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忌み子編
3.追放【視点移動あり】
しおりを挟む先日の一件で、バーナモント家は大騒ぎとなっていた。
「アル……大変なことをしてくれたな……!」
件のガキ大将は、上級貴族の中でも特に権力が強く、面子にうるさいことで有名なあの、カイべルヘルト家のものだったのだ。
「お父様……でもアイツは……お母様のマントに傷をつけたのです!戦士の誇りを汚されたのも同然です……!ここで牙を剥かねば、男ではありません!」
いじめっ子を締め上げたことで調子づいたアルは、果敢にも父親に食ってかかった。
「何を言うか!貴族の家間の問題がどれほど繊細で慎重なことか、お前にはわからんだろう!お前はいつから戦士になったというんだ!?剣なんぞ握ったこともないじゃないか!それに男らしくなろうったって無駄だ。そんなに強い口調ですごんだって、お前の見た目はか弱い少女のそれだ」
父親――ラドルフが言うことももっともだった。アルが戦士であること――いや、剣聖であることなど、みなは知る由もないのだ。
それにアルの見た目は母親――マリアの生き写しともいえる美貌で、そんな見た目で父親に反抗しても、男同士の激しい言い争いにはならないのも道理だった。せいぜい娘の駄々を父親がなだめる……といった構図に落ち着かざるを得ない。
「それで……相手方はなんと言ってきているのですか……?」
長女のキムがいじわるな意図を滲ませて、口を挟んだ。
「それが……カイべルヘルト家はアルを差し出せば手打ちにしてくれると言っているんだ……。たぶん、相手方はアルのことを女の子だと勘違いして、将来の妾に……とでも思ってるんじゃないのか?それでなくても、男なら男で男娼か召使い……酷ければ奴隷……にされるかもしれない……。
あ、いや……もちろん可愛いお前をみすみすカイべルヘルト家へ引き渡す、なんてことはしないさ……」
アルの不安な表情を察して、ラドルフは慌てて付け足した。だがその本心はそうは言っていない……。そのことが表情から簡単に読み取れてしまうあたり、ラドルフも今回のことでそうとう動揺しているのだろう……。
アルの不安に姉のヘラから追い打ちがかかる。
「なにをお父様は手ぬるいことを言っているの!?うちみたいな弱小貴族がカイべルヘルト家に逆らって、いったい何になると言うのです!?」
この時すでにアルは自分の運命を察していた。というより自分でそうすると決めたのだ。姉のことはもちろん憎いが、いちおう血を分けた兄弟だ。それに父や母から受けた愛情は本物だった。家のためを思えば、カイべルヘルト家へ行ってどんな仕打ちにも耐えてみせるというのが道理だろう。
「いいんです、お父様。僕がカイべルヘルト家へ行けば済むのなら……」
「いかん!馬鹿なことをいうな!殺されるかもしれないんだぞ……!」
「大丈夫よ、アルは見た目は可愛いんだから殺されはしないわ……。もちろん別のことはいろいろ……されちゃうでしょうけれど……」
それもアルは覚悟の上だった。
(冷静になってみると、愚かなことをしたな……と思う)
剣聖の魂も、長年の摩耗でストレスへの耐性を下げていたのだろうか……。それともこの子供じみた一連の行動は、やはり子供の肉体に精神までもが引っ張られた結果によるものなのだろうか。
とにかくアルは後悔と不安のさなかにいた。
初対面の人間に囲まれているあいだであれば、ある種の吹っ切れのようなものが作用し、強気な態度にも出られたのであろうが、やはり自宅に帰り、凶悪な姉たちを目の前にすると、どうしてもアルは萎縮してしまう。
旅行先などでは意外な行動をとってみたりすることができても、いざ地元に帰ると、普段の自分に戻ってしまう、というのはだれしもの経験にあるだろう。
「まあいい機会よ……。これを境にアルと縁を切っちゃえば、もし魔力のことが知れても、うちに飛び火することもなくなるでしょう……」
キムが言ったいじわるな言葉には、正直アルも同意する部分があった。バーナモント家を出てカイべルヘルト家へいけば、秘密がバレても家族丸ごと村八分なんて事態は避けられるだろう。
それにカイべルヘルト家に秘密がバレたら、それこそ厄介な事案とみなされ、あっさり解放されるかもしれない。そうなればどこへでも好きなところへいけばいい。
むろん、齢九歳のアルに――しかも魔力を持たない異端者が――一人で生きていくすべなどあろうはずもないのだが……。前世の年齢と合わせれば約四十年余りの人生経験があるわけだから、そこはなんとかなるであろうというのが今のところのアルの楽観視した考えだ。
カイべルヘルト家が秘密を承知したままアルを飼う気でいるなら、それもそれで、魔力ゼロの人間が生活できる場所があるのなら――それはどこでもよかった。
ラドルフは最後まで反対の意思を崩さなかったが、三対一で、アルのカイべルヘルト家行きが家族会議の末に決定した。
◇
アルがカイべルヘルト家行きとなる前日の夜だった。
みなが寝静まったころ、アルの寝室に侵入する一人の黒い影があった。
闖入者は物音を立てないように、ベッドの横に座し、アルの顔を覗き込んだ。
「はあ……はあ……マリア!マリア!」
鼻息を荒くして自分の衣服をまさぐり始めたのは、ラドルフだった。
生前、妻のマリアを溺愛していたラドルフにとっては、その生き写しであるアルはかっこうの標的なのだ。
「う……うん……?」
カイべルヘルト家行きの不安のせいで眠りが浅くなっていたせいか、アルが物音に反応して寝返りを打った。
「う……まずい……」
アルが目を覚ますかもしれないと思ったラドルフは慌ててズボンを上げて、部屋を出ようとした。
しかし、入口付近にあった戸棚に足をぶつけてしまう。
ある程度年のいったラドルフにとっては、それで十分に転ぶことができた。
「う……!」
「お父様……?」
その拍子にアルが目を覚まし、ラドルフは見つかってしまう。
だがまだアルは事態を把握していない。
「あ、ああ……アル……起こしてしまってすまなかったな……。ちょっと、お前が家を出ていってしまう前の最後の夜だったから、寂しくて顔を見に来ただけなんだ……。なんでもないからもう、おやすみ」
「ええ、そうですか……おやすみなさい、お父様」
ラドルフの取り乱しようはすさまじいもので、とても上手な誤魔化し方とはいえなかったが、寝起きのアルにはそれで十分だった。
無意識に、なにか嫌な夢をみた、という思いだけがアルの中に残っていた。
中途半端なところで覚醒してしまったせいで、このまますんなりと眠りにつけるわけもない。
アルはそれほどいきたいわけでもない小用を足しに、部屋を出ることにした。
部屋の出口に差し掛かったところで、アルの足の裏に冷たい感覚が触れる。
雨でもないし飲み物でもない――そしてそこから感じられる匂いで、アルはすべてを察した。
ラドルフが自分にどんな汚い感情を抱いていたのかを考えると、吐き気が襲ってきた。
「う……」
急いでその場を後にしたい、そしてなにかで足の裏をぬぐいたい、という思いでいっぱいになって、部屋を飛び出した。
すると待ち合わせたように姉のキムが壁にもたれかかってニヤニヤと視線を向けてくるではないか。
「なにか用ですか……姉さん」
「その顔をみると……あんた知らなかったんだねぇ。あの狸オヤジがあんたを慰みものにしてたこと……。ほんっとどうしようもないクズだよ……。まああんたもクズだから似た者同士かねぇ……」
アルは(クズはあんたもだろうが……)と、心の中で罵る。
「それじゃあ僕はこれで……」
「出ていくのかい……?」
アルはそれを無視して走り去った。
家の外に出ると雨が降っていた。だがそんなことはどうでもいい。雨がすべてを洗い流してくれるような気がして、アルは裸足のままで走った。着の身着のままで、何も持たずに。
「うう……うう……」
アルは泣いていた。もはや家のことなどどうでもよかった。このままアルがカイべルヘルト家へ行くことを止め、どこかへ消え去っても、それでバーナモント家がどうなろうと、関係なかった。
「あんな家族、みんな消えてしまえばいいんだ……!僕にはもうあいつらに気を使ってやる義務はない……っ!」
よし、そうだこのまま街を出よう。そしてどこか誰も知らない――アルが魔力を持っていなくても誰も気に留めないような、そんな大都会にいこう。走りながらそんなことを考える。
走れば走るほど、今までの嫌な記憶をそこに置き去りにできるような気がして、足がぐんぐん前に出た。
――ドン。
アルの華奢な体躯がなにか大きな壁にぶつかった。いや、壁のような大きな男だった。このガタイは傭兵か衛兵――とにかくなにか目的をもって雇われるようなタイプの職業の者に違いない。そう思った矢先だ、
「どこに行くんですかぃ?バーナモント家のおぼっちゃん」
男の顔がにやりと歪み、アルの身体が宙に浮いた。男の大きな大きな手が、アルの身体をがっちりホールドしている。
間合いがあり、剣があり、心構えがあれば、剣聖としての技で、この男とも戦えたかもしれないが、こうがっちりと掴まれてしまっては、そこは大人と子供の絶対覆ることのない力の差でもってして、逃れることはできない。
走り疲れていたこともあり、急な接敵にも対応できず、気がついたときにはアルはもう負けていた。
「や、めろ!は、なせ!」
それでも男の腕のなかで、じたばたと足掻いてはみる。もちろんそれに効果はない。
(くそ……僕のことを知ってるあたり、カイべルヘルト家の者で間違いなさそうだ……。おそらく姉が知らせでもしたのだろうが……)
雨で身体が濡れてもう力もでなくなってきた……。アルはとりあえず抵抗をあきらめることにし、そのまま男に身を委ねた。
◇
アルが出ていってから、バーナモント家では意地悪姉妹がその悪辣ぶりを増長していた。
「アルが出ていってせいせいしましたわ。これからはお父様も私たちのことをもっときにかけてくれるわ」
「そうね、お父様ったらアルのことばっかりで私たちには愛情を注いでくれなかったものね」
ベラとキムはお互いに愚痴り合う。
そこにちょうど父ラドルフがやって来た。
しかし姉妹の期待とは裏腹に、ラドルフは二人をゴミを見るような目で見た。
「ふん、邪魔だ、どけ」
「な……!」
「お父様、今のは少しひどいんじゃありません?」
姉妹はびっくりしつつも腹をたて、抗議する。
「うるさい。頭がいたいんだ。アルのこともあってもうわしは最悪な気分なんだよ。お前たちに構っている暇はない。妻も死んで、わしの人生はもうおしまいだ……」
「そんな、私たちがいるではありませんか……!」
「そうです、お母さまや、アルなんかがいなくても!」
姉妹は必至にラドルフに縋る。
だが、ラドルフは極めて冷酷に、言い放つ。
「ふん、お前たち姉妹が、少しでもわしではなくマリアに似ていればなぁ……。美しい遺伝子はぜんぶアルに持っていかれてしまったようだな……。わしは忙しいんだ。もう放してくれるか」
「……なっ!?」
「ちょっと、お父様!」
ラドルフはそう言うと上着を無造作に羽織って出ていった。
ラドルフの行き先は娼館だった。なんともひどい父である。
残された姉妹は絶望と落胆の表情で座り込む。
姉妹の顔はお世辞にもいいとは言えない。ラドルフの顔が悪い訳ではなかったが、姉妹はその悪い部分だけを煮詰めたような顔をしていた。
それに加え、意地悪な性格が、もともともっていた顔をさらにゆがめてしまったのだ。
そんな姉妹が父から愛されるはずもなく、両親の愛情は常にアルにだけ注がれてきた。
「くっそう、アルのやつ、許せないっ!」
「私たちから全てを奪って、それでも足りないというのか!!」
もちろんアルに非はない。姉妹のかってな八つ当たりなのだが。
それでも姉妹は床を叩いて歯噛みする。
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