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体育祭
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昼休みのチャイムが鳴るやいなや、教室の前に人だかりができた。黒板に貼られた種目表。色分けの紙には、蛍光マーカーがやたらと踊っている。体育祭が近い。女子の歓声、男子の野次、誰かが俺の肩をどつく。
「東堂、リレー、頼むぞ!」
身長と脚があるし、何より毎日のランニングで足は作ってある。短距離は専門じゃないが、走るのは好きだ。雨の日は家で筋トレに切り替え。結局、体を動かしてないと落ち着かないだけなんだけど。
「おう。バトン落とさなきゃ、独走だ、まかせろよ」
俺がそう答えると、後ろで「王子はどうするの?」という声が上がった。湊は苦笑いをして、種目表の端、最低限の全員参加欄の所に○をつけた。
「大縄と、玉入れ⋯⋯あと、借り物競走?」
「無理すんなよ。最悪、借り物競走は俺が変わるから」
間髪入れず「ずるい」「過保護~」と声が飛ぶ。湊が反射で小さく頭を下げかけるのを、俺は声で遮った。
「俺が動きたいから動くだけ。文句あるなら、リレーで勝ってみろよ」
「横暴」「体力お化け」と半笑いで震える声が散る。湊の顔の固さがほんの少し緩んだ。
放課後のグラウンドは、白線が引き直され、コーンが並べられ音楽が流れる。大縄の練習をクラスで集まれるやつでやろうとしていた。結構な人数が集まる、皆意欲的だ。跳ぶ面子の列の三番目に、湊がいた。
縄の端を握る。俺ともう一人、バスケ部のやつ。身長はだいたい同じで185cm。二人で声をかけ、目を合わせて、肩でタイミングを合わせる。
「いくぞー!」
ぐるり、ぐるり。空気を切る音が、規則的に耳に刺さる。呼吸が揃ってくる。二十五、二十六、二十七——ふいに、縄の音が軽く乱れた。
「あ」
跳び手の列の中で小さなつまづき。湊の足が縄に触れ、バランスが崩れて前に倒れた。
「大丈夫か!」
俺は縄を止めて駆け寄る。手のひらに砂がついて「ごめん、平気」と笑う。けど、呼吸が浅い。頬の色がさっと引いて、まぶたの上に薄い影が落ちた。
「ちょっと、目、回ったかも」
言った次の瞬間、湊の膝が落ちる。俺は反射で肩を支えた。軽い。肩の骨ばった形が掌に当たる。
「保健室行く。お前代わりに縄回しといて」
心配する目線もそこそこに、肩を貸して歩き出すと、湊はまた「ごめん」と小さく言った。
保健室なんてあまり来ないから新鮮だ。保健室の先生は手際よく脈と体温を測り、柔らかい声で「休めば戻るわ」と言って区切りのカーテンを閉めた。ベッドに横になった湊は、ほっと吐息を落として天井を見つめる。
「ごめんね、足、引っ張って」
「引っ張ってねえよ。いちいち気にするなって。怪我なくてよかったな」
「でも⋯⋯じゃあ戻って大丈夫だから。蓮司くんがいると皆大縄の練習できない」
「他のやつに任したからいいって。いや~、俺も疲れてたところだからラッキーだわ。大縄回すの重いんだよ」
肩を回し疲れているアピールをしたが、一向に湊は目を伏せている。掛け布の上に乗った手が、少しだけ震えていた。
「昔から、こうなんだ。外で長く動くと、すぐに呼吸が追いつかなくなる。手術して、前よりはずっと良くなったんだけど⋯⋯みんなには付いていけない」
声は穏やかだけど、ところどころに小石みたいな硬さが混ざる。俺は、パイプ椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「無理しなくていいって」
思ったよりも優しい声が出た。外から大縄を数えている声が聞こえ、3回で途切れる。またすぐにせーのっとやり直している。
「体育祭は走れるやつが走ればいいし、跳べるやつが跳べばいい。お前が跳べなきゃ、誰かが跳ぶ。俺はたまたま体が強いだけで、勉強は嫌いだし、字は汚いし、忘れ物も多い」
「そんなことないよ」
「いや、ある。試験の結果見せたらお前気絶するかも」
湊の口元に笑いが戻る。外からは元気な声が響いて少し窓に目を向ける。
「ほら、湊は勉強得意だろ。記憶力いいし、要点まとめるのうまいし。体育祭だけが学校じゃないし。お前の得意で、このクラスは助かってる」
言葉を選びながら、でも飾らずに言う。湊は天井から俺に視線を戻し、まばたきの間を少しだけ伸ばした。
「ありがとう。やっぱり、蓮司くんは優しいね」
「まあな、惚れんなよ」
くすくすと笑う湊。薄いカーテンがエアコンの風でふわりと揺れる。保健室は、外に比べると静かだ。俺はベッドの端に視線を落として、「少し寝ろ」と言った。
「起きたら水、買ってきてやる」
「うん」
湊は目を閉じて、深く息を吸った。まつ毛の影が頬に落ちる。その影が、十年前の麦わら帽子のひさしの影と重なって見えた。
本番の日。運良く雲は厚いが、雨は落ちてこない。湿度だけが重たくまとわりつく。アナウンスのノイズ、応援団の掛け声、ホイッスルの鋭い音。クラスTシャツは汗で肌に張りついていた。
「東堂、第一走者頼む!」
「任せろ」
スタートラインに立つ。隣のレーンに並んだ他クラスのやつらが、爪先で土を確かめている。ピストルを持つ教師の腕が上がる。呼吸を一度、底まで吐く。
パン。
地面が後ろに飛び去る。視界の端で白線が流れて、風が耳の後ろにまとわりつく。スタートは悪くない。腕を大きく振る。前へ、前へ。第一コーナーで差が開く。俺の影が前に伸びて、トラックの弧の上で歪む。
「蓮司、ナイス!」
バトンゾーンに飛び込み、バトンは落ちない。二走、三走とリードを広げていく。アンカーに渡るときには、白線の内側に余裕を感じられた。
アンカーが直線に入った瞬間、クラスの歓声がひとつの塊になって押し寄せる。胸の奥が熱い。テープが切れた。
「よっしゃ!」
その勢いのままガッツポーズ。クラスメイトと次々にハイタッチを交わす。手のひらがじんじんする。
視線の先で、湊が小さく手を上げた。保健室の件以来、湊は自分のペースを崩さないように動いている。今日は顔色も悪くない。
湊の手と、俺の手がぱちんと合わさった。相変わらず白い手をしている。
午後、大縄跳びの時間。種目の点数が大きいから、クラスの空気が少しピリッとする。回し手は練習通り、俺とバスケ部のやつ。さすがにこの人数の前で転ばれたら危ないので、湊には列の真ん中の、リズムが取りやすい位置に入ってもらった。
「東堂、頼んだぞ」
「おう」
縄を握る手に、粒子の細かい粉がまとわりつく。肩で合図をして——回す。
最初の五回は、リズムの確認。十回目で呼吸が揃う。二十回目で足が軽くなる。三十回目で歓声が上ずり、四十回目で集中が極点にいく。周りのクラスが脱落していく。視界の端で、湊が淡々と足を上げ続けている。
四十五、四十六、四十七。残っていたクラスの縄が止まった。——五十! 跳んだ瞬間、クラス中の声がはじけた。縄を止めて、俺は肩で息をした。
「やったー!」
「一位、だよね? 一位!」
集計が出る。クラス一位。紙を持った体育委員が親指を突き出し、歓声がもう一段高くなる。湊は肩で息をしながら、でも笑っていた。俺と目が合うと、小さくガッツポーズを作った。
喜んでいる間に、次は借り物競走。湊は王子頑張れ!と言われながら向かっていく。大縄直後に大丈夫だろうか。あまり心配しすぎてもまた過保護だと揶揄われるから椅子に戻った。
借り物競走、湊の番のレーンになると歓声が上がる。学年関係なく黄色い歓声。いつの間にそんなアイドルみたいに。負けじと俺も応援を送る。
よーいどんとピストルがなる。借り物競走はポイントは低く、お遊び要素が大きい。借り物の紙を取っていく中、最後の余った用紙を見た湊は固まってしまった。一体何を引いたんだ。
オロオロと狼狽している湊。王子頑張れー、かっこいいー!こっち向いてー!と応援?の声を受けながら湊がこちらに向かって走ってくる。クラスメイトが「何だった?なんか貸すよ」と声をかける中、湊は俺を名指しする。
「あ?俺?何も持ってないけど」
「い、一緒にゴールまで来てもらっても、良いかな⋯⋯」
クラスメイトから背中を押され、とりあえず湊についていく。紙をそっと渡される。
『好きな人。もしくは恋人。(もしくは仲がいい人)』
“仲がいい人”の字、小さ。書いたやつの妥協が透けて見える。よくあるお題だ。⋯⋯まあ、仲はいい。けど、ここで普通に並んでゴールは芸がない。湊が目を逸らしてゴールへ向かおうとした、その背中を——俺は、持ち上げた。
「わっ——!」
お姫様抱っこ。グラウンドが一瞬ざわつき、次いで爆発するみたいに沸く。
「うわ、軽っ!下手したらその辺の女子より⋯⋯」
「れ、蓮司くん、恥ずかしいから! おろして!」
暴れることはしない湊を抱えたままゴールへ突っ走る。審判にお題の読み上げを求められ、湊が顔を覆うのを横目に、俺は審判のマイクに向かって声を張り上げる。
「——恋人です」
「ふざけるな!」「誰だお前!」だの「BLじゃん!」だの、好き勝手なブーイングとも悲鳴ともつかない声。審判は冷静に紙を読み上げる。
「『好きな人。もしくは恋人、もしくは仲がいい人』条件を満たしているのでゴール」
テープを切った瞬間、湊の腕が俺の首元でぎゅっと強まった気がした。降ろすと彼の顔は本気で真っ赤。額に触れるとさらに熱い。なんだ、熱中症か? 水飲めよ、と言えば視線を泳がせこくこくと頷いていた。
日が傾く。全種目が終わった。終わりのアナウンスが響く。拍手の波が広がって、空は曇りがまた濃くなっていた。
「楽しかったなー!」
「マジで。びしょびしょだわ」
クラスTシャツの背中を扇ぎながらふざけ合う声。俺も笑って頷いた。疲れているのに、体はまだ動ける気でいる。休んだやつら(サボったともいう)の代わりにほぼ全部の種目に出る羽目になったのは予想外だったが。
グラウンドでは簡単な後夜祭が始まる。屋台を真似た模擬店の名残りが端に寄せられ、中央のスペースに生徒が丸く集まる。教師の挨拶、代表の挨拶、拍手。暗くなった空に、風がひんやり流れて、誰かが「寒っ」と言った。
ドン、と鈍い音。首を上げる。
夜空にひとつ、丸い光の花が開いた。続けて、間隔を置いてふたつ、みっつ。毎年恒例の花火。
「相変わらず金、かかってんな~」
思わずつぶやくと、隣で「ね」と返る。湊が目をまんまるにしていた。光が瞳の中で溶ける。
「こんな近くで見るの、初めて」
「初めて?」
「うん。外に出られない夏が多かったから。家の窓から、遠くのをちょっとだけ」
横顔の輪郭が、夜の明かりで柔らかく縁取られる。喉が鳴るほど、大きな音が胸の中に落ちた。
「——じゃあさ」
口が、先に動いた。
「夏休み、花火大会、行くか」
言った瞬間、俺の心臓が一段強く打つ。軽いノリに聞こえるよう、声を半分笑いに混ぜたつもりだったが、変にカタコトになった。
湊は一拍置いて、ぱっと笑った。
「行きたい、行こう、絶対」
大きな花がぱらぱらと散って、夜空の黒に溶ける。湊の笑顔が、それを追いかけるみたいに明るい。
「喜びすぎだろ」
「だって」
湊は少し肩をすくめて、続けた。
「誘ってくれると思ってなかったから」
風が、汗の跡を冷やしていく。俺は頬を掻いて、正面を向いたまま呟いた。
「⋯⋯じゃ、決まりな」
次の花が夜に咲く。鼓膜を震わせる音が、胸骨の奥にも届いた。周りの喧騒がやっと聞こえた。ファミレスで打ち上げやるから、と誘われていた。先に立ち上がった湊が行こ、と手を出してくる。
その手をしばし眺めてから手を取ってさっと立ち上がる。俺は自分の心拍と花火のタイミングを測ってみて、あまりに心拍が速すぎて笑った。
「東堂、リレー、頼むぞ!」
身長と脚があるし、何より毎日のランニングで足は作ってある。短距離は専門じゃないが、走るのは好きだ。雨の日は家で筋トレに切り替え。結局、体を動かしてないと落ち着かないだけなんだけど。
「おう。バトン落とさなきゃ、独走だ、まかせろよ」
俺がそう答えると、後ろで「王子はどうするの?」という声が上がった。湊は苦笑いをして、種目表の端、最低限の全員参加欄の所に○をつけた。
「大縄と、玉入れ⋯⋯あと、借り物競走?」
「無理すんなよ。最悪、借り物競走は俺が変わるから」
間髪入れず「ずるい」「過保護~」と声が飛ぶ。湊が反射で小さく頭を下げかけるのを、俺は声で遮った。
「俺が動きたいから動くだけ。文句あるなら、リレーで勝ってみろよ」
「横暴」「体力お化け」と半笑いで震える声が散る。湊の顔の固さがほんの少し緩んだ。
放課後のグラウンドは、白線が引き直され、コーンが並べられ音楽が流れる。大縄の練習をクラスで集まれるやつでやろうとしていた。結構な人数が集まる、皆意欲的だ。跳ぶ面子の列の三番目に、湊がいた。
縄の端を握る。俺ともう一人、バスケ部のやつ。身長はだいたい同じで185cm。二人で声をかけ、目を合わせて、肩でタイミングを合わせる。
「いくぞー!」
ぐるり、ぐるり。空気を切る音が、規則的に耳に刺さる。呼吸が揃ってくる。二十五、二十六、二十七——ふいに、縄の音が軽く乱れた。
「あ」
跳び手の列の中で小さなつまづき。湊の足が縄に触れ、バランスが崩れて前に倒れた。
「大丈夫か!」
俺は縄を止めて駆け寄る。手のひらに砂がついて「ごめん、平気」と笑う。けど、呼吸が浅い。頬の色がさっと引いて、まぶたの上に薄い影が落ちた。
「ちょっと、目、回ったかも」
言った次の瞬間、湊の膝が落ちる。俺は反射で肩を支えた。軽い。肩の骨ばった形が掌に当たる。
「保健室行く。お前代わりに縄回しといて」
心配する目線もそこそこに、肩を貸して歩き出すと、湊はまた「ごめん」と小さく言った。
保健室なんてあまり来ないから新鮮だ。保健室の先生は手際よく脈と体温を測り、柔らかい声で「休めば戻るわ」と言って区切りのカーテンを閉めた。ベッドに横になった湊は、ほっと吐息を落として天井を見つめる。
「ごめんね、足、引っ張って」
「引っ張ってねえよ。いちいち気にするなって。怪我なくてよかったな」
「でも⋯⋯じゃあ戻って大丈夫だから。蓮司くんがいると皆大縄の練習できない」
「他のやつに任したからいいって。いや~、俺も疲れてたところだからラッキーだわ。大縄回すの重いんだよ」
肩を回し疲れているアピールをしたが、一向に湊は目を伏せている。掛け布の上に乗った手が、少しだけ震えていた。
「昔から、こうなんだ。外で長く動くと、すぐに呼吸が追いつかなくなる。手術して、前よりはずっと良くなったんだけど⋯⋯みんなには付いていけない」
声は穏やかだけど、ところどころに小石みたいな硬さが混ざる。俺は、パイプ椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「無理しなくていいって」
思ったよりも優しい声が出た。外から大縄を数えている声が聞こえ、3回で途切れる。またすぐにせーのっとやり直している。
「体育祭は走れるやつが走ればいいし、跳べるやつが跳べばいい。お前が跳べなきゃ、誰かが跳ぶ。俺はたまたま体が強いだけで、勉強は嫌いだし、字は汚いし、忘れ物も多い」
「そんなことないよ」
「いや、ある。試験の結果見せたらお前気絶するかも」
湊の口元に笑いが戻る。外からは元気な声が響いて少し窓に目を向ける。
「ほら、湊は勉強得意だろ。記憶力いいし、要点まとめるのうまいし。体育祭だけが学校じゃないし。お前の得意で、このクラスは助かってる」
言葉を選びながら、でも飾らずに言う。湊は天井から俺に視線を戻し、まばたきの間を少しだけ伸ばした。
「ありがとう。やっぱり、蓮司くんは優しいね」
「まあな、惚れんなよ」
くすくすと笑う湊。薄いカーテンがエアコンの風でふわりと揺れる。保健室は、外に比べると静かだ。俺はベッドの端に視線を落として、「少し寝ろ」と言った。
「起きたら水、買ってきてやる」
「うん」
湊は目を閉じて、深く息を吸った。まつ毛の影が頬に落ちる。その影が、十年前の麦わら帽子のひさしの影と重なって見えた。
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「東堂、第一走者頼む!」
「任せろ」
スタートラインに立つ。隣のレーンに並んだ他クラスのやつらが、爪先で土を確かめている。ピストルを持つ教師の腕が上がる。呼吸を一度、底まで吐く。
パン。
地面が後ろに飛び去る。視界の端で白線が流れて、風が耳の後ろにまとわりつく。スタートは悪くない。腕を大きく振る。前へ、前へ。第一コーナーで差が開く。俺の影が前に伸びて、トラックの弧の上で歪む。
「蓮司、ナイス!」
バトンゾーンに飛び込み、バトンは落ちない。二走、三走とリードを広げていく。アンカーに渡るときには、白線の内側に余裕を感じられた。
アンカーが直線に入った瞬間、クラスの歓声がひとつの塊になって押し寄せる。胸の奥が熱い。テープが切れた。
「よっしゃ!」
その勢いのままガッツポーズ。クラスメイトと次々にハイタッチを交わす。手のひらがじんじんする。
視線の先で、湊が小さく手を上げた。保健室の件以来、湊は自分のペースを崩さないように動いている。今日は顔色も悪くない。
湊の手と、俺の手がぱちんと合わさった。相変わらず白い手をしている。
午後、大縄跳びの時間。種目の点数が大きいから、クラスの空気が少しピリッとする。回し手は練習通り、俺とバスケ部のやつ。さすがにこの人数の前で転ばれたら危ないので、湊には列の真ん中の、リズムが取りやすい位置に入ってもらった。
「東堂、頼んだぞ」
「おう」
縄を握る手に、粒子の細かい粉がまとわりつく。肩で合図をして——回す。
最初の五回は、リズムの確認。十回目で呼吸が揃う。二十回目で足が軽くなる。三十回目で歓声が上ずり、四十回目で集中が極点にいく。周りのクラスが脱落していく。視界の端で、湊が淡々と足を上げ続けている。
四十五、四十六、四十七。残っていたクラスの縄が止まった。——五十! 跳んだ瞬間、クラス中の声がはじけた。縄を止めて、俺は肩で息をした。
「やったー!」
「一位、だよね? 一位!」
集計が出る。クラス一位。紙を持った体育委員が親指を突き出し、歓声がもう一段高くなる。湊は肩で息をしながら、でも笑っていた。俺と目が合うと、小さくガッツポーズを作った。
喜んでいる間に、次は借り物競走。湊は王子頑張れ!と言われながら向かっていく。大縄直後に大丈夫だろうか。あまり心配しすぎてもまた過保護だと揶揄われるから椅子に戻った。
借り物競走、湊の番のレーンになると歓声が上がる。学年関係なく黄色い歓声。いつの間にそんなアイドルみたいに。負けじと俺も応援を送る。
よーいどんとピストルがなる。借り物競走はポイントは低く、お遊び要素が大きい。借り物の紙を取っていく中、最後の余った用紙を見た湊は固まってしまった。一体何を引いたんだ。
オロオロと狼狽している湊。王子頑張れー、かっこいいー!こっち向いてー!と応援?の声を受けながら湊がこちらに向かって走ってくる。クラスメイトが「何だった?なんか貸すよ」と声をかける中、湊は俺を名指しする。
「あ?俺?何も持ってないけど」
「い、一緒にゴールまで来てもらっても、良いかな⋯⋯」
クラスメイトから背中を押され、とりあえず湊についていく。紙をそっと渡される。
『好きな人。もしくは恋人。(もしくは仲がいい人)』
“仲がいい人”の字、小さ。書いたやつの妥協が透けて見える。よくあるお題だ。⋯⋯まあ、仲はいい。けど、ここで普通に並んでゴールは芸がない。湊が目を逸らしてゴールへ向かおうとした、その背中を——俺は、持ち上げた。
「わっ——!」
お姫様抱っこ。グラウンドが一瞬ざわつき、次いで爆発するみたいに沸く。
「うわ、軽っ!下手したらその辺の女子より⋯⋯」
「れ、蓮司くん、恥ずかしいから! おろして!」
暴れることはしない湊を抱えたままゴールへ突っ走る。審判にお題の読み上げを求められ、湊が顔を覆うのを横目に、俺は審判のマイクに向かって声を張り上げる。
「——恋人です」
「ふざけるな!」「誰だお前!」だの「BLじゃん!」だの、好き勝手なブーイングとも悲鳴ともつかない声。審判は冷静に紙を読み上げる。
「『好きな人。もしくは恋人、もしくは仲がいい人』条件を満たしているのでゴール」
テープを切った瞬間、湊の腕が俺の首元でぎゅっと強まった気がした。降ろすと彼の顔は本気で真っ赤。額に触れるとさらに熱い。なんだ、熱中症か? 水飲めよ、と言えば視線を泳がせこくこくと頷いていた。
日が傾く。全種目が終わった。終わりのアナウンスが響く。拍手の波が広がって、空は曇りがまた濃くなっていた。
「楽しかったなー!」
「マジで。びしょびしょだわ」
クラスTシャツの背中を扇ぎながらふざけ合う声。俺も笑って頷いた。疲れているのに、体はまだ動ける気でいる。休んだやつら(サボったともいう)の代わりにほぼ全部の種目に出る羽目になったのは予想外だったが。
グラウンドでは簡単な後夜祭が始まる。屋台を真似た模擬店の名残りが端に寄せられ、中央のスペースに生徒が丸く集まる。教師の挨拶、代表の挨拶、拍手。暗くなった空に、風がひんやり流れて、誰かが「寒っ」と言った。
ドン、と鈍い音。首を上げる。
夜空にひとつ、丸い光の花が開いた。続けて、間隔を置いてふたつ、みっつ。毎年恒例の花火。
「相変わらず金、かかってんな~」
思わずつぶやくと、隣で「ね」と返る。湊が目をまんまるにしていた。光が瞳の中で溶ける。
「こんな近くで見るの、初めて」
「初めて?」
「うん。外に出られない夏が多かったから。家の窓から、遠くのをちょっとだけ」
横顔の輪郭が、夜の明かりで柔らかく縁取られる。喉が鳴るほど、大きな音が胸の中に落ちた。
「——じゃあさ」
口が、先に動いた。
「夏休み、花火大会、行くか」
言った瞬間、俺の心臓が一段強く打つ。軽いノリに聞こえるよう、声を半分笑いに混ぜたつもりだったが、変にカタコトになった。
湊は一拍置いて、ぱっと笑った。
「行きたい、行こう、絶対」
大きな花がぱらぱらと散って、夜空の黒に溶ける。湊の笑顔が、それを追いかけるみたいに明るい。
「喜びすぎだろ」
「だって」
湊は少し肩をすくめて、続けた。
「誘ってくれると思ってなかったから」
風が、汗の跡を冷やしていく。俺は頬を掻いて、正面を向いたまま呟いた。
「⋯⋯じゃ、決まりな」
次の花が夜に咲く。鼓膜を震わせる音が、胸骨の奥にも届いた。周りの喧騒がやっと聞こえた。ファミレスで打ち上げやるから、と誘われていた。先に立ち上がった湊が行こ、と手を出してくる。
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