制御不能な最適愛

カニカマ

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 天井のスピーカーが、朝のアラームを鳴らす。体の奥に重い違和感。喉は乾き、まぶたの裏に夜の残像が残る。横を見れば、烈人が布団に包まっていた。口元は少し開いていて、穏やかに眠っている。昨夜の容赦のない手つきは、どこにもない。 

 そっとベッドから身を起こす。軋んだ筋肉が悲鳴をあげるが慣れたものだ。部屋はまだ暗く、遮光ブラインドは閉じたまま。私は机に置いていたメガネをかけて、ゆっくりと洗面台に移動する。

 湯で濡らしたタオルで体を拭き、眼鏡をかけて鏡の前に立つ。左頬の腫れは、昨日よりも引いていた。腫れと赤みはほとんど目立たない。これなら、隠す化粧やマスクもいらないだろう。

 ただし。

 シャツのボタンを留めながら蹴られた腹の痣をなぞる。多少は加減して蹴ったのだろう。痣は赤黒いが骨・内臓に異常はない。腕にも、足にも、至る所に痣は残っていた。内股の皮膚は薄く、烈人の指の痕跡が擦れて痛む。
 だが、それらはすべてスーツの下に隠れる。問題はない。言い聞かせるように、私はワイシャツの裾を押し込み、ネクタイを結び、ジャケットを羽織った。

 鏡に映る自分の姿は、今日も変わりない。首元までしっかりとボタンも留めていれば痕も見えない。問題ないことを確認し、部屋に戻る。烈人が目を細めながらこちらを見上げた。

「⋯⋯もう朝? 」

「ああ。起きろ、烈人」

「ん⋯⋯んん~」

 眠そうに髪をかき乱し、のそのそと起き上がってくる。昨夜とは違い、声も態度も気の抜けた少年のようだ。けれど、この気だるげな顔が、平然と人を傷つけることも、知っている。

「何か食べるか?」

「いらない。あとで補給食とる」

 烈人はそう言って、再びシーツに倒れ込んだ。私は鞄を持ち「行ってきます」とだけ言い、扉を開けて出た。

 都市の交通軸は、朝の時間帯でも整然としている。AIが制御する電磁スライダーに身を預け、移動中の窓に流れる景色を目で追う。高層のガラス面に、雲ひとつない空が反射している。
 今日も、都市は完璧だ。
 天候は調整済み、光量は時刻連動、エネルギーは適量配給。暮らしやすさのために、すべてが制御される。

 区中央庁舎に着くと、私はIDスキャンを通過して業務デスクへ向かう。席に着いて準備を終える頃、隣の席の同僚が着席した。
 
「お疲れ様です。五十嵐さん、今日も早いですね。そうだ、聞きましたよ。天城さん、昨日の制圧任務も完遂したって」

「お疲れ様です。⋯⋯そうですか、烈人が」

「いや~、ご兄弟揃ってご活躍で。この調子なら出世も簡単ですね!」

 苦笑ともとれない曖昧な表情で返す。相手は特に気にせずにデスクに向かう。
 兄弟揃ってご活躍。出世。
 現実を知れば、その台詞は出ない。
 烈人は現場の制圧要員。暴力と排除を仕事にしている。私は室内から市民の行動を監視する管理官。命令の発信源。

 都市の中では、完璧な役割分担。AIが勧める理想的な就職先に二人揃っているのだから羨ましがられることはある。
 だけど、家に戻れば、それはすべて逆転する。
 家では、命令が烈人、従うのが私だ。
 座り直して、腰がズキンと痛んだ。
 ジャケットの内側に隠されたその痕跡は、誰にも見えない。だから、今日も私は静かに職務に勤しむ。

 
 昼休憩の知らせがAIの音声で庁舎内に流れる。私は定められた時間通り、地下階の食堂へ向かった。食堂は広く、無機質に整えられている。AIによって自動的に健康状態がスキャンされ、個人に判断された食事メニューがトレイに現れる。選択はない。反感も、ない。誰もが効率と健康を最優先にして生きているからだ。

 今日のメニューは、蒸し野菜と高たんぱく質の豆乳寒天、それに無塩パンと常温の補水液。見た目にも味気はないが、胃に負担はかからない。これを食べれば、また正確に午後の仕事ができる。
 空いていた端の席に腰を下ろした。スーツの襟を直し、ひと口ずつ咀嚼する。表示されているカロリー数値を眺めていると、向かいの席に人影。

「五十嵐さん。偶然ですね。ここいいですか?」

 笑顔で声をかけてきたのは、庁舎内でも社交的なタイプの女性だった。よく言葉を交わす相手ではないが、彼女はあまり壁を感じないらしい。どうぞ、とジェスチャーをすれば席に座る。

 彼女はトレイを置くと、ナプキンで縁を拭ってから補水液を一口飲んだ。
 
「あの、いつも思ってたんですけど、五十嵐さんって綺麗ですよね。肌も綺麗だし、髪も乱れてないし。何かサプリとか飲んでらっしゃいますか?」

「⋯⋯何もしていませんが」

 箸を口元に運びながら返すと、彼女は目を細めてこちらを見つめた。

「あれ⋯⋯今日、ちょっとだけ頬、腫れてません? 左のとこ。光の加減かな? 」

 私は一瞬だけ、箸を止めた。
 左頬の感覚に神経を集中させる。触れてみればわかる。腫れはまだ完全には引いていない。鏡ではほとんど目立たないように思えたが。

「今朝、段差で転びました」

 視線をそらさず、なるべく自然に答える。彼女は「え、大丈夫でした?」と驚いていたが、深くは追及しなかった。

「うちの床、結構滑りやすいですもんね。私もヒールでよく滑りそうになりますよ」

「ええ、気をつけてください」

 それ以上は何も言わず、私は再び食事に戻った。
 寒天の弾力が、妙に鈍く感じる。一度意識をすると、少し痛みが増した。

 朝のうちに、もう少し腫れを冷やしておくべきだった。隠すことにも慣れていたはずなのに。
 トレイの上に残った補水液を飲み干し、向かいの女性職員には軽く会釈を返す。

「では、失礼します」

「残りの業務、お互い頑張りましょうね」

 笑顔を残して彼女が手を振る。私は早々にその場を離れた。気が付きやすいタイプの人間には気をつけなければ。
 
 食堂の出入口付近に設置されたトレイ返却口へと向かい、使用済みの器具を静かに所定の場所へ収めていく。操作音だけが響くこの空間に、一瞬のざわめきが走った。

 ちょうど扉が開き、数名の職員たちと共に、烈人が食堂へと入ってきたのだ。
 制服の襟を緩め、銀色の前髪をラフに流した彼は、無造作な色気と余裕を纏っている。

 周囲の職員たちが彼の言葉に笑い、冗談を交わしている。その輪の中心で、烈人は誰に対しても気さくで、快活だった。

 その顔は、私が知る彼ではない。
 暴力も、執着も、残酷さも、何一つそこには見えない。
 人の痛みに鈍い男が、輪の中では信頼される若手エースだ。

 目があった。烈人は自然な笑みを保ったまま、こちらに気軽に手を振った。

「おーい、千景」

 声までが明るい。
 私はほんの一瞬だけ、視線を逸らしかけた。
 けれど、それもまた不自然だと思い直し、ただ会釈を返す。他の職員たちは一斉にこちらを見た。

「あっ⋯⋯五十嵐管理官?」

「へぇ、本当に兄弟だったんだ」

 騒々しくなる。だが、烈人はどこ吹く風だ。手をポケットに突っ込み、肩をすくめて軽口を飛ばす。

「うちの兄貴、出来すぎ。中身も外見もAIみてぇ」

 職員たちが笑う。その間、私はひとつも笑えなかった。
 頬の腫れがまた脈打つように熱を持つ気がして、私は軽く頭を下げ、足早に食堂を後にした。

 現在の都市において、AIによって推奨される外見は、調和を保ち、他者に不快感を与えず、作業効率に影響しない範囲で均質化されている。髪色は自然色に近いもの、服装は機能性を重視したもの。装飾は一切省かれ、身だしなみは常に無駄を排した清潔感が基準だ。
 市民の多くはAIの提示に沿った容姿で生活している。

 私もそうだ。
 黒髪を短く切り、皺の寄らないスーツを着て、装飾も身につけない。AIによるスキャンを通過しやすく、認識率の高い顔立ちを保ち続けることが、業務上の正解とされている。

 だが、烈人は違う。

 銀髪やピアス。誰よりも目立つ容姿。それが咎められることはない。現場適性として、特例が付与されている。

 実働部隊の任務には、ある程度の予測不能さと即応性が求められる。烈人のような存在は、予定調和から外れているからこそ機能している。

 皮肉な話だった。誰もが同じにされていくこの都市で、逸脱している者が重宝される。だからといって、本性まで容認されるべきではない。
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