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大和の章

オオモノヌシ 三十五

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二人の会話を遠巻きにして聞いていたイリヒコだったが、打倒出雲に動き出してしまった彼にとっては最早、役には立たないと理解した。自らの決断によってこの戦いに巻き込んでしまった橿原勢が優位に立つためには、タカヒコをこの場で生け捕り、もしくは予定通りに倒すしかないと彼は決心した。そして改めて命を下した。

「出雲のアジスキタカヒコネを打ち倒せ!」

砦に侵入しようとしている橿原勢に指示した。イリヒコにとっては、倭国全体の行く末よりも、先ずは橿原の勢力の方が大事だ。二人の言いせ争いの内容はともかく、せっかくの兵力的優位を生かす事、それが今の彼にとって最善の現実的対処である。彼も後には引けないのだ。

「かかれ!」

橿原勢は、民家を壊し、その柱を取りだし、数人で槍の如く構え砦に突進をはじめた。また壊した民家の部材を梯子代わりにして砦によじ登り始める者もいる。砦の陥落は間近である。タカヒコを支援する兵はホンの10数名、一方砦の外部から攻撃を仕掛ける橿原勢と東国勢はその数倍の大軍だ。「ズーン」と大きな振動音が何度も砦に響き渡る。

「タカヒコ様!大物主さまの宮までお退きください!!!もう門が持ちません!!」

階下を守っているエシキが叫ぶ。タカヒコ達の立っている高床も橿原勢の突進のたびに揺れている。タカヒコが視線をニギハヤヒの目から離し、階段の方に顔を向けた。その隙を待っていたのかのようにタカクラジがタカヒコに後ろから襲いかかる。

タカヒコの横に立っていたタニグクがコヤネの太刀をはじく、タカクラジの向けた刃がタカヒコの左肩の辺りに食いこんだと思った瞬間、逆にタカクラジは宙に飛ばされ、砦の下へと転落した。

タカヒコとタニグクの間でへたり込んでいた血まみれのナガスネヒコが立ちあがりタカクラジを突き飛ばしたのだ。タカヒコは崩れかかるナガスネヒコを抱きとめようとしたが、ナガスネヒコはその手を振り解き1歩、2歩とニギハヤヒに真正面から近づいていく。

ニギハヤヒは剣をナガスネヒコの腹部に突き刺した。血を流し尽くしたのか血が噴出すことはない。もはや痛みさえ感じられなくなったのか、自らの腹部で剣を飲み込むようにナガスネヒコはさらに前へ出る。背中から剣先が飛び出した。

それでもナガスネヒコは歩みを止めない。

「ニギハヤヒ殿、剣を捨ててこの場からお逃げなさい!」

そのただならぬ様子を横目で見ていたイリヒコがニギハヤヒに向かって叫ぶ。しかしニギハヤヒは蛇に睨まれた蛙のように身動きができない。

「ニギハヤヒさま・・・・・」

そう一言呟くとナガスネヒコは両手でニギハヤヒを抱きしめた。ナガスネヒコの背中から突き出た剣先が伸びた。ナガスネヒコの口からあふれ出た血がニギハヤヒの顔に掛かる。

イリヒコは横合いからナガスネヒコに斬りかかりニギハヤヒと引き離そうとするができない。タカヒコがイリヒコの剣を金鵄の剣で叩き落した。ナガスネヒコは一度大きく息を吸い込んだ。そして、ニギハヤヒを抱きしめたまま、砦の壁に突進する。壁は無惨にも砕け、二人の体は宙に舞い、そして地面に叩き付けられた。

「なんということだ!!!」

とコヤネは驚きのあまり、叫びながら砦の下を覗きこむ。タカクラジは剣を杖代わりに立ちあがろうとしている。

「ニギハヤヒ様は??」

コヤネの視線は、抱き合うように墜落しピクリとも動かない二人を捉えた。コヤネの横から覗き込んだイリヒコは下にいる兵にニギハヤヒとタカクラジの介抱を指示したが、二人はもう駄目だろうと思った。

「タカヒコ様、もう駄目です!!」

階下からエシキの声がする。タニグクが呆然とニギハヤヒとナガスネヒコの落ちた辺りを見つめているタカヒコを促し、階下へと引っ張って行こうとした。

「おまちなさい。タカヒコ殿」 

コヤネがタカヒコの方を振り向いて言った。

「この倭国を、天地の始めて現われし混沌の世の中に戻すおつもりか!!」

タカヒコは何か言い返そうとしたがタニグクが無理やり階下に押しやった。タニグクとタカヒコは下で待っていたエシキらの集団に紛れ込み、大物主の宮の方角を指して三輪山を昇っていった。

「待て!」

と、高床の上からイリヒコがタカヒコに呼びかけるが、混乱の中、その声は届くことはなかった。

直後、門は終に破壊され、あっという間に橿原勢と東国勢が砦の中へ充満した。砦の下で陣頭指揮にあたっていたタケヒが指示を得るため砦の上に上がって来た。イリヒコはとりあえずヒオミの亡骸を階下へ下ろすことを命じ、ニギハヤヒとナガスネヒコを介抱するように命じたあと、頭を抱えんでしまった。砦の高床の上には、コヤネとイリヒコの二人だけが残された。

「イリヒコ殿、これから如何されますか?」

と、コヤネはイリヒコに問うた。

「やるしかございませんな。」

と、大物主の宮があるあたり、三輪山の中腹を見つめたままイリヒコはコヤネの方を振り向かずに答えた。
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