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九話
しおりを挟む「では私はこれで下がりますが、何か御座いましたら直ぐにお呼び下さい」
優しい笑みを浮かべ丁寧にお辞儀をすると、ヴェラは部屋から出て行った。
あれから一ヶ月が過ぎた。今ではすっかり身体は回復し日常に支障はなくなった。だが部屋から一歩も出る事はない。人が側にいるのが落ち着かず、用が済んだ後は申し訳ないがヴェラには部屋から出て行って貰っていた。
ベルティーユが目を覚ましてから彼とは一度も顔を合わせていない。何故ならこの屋敷の主人である彼は一ヶ月程前から不在のままだからだ。ヴェラから聞いた話では国を離れ戦に出掛けたそうだ。それを聞いて彼が若き騎士団長だった事を思い出した。何時かクロヴィスが「兄さんは鬼才なんだよ」敵からも剣豪と呼ばれ恐れていると得意気に話していた。
正直な所、安堵している。身体が回復するまでは思考が鈍り考える事を放棄していたが、最近はこれから先の事を考えては絶望する事を繰り返していた。
大国の王太子に生まれ若くして騎士団長の地位に就き、他国にまで剣豪の名を馳せている。何故そんな人が自分などを妾に選んだの分からない。ベルティーユは彼にとっては妹の仇である筈だ。憎まれていて当然であり、それなのにも関わらず処刑直前に救い出してくれた。……いや、もしかすると、これから報復をされる可能性もある。そうに違いない。彼は始めからベルティーユを妾にすると話していた。ならばクロヴィスの時みたいに彼の慰み者として扱われるーー。
「っ‼︎ーー」
考えたくないのに、記憶から消し去りたいのにあの時の事が頭から離れない。その度に激しい頭痛や眩暈に襲われて、呼吸が苦しく上手く息が吸えなくなってしまう。
ベルティーユは蹲み込みひたすら耐えていた。
「おい、どうしたんだ⁉︎」
「っ……」
どれくらいそうしていたか分からないが、気が付けば目の前に彼が立っていた。
「今直ぐベッドに……あ、いや、人を呼んで来る」
焦った様子でベルティーユに手を伸ばすが、直様引っ込めると彼は部屋から出て行ってしまった。
「本当に人使いが荒いよね」
あの後彼は執事のホレスを呼んで来た。ベルティーユはホレスに抱き抱えられベッドに横になった。運んで貰った癖にこんな風に思うのは間違っているとは分かっているが、内心嫌悪感を感じてしまった。ホレスがどうという事ではなく、今はただ誰かに触れられるのが怖かった。
更にその後直ぐに今度は彼の側近であるルネがやって来た。部屋の端で壁に背を預けている彼に文句を言う。
「すみません……」
「いえ違うんですよ! 僕は彼に文句があるだけで、貴女は悪くないんです!」
頭痛や気持ちを落ち着かせる薬草を煎じた薬を処方して貰い、それを口にすると少しだけ痛みが和らぎ気分が良くなった。次第に瞼が重くなりベルティーユは深い眠りに落ちていった。
◆◆◆
「ルネ、戻ったばかりですまなかった」
「まあ君が人使い荒いのは今に始まった事じゃないし、もう諦めてるよ。……それより、彼女が心配だよ」
「傷はもう回復はしているのだろう」
「うん。でも、心の傷は癒えていない」
ルネの言葉が重くのし掛かった。
弟のクロヴィスがベルティーユに負わせた傷は身体だでなく彼女の心まで深く傷付けていた。
レアンドルはつい今し方屋敷に戻ったばかりだった。今回の任務は国境付近にて攻め入ろうしてきた敵への応戦という些末なものだった。無論警備の兵はいるが、情けない事に応援要請を掛けてきたのだ。余程の強敵なのかと身構えながら一部の騎士団を率いて到着してみれば存外大した事はない、多勢に無勢ではあるが要は素人の寄せ集め過ぎなかった。差し詰めブルマリアスに恨みを抱く他国の民間人と言った所だろう。別段珍しい話ではない。大国ともなると良くある話だ。レアンドル等が加勢した後はあっという間に敵を制圧した。後始末は本来の持ち場の兵等に任せ、そのまま帰路についた。
大した任務ではなかったが、戦に要した時間よりも移動している時間の方が遥かに長く、妙な疲労感を感じた。任務時は今回も含め宿屋などには泊まらず野宿が基本だ。これは訓練の一環でもある。その為、戦の後は川などで簡単に血潮を流しそのまま帰還する事になる。これまでは別段気に留めた事もなかった。だが……。
屋敷に戻り直ぐに執事のホレスからベルティーユの様子がおかしいと報告を受け、着替えるよりも先に彼女の部屋へと向かった。部屋の前で待機していたヴェラに声を掛け席を外させた後、何度か扉をノックするも反応はない。仕方なく扉を開けると彼女が苦しそうに蹲っていた。
『おい、どうしたんだ⁉︎』
『っ……』
『今直ぐベッドに……あ、いや、人を呼んで来る』
慌ててベルティーユに手を伸ばし抱き上げ様としたが、どうしても出来なかった。レアンドルは諦めてホレスを呼びに部屋を出た。
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