笑顔になった。
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「シャボン玉とんだ、やねまでとんだ、やねまでとんでこわれて消えた」
夏休みも半ばを過ぎ、今日も高台に自転車を停めたハルが草だらけの階段を上っていく。鼻歌は二人の暗黙の合図。聞きつけたあかねが「ヘタクソだなぁ」と笑いながら展望台へと招いてくれるのだ。
だがこの日はいつもと様子が違った。
ハルが階段を上り切ると、あかねはぺたんと座ったまま苔むした壁に石を当て、ガリガリと何かを描いていた。
「あかねちゃん、何してるの?」
「復讐」
壁いっぱいに刻まれていたのは沢山の棒人間。どれもがのっぺらぼうで、てるてる坊主のように首から紐が伸びている。
あかねは気が済むまで首吊り棒人間を描き終えるとポイと石を捨てた。
「はぁ、スッキリした。これでもう私の中のあいつらは全員死んだ」
「あいつら?」
「そう、もう二度と思い出さない。あんな奴ら大嫌いだ」
投げ出されたあかねの足。ふくらはぎの下で働き蟻が慌てて逃げだしていく。ハルは隣にそっと腰を下ろし、膝を抱えて柵の向こうを見つめた。
今日は朝から灰色の雲がのさばり、仄かに雨の気配が匂う。ぬるい風が錆びた風見鶏をキィキィと鳴らしていた。
「ハルはさ、誰にも自分を理解してもらえない時ってある?」
元気のない声だ。ハルは困ってしまい、どうしようどうしようと目を泳がせてから膝に乗せた顎をこくんと引いた。
「そっか。じゃあその時どうした?」
あかねがもたれかかった壁には沢山の首吊り棒人間がいて、描いていないはずの無数の目がハルの心を覗きこんでくる。ハルはじわじわと汗をかき、普段なら絶対に誰にも打ち明けない胸の内を口にした。
「……なにもしてない。だって、ボクが悪いから」
「ハルが?どうして」
「先生がそう言ったから。ケンちゃんも、みんなも」
あの事件が起きたのはたった一ヶ月前のこと。乾き切っていない傷口を思い出したのか、ハルの口がへの字に曲がった。話し下手な少年に、あかねがもう一度「どうして?」を重ねる。辿々しい自白は、騒音を撒き散らすバイクが通り過ぎてから不器用に続いた。
ことの発端は、ケンちゃんがアゲハ蝶の蛹を教室に持ってきたことだという。
数日見守った末の羽化に誰もが興奮し、押し合い圧し合いしながら黒と黄色の美しい縞模様に魅入った。虫かごの中の生きた宝石はクラス中を夢中にさせたのだ。
誰もいなくなった教室、ハルが指先に乗せたそれは高く空へと舞い上がる。
空っぽの虫かごを抱え、ケンちゃんは泣いた。友達は残らず眉を吊り上げ、先生もどうして勝手にそんなことをしたのかとハルを問い詰める。そして最後に、君はもっと人の気持ちを考えるようにならなければダメだと長く言い諭された。親には到底話せなかった。
「もっと人の気持ちを考えるように……か」
痛々しくしょぼくれた肩に、あかねの頭が寄り添う。
「そいつら全員バカだね。せっかく空を飛べる羽があるのに蝶々だって早く出たいに決まってる。私がその場にいたら、お前らこそもっとハルの気持ちを考えてやれよって怒鳴りつけてやったのに」
光を失いかけたハルの目がハッと開いた。ずっと感じていた、四角い壁に囲まれたような孤独と閉塞感。
あかねは冷たい壁をこじ開け、うずくまった少年の手を取りシャンと立ち上がらせる。重なる手の温かさは、沢山の人に後ろ指を指された小さな背中に己を肯定する勇気を与えてくれた。
ポツリ、ポツリ——、雲から銀の雨粒が落ちてくる。夏空は気を利かせてくれたのだろうか。展望台から聞こえてくる少年の嗚咽は、誰にも知られないよう柔らかな雨音が包みこんでいた。
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