12 / 30
第三話 台風の夜の過ち
12.夕ごはん
しおりを挟む
―賢知―
「いただきます」
湯気の立つ玉子丼に箸を入れる。ふわり、と出汁の香りが立ち上った。
口の中で半熟の卵がとろける。
「……美味しい」
一言呟くのが精一杯で、そこから箸が止まらなくなった。
響也さんが、こちらの様子を窺うように聞いてくる。
「ごめんね、肉も魚も無くて。物足りないよね?」
「いや全然。めっちゃ美味いっす」
思わず勢い込んで言ってしまう。響也さんは驚いたように目を瞬いた。
「……そ、そう?」
「味噌汁も美味しい。店で食べた味とは違いますけど」
「ああ、これは出汁が適当だからね。店のは、ちゃんと作ってあるから」
玉子丼をかき込みながら、味噌汁の椀に口をつける響也さんをそっと覗き見る。
「……どっちですか?」
「ん?何が?」
「響也さんのお母さんが作る味……こっちですか?」
味噌汁のお椀を手にする。
響也さんは、少し考えるように目を伏せた。
「……店の味、だよ」
「ああ、やっぱり」
「ううん、でも本当は分からない」
苦い笑みが口元に浮かぶ。
「確かこんな味だったかなって、昔の記憶を頼りに作ったから」
「直接聞いたりとか、しないんですか?」
「無理だよ。今どこで、何してるかも分からない。離婚したらしいからさ」
「らしい、って……」
自分の親のことのなのに、まるで他人事みたいな言い方だった。
―わざと、感情から距離を置いているみたいに。
「まあ、もう二十年も前の事だし。今更どうでも良いんだけど」
「……おばあちゃんは?」
「とっくにいないよ。親が離婚したのも、おばあちゃんが死んだのも、同じ日」
風に揺らされ、窓枠が鳴る。
ほうれん草のおひたしを箸でつまみながら、響也さんはどこか懐かしそうに目を細めた。
「それからかな、自分でご飯作るようになったの。父親は家事しなかったから、自分でやるしかなくてね」
「それで料理が得意に?」
「他に人より自信がある事が無かったから。調理師の資格取るために東京に出て、そこからはずっと一人暮らし。自分の店開いて、住む場所も作ったし、もう実家に用は無いかなって。……一人の方が気楽だしね」
言い訳する様に付け足された最後の一言が宙に浮く。
一人の方が、気楽。
本音ではなく、そう思い込みたいだけのように感じる。
「家に友だち呼んだりとか、しないんですか」
「賑やかなのは苦手だから」
そう言ってから、ふと響也さんは俺のことを見た。
「な、なんすか」
急に真顔で見られると落ち着かなくなる。
響也さんは、ううん、とゆっくり首を横に振ると小さく笑った。
「なんか、こうやって誰かと家でご飯食べるの、久しぶりだなって」
「……本当に、いつもずっと一人なんですか?」
「そうだよ」
「寂しくないんですか」
するりと、疑問が口をついて出た。
響也さんは目を伏せると、痛みを堪えるように哀しい笑みを浮かべた。
「……もう、慣れたよ」
「……」
あまりに痛々しい嘘に、何も返せず黙る。
響也さんは何事もなかった様に、にこりと笑って顔を上げた。
「ごめんね、なんか。俺の話ばかりして」
「いいえ、あの」
箸を握る手に力が入る。
「もっと知りたいです、響也さんのこと」
―柔らかな微笑みの奥に、この人は一体、どれだけの寂しさを抱えて生きてきたんだろう。
もっと知りたい。話してほしい。
この人の心に、近づきたい―。
「……ごちそうさまでした」
米粒一粒も残さず綺麗に平らげた丼を前に、手を合わせる。
「本当に美味しかったです」
「よかった。今度はちゃんと肉入れて、親子丼にしてあげるね」
「また作ってくれるんですか?」
「うん。また店においで」
「良いんですか」
響也さんの目を見て、笑ってみせる。
「俺、まじで、来ますよ?」
以前も行った台詞を、冗談ぽく再び口にする。
「いいよ」
響也さんは―嬉しそうに、笑った。
「待ってるね」
「……はい」
返事をする声が震える。一瞬だったけれど、初めて本当の笑顔を見た気がした。
窓を叩く、雨粒の勢いが増してくる。
穏やかな空気が漂う家の中と対比して、台風はますます勢いを増してきていた。
「いただきます」
湯気の立つ玉子丼に箸を入れる。ふわり、と出汁の香りが立ち上った。
口の中で半熟の卵がとろける。
「……美味しい」
一言呟くのが精一杯で、そこから箸が止まらなくなった。
響也さんが、こちらの様子を窺うように聞いてくる。
「ごめんね、肉も魚も無くて。物足りないよね?」
「いや全然。めっちゃ美味いっす」
思わず勢い込んで言ってしまう。響也さんは驚いたように目を瞬いた。
「……そ、そう?」
「味噌汁も美味しい。店で食べた味とは違いますけど」
「ああ、これは出汁が適当だからね。店のは、ちゃんと作ってあるから」
玉子丼をかき込みながら、味噌汁の椀に口をつける響也さんをそっと覗き見る。
「……どっちですか?」
「ん?何が?」
「響也さんのお母さんが作る味……こっちですか?」
味噌汁のお椀を手にする。
響也さんは、少し考えるように目を伏せた。
「……店の味、だよ」
「ああ、やっぱり」
「ううん、でも本当は分からない」
苦い笑みが口元に浮かぶ。
「確かこんな味だったかなって、昔の記憶を頼りに作ったから」
「直接聞いたりとか、しないんですか?」
「無理だよ。今どこで、何してるかも分からない。離婚したらしいからさ」
「らしい、って……」
自分の親のことのなのに、まるで他人事みたいな言い方だった。
―わざと、感情から距離を置いているみたいに。
「まあ、もう二十年も前の事だし。今更どうでも良いんだけど」
「……おばあちゃんは?」
「とっくにいないよ。親が離婚したのも、おばあちゃんが死んだのも、同じ日」
風に揺らされ、窓枠が鳴る。
ほうれん草のおひたしを箸でつまみながら、響也さんはどこか懐かしそうに目を細めた。
「それからかな、自分でご飯作るようになったの。父親は家事しなかったから、自分でやるしかなくてね」
「それで料理が得意に?」
「他に人より自信がある事が無かったから。調理師の資格取るために東京に出て、そこからはずっと一人暮らし。自分の店開いて、住む場所も作ったし、もう実家に用は無いかなって。……一人の方が気楽だしね」
言い訳する様に付け足された最後の一言が宙に浮く。
一人の方が、気楽。
本音ではなく、そう思い込みたいだけのように感じる。
「家に友だち呼んだりとか、しないんですか」
「賑やかなのは苦手だから」
そう言ってから、ふと響也さんは俺のことを見た。
「な、なんすか」
急に真顔で見られると落ち着かなくなる。
響也さんは、ううん、とゆっくり首を横に振ると小さく笑った。
「なんか、こうやって誰かと家でご飯食べるの、久しぶりだなって」
「……本当に、いつもずっと一人なんですか?」
「そうだよ」
「寂しくないんですか」
するりと、疑問が口をついて出た。
響也さんは目を伏せると、痛みを堪えるように哀しい笑みを浮かべた。
「……もう、慣れたよ」
「……」
あまりに痛々しい嘘に、何も返せず黙る。
響也さんは何事もなかった様に、にこりと笑って顔を上げた。
「ごめんね、なんか。俺の話ばかりして」
「いいえ、あの」
箸を握る手に力が入る。
「もっと知りたいです、響也さんのこと」
―柔らかな微笑みの奥に、この人は一体、どれだけの寂しさを抱えて生きてきたんだろう。
もっと知りたい。話してほしい。
この人の心に、近づきたい―。
「……ごちそうさまでした」
米粒一粒も残さず綺麗に平らげた丼を前に、手を合わせる。
「本当に美味しかったです」
「よかった。今度はちゃんと肉入れて、親子丼にしてあげるね」
「また作ってくれるんですか?」
「うん。また店においで」
「良いんですか」
響也さんの目を見て、笑ってみせる。
「俺、まじで、来ますよ?」
以前も行った台詞を、冗談ぽく再び口にする。
「いいよ」
響也さんは―嬉しそうに、笑った。
「待ってるね」
「……はい」
返事をする声が震える。一瞬だったけれど、初めて本当の笑顔を見た気がした。
窓を叩く、雨粒の勢いが増してくる。
穏やかな空気が漂う家の中と対比して、台風はますます勢いを増してきていた。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】取り柄は顔が良い事だけです
pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。
そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。
そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて?
ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ!
BLです。
性的表現有り。
伊吹視点のお話になります。
題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。
表紙は伊吹です。
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
「普通を探した彼の二年間の物語」
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話
日向汐
BL
「好きです」
「…手離せよ」
「いやだ、」
じっと見つめてくる眼力に気圧される。
ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26)
閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、
一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨
短期でサクッと読める完結作です♡
ぜひぜひ
ゆるりとお楽しみください☻*
・───────────・
🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧
❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21
・───────────・
応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪)
なにとぞ、よしなに♡
・───────────・
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる