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2章

帰蝶

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1546年(天文15年)10月中旬 美濃国稲葉山城 織田信長

 道三との会見は一悶着ありつつも、無事終えることが出来た。
 あとは平手爺たちに任せておけば大丈夫だろう。
 俺は一仕事終えて、気を緩めてしまっていた。
 そんな時、道三から声が掛る。

「して婿殿よ。儂の娘、帰蝶については何か聞いておるかの?」

「はい。大変お美しいお方だと聞き及んでおりまする」

 美濃国一の美女だとかなんとか。
 まぁ国主の姫さんだからな。尾ひれも当然ついているだろうが。

「そうか。まぁ見目は確かに麗しい。見目はの……」

 ん? 何か他に問題でもあるのだろうか。
 道三の歯切れが悪い。

「まぁあれだけの大口を叩いた婿殿なら、あの娘のこともきっと上手く扱うであろう。期待しておるぞ、婿殿」

 そう言って、何かを誤魔化す様に笑う道三。
 えぇぇ、何その言い方。すごく気になるんですが……。
 俺が道三にどういうことなのか詳しく聞こうと口を開く。
 がその前に、廊下の方から“ドタドタドタ”と誰かが走ってくる音が聞こえてきた。

「なりませぬ姫様! どうかお下がりを!」

「えぇい、放しなさい! 父上がこの先にいるのは分かっておるのです。私に隠れて勝手に縁談を組むなど……私が直接話を付けます! ですからそこをどきなさい!」

 見張りと思われる男の声と、強気な女性の声が外から聞こえてくる。
 どうやら女性は道三に会いに来たようだ。

 それに何というか、女性の方はちょっと気が強そうというか、押しが強そうというか……この時代の女性にしては珍しいタイプだな。

「なりませぬ! 殿は今、尾張よりのお客人と面会をされておりまする。姫様をここへは決して通すなと、殿よりきつく言いつけられておるのです。どうか、どうか!」

「ほらみなさい。どうせまた父上が話を勝手に付けてしまうおつもりなのでしょう。そんなこと、絶対にさせるものですか! 私はうつけの下へなど参りませぬ! さぁっ、そこをおどきなさいっ!」

 こちらまで丸聞こえな外のやり取りを聞きつつ、俺は道三の方を見る。
 その道三はというと、疲れたようにため息をはき、頭を横に振っていた。
 えっと、これは一体どういう状況なんでしょう。
 
 俺が状況について行けないでいると、襖がバンッと開き、先ほどの声の主と思わしき女性がそこに立っていた。
 艶のある黒髪に、目鼻だちの整った少し強気そうな顔をした女性。
 織田家の女性陣も綺麗な人が多いけど、この人もかなりの美人さんだ。
 他の織田家臣たちも、その女性の美しさに“ほう”とため息をついている。

 女性はそんな男たちを歯牙にもかけず、部屋をぐるりと見まわす。
 そして道三を見つけると、そのままスススと彼の下まで移動し口を開いた。

「父上。此度の縁談のお話、帰蝶は何も聞いておりませぬ。聞けば2年も前から決まっていたとか。一体どういうことなのか、帰蝶にお聞かせ願えますか?」

 ニッコリと微笑みながら、真っすぐ道三を見つめる帰蝶。
 その笑顔は、どこか長秀と重なる部分がある。
 迫力は五割り増しだが。

「どうもこうも無い。武家の娘が他家に嫁ぐのは当然の事であろうが。それを当主である儂が決めたのだ。其方にどうこう言う資格など無いわ」

 帰蝶の問いに、にべも無く答える道三。
 その冷たい答えに怯むかと思いきや、彼女は更なる勢いで食って掛かった。

「そういうことを言っておるのではありませぬ! 私に二年もの間黙っていたのは何故かと聞いておるのです。しかも相手は尾張のうつけと呼ばれておる男だとか。いくらなんでも、あんまりにございます!」

 突然始まった親子喧嘩に、俺たちは置いてきぼりを食らってしまう。
 しかも喧嘩の原因はどうやら俺の様だ。
 二年も帰蝶に黙っていたのは、おそらく今までこの縁談を通す気が無かったからだろう。
 まぁそこは今更言っても仕方が無い。

 今は、俺がうつけでないと言う事を彼女に理解してもらった方がいいかな?
 俺はにらみ合う道三親子に声を掛けることにした。

「あのー、少しよろしいですか?」

 俺の声に振り返る帰蝶さん。
 振り返った姿も綺麗だ。
 っと、そうじゃない。

「……そなたは?」

 訝しむ様にして俺を見る彼女に、俺は姿勢を正して答える。

「某、織田三郎信長と申しまする」

 俺の名前を聞き、俺の姿をじっくりと見てから、慌てて道三を見返す帰蝶さん。
 道三も渋い顔をしながら頷く。
 すると彼女は姿勢を正して座りなおし、こちらに向き直る。

「こ、これは失礼を致しました。私、斎藤山城守利政(道三)が娘、帰蝶と申します。三郎殿がいらしてらっしゃるとは思いもよらず……お見苦しい所をお見せいたしました」

 そう言って、申し訳なさそうに頭を下げる帰蝶さん。
 どうやら織田の家臣が来ていると思っていたらしい。
 ちゃんと正装をした男が、信長だとは思わなかったのかもしれない。
 まぁ例えそうだったとしても、かなり失礼だとは思うけどね。
 それだけ怒り心頭だったってことなのかな?

「いえ、お気になさいますな。某がうつけと呼ばれておったのは事実にございまする。それを不安に思われるのは当然のことかと」

 二年間黙っていたことは流してしまおう。
 新しいお父ちゃんに孝行しておこうかな。
 俺の対応を聞き、すこし驚いたような顔をする帰蝶さん。

「いえ、先ほどの事は……誠に申し訳ありません」

 俺の受け答えを聞き、うつけが嘘であったと気づいたのか。
 本当に申し訳なさそうに頭を下げてくる帰蝶さん。
 うーん、根は良い子みたいだな。ただ何と言うか、直情的というか、周りが見えないと言うか。
 道三の扱いに腹を立てていたのも確かにあるんだろうが……
 まぁでも、これならきちんと話せば納得してくれるかもしれない。

「某は本当に気にしておりませぬ。ですから、帰蝶殿もお気になさいますな。さ、頭をお上げください」

「……はい」

 俺の声に、ゆっくりと頭を上げる帰蝶さん。
 うぅむ、やっぱり綺麗だ。

「ところで、帰蝶殿は此度の縁組に納得がいかぬご様子。某は、あなたの様な美しい姫をお迎えできることに一人浮かれておったのですが……独り相撲であったとは。いや、少し恥ずかしゅうございますな」

「そ、そんな。美しいだなんて……」

 俺の分かりやすいヨイショに、もじもじと恥ずかしがる帰蝶さん。
 うぅむ、なんて扱いやすい女性なんだ。
 そしてもじもじする姿も可愛い。

「しかし、こんな美しい姫君と某では、やはりつり合いが取れておらぬのやも知れませぬ。帰蝶殿が納得されぬ以上、此度の縁談は……」

 少し落ち込んで見せつつ、ちらりと帰蝶さんの顔を覗く。
 すると彼女は慌てて口を開いた。

「な、なにをおっしゃっておいでですか。先ほど私が申したのは、父の私に対する扱いが余りに酷いと思うておったからにございます。うつけが仮初だという噂もどうやら本当であった様子。であれば、三郎様に不足などあるはずがございませぬ!」

 おうおう、凄い勢いで手のひら返してきたな。
 まぁ織田家の顔面スペックは、かなり高い部類だからなぁ。
 俺ももちろん例にもれずだ。
 ちょっと光ってるし、きちんとした格好をしていれば見た目は文句のつけようが無いだろう。
 それにしても単純過ぎる気もするが……まぁ本当に道三に対して腹を立てていただけなのかもしれない。

「なるほど、安心いたしました。山城守殿も、きっと帰蝶殿を驚かせようと黙っておったのでしょう。どうでしょう。某に免じて、その怒りを収めては下さいませぬか?」

 俺の言葉に、口に手を添えて少し考える帰蝶さん。
 そして仕方が無いとばかりにため息をつき、口を開いた。

「……三郎様がそうおっしゃるのであれば、そう言う事にしておきましょう。父上、三郎様に感謝してくださいね」
 
「……うむ」

 渋い顔をしながら頷く道三。
 周りにいる家臣たちも、丸く収まってほっとした様子。
 しかし、美濃家臣の中には、彼女の行動に呆れている者も見受けられる。
 もしかして、彼女はいつもこんな感じなんだろうか。
 
 現代の感覚のある俺からするとそれほど違和感は感じないが、女性である帰蝶さんがここまで自己主張をするのはこの時代ではやはり珍しい。
 特に武家では、娘は政略的な道具として見られている節は否めないし、妻も余り表の事には口を出さない。
 ましてやこんな客人がいるような場所に押しかけてくるなんて、言語道断だろう。
 まぁそれは男女関係なく、やっちゃダメなことだけど。

 とにかく、帰蝶さんはちょっと常識が人よりズレているのかもしれない。
 まぁ俺はそこまで気にならないし、見た目もすごくタイプだし、問題ないか。
 今回みたいなことをしでかさないようにだけ、注意を払っておくとしよう。

 しかし、なんかカオスな空間になってきたな。
 色々と疲れ果てた様子の道三に、ざわつく美濃家臣たち。
 織田家臣たちも、帰蝶さんのインパクトから未だ立ち直れていない様子。
 帰蝶さんは帰蝶さんで、こちらを見てニコニコと座っているし。
 ……これどうやって収拾したらいいんだろう。

 俺がそんなことを想っていると、後ろの覆面男が徐に立ち上がり、急に仕切り始めた。

「いやはや、一時はどうなるかと思うたが、無事丸く収まって何よりじゃ。これで美濃と尾張は安泰じゃのう。なぁ、山城守よ」

 いきなりの訳の分からない男の登場に、場が騒めく。
 道三も、いきなり呼び捨てにされ、額にちょっと血管が浮いてらっしゃるご様子。

 ……もう考えるのに疲れたよ。
 あとはこの人に任せてしまうとしようかなぁ。
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