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第四章 ファルコンズ最高!(Falcons rules!)

第20話-4 Do your best!

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 ファルコンズの攻撃は七番の仲村から始まる。彼はのそのそと歩きながら右打席に入り、藤ノ原に啖呵を切ってみせる。

「こないだのデッドボールの礼がまだだったなぁ!」
「あんなん出したくて出したんじゃねぇよ」
「うるせぇ! はよぅ投げろや!」

 藤ノ原は軽くため息をついて投げ始める。
 一球目、ストライク。次はボール球で三球目はストライク。ワン・ツーであっさり仲村を追い込み、四球目に遊び球のボール球を投げてツー・ツー。

 そして、対戦を終わらせるべく五球目を投げ込む。外へ逃げていく空振り誘発のスライダーだ。
 仲村は思わず打ちそうになる、しかし踏みとどまる。

「ボール!」

 こうして状況はフル・カウントになった。打者にとっても投手にとっても厳しいところだが、藤ノ原はどうするか。
 彼はキャッチャーからのサインを見て一回頷く。直後、仲村は理解する。

(めぐちゃんが言ってたぜぇ、一回なら直球……!)

 仲村の体に気合が満ちる。そうとは知らない藤ノ原は、何の警戒もせずに百キロの直球を投げる。
 速い球といえど、それが来ると分かっていればどうにかなる。コースは外角やや低め、仲村にとっては苦手なところだが、それでも振っていく。

 打撃音がキン……と鈍く発生し、ボールが三塁方向のファウル領域に転がる。

「ファウル!」

 これが打たれるとはおかしいな……という顔の藤ノ原、キャッチャーからの返球を受け取って再度の投球を始める。またもや百キロの直球だが、仲村は必死に打つ。

「ファウル!」

 藤ノ原は体が少し疲れてきているのを感じる。それも当然だ、彼はここまでに約百球を投げてしまっているのだから。
 百球といえば、プロ野球でも先発降板の目安となる数字。それをアマチュアの彼が投げたのだから、疲れるのは当然だ。

 こうなった原因を分析するなら凡そ二つといえるだろう。一つ目は、ファルコンズの面々が初球打ちをひかえて藤ノ原に多投を強いたこと。二つ目は、藤ノ原が初回に打ちこまれたこと。
 特に後者の影響が大きく、大量失点を恐れての慎重過ぎる投球が裏目に出て、初回だけで四十球を使ってしまっている。加えて、七月の夏の暑さが体力消耗に拍車をかけている。

 監督の垣内はこういう事情に気づいている。彼は藤ノ原を降ろそうかと考え始めている。
 だが、試合はまだスパローズ優勢なのだ。多少の失点なら持ちこたえられる。ならば続行させたい、それが垣内の意思だ。

 まぁそういったことは兎も角、藤ノ原と仲村の対戦に話を戻そう。
 今、藤ノ原はキャッチャーのサインに首を振っている。仲村はそれをしっかりと観察し、推理を組み立てている。

(小さく二回頷いた……スライダー?)

 藤ノ原が投球姿勢に入る。ボールを握っている左手をグローブに深く入れ、先ほどよりも長めにその態勢を維持し続ける。

(この長さは間違いねぇ、スライダーで勝負する気だ!)

 仲村に変化球を打つ技量はない。では彼は終わりなのか、違う、そうではない。バットを振らずに見送れば、スライダーが外れてボール球となり、四球となる可能性が残っている。
 彼はその可能性に賭けることにする。

(四球で出塁もシングルで出塁も、どちらも大差ないんだぜぇ……)

 運命の一球が投げられる。予想通りにスライダー、打ちたくなる……が、自重して見送る。
 コントロールに失敗しているスライダーは、誰が見ても間違いのないボール球となってキャッチャーのミットに納まる。

「ボール・フォー!」

 にやりと笑って仲村は一塁へウォークしていく。
 今の一連の攻防はファルコンズ陣営に大きな確信をもたらした。デイビッドは言う。

「江草さんの言った通りです。間違いありませんですね……」

 テイターが返す。

「ねぇ、デイビー。スライダーが来るって分かってるなら、打てる?」
「Piece of cake(朝飯前だよ)」
「Sweet!(さすが!)」

 さて、仲村の次はめぐみが打つ番だ。彼女は右打席に入ってバットを構え、思う。

(締まってけ、私……。今こそ練習の成果を見せる時だ……!)

 無死一塁ということもあり、藤ノ原はとりあえず一塁にけん制球を送る。その後、第一球目をめぐみに投げる。
 真っ直ぐが内角高めに入る。

「ストライク!」

 続いて二球目、これも真っ直ぐ。

「ストライク・ツー!」

 前回の試合の経験によって、藤ノ原はめぐみの技量を見抜いている。そう、大したことないのだ。パワーもテクニックも走力も欠けている。
 ならば遊び球を投げてじっくり対戦する必要などない。三振狙いで速球を投げ込んで終わりだ。その考えのもと、彼は投げる。

 九十七キロほどのファスト・ボールがストライク・ゾーンへ進んでいく。めぐみにとってはかなりの速球だ、しかし彼女は食らいついていく。
 球の上部をバットで思いっきり打って地面に叩きつけ、大きく弾ませる。以前にさや子が紅白戦で披露したボルティモア・チョップだ。少し不格好だが、どうにか決まった。

 一塁の仲村が二塁へスタートを切る。打者走者となっためぐみも一塁へ走る。虚を突かれたスパローズ内野陣は咄嗟に動けない、ショートの宮崎がやっと反応して打球を処理に向かう。
 彼はボールを捕ろうとするが、高く弾んで空中にいるそれに手が届かず、落ちてくるのを待つしかない。

 それはほんの少しの滞空時間だが、しかし、仲村が二塁に駆け込むには十分すぎるほどの長さだ。当然のように彼は二塁ベースを踏み、それを確保する。
 ボールが落ちてくる、宮崎はどうにか捕球する。小荷田が大声で指示する。

「ファースト! ファースト!」

 考えている暇などない、宮崎は即座に一塁へ投げる。ボールは、めぐみが一塁に着く寸前で一塁手の五十鈴のミットに納まる。審判がコールする。

「アウト!」

 今のプレイによって、状況が無死一塁から一死二塁へ変化する。つまり送りバントが行われたのと同じような結果が発生したわけだ。
 アウトになっためぐみはベンチに帰り、腰掛け、ため息を漏らす。

「はぁ……」

 すぐそばのテイターが返す。

「お疲れ! やったじゃん、進塁打だよ!」
「まぁそうなんだけど、いまいちっていうか、内野安打狙ってたんだけど……」
「マジ? じゃあ、ちょっと残念だったね」
「もうちょい足が速かったらなぁ、間に合ったのに……」
「でも空振り三振よりずっといいよ。ダブル・プレイにもならなかったんだし」
「うん、ありがとう」

 送りバントを否定するセイバーメトリクスの観点からすれば、今のめぐみのプレイは評価が低いかもしれない。
 とはいえ、スコアリング・ポジションにランナーが進み、結果、藤ノ原にかかるプレッシャーが増大したのは事実だ。

 それに、このボルティモア・チョップはスパローズ陣営に「いつ不意打ちされるか分からない」という不安を植えつけた。もしデイビッドのような俊足バッターにこれをやられたらあっさり内野安打にされる。
 迂闊に直球を投げると今のように打たれるリスクがある、ということだ。これを避けるにはスライダーの使用が求められる。

 だが、それを投球する時の藤ノ原の癖をファルコンズ陣営は知っている。そういう状況の中、打席は九番の西詰に回る。
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