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大和の章

オオモノヌシ 二十九

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ちょうどその頃、大和川の砦では、イワレヒコ一族と河内のアカガネ率いる河内兵との間で激しい戦闘が始まっていた。砦に拠っている橿原勢は精強で、数の上では勝っている大和川を俎上してきた河内兵を次ぎから次ぎへと撃退していた。

このままではアカガネ軍によるタカヒコへの応援作戦も失敗しそうである。イワレヒコ一族率いる橿原勢はナガスネとミカヅチを擁するタカヒコを逃がしてしまった汚名を晴らすという気もあって、より気合も充実していたのである。何より今回の指揮を執るのはイリヒコとイワレヒコだ。三輪山に入ったイリヒコにかわり、大和川と橿原はイワレヒコが直接指揮をとっている。

意気揚揚と船団を率いて攻撃を仕掛けたアカガネは焦っていた。まだ一艘も上陸も果せていないどころか、河内兵たちが橿原勢の弓の攻撃をうけ、さらに上陸が難しくなっている。こうなっては戦らしい戦にもならない。数度の突撃を跳ね返されたアカガネは、一旦下流まで船団を戻さざるを得なくなった。

タカヒコの味方はミカヅチに続き、これで二つめが阻止されたことになる。

タカヒコに逃がされたカヤナルミは、トミビコの配下の者と飛鳥に向かっていた。とりあえず、三輪山の南まで行けば戦乱に巻き込まれることはないし、飛鳥の北に位置する鳥見山はトミビコたちの本拠地でもある。ここまで逃げおおせればもう大丈夫だ。

カヤナルミを飛鳥へと急がせたトミビコは、鳥見山から取って返し再び三輪山の北磯城の里にまぎれ込んだ。三輪の都から非難してきた里人が巻向の里には溢れかえっていた。もしやタカヒコもこの集団にまぎれて巻向に来ているかと思ったのだ。手分けして巻向の里を探したがタカヒコはいない。

避難民は老人か女子供ばかりなので、若い男がいればすぐわかるはずだ。トミビコは絶望を感じながら再び三輪山へと向かったが、三輪山への最短距離の道々には兵が配置されており簡単には近づけない。

三輪山の大物主の宮では、昨夜のうちにしのび込んだナガスネヒコと伊和大神が麓の情報をまだかまだかと待ち構えていた。病身の大物主は今日は体調がよいらしく正午には麓におりてタカヒコを迎えるつもりなのだが、自分一人では歩くこともできない状態である。

ヒオミとの戦闘で大怪我を負ったナガスネヒコもまともに動けない、オオナンジ一人ではどうにもならないのである。大物主はニギハヤヒを通してしか大した数の兵は動かせない。タカヒコを見つけ出してここに連れこむのも、昨夜のうちならともかく、前面に兵が展開している今となっては不可能だ。もちろん大物主は宮前の砦が臨戦状態、しかもタカヒコの三輪山入を阻止するための兵で充満しているのは知る由もない。

穴師山に逃げ込んだタカマヒコにももう限界が忍び寄っていた。ヤタに追いこまれ探索隊の兵にじわじわと囲まれていた。行き止まりの崖から飛び降り、穴師山の西側を巡る道に転がり出たタカマヒコは、近くにあった大木の裏にすばやく身を隠れした。

息を整えたタカマヒコは覚悟をきめた。せめて憎いヤタと刺し違えてやろう、タカヒコに化けた自分が死ぬことでタカヒコも助かり、幼い妹も助かるという願いをたて、決心したのだ。

 「おい!ヤタ!!!」

大木の陰から踊り出たタカマヒコは、ヤタの名前を呼びつけたが、返事はない。崖の上から遠巻きに様子を伺っている兵達の息遣いだけがタカマヒコの耳に聞こえた。獲物をハッキリとし視認した兵達は、崖からわらわらと降りてきた。崖の方に体を向け、降りてくる兵達に向かってもう一度叫んだ。

「ヤタ!!居ないのか?俺はもう逃げるのを諦めた。ここまで俺を追い詰めたお前に手柄をやろう。さあ、もう逃げも隠れもしない。かかって来い!」 

と、タカマヒコは宝石のちりばめられた鞘を投げ捨て、鉄剣を両の手でしっかりと握り締めた。その時、木津川の方角から飛ばしてくる馬の足音のようなものが聞こえたような気がして、崖から眼を離し、木津川のを振り向いた。そこには、兵を二・三人従えたヤタが不敵な笑みを浮かべ立っていた。

「はっはっはっ。もう鬼ごっこには疲れたようだな。出雲の貴公子さんよ。葛城の山人だった俺の脚を上手くまけるとでも思ったのかい?まああんたも貴族にしておくには惜しい脚だがな。」

ヤタはタカヒコいやタカマヒコの返事を待ったが、タカマヒコは剣を握りしめヤタを睨みつけているだけで何の返事もしなかった。余裕を感じたヤタは自分に着いてきた兵たちを指差した。

「見ろ、こいつら里人出身の兵達を、山の中であんたを追いかけるだけでもうふらふらだ。残念だったな、こいつらだけなら助かったかもしれないのに」

と笑みを浮かべ、さらに続けた。

「追っ手に俺がいたことを悔やむんだな。」

と、話しながら、ヤタはタカマヒコの立っている場所までゆっくりと近づいてきた。そして後ろを振り返り兵達に言った。

「こいつは俺の獲物だ。お前らは手を出すな!」

ヤタは自分の背中に背負っていた鉞のような大きな武器を握りしめた。
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