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陽炎 蛍 #ほぼ私の事実の自叙伝である。、昔からうるさい程書けと急かされてましたが、いざ書きだすと「私の事は書かないで!」友人続出
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第1章 赤い橋
また、此処に来ている。
本当の自分を、観るために。
まるで、吸いよせられるように、毎年、蛍のこの季節に、この赤い橋の上に、源氏蛍達の妖しげな舞いを観に、あたしは、此処にくる。
眩いばかりにひかりの点滅を我先にと光かがやく数えきれない源氏蛍が、私の回りに集まり
美しくまとわりつくように舞い踊る。
透き通る眩い光の中から、ひときわ、輝きを放つ源氏蛍の光の輪につつまれ、「彼」が現れる。
何時ものように、ゆれるような、少しはにかんだ美しき顔をもつ、彼は、光線のような、鋭いまなざしで、愛しげに私を見る。
そっとそばにより、耳元でささやく。
「どうだい?今、君は輝いているかい?ステキなときめきをともなう切ない愛に出会ったかい?」
気だるい声で、私は答える
「今回は、随分と長い人生なのね。
もうー68年間も、いかされているわ。狛に見せ、聞かせ、よろこんでもらえる最期の愛?どうだったかしらね。」
薄く微笑む私。
「命を棄てても、美しい君を愛し抜いていた。ああーノブっていったかな?彼の愛のつづきを聞かせてくれよ」
「まぁ~忘れたの?ノブは、とうの昔に、そっちの世界に逝ったじゃない。それこそ、どこかですれ違わなかった?」
それにそろそろ、私も終わりたいわ。どうせ、狛の退屈しのぎのこの命でしょう?
「それに、次が最後の約束なの忘れてはいないでしょうね。」
「そうかー少し長く生かせすぎたかな、まぁ~考えておくよ。なら、最期の人生は、短くはかない命て輝きに満ちた人生にするかい?でも、淋しい人生になるよ?それでも、いいのかい?」
「もうー人間は、飽き飽きしたわ、何度、狛は、私を転生させていると思っているのよ、少しは私も、ここに舞う源氏蛍にもどって、自由気ままに命のかぎりに舞い踊り、消えてしまう世界に戻りたいわ。もうーそろそろ、他の源氏蛍をあたってくれないかしら?
「いや、いや、君が思っている以上に、君が描く物語には、ぞくぞくするほど、感動させてもらっているよ。残念なことに、きみに、替わる、源氏蛍は、この千年見当たらないね、きっとこの先も、君以上の源氏蛍は、出逢えないだろう。きっと。」
わたしは、やるせなく首をふった。周りでは、我こそはと、源氏蛍が、ざわざわと、みだれ飛んでいる。
「でもー彼は、どうするんだい!?ほら、前世の君に恋こがれ、無惨に戦場でちった彼だよ?ありえないことに、今君が生きる今世にうまれかわり、35年間も、君を捜し続け、やっと巡り合い、それ以来25年以上、君の為だけに、いきてるような彼だよ。しってるかい?前世の君の命はひどく短かった。たしか、17年間だたかな?君を消したあと、彼は毎日この赤い橋にきてたんだよ。そして、あきれるほど、長い時間君を待ちこさがれていた。みているこっちがせつなくなるほどにね。「また、明日、ここであいましょうね。」と、微笑んで言った君との約束を信じてね。なにしろ僅か、三週間の逢瀬だっただろう?だから、僕は、そっと、かれに教えてあげたんだ」
蛍はもうーこの世にいないんだよ。とね。呆然としていた彼は、次の瞬間、この橋から、身を投げたんだよ大勢の源氏蛍と、僕とで、かれを拾い上げ橋の上に運べた時には本当にホッとしたもんだ。全くきもがひえたよ。
狛は、その細い肩を少しそばめた。呆れるように。
まさか、人でない女に生身の男が、惚れるなんておもわないじゃないか。いつもの、泡沫の恋心の男ばかりだと、思っていたからね。
私は、赤い唇をいたいほど、噛み締めていた。
「知らなかった❗ただの泡沫の陽炎のような、私のあとを追い命をすてるように逝ってしまっていたなんて!」
たかが、蛍一匹の為に、人間の男が、命をたったというのか?蛍は、赤い橋の上で、呆然と、遠くから聞こえてくるサラサラと
清らかな川のせせらぎねなか、空を見上げていた。
さっきまで、あれ程いた源氏蛍達は、消え失せていた。
蛍と狛二人、赤い橋の上にたたずんでいた。
蛍は、異様に蒼白く光り輝きをましてゆく、
次の瞬間、狛が振り向いた時には、狛の前から、消えていた。
第二章 蛍 幼年期
「桜貝は、いりませんかぁー
桜貝を買って下さい。桜貝は、いりませんかぁ」
驚くほど、響く大きな声で幼い女の子は、綺麗な布の上に、浜で拾った桜貝を、松の木の下で売っていた。
道行く観光客は、こんな
可愛く、儚いげな幼い女の子が、道端で、一塊づつに分けた桜貝を売っいるのを見て、多くの観光客が、その愛らしさに足を止める。
その愛らしさに負けて、
桜貝は、飛ぶように売れてゆく。
「可哀想に、いまどき、こんな、おさない幼子が、物売をしてるとは、きっとよほど、苦しい生活の子に違いない」
と、皆思いながら、一山百円の桜貝は、いつも、午前中に完売いする。
布を畳んで幼子が帰る家。
それは、高く白い壁のある豪邸であった。
「お嬢様お帰りなさいませ」と、15~16才の女中が駆けてきた。その声掛けを黙ってやり過ごし
幼い女の子には、広すぎる自分用の豪華な部屋に入っていった。
その広い屋敷には、手入れの行き届いた庭があり、庭師が丁寧に、季節ごとの花が咲き乱れ、中央の広い池には、一匹何百万もする、様々な色鮮やかな鯉が、ゆうゆうと、泳いでいた。
この屋敷に来て、蛍は一言も、口をきいていない。
昔かたぎの祖父は、一緒にきた。ケンと、男女同じにするべきではないと、広い屋敷の北と南の部屋をそれぞれ与え、一緒にきた。弟のケンといきなり引き離した。どこか有名新興宗教法人の幹部をしているらしい。目鼻立ちのととのった弟を祖父は、いたく気に入り、何処へ行くにも、弟だけをつれて出た。犬の散歩。魚釣り。果ては、幹部をしている宗教法人の集会にも、得々として、連れてゆく。いきおい、ひとりになった、蛍は、海辺の観光客目当ての店先で売ってる桜貝が目についた。
あんなの海岸にいけば、いくらでも、転がっているのに。、、なぜ、大人達は、喜んで買ってゆくのか?
そこで、ふと、思い付いた。「あの桜貝を、集めて売ったら、結構売れるんじゃないか?
そんな、遊びに近い思いつきで。始めた商いだった。
家では、一言も話さす無表情の能面のような顔で
いつも、華やかな正絹の着物を着ているので、これは、まずいと思い、お手伝いの少女の古着を、商いで得たお金で買い、それを着て、毎日、毎日、なるべく屋敷から遠い松林の木の下で売った。私の部屋の、床の間に置いてある、高価そうな、大きなツボに売上の小銭がたまっていった。
「いつか、この、お金が必ず必要になる」
確信めいた予感が蛍には、あった。
父は、のむ、打つ、買うの三拍子揃った遊び人、だが誰もが
振り返るほどの洒落た男前。
母は、どうやら、ヤンゴトナキ平家の、血筋の、娘らしいが、畑でとれた、大根のような。素朴さだけが、取り柄のさえない小太りの女だった。
祖父母は、幼い私に、おそらくは、教えるべきではない、私の出生のひみつを話してきかせた。あまりにも、一言の言葉も、話さず懐かない孫娘に対し、きっかけ作りのくるしまぎれの、思わず打ち分けた話だったのだろう。
どうやら、私は、父が、10年暮らした芸者やとの間にできた娘らしい。厳格な祖父は、その結婚を、けっして認めず、別れる条件だったのか、華やかな結婚衣装を、きた。二人の写真だけは。あるので、それをわたしに見せながら。得々と教えてくれた。そして、妊娠が、分かり。私が。乳離れするかしないかの時点で、二人を別れさせ、平家の良き血筋ていう理由だけで、勝手にその娘と父の結婚をきめた。血筋がよいだけで極貧生活を、していた義母の親は、多額の結納金に目がくらみ、娘を売り渡した。私を育て上げるという条件を、のんで。
因みに、結婚式の写真は、ない。
その、その話を、聴いても、私は眉一つうごかさなかった。
幼心に、薄々気付いたからだ。
しかしながら、父は、相変わらず、元妻の、家に、くらし、時々私達の家に、帰ってくるような、男だった。不思議な事だが、イワユル一目惚れ✨😍✨だったのだろう義母は、そんなツレナイ父を、生涯心から愛し、次の年には、腹違いの弟のケンが生まれていた。
私は2月2日生まれ。
ケンは、2月15日生まれ。
奇しくも、二人とも、2月うまれの二週間違いの姉と弟ができあがった。
私は母に、抱かれたことがない。
私は、母の母乳を一度も、のんだことがない。
祖父が、勝手に決めた結婚にも、かかわらず、母は、死ぬまで、父に追いすがり、激しく焼きもちを焼き、たまにしか、帰らぬ夫を1日千週の想いで待っ女性であった。
勢い、夫婦の激しいいさかいが絶えない状態となり、とうとう、父の実家の、この屋敷に私と弟は預けられることとなったのだ。
当然といえば、当然の成り行きであった。
しかし、この、屋敷に連れて来られて、弟とも、引き離され、義父がアメリカ支社勤務のさい、恋に落ち
結婚し、日本に連れかえった、青い目をした、祖母
にも、全く懐かず、その祖母は、ほとんど屋敷の外に出ない人だった。今思えば、カタコトの日本語と、俗世の他人の好奇な目がさぞや煩わしかったのだろう。
全く心も口も開かない私に辟易とした祖父母は、父と母を屋敷に三年後に呼びつけた。
なんと、三年もの間、私は、祖父母と一言も口をきかず、目もあわせようとしなかったのだ。
秘密で、桜貝を、くるくると売りさばく、いたいけな?女の子は、あれほど他人や新婚さんと、笑い、ハキハキと話し、誤ったたにんの大人の同情の中で、桜貝売りで!得たお金は、大きな壺に溢れんばかりに溜まり、幼い少女には、かかえきれないほどだった。
いつしか、我が身が、源氏蛍の化身であることさえ、忘れていた。
三年後に父の屋敷裏におずおずと訪れた母と弟は、
真っ赤な夕暮れ時の赤に染まった大理石の玄関に、続く長い石畳をトボトボと歩いてきた。玄関先で待っ、蛍を見つけると、弟のケンが私を見付けるなり、走り出し飛び付くように蛍に抱きつき「蛍!蛍‼️蛍‼️」
と、泣きじゃくりながらしっかり抱いたその手は、垢にまみれ真っ黒だった。
久し振りに見る母と弟は驚くほどみすぼらしかった。垢まみれの体、継ぎはぎだらけの擦りきれた着物。
父は、伊達者だったので、どれ程苦しい生活の中でも妻子には、決して、こんな格好をさせる男ではなかった。
つづいて、麻の茶がかたスーツに真っ白なシャツのえりを出しにかつかつと白い革靴の音をリズミカルな音を大理石の石畳にたてて、陽気に父が歩いてきた。
母たちと父との、あまりの差に唖然とする蛍。
その蛍も先日仕立てた濃い紫の振袖姿は、夕暮れの赤いそまり、眩いばかりに、愛らしく美しく、両者の差は、酷いばかりに、鮮明に浮き上がって見えた。
父は、私を祖父母に預けて以来一度も母の家には行ってなかったらしい。
たぶん。私の実母の家にでもいたのだろう。だが、私は一度も、母にあったことがない。
ただ、、、、わたしが赤ん坊の頃か、息が出来ぬほど、強く抱きしめ泣き崩れていた、私の頬を濡らした涙。
儚げな慟哭し震える細い腕の女性の強いじゃこい単語の香りだけは、鮮明に記憶の奥底にあった。
私の、あまりの頑なな拒絶した態度に、強い不安を覚え、再び
私達漂流家族四人は、再び、暮らす(漂流?)することとなり、祖父母のせめてもの心遣い〈どうやら、祖父母は、本気で私がオシになってしまったと思っていたらしい〉として、広島旅行をプレゼントしてくれた。そして、今、久し振りに家族水入らずで旅にでている。
京都から広島の駅におりたち、観光用の花馬車を見たとたん、なぜだか、観たことがあると思い、行き先の道筋や宿も見えていた。
ここ、来たことある。
そして、、、、
誰かに、見付かる‼️
はっきりとした予感がに全身鳥肌がたった。
予想道理の道を行き、予想道理の町並みがつづき、橋にさしかかったときには、もうー久しく見えなかった霊がみえ、ずるっと皮が指先から垂れさがたった火傷だらけの半裸の人々が、「水、水、水 」と呟きながら、花馬車にしがみついてくる。次々に川に飛び込む無数の人の群れ。
原爆当日の光景が広がっており、黒い雨が降ってきた。川は、火傷の半死半生の人々がぎっしりて緩やかに流れていた。今にも、引きずり下ろされそうな空洞の目をした男女の区別も付かない人から掴まれたずるっとした感触に思わず「ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァとさけんだ。
それを見ていた馬車の御者の男性が、
「みえましたか。敏感な人には、原爆の状況の広島市民の姿が見えたり、感じたりするらしいんですよね。」そう~いう御者の顔も青ざめていた。
そして、思った通りの蔦のからまった宿に花馬車は、止まった。
スタスタと降りた私はお手洗いを使いたいと、宿の女主人に伝えた。やさしく「ご案内致しますよ」と言う 女将に、
「大丈夫、知ってるョ」と、二階の奥の突き当たりのトイレにスタスタと行く私を、皆が、呆れるやら、不思議な感覚で見てが、
父だけが、いいようのない不安な目で見送っていた。
そして、その日の夜の事。
三人が寝静まった丑三つ時の空間の中。 わたしだけが、いくら、頑張ってねようとしても、目がさえるばかりで、眠れずにいた。
「ナニかが、来る❗」
その時、スーっと、襖が開いた。
見覚えのある、大きな瞳全て、見透すあの光る瞳が、食い入るようにじっと、蛍を見つめていた。
「やっと、やっと、見付けたよ、蛍。」と、、、、、
彼は、愛しげに、うめくようにワタシに言った。
そして、一気に、あらゆる場面が、わたしの中を走り抜け、己が何者かを、全て一気に、思い出していた。
全てを理解していた。
そうだ。私は、人ではない。
私は、幾万もの源氏蛍の一匹に過ぎない。
最後に、あの赤い橋の上で、「彼」に打ち明けられた惨すぎる話を聞いてるうちに、己の意思で初めて転生していたのだ。
人形に魂が宿るように、
シキガミが主を愛するように、
あの時、話に酔いすぎて、ほんの少し狛が、目を離した隙に、わたしは、無意識に勝手に己の意思で転生していたのだ。
お気に入りのオモチャをなくした子供のように、狛は、うろたえ、消えてしまった無限の空間・時代をくまなく探し回った。われを忘れるほどにがむしゃらに、必死に。
蛍を、シッカと見詰める、その瞳には、安堵と激しい怒りが、ないまぜになり
、鋭い光線のような視線を蛍にぶつけていた。
次に、蛍は、自覚した、私は、もうー狛に操られ、その生死さえも操られる一匹の源氏蛍ではないのだと、この身を切れば赤い血が流れ、瞬きのような、時の中で人は、老いてゆく。蛍のように、永久に、殻を代えながら、永遠に魅惑的に舞い降りつづける源氏蛍にも、もうー私は戻れないのだ。憐れに感じていた人間に、既に、蛍はなっていた。
このまま、朽ち果てるしかない、人に蛍はなっていた。。
そうだ。あの時、狛とつながっていた銀の糸を自ら、断ち切って、転生したのを、一気におもいだした。まるで、走馬灯のように全てを一気に理解していた。
見た目は、六歳の少女だが、その狛を見詰め返す瞳の鋭さは大人のそれだった。
「ふっ。やっとおもいだしてくれたね。君は僕の唯一のお気に入りの、特別な源氏蛍。何度生まれ変わろうと、誰よりも、あやしく眩いほど、光輝く蛍さ。この度に、あまりにも、数奇なヒリヒリする物語を、僕に魅せてくれるから、この数千年、君ほど、強い光を放ち輝く蛍を僕は、知らない。それが、ほんの少し目を離した隙に、僕の前から消えてしまっていた。己の意思で転生でできる源氏蛍がいるという。話は、聞いたことさえあれ、あり得ない話だと思っていた。実際この数千年、そんな源氏蛍表れなかたからね。あり得ない事だと、本気で思っていた。君が消えるまでは。」
その源氏蛍に待っ運命を、流石の、源氏の王の長男の狛でさえ、定めは、かえられないのだ。
「君は、どれほど、愚かな行為をしたか、わかっているのか?」
同じ、人間同士が、この数千年間も、同種である人間同士が、殺しあう生き物など、他には、いない。自分が生きるために必要な別の命を最低限食らう動物は、いても、自ら、それぞれの人間達がお互いに分からぬ言葉を、作り出し、大昔の人間が。作り上げた神など、この、広い宇宙に存在しない。人間は、楽しみやその欲の為に無慈悲に同胞を殺める、この、世界で もっともら愚か動物だ。わかっているのか!蛍。君は、人間として、朽ち果てて逝く運命を自ら選択したんだ。この定めだけは、だれにも、かえられない。たとえ僕でもね。こんな、薄汚い世界で永遠に消え去る定めを無意識にしろ選んだ蛍を僕は、不憫におもう。
一気にまくしたててるうちに、私達二人は、いつもの赤い橋の上の2つの赤いソファーにすわっていた。私は、いつもの半透明の羽衣をまとい、一番美しい時期の自分の姿でゆったりと座って狛にしずかにいった。
「たとえ、無意識に選んだ定めでも、これが最後命でも、私は後悔しては、いはい。醜い俗世により、どれほど汚れようと、憐れに老い去らばえようと、そして、永遠に消え去ろうとも、この最後の人生を選んだ私を、私は後悔しないわ」
この上なく、穏やかで、静かな声で、横に座る狛を慰めるように、蛍は、いった。
目の前の大きなスクリーンでは、五歳の蛍が、懸命になって真っ青な顔で、父や
、母や、ケンを、懸命に揺り動かし起こそうとしていた。だが、三人とも、時が止まったかのように、眠りこけて、誰ひとり目覚めず、布団を頭からかぶり、そっと、襖に目をやり、狛の鋭い目線に、ただ怯える、はかないほど、幼い蛍が、泣いていた。
この、橋を戻れば、俗世。。。。渡りきれば、又、自由に夜空を光輝きながら我が命尽きるまで、命のかぎり狂おしく舞い踊る源氏蛍の世界。「ああ~
あの眩い世界にはもう二度と戻れないのね」と、スクリーンを観ながら、小さく呟いた。
「僕はね、いつも、一人で、きみのヒリヒリするほど数奇な物語を、ここで観ていたんだ。まさか、君と、二人で並んで観る日が来ようとは、夢にも思わなかったよ。さぁ~この続きを二人で見ようじゃないか、これが、最後の君の君が選んだ人生だ。こうして、最後に二人並んでみるのも、又、一興かな?」
さみしげな。狛は、蛍の手を初めて握った。
「温かいね」
と、ぽつりと呟いた。
父の血筋は、陰陽師の直系の血筋だ。
口で言う言葉と、その人の心の声が聞こえていた。
私を見て、「まぁ~なんて、可愛いお嬢さんだこと」と誰もが言うが、心の声は、〈美しい幼子だが、人を見透かすような目をしてる。気味が悪いわ〉と呟いていた。
「蛍!起きろ。朝の散歩の時間だ」あの広島旅行から帰った、次の日から、私と、父との、早朝の散歩が始まった。父は、温かい布団から、引き剥がすように、折れそうなほど細い蛍の手首を掴んで引きずり出し、外へと出掛けるのだ。外は朝焼けもまだ眠り眼で、暗い闇の中ゃ真冬の午前5時。
毎日の日課が始まる。
「狛」見つかってから、毎日の訓練のようだった。
そうーこれはさんぽなんかじゃない。厳しい修行か訓練のらようだった。
まだ寝ぼけまなこの目を擦りながら、
「父さん?今日寒いから、散歩やめない?」と、得意の甘えた瞳で、父をみやげたが、すぐに、固い表情の父を見て、不可能だと、悟った。
第三章 蒼い瞳の少女
この時ばかりは、いつもちゃらんぽらんな父が、にべもなく首を横に振られ痩せた父と、まだ7歳の私は凍える程寒い玄関の外に出る。
台所から呆れ顔の母が見ている。いつもは甘やかし放題の父だが、この早朝の散歩だけは毎日
欠かさず行われる。この早朝の散歩だけは毎日欠かさず行われる。
時には朝帰りの日もあるが、とにもかくにも毎日家に帰って来てくれる父なので母は、まことに機嫌がよい。
ブルッと、身体を震わせながらも、ふと父を見上げると目が赤い。
「又、朝帰りかー」
しかし
我が父ながらスッとこうの高い鼻筋、綺麗な二重まぶた、形の良い少し分厚い唇。端正な顔立ち。真っ白な綺麗な歯並びの父が笑うと、我が父ながら、とてつもなく魅惑的だ。細身の高く均整のとれた身体に白いスーツをざうさもなく着こなす父〈誰かに似ている〉と思うのだが、どうしても思いせずにいた。
ずっと後になって、気づいたのだが、その、姿は拍に酷似していた。
早朝だというのにシワ一つ見当たらない白いスーツにスカイブルーのワイシャツの衿をスーツの外に出して濃紺のストライプのネクタイを少し緩めた父の姿には、母と違う女の気遣いが見てとれた。
どこか浮世離れしたその姿に、〈まるで、映画館でみる。ハリウッドスターみたいだ。ああそうかアメリカと日本のハーフだからか、、〉
なのに名前は佐久間清史郎なのだ。
誠に羨ましいことに一つ違いの弟は今頃ぬくぬくとした布団の中で寝息をたてている事だろう。
ギャップ有りすぎだろうと私はボンヤリ思う。[何故、私だけが⁉️]胸の底ではわかっていながら。いいようのないいきどうりを押さえられない。
「蛍、何が見える?今、なにが聴こえる❓️父さんに言ってごらん」
私の目を見詰めて優しく問う、何時もの父の台詞。
しばらくは何も感じす。人々の寝息と、とりとめのない夢が見える。
だが、蛍の瞳が妖しく 光った。
「この角を曲がって四件目の家のおばあちゃん。今、息が止まったよ。家族が気がつくのは2時間後、でも、お嫁さんは薄々気がついてるのに、何故だか知らんぷりしている。あのお嫁さん、おばあちゃんを見殺しにしてる。今、救急車を呼べば、まだまだ生きられるのに。」
「そうかい」と父は、その家の前で静かに両手をあわせ、口の中で、呪文のような言霊を発していた。
まだ、間に合うと走り出す蛍をきつく止めて私の目の高さまで膝を折り静かに諭すように言った。
「いいか、蛍。人には寿命がある。今が、あのおばあさんの卒業の時刻なんだよ」
父は、静かに、その家のまえを通りすぎた。
そして、厳しく私に言い渡した。
「父さんにもあるように、蛍にもご先祖さまから受け継いだ他人には無い能力がある。何故かは解らぬが、父さんより、ずっとずっと強い能力だ。いいか?これだけは忘れないでくれ。その能力をお金に売り渡しては断じてならない。他人にも、易々と話してはならない。ましてやその能力を仕事にしては絶対にいかん!それは、それを授けた天に背くことになる。汚すこととなる。今は、蛍にとり世間がとてもうるさいだろう。父さんも子供の頃そうだったからね。だが心配はいらない、もう~五年もして、思春期になれば、みなと同じ声と音しか聞こえなくなるからな。」
そして父は、限りなく優しい態度で私に言い渡した。
「多分、蛍は他人が経験しなくともよい試練を沢山経験するだろう。だが、それら一つ一つが徳を積む経験だとわすれるな。蛍は、当家にとり、100年目の女の子だ、正確に言えば男子しか直径の血筋に産まれたことは、無い。百年まえも、家を絶やさぬ苦肉の策として、遠縁の女子を養女に迎えたときく。
だが、蛍は、直径の子供として、おそらくは初めての女子であり、産まれながらにして、恐るべき波動を持って産まれてきている。だから、心配する事はない。蛍は、どんな大きな災いも小さくできる。だけども、その能力を金て、引き換えにするな。他人を本気で呪うな。その優しい心を大人になっても失うな。金持ちが幸せな訳でもなく、貧しき者が不幸訳ではない。往々にして、存外その逆の場合が多い。蛍は自分が生きたいようにいきろ。得することでも遣りたくない事はするな。天がいつも蛍を守って下さる
道を誤るなよ。」
父は、真冬の早朝のかじかんだ私のほぼを、愛おしく包み込むように優しく撫でた。だが、その瞳には涙が滲んでいた。
第五章 蛍 思春期
蛍は、父が好きだ。
蛍は、母が好きだ。
「蛍が産まれた時、産院の中庭には、見事に桃の花が咲き乱れていたのよ。ナースか、〈ミス・ベイビー〉と呼ばれる程、本当に綺麗で愛らしい赤ちゃんだったのよ」となんども、なんども、蛍を見詰めて母は唄うように言っていた。
我が子でもなく盲目的に愛した男の元妻?の娘を育てるのを条件にち、父の両親から強いられた条件をのんだ義母であったが私に桃の花を何度となく語り聞かせているうちに、母は、本当にあったことだと信じているかのようだった。そして、確かに蛍は自分が生んだ娘だと自ら信じるまで。そうー母は死の間際まで続いた。ある意味、見事な生きざまである。
そして私も最期まで反論しなかった。母が、私の腕の中で息を引き取るまで、全身ガンの痛みを一言も嘆く事もなく無言で、耐えていた。
心の中では、2月2日に桃の花は満開にならないよ、、と思いながら。
第六章。京都から修羅
私達漂流家族は、父の仕事の都合で、
京都から、北九州に引っ越しすることとなった。私が、小四の秋だった。
家賃が払えなくなったのか、サイサイ父家に居るようになって、私達漂流家族は、住まいを北九州の中で転々と変えていた。そして又ミカン箱をテーブルかわりにして母は、楽し気に新しい花柄のカーテンを窓にはる。
身の回りの制服下着・洋服・教科書などをパンパシに、詰め込み、大きな風呂敷包みに布団2セット・鍋・カマなど最低限家族4人がもてる荷物を持たされ、父からは、「楽しい旅行」と私達姉弟には告げられていた。一緒に行く筈の父は駅私のホームで、私達三人を見送るように、ホームに佇み電車が走り出すと共に、ダッシュでホームを駆け降り最終車の手刷りにしがみつき乗り込んで来てニコニコと私達の座席に着く。いわゆるキセルである。降りる駅でも、同じように走る電車から飛び降り、私達三人を駅の待合室でニコニコと待っていた。
昔は小学生は運賃はタダだったので、私は中学二年まで小柄で痩せていたので、電車に無料で乗っていた。それほど小柄だったのだ。だから、北九州のどの土地も私達は住んだことがある。まるで、〈砂の器〉のように、、、
母は、様々な日本中の地方の方言がごちゃ混ぜになった姉弟を見て標準語を話すように強いた。だが肝心の母が標準語を話せないので、なおさら奇妙なこと使いになる姉弟になる有り様だった。
母なりの思い遣りだったのだろうが、そのモクロミは見事に外れていた。転居先の子供たちは自分達と同じ話し方をする子供のみ、仲間と認める。それは日本国内どこに行っても同じであった。おかげで、大人達から、
「どこの出身の子供なの?」とよく聞かれた。私も。あらゆる土地の訛りのイントネーションがない交ぜになり、それにら標準語手やらも、混ぜこぜになり聞かれると、もう面倒になり「日本の子供です」とこたえるようになっていた。そしてオカシナコトニ標準語をしいる母は、生涯宮崎の高千穂弁が抜けなかった。〈よだきい〉とか、おそらくは宮崎の人しか理解出来ないだろう。きっと、母も抜くきさえなかったのだろう。
母は、他人と話すのが苦手で、全く知人も友人も、どの土地でも求めていなかった。
時々、お客様がくると、そそくさと、出がらしのお茶をだしたら、部屋の一番隅に無言で座ってた。まるで(座敷わらし)のように。
この、おかしげな母を弟も私も愛した。母の世界には、父・弟・私が全てだったのだ。そ例外の人の入る場所は、一ミリもなかった。亡くなった母の母を残しては。どうして、何度も、夜逃げのような、引っ越しをくりかえすのか?一間の部屋で、家族四人布団2組で暮らす生活に、母は、むしろ、たのしんでいた。ただ、浮気すると、包丁、鍋、釜が飛び交い、母は我を忘れて怒り狂う。もう~手がつけられない程に。私が大人になり、結婚相手や彼氏に全く嫉妬をしないのは、あのすざましい光景をみて、反面教師の面もあると感じる。
父を一途に愛し、何度となく裏切られ、その度に自殺を図る母。揚げ句の果ては、父も母も居ない姉弟二人の生活。母が落ち着いたのは、あれほど、ハンサムだった父が老い、母にだけ優しい父になった晩年だけだった。私が北九州に出戻り、高千穂の母の替わりに私に頼るようになった晩年の父と母は実に仲良しで、母の食べる魚の骨も全部取ってあげ、どこに行くにも優しく母をエスコートする父。母は幸せそうだった。父と暮らせるだけで、それだけで、母は幸せだったのだろうか?
私といえば、相変わらず裏表の声が聞こえてきて、まことにうるさく面倒な俗世を生きていた。父は、祖父が支社長をしている新聞社の新聞記者に落ち着きたわいいが、政事記者の為、長期に家をあける。又、母がたおれる。又姉弟の二人の生活が始まる。次第に自分達で生きる生活を身に付けてきた。バイトを何本も掛け持ちして、学校
にも通う。まことに忙しい日々を送っていた。何しろ二人合わせたバイト代で生活費・学費をまかなっていたからだ。
母といえば72歳で、全身ガンでなくなったが、通算40年間は、病院暮らし。家に居られたのは亡くなる前10年程だった。そんな人生で母は、本当に幸せだったのだろうか?
高千穂の山あいで貧しく暮らし、母かはしたら、大都会を父に付いて回り友の1人も作らず。ある意味、まか不思議な人生をいきぬいた女性だった。
第7章 初恋
小四の転校先で私は初めての恋をした。
いわゆる、〈初恋〉である。
もう~何度となく転校を繰り返している私はスラスラと挨拶を済ませ、なぜか、何処の学校でも窓際の2~3番目の席が空いており先生から教えられる前にスタスタその席に着くのが身に付いていた。そして誰も寄せ付けない雰囲気までも身に付いていた。
そこで、同じ性の男女が目についた。誰にも感心を持たない蛍にしては珍しいことだ。スポーツも勉強も秀で人の目につく輝きを放つ男子と女子だった。
太田と名乗る二人。
太田君には転校時教壇に挨拶でたった時からひどく目立ちドキッとしてた。
〈ドコカデ、、「クックックッ」という狛の含み笑いが聞こえた。〉
他人を寄せ付けない技を消して、太田君に急速に近づき親しげに話しかける。彼の笑顔を無理に引き出す。ジャンルジムの上でみんなに「ねえ、ねぇ、お互い好きな人を此処で発表しょうよ!わたしは、太田君❗」
太田君は、うつむいて小さな声で、僕も佐久間と答えた。
そう言わざるを得ないムードを私は既に作り上げていた。同時に〈まだ好きな人は居ない〉という可愛い女子が私に近づいていた。吉永という女子、いつも気付けば私の隣で笑っているような女の子。不思議なことに、いくら耳をすませても、心に声がザワザワとした雑音により聞こえない吉永さんだった。
日曜日になると私が無理強いした自転車二人乗りデートが始まった。公園や海辺まで二人乗り風を切って走るのが好きだった。蛍は妖しげな青い光を発しながら空に向かって喉をならしコロコロてわらうのだ。まるで源氏蛍の光の点滅のように。しかし、太田君の表情は見えない。
ある日、彼は思い詰めた顔で言った。
「いつも、二人っきりじゃ退屈だから、友達な吉永さんも連れて来なよ、三人の方が楽しいじゃないか」少し戸惑いながら、熱く説得する彼の提案を蛍はしぶしぶのんだ。
次からの日曜日デートは、彼はうってかえって超楽し気になった。いつの間にか、蛍の指定席の彼の後ろの席は、永吉さが乗り込み座り心地の良さげな黄色いクッションまで頑丈に取り付けとあった。蛍は、走る自動車を走って追い掛けていた。
その太田君は、突然、6年生の二学期に転校になった。
寂しかった。
悲しかった。
聞いたこともない外国だったからだ?
しかしながら問題は、そんなオセンチな話では終わらなかった。転校するまえに、太田君は、はじめから
「僕、永吉さんが大好きだったんだ」と友人に内訳ていた。
その上永吉さんまでが彼のこと好きだったと他の友人にうちわけていた!なんという初恋だろう。私はまるでピエロのように他の女の子がすきな太田君にひとりで舞い上がり恋焦がれていたのだ。昼休みに
窓辺から、まるで黒い点のようにら遊び回る男子の、中から、あっというまに彼見付けられるほどひかれていたのに、、蛍の初恋はこれ以上ないほど、心に深い傷跡を残して終わった。
この時蛍は、強く心に決めた。今後一切自ら恋心をうちわけまい。自分も相手にも、深い傷跡を残す行為は二度とすまいと。辛すぎるから。
さすがに、中学・高校を、子供達の働きだけで通える程世間は甘くなかった。姉弟の私服は普段着ジャージと外出着一着つづ。洗濯機もないから、流し台で石鹸で、素手で洗う。冷蔵庫も無いので夏に冷たい麦茶も飲めない。
ケンと蛍が、どれ程掛け持ちバイトをしても、家賃・生活費・学費を捻出するのが精一杯だった。お米は、数合づつ買う米屋のおばさんの見下げた目つきが今でも忘れられ無い。だから、蛍は大人が大嫌いになった。
「私は大人になんかならない」
そう、誓った蛍が立派な大人68歳。甦りの命を捨てた代償の惨さが身に染みる。別人のような、我が顔や身体に引き換えの代償を認識する。
以前、狛が「自分がなにをしたかわかっているのか?瞬く間に醜く朽ち果てる人間を選んだんだ蛍は‼️」と、悲痛な言葉のいみがわかった。
てな事情で、蛍は瞬く間大人を通りすぎまくっている次第となる。
さて、17歳の蛍に戻ろう。
これは、リアル私の自叙伝だったわ。
蛍はケン諭すように言い聞かせる。」
「ケン、絶対に私達が子供二人でくらしていると、近所ににも、学校にもさとられたらいけないよ!そうなったら必ず私達、孤児院に入れられる。下手したら、別々の孤児院にね!」この状態は客観的に観れば、完全な〈育児放棄だ。
なのに、二人共一切そう感じずひたすら今の生活を守ろうとしていた。
商才のない父は、新聞記者の傍ら、会社を企業し、四回倒産させていた。大人しく祖父が支社長をしている新聞社で政事記者をしていれば、十分家族は生活できたのだが。母の二回にわたる保険の効かない心臓大手術代あ300万を越えを捻出する傍ら、安易な儲け話に乗り。詐欺師同然の知人と会社を起こし、まんまと持ち逃げされ借金だけが父に残る。なんと一度で懲りず四回も倒産させる父に、
「この人生きてゆくの。人の上に立つの向いてないわ」と我が父ながら感じた。倒産すれば当然債務が残り、清算できなけば、債務は、ヤクザの世界にまわる。
勢い毎日のように借金の取り立てが家に押し掛ける。
「父は、いません」この言葉を何度、柄の悪いオジサン達に答えた。数えきられなほどに、 その男の人たちの中で一際 怖くしときは男前のヤクザがいた。
鶴竜さんと呼ばれていた 世界では ヤクザの世界では名の知れた 男らしい
「 俺はガキの使いじゃないんだ 3日後に来るから100万円用意しておけ できなければ ただではおかん」 とすごむ 男前 ヤクザに 無理に決まっているだろうよ 私たち 子供たちの生活費さえ出せないうちに と思いながら。
「 はい 伝えておきます もし 帰ってくれば
」
と冷たく 私は返事をした。 そして彼の目を強く見返した。
鶴竜 という人の顔が一瞬 揺れた。
あっという間に3日が過ぎ 週のベンツに 横に真っ赤なドレスを身にまとった 明らかに 苦労との女の人と
一緒にやってきた。
カツカツと革靴のまま家に入り込み「 おい 100万円へ 準備できているか?」
「 すいません 父さんが帰ってきてないので準備できてません」 と答えると 、
「 馬鹿野郎 こちとら ガキの使いじゃないんだなめてんのか お嬢ちゃん」
「 いやそう 言われましてもお父さんが帰ってこないんだもの」
怒りまくる男前 ヤクザさんの前で 深いため息をつく 蛍。
途端にホタルのお腹がグーグーとなった。「 え お前たちハラすかしているのか? 何し食べてないんだ?」 と聞いてきた。
「 いや 食べてないということはないよ そうめんを10日ほどちゃんと食べているもん」 私は 胸を張ってはっきりと答えた。
男前 ヤクザのあきれたような ため息が出た。
「 うーん お前 歳はいくつか?
」 と聞かれ、
「 私14歳ですけど?」 と答えた。
「 うーん 14歳 若すぎる これも無理か」
男前 ヤクザは ブツブツと独り言を言い始め しまいには 考え込んでいる。
奥では弟のケンが竹刀を握りしめ 今にも殴りかかん らんばかりの殺気を放っている。
そこで私ははっと思いついた。
「 おじさん 何度も何度も空手で帰ったら上司にひどく怒られるでしょ ちょっと待っててね」
私は奥の部屋のタンスの中の財布からなけなしの500円札を取り出した。
その500円札を男前 ヤクザさんの手に握らせ、
「 100万円にはほとんど 程遠いけど この500円は私たちのバイト代の 残りなの 何にもなく オケラで帰るより お兄さんの上司に怒られないかも これ持って帰って」
しばらく黙ったまま私に握らされた500円札をじっと見つめる 男前のヤクザ。
突然その量の目からポタポタと涙が流れ落ちた その白いストライプスーツの方が震えた。
「 ちょっとそこで待っておけ」
男は言うと 下の白いベンツに戻り 赤い女の人と何やら口論している。「 いいから持ってるだけ出せ!」
そしてまた急いで2階の私たちの部屋にの前に走ってきて私に言った。
「 お前いい目をしている 。お前は強く 綺麗な心の女だ 、確か 俺もそんな目をしていた時があったぜ
、、、女はな 、一度落ちるところまで落ちると二度と普通のシャバの社会には戻れないんだ 。
よく覚えておけ 負けるんじゃないぞ ❗
この薄く 汚世をまっすぐに生きろ 。その目と、その まっすぐな心を忘れるなよ ‼️」
涙で赤い目をした男前のヤクザは5万円を私の手に握らせ。
「 この金は 返さなくていい金だ 、お嬢にあげる 。これでうまいもんでも食えよ 俺はもう二度と ここへは来ないから 他のやつらも来ないように話をつけてやる 。お前は女だけど俺のようには決してなるなよ 。男より女の方が押した時はひどいからな」
少し 間を空けて、
「ありがとよ。嬢ちゃん。信じてるからな。俺みたいになるなよ。道を外さず明るいお日さまの照らす道を生きる人生を生きるんだぞ」
その眼差しにはせつないほどの、慈愛の捻がこもっていた。
今思えば、あの時が二度目の、淡い恋だったのかも、しれない。
その日から、全ての借金とりが、パッタリと来なくなった。
あのあと、私達二人は、生まれて初めて焼き肉家の暖簾をくぐりお腹いっぱい焼き肉を食べた。
世界一 美味しい味がした。
そして私は、ほんの少し強くなれた。
その 太田君は、小六の二学期に、転校して行った。
寂しかった。
悲しかった。
逢えない外国に彼は行ったのだ。
しかし、問題は、そんなオセンチな話では終わらなかった、、、、
転校する前 大田君は「 俺 本当は 吉永 が大好きだったんだ」
と友達に連れて去って行ったという。
その上 吉永さんまで 大田君のこと好きだったと言った。
何という 初恋だろう‼️
私は 他の女の子が好きな男の子に 一人で舞い上がり恋焦がれ
ていたのだ。 小さな点のような 男子の中からでも あっという間に 好きな 大田君を見つけられるほど
教室の窓辺から お昼休みに 校庭 小さな点のような男の子の中からでも を見つめて一目で分かった というのに。
これ以上ないほど 蛍の心は深く傷つけられた。
そして ホタルは強く心に決めた 今後一切 自分から恋心を打ち明けるのをやめよう。 これほどまでに惨めな 結果は 、もう二度としないと。
第8章 もう1人の太田さん。
さて、もう一人の太田さん。
転校したその日 から、 太田さんの鋭い 私に対する目線がひどく気になった女の子だった。
その女の子は その女の子は 美しく凛とした人、その女の子の周りには 多くの取り巻きがおり その中央でデンと、
構えている姿が、 妙に気になり 些細なことでよく喧嘩をした。
他の 学校でも 同様の取り巻きを持つ女の子はいたが、 全く 私は よりつかず 心の声が聞こえてきても完全無視を貫く 集団だった。
しかしながら 、どうしてもその太田さんには 目が放せなかった。
何か 、
同じ世界観を持っている 思いが強く 彼女にもあった。
激しい 反発感と共鳴感を感じる 初めて他人に感じる 感覚だった。
「 なんだ❓️この気持ちは❓️」
近づきたいが 彼女の取り巻きが邪魔をする。
近づきすぎて あの鋭い刃のような眼差しでばっさり切られるような恐ろしさもあった。
誰にも感じたことのない エモ 言われぬ 苛立ち そして結局 激しい喧嘩に発展するのだった。
どこの土地に行こうと、大人が大嫌いで 子供も大っ嫌いだった。
大人は、陰湿で言っていることと、心の声が正反対の人間がニコニコ笑いながらお互いに お互いの腹直しを探り 罵り合っている。 どこが 己が相手より優れているか見極めているような 醜い姿は 、見ていて感じていて ヘドが出た。
また子供たちは 、多くの子供がひどく 残酷な心を持っていた。 どこに行こうと新入りの 私の弱みを探る
そしてそこを突こうとする それも大勢でだ。
だから、私は 自分の周りにバリアを張り 誰一人 寄せ付けなかった 。友達も 欲しいとも 全く思わなかった 。まるで 影のようにその中で 存在する技を自然に身につけていた。
自分以外の他人は全員敵と見なしていた。 その 私が気になってしょうがないのが 太田という 女子だった。
喧嘩ばかりしていたが いつの頃からか 、2人だけでいると お互いの心の内を打ち明けられる存在になっていた 。いつから そうなったかも覚えていない。
気がつけば なくてはならない友と思う 存在となり 、私の心の厚い扉を易々と開け 私の前に立っているような人だった。
誰にも打ち明けない秘密 自分が今置かれている環境 それを 難なく話せ 、太田さんはその話を静かに 聞いて受け止めてくれていた 。それに同情をめいた感情は一切ない 不思議な人だった。
今私は68歳になっているが 11歳まで 出会い 57年来の親友と呼べる女性になるとは その時 思いもつかなかった 。ただ 花火のような激しい衝動を 第一印象で覚えたことは はっきりと覚えている。
不思議だった。 なぜ この人だけ?
その不思議の意味が解けたのは 、太田さんの家で 祖父の家で見た 陰陽師の 家系図を見せてもらった時だ。
「 あー 同じ血だ、 同じ感性を持人だ」
そこに全く受験 知らずのお嬢様の 若林かおり が 、すーっと 寄り添ってきた まるで妖精のような 無垢な女の子だった 、3人とも 人並み外れた 美しく輝く美少女だったので それはそれは 校内で かなり目立つ。
3人で歩くと、誰もが道を分ける 3人が3人とも他人の目など一切気にしないどころか、 どこか 図太さがあた
太田さんに 私の生活状況などを 話していたところ 突然 和子さんが その言葉 の間に割り込んで叫んだ。
「 ごめん ホタル 、ホタルの生活の過酷さの話だけど、 私には全くわからないの 想像さえもつかない ごめんなさいね」
ようこさんは 、いつものように頷き 静かに聞いてくれていた 日常の私の生活の話 なのだが、、、
突然 耐えきれなくなったような悲鳴のような声で 、泣きながら私に訴えかけてきた その泣き顔に 、あ あーこの人の前で私の生活は話すのは二度とするまいと心に決めた。
第9章 バイク事件
普通の人の3倍の量の新聞配達 ・牛乳配達を全速力でやり遂げ、その後にさらに 剣道 の訓練として近くの山を 鉛の靴で 走り そして 下がってくる 弟だった。
念願だった 50cc のバイクを買ってきた弟は ひどく 嬉しそうにすでにどこも 磨くところがないように ピカピカのバイクをなお 磨きながら「姉貴 このバイク かっこいいだろう 。これを買うために 1年半 人の3倍 売買 バイト 増したんだ!
剣道のトレーニングにもなるしな」 と 本当に嬉しそうに 、そして愛しげにバイクのハンドルを触っていた。
「 そう~ よかったね! かっこいいじゃん!」
そう 私は答えたが 、そこに 半月ぶりに見る父の姿が見えた 。不吉な風が私の頬をかすめた。
次の朝 、バイクは消えていた。
次の朝 住んでいた ボロ屋の私の裏庭で弟が大声で「わぁ ‼️」と叫んでいた。
どうしたのか 驚いて 裏庭に行った私は、昨日まで そこにあった。あのスカイブルーのバイクが消えていた。
いや 正確に言えば、昨夜 雨が降っていたので 弟は奮発してバイクのカバーをかけていた そのバイクごと 引きずって 持ち去った後だけは、嫌というほど裏庭の 土地に 引きずった後が 見えた。
後から ぬるっと出てきた父が 「おいおい 何の騒ぎだよ 寝れた もんじゃないじゃないか 」弟はその父を睨みつけ 炎を吐き出すように問いただした。「おい❗俺のバイク どうしたんだ‼️」
「 あー 、あのバイクか、、 ちょいと 、わし、入り用の金があったんで 友達に売っちまったよ 。
〈すまんすまん 〉でも案外高く売れたよ 、お前のバイク。 ありがとうよ」 と悪びれも なく 軽く言った。
あのバイクは1年半、 ケンが懸命にバイトをして毎日 バイク屋さんの前でそのバイクを見つめて バイク屋さんのお姉さんと仲良くなるほどであった。 だから少しまけててもらったらしい。 そんな愛着のあるバイク〈 なのに この父は何を言っているのだろう 〉多少なりとも 、やっとの思いで 自分で働いた バイト料で買ったのを知っているだろうに 、どうしてこんなことができるんだ この人は。
「 うー❗うー‼️」
と唸って弟は、父に がむしゃらに 殴りつけかかった、 まず顔を蹴り、 腰を蹴り、 何度も何度も どこと 言わず 殴り続けていた弟に 「ケンやめて !お父さん死んじゃう」と 私は 思わず 父に覆いかぶさった。
あの時私が 止めなければ 弟は確実に父を殺していた。
それほどの弟の狂気を感じた。
父に覆いかぶさった時 、勢い余って弟は私の背中を力いっぱい 踏みつけていた 。その後は半年経っても青く 消えなかった。
当然 父は ボコボコに弟に殴られたので3週間ほど動けなかった だが、決して病院に行こうとはしなかった。
「 姉貴、すまん。ごめんなさい」とその背中のあざが、ちらっと見えるたびにケンはホタルに謝った 。横で母はボロボロ泣くケンの背中を たまたま 仮外泊してきた母は泣きながら さすっていた。
けんちゃん 、 と母はわけもなく 何度も 弟に謝っていた 母の心が一段と壊れだしたのは多分あの時からだ 「ごめんなさいね 。ごめんなさいね 。ごめんなさいね。」 と母は 訳もなく 何度も何度も 弟に謝っていた。
その朝以来 、弟は必要最小限の 返事しか父にしなくなり、 会話を交わすことも、目を合わせることもしなくなった。
そう ケンが、 その後 死ぬまで それは続いた 。宝物のようなバイクを売られた 憎しみは一生続き 、弟は35歳でバイク事故であの世に逝った。剣道で日本一になり、 絵を書かせれば 優勝し 、弟の賞状や 、トロフィーは家に溢れるほどあるというのに、 肝心の 弟の姿だけが家からいなくなった。
無理やり病院を退院してきた母は 、
弟の好きなカレーを1日ごとに作り、 弟のお骨の白い包みの前に備えていた 時間があれば 弟のお骨をいつも抱きしめていた。 呆けた顔で そしてそのお骨に話しかけている。「けんちゃん?いつかえってくるの?ほら、大好きなカレーが冷めるよ」と白いお骨をつつんだ骨箱に話しかけていた。 私は父が何をしても許してきたが、 丸めた 母の背中の座った後ろ姿を見るたび、 [人には消して 、人にやっていけないことがあるのだ』と 学んだ。
お父さん覚えてますか ❓️あの 私が4~
5歳の頃 毎朝の早朝散歩で 「優しい心を消して汚すな 。忘れるな』と 呪文のように 私にといた父が 、決してやってはいけないことを自ら我が子にしたのだ。
何かやんごとない事情があったのかもしれない 。命に関わることがあったのかもしれない 。
だがそれは 父だけの問題だ 。弟も私も母も全く父に事情を聞かされていなかった。 何でも許す 私だが 、このバイク事件だけは決して私はこの一点だけは許せない その父も死んでしまった今でも許せない 。
人には決してやってはならないことがある 。
それは 安子 という娘も同様だ!
第10章 蛍と弟
「 ホタル 僕たち 大きくなったら結婚しようね」 が弟の口癖だった。 私は女の子たちと遊んだことがない 。ままごと、 お手玉 と、 全く興味がないからだ1つ違いの弟はバイク事件の前までは、 明るく よく人を笑わせる ひょうきんな人気者だった 私と違いどの土地に行っても直ぐに大勢の友達を作れる子だった。
山の木登り 魚釣り ザリガニ釣り 秘密基地作り 防空壕跡を利用しござを引き それぞれ持ち寄ったお菓子を食べる だが私は大きな木の上の丈夫な枝を利用しあちこちに転がっていた以下の木を木の上にあげ 小屋を作る方が好きだった。 そう 私の子供の頃の遊び相手は弟のお友達たちだった。 今思えば 弟は私を喜ばせたいために、どこに引っ越しても私が喜ぶ遊び相手を無理をしながら男友達を集めていたように思う。 そう「 笑わせる本 』という本を弟のベッドの下に 見つけた時に 、私のために私を笑わせるために 、遊ばせるためにケンは頑張っているんだと思った。
私たちは本当に仲の良い お互いを支え合い 助け合う姉と弟だった強い絆で結ばれていた その弟を母は溺愛していた。 明らかに私と弟に対する母の態度は違っていた。 些細なことでよく私は母からぶたれていた そうしていると必ず
弟が私の前に立ちはだかり 「ホタルをブツなら僕をぶって 蛍をいじめるな」と 、大好きな母に歯向かった。
時々 父や母からお小遣いをもらうと、ケンは、近くの駄菓子屋でおもちゃで指輪を買っては 私にくれた 赤 青 緑 黄色 色とりどりのおもちゃの指輪が 父がくれたオルゴールの箱に溜まっていった。
仕方がないので、 私がベーゴマ、 パッチン 、ビー玉 、など 男の子が遊ぶ 小道具をケンに買い与えていた 。山を走り回り 川を泳ぎ 、ザリガニを釣り、 木の上に小屋を作り 、分けのわからぬ秘密会議を皆で真剣な表情で話し合ったものだ。
中学生になった2人が まるでコインが 裏返すように社交的 女性に私は成長し 、男友達の1人も作らぬ無口な青年にケンは成長した。
なぜなら 友達から〈 兄弟同士は 結婚できないよ 〉と 教えてくれ 弟に伝えた からだ。
弟はその話を聞き 、 「嘘だろ 」と 一言いい この世の終わり のような表情をした。
おどけた表情をして 人を笑わせ男友達を一生懸命作ったのは きっと私のためだったのだ 。本来 無口な 青年だったのだ 。あの山のような おもちゃの色とりの本物ではない指輪も、弟は 結婚できないと伝え たあと
長い間 落ち込みそして オモチャ指輪のプレゼントも、とまった。
でも 、
本当のことだから 仕方がない。
第11条 いじめ事件
ホタルは成長するごとに 怪しげな光を放つ美しい娘へと成長していった。
だが蛍が心を開く人間は 片手に余るほどだった。
ある時期 、蛍は異常なモテ期が訪れた 。そうまるで ホタルの季節に ピカピカ と点滅しては人々を惑わす あの夜の幻想的な 蛍の群れのように。
[ よしよし 面白くなるぞ ホタル もっと前もっと飛べ。]
狛が あの巨大なスクリーンを見ながら 喜んで いるように感じた。
体育館の裏 、学校の屋上 、家の帰り道 、瞳をときめかせた 男子達が毎日のように 蛍の前に現れるようになった。 そして 真っ赤な顔して告白してくるのだ。
ホタルは軽く 「うん 分かった まず友達からね 」と セリフのように 笑って彼らをやり過ごした。
心を許す、 2人の友達と 私たちは中学生になった。 蛍たちは 競い合うように見知らぬ男子の告白を受けるようになった 。しまいには3人で 正の字で誰が今月一番 告白を受けたかというゲームをやりだす始末だ。
3人は3葉の美しさがあった 一番の友達 太田さんは 宝塚の 男優のように キリッとした凛々しい 美しさが あった お嬢様の 若林 香織さんはまるで妖精のような 透明感なある美しさがあった。
ただ 煩わしいだけの私と比べて、2人は妙に余裕があった。 2人にはボーイフレンドがいたからだ。 かおりちゃんは 他の進学校の彼。操は中学からの付き合いらしい。
みさお は、中2の頃 中学校一番の美少年と付き合い始め そして大人になり 23歳で彼と結婚した。 ふむ 誰か一人に決めて ボーイフレンドを作れば 、このブンブン 私の周りを 回る ハエのような 煩わしい男たちから 解放されるのか 、なるほど。
私は意識して告白してくる男の子を見定め始めた それはボディーガード ボーイフレンド の選別である 以前から諦めず何度も何度もアタックしてくる ガタイの良い野球部のピッチャー いつも女の子のファンクラブみたいなか ファンクラブみたいのからキャーキャー騒がれている男の子 これでいいんじゃね 何度目かの 彼の告白で私は 拍子抜けするほど簡単に OK と言った また 断られるのを覚悟だた彼は一瞬 ポカンとし 次の瞬間 まるでホームランでも打ったかのように 空に向かって ガッツポーズをした よっしゃーやったぜ と飛び上がった 。(ふむ 、君ガタイがいいし 、見た目もまあまあ 。ボディーガードに最適だと思っただけなんだ。)
ところが 事態は奇妙な方へ進んでいった。 ボディーガード のつもりで 付き合いだした彼だったが、取り巻きの ファンクラブ もどきの女のことを 忘れていた 。
2人の噂は瞬く間に 学校中に広まり あちこちから さすような視線を感じ 同学年の女子全員が私に敵 むき出しの 全無視 いじめが 始まった!
誰一人 私に話しかけて来なくなった わかるように数人で 私のことを指さして こそこそ話 一番厄介なのが 調理教室の移動や自家 教室移動 誰も女子が私の隣のに座る女子はいないどころか、しまいには 私の座る さえ片付けられないのだ 。仕方がないので適当に男子の横に座っていたが 、この半月後には1年から3年までまるで伝染病のようにその全無視運動が広がっていた 。これにはさすがに困った 。教室にいる場所がないので廊下に出ると大勢の男子から 取り囲まれる 。もう私は 開き直ってその男子の輪の中で はしゃいで見せる と、勢い ボディーガードボール フレンドの機嫌は誠にふてくされて悪くなる 。これはもう 完全な 負のスパイラル状況だ。 こんなはずではなかったのだが 、さすがの父も 学校からの相談で転校先を探し出し 「ホタル つらかったら言えよ 」と言いだす始末。「 いいよ 自分で何とかするから 」と答える。私 は 俯瞰で今の状態を観察することにした。 女子は 数人のグループで行動することが多い 。そして、そのグループごとのリーダー 女子 の彼が、 私に 告白してきた男の子の一人だという事実にたどり着いた バスハイクの時を狙って 重さ そのリーダーの 女の子に 反撃することに私は決め決めた 例によって私の席はない 仕方がないので一番前のバスバスガイドさんの 補助席に1人 座らせてもらった 何とも 味気ない バスガイド バスハイクが終わり そのバスガイドと並んで 私はたち 同じように 挨拶をする すると一番大きなグループ女子のリーダー バドミントン とかの部長の女学生が降りてきた おいお前 ちょっと乾かすな 私の奇妙な行動に全女子がビクビクおずおずと降りて行ったが 私の言葉に全員が凍りついていた 私はソフトボールのキャプテン で 力には 地震があった 近くの公園まで その女子を引きずり 連れて行き 私は静かに聞いた 「お前だろ?このいじめ 。最初の原因は 」あまりの 私の剣幕に震えながら 、しどろもどろ の説明をする彼女、 そして いきなり 私の頬を殴ってきた 「ほう ー先にお前が手を出した んだから な 、私はちょっとしたお返しをお前に するだけだよな 、
文句は言わせないよ、」
その時私のナップサックの中には ソフトボール2つ 硬くなった グローブ 握力を鍛えるための鉄のグリップが入っていた そのナップサックで バットを全力で振り切るように彼女に向かって 振り抜いた ボコッ という 鈍い音が鳴った もろに自慢の彼女の顔だった その顔に重いな ナップサックはジャストフィットした よく振り切れてたわ 試合だったらこれ ホームラン てとこかな などと思っていると ギャンギャン泣き出す彼女に 「覚えてるだろうな 先に手を出し 殴ったのは、お前の方だからな 、ふざけるなよ 。舐めるのも休み休みにしろよ 。私がこの学校の裏番 はってるの お前知らないのか ?」いつのまにか そのグループの女子たちに囲まれていた。私は 誰も彼もがガタガタと震え 青ざめた顔をしている 「ほう 次は 私は誰と戦えばいいんだ 1つ1人ずつ前に出ろよ 、なんなら 数人づつでもいいぞ 、」しかし誰も震えて動かなかった 。「お前たちな 君たちのリーダーがこんな状態になってるんだ。病院に連れて行くなり、保健室に連れて行くなりしてやれよ 。骨でも折れてんじゃないか ?お友達なんだろう ⁉️それぐらいしてやれよ、」
彼女が 顔を覆いながら 私に小さな震える声で絞り出すように言った 「だって私の彼を蛍は誘惑したじゃない 」顔など全く思い出せない 。「そんなに大好きな男なら 首輪をつけてチェーンでも つけて 逃げないように 捕まえておけよ お前の彼 など 顔さえ覚えてないわ 」
それから 周りの 女子たちは やっと彼女を運んで病院に行ったらしいが 、幸い骨は折れてなく全身打撲のみで済んだらしい。 しかし 顔の腫れは1ヶ月ほど引かなかった。 先に思い切り殴られた私の方は、1週間ほど 腫れが引かなかったが、 私は次の日から平気で学校に行った もちろん 病院にも行っていない 。
すると 摩訶不思議な現象が起きた 。その日から 誰となく何度となく口を聞いたこともない女子たちが おずおずと 話しかけてくる 「ごめんね私たちはそんなつもりはなかったのよ 。だって 蛍は いい人じゃない ?蛍と話してたら 蛍と同じ目に合わすと 、千世丸から脅されていたのよ 、だからごめんなさい許してください 」まあ 誰もが同じような内容を私に言ってきた。
その中で図々しい女子「蛍っていい人だから私とお友達にならない」と にこやかに言う奴さえ 現れた 。「うん 、その話は断るわ 。一度誰かを裏切ったやつは、何度でも裏切るからね
信用するわけないしましてや 友達などとんでもないわ 」その日を境に、
嘘のように 全無視運動は解除され誰も彼もが、張り付いたような笑顔で話しかけ 挨拶された。
もちろん私の席も用意されている。千代丸などという名前さえ知らぬ私と、対決した千代丸は3ヶ月後 転校して行った 。
私はその理由を誰にも聞かず 誰も話さなかった まるで 最初から千代丸がこの学校にいなかったような勢いだ 。
当然 教師たちは 何事もなかったかのように、日々の 教育という名の仕事をしている 。
だから大人なんて大嫌いなんだ‼️
第12章 忙しい 放課後
自力で行った高校 中学校 小学校の頃から、 バイトバイトに明け暮れていた私は 弟もだが 小学校から高校まで遅刻をしなかったことがない 。
だが学校は休まない 小学校の時など 父が再々家を追い出される ので 、
小学校は 小倉 北区にあるのに 住まいの家は 門司だった 小倉の小学校から文字の自宅まで約12km あった 。
細く 痩せた ホタルには 気が遠くなるような長い長い通学路 だった 。
母は いつものごとく ほぼ 入院していて家にはいない 。
かなり 身体的にも肉体的にも精神的にも参っていた時期だった 。時々帰ってくる父は 朝 トーストを1枚ずつ 私たち 羽を弟に 焼いてくれる それに マーガリンをつけて 、牛乳は 県が配達の残りがあるのであるにはあるが 、残念なことに 2人とも 牛乳が飲めない体質 なので トーストと一緒に飲むのは まあ 水だった。その 牛乳を飲むとすぐにお腹を下す からだ、 そして1日 ひどい目に遭うので あっても飲めない。
したがって 、父が 誇らしげに作ってくれる トースト朝食は私たちにとっては大変ありがたい 迷惑な話だった 。
今になってあのぐるぐると こんがり焼けたトーストに昔のマーガリンをたっぷりと塗った味が懐かしいのが 何とも不思議な話である 。
きっと 父の手作りの味なんだろう 。子供たちのために綺麗に 丁寧に焼いて マーガリンを塗る 優しい父の笑顔も鮮明に覚えている。
バス代 さえも どうやらないのか 父がいる日は家の近くの駐車場の車の持ち主と何やら話し込み 手を合わせて頼む父 、
私たちを 小倉の小学校まで送ってくれと頼んでいるのがひどく嫌だった 。
迷惑 顔のおじさんの後ろの席で 私と弟2人 着くまで無言で乗り 、
小学校の前まで着くと 「どうもありがとうございました 」と頭を下げるのが 苦痛だった。
しかし 帰りは歩きだ 。なぜかいつも私1人で歩いて帰っている記憶がある 。
弟は剣道の練習があるので帰る時間が違ったのだ 。
あの帰り道の遠いこと 、遠いこと 子供の足では12キロはきつい 。
トボトボ と 古びた人にもらったら ランドセル が背中に食い込みとほうもなく自宅は遠い 、
その横 をヘッドライトをつけた車がビュンビュンと通り過ぎていく 、
何だか 自分だけが世の中で一人ぼっちのような気分になる 、
あの感覚は大人になっても忘れられなかった 。
結局高校まで 門司から通うことになるのだが 、もちろん また家は 点々と変わる これは私たち しっかりしないと大変なことになる 。
せいぜい 中学 高校卒 止まりになりかねないと真剣に考えるようになった 。
これは不憫すぎて笑える 。母に褒められたくて一生懸命勉強していた。
弟は 母が手術するために 長期入院する頃から全く勉強をしなくなった 。オール5だった 通信簿が1と2しかなくなるのに そう時間はかからなかった 、5だったのは 体育と絵 美術 のみ 。
私はバイトが忙しかったので勉強は適当だった 324 と5がたまに混じる中の上 の成績 程度だったが 、
母が入院していよいよ 生活が苦しくなってきて俄然 真剣に勉強に励んだ オール5とまでは行かないが、4より5の数字の方が 多かった そんな 上々の成績になるのに そう時間はかからなかった 。
高校に私たちが行くには 私は勉強とソフトクラブを特待生 入学 、弟は剣道で特待で進学することしか道はなかった。
下手したら私たち中卒と呼ばれ 進学 どころか中卒で集団就職 組になりかねない。
父といえば 元々は 大金持ちの 坊ちゃんで立命館大学まで卒業しているのに冗談じゃないと 、
本気でその時の私は 重いランドセルを稼ぎながら 横をビュンビュンと車が走っていく道路の端で考えた。
えらいところに生まれてきたな はくの声が聞こえた 聞こえないふりをして
やっとの思いで 毎日家にたどり着くのだ。 後から疲れ切った顔で帰ってきた弟の方を掴み、 真剣に私は弟に宣言した。
「ケン、 私は勉強か、運動部で進学する 私なりに 得体になれるように努力する! けんちゃんは、剣道を極めなさい 。そしたら剣道だけで大学まで行けるかもしれないわよ !とにかく今のままだと とんでもない惨めな人生 しか待っていない可能性が高い 、。必ず私たちは何が何でも進学するのよ ‼️親も大人も信用できない これからは私たち二人で生き抜いていくのよ 。絶対 後で後悔しない人生を 誰にも頼らず 勝ち取るのよ わかった ❓️」
ケンは半分 分かったような顔で「 うん 俺 剣道で 1番になったらいいんだね、 勉強はもう捨てたから 」「そうなるかな。」 でも元々頭いいんだから勉強も少しはしたらと言ったら
「 絶対嫌だ」 と弟は言う 弟は母の喜ぶ顔が見たくて今まで勉強してきたんだ。
母ちゃん 今いないからもう勉強はしない 筋の通っているような通っていないような理屈だが、本人はいたって真面目な顔で 言う。
「あーそうですか 、分かりましたなら 剣道だけ命がけでやりなさい」と諦めた顔で蛍は行った。
「うん」と にっこりを笑う 弟に小さく ため息をついた 。
私も弟も アルバイトが忙しく 、
私は勉強をいきなり やり始め 、一番特待生が取れそうな 大女ばかりいる ソフトボール部に 入部し 特待を狙った 入部した理由は誰も女の子がソフトボールなどやりたくない部だったから人数も少なかったからだ 。
人気のあるバレー部や テニス部で1年間も 球拾いする余裕など私にはなかった 。入部して1年の3学期にはもう ソフトボール部のキャプテンを任されていた 。それほど 人気のないクラブだった これなら行けるかもと 、
バイトに部活に勉強に 懸命に蛍は励んだ 運命に負けるのだけは嫌だった 。
ましてや 自分の意志で転生した このデタラメな環境に 屈することはハクに負ける ことを意味する 。私は私の選んだ人生で 意義のある人生を必ずこの手でつかみ取りたかった 」
[まあ~せいぜい頑張れよ とからかうような 拍の声が 聞こえてきた。
もうすぐ蛍の季節だ。
私はあの赤い橋にまた行くのだろうか ?猛烈に行きたくない 気分がふつふつと湧く。
それでもやはりあの夢のような源氏蛍の艶やかな前姿には抗えない 自分がいた 。
ある意味 あの場所が唯一の蛍のふるさとだったからだ。
第13章 荒れるケン 戸惑う 蛍
もう 薄々 皆様もお気づきでしょうが、私たち姉弟はいわゆる クォーターです 。父の母がアメリカ人だから父はハーフだ 。幸いなことに私は真っ黒な髪 大きな瞳の色は黒 さすがに 彫りの深さや 、鼻の甲の高さなど 血は受け継いでいるがパッと見 日本人に見える 。
しかし 弟は白人の血を強く引いていた顔立ちをしていた 。茶色の栗毛の紙やはり大きな二重まぶたの 瞳の色は茶色 白人 特有の白い肌 当然 彫りも深い 幼い頃は1日で 混血時と一目でわかる 愛らしさを持つ男の子だった [あいのこ 、あいのこ]
とよく どこに行っても石を投げられたり いじめられたりするのを 姉の私が 棒や 木刀を振り回し その土地の男の子 を叩きのめし いじめを止めていたものだった。「 姉貴は、なぜ日本人と間違えられるの」
とケンはよく私に聞いたものだ。
そんな弟が私の遊び 相手を作るためにどこに行っても、すぐにそこのガキ大将に気に入られ 仲間に 入れてもらうのはどれほど大変だったろうかと思う。
人を笑わす 本を買うほど大変で 苦労し 、どれほど 本来の自分の性分を抑え込んでいたかは想像に難くない 。全て私が心地よく遊ぶ場所 人々をを確保するためだけだった に他ならない 。
蛍がそばにいればそれだけで幸せだったのである。
本気で私と大人になったら結婚しようと思っていたケンが 兄弟同士は結婚できないと知って 、
本来の自分に戻っただけだ 弟の愛読書は[人を笑わせる本]から宮本武蔵の[五輪の書]に代わり ひたすら 武術に打ち込んで 行く人に変わっていった 。
見た目が白人特有の愛らしさと日本人にない ハンサムサを年を追うごとに出してきた。
ケンは当然女の子には憧れの目で見られ 見られ 行く先々で女子からの熱い視線を浴びていたが ケンは全くいに返さなかった。
またそれと同様に いや それ以上に 男どもからの嫉妬の目 反感の思いの方が多く 毎日毎日腕自慢の男たちが喧嘩を売りに来て いつもどこかしこに傷を作り 血 を 唇の端ににじませて帰ってくる 。今日は、 勝った の?と 蛍は聞く もちろん だと ニヤッと笑うケンだが手の指が折れて いたことを 多々あった「 あー 殴りすぎたかな」
そんな喧嘩が毎日毎日続くのであった。
〈あいつが負けたなら 俺が行く〉 という具合に毎日毎日喧嘩が続く。
私以外に心を許さぬ [孤独の住人]になっていく 弟のを 悲しく申し訳ない思いが蛍の 気持ちに湧く。
そして、毎日腕自慢の男たちが 喧嘩を売りに来て、 いつもどこかしこに傷を作り 口の橋は 違う にじませて帰ってくる 弟。
「 今日は勝ったの?」と 蛍が聞くと、
もちろんとにやりと笑うけんだが 手の指が折れていたことも多々あった。
「 あー 殴りすぎたかな」
そんなケンの 喧嘩が毎日毎日続くのである。 普通男は喧嘩をして友達ができるというが こと 弟に関しては そういうことが全くない。 多分 混血と言う 偏見 からだろう、 全く 腹が立つ。 昭和30年から40年はそんな時代だった。 まだ 戦争の傷跡が 生々しく残っている時代だったのだ。
ケンは、 私以外に心を許さぬ[ 孤独の住人]になっていく
弟の姿に申し訳なく悲しい思いが蛍にわく。
だが日々の学業クラブ活動に至っては 文芸部の部長。 ソフトボール部のキャプテン、
毎日夜11時までのお好み焼きのバイトは10年を超え、 放課後の方が多忙を極めている蛍であった。 お好み焼き屋のアイドル的存在になった私 目当てにおじさんたちで店はいつも満席だった。
歳を偽って キャバレーの専属歌手にもなっていた。
博多に新しい ジャンルでフォーク歌手を夢見る、 今は 超有名になっている歌手の若き頃の歌手や、歌手の卵たちでひしめく、
〈 昭和〉というバンド喫茶で飛び入りで歌っているのが、 何とも言えぬ 半音ずれたその歌声は人々を引き付けて話さなかった 。
たまたま 博多に仕事できていた。
有名プロダクションのスカウトの目に私は、とまった。
家まで押しかけられ 将来必ず日本一の歌い手にさせて見せます 家に預けてもらえませんかと見たこともない 札束を積み上げられた時 思わず その金を父が 手を伸ばす前に私は足で蹴り飛ばした。
絶対や 誰かに縛られるような金など絶対受け取らない 帰れ この家から早く出て行け と叫ぶ 私に プロダクションの スカウトは みんなすごすごと 畳に散らばった1万円札を拾って帰って行ったものだ。
それを 物干 しそうに見ている父に 私はおぞましさを感じた。
〈あんたは芸者を継がせるのが嫌で 私をは実の母から生木を 裂くように母 カラー 私を 引き離した そしてそれを了承した 実母の思いを 無にするつも りなのか ❓️ もう 情けない。〉
食い下がる スカウトの妥協案で 、
土曜の夜から東京に行き日曜日は 歌のレッスンをプロダクションで 受け 旅費 やホテル代を持つという案に私は渋々 了承した 。
そうでもしないとスカウトたちの男たちはてこでも動きそうにもなかったからである 。
半年ほど東京レッスンが続き 23曲 私の歌も作られたが 「こんな歌 嫌い ❗』と思ったが 、やはり どれほど 販売活動をしようと 全くと言っていいほど世間に広まらず中津飛ばずの半年間が過ぎた。
ただ疲れるだけで 、何の収入にもならぬ 砂をかむような生活を私は断ち切った金にならない それが原因だ 。
半年において 私が感じた 芸能界はヤクザの世界とさほど変わらずむしろ ヤクザの世界よりも 闇深い ヘドロの臭いのする 社会だった 。
小説を書くことにも興味を示し出した頃も 同じ頃だ 。
何回か 文芸コンテストに短編小説を投稿してみた どれも 入賞したり 優勝したりはするが 賞金 は3万から1万 1年で 50万にもならぬ 生業はコスパが悪すぎる 。
よって 物書きの職業は 私の選択肢から外れた。
好きなジャンルの仕事はまるで 浮草 家業のようで 明日の生活の保証さえもなくおそらく 不安定で成功が限りなく 未知数だった 。
[これは 小説家がよく自殺するはずだわ]
とつくづく思った ということで 2つの 私の夢は泡と消えた。
現実の 俗世は 恐ろしく、 どろどろと厳しく 汚い 全く行きにくい世の中だった。
仕方なく 地道に 勉学と部活に励むことにした。
どちらかが優れていれば 成績で学費の安い県立高校に通えば バイト代でなんとかなる。
部活で入れば 、無料の特待生待遇で私立高校に入れる とにかく中卒だけは 回避しなければ ならない。
こんな 俗世は学歴社会だと蛍は気づいていた。 何でも 俯瞰で物事を見てしまう 性分は生涯 消えることはなかった。
誰も信じず 神も信じず 己のみを信じて その性格を信じ 努力するしかないのが 現実だと感じ (急がば回れ)という ことわざが浮かび 妙にムカついた。
第14章 魔界の 鹿児島
17歳のホタルは2つの夢 歌手も 小説家の夢も諦め ある意味 心にぽっかり穴が開いていたような状態なのかもしれない 。
自分の夢が叶うとした虚無感 は 大きな心の空洞が 誰にも そして 己にも埋められる 埋められない18歳の 蛍の心を蝕んでいた。 おそらく 2~3歳の頃から 自立した 気持ちを強く持つ 、この 得体の知れぬ 少女は 疲れていた 。
弟の 特待生態 待遇 大学入学も剣道でほぼ決まり 、一番給料の良い 保険会社の入社も決定していた。 彼は 本気で、
高校を卒業したら私と結婚する気 でいたらしい 。
私にとっては初めから ガードマン ボーイフレンドから全く動いておらず、恋しても、愛してもいなかった 。ただ ガードマンとして近づけた彼は全くその役割を果たさなかったことに 気分はますます 冷え込んでいたが 、逆に彼氏の方はますます 恋心が燃え上がっていたのが 手に取るように 感じるのだ 、、、彼の一途な 私への思いは 初恋の時の私の感情を思い出させた そしてあの凍えるような悲しみ苦悩をも思い出させた 。
一途に1点の曇りもなく 私を見つめるその目には愛が 浮かんでいた 。
だが 蛍は 彼を愛しても恋してもいなかったのだ 「結婚しよう」 と言われた時 「いやよ 、これからが 私の人生なのに 1人に縛られるなんて考えても ゾッとするわ 」
と私は 冷え冷えとした声で断った。 彼は 私にくれた あげたプレゼント 当たり前のように君は 受け取っていたんだ 俺は俺の愛と同じほど 蛍も同じ思いでいてくれると信じていたのに そういう 彼氏の目は 赤く にじみ 涙があふれていた 。
ホタルは大きな過ちをしていたことに その時初めて気づいた 。
だ が蛍の構造は その正反対のことを やってのけていた 。今まで 彼氏からもらった服 スカーフ 指輪 ネックレスなどその他もろもろのプレゼント ゴミ袋に詰め 走って近くの川に力いっぱい投げ捨てたのだ。
さあ これであなたもすっきりしたでしょ 明日から私もあなたを忘れる だからあなたも私のことなんて忘れてちょうだい 冷たく 彼に言い放った だって私はあなたを愛していないんだもの 結果的とはいえ 蛍は 自分の初恋 で いたんだ 苦しみの 何十倍もの痛みを 絶望を彼に与えてしまっていたのだ 姉貴 あれはないよ 弟が悲しげな声で言った 風の便りに聞いたのだが 彼は大阪で会社を起こし 大成功しているらしい 今でも独身を通しているらしいが せめてもの自分への慰め蛍の会社勤めが始まった 。そこで すぐに自分には コンピューターには向いていないのがわかった 。
各 保険セールスマンの女性が 月々 集金 してくる保険料を、ただ パソコンで本社に打ち込む 普通はごく簡単な仕事なのだが私が打ち込んだデータだけ 8割方 エラーで 支社に戻ってくるのだ 。
最初のうちは 自分で再度送り返すのだが また その8割がエラーで返信してくる 。とうとう 主任の バリバリ仕事のできる先輩が あっという間に正しいデータを送ってくれるようになり、 2ヶ月後には 私は 事務処理を外され 受付嬢となっていた。
この仕事は非常に私に向いていた。 自分で腕を切り落と したヤクザ屋さん 。明らかに仮病を予想 来訪者を 平気な顔で応対し 、監査役の元刑事に耳元で「詐欺です。 桜です」と報告し、また社長室に爽やかな笑顔でご案内 しその間に 監査役の人が 前科を調べ 書類をまとめ 鬼のような形相で 社長室に入っていき、ものの5分もせぬうちに その来訪者はすごすごと 帰って行くのである 。受付嬢は特に保険会社の場合 ほとんど 女性が務まらず 3ヶ月以上続かないらしい だが 、蛍は全く平気で毎日元気に出社していた。 人には 職業の向き不向きは確かにあるようだ 。
ある日 名前も知らない先輩が地元の大企業の新人歓迎パーティーに来るように 私に勧めた 、私も一応 新入社員だった からだそうだ 。その大企業は ゼネコン 関係で男子しかおらず ほとんど 女性のいない会社なので あらゆる 関連企業の 女子 新入社員 を誘っているらしい 。
嫌な予感がした。
そのパーティーは 、とある 独身男子寮であり その庭でバーベキューをした後にバス 配布があり 観光するというプランである。
私は人間と群れるのが大嫌いだ。
故に 新年会 新人歓迎パーティー 忘年会 ましてや 社員旅行など ぞっとするほど苦手であったので全く気が進まず 、
何とか断る口実を考え 訪ねているうちに 当日が来てしまった。 嫌な予感の中 無理やり連れて行かれたのは 大きく 玄関の広い 独身寮の前に立った時、
ものすごく嫌な予感は大きく膨れ上がり 知らぬ間に体中の毛が 総毛立だっている私がいた。
〈これから私はとんでもない 災難にあう〉 確信に近い予感に逃げ出したいくらい気分の中 、彼は現れた 。大きなガタイ 広い背中 小さな目 。
そしてそのおどけた態度 ゾッとするほど面白くもない ギャグで女の子たちを笑わせている 集まった女子は何が面白いのか ゲラゲラと笑う。 私といえば 一番後ろで 紫の シャツの型をすぼめながら真顔でその場面に 白けた目で佇んでいた 男と目があった。
あの目の奥の邪悪さと言ったらなかった キラリと光ったのだ。
次から次へと呆れるほど面白くもない ギャグで周りの女の子たちを笑いの渦に巻き込んでいく 男 。
どうやらこの独身寮の寮長だと教えられ 、
「ふーん」
と冷やかに男を見たらまた目があった。 満面の笑みで 私を見つめて きたが その目の奥は笑ってはいなかった。
何かそう 動物が獲物を狙う あの目だ 、、、どうしてみんな 気づかない なのだろうと 周りを見るが、
皆 取り憑かれたように 笑い転げている 。
きっと私はこの時点で帰るべきだったのだ 。逃げ出すべきだったのだ。
その 鹿児島弁丸出し の寮長は、 バーベキューパーティーでもバスハイクでも、 なぜか いつも そばで だらだらと くだらないギャグ を言っては、 多いに生活 相変わらず 皆 バカみたいに笑い転げている (これ仕込みかよ)
と思うほど。
バスハイクで とても爽やかな笑顔の少年が 、私にの 横の席についていた。 とても すんだ目で話す 彼は話もあい、とても楽しく 電話交換の までした。
来て よかったとその時初めて思った。
次の日 会社に出社して仕事をしていると 「ほたるさん 電話だよ」と言われたので 、 てっきりバスハイクで隣に座った 男の子だと思い
弾んだ声で「はーい」と返事をし当然あの彼だと思い 受話器を 取る から流れてきた声は 知らない男の声 。
誰 と思いながら しばらく黙っていると 「オレオレ ほら 寮長の 上村」
なぜこの電話番号を知ってるの ?なぜ私に電話をするの ?いろんな はてな、?が 私の頭の上に浮かびながら
「あの 何の御用でしょうか 」
と聞いた 彼は当たり前のように 、
「もう退社時間だろう 家まで送って帰ってあげるよ 今君の会社の前に車を停めているんだ」
びっくりして7階の 会社の窓から下を
見つめてみると、
オレンジ色のベンツが 場違いに会社の前の 歩道脇に止まっている 。
驚いた 私は 、
「いえ❗ 結構です ❗知らない人の車に、私 乗りませんから 第一誰から この電話 番号聞いたのですか?! 』
少し怒り気味に 社内 なので精一杯 抑えて 私は聞いた 。
「昨日 蛍といい感じになった新入社員の男がいただろう?あの彼から聞いたに、 決まっているじゃないか 、俺が彼女を譲れと言ったらあいつ 素直に従ってくれたんだぜ』
「あの 私、物じゃないんですけど、 失礼します❗」
とガツンと電話を切った。
第一印象も最悪 次の日の電話もキモい じわじわと 嫌な予感と嫌悪感が溢れてきた だがその男は全くいい返さず 次の日の朝 家を出たらオレンジ ベンツ 仕事が終わって会社を出たら玄関にオレンジ ベンツ 毎日毎日朝夕 そんな日が続き 彼は人懐っこい声で 今日こそは送っていけるかな などと明るい声で私に声をかけてくる こんな大人の男の人は初めてだった 本当は良い人かも 1週間目 とうとう私は彼の車の助手席に乗り込んだ 足元になぜか 新聞紙が敷き詰めてある その横に ボックスが置いてある あ 靴脱いでね そしてボックスに入れてくれたらいいからね 鹿児島弁を無理に 標準語にしたようなヘンテコなイントネーションで話す男 これはまずいことになったぞ 。直感的に私は感じた どんどん男のペースに乗せられていくのがわかる 18歳の私 。
なんだか 逆らえないような奇妙な 威圧感が 大男にはあった 。好きか嫌いかといえば 大嫌い そんな男 名前は 礼一と言うらしい 。
なんとも 名前と見た目が一致するのが 笑えた。 やっと笑ってくれたねと おどけた調子で 礼一は私の目を見て行った 何かとてつもなく嫌なことが これから起こる 心の中の私が必死で私を止めているのがわかる 今日は少し寄り道をして買い物にでも行こうかと高級婦人服店の前で オレンジベンツを止めた 。
ずいぶん探したあげくの店 なのだろう 。とても 私好みの私によく似合う服がずらりと並んでいた。
客が私たち2人しかいないのを不審に思った私は 礼一に聞いた 。
「俺が、借り切ったんだ。 何でも好きな服 買ってあげるよと微笑んだ 。」
何を着ても似合うのでどんどん ハンガーに並べていき ラック いっぱいになったので 、
どれを選ぼうかと迷っていると
「それ全部買うから包んで」
と店のスタッフに彼は何事もないように言った。
普通 ここまで選んで買ったら 服 20枚以上あった場合 配送にないなるんだが 、
彼は 包んでくれという 抱えきれないほどの 大荷物になるが 必ず 私に手渡す もう私は 常にどんな服を買ったのかも覚えていないほどだった 。
靴屋に行っても同様だった 何色もの スニーカー パンプス ブーツを試しに履くと必ずそれ全部買います と彼は言う 彼の財布はいつもパンパンで体重200万円以上は入っていた そうして必ず現金で店員や私に 見せるようにして開き 支払ったものだ 。
1ヶ月間、彼は指一本 私に触れなかった ただひたすら私へのプレゼントの山が 我が家の ボロ屋にたまり続けた 。
弟はそんな彼が大嫌いで 気味悪がり 「マネキン 昔のあのヤクザの兄ちゃんの方がまだまし だったよ なんか変だぞ あの男 」と言った 。3ヶ月後に彼は私の両親に正式に挨拶に来た 「結婚を前提にお付き合いさせていただいております どうかご了承ください」と 律儀に頭を下げた 。
すでに私はその時 妊娠3ヶ月だった。 どうか 断ってくれと両親を見ていたが 2人は2つ返事で、
「娘をよろしくお願いします」
と言ってしまっていた 。
両親の前では 大島紬のお揃いのセットの着物と 分厚い封筒 茶封筒が置かれていた 。数えてみたわけではないが 、おそらくは1000万以上入っているようだった 。
雨漏りがするような ボロボロの家にも平気で通い 、人懐っこい笑顔と毎回の手土産で両親は 有頂天になっていた 。
ただ 弟だけが怪訝な眼差しを変えることはなかった 「姉貴 やめとけ ‼️本当に君が悪い アイツ
絶対変だぞ ❗」
しかし 激流に流されるように あれよあれよという間に結婚式が正式に決まっていく 。
18歳で バージンだった私はまるでレイプのようなセックスが普通のセックスだと思っていた 知らないということは 誠に 怖い 。
しかも 場所は 壁の薄い あの 独身寮 なのだから ビックリだ❗ 帰りに 管理人のおじさんがそっと私に耳打ちした 「あいつはやめておけ 君の他に8人セフレがいます。あれ程の最低な男見たことない。」
あれほど私との時間を割きながら どこに そんな時間があるのだろう あるはずがない。
だがあ の管理人のおじさんの言葉には嘘を感じなかった 「今私大変なことになっている 」
私の中の私が悲
鳴を上げていた。
みさお に も 、かおりにも親友だからとあって見せたが 2人揃って 「蛍、どうかしちゃったの ?あんな男のどこがいいのよ 今すぐ別れた方がいいよ 私たち あんなやつ 認めない大嫌いだわ」 生理がよく月とまった 私は妊娠していた。
妊娠検査薬の日本の赤い線がはっきりと出ていた 。その検査薬を持つ手が自然に震えている 。
私は大きな蜘蛛の糸に捕まった 蝶 あがけばあがくほど 蜘蛛の糸に捕まる蝶々 、それが今の私の姿だった。
〈うん そうだよね 一人で転生した罪は深いよ 〉ハクの声がはっきりと 私の心に
響いた。
彼を愛していたわけでもない恐れているわけでもない 。
私はただ単に金に転んだだけなのだ 。
だが このお腹の子供だけはどうしても生みたかった。
学生の頃から生理不順でいつか か 産婦人科の女医の先生から「骨盤が異常に狭いので
、
子供は無理かもしれませんね 」
と言われていたからだ 18歳のまだ力も体力もある 。
今なら無事に 赤ちゃんを産めるかもしれない 。
今を逃したら 私は一生 子供を産めない 、そう確信していた。
正直 愛してもいない男と、一生添い遂げられるとは
初めから私は 思っていなかった。
ただ父親のいない私生児を生むのはあまりにも子供が不憫だった。
最初から 一人で育てねばならない 子供だと 覚悟して産んだ子供だった。
そうして私は18歳の花嫁 となった。
結婚式は300人以上もの人々が集まった。
だがその中で私が見知っている人はわずかであった 。
高校の担当の先生が私の白無垢姿を見て 目を潤ませ 。「まる人身御供のようだ 」とつぶやいた。
皆が皆 反対した結婚だった 。
皆が皆 本当の 彼の本性を見抜いていた。
父だけが 、ニコニコして「大丈夫です すぐ帰ってきますから」と 皆に答えていた。
その言葉が皆を 唖然とさせた。
知らなかったのはいや 素人 しなかったのは18歳の私だけだった 。
女に生まれた以上 子供が欲しいと願った。
私が1つだけ 失念していたことがあった 。
後に嫌というほどわかる。
後に 生まれてくる子供は 、本家の血を引いている子供であり、
望んでいるのは男の子であったという事実だ 。
私は 鬼の子を望んで産んだのだ 結婚して、
半年後に 女の子が私の中から出てきた 骨盤が狭い せいか 50時間以上もかかって 、仮死状態で生まれてきた 幼子だった 分娩室でやっと出てきた、
赤ちゃんは泣かなかった 紫色の花びらのような肌には、生気がなかった、 薄れて行く意識の中で 、バタバタと蘇生させている作業をしているのが分かった 。しまいには 先生が両足を掴み ブンブン振り回していた 。
それでも泣かない赤ちゃんを見て 〈あーやっぱりダメだったか この子は〉と思った その時 、
弱々しい声で オギァ、、とその赤子は泣いた 。
一筋の涙が 私のホホを伝った 。
それから私は意識を失った 。
3日後に意識が戻った時 母子ともに命が危なかったということを伝えられた 。
最初の子供なのに 夫は出産にも立ち会わず 病院にも来ず やっと来たのは生まれて10日後の仕事 帰りだった 。大勢の看護婦を笑わせ、なかなか病院に行かず たどり着かない夫。
生死を彷徨った母と子である 。
その赤子には最初から抱きしめ 愛し 守ってくれる父親はいなかったのだ。
だがこれから 悪夢のような5年間が待ち受けているとは、
その時 ホタルはまだ知るよしもなかった。
結婚して半年で鹿児島市 の義父が脳卒中で倒れた 。
長男で一人っ子の礼 一 は、
直ぐに会社に長期 休日を取り?取るものも、とりあえず 鹿児島へと向かった、 結婚前
「うちは 小さな農家だからね 昔こそ 庄屋 だったけど 、ほとんど 他の人に譲ってるから 、あなたたちは農家をすること無いからね」
義母は 何度となくそう告げて 、私に結婚を納得させていたがそれは大嘘だった 。
明日が峠と言う医師の言葉に 、姑はさっさと、葬儀の準備を始めていた 。
「お父さんは、 まだまだ死にませんよ 」
と見えたまま 感じたままのことを 姑に伝えると 、
病院のベッドに横たわる姑の薄い体を包んだ 病院のベッドに横たわる姑の薄い体を包んだ 白い布団が 病院のベッドに横たわる姑の薄い体を包んだ 病院のベッドに横たわる姑の薄い体を包んだ 白い布団がかすかに上下に 、規則正しく動いていたからだ。
年齢56歳という若さから見ても脳内の出血の多さ から 見ても も
外面から見れば
死が近い人間に見えた。
「 そんなはずないわよ ❗いい加減なこと言わないでちょうだい‼️」
私を激しく罵る 義母は 真っ赤な顔をして 私の言葉を否定した。
゛ 何これ 良かれと思って 教えたのに ゛
この人の奥さんだよね このおばさん 。
もう何やら吐き気がしてきた 。
誠一の家は今も 庄屋であり その土地一帯の所有者でもあり 家であった であり 山は ぱっと見 3個の山が 本家の山であり 、田んぼは 5ちょうあるらしかったが まあ 農家に疎い 私は全く ピンと来なかった、
が 広い盆地でもあり 土地がとても超えていて 良質の米が取れる 土地柄であるらしい文系の人々は
「本家の 坊ちゃん 帰って 来てくれたので 、これで一安心だ 」と 義父がまだ死んでもいないのにその後の ことを、あちこちでひそひそと話し合っていた。
岐阜は150cm もない 身長で 、
とても 本家の主とは思えない貧相な顔出しのこうとこであった ゛
嫁に来た義父は白豚のように太り 大柄で身長は170cm はあるだろうか まるで 〈千と千尋の湯婆婆のようだと思った 〉とにかく態度がでかい。
口癖は 「この世の中でお金で解決できぬことなど一つもない」である 。
なんだかんだ 鹿児島にいた5年間で 約100回は聞いたような 気がする。
その太い 指10本 全部に指輪を褒めているような人だった エメラルド、サファイア 、ダイヤモンド、 ルビー 、そのどれも恐ろしく品が無い。近くの 小川で 泥のついた大根を、その指輪をつけたまま ゴシゴシ と洗いながら 私に
「私が死んだら この指輪 全部嫁のあなたにあげるからね」
と よく言われていた ですがそのたびに、
「いえいえ 、私の方が先に逝くような気がするので 結構です」 と答えたものだ。
鹿児島は男尊女卑と の土地とは聞いていたが 来てみて まず 180度変わった。
【これから 鹿児島の人が 話す 鹿児島弁は 思い出すのも嫌なので 普通の言葉で書く】まず、 鹿児島の人が何を言っているのかがわからない 。
だから 相手が笑うと私も笑い 相手が黙ると私も 神妙な表情を作った 。
あの 何でも欲しいものは言わずとも、
買いすぎるほど 買い与えてくれた 彼が 、
そしていつもニコニコ と優しく していた彼が、
正しい 鹿児島の 男に 変貌した。
しかし 何を話しているのかは 全く理解できなかった。
まさか この時点で、
乳飲み子のを抱えた私が病院で2年も、
付き添い 婦を 寝泊まりして介護するとは夢にも思っていなかった。
奴(元夫) と 義母は、
時々しか病院に訪れなかったが
抱えきれないほどの 高級果物を手土産に ナースたちに 必ず持って行き すこぶる 病院側の評判が良い 。
もちろん 多すぎる金額の主治医への袖 の下も抜かりなく 渡しているようだった。
そうなると それまで 邪魔者扱いだった私が、
気味が悪いほど みんな優しく接して話しかけてくる 。
これにはわけもなく腹が立った。
そして 案内された本家の屋敷はでかすぎて 、古すぎて、 広すぎて。 天井が高すぎて 、下品すぎて、その屋敷の周りのすべてに、真っ黒な黒い幕のような ぶよぶよとしたものが 住み込んでいる。
それは生きているように くねくね とうねって動いていた。
≪ こいつら生きている≫
まさに 〔魔物の屋敷〕に私には見えた。
その日から少しでも意に返さない 発言 や行動をすると 奴は手加減なしの蹴りや ビンタが飛んできた。
それも人目に触れないような背中から太ももの部分に伸びた 肋骨が折れたのも 一度や二度では済まない。
驚くよりも 救いようのない絶望感 だった。
あれほど 途中で私の中の私 が やめろと忠告したのに、
私は 自ら 禁足地に足を踏み入れていたのだ。
19歳の 蛍は己が招いた泥沼の中で、
深く うなだれ 佇んでいた。
その腕の中には、まだ 4ヶ月の赤子が火がついたように泣き叫び、
腕の中から 身をよじり続ける
「泣かせるな 」奴の 怒鳴り声が飛ぶ。
後から 分かったのだが 、姑には 20人以上のツバメがいた 姑には3人のお妾さんがいた 。
さすが 男尊女卑の薩摩 ?
想像を絶する現実が 次から次へと 私を襲った 。
奴は お気に入りの10代愛人を5~6人 北九州から連れてきて それぞれに 豪華なマンションに住まわせていた 。
短いスパンで10代の女の子を 誘っては して 入れ替わりが実に 早い。
10代を超えた女性には 1歳 興味がなくなるらしい 。
もちろん 鹿児島でも次から次へと女を作り そして捨てていった 。
なぜ私がそれを知っているかと言うと 、私たちの家の電話番号を それぞれの女の子に教えていたからだ 。
によって自宅にしょっちゅう その女の子たちから電話がかかってきだした 。
「もう1ヶ月も彼から連絡がないのどこにいるか教えて 」
女の子の鳴き声 交じりのいろいろな子から電話がかかってくる。
「今は みきちゃんに夢中だから そっちじゃないかしら 気の毒だけど君はもう飽きられたんだよ」
泣き崩れる 10代の女の子の鳴き声が聞こえてくる 。
泣きたいのはこっちの方だよと心の中でつぶやいていた 。
溢れるほどのプレゼントはいつのまにか 他の10代の女の子に渡り 私は化粧を止められた 。着て良い服を決められた 。
白いブラウスに胸当てのあるピンクのつなぎのミニスカートのみだ 、それに白いハイソックス 呆れるほど私に似合わない服装だった。
《 小学生 か 私は》
その頃から 半年後 彼の DV が 始まる。
【気配を感じると 我が子を抱きしめて 全力で逃げる 。その逃げ方も実践で右付き上手になっていた その逃げ方も 実践で 身につけ上手になっていた、
殴られたり蹴られたりするとやはり 痛い。
無駄な痛みなどまっぴらだった、
また、信じられないことに
【彼は 1日1000円の生活を強いる】ようになってきた。
従って 3000円くれると彼は3日 帰ってこない。
1万くれると10日間 帰ってこないのだ。
1日1日が無意味で砂をかむような生活が続いた。
長い暗いじめじめしたトンネルの中で 出口がないように 思える生活だった。
家に 時々帰ってくるとまず彼は 家計簿のチェックから始まる。
近くのスーパーの 全ての商品の値段を調べているのか 大根1本でも 日々変わる 値段を彼は把握していて、
すぐに私のへそくりは見抜かれてしまった
おい あのタンスの5段目の 髪 の式神の下に16,000 20円あるから 17日は金は渡さないからな ニアッと、 笑いながら彼は私に告げた。
私はいつのまにか彼を殺してしまいたいほど憎んでいたが、
彼を殺すより自分が消えた方がマシかと2回ほど 自殺を試みた だが不思議にいつの時も彼が帰ってくるはずのない日の に現れ 私を抱え 病院に車を走らせた (あー私は死ぬこともできないのか )
彼の父は手のかかる患者で やはり 生き続けていた 。
ベッドに寝たきりなのに突然大声を張り上げ 暴れ出すのだ。
彼が雇った付き添い婦 の人にも、
看護婦の手にも負えず、
それにつき添い婦の手当は1日1万円以上かかっていた。
だが私が病院に見舞いに行き行くと。嘘のように 穏やかになる 手を握ってあげると誠に ニコニコ と機嫌が良い。
さすが 彼の父親 女たらしは血統だな と彼は いい。
あんたが言うと思いながらずっとやっぱり血は争えないわね」
と言った ボケじじいのくせに と彼が言う
次の日 軽トラに布団1組とこたつを積んで
「おい蛍 今日も親父の見舞いに行くぞ」
と言った声には何とも言えぬ悪意を感じた。
個室の山の上の病院ではその土地でもう助からない人間が入院する 姥捨山のような病院だった。
おまけに 隣の塔は結核病棟 だ 実際 毎日のように人が死んでいった。
病室に入ると ベッドの横に 畳が敷かれてあった 個室で入院していたので 彼は 素早くセットした
「今夜から お前が お前が 親父の 看病をするんだ」
5ヶ月の赤ん坊を抱えた私は 耳を疑った 後から しれっと入ってきた義母も
「嫁が見るのは当たり前のことだからね」
と笑いながら言った
「あのその嫁ってあなたのことじゃないですか 」と聞くと
「 あーもうこの人とは 10年以上別居してるから 私には嫁の資格はないわホタルさんこそ 適任だわ」
ねえ 誠一 その会話をぼんやり聞きながら もうこれは殺すとか死ぬとかいう問題ではない 必ず別れなければそう 蛍は心に誓った その日から畳1枚の生活が私と赤ん坊に待ち受けていた。
義父の病状は少しずつではあるが 回復に向かって 行ったのだ 目が開き 少しずつ話ができるようになり 座れるようになってきた 「もう死んだ かしら?」
と 時々 訪れる義母が 悔しげな表情をして
そして私を睨みつける 今のように 紙を持つ などなく布のオムツなので排便をすると赤ん坊と違い ものすごく臭い それを専用の流しのな流しで手で洗い流し 手で洗濯をするのだ 。
手が切れるような 真冬の冷たい水で 、赤ん坊を背負い 朝一番のはじめの仕事がそのオムツ洗いだった 。
夜までに乾かないと 替えのおむつを持たないのだ 。何十億ほどの財産を持ちながら 、
そういうところは 妙にケチる 、義母と 、冷一だった 。
赤ん坊の 安子は夜泣きがひどく 、日中いつも背負わされてるせいか 。こたつ布団に寝かせると途端に水がり病院中に響き渡るほどその鳴き声は大声だった
婦長が飛んできて 「他の患者さんから苦情が来ているから泣き止ませなさいと」
言うと バタンと個室のドアを閉めた 。鹿児島伊佐郡の冬は 凍てつくほど寒い 。
雪の チラつく 外に出て 赤ん坊をあやしながら歩く 私の息は真っ白だ 。
その背中だけが暖かい 手も足も顔も凍りつくほど冷たい 。赤子はスヤスヤ眠り私は声を殺して白い雪の中で 泣いた。
【もっともっと苦しめ 蛍 と白の薄笑いの声が聞こえる 】
主治医が 冷一に 「渡り廊下の先の病棟は、結核病棟 なんですよ ❗あの赤ちゃんが小児結核になったらいや あなたの奥さんに結核が移ったらどうするつもりですか 」と意見をしたことがあった 。
よほど見かねたのだろう。
「大丈夫ですよ 代わりはいくらでもいますから」
と ニコニコ 答える彼に 彼は 医師は 退き 睨みつけて 言い放った
「ではどうなっても知りませんよ 。結核は 空気感染しますからね 。当病院では 一切責任は 追いかねます それを承知であれば この誓約書にサインをしてください ❗」
彼は 「はい、はい 」とスラスラとその誓約書にサインをして立ち去った 。
医師は振り返って 私に言った
「僕がどうこう言う立場じゃないがあんな非道な男とは別れた方がいいと思うよ」
そういう医者の拳は怒りで震えていた 私は はっきりと答えた 。
「お父さんはもうしばらくしたら退院できるほどに回復します そしたら私の役目は終わるので 必ず彼と別れるつもりです 」
暖かいお言葉ありがとうございますと、こうべを打たれた まだ若いインターン の医者は いきなり 私の肩を掴み 「負けるなよ‼️」と叫んだ 。
遠い昔 同じような目で同じような言葉をくれた人がいたような 気がする、
あまりの厳しい現実生活の中で
思い出せずにいた。
そうだ
あの男前のヤクザの お兄ちゃんだ 。
半年後 義父は退院できるまで 体力が回復した 。杖で歩けるようにもなった 。話せるようにもなり 、病院の医者も看護婦も皆これは奇跡だ 。こんな事例は見たこともない。
「全部ここにいる 蛍さんの命がけの献身的な看護につきますよ❗また ご主人 で この患者の妻で夫である あなた ❗これは人のやることじゃない 。
僕は人を人とも思わないあなた方に比べ、一言の愚痴もこぼさず患者の手をさすり 、背中を揉み 、声をかけ続け 、父さん 必ずまた元気になるから 今は一緒に頑張ろうと 励まし続けていた蛍さんを見ています。 この患者さんを死の縁から救ったのは 蛍さんなのです 。
なのに、あんたたちは何をした ❗こんな 乳飲み子の20歳のお嫁さんに お父さんを任して、ろくろく 見舞いさえも来ない‼️
これは人間のやることじゃない ❗
こんな汚い金、一銭たりとも 僕はいらない 返すよ」と 、
ポケットから 分厚い茶封筒に入った金を2人に投げつけた。
春の桜の花びらのように1万円札が青い空にひらひらとまった 。
2ヶ月前 だ。やっと すやすや寝かし込んだ我が子を
背負い 渡り廊下から 病院の中に入れる扉を開け 、
暗く長い廊下を自分の個室に帰るために歩いていたら
「泣かせるな!」と言って 怒られた 婦長が「 ギャー‼️」と言って、
文字通り 腰を抜かし 廊下にへたり込み
「ギャー来ないで ❗来ないで ❗私が悪かったわ ‼️あの時は本当にごめんなさい ❗来ないで ‼️」と、
何やら、わめき散らしている 。遮二無二に懐中電灯を振り回しながら。あなた 何したの と感じた
ガタガタと震えて 私に拝んでいる
「ごめんなさい。ごめんなさい」 と泣きながら 。
あらこれ 私のこと 幽霊と間違えてるの? そう思いながら、
「 あの~婦長さん 。上村です。子供をあやし
に外に出てました 。髪もボロボロでこんなひどい姿に、幽霊と間違えられましたか ?ほら足もあります」
と細い足首を不調に見せた 。
単なる勘違いだと気づくと
婦長は、さっと立ち上がり みなりを整えると気を取り直して
「もうこんな夜中に、びっくりするじゃないの 」と言われた 。
赤ん坊の泣き声がうるさいから 、
外で あやしてこいと言い放った 同じ女の口から だ 。
あーこれだから人間は嫌いだと思いながら私は病室に戻った
その婦長も、
涙ぐみながら私の両手を強く握りしめ 「お疲れ様でした本当によく頑張られましたよね えらいわよ」
とまるで新人看護婦を褒めるかのように、
何度も何度も 両手を 見切り 締めた。
いろんな人間がいるんだなと感じ 、
冷一と、
義母を振り返ると、 また婦長と主治医にお金を渡していたが 新人のインターンには 一切渡さなかった。
よほど
お金を放り投げられたのが 頭にきたのだろう。
その時に一枚 残らず 一心不乱に 乱れ飛んだ お札を、2人で這いつくばって 拾っていたこの2人が一番醜いと 私は見下ろした。
「もったいない。 もったいない。」
とつぶやきながらお札を拾っている 2人に 、そんな言葉は聞こえていなかったのだろう、
いや聞こえていない ふり
をしていたのかもしれない。
お金だけが 命の 2人だったのかもしれない。
だが 幼き頃より 極貧 だった私が その汚いお金に転んだのだ。
退院後 本家に 帰ってきた 義父もまた同じだった。
だが本当に嬉しそうだった しかし 大きな問題があった。
脳卒中で倒れ 、見た目は 杖をつけば 歩き 回れる、どもりはするが聞き取れるほどの言葉を話せ、 人との会話もできる 。
だが3人のお妾さんからはすでに見捨てられていた。
家には ほとんどの日々 私と義父だけの 日が続いた。
礼一は 相変わらず、 いろいろな若い10代の女性のところに入り浸っており、
20歳になった私にはまず 興味を示さなくなったので、 私としては大変ありがたかった。。
お風呂に入っていれば一緒に入ろうと裸で入ってこようとする ベッドで寝ていれば その布団に潜り込もうとする。
義父は自制心と いう能力を失い、煩悩のままに 行動をしだした。
「冷一のものはわしのものだ 」本気の顔の 義父 の言葉だった。
さすがに 冷一に相談しても
「だからあのまま死なせてあげたら良かったんだ 助けたのは 蛍だろ。 自分で何とかしろよ 俺に頼るな」
と にやにや笑う その姿に、 もう絶対に別れようと何千回目の誓いを 己に立てた。
【心配しなくてもそのうち 絶対お前を捨ててやるから待っておけ】と私は 礼一にそう言い放った。
あれから 気が遠くなるほどの 、
時が過ぎ 様々な男性に出会ったが冷一ほどの、
頭の回転が早く そして悪賢く 悪魔の化身のような男性にはあったことがない。
ここで一言、言っておくが 、
鹿児島の人が全員悪魔のような人とは、
私は 思っていない いい人もたくさんいた。
ただ私がいた 鹿児島での環境がそうだっただけの話である。 鹿児島全体を侮辱するつもりは 私は一切ない。
さて話は戻るが、
身の危険を 本気で感じた私は 、
弟の遺品の中から日本のジャックナイフを取り出した 小さい方は日中いつもポケットに入れ、 大きな 切れ味が恐ろしく 良い ジャックナイフはいつも 枕の下に忍ばせていた 。
ある夜中私に覆いかぶさり 獣の目をして私に襲いかかってきた 義父に本気でジャックナイフを義父の喉元に突き付け これ以上変なことをしたら 、私の手でお前をあの世に送ってやるよ」
と はっきり私は言った。
そんなことされたら
我が家の恥だ幼い 安子は誰が育てるんだ ほんのちょっと我慢すれば良いだけのことだ 。
私は呆れ果てて 物が言えなかった が気を取り直し 義父にはっきり言った。
「いや、いらん世話だよ 。お前の家の恥などしたことか 。てめえが死んだ後の心配なんかする必要ないよ。 自分の始末は自分で着ける❗とにかく死にたくなければ 、それ以上私に近づくんじゃない 」
不思議なほど、そう 私は静かに行った。
それからの 義父は 驚くほど私に対して丁寧になった 。おそらく 気の小さい男なのだろう。
だがその代わり 分家の女たちをいつも追いかけ回していると 文句。
「私に文句を言われる筋合ありません。私のせいではありません 。
貴方たち一族の血筋ではないのですか ?文句を言うなら 本人に言ってください。 もしくは息子の 冷一に申し立ててください 。そうそう、 皆さんもこれを持って歩いたら」
と 光る ジャックナイフを片手 で開いて見せた 。
【狛の含み笑い が聞こえた】
この土地に 他の土地から嫁に来た人で3ヶ月ともつ 嫁はいなかった。
洗濯物は男物 はお日様が光る 表での 物干し竿で干し
女物 の洗濯物はじめっと 薄暗い家の裏で干さねばならず 、
食事も主人は大きな お膳で食べ
嫁は台所で食事の9時をした後に、その残り物を立って食べる。
またどの家にも 台所に降りる 横にタンスなどを置いた 四畳半 ほどの納戸と言われる 狭い部屋がある。
新しく来た嫁は、
毎朝4時半頃には起きて その何度に キチキチに引いた 、
その家で一番古い布団で寝させられる。
その上 、
薩摩の男は、ほとんどが 大酒飲みで一同に集まれば クルワザ となり 、
横に一升瓶を置き ポット をおき、
つまみに絶えず気を使い 切らしてはならない 、
つまり 嫁は一晩中眠れず 、そのことに集中せねばならないのである。
夫に口答えなどとはもってのほか 、「はい 」という返事のみ 。
大根や、 たけのこ などが朝起きれば 庭に山と積まれている。
分家の人が置いて行っているのだ。 それを 庭の窯で茹でたりして1年間持つ保存食を作るのだ。
隣の 納屋の大きな 樽に保管してある。
近くにスーパーや 百貨店 はない 。
よって自給自足の生活を強いられることになるのだ。
こんな生活に、大阪や 広島 などから 他の地方の方から嫁に来た女性が耐えられるはずもなく、ある日突然姿を消して 二度と 嫁が戻らぬ家が多くあった 。
しかし私は 不思議にその土俵に難なく合わせていた。 いろいろな土地を 点々と暮らしてきた 自分の過去が 優位に働いていたのかもしれない。
女性の自由や仕事が認め られ 、東京などの都会では アッシー君だのメッシー君だの、貢君だ の、流行り言葉が言われていた時代のバブルの話だ。
その 逃げ出した嫁たちは、そんな バブル期の中で育った女性たちであり 、
いきなり100年前の時代のようなこの土地で暮らせるはず などなかったのだ 。
しかしながら 、
鹿児島の田舎では めんめんとその悪しき伝統がまかり通っていた。
今になって思うが 私が18歳だったから、5年間もあんな生活に耐えられたのだろう。
これが25歳とか 世間を知っている女性なら おそらく 皆と同じ行動をとっていたと思う 。
今は過疎化が進み 見る影もないらしいが、
あの5年間の苦行のおかげで、
それから 襲う 数々の試練に私は 耐えられ 乗り越えられたのだとつくづく思う。
どんなに辛く苦しく悔しいことがあっても、死のうとは思わない。
【あの5年間に比べたら、なんてことないわ】 そう~いつも思えたからだ。
ある意味 〔良い勉強〕をさせてもらったのだと今では思う 。
その当時は死にたくなるほど辛い経験だったのだが、
それが私の人生の【大きな杖】になっていた。
ここで話はそれるが、これは【私の事実の自叙伝】ではあるが、人は〔他人の不幸は蜜の味〕と思うらしいが。
ここまで残念な不幸だとどうやら 皆さんドン引きらしい。
まあ 人気のないこと 人気のないこと 。
まあ 事実なので、面白かろうと 、面白くなかろうと もうここまで来たら書くしかない。
私としては自分の人生を一度 【小説】 にまとめておきたいと思って、
始めた 作業なのだが、今、ものすごく やめたいが 、
途中でやめるわけもいかず、
今 こんなんな作業を続けている次第だ。
読む 読まないは皆さんの自由だ。
【できれば 読んで欲しくない。】 これが、正直な気持ちだ。
第15章 蛍の決意
鹿児島に帰ってからの 礼1は全く働いていない 。
それどころか テニス三昧でテニスの 先生になってるみたいだ 。
生業の 農業が嫌いで 、冷一の 強い希望で 鹿児島を自ら捨てていた 。
なりゆき状、
実父が病に倒れたので、
渋々 鹿児島の地に戻ってきたというのが 本当のところだ 。
その礼 一も 26歳になっていた。
蛍は3歳年下だった。
思えば、花嫁の私が18歳。 花婿の礼一が22歳の結婚だったのだ。
冷一は 幼き頃より神童 と呼ばれるほど、 秀でていたという。
あの 広すぎる黒い屋敷の中で一人で育ったのだ。
義父は妾の家に入り浸り、
義母は、次から次へと男を金に物を言わせて 遊び回り、
幼き頃から実質的に冷一は うみっぱなしで放置されたも同然だった。
と分家の人は言う。
分家でも珍しく とても人のいい 近くの分家の 、力蔵 おじちゃんのところで 聞くところによると 、まだ2~3歳の冷一が泥のついた大根を空腹に耐えかねて、
暗い土間でガリガリと貪るように食べているのを見たという 。
何とも哀れだったという。
本家の農業を切り盛りしていたのは、
わずかな手間賃で力蔵 おじさんが任されていた 。
礼一はいくら食事に来いと言ってガンとしてこない子だったという。
仕方がないので釜飯の炊き方を教え、 野菜の煮方を教え、 大根の漬物の作り方を教え、
最低限の食事を自分で作れるよう 教えたのは、 力蔵 おじさん 夫婦だったという。
「あの子 はあっという間に覚えるんだ 一度教えたら二度と同じことを聞くことをしない子だった でも何度も何度も失敗しては チャレンジしていたよ 生煮え の飯に醤油をかけて 卵で卵ご飯が一番のごちそうだったようだ。
だが、私はその話に一向に同情はしなかった。
何しろ 私の方が 1枚も2枚も上手の 悲惨な育ち方をしていたからだ。
陸上 おじちゃんの話は続く 「ある日のこと 、その 冷一が近くの小川から毎日水を汲み 入れて 風呂釜に水を貯めていたのだが、3歳のくせに 納屋から長いホースを見つけ出し 小川の 小枝にホースを外れないように縛り付け、 風呂釜まで通し 出口のホースを力いっぱい 吸い込んで 小川の水を風呂釜にたっぷりと 貯めていたのを見つけた時は驚いたよ 」と言っていた。
分家の力蔵 おじさんの家はとっくの昔に水道を引いていたが、
ケチな 本家は近くに 豊かな 飲める 川の水があるのだから、
水道 なんていらない 引いていなかった子供ができても わずかな養育費を 、
わしら 夫婦によこしていたな。
帰ってこないんだから 、
ほとんど水道など必要なかったんだろう。
1人 本家に置き去りにされた 。
冷一は傍から見ていても本当にかわいそうだったよ 。
親譲りの超頑固者ではあったがな 。
一度として わしら家族と一緒に食卓を囲むことはなかったよ。
いくら 誘っても決してこなかった もんじゃ。
今思えば、 わいわいと暖かい夕食を食べてるわ しらと、
1人歩いて誰もいない 本家に帰って、
一人ぼっちで孤独の中で一人で布団を敷き寝るのはあんな幼子にはさぞおかしい 辛かっただろうと思う。
小学校に上がれば 人一倍 勉強して 村一番の成績を取り、 運動をさせれば一番になるまで皆を帰らせなかった。
質の良い着物や 洋服は派手好きな母親が見栄っ張り だったから、買い揃えていたので村の誰よりも、上等の服と、ピカピカの革靴を履いて学校に通っていたが 、
洗濯を母親がしてあげる 姿などとんと見なかった。
全部 冷一が一人で整えていたんだよ 。
誰もが知っていたが誰一人 、本 家に意見など できない人たちだった。
2人とも 恐ろしく 傲慢な人間だったからね。
そう聞くと あの異常なほど 歪んだ性格は子供の頃の環境から生まれたのだろうとは 予想がついた 。
あの黒い屋敷を取り巻く蠢く 黒い膜は風の音に紛れて《子供の鳴き声みたいな音》が聞こえる ああ~あれはきっと 礼一の幼い頃の泣き声だ。
あれほど硬く ねじれ ゆがんだ心は、誰にもほどけないだろう と 蛍は感じた。
もちろん 蛍 自身も ほどいてやる気はさらさらなかった。
思えば 礼一はホタルを一目見た時から、自分と同じ匂いがすると強く引かれていたのだろう
それもこれも今となっては 、
いや あの頃でも2人の間の大きな溝は埋まるはず などなかったのである 。だが少なくとも 出会うべくして出会った2人ではあった。
十分大学に行ける学力がありながら 財力もありながら、
中学より ラグビーに打ち込み中高と インターハイで優勝し大企業のゼネコンからスカウトを受け即それを了承し 入社したという ラグビー部のある釜石支社に入った時には放置しまくっていた 冷一の両親は、 当然、、 国立大学に進学させるつもりだったので 目を丸くして いたという。
その時から彼は違う意味で両親とすでに縁を切っていたのだ。
しかし現実は厳しい。 日本中のラグビーで 入ってきた強い選手たちの中で、 礼一はレギュラーには
なれなかった。
捨て鉢になり 本社の北九州に移動してきた直後に 私と出会ったという。
全く 迷惑な話である。
さて 過酷な 鹿児島の時代の経験に戻る。
深い傷となり 蛍の心に刻まれたが
よく夢を見ていた 。目が覚めて 周りを見ますと まだ 鹿児島である。 まだ私は北九州に戻ってないのかと、
がっかりと肩を落とす 朝が続いていた。
礼一は市内のテニス クラブに明け暮れ 大会のテニス教室の 女の子に手を出しまくっていた ので、
テニス教室から追放されてしまった 。
そこから礼 一は1人で何とか暮らせるようになった父を 本家に残し 、
鹿児島市内に 蛍と出て行っただが何一つ 満足に 身の回りのことをできない 義父は 、すぐに 鹿児島市内の狭い 誰かの家の2階の間借りをしていたところに 3人で暮らし始めた 。
一番困ったのは 近くのスーパーやお店の若い女性に セクハラをすることだった そのたびに 私は謝りに行き 、
義父を連れて帰ってこなくてはならないのだ、当然 、冷一は家にいない。
家業の農業は 、力蔵一家に任せていたが、私の家計簿を厳しく チェックするのと同様に 、
す力蔵一家に 手間賃として 管理費を渡しても抜け目なくそれを厳しく チェックしていた 。礼一は上より金を取る人間だった。
世間の人間は大まかに この2通りに分かれる。
どこまで行っても 交わることのない
情を取る人間と、
金を取る人間の
2通りだ。
さて 我が子 も3歳となり 可愛い盛りの愛らしく美しい幼子に育っていた。
鹿児島の片田舎とは 全く違い 鹿児島市内は 先進的で皆の考え方も 本州の人間のそれと ほとんど変わらなかった。
人々は活気に溢れ、
桜島は時々 癇癪を起こすように 爆発する。
すると 皆 窓を開け 風向きを見極める。
海への風邪なら 黒の粉塵は飛んでこないが、陸地への風向きだと 、
皆 外に 干していた洗濯物を家の中に入れ込み
冊子を閉め 鍵を閉める。
おかげで 鹿児島の車は大概 ボコボコと 穴が開き 耐久年数は非常に短い。
そして 、いくら 鍵を閉めても 冊子を閉めても 、それでも細かい粉塵は家の中に入り込み いつも畳もどこもかしこも 黒い粉塵だらけで、鼻をかむと黒い粉塵 混じりの鼻水が出る 、耳かきをすると黒い塊がボロッと出てくる。
こんな 劣悪な環境なのに鹿児島の人たちは至って平気である。
鹿児島の人たちにとっては 桜島は鹿児島の誇りなのだ。
人々は活気に溢れ ている 桜島は 時々 爆発を起こすので 、
黒い車が鹿児島は少ない 白が多い。
そして、 鹿児島市内の女の人は不思議に美人がものすごく多い 、
彫りが深い 西洋系の顔の人の人が多いような気がする。
そして、蛍にも友達ができた 。
近くの大島紬の工場の機織りさんで 明美さんという3人の子供を抱えた 母子家庭の女性だった。
元々 、奄美大島の女性らしく明るく朗らかで裏表のない たくましい女性だった 。
大島紬の機織りの腕が 大変いいらしく 工場に出勤せず 寮である 8畳2間の部屋を 無料で住め、朝から晩まで その寮からは
機織りの規則正しいリズミカルな音が聞こえてくる 。
周りの人は うるさいというが 蛍には誠に心地よい音に感じ
て 、
その音の中にいると落ち着くのだ。
それは源氏蛍たちが 競い合って 飛び回る時の羽音の音にそっくりだったのだ 。
初めてのアルバイトは、
その 3人のお子さんの3歳から6歳までの子守りを ひょんなことから引き受けたことだった 。
それは我が子も入るので合計4人の子守である。 公園で遊ばしたり、
隣の部屋で絵本を読み聞かせ すると 誠におとなしくなり
新作の大切な着物を汚されなくて、
涼子さんに大変喜ばれたや 〔機織り アタック〕などをして、
母にせがうことがなくなり 助かるようだ。 そうそう 面白いことは一度あった。
鹿児島の実家でも2度ほど 、冷の愛人が 自殺未遂を起こしたのだが 鹿児島市内でも一度あった 。
まあ 人の家の2階に間借りしているので 、下の大家は大変迷惑がり 。
私は急いで救急車にその娘と一緒に乗り込んだ。
手首をまあかなり深く切っていたが助かりそうだなと思って、その子に話しかけたと
「結婚したいのなら、いつでも結婚していいよ。私は別れる積もりだからと。ただあなたが人生をかけるほどの奴ではないよ。とりあえず元気になろうね 」
と言いながら病院まで付き添った 。
治るまでに3ヶ月ほどかかったが 、不思議とその娘とは気が合い、
友達になってしまった 。半年もするとかなり良心的な かっこいい彼氏ができた。
その時期 礼 は1週間に1度くらいのペースで帰ってくるので 、
まあまあ 家に訪ねてきても会うことはない 。
で2人してよく家に遊びに来ていたので、
帰ってくる日じゃない日に突如帰ってきた冷は元カノと 、その彼氏の姿を見て 仰天して一言も口をきかない 。
そうすると元カノは「初めまして。奥様にお世話になってます」
と ニコニコ と笑いかける 。
彼氏も
「ご主人様ですか?奥様にお世話になってます 。もうすぐ僕たち結婚するんですよ 」
と嬉しそうに話す。
黙って聞いていたら、冷は そのまま無言で バタンと家を出て行った。
その後 その娘と2人で大笑いをしたものだ 。
彼氏だけが きょとんとした顔をしているのがなおさら 面白かった。
時にテニスの 遠征 と称して 1ヶ月以上 家に帰ってこない時もある。
お気に入りの女の子でも見つけたのだろうと思ったものだが、
その間 自由にアルバイトができるので 非常に都合が良かった 。
次に見つかったアルバイトは、
いつも公園で4人を
遊ばせている時に見守っていた ベンチの横で その4人の大はしゃぎの姿を 、
楽しめにスケッチしている老人との出会いである。
ちらっと覗くと、 びっくりするほど 、4人の子供たちの姿は躍動感にあふれ 実に上手であったいや 上手すぎた。
「 お上手ですね。 絵が ご趣味なんですか 」と聞くとその老人は鹿児島 美術大学の有名な教授 であった。
どこかで見かけた顔だと思ったら 県が小学校の頃
全国 絵画 コンクールで弟が「」優勝した時に 東京まで2人で出かけ、 壇上で にこやかに弟に表彰式で症状と賞金を渡してくれた男の人だった 。
もう20年以上も経っているので 、
ツヤツヤした黒髪も、すっかり 銀色に光る白橋になっていたので思い出せなかったのだ 。
その時のことを語りかけると老人はよく覚えていた。
「まだ彼は絵を書いているのかい」 と聞かれたので、
もう1つの弟の才能である剣道で特待生 として国士舘大学 に通ってますと伝えると
「惜しいね あれほどの才能が海に沈んだのか」と悲しげつぶやいた。
しげしげと私を見つめ
「君 大学で絵のモデルをしてみないかと誘われた 1時間で2万円出すという最高 1日3時間勤めてくれればありがたいんだが なかなか 務まる女の子がいなくて困ってたんだよ」
と 身を乗り出してきた。
絵のモデルと聞くと ヌードを連想した私は いいえ 結構です お金のために裸になるつもりなど全くありませんからと 彼を見据え 返して返事をしたははは」と 笑った老人は「
いや違うよ 違う 今季はね学生たちに世界中の有名な民族衣装を書かせているんだよ 。
今はギリシャ ローマの女性の衣装をやってもらっているそれがもうすぐ終了するので次は ネイティブアメリカンの女性の予定だ 。
君 クォーターだろう だが不思議にどの国にも属していない顔とスタイルだ君なら世界中の民族衣装を着こなせるよ お願いだ 。一度やってみないかね 頼むよ」
と手を合わされて お願いされた。
いい加減 、どこかの漫画の女の子の主人公のような、ピンクの胸当てのついたミニスカートに飽き飽きしまくっていた 私は2つ返事でそのアルバイトを引き受けた。
老人は不思議そうに「 ところで、君はいつもその格好だね 。
どこかの保育園の制服なのかい申し訳ないがいつも似合ってないな 、と 気の毒に思っていたんだよ」
「いえいえ、これ 主人の趣味なんです 。これしか 私服 持ってないんです」
私がそう答える、と老人は顔をしかめ 「こんな場合 、言葉を選ぶべきなんだろう けれども 君のご主人は 変態なんじゃないかい ?できれば別れることをおすすめするよ 」と言った。
私は沈んだ声で
「はい、何人からも同じことを言われてます。ですがお金を主人が管理しているので 帰郷する資金がないのです 。ですから 今も3人の子守りで アルバイトをしている最中なんです。
これでもバイト中 なんですよ 。」と にっこりと笑うと
「君 独身とばかり思っていた だってまだ若いだろ とても4人の子持ちには思えなかったな 。」 「あの中の一人の女の子が私の娘で私は今21歳です 」
と答えると、
腑に落ちないような顔をして、何度も子供達と私を見比べていた。。
「君は不思議な娘さんだな」
と しげしげと また私を見つめていた。
次の日から3時間の絵のモデルのバイトを始めた。
これがまたなかなか大変な仕事だった一度 ポーズを決めると、
手も足も動かせず目も動かせない。
どこかが動くと 、どこからか 学生が目の位置が違うよ! と 苦情が出る30分に5分 休みがあるのだが (これは誰でも音を上げるわ )と思った。
何しろ 真ん中の丸いステージに立ちっぱなしで、周りに70人近くの美術 学生たちが真剣に絵を書いているのだ。
1ミリもだから動かせない 30分で目が真っ赤になった。
だがこの高額バイト 鹿児島を出るまで私は続けた。 週3回のこのアルバイトが一番稼げた。
無口で要点しか言わない その 老人 美術 教授は、余計なプライベートなことも聞かないのに、全てお見通しのような目で見て、とても、とても優しかった、 暖かい人物だった。
(お父さんが こんな人だったら良かったな。)
などと思ったものだ 3時間のアルバイトが終わると、全身が固まったように こわばるが1時間もすると、元の体に戻っていた。
誠に若いというのは素晴らしい。
今の68歳の私がやると、
1回で、1ヶ月は寝込むだろうその自信がある。フム。
次のバイトは公園の裏手に鹿児島 テレビ局があった。
時々 我が子を連れて テレビ局の見学をしていたら、 アシスタントや、ディレクター、プロデューサーやなどと 顔見知りなり
どこかのプロダクションのタレントと間違えられたのか 「君!子連れで仕事に入ってもらったら困るよ!」としかられ
「いいえ私 、近所のもので時々散歩がてら テレビ局内を見学させて頂いてましたが ご迷惑ならやめますけど」と喧嘩腰で答えると「すまんすまん 。どうやら僕が間違えていたようだ 。邪魔にならない程度ならいつでも OK さ」
といきった声で 彼は答えた。
その日から あまりテレビ局に遊びに行くのはやめた ある日 公園に 私を見つけると走って話しかけてきた。
その息は、キレキレ、 ぜーぜー テレビ局中をどうやら 探し回ってあげく、
あの女の子 時々 公園で見かけますよ。
と警備員の助言で公園に走り込んできたようだ。
「 君探し回ったんだよ 頼みがあるんだ!」
聞くと 土曜日の朝の、1年間 素人の奥さんを朝8時からの時間の モーニングショーのアシスタントにするという企画が立ち上がり、
何回もオーディションの末に決定した 主婦 アシスタントの奥さんが、
親の反対で土壇場でキャンセルしてきたらしい 。
夫は認めていたのだが、 妻の実家の父親が知り 烈火のごとく怒り、
「娘は人様の見世物にするために 、お前の嫁になることを許したのでは断じてない!」
と取り付く島もないらしい。
そうして思いついたのが、
どこかのタレントと間違えた素人の私のことだという「 あの女性が 探せ!」
と大騒ぎ だったらしい 。
きょとんと ベンチに座っていた 私は早口で事のあらましを 語る時 。ツバキが飛ぶのが嫌で右に左に椿を避けながら聞いた。
さすが 芸能界 。
東京でも鹿児島でもギャラが安い 1時間5000円にはさすがに驚いた。
おまけに その前に その前に 2~3時間前の打ち合わせがあるらしい。
私は たかが1時間のモーニングショーのアシスタントでギャラが5000円っていうことを、
「どうせ1年間の、素人若妻のたどたどしく 、初々しい 絵が欲しいんでしょ ?
アドリブで対応するならオッケーしますけど 5000円?はあ~1万円になりません?」
さらに2~3時間前の打ち合わせも断った。
そのプロデューサーはそれを聞くと 桜島が今にも爆発するように顔が真っ赤になり
「ふざけるな テレビを舐めるな !」
と叫んだがどうやら かなり 切羽詰まっているらしく
「なら一応流れの台本だけ カンペで流して形になるかどうか やってみませんか 今から」と提案した。
私の提案した 試みは思いのほか 楽しい雰囲気を醸し出し 、
アドリブでのボケの 私。ツッコミ のアナウンサーとのコンビが面白く、
「これなら行ける 」
いつのまにか スタジオに来てた局長の鶴の一声で、私は 第3のアルバイトが決まった。
だが 5000円しか出さぬ(まあ 後で1万円になったが )衣装は自腹という。
ピンクの胸当ては ミニワンピースの 着た切り雀の私には無理な相談だ。 それで 断ろうとすると、他のアナウンサー女子や 衣装部の人たちが衣装を揃えてくれた 。
「全部こちらで揃えますから間に合わせましょうよ。 もう今更 オーディション から始められませんから」
この私の思いつきは思いのほか 受けたらしく、
一度など衣装部門で借りた 十二単を着て出たら、バカ受けして半年は ネタに使えたほどだ。
衣装を貸し渋っていた女子アナも「この服ですか? 見覚えがありますか? そうそう 3日前 、蛍さんに私が貸した 私服で~すと、大いに受けた」
1年間のバイトはあっという間に過ぎ去った 蛍は22歳になっていた。
いつのまにか 鹿児島では 、
結構 顔をさす タレント 扱いをされることが多くなった。
しかし まずいことに、 テニス インストラクターの 子が 冷に
「僕 奥さんのファンです 」
と言ったらしい 。
テレビなど家にないし テレビなど、全く見ない冷には、
ばれないとタカをくぐっていたら、 ひょんなところところからバイトがばれた 。
冷が気づいた。
家計簿 もごまかさず、
きちんと記入しているのに 、なぜだか 蛍の態度に余裕が見える。
例の勘のよさを知っていたので、バイト代は家に おかず 、
良子さんの家で預かってもらっていた 。
ある日、冷が、帰ってくるはずのない日、
令は帰ってきていた。モデルのバイトが終わり 家に入ったら 、
一瞬 泥棒が入ったのかと思うほど 、家の中のタンスや 棚 押し入れが全部開けられ、果ては、 畳まで ひっくり返されていた。
「蛍、俺に隠し事があるだろう」
と、 ドスの効いた声で冷は私に言った。
最初ははぐらかしていたが、
テレビ出演がバレたと聞き 私は 開き直った。
「前にも言ったと思うけど〔いつかお前を捨ててやる〕って 私言ったよね。その通りにしてるだけだよその準備をしているだけだよ 。前にあなたのお母さんから言われたようにあなたのお金は1円も使っていない よ。裸で嫁に来たのだから裸で帰れと言われた わ!
ただ私が産んだ子供だけは連れて帰るわ 。もうあなた、外に2~3人は子供がいるでしょ?私のも娘など、もういらないわよね」
「お前がその気なら 、養育費も慰謝料 も、 もちろん財産も一銭もやらん! そのつもりの 離婚なら 別れてあげてもいいけどな! いいか、お前は 本妻なんだ 本妻はこの家でデンと、構えてくれていればいいんだ 。
愛人 などいくらでも 変えがきくが、本妻の蛍だけは 変えが効かないんだ ! 俺は別れるつもりはない!」
「あなたの汚れた金など1円もいらないわ 。私はただ自由が欲しいだけなのよ 。もうこんな 奇妙な結婚生活 私は耐えられないの」
と正直に答えた。
「蛍まで俺を一人にしないでくれ」
今にも泣き出しそうな 冷の顔 。
最後の声は震えていた。 絞り出すように 彼は呻くように言った。
私の凍え 切った心に、
その悲鳴のような冷の言葉は 入っても来なかった。
珍しくお金も渡さず 2週間ほど、冷は帰ってこなかった。
2週間ぶりに 帰ってきた 例は 冷ややかな視線で
「なんだその目つきは !」
と言われ 黙っていると いきなり こぶしが飛んできた 。
一瞬気が緩んでいた私は まとももまともに、右頬 右目にこぶしが入った 。
クラッとした 目の前が真っ白になった 。
その後の記憶がない 私は気を失っていたのだ。
翌日 気がついたが腫れ上がった右ほほは 、青黒くむくみ上がり、
右目に至っては 、半月 、何も見えなかった。
その時からだろうと思う 本気で 礼を殺そうと思い始めたのは それで全てが解決するような気さえ覚える 蛍 であった。常軌越えをしてしまった私がそこにいた 。蛍の周りは赤黒い炎がまとわりつき 、己 さえ 焼きつくさんばかりに燃え上がっていた。
その日から 令は、家にいるようになった。
猫鍋 声でお粥を作り料理をし 、
家事全般を一手に引き受けていた。
久しぶりに長期間いる父親に 、我が子は喜び 父親の膝の上でキャッキャ と甘えていた。
腫れ上がった 右側の顔に包帯を巻いた 私は一言も口をきかず 、
出された食事にも全く 箸をつけなかった。
半月で蛍の体重は31キロまで落ちた。
もう何もかもが嫌だった。
ある時 我が子が 、私を見て 大人びた声で 聞いた。
「 ママはパパを殺すつもりなの 」
「そしたら 私は殺人犯の娘になるの。」
ある意味、 娘の〔 その一言〕で 私は我に帰ったように思う。
あの一言がなければ 私はあの時、何をしていたかわからない
1時は医者から失明するとまで言われていた右目は 奇跡的に徐々に視力を取り戻してきた。 例の母も頻繁に家に来た
「女1人で今の時代子供を抱えて生きていくのは大変よ、私だって我慢しているんだから、 蛍 さんは冷に、こんなに大切にされているんだもの ありがたく思わなくちゃね 、以前 、裸で来たから 裸で帰れと言ったのは冗談だから気にしないでね。」
2人に何を言われようが 完全に心を閉ざした小樽はまるでそこに2人がいないかのように無視して一言も言葉を発さなかった あの宮崎の時のようにただ義母の私だって我慢しているんだからという言葉だけは、
《どの口が言ってるんだ》
と本気で憤ったが もう何も言ってあげる気もしなかっ た。
その義理も情も彼女になかった。
蛍の凍るような自然と を視線を浴びると結婚前のように 欲しいものを与えようとする 例しかし もう この男から紙くず 一つもいらない 私は無表情に首を横に振る ばかりだった ただ 早くこの顔が元に戻らなければ早く!早く!早く!出ないと。
私はこの暗く ヌメヌメしたトンネルから一生 逃げ出せない 。
アルバイトができる からだに 1日も早く 戻らなければ!
私は何をするかわからない。
自分で自分は止められない思いは怖い 。
それが愛であろうと。
激しい憎しみであろうとも。
この5年間の間 、
私に バック 1つも、
娘におもちゃ 一つも、
買い与えなかった冷が人が変わったように色々と買い込んでくる。
冷たい視線でそれを見る私。
そうされるたびに 蛍の憎しみは大きく燃え上がる。
今 は稲刈りのために 本家に戻っていた。
時は 農家の稲刈りの季節を迎えていたのだ。
羽をもがれた鳥のように、ぼーっと蛍が外を眺めていたら 、ドッ!トドッ!ドッ!というバイクの音が 庭先からしてきた。
ひょうきんな。変顔で ケンがひょいと顔を出した。
白い包帯を撒く 右側の目と左側の目から膨大な 涙が止めどなく流れ落ちた。「 姉貴 ! 来たぜ! 何でも言われればしてやるぜ 。 姉貴をこんな姿にした奴!! 俺、絶対許せねえからな!」
そして殺意を込めた目で冷を見据えた 。
大きくたくましく成長したケンは武術を極め 、
そのそれぞれの段を合わせると 20段を優に超えていたそのケンに向かって 、
至って軽い 調子で 、
ケンの鋭い視線をさっと交わしながら 「やぁやぁ。いらっしゃい。 蛍の不注意でこんな姿になったが、 医者が言うにはもうしばらくすると傷跡も残らず全開するそうだ。 そうか すまないね 。稲刈りの手伝いに来てくれたのか いや ~ありがとう、ありがとう! ほら蛍 もこんなに喜んでいる。 あれから失明するかもしれないというショックから 全く話さなくなってね。。ろくろく食べないんだよ。
夫としての僕も心配で心配でたまらなかったところだったんだ。いやー 助かったよ。ケン」
平気な顔でスラスラと嘘をつく、冷の話を射抜くような鋭い顔つきで無言で見ている 弟に本能的に 危険を感じた蛍は
「ケン、 久しぶり 会いに来てくれて嬉しいわ」
と1ヶ月ぶりに口を開いた。
私に走りより、私の耳元で
「やってやろうか」と囁く 弟に
「だめよ! やるなら私の手でやる ! これは私の喧嘩。ケン は手を出さないで!」
その年の稲刈り 作業は、いつもの半分の 時で終え、冷や、分家の人々からの指導を聞きバリバリとこなし 、人の 3~4倍は仕事を黙々とし 特に 、力仕事ではまるで、見せつけるようにその怪力をふるった。
稲刈りが2日で終わり 酒盛りの席を上座に据え、 弟に加わることを無言で断ったケンは、
「姉貴、 用がある時はいつでも呼べよ。 あいつはやる価値もないやつだ 。 別れた方がいいと思う 。 子供は俺が面倒を見るか、ら生活の心配はいらない 。ガキの頃の俺とは違うから」
大学を 中退して 自衛隊に入隊したケンは、 そう 蛍に告げ 夕焼けの道をバイクで帰って行った。その後ろ姿を刺すように 睨む 、冷の姿があった。
腫れ上がった蛍の顔も 、しっかり元に戻り 例の生活もすっかり また元に戻っていた 。
ただし 3日と明けず家には帰ってきていた。
有り余る財産で、何か事業を起こそうとしていた。
色々と勉強し、 いろいろと 見学した末に、
焼肉 チェーン店をやると決めたようだ。
一旦 方向性が決まると 次々と行動を起こしていた。
まずは2人して調理師専門学校へ入学した。
半年で調理師の資格を取った。
私にはもっと勉強をして栄養士の資格も取れという。
焼肉チェーン店は まずは 鹿児島を制覇する。
次は、 全国展開だ 24時間営業。 年中無休は譲れない。
そのためには 蛍、
お前の才覚が必要になってくる 経営全般は俺が見る。
各店舗のお金と人の管理は蛍に任せるが、
一応 朝の7時にレジを閉めるから毎日俺が集金に行くことになるだろうな。」
【おい!おい! この上 、一生 ただ働きかよ!】とうとうと、
夢を語る冷を見つめ 冷たく見つめ 、
「その夢の中には 、きっと私はいないよ」と心で罵った。
おそらく 、冷の夢を 、
氷のような瞳で一切返事もせず聞かない
私を見てのことだと思うが、
あの日から バイト 止められ 、
私がふと冷に、冷たい視線を向けると、
まるでマグマが溢れ出たような 例の激しい暴力が始まった。
全く 突然に だ。
暴力を受けてる最中に電話の音 。
やっとの思いで電話を取ると 操の声 。
そのせいで逃げ出せず、好き放題 殴られ続けてしまう私。
「また後で電話して!」
と切羽詰まった声で私は行った
「蛍! どうしたの ?また殴られてるの!?」
その手を 無理やり 受話器からもぎ取り、
有無を言わさず 冷が ガシャリと電話を切る。
暴力はほぼ30分ほど続いたがどこか 手加減しているのが ホタルには分かった以前のことが よほど 答えたのだろう。
3時間後、 操が憤然とした顔で私の目の前に現れた 。
3時間で北九州から飛行機を飛ばし 鹿児島にみさお はやってきてくれたのだ
「もう我慢できません 蛍と別れてください !」
操は冷を見据えて、はっきりと言った 。
「他人が入る問題じゃないんだこれは 夫婦内で決めることだ赤の他人の お前はいらない 口は挟まないでくれ 」
みさおがふっと笑った。
「は ?夫婦間の問題? あんたは 、たった4~5年の蛍との付き合いでしょ? 私は15年の付き合いなんだよどちらに重みがあるか 歴然としてるよね !
あんたみたいな奴、けがらわしくて、ヘドが出るわ、 いいこと、 あんたと知り合ってから 蛍の笑顔を 、私は一度も見たことがないわ !! 」
焼けつくほど 激しい言葉で みさお は霊に言い放った あんたに ホタルの夫の資格など1ミリもないわ 真っ赤に怒ったせいは 娘を抱きかかえていった「あー! もう別れてやるよ ! ただ一人娘の 安子だけは、渡さない一人で帰れ!!」
と言うなりベンツに乗り込んだ。
窓から我が子が
「ママ ! ママ!」《と叫ぶそのもみじのような幼い 手を 私 ひとみさんは必死で握りしめた。
約100m も車に引きずられただろうか 。
「蛍! この手を離したら一生、娘と会えないよ!!」操の必死な 声が心に響く 。
騒ぎを聞きつけた 近所の人たちが集まってきた。
私は、近頃時々思う。
あの時 我が子の手を離していたらかえって、 安子は幸せだったのかもしれない 。育ててみて 気がついたが 靖子は 上村家の血を強く引いた 子供だったのだ。 私と生き方も、考え方、も全く違った女性だった 。さんざん 苦労して育ててあげく やすこは情より、金を取る 人間性だったのだ。
私が65歳になって 安子と一生縁を切るハメになるぐらいであれば、
3歳の時に縁を切っていた方が 帰って良かったのかもしれないと 、本当に思う時がある。
しかし 人生は選択の連続だ あの時私は あんな 乱れた男女関係の環境の中に 我が子を置いて逃げ出すことはとても考えられなかったのだ そのことについてはいっぺんの悔いもないが 全くの 別人格の人間が 私のお腹を痛めて生まれてくるという事実は やすこを通じて はっきりと 認識した あらゆることが 全く違う考え方 なのだ 実の親の母親の私に対し 6年間も 見どころをごまかしていた 福岡に帰ってきていた家を建てていた その事実は私を 愕然とさせた そして はっきりと安子は私のことを恥じていた だから 洗えることに対して何を話し合おうと平行線で交わることが全くない 親子であった 67年も裏切られ 何千万も安子から奪い取られその心の傷は私は一生 癒えないえないだろう。 その事実が分かった年の正月 。我を忘れて人前で、初めて生まれて初めて大声で泣いた瞬間だった 。 あの絶望感は生涯忘れることはないだろう 。
あの時に手を離していれば、
いや 、みんなが反対した我が子を産むことを思いとどまっていればなどと 考えるが、
全てはその時に私が これが正しいと、選択したことなので 悔いはない。 {正直悔いは、あるけどね。}
人生を生きていくということは、 選択の 連続だし
1秒先もわからないし 1秒後にも戻れないけれども 、
その時に 自分が決めたことに責任を 持つしかない。
【 潔く】諦ねばならぬことは、諦めるしかない。
また話はそれるが 、私は 落ち込む時は とことん落ち込むようにしている。
中途半端に落ち込むと 、
また忘れた頃に その苦しみがぶり返してくるからだ。
悲しみは苦しみは一度で十分だ。
だから 落ち込む時は、
落ち込む 底の底まで押し込むように 私はしている。
さて 。
話を戻そう 。人目を気にする 令は、集まってきた みんなに ペコリと笑い
「お前ら 頭おかしいんじゃないか 俺は父親だぞ 」
そう集まってきた
みんなの 批判の目に説明するかのように怒鳴った 。
その隙に さっと 操が安子を抱き上げ私に渡した。
そして3万円のお金を私に渡すと
「もういいよ 蛍、 帰っておいで」
と2人ごと 抱きしめ 、そのまま 去って行った。
次の始発の電車で私たち2人は 着のみ
着のままで、 サンダル姿で北九州行きの鈍行の車中に座っていた。
そのホームに 良子さんが走ってきて、
私から預かっていた アルバイト代の封筒を渡してくれた。
「元気でね !! もう会えないかもしれないけど、 お互い 精一杯生きようね !!一生 蛍さんのことは忘れません」
と大声で 泣きながら叫んでいた。
後でバイト料の 封筒を開くと バイト料の約3倍のお金が入っていた 。
ありがたくて 、ありがたくて、後から後から涙が溢れた。
これでやっと自由に飛べると。
こうしてやっと蛍は北九州に戻ってきた。
実家に帰ってきて 父や母が ちらし寿司を作って待っていてくれた。
「 ただいま 」
と一言、言うのが精一杯だった 。
「おお~お帰りかえり。 ずいぶんと、長い旅だったな。 お風呂が沸いてるから入るといいよ 」
と父が優しく
この上なく優しく声をかけてくれた 。
お風呂入ってっていると 、
タオルと着替えを持ってきた母が、
私の背中の 赤あざ、青あざ、擦り傷だらけの体を見て 、
その場に泣き崩れた。
私は何も言わなかった。
何も言わずとも 私の背中の傷跡が、この5年間の苦しみ、悲しみ、辛さ、を物語っていた。
私は23歳になっていた。
「ほたる ご苦労さん いい勉強になったな」 まあ ~飲め飲めと2人とも一滴も酒を飲めない、父と 蛍がぐいっと 酒を一気に飲み干した。
今 思えば 、18歳から23歳まで 、【青春真っ盛りの時だ】 だが、私には1日も青春と呼べる日はなかったように思う。
23歳から 26歳の 【自分を壊すような3年間の月日】は、とても 青春と呼べるような日々では消してなかった。
あの頃の酒の苦さは生涯忘れないだろう。
第15章 蛍 奮闘 編
23歳になった方 ホタル4歳になった我が子
全く未来が見えない。
実家に帰れば相変わらずのボロ屋で 、雨漏り用のバケツがあちこちに置いてある。1日でも早く仕事を探さねば。手元のお金がなくなる前に。
その頃のホタルはもう自分がゲンジボタルの分身だということなど忘れはせていた 。
自分の意志で転生した、
あの時から 蛍は 人間になっていたのだ。
あっという間に老い去らばえて
逝く、あの儚く 醜い人間 を、蛍は選んだのだ。
ホタルは想像していた以上に 、俗世は誠に厳しかった。
ハローワーク ・アルバイト ニュース。
とうとう 色々なルーツで懸命に仕事を探したが即採用されるのだが 必ず 、よこしまな男が寄ってくる。
「女1人で子供を育てるのは大変だろう? 何だったら、俺の愛人にならないかい?」
とその会社の社長から必ず言われる。
どの会社で働いても必ず そんな人がいた。
1回結婚で失敗した女は 、愛人になるか 、水商売になるか 、2つに1つだと、世間が思っている時代だった 。
蛍はそんな下劣な男に出会うたびに、 即! 会社を辞めた。
23歳といえば さすがにいくらでも仕事があると思っていた その 己の認識はもろくも崩れ去った。
「 水商売以外ならどんな仕事でもします!」
それがいつしか 私の口癖になっていた。
そんな下劣な男に 、不躾な 言葉を投げつけられようと、
どんなに 跳ね つけられようと、
どれだけ甘く見られようと 、
蛍は決して諦めなかった 。
そして何度も何度も立ち上がった。
30億もの 財産を 持っている男と必死で別れて、
なぜ?!
月 何十万の愛人にならなければならないのか?!
この前まで正妻 だった私が、
なぜ愛人 という立場に貶められなければならないのか?!!蛍は、
腹が立って、腹が立って仕方がなかった。
世の中の男という男は、
全て浅ましく 汚らしいものに思えた。
そして そんな男たちに甘く見られている、
自分が 腹立たしかった。 モテているという気持ちなど1ミリもなかった 。
男たちは、
私を 《おもちゃ》のように遊び道具にしたかっただけなのが、見え見えで、
本当に腹が立っていた。
何か資格でもあれば仕事にありつけるのかもと様々な資格を取るためにブツブツ切れる 仕事の合間に資格取得の勉強を、
子供が寝静まった頃から夜明けまで様々な資格や 国家試験を受けた頃があった。
20代から30代半ば頃までだ。
おそらく 学生時代より 、
この時代の方が 5倍も 6倍も私は勉強をした。
司法書士 ・宅建 ・栄養士・ 第4危険物取扱者・ 簿記1級 ・速記2級・珠算 一級 。
しまいには 社交ダンスの講師の資格まで取った。
日本舞踊の名取の資格は10代の時にとっていた。
しかしそれらの様々な資格は私に 生きる生活の力を与えてはくれなかった 結局 整形を立てられる仕事は アパレルの仕事だった。
あれほど 必死に なって 勉強した 末に、
20年近くの資格を取ったのは、
一体何だったのだろう ?!!
面接の際 、
蛍の履歴書の資格の欄に、納まり 切れないほどの、
資格を 記入する だけの事だった。
しかし アパレルの仕事は そしてお客様との接客の仕事は驚くほど 順調に成績を伸ばしていった。 有名アパレル企業に中途採用で入社し、
配属された店で、
翌月には 店の売上のトップになっていた。
たいしてそれほど苦労もなしに 、いつのまにか トップになっているのだ。
蛍の接客は。
まるで 怪しげに光る ピカピカと光る蛍に 自然と人が集まってくるように 人が群がり、
そして商品が売れて行くのだ。
そのお客様に会うコーディネート力にも蛍は優れていた。
自分で自分の似合う服を選べない 女性が何と 多いことか。
この業界に入って蛍は初めてそのことを知った。
結局、
男性は、ほぼいないファッション業界で 蛍は頭角を現してきた。
皆が皆 ライバルなのだ。
このヒリヒリとした世界が 蛍にはあっていたそれは 大勢の何番何万引き が 、
我こそは 一番と光り舞い踊る源氏蛍 の舞姿によく似ていたからだ。
離婚して3年目にようやく たどり着いた仕事であった 。
その間に何度 仕事を変わったか数えきれない。
7時など私は社会不適合者なのだろうか という気持ちがありそれを無理に胸の中に押し込めていた必ず必ず必ず明るい お日様の下での仕事を探す私はあの長いトンネルを抜け眩しすぎるお日様のもとに身を置くがその前には草一つ入ってない 砂漠が限りなく広がっていた厳しい生活の中で鹿児島から美術大学の文書が届いていた 確か1回分ぐらいのバイト料はもらっていない 自覚はあったが その現金書留の封筒の中には覚えのない結構な金額が入っていたそして美術大学 教授からの短い言葉を見つけて泣けてきた 【自分を信じろ ❗君にできぬことなどない ❗僕は確信する 】
短いが私に 多いに力を与え 勇気をくれた温かい言葉だった。
あの地獄のような5年間で、
真っ暗な夜空に《いくつもの キラリと光る星》が輝いていたことをその時 改めて感じ、 感動さえ覚えた 。
【私は負けない!‼️】
と空に向かって 思いっきり叫んでいる自分がいた。
生きていく上にはそれなりのお金を働き お金がいる 。
その お金を 得るためには そして 確実にお金を稼ぐためには 、
センスでも才能でも、資格でもなかった 。
【私は必ずできるとそう思うその覚悟のみ】であるということを実感した 。
私が大嫌いな他人の中でも 《星のような人々がいるという奇跡》
に 、〔鹿児島〕という 土地ではない どこに住もうとも 、
知らない赤の他人の何気ない刃のような言動も言葉もやはりある。
しかしあの絶望的な 鹿児島の5年間には 、持てなかった夢や希望が、今の私は持てる 。
だからそれを信じよう。
鹿児島では あれほど時は月日が父として進まなかった日々。
だ が、むしゃらに生きている北九州では 月日の流れは驚くほど早かった。
私は27歳になっていた 実に多くの男が私の弱みにつけ込んできた 。
そしてその男たちの中で私は懸命に戦っていた。
さて私のを誰も読まないであろう 自助 でもそろそろ 最終版に入ってきた。
もはや もう誰にも私の生き様を呼んで欲しいとも 理解して欲しいとも 、見てほしいとも思わない 自分がいた。
27歳になってようやく たどり着いた。 此処には女の世界が 【昼間の女の世界】が存在していた。
アパレル という 百貨店の中での忙しすぎる日々やりがいもあった。
頑張れば頑張るほど給料も上がっていった 。
そして、ようやく 私は安定した日々を 、かろうじて手にしていたが、
娘の 安子は祖父母に任せきりだったある時、
娘の変化に気ががついた。
小学校に上がる前の年頃から
北九州で私1人で世間と戦っている間に、
甘やかされ、【自分の分は自分の分。人のものも 自分の分】という上村家一族の〔基本的考え方〕がその心の中にあることが顕著に現れてきた。
時々 、触れ合う娘は全く私の言うことを聞かなくなってしまういつもむくれた表情で、
「ねえ~パパはパパはどこにいるのどうして会えないのどうして3人で暮らせないの?」と 、
問いかける娘に何と答えてやれば良いのか、 戸惑いを隠せなかった。
【あんな 黒い 屋敷】で、あれほどに
乱れた男女の人間関係の中で、我が子を成長させてさせるわけには行かない❗
そう信じて私は何一つ 持たず必死に 鹿児島から逃げた 。
そして 出口がないと思えたトンネル を走り抜けようやく 出口を見つけその出口から出たんだが、
娘はその暗いトンネルを恋しがっていた。
帰りたがっているその現実に私は愕然とした。
明らかに、 謝った ものの受け取り方 考え方をしている娘に、
私がどれ程
言葉を尽くして 話し合っても、 時に 殴り合いの喧嘩をしても、、
2人の考えは交わることは 一切なかった。
土台二人の考え方の出発点が全く違っていたのだ これでは、
いくら 話し合おうとお互いが、
真に理解し合えることなど不可能だったのだ。
私は 自分が産んだ 3歳の娘を 鹿児島に置いて、
娘の年を遠くから 数えることだけは本当に嫌だった。
令は、おそらく私に 娘を会わさないだろう。
結果的には、
それが40年後に 、具現化されだこのことだ。
おそらく、
私の生死も娘は知らずに 、これからも生きていくだろう。
それは 娘も同じことで娘が死んでも、 私は娘の死を知らずに生きていくのだろう。
そういう運命 の上に 私たちは生まれてきたのだろう。
もう~そう思うしかない。
しかしそう 悪いことだけでもなかった 。娘が産んだ、まあ ~私の孫になるんだが、
その娘〔幸〕は上村家の血はあまり引いてなかった。
私の考えも理解でき、とても暖かく、たおやかな思慮深い娘である。。 私の予想通り やすこは 連れ子の 幸を ありとあらゆる虐待し、 無理やり産んだ 長男を溺愛していた。
だが 結婚した 男性には 考えられないほど 嫌われていた。
元々 家庭を持つ資質がない娘なのかもしれない。
父親の冷と 同じように。 私の今 幼女になってる幸は、 まだ22歳だというのに 、誰からの愛情も受けず 〔どん底の生活〕ですさみ きっていた。 この5年間で、
やっと普通の感覚の娘になったのはとても嬉しい。
今 5年間 その娘と 私は生活している。
戸籍上は私の養女娘となっている 。
もうすぐ 結婚する予定である。もう~金銭的には、実の娘泰子に嘘にまみれた口実で余裕のある生活では無いので人並みの結婚式をあげて挙げられないのがさみしいが、致し方ない。これも、泰子がのこした負の遺産か、、、、、、
だが
その男性が、善き男性で
幸を 、一生本当に大切にし幸せにしてくれると私は信じたい。
彼女には彼女の人生がある 。
私に私の人生があるように だ。
彼女は自分の力で 自分の人生をこれから力強く切り開いて行ってほしいとも思う。
第16章 父のケン
ケンは、自衛隊時代唯一自分らしく、イキイキと活きていた。それを、【跡取り息子】という理由だけで父は、無理矢理引きはがすように自衛隊を辞めさせた、。
ケンの瞳から輝きが消えた。家徳を継がせると、父は言うが、肝心の家徳とやらは何処にあるのだ?! 姉娘の援助がないと生活出来ない家の何処に家徳などという代物があるのだ‼️
あのバイク事件同様。父は、弟の
【生き甲斐】さえもうばいさったのだ。弟の生き甲斐をうばったもう一つは、きっと私の2度目の結婚だろう。ケン
は、一度も結婚せず、子孫さえも残さず、35歳で終る筈の私の命の身代わりに、この世をさった。父は弟のお骨に何時間も
はなしけていた。詫びるように。我が身を責めるように。。。母は何年間も、ケンのお骨箱を抱いて寝ていた。
【姉貴、お母ちゃんと、親父を頼む】と言い残して海に消えた。何が《世が世であればだ‼️》今生きている現世のみが
私達かぞくの世であるのに。
父は、二度も弟の【宝物】を、奪った。命より大切な宝物を。そして私の身代わりに、何の未練もない俗世を35年間で棄てた。
さて、蛍に戻る。
驚く事に冷は、離婚したあと13年間もほたるに、興信所を通じて監視していたらしい。
らその間冷名義の財産を全て他の親族に全て変更したそうだ。1円もいらず、慰謝料も養育費も払わない男が財産不安のために、毎月たかい探偵は費用は支払うのだ。わらえる話だ。。
私は仕事をして昼間にいない間に、気の弱い母に、せっせと 説得しに来ていた 間に、冷の母が時々家に来て、抱えきれないほどの手土産を携え
「娘の 安子だけは返してくれ」と せっせと 説得しに来ていた 。
ある日 体調が悪かった私が 早退して 家に帰ってきた時、
冷の母が ちょうどいて母が母を口説いていたが、
ちょうど私の体調が悪く 早退してきた日に 口がうまく 圧の強い女に、タジタジだった、
観たとたん、私は白豚女をどなり上げていた❗
ちなみに 結婚生活をしている時には冷の母親に 一度も口答えなどしなかった私でした。
いろいろな角度から 、気の弱い母を例の母は、
孫 欲しさに口説いていたが私は父と母に、
「私がいない間に安子を鹿児島に渡したら母や実習と必ず私は絶縁するからそのつもりで 」
と釘を刺した さしていたおかげで かろうじてどれだけ 説得されても安子を手放すのを止どまっていた。
【 何をしに来たのあなたたちのお金は 一円も使ってないわよ❗私の産んだ子供だから、あなたたちみたいな、でたらめな生活環境に私の子供は渡さないから帰ってちょうだいお母さん 塩 持ってきて‼️】 そして例の母親が持ってきたあり 抱えきれないほどの手土産を 力任せにゴミ箱に投げ捨てたしかしさすがアク取り入れの母あなたはまだ24歳なのだから独身のつもりで 1からやり直したら若い女がバス1で行けるのはこれからの人生に大変だよ再婚するにしてもねうるさいわ 絶対渡さないでよ もう結婚なんか こりごりだしそしたら冷の白豚に洗脳されたかのような母が
「まあ ホタルちゃんたらもう~、、、」と得意の唯一の母の返す言葉がかえってきた。
そこで私の我慢の限界は 音を立てて 切れた持っていたバッグを思いっきり その白豚女に投げつけた見事に背中にヒットした白豚女はびっくりして私を見た 。
「あんた ‼️
いつも こんな調子で私の母を脅しているのもう離婚しているんだから、
お前がでしゃべることなど何もないのがわからないのかい?あんたの顔を見るのも口をきくのも 虫唾がはしるわ❗ 今すぐ出て行け‼️」と、
私は大声で怒鳴っていた。
が、さすがは冷の母親。
そこまで言われても 猫なで声で、
「私は、ホタルさんのことの将来を心配して 、安子を引き取りたいとお願いしてるのよ。 綺麗な体になって若いんだから、もう1回やり直したら」と しれっと言う。
「は?私は前科者かよ❗ほんと人を人とも思わぬ 下品で失礼なババアだなあ ~あんた❗悪いが お前に1ミリでも心配される 言われはないね‼️ もう二度と来ないでくれる ❗本当 吐き気がするわ‼️」。 と怒鳴る私。
私の母といえば、
ゴミ箱に投げ捨てられた高級メロン等を物欲しげに眺めている 。
もう何もかもに腹が立っただが、
このけがらわしい 白豚女とは本気で二度と会いたくなかった。
翌月 わがまま放題になっている娘を 連れて、歩いて5~6分のマンションに私と娘は引っ越した。
ちょうど引っ越し費用がたまり 手頃なマンションが見つかっていたからだ。
白豚女は実家に来て、
私と娘が引っ越したことに驚き転居先を聞いたが、
【教えるな】と言っているので教えない 母。
白豚女は 必死に 転居先を 問い詰めたらしいが 《もし 教えたらこの先、生活費は1円もあげないからね 》と
母に宣告した私の方が怖くて 、
かろうじて 転居先を教えなかったらしい。
例の母親の訪問は なくなったが、
今度は冷からの電話 攻撃が始まった。
もうげんなりした結婚する時は津波に流されたように飲み込まれ た感じで、
あれをあれよと結婚したが、離婚はその何百倍ものエネルギーがいる事を、
嫌というほど思いしらされた。
久しぶりに投稿している だが誰一人として 私の自叙伝を呼んでいる風邪はない 別に誰も読まなくてもいいのだが 文才が私にはないのだろうと思い知らされている今日この頃でしばらく筆を折ると思う私の自叙伝はもう8割方 変えているので後の2割 だが最後まで書き上げる 地震は正直 全くない まあ 私の人生を文章に残しておこうと思って投稿した自叙伝 だがさすがに 誰一人 呼んでないっていう現実を目の当たりにすると正直 心が折れる ひょっとしたら また後 2割 分 を書き上げるかもしれないしこのまま放置するかもしれないはっきり言えることは人は他人は自分以外のことは死のうと生きようと幸せだろうと不幸せだろうと何かの生まれ変わりであろうと どうでもいいっていうことだ そんな冷たい 属性に私は今生きている って言うこの現実を思い知らされてますそれではまたいつか
また、此処に来ている。
本当の自分を、観るために。
まるで、吸いよせられるように、毎年、蛍のこの季節に、この赤い橋の上に、源氏蛍達の妖しげな舞いを観に、あたしは、此処にくる。
眩いばかりにひかりの点滅を我先にと光かがやく数えきれない源氏蛍が、私の回りに集まり
美しくまとわりつくように舞い踊る。
透き通る眩い光の中から、ひときわ、輝きを放つ源氏蛍の光の輪につつまれ、「彼」が現れる。
何時ものように、ゆれるような、少しはにかんだ美しき顔をもつ、彼は、光線のような、鋭いまなざしで、愛しげに私を見る。
そっとそばにより、耳元でささやく。
「どうだい?今、君は輝いているかい?ステキなときめきをともなう切ない愛に出会ったかい?」
気だるい声で、私は答える
「今回は、随分と長い人生なのね。
もうー68年間も、いかされているわ。狛に見せ、聞かせ、よろこんでもらえる最期の愛?どうだったかしらね。」
薄く微笑む私。
「命を棄てても、美しい君を愛し抜いていた。ああーノブっていったかな?彼の愛のつづきを聞かせてくれよ」
「まぁ~忘れたの?ノブは、とうの昔に、そっちの世界に逝ったじゃない。それこそ、どこかですれ違わなかった?」
それにそろそろ、私も終わりたいわ。どうせ、狛の退屈しのぎのこの命でしょう?
「それに、次が最後の約束なの忘れてはいないでしょうね。」
「そうかー少し長く生かせすぎたかな、まぁ~考えておくよ。なら、最期の人生は、短くはかない命て輝きに満ちた人生にするかい?でも、淋しい人生になるよ?それでも、いいのかい?」
「もうー人間は、飽き飽きしたわ、何度、狛は、私を転生させていると思っているのよ、少しは私も、ここに舞う源氏蛍にもどって、自由気ままに命のかぎりに舞い踊り、消えてしまう世界に戻りたいわ。もうーそろそろ、他の源氏蛍をあたってくれないかしら?
「いや、いや、君が思っている以上に、君が描く物語には、ぞくぞくするほど、感動させてもらっているよ。残念なことに、きみに、替わる、源氏蛍は、この千年見当たらないね、きっとこの先も、君以上の源氏蛍は、出逢えないだろう。きっと。」
わたしは、やるせなく首をふった。周りでは、我こそはと、源氏蛍が、ざわざわと、みだれ飛んでいる。
「でもー彼は、どうするんだい!?ほら、前世の君に恋こがれ、無惨に戦場でちった彼だよ?ありえないことに、今君が生きる今世にうまれかわり、35年間も、君を捜し続け、やっと巡り合い、それ以来25年以上、君の為だけに、いきてるような彼だよ。しってるかい?前世の君の命はひどく短かった。たしか、17年間だたかな?君を消したあと、彼は毎日この赤い橋にきてたんだよ。そして、あきれるほど、長い時間君を待ちこさがれていた。みているこっちがせつなくなるほどにね。「また、明日、ここであいましょうね。」と、微笑んで言った君との約束を信じてね。なにしろ僅か、三週間の逢瀬だっただろう?だから、僕は、そっと、かれに教えてあげたんだ」
蛍はもうーこの世にいないんだよ。とね。呆然としていた彼は、次の瞬間、この橋から、身を投げたんだよ大勢の源氏蛍と、僕とで、かれを拾い上げ橋の上に運べた時には本当にホッとしたもんだ。全くきもがひえたよ。
狛は、その細い肩を少しそばめた。呆れるように。
まさか、人でない女に生身の男が、惚れるなんておもわないじゃないか。いつもの、泡沫の恋心の男ばかりだと、思っていたからね。
私は、赤い唇をいたいほど、噛み締めていた。
「知らなかった❗ただの泡沫の陽炎のような、私のあとを追い命をすてるように逝ってしまっていたなんて!」
たかが、蛍一匹の為に、人間の男が、命をたったというのか?蛍は、赤い橋の上で、呆然と、遠くから聞こえてくるサラサラと
清らかな川のせせらぎねなか、空を見上げていた。
さっきまで、あれ程いた源氏蛍達は、消え失せていた。
蛍と狛二人、赤い橋の上にたたずんでいた。
蛍は、異様に蒼白く光り輝きをましてゆく、
次の瞬間、狛が振り向いた時には、狛の前から、消えていた。
第二章 蛍 幼年期
「桜貝は、いりませんかぁー
桜貝を買って下さい。桜貝は、いりませんかぁ」
驚くほど、響く大きな声で幼い女の子は、綺麗な布の上に、浜で拾った桜貝を、松の木の下で売っていた。
道行く観光客は、こんな
可愛く、儚いげな幼い女の子が、道端で、一塊づつに分けた桜貝を売っいるのを見て、多くの観光客が、その愛らしさに足を止める。
その愛らしさに負けて、
桜貝は、飛ぶように売れてゆく。
「可哀想に、いまどき、こんな、おさない幼子が、物売をしてるとは、きっとよほど、苦しい生活の子に違いない」
と、皆思いながら、一山百円の桜貝は、いつも、午前中に完売いする。
布を畳んで幼子が帰る家。
それは、高く白い壁のある豪邸であった。
「お嬢様お帰りなさいませ」と、15~16才の女中が駆けてきた。その声掛けを黙ってやり過ごし
幼い女の子には、広すぎる自分用の豪華な部屋に入っていった。
その広い屋敷には、手入れの行き届いた庭があり、庭師が丁寧に、季節ごとの花が咲き乱れ、中央の広い池には、一匹何百万もする、様々な色鮮やかな鯉が、ゆうゆうと、泳いでいた。
この屋敷に来て、蛍は一言も、口をきいていない。
昔かたぎの祖父は、一緒にきた。ケンと、男女同じにするべきではないと、広い屋敷の北と南の部屋をそれぞれ与え、一緒にきた。弟のケンといきなり引き離した。どこか有名新興宗教法人の幹部をしているらしい。目鼻立ちのととのった弟を祖父は、いたく気に入り、何処へ行くにも、弟だけをつれて出た。犬の散歩。魚釣り。果ては、幹部をしている宗教法人の集会にも、得々として、連れてゆく。いきおい、ひとりになった、蛍は、海辺の観光客目当ての店先で売ってる桜貝が目についた。
あんなの海岸にいけば、いくらでも、転がっているのに。、、なぜ、大人達は、喜んで買ってゆくのか?
そこで、ふと、思い付いた。「あの桜貝を、集めて売ったら、結構売れるんじゃないか?
そんな、遊びに近い思いつきで。始めた商いだった。
家では、一言も話さす無表情の能面のような顔で
いつも、華やかな正絹の着物を着ているので、これは、まずいと思い、お手伝いの少女の古着を、商いで得たお金で買い、それを着て、毎日、毎日、なるべく屋敷から遠い松林の木の下で売った。私の部屋の、床の間に置いてある、高価そうな、大きなツボに売上の小銭がたまっていった。
「いつか、この、お金が必ず必要になる」
確信めいた予感が蛍には、あった。
父は、のむ、打つ、買うの三拍子揃った遊び人、だが誰もが
振り返るほどの洒落た男前。
母は、どうやら、ヤンゴトナキ平家の、血筋の、娘らしいが、畑でとれた、大根のような。素朴さだけが、取り柄のさえない小太りの女だった。
祖父母は、幼い私に、おそらくは、教えるべきではない、私の出生のひみつを話してきかせた。あまりにも、一言の言葉も、話さず懐かない孫娘に対し、きっかけ作りのくるしまぎれの、思わず打ち分けた話だったのだろう。
どうやら、私は、父が、10年暮らした芸者やとの間にできた娘らしい。厳格な祖父は、その結婚を、けっして認めず、別れる条件だったのか、華やかな結婚衣装を、きた。二人の写真だけは。あるので、それをわたしに見せながら。得々と教えてくれた。そして、妊娠が、分かり。私が。乳離れするかしないかの時点で、二人を別れさせ、平家の良き血筋ていう理由だけで、勝手にその娘と父の結婚をきめた。血筋がよいだけで極貧生活を、していた義母の親は、多額の結納金に目がくらみ、娘を売り渡した。私を育て上げるという条件を、のんで。
因みに、結婚式の写真は、ない。
その、その話を、聴いても、私は眉一つうごかさなかった。
幼心に、薄々気付いたからだ。
しかしながら、父は、相変わらず、元妻の、家に、くらし、時々私達の家に、帰ってくるような、男だった。不思議な事だが、イワユル一目惚れ✨😍✨だったのだろう義母は、そんなツレナイ父を、生涯心から愛し、次の年には、腹違いの弟のケンが生まれていた。
私は2月2日生まれ。
ケンは、2月15日生まれ。
奇しくも、二人とも、2月うまれの二週間違いの姉と弟ができあがった。
私は母に、抱かれたことがない。
私は、母の母乳を一度も、のんだことがない。
祖父が、勝手に決めた結婚にも、かかわらず、母は、死ぬまで、父に追いすがり、激しく焼きもちを焼き、たまにしか、帰らぬ夫を1日千週の想いで待っ女性であった。
勢い、夫婦の激しいいさかいが絶えない状態となり、とうとう、父の実家の、この屋敷に私と弟は預けられることとなったのだ。
当然といえば、当然の成り行きであった。
しかし、この、屋敷に連れて来られて、弟とも、引き離され、義父がアメリカ支社勤務のさい、恋に落ち
結婚し、日本に連れかえった、青い目をした、祖母
にも、全く懐かず、その祖母は、ほとんど屋敷の外に出ない人だった。今思えば、カタコトの日本語と、俗世の他人の好奇な目がさぞや煩わしかったのだろう。
全く心も口も開かない私に辟易とした祖父母は、父と母を屋敷に三年後に呼びつけた。
なんと、三年もの間、私は、祖父母と一言も口をきかず、目もあわせようとしなかったのだ。
秘密で、桜貝を、くるくると売りさばく、いたいけな?女の子は、あれほど他人や新婚さんと、笑い、ハキハキと話し、誤ったたにんの大人の同情の中で、桜貝売りで!得たお金は、大きな壺に溢れんばかりに溜まり、幼い少女には、かかえきれないほどだった。
いつしか、我が身が、源氏蛍の化身であることさえ、忘れていた。
三年後に父の屋敷裏におずおずと訪れた母と弟は、
真っ赤な夕暮れ時の赤に染まった大理石の玄関に、続く長い石畳をトボトボと歩いてきた。玄関先で待っ、蛍を見つけると、弟のケンが私を見付けるなり、走り出し飛び付くように蛍に抱きつき「蛍!蛍‼️蛍‼️」
と、泣きじゃくりながらしっかり抱いたその手は、垢にまみれ真っ黒だった。
久し振りに見る母と弟は驚くほどみすぼらしかった。垢まみれの体、継ぎはぎだらけの擦りきれた着物。
父は、伊達者だったので、どれ程苦しい生活の中でも妻子には、決して、こんな格好をさせる男ではなかった。
つづいて、麻の茶がかたスーツに真っ白なシャツのえりを出しにかつかつと白い革靴の音をリズミカルな音を大理石の石畳にたてて、陽気に父が歩いてきた。
母たちと父との、あまりの差に唖然とする蛍。
その蛍も先日仕立てた濃い紫の振袖姿は、夕暮れの赤いそまり、眩いばかりに、愛らしく美しく、両者の差は、酷いばかりに、鮮明に浮き上がって見えた。
父は、私を祖父母に預けて以来一度も母の家には行ってなかったらしい。
たぶん。私の実母の家にでもいたのだろう。だが、私は一度も、母にあったことがない。
ただ、、、、わたしが赤ん坊の頃か、息が出来ぬほど、強く抱きしめ泣き崩れていた、私の頬を濡らした涙。
儚げな慟哭し震える細い腕の女性の強いじゃこい単語の香りだけは、鮮明に記憶の奥底にあった。
私の、あまりの頑なな拒絶した態度に、強い不安を覚え、再び
私達漂流家族四人は、再び、暮らす(漂流?)することとなり、祖父母のせめてもの心遣い〈どうやら、祖父母は、本気で私がオシになってしまったと思っていたらしい〉として、広島旅行をプレゼントしてくれた。そして、今、久し振りに家族水入らずで旅にでている。
京都から広島の駅におりたち、観光用の花馬車を見たとたん、なぜだか、観たことがあると思い、行き先の道筋や宿も見えていた。
ここ、来たことある。
そして、、、、
誰かに、見付かる‼️
はっきりとした予感がに全身鳥肌がたった。
予想道理の道を行き、予想道理の町並みがつづき、橋にさしかかったときには、もうー久しく見えなかった霊がみえ、ずるっと皮が指先から垂れさがたった火傷だらけの半裸の人々が、「水、水、水 」と呟きながら、花馬車にしがみついてくる。次々に川に飛び込む無数の人の群れ。
原爆当日の光景が広がっており、黒い雨が降ってきた。川は、火傷の半死半生の人々がぎっしりて緩やかに流れていた。今にも、引きずり下ろされそうな空洞の目をした男女の区別も付かない人から掴まれたずるっとした感触に思わず「ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァとさけんだ。
それを見ていた馬車の御者の男性が、
「みえましたか。敏感な人には、原爆の状況の広島市民の姿が見えたり、感じたりするらしいんですよね。」そう~いう御者の顔も青ざめていた。
そして、思った通りの蔦のからまった宿に花馬車は、止まった。
スタスタと降りた私はお手洗いを使いたいと、宿の女主人に伝えた。やさしく「ご案内致しますよ」と言う 女将に、
「大丈夫、知ってるョ」と、二階の奥の突き当たりのトイレにスタスタと行く私を、皆が、呆れるやら、不思議な感覚で見てが、
父だけが、いいようのない不安な目で見送っていた。
そして、その日の夜の事。
三人が寝静まった丑三つ時の空間の中。 わたしだけが、いくら、頑張ってねようとしても、目がさえるばかりで、眠れずにいた。
「ナニかが、来る❗」
その時、スーっと、襖が開いた。
見覚えのある、大きな瞳全て、見透すあの光る瞳が、食い入るようにじっと、蛍を見つめていた。
「やっと、やっと、見付けたよ、蛍。」と、、、、、
彼は、愛しげに、うめくようにワタシに言った。
そして、一気に、あらゆる場面が、わたしの中を走り抜け、己が何者かを、全て一気に、思い出していた。
全てを理解していた。
そうだ。私は、人ではない。
私は、幾万もの源氏蛍の一匹に過ぎない。
最後に、あの赤い橋の上で、「彼」に打ち明けられた惨すぎる話を聞いてるうちに、己の意思で初めて転生していたのだ。
人形に魂が宿るように、
シキガミが主を愛するように、
あの時、話に酔いすぎて、ほんの少し狛が、目を離した隙に、わたしは、無意識に勝手に己の意思で転生していたのだ。
お気に入りのオモチャをなくした子供のように、狛は、うろたえ、消えてしまった無限の空間・時代をくまなく探し回った。われを忘れるほどにがむしゃらに、必死に。
蛍を、シッカと見詰める、その瞳には、安堵と激しい怒りが、ないまぜになり
、鋭い光線のような視線を蛍にぶつけていた。
次に、蛍は、自覚した、私は、もうー狛に操られ、その生死さえも操られる一匹の源氏蛍ではないのだと、この身を切れば赤い血が流れ、瞬きのような、時の中で人は、老いてゆく。蛍のように、永久に、殻を代えながら、永遠に魅惑的に舞い降りつづける源氏蛍にも、もうー私は戻れないのだ。憐れに感じていた人間に、既に、蛍はなっていた。
このまま、朽ち果てるしかない、人に蛍はなっていた。。
そうだ。あの時、狛とつながっていた銀の糸を自ら、断ち切って、転生したのを、一気におもいだした。まるで、走馬灯のように全てを一気に理解していた。
見た目は、六歳の少女だが、その狛を見詰め返す瞳の鋭さは大人のそれだった。
「ふっ。やっとおもいだしてくれたね。君は僕の唯一のお気に入りの、特別な源氏蛍。何度生まれ変わろうと、誰よりも、あやしく眩いほど、光輝く蛍さ。この度に、あまりにも、数奇なヒリヒリする物語を、僕に魅せてくれるから、この数千年、君ほど、強い光を放ち輝く蛍を僕は、知らない。それが、ほんの少し目を離した隙に、僕の前から消えてしまっていた。己の意思で転生でできる源氏蛍がいるという。話は、聞いたことさえあれ、あり得ない話だと思っていた。実際この数千年、そんな源氏蛍表れなかたからね。あり得ない事だと、本気で思っていた。君が消えるまでは。」
その源氏蛍に待っ運命を、流石の、源氏の王の長男の狛でさえ、定めは、かえられないのだ。
「君は、どれほど、愚かな行為をしたか、わかっているのか?」
同じ、人間同士が、この数千年間も、同種である人間同士が、殺しあう生き物など、他には、いない。自分が生きるために必要な別の命を最低限食らう動物は、いても、自ら、それぞれの人間達がお互いに分からぬ言葉を、作り出し、大昔の人間が。作り上げた神など、この、広い宇宙に存在しない。人間は、楽しみやその欲の為に無慈悲に同胞を殺める、この、世界で もっともら愚か動物だ。わかっているのか!蛍。君は、人間として、朽ち果てて逝く運命を自ら選択したんだ。この定めだけは、だれにも、かえられない。たとえ僕でもね。こんな、薄汚い世界で永遠に消え去る定めを無意識にしろ選んだ蛍を僕は、不憫におもう。
一気にまくしたててるうちに、私達二人は、いつもの赤い橋の上の2つの赤いソファーにすわっていた。私は、いつもの半透明の羽衣をまとい、一番美しい時期の自分の姿でゆったりと座って狛にしずかにいった。
「たとえ、無意識に選んだ定めでも、これが最後命でも、私は後悔しては、いはい。醜い俗世により、どれほど汚れようと、憐れに老い去らばえようと、そして、永遠に消え去ろうとも、この最後の人生を選んだ私を、私は後悔しないわ」
この上なく、穏やかで、静かな声で、横に座る狛を慰めるように、蛍は、いった。
目の前の大きなスクリーンでは、五歳の蛍が、懸命になって真っ青な顔で、父や
、母や、ケンを、懸命に揺り動かし起こそうとしていた。だが、三人とも、時が止まったかのように、眠りこけて、誰ひとり目覚めず、布団を頭からかぶり、そっと、襖に目をやり、狛の鋭い目線に、ただ怯える、はかないほど、幼い蛍が、泣いていた。
この、橋を戻れば、俗世。。。。渡りきれば、又、自由に夜空を光輝きながら我が命尽きるまで、命のかぎり狂おしく舞い踊る源氏蛍の世界。「ああ~
あの眩い世界にはもう二度と戻れないのね」と、スクリーンを観ながら、小さく呟いた。
「僕はね、いつも、一人で、きみのヒリヒリするほど数奇な物語を、ここで観ていたんだ。まさか、君と、二人で並んで観る日が来ようとは、夢にも思わなかったよ。さぁ~この続きを二人で見ようじゃないか、これが、最後の君の君が選んだ人生だ。こうして、最後に二人並んでみるのも、又、一興かな?」
さみしげな。狛は、蛍の手を初めて握った。
「温かいね」
と、ぽつりと呟いた。
父の血筋は、陰陽師の直系の血筋だ。
口で言う言葉と、その人の心の声が聞こえていた。
私を見て、「まぁ~なんて、可愛いお嬢さんだこと」と誰もが言うが、心の声は、〈美しい幼子だが、人を見透かすような目をしてる。気味が悪いわ〉と呟いていた。
「蛍!起きろ。朝の散歩の時間だ」あの広島旅行から帰った、次の日から、私と、父との、早朝の散歩が始まった。父は、温かい布団から、引き剥がすように、折れそうなほど細い蛍の手首を掴んで引きずり出し、外へと出掛けるのだ。外は朝焼けもまだ眠り眼で、暗い闇の中ゃ真冬の午前5時。
毎日の日課が始まる。
「狛」見つかってから、毎日の訓練のようだった。
そうーこれはさんぽなんかじゃない。厳しい修行か訓練のらようだった。
まだ寝ぼけまなこの目を擦りながら、
「父さん?今日寒いから、散歩やめない?」と、得意の甘えた瞳で、父をみやげたが、すぐに、固い表情の父を見て、不可能だと、悟った。
第三章 蒼い瞳の少女
この時ばかりは、いつもちゃらんぽらんな父が、にべもなく首を横に振られ痩せた父と、まだ7歳の私は凍える程寒い玄関の外に出る。
台所から呆れ顔の母が見ている。いつもは甘やかし放題の父だが、この早朝の散歩だけは毎日
欠かさず行われる。この早朝の散歩だけは毎日欠かさず行われる。
時には朝帰りの日もあるが、とにもかくにも毎日家に帰って来てくれる父なので母は、まことに機嫌がよい。
ブルッと、身体を震わせながらも、ふと父を見上げると目が赤い。
「又、朝帰りかー」
しかし
我が父ながらスッとこうの高い鼻筋、綺麗な二重まぶた、形の良い少し分厚い唇。端正な顔立ち。真っ白な綺麗な歯並びの父が笑うと、我が父ながら、とてつもなく魅惑的だ。細身の高く均整のとれた身体に白いスーツをざうさもなく着こなす父〈誰かに似ている〉と思うのだが、どうしても思いせずにいた。
ずっと後になって、気づいたのだが、その、姿は拍に酷似していた。
早朝だというのにシワ一つ見当たらない白いスーツにスカイブルーのワイシャツの衿をスーツの外に出して濃紺のストライプのネクタイを少し緩めた父の姿には、母と違う女の気遣いが見てとれた。
どこか浮世離れしたその姿に、〈まるで、映画館でみる。ハリウッドスターみたいだ。ああそうかアメリカと日本のハーフだからか、、〉
なのに名前は佐久間清史郎なのだ。
誠に羨ましいことに一つ違いの弟は今頃ぬくぬくとした布団の中で寝息をたてている事だろう。
ギャップ有りすぎだろうと私はボンヤリ思う。[何故、私だけが⁉️]胸の底ではわかっていながら。いいようのないいきどうりを押さえられない。
「蛍、何が見える?今、なにが聴こえる❓️父さんに言ってごらん」
私の目を見詰めて優しく問う、何時もの父の台詞。
しばらくは何も感じす。人々の寝息と、とりとめのない夢が見える。
だが、蛍の瞳が妖しく 光った。
「この角を曲がって四件目の家のおばあちゃん。今、息が止まったよ。家族が気がつくのは2時間後、でも、お嫁さんは薄々気がついてるのに、何故だか知らんぷりしている。あのお嫁さん、おばあちゃんを見殺しにしてる。今、救急車を呼べば、まだまだ生きられるのに。」
「そうかい」と父は、その家の前で静かに両手をあわせ、口の中で、呪文のような言霊を発していた。
まだ、間に合うと走り出す蛍をきつく止めて私の目の高さまで膝を折り静かに諭すように言った。
「いいか、蛍。人には寿命がある。今が、あのおばあさんの卒業の時刻なんだよ」
父は、静かに、その家のまえを通りすぎた。
そして、厳しく私に言い渡した。
「父さんにもあるように、蛍にもご先祖さまから受け継いだ他人には無い能力がある。何故かは解らぬが、父さんより、ずっとずっと強い能力だ。いいか?これだけは忘れないでくれ。その能力をお金に売り渡しては断じてならない。他人にも、易々と話してはならない。ましてやその能力を仕事にしては絶対にいかん!それは、それを授けた天に背くことになる。汚すこととなる。今は、蛍にとり世間がとてもうるさいだろう。父さんも子供の頃そうだったからね。だが心配はいらない、もう~五年もして、思春期になれば、みなと同じ声と音しか聞こえなくなるからな。」
そして父は、限りなく優しい態度で私に言い渡した。
「多分、蛍は他人が経験しなくともよい試練を沢山経験するだろう。だが、それら一つ一つが徳を積む経験だとわすれるな。蛍は、当家にとり、100年目の女の子だ、正確に言えば男子しか直径の血筋に産まれたことは、無い。百年まえも、家を絶やさぬ苦肉の策として、遠縁の女子を養女に迎えたときく。
だが、蛍は、直径の子供として、おそらくは初めての女子であり、産まれながらにして、恐るべき波動を持って産まれてきている。だから、心配する事はない。蛍は、どんな大きな災いも小さくできる。だけども、その能力を金て、引き換えにするな。他人を本気で呪うな。その優しい心を大人になっても失うな。金持ちが幸せな訳でもなく、貧しき者が不幸訳ではない。往々にして、存外その逆の場合が多い。蛍は自分が生きたいようにいきろ。得することでも遣りたくない事はするな。天がいつも蛍を守って下さる
道を誤るなよ。」
父は、真冬の早朝のかじかんだ私のほぼを、愛おしく包み込むように優しく撫でた。だが、その瞳には涙が滲んでいた。
第五章 蛍 思春期
蛍は、父が好きだ。
蛍は、母が好きだ。
「蛍が産まれた時、産院の中庭には、見事に桃の花が咲き乱れていたのよ。ナースか、〈ミス・ベイビー〉と呼ばれる程、本当に綺麗で愛らしい赤ちゃんだったのよ」となんども、なんども、蛍を見詰めて母は唄うように言っていた。
我が子でもなく盲目的に愛した男の元妻?の娘を育てるのを条件にち、父の両親から強いられた条件をのんだ義母であったが私に桃の花を何度となく語り聞かせているうちに、母は、本当にあったことだと信じているかのようだった。そして、確かに蛍は自分が生んだ娘だと自ら信じるまで。そうー母は死の間際まで続いた。ある意味、見事な生きざまである。
そして私も最期まで反論しなかった。母が、私の腕の中で息を引き取るまで、全身ガンの痛みを一言も嘆く事もなく無言で、耐えていた。
心の中では、2月2日に桃の花は満開にならないよ、、と思いながら。
第六章。京都から修羅
私達漂流家族は、父の仕事の都合で、
京都から、北九州に引っ越しすることとなった。私が、小四の秋だった。
家賃が払えなくなったのか、サイサイ父家に居るようになって、私達漂流家族は、住まいを北九州の中で転々と変えていた。そして又ミカン箱をテーブルかわりにして母は、楽し気に新しい花柄のカーテンを窓にはる。
身の回りの制服下着・洋服・教科書などをパンパシに、詰め込み、大きな風呂敷包みに布団2セット・鍋・カマなど最低限家族4人がもてる荷物を持たされ、父からは、「楽しい旅行」と私達姉弟には告げられていた。一緒に行く筈の父は駅私のホームで、私達三人を見送るように、ホームに佇み電車が走り出すと共に、ダッシュでホームを駆け降り最終車の手刷りにしがみつき乗り込んで来てニコニコと私達の座席に着く。いわゆるキセルである。降りる駅でも、同じように走る電車から飛び降り、私達三人を駅の待合室でニコニコと待っていた。
昔は小学生は運賃はタダだったので、私は中学二年まで小柄で痩せていたので、電車に無料で乗っていた。それほど小柄だったのだ。だから、北九州のどの土地も私達は住んだことがある。まるで、〈砂の器〉のように、、、
母は、様々な日本中の地方の方言がごちゃ混ぜになった姉弟を見て標準語を話すように強いた。だが肝心の母が標準語を話せないので、なおさら奇妙なこと使いになる姉弟になる有り様だった。
母なりの思い遣りだったのだろうが、そのモクロミは見事に外れていた。転居先の子供たちは自分達と同じ話し方をする子供のみ、仲間と認める。それは日本国内どこに行っても同じであった。おかげで、大人達から、
「どこの出身の子供なの?」とよく聞かれた。私も。あらゆる土地の訛りのイントネーションがない交ぜになり、それにら標準語手やらも、混ぜこぜになり聞かれると、もう面倒になり「日本の子供です」とこたえるようになっていた。そしてオカシナコトニ標準語をしいる母は、生涯宮崎の高千穂弁が抜けなかった。〈よだきい〉とか、おそらくは宮崎の人しか理解出来ないだろう。きっと、母も抜くきさえなかったのだろう。
母は、他人と話すのが苦手で、全く知人も友人も、どの土地でも求めていなかった。
時々、お客様がくると、そそくさと、出がらしのお茶をだしたら、部屋の一番隅に無言で座ってた。まるで(座敷わらし)のように。
この、おかしげな母を弟も私も愛した。母の世界には、父・弟・私が全てだったのだ。そ例外の人の入る場所は、一ミリもなかった。亡くなった母の母を残しては。どうして、何度も、夜逃げのような、引っ越しをくりかえすのか?一間の部屋で、家族四人布団2組で暮らす生活に、母は、むしろ、たのしんでいた。ただ、浮気すると、包丁、鍋、釜が飛び交い、母は我を忘れて怒り狂う。もう~手がつけられない程に。私が大人になり、結婚相手や彼氏に全く嫉妬をしないのは、あのすざましい光景をみて、反面教師の面もあると感じる。
父を一途に愛し、何度となく裏切られ、その度に自殺を図る母。揚げ句の果ては、父も母も居ない姉弟二人の生活。母が落ち着いたのは、あれほど、ハンサムだった父が老い、母にだけ優しい父になった晩年だけだった。私が北九州に出戻り、高千穂の母の替わりに私に頼るようになった晩年の父と母は実に仲良しで、母の食べる魚の骨も全部取ってあげ、どこに行くにも優しく母をエスコートする父。母は幸せそうだった。父と暮らせるだけで、それだけで、母は幸せだったのだろうか?
私といえば、相変わらず裏表の声が聞こえてきて、まことにうるさく面倒な俗世を生きていた。父は、祖父が支社長をしている新聞社の新聞記者に落ち着きたわいいが、政事記者の為、長期に家をあける。又、母がたおれる。又姉弟の二人の生活が始まる。次第に自分達で生きる生活を身に付けてきた。バイトを何本も掛け持ちして、学校
にも通う。まことに忙しい日々を送っていた。何しろ二人合わせたバイト代で生活費・学費をまかなっていたからだ。
母といえば72歳で、全身ガンでなくなったが、通算40年間は、病院暮らし。家に居られたのは亡くなる前10年程だった。そんな人生で母は、本当に幸せだったのだろうか?
高千穂の山あいで貧しく暮らし、母かはしたら、大都会を父に付いて回り友の1人も作らず。ある意味、まか不思議な人生をいきぬいた女性だった。
第7章 初恋
小四の転校先で私は初めての恋をした。
いわゆる、〈初恋〉である。
もう~何度となく転校を繰り返している私はスラスラと挨拶を済ませ、なぜか、何処の学校でも窓際の2~3番目の席が空いており先生から教えられる前にスタスタその席に着くのが身に付いていた。そして誰も寄せ付けない雰囲気までも身に付いていた。
そこで、同じ性の男女が目についた。誰にも感心を持たない蛍にしては珍しいことだ。スポーツも勉強も秀で人の目につく輝きを放つ男子と女子だった。
太田と名乗る二人。
太田君には転校時教壇に挨拶でたった時からひどく目立ちドキッとしてた。
〈ドコカデ、、「クックックッ」という狛の含み笑いが聞こえた。〉
他人を寄せ付けない技を消して、太田君に急速に近づき親しげに話しかける。彼の笑顔を無理に引き出す。ジャンルジムの上でみんなに「ねえ、ねぇ、お互い好きな人を此処で発表しょうよ!わたしは、太田君❗」
太田君は、うつむいて小さな声で、僕も佐久間と答えた。
そう言わざるを得ないムードを私は既に作り上げていた。同時に〈まだ好きな人は居ない〉という可愛い女子が私に近づいていた。吉永という女子、いつも気付けば私の隣で笑っているような女の子。不思議なことに、いくら耳をすませても、心に声がザワザワとした雑音により聞こえない吉永さんだった。
日曜日になると私が無理強いした自転車二人乗りデートが始まった。公園や海辺まで二人乗り風を切って走るのが好きだった。蛍は妖しげな青い光を発しながら空に向かって喉をならしコロコロてわらうのだ。まるで源氏蛍の光の点滅のように。しかし、太田君の表情は見えない。
ある日、彼は思い詰めた顔で言った。
「いつも、二人っきりじゃ退屈だから、友達な吉永さんも連れて来なよ、三人の方が楽しいじゃないか」少し戸惑いながら、熱く説得する彼の提案を蛍はしぶしぶのんだ。
次からの日曜日デートは、彼はうってかえって超楽し気になった。いつの間にか、蛍の指定席の彼の後ろの席は、永吉さが乗り込み座り心地の良さげな黄色いクッションまで頑丈に取り付けとあった。蛍は、走る自動車を走って追い掛けていた。
その太田君は、突然、6年生の二学期に転校になった。
寂しかった。
悲しかった。
聞いたこともない外国だったからだ?
しかしながら問題は、そんなオセンチな話では終わらなかった。転校するまえに、太田君は、はじめから
「僕、永吉さんが大好きだったんだ」と友人に内訳ていた。
その上永吉さんまでが彼のこと好きだったと他の友人にうちわけていた!なんという初恋だろう。私はまるでピエロのように他の女の子がすきな太田君にひとりで舞い上がり恋焦がれていたのだ。昼休みに
窓辺から、まるで黒い点のようにら遊び回る男子の、中から、あっというまに彼見付けられるほどひかれていたのに、、蛍の初恋はこれ以上ないほど、心に深い傷跡を残して終わった。
この時蛍は、強く心に決めた。今後一切自ら恋心をうちわけまい。自分も相手にも、深い傷跡を残す行為は二度とすまいと。辛すぎるから。
さすがに、中学・高校を、子供達の働きだけで通える程世間は甘くなかった。姉弟の私服は普段着ジャージと外出着一着つづ。洗濯機もないから、流し台で石鹸で、素手で洗う。冷蔵庫も無いので夏に冷たい麦茶も飲めない。
ケンと蛍が、どれ程掛け持ちバイトをしても、家賃・生活費・学費を捻出するのが精一杯だった。お米は、数合づつ買う米屋のおばさんの見下げた目つきが今でも忘れられ無い。だから、蛍は大人が大嫌いになった。
「私は大人になんかならない」
そう、誓った蛍が立派な大人68歳。甦りの命を捨てた代償の惨さが身に染みる。別人のような、我が顔や身体に引き換えの代償を認識する。
以前、狛が「自分がなにをしたかわかっているのか?瞬く間に醜く朽ち果てる人間を選んだんだ蛍は‼️」と、悲痛な言葉のいみがわかった。
てな事情で、蛍は瞬く間大人を通りすぎまくっている次第となる。
さて、17歳の蛍に戻ろう。
これは、リアル私の自叙伝だったわ。
蛍はケン諭すように言い聞かせる。」
「ケン、絶対に私達が子供二人でくらしていると、近所ににも、学校にもさとられたらいけないよ!そうなったら必ず私達、孤児院に入れられる。下手したら、別々の孤児院にね!」この状態は客観的に観れば、完全な〈育児放棄だ。
なのに、二人共一切そう感じずひたすら今の生活を守ろうとしていた。
商才のない父は、新聞記者の傍ら、会社を企業し、四回倒産させていた。大人しく祖父が支社長をしている新聞社で政事記者をしていれば、十分家族は生活できたのだが。母の二回にわたる保険の効かない心臓大手術代あ300万を越えを捻出する傍ら、安易な儲け話に乗り。詐欺師同然の知人と会社を起こし、まんまと持ち逃げされ借金だけが父に残る。なんと一度で懲りず四回も倒産させる父に、
「この人生きてゆくの。人の上に立つの向いてないわ」と我が父ながら感じた。倒産すれば当然債務が残り、清算できなけば、債務は、ヤクザの世界にまわる。
勢い毎日のように借金の取り立てが家に押し掛ける。
「父は、いません」この言葉を何度、柄の悪いオジサン達に答えた。数えきられなほどに、 その男の人たちの中で一際 怖くしときは男前のヤクザがいた。
鶴竜さんと呼ばれていた 世界では ヤクザの世界では名の知れた 男らしい
「 俺はガキの使いじゃないんだ 3日後に来るから100万円用意しておけ できなければ ただではおかん」 とすごむ 男前 ヤクザに 無理に決まっているだろうよ 私たち 子供たちの生活費さえ出せないうちに と思いながら。
「 はい 伝えておきます もし 帰ってくれば
」
と冷たく 私は返事をした。 そして彼の目を強く見返した。
鶴竜 という人の顔が一瞬 揺れた。
あっという間に3日が過ぎ 週のベンツに 横に真っ赤なドレスを身にまとった 明らかに 苦労との女の人と
一緒にやってきた。
カツカツと革靴のまま家に入り込み「 おい 100万円へ 準備できているか?」
「 すいません 父さんが帰ってきてないので準備できてません」 と答えると 、
「 馬鹿野郎 こちとら ガキの使いじゃないんだなめてんのか お嬢ちゃん」
「 いやそう 言われましてもお父さんが帰ってこないんだもの」
怒りまくる男前 ヤクザさんの前で 深いため息をつく 蛍。
途端にホタルのお腹がグーグーとなった。「 え お前たちハラすかしているのか? 何し食べてないんだ?」 と聞いてきた。
「 いや 食べてないということはないよ そうめんを10日ほどちゃんと食べているもん」 私は 胸を張ってはっきりと答えた。
男前 ヤクザのあきれたような ため息が出た。
「 うーん お前 歳はいくつか?
」 と聞かれ、
「 私14歳ですけど?」 と答えた。
「 うーん 14歳 若すぎる これも無理か」
男前 ヤクザは ブツブツと独り言を言い始め しまいには 考え込んでいる。
奥では弟のケンが竹刀を握りしめ 今にも殴りかかん らんばかりの殺気を放っている。
そこで私ははっと思いついた。
「 おじさん 何度も何度も空手で帰ったら上司にひどく怒られるでしょ ちょっと待っててね」
私は奥の部屋のタンスの中の財布からなけなしの500円札を取り出した。
その500円札を男前 ヤクザさんの手に握らせ、
「 100万円にはほとんど 程遠いけど この500円は私たちのバイト代の 残りなの 何にもなく オケラで帰るより お兄さんの上司に怒られないかも これ持って帰って」
しばらく黙ったまま私に握らされた500円札をじっと見つめる 男前のヤクザ。
突然その量の目からポタポタと涙が流れ落ちた その白いストライプスーツの方が震えた。
「 ちょっとそこで待っておけ」
男は言うと 下の白いベンツに戻り 赤い女の人と何やら口論している。「 いいから持ってるだけ出せ!」
そしてまた急いで2階の私たちの部屋にの前に走ってきて私に言った。
「 お前いい目をしている 。お前は強く 綺麗な心の女だ 、確か 俺もそんな目をしていた時があったぜ
、、、女はな 、一度落ちるところまで落ちると二度と普通のシャバの社会には戻れないんだ 。
よく覚えておけ 負けるんじゃないぞ ❗
この薄く 汚世をまっすぐに生きろ 。その目と、その まっすぐな心を忘れるなよ ‼️」
涙で赤い目をした男前のヤクザは5万円を私の手に握らせ。
「 この金は 返さなくていい金だ 、お嬢にあげる 。これでうまいもんでも食えよ 俺はもう二度と ここへは来ないから 他のやつらも来ないように話をつけてやる 。お前は女だけど俺のようには決してなるなよ 。男より女の方が押した時はひどいからな」
少し 間を空けて、
「ありがとよ。嬢ちゃん。信じてるからな。俺みたいになるなよ。道を外さず明るいお日さまの照らす道を生きる人生を生きるんだぞ」
その眼差しにはせつないほどの、慈愛の捻がこもっていた。
今思えば、あの時が二度目の、淡い恋だったのかも、しれない。
その日から、全ての借金とりが、パッタリと来なくなった。
あのあと、私達二人は、生まれて初めて焼き肉家の暖簾をくぐりお腹いっぱい焼き肉を食べた。
世界一 美味しい味がした。
そして私は、ほんの少し強くなれた。
その 太田君は、小六の二学期に、転校して行った。
寂しかった。
悲しかった。
逢えない外国に彼は行ったのだ。
しかし、問題は、そんなオセンチな話では終わらなかった、、、、
転校する前 大田君は「 俺 本当は 吉永 が大好きだったんだ」
と友達に連れて去って行ったという。
その上 吉永さんまで 大田君のこと好きだったと言った。
何という 初恋だろう‼️
私は 他の女の子が好きな男の子に 一人で舞い上がり恋焦がれ
ていたのだ。 小さな点のような 男子の中からでも あっという間に 好きな 大田君を見つけられるほど
教室の窓辺から お昼休みに 校庭 小さな点のような男の子の中からでも を見つめて一目で分かった というのに。
これ以上ないほど 蛍の心は深く傷つけられた。
そして ホタルは強く心に決めた 今後一切 自分から恋心を打ち明けるのをやめよう。 これほどまでに惨めな 結果は 、もう二度としないと。
第8章 もう1人の太田さん。
さて、もう一人の太田さん。
転校したその日 から、 太田さんの鋭い 私に対する目線がひどく気になった女の子だった。
その女の子は その女の子は 美しく凛とした人、その女の子の周りには 多くの取り巻きがおり その中央でデンと、
構えている姿が、 妙に気になり 些細なことでよく喧嘩をした。
他の 学校でも 同様の取り巻きを持つ女の子はいたが、 全く 私は よりつかず 心の声が聞こえてきても完全無視を貫く 集団だった。
しかしながら 、どうしてもその太田さんには 目が放せなかった。
何か 、
同じ世界観を持っている 思いが強く 彼女にもあった。
激しい 反発感と共鳴感を感じる 初めて他人に感じる 感覚だった。
「 なんだ❓️この気持ちは❓️」
近づきたいが 彼女の取り巻きが邪魔をする。
近づきすぎて あの鋭い刃のような眼差しでばっさり切られるような恐ろしさもあった。
誰にも感じたことのない エモ 言われぬ 苛立ち そして結局 激しい喧嘩に発展するのだった。
どこの土地に行こうと、大人が大嫌いで 子供も大っ嫌いだった。
大人は、陰湿で言っていることと、心の声が正反対の人間がニコニコ笑いながらお互いに お互いの腹直しを探り 罵り合っている。 どこが 己が相手より優れているか見極めているような 醜い姿は 、見ていて感じていて ヘドが出た。
また子供たちは 、多くの子供がひどく 残酷な心を持っていた。 どこに行こうと新入りの 私の弱みを探る
そしてそこを突こうとする それも大勢でだ。
だから、私は 自分の周りにバリアを張り 誰一人 寄せ付けなかった 。友達も 欲しいとも 全く思わなかった 。まるで 影のようにその中で 存在する技を自然に身につけていた。
自分以外の他人は全員敵と見なしていた。 その 私が気になってしょうがないのが 太田という 女子だった。
喧嘩ばかりしていたが いつの頃からか 、2人だけでいると お互いの心の内を打ち明けられる存在になっていた 。いつから そうなったかも覚えていない。
気がつけば なくてはならない友と思う 存在となり 、私の心の厚い扉を易々と開け 私の前に立っているような人だった。
誰にも打ち明けない秘密 自分が今置かれている環境 それを 難なく話せ 、太田さんはその話を静かに 聞いて受け止めてくれていた 。それに同情をめいた感情は一切ない 不思議な人だった。
今私は68歳になっているが 11歳まで 出会い 57年来の親友と呼べる女性になるとは その時 思いもつかなかった 。ただ 花火のような激しい衝動を 第一印象で覚えたことは はっきりと覚えている。
不思議だった。 なぜ この人だけ?
その不思議の意味が解けたのは 、太田さんの家で 祖父の家で見た 陰陽師の 家系図を見せてもらった時だ。
「 あー 同じ血だ、 同じ感性を持人だ」
そこに全く受験 知らずのお嬢様の 若林かおり が 、すーっと 寄り添ってきた まるで妖精のような 無垢な女の子だった 、3人とも 人並み外れた 美しく輝く美少女だったので それはそれは 校内で かなり目立つ。
3人で歩くと、誰もが道を分ける 3人が3人とも他人の目など一切気にしないどころか、 どこか 図太さがあた
太田さんに 私の生活状況などを 話していたところ 突然 和子さんが その言葉 の間に割り込んで叫んだ。
「 ごめん ホタル 、ホタルの生活の過酷さの話だけど、 私には全くわからないの 想像さえもつかない ごめんなさいね」
ようこさんは 、いつものように頷き 静かに聞いてくれていた 日常の私の生活の話 なのだが、、、
突然 耐えきれなくなったような悲鳴のような声で 、泣きながら私に訴えかけてきた その泣き顔に 、あ あーこの人の前で私の生活は話すのは二度とするまいと心に決めた。
第9章 バイク事件
普通の人の3倍の量の新聞配達 ・牛乳配達を全速力でやり遂げ、その後にさらに 剣道 の訓練として近くの山を 鉛の靴で 走り そして 下がってくる 弟だった。
念願だった 50cc のバイクを買ってきた弟は ひどく 嬉しそうにすでにどこも 磨くところがないように ピカピカのバイクをなお 磨きながら「姉貴 このバイク かっこいいだろう 。これを買うために 1年半 人の3倍 売買 バイト 増したんだ!
剣道のトレーニングにもなるしな」 と 本当に嬉しそうに 、そして愛しげにバイクのハンドルを触っていた。
「 そう~ よかったね! かっこいいじゃん!」
そう 私は答えたが 、そこに 半月ぶりに見る父の姿が見えた 。不吉な風が私の頬をかすめた。
次の朝 、バイクは消えていた。
次の朝 住んでいた ボロ屋の私の裏庭で弟が大声で「わぁ ‼️」と叫んでいた。
どうしたのか 驚いて 裏庭に行った私は、昨日まで そこにあった。あのスカイブルーのバイクが消えていた。
いや 正確に言えば、昨夜 雨が降っていたので 弟は奮発してバイクのカバーをかけていた そのバイクごと 引きずって 持ち去った後だけは、嫌というほど裏庭の 土地に 引きずった後が 見えた。
後から ぬるっと出てきた父が 「おいおい 何の騒ぎだよ 寝れた もんじゃないじゃないか 」弟はその父を睨みつけ 炎を吐き出すように問いただした。「おい❗俺のバイク どうしたんだ‼️」
「 あー 、あのバイクか、、 ちょいと 、わし、入り用の金があったんで 友達に売っちまったよ 。
〈すまんすまん 〉でも案外高く売れたよ 、お前のバイク。 ありがとうよ」 と悪びれも なく 軽く言った。
あのバイクは1年半、 ケンが懸命にバイトをして毎日 バイク屋さんの前でそのバイクを見つめて バイク屋さんのお姉さんと仲良くなるほどであった。 だから少しまけててもらったらしい。 そんな愛着のあるバイク〈 なのに この父は何を言っているのだろう 〉多少なりとも 、やっとの思いで 自分で働いた バイト料で買ったのを知っているだろうに 、どうしてこんなことができるんだ この人は。
「 うー❗うー‼️」
と唸って弟は、父に がむしゃらに 殴りつけかかった、 まず顔を蹴り、 腰を蹴り、 何度も何度も どこと 言わず 殴り続けていた弟に 「ケンやめて !お父さん死んじゃう」と 私は 思わず 父に覆いかぶさった。
あの時私が 止めなければ 弟は確実に父を殺していた。
それほどの弟の狂気を感じた。
父に覆いかぶさった時 、勢い余って弟は私の背中を力いっぱい 踏みつけていた 。その後は半年経っても青く 消えなかった。
当然 父は ボコボコに弟に殴られたので3週間ほど動けなかった だが、決して病院に行こうとはしなかった。
「 姉貴、すまん。ごめんなさい」とその背中のあざが、ちらっと見えるたびにケンはホタルに謝った 。横で母はボロボロ泣くケンの背中を たまたま 仮外泊してきた母は泣きながら さすっていた。
けんちゃん 、 と母はわけもなく 何度も 弟に謝っていた 母の心が一段と壊れだしたのは多分あの時からだ 「ごめんなさいね 。ごめんなさいね 。ごめんなさいね。」 と母は 訳もなく 何度も何度も 弟に謝っていた。
その朝以来 、弟は必要最小限の 返事しか父にしなくなり、 会話を交わすことも、目を合わせることもしなくなった。
そう ケンが、 その後 死ぬまで それは続いた 。宝物のようなバイクを売られた 憎しみは一生続き 、弟は35歳でバイク事故であの世に逝った。剣道で日本一になり、 絵を書かせれば 優勝し 、弟の賞状や 、トロフィーは家に溢れるほどあるというのに、 肝心の 弟の姿だけが家からいなくなった。
無理やり病院を退院してきた母は 、
弟の好きなカレーを1日ごとに作り、 弟のお骨の白い包みの前に備えていた 時間があれば 弟のお骨をいつも抱きしめていた。 呆けた顔で そしてそのお骨に話しかけている。「けんちゃん?いつかえってくるの?ほら、大好きなカレーが冷めるよ」と白いお骨をつつんだ骨箱に話しかけていた。 私は父が何をしても許してきたが、 丸めた 母の背中の座った後ろ姿を見るたび、 [人には消して 、人にやっていけないことがあるのだ』と 学んだ。
お父さん覚えてますか ❓️あの 私が4~
5歳の頃 毎朝の早朝散歩で 「優しい心を消して汚すな 。忘れるな』と 呪文のように 私にといた父が 、決してやってはいけないことを自ら我が子にしたのだ。
何かやんごとない事情があったのかもしれない 。命に関わることがあったのかもしれない 。
だがそれは 父だけの問題だ 。弟も私も母も全く父に事情を聞かされていなかった。 何でも許す 私だが 、このバイク事件だけは決して私はこの一点だけは許せない その父も死んでしまった今でも許せない 。
人には決してやってはならないことがある 。
それは 安子 という娘も同様だ!
第10章 蛍と弟
「 ホタル 僕たち 大きくなったら結婚しようね」 が弟の口癖だった。 私は女の子たちと遊んだことがない 。ままごと、 お手玉 と、 全く興味がないからだ1つ違いの弟はバイク事件の前までは、 明るく よく人を笑わせる ひょうきんな人気者だった 私と違いどの土地に行っても直ぐに大勢の友達を作れる子だった。
山の木登り 魚釣り ザリガニ釣り 秘密基地作り 防空壕跡を利用しござを引き それぞれ持ち寄ったお菓子を食べる だが私は大きな木の上の丈夫な枝を利用しあちこちに転がっていた以下の木を木の上にあげ 小屋を作る方が好きだった。 そう 私の子供の頃の遊び相手は弟のお友達たちだった。 今思えば 弟は私を喜ばせたいために、どこに引っ越しても私が喜ぶ遊び相手を無理をしながら男友達を集めていたように思う。 そう「 笑わせる本 』という本を弟のベッドの下に 見つけた時に 、私のために私を笑わせるために 、遊ばせるためにケンは頑張っているんだと思った。
私たちは本当に仲の良い お互いを支え合い 助け合う姉と弟だった強い絆で結ばれていた その弟を母は溺愛していた。 明らかに私と弟に対する母の態度は違っていた。 些細なことでよく私は母からぶたれていた そうしていると必ず
弟が私の前に立ちはだかり 「ホタルをブツなら僕をぶって 蛍をいじめるな」と 、大好きな母に歯向かった。
時々 父や母からお小遣いをもらうと、ケンは、近くの駄菓子屋でおもちゃで指輪を買っては 私にくれた 赤 青 緑 黄色 色とりどりのおもちゃの指輪が 父がくれたオルゴールの箱に溜まっていった。
仕方がないので、 私がベーゴマ、 パッチン 、ビー玉 、など 男の子が遊ぶ 小道具をケンに買い与えていた 。山を走り回り 川を泳ぎ 、ザリガニを釣り、 木の上に小屋を作り 、分けのわからぬ秘密会議を皆で真剣な表情で話し合ったものだ。
中学生になった2人が まるでコインが 裏返すように社交的 女性に私は成長し 、男友達の1人も作らぬ無口な青年にケンは成長した。
なぜなら 友達から〈 兄弟同士は 結婚できないよ 〉と 教えてくれ 弟に伝えた からだ。
弟はその話を聞き 、 「嘘だろ 」と 一言いい この世の終わり のような表情をした。
おどけた表情をして 人を笑わせ男友達を一生懸命作ったのは きっと私のためだったのだ 。本来 無口な 青年だったのだ 。あの山のような おもちゃの色とりの本物ではない指輪も、弟は 結婚できないと伝え たあと
長い間 落ち込みそして オモチャ指輪のプレゼントも、とまった。
でも 、
本当のことだから 仕方がない。
第11条 いじめ事件
ホタルは成長するごとに 怪しげな光を放つ美しい娘へと成長していった。
だが蛍が心を開く人間は 片手に余るほどだった。
ある時期 、蛍は異常なモテ期が訪れた 。そうまるで ホタルの季節に ピカピカ と点滅しては人々を惑わす あの夜の幻想的な 蛍の群れのように。
[ よしよし 面白くなるぞ ホタル もっと前もっと飛べ。]
狛が あの巨大なスクリーンを見ながら 喜んで いるように感じた。
体育館の裏 、学校の屋上 、家の帰り道 、瞳をときめかせた 男子達が毎日のように 蛍の前に現れるようになった。 そして 真っ赤な顔して告白してくるのだ。
ホタルは軽く 「うん 分かった まず友達からね 」と セリフのように 笑って彼らをやり過ごした。
心を許す、 2人の友達と 私たちは中学生になった。 蛍たちは 競い合うように見知らぬ男子の告白を受けるようになった 。しまいには3人で 正の字で誰が今月一番 告白を受けたかというゲームをやりだす始末だ。
3人は3葉の美しさがあった 一番の友達 太田さんは 宝塚の 男優のように キリッとした凛々しい 美しさが あった お嬢様の 若林 香織さんはまるで妖精のような 透明感なある美しさがあった。
ただ 煩わしいだけの私と比べて、2人は妙に余裕があった。 2人にはボーイフレンドがいたからだ。 かおりちゃんは 他の進学校の彼。操は中学からの付き合いらしい。
みさお は、中2の頃 中学校一番の美少年と付き合い始め そして大人になり 23歳で彼と結婚した。 ふむ 誰か一人に決めて ボーイフレンドを作れば 、このブンブン 私の周りを 回る ハエのような 煩わしい男たちから 解放されるのか 、なるほど。
私は意識して告白してくる男の子を見定め始めた それはボディーガード ボーイフレンド の選別である 以前から諦めず何度も何度もアタックしてくる ガタイの良い野球部のピッチャー いつも女の子のファンクラブみたいなか ファンクラブみたいのからキャーキャー騒がれている男の子 これでいいんじゃね 何度目かの 彼の告白で私は 拍子抜けするほど簡単に OK と言った また 断られるのを覚悟だた彼は一瞬 ポカンとし 次の瞬間 まるでホームランでも打ったかのように 空に向かって ガッツポーズをした よっしゃーやったぜ と飛び上がった 。(ふむ 、君ガタイがいいし 、見た目もまあまあ 。ボディーガードに最適だと思っただけなんだ。)
ところが 事態は奇妙な方へ進んでいった。 ボディーガード のつもりで 付き合いだした彼だったが、取り巻きの ファンクラブ もどきの女のことを 忘れていた 。
2人の噂は瞬く間に 学校中に広まり あちこちから さすような視線を感じ 同学年の女子全員が私に敵 むき出しの 全無視 いじめが 始まった!
誰一人 私に話しかけて来なくなった わかるように数人で 私のことを指さして こそこそ話 一番厄介なのが 調理教室の移動や自家 教室移動 誰も女子が私の隣のに座る女子はいないどころか、しまいには 私の座る さえ片付けられないのだ 。仕方がないので適当に男子の横に座っていたが 、この半月後には1年から3年までまるで伝染病のようにその全無視運動が広がっていた 。これにはさすがに困った 。教室にいる場所がないので廊下に出ると大勢の男子から 取り囲まれる 。もう私は 開き直ってその男子の輪の中で はしゃいで見せる と、勢い ボディーガードボール フレンドの機嫌は誠にふてくされて悪くなる 。これはもう 完全な 負のスパイラル状況だ。 こんなはずではなかったのだが 、さすがの父も 学校からの相談で転校先を探し出し 「ホタル つらかったら言えよ 」と言いだす始末。「 いいよ 自分で何とかするから 」と答える。私 は 俯瞰で今の状態を観察することにした。 女子は 数人のグループで行動することが多い 。そして、そのグループごとのリーダー 女子 の彼が、 私に 告白してきた男の子の一人だという事実にたどり着いた バスハイクの時を狙って 重さ そのリーダーの 女の子に 反撃することに私は決め決めた 例によって私の席はない 仕方がないので一番前のバスバスガイドさんの 補助席に1人 座らせてもらった 何とも 味気ない バスガイド バスハイクが終わり そのバスガイドと並んで 私はたち 同じように 挨拶をする すると一番大きなグループ女子のリーダー バドミントン とかの部長の女学生が降りてきた おいお前 ちょっと乾かすな 私の奇妙な行動に全女子がビクビクおずおずと降りて行ったが 私の言葉に全員が凍りついていた 私はソフトボールのキャプテン で 力には 地震があった 近くの公園まで その女子を引きずり 連れて行き 私は静かに聞いた 「お前だろ?このいじめ 。最初の原因は 」あまりの 私の剣幕に震えながら 、しどろもどろ の説明をする彼女、 そして いきなり 私の頬を殴ってきた 「ほう ー先にお前が手を出した んだから な 、私はちょっとしたお返しをお前に するだけだよな 、
文句は言わせないよ、」
その時私のナップサックの中には ソフトボール2つ 硬くなった グローブ 握力を鍛えるための鉄のグリップが入っていた そのナップサックで バットを全力で振り切るように彼女に向かって 振り抜いた ボコッ という 鈍い音が鳴った もろに自慢の彼女の顔だった その顔に重いな ナップサックはジャストフィットした よく振り切れてたわ 試合だったらこれ ホームラン てとこかな などと思っていると ギャンギャン泣き出す彼女に 「覚えてるだろうな 先に手を出し 殴ったのは、お前の方だからな 、ふざけるなよ 。舐めるのも休み休みにしろよ 。私がこの学校の裏番 はってるの お前知らないのか ?」いつのまにか そのグループの女子たちに囲まれていた。私は 誰も彼もがガタガタと震え 青ざめた顔をしている 「ほう 次は 私は誰と戦えばいいんだ 1つ1人ずつ前に出ろよ 、なんなら 数人づつでもいいぞ 、」しかし誰も震えて動かなかった 。「お前たちな 君たちのリーダーがこんな状態になってるんだ。病院に連れて行くなり、保健室に連れて行くなりしてやれよ 。骨でも折れてんじゃないか ?お友達なんだろう ⁉️それぐらいしてやれよ、」
彼女が 顔を覆いながら 私に小さな震える声で絞り出すように言った 「だって私の彼を蛍は誘惑したじゃない 」顔など全く思い出せない 。「そんなに大好きな男なら 首輪をつけてチェーンでも つけて 逃げないように 捕まえておけよ お前の彼 など 顔さえ覚えてないわ 」
それから 周りの 女子たちは やっと彼女を運んで病院に行ったらしいが 、幸い骨は折れてなく全身打撲のみで済んだらしい。 しかし 顔の腫れは1ヶ月ほど引かなかった。 先に思い切り殴られた私の方は、1週間ほど 腫れが引かなかったが、 私は次の日から平気で学校に行った もちろん 病院にも行っていない 。
すると 摩訶不思議な現象が起きた 。その日から 誰となく何度となく口を聞いたこともない女子たちが おずおずと 話しかけてくる 「ごめんね私たちはそんなつもりはなかったのよ 。だって 蛍は いい人じゃない ?蛍と話してたら 蛍と同じ目に合わすと 、千世丸から脅されていたのよ 、だからごめんなさい許してください 」まあ 誰もが同じような内容を私に言ってきた。
その中で図々しい女子「蛍っていい人だから私とお友達にならない」と にこやかに言う奴さえ 現れた 。「うん 、その話は断るわ 。一度誰かを裏切ったやつは、何度でも裏切るからね
信用するわけないしましてや 友達などとんでもないわ 」その日を境に、
嘘のように 全無視運動は解除され誰も彼もが、張り付いたような笑顔で話しかけ 挨拶された。
もちろん私の席も用意されている。千代丸などという名前さえ知らぬ私と、対決した千代丸は3ヶ月後 転校して行った 。
私はその理由を誰にも聞かず 誰も話さなかった まるで 最初から千代丸がこの学校にいなかったような勢いだ 。
当然 教師たちは 何事もなかったかのように、日々の 教育という名の仕事をしている 。
だから大人なんて大嫌いなんだ‼️
第12章 忙しい 放課後
自力で行った高校 中学校 小学校の頃から、 バイトバイトに明け暮れていた私は 弟もだが 小学校から高校まで遅刻をしなかったことがない 。
だが学校は休まない 小学校の時など 父が再々家を追い出される ので 、
小学校は 小倉 北区にあるのに 住まいの家は 門司だった 小倉の小学校から文字の自宅まで約12km あった 。
細く 痩せた ホタルには 気が遠くなるような長い長い通学路 だった 。
母は いつものごとく ほぼ 入院していて家にはいない 。
かなり 身体的にも肉体的にも精神的にも参っていた時期だった 。時々帰ってくる父は 朝 トーストを1枚ずつ 私たち 羽を弟に 焼いてくれる それに マーガリンをつけて 、牛乳は 県が配達の残りがあるのであるにはあるが 、残念なことに 2人とも 牛乳が飲めない体質 なので トーストと一緒に飲むのは まあ 水だった。その 牛乳を飲むとすぐにお腹を下す からだ、 そして1日 ひどい目に遭うので あっても飲めない。
したがって 、父が 誇らしげに作ってくれる トースト朝食は私たちにとっては大変ありがたい 迷惑な話だった 。
今になってあのぐるぐると こんがり焼けたトーストに昔のマーガリンをたっぷりと塗った味が懐かしいのが 何とも不思議な話である 。
きっと 父の手作りの味なんだろう 。子供たちのために綺麗に 丁寧に焼いて マーガリンを塗る 優しい父の笑顔も鮮明に覚えている。
バス代 さえも どうやらないのか 父がいる日は家の近くの駐車場の車の持ち主と何やら話し込み 手を合わせて頼む父 、
私たちを 小倉の小学校まで送ってくれと頼んでいるのがひどく嫌だった 。
迷惑 顔のおじさんの後ろの席で 私と弟2人 着くまで無言で乗り 、
小学校の前まで着くと 「どうもありがとうございました 」と頭を下げるのが 苦痛だった。
しかし 帰りは歩きだ 。なぜかいつも私1人で歩いて帰っている記憶がある 。
弟は剣道の練習があるので帰る時間が違ったのだ 。
あの帰り道の遠いこと 、遠いこと 子供の足では12キロはきつい 。
トボトボ と 古びた人にもらったら ランドセル が背中に食い込みとほうもなく自宅は遠い 、
その横 をヘッドライトをつけた車がビュンビュンと通り過ぎていく 、
何だか 自分だけが世の中で一人ぼっちのような気分になる 、
あの感覚は大人になっても忘れられなかった 。
結局高校まで 門司から通うことになるのだが 、もちろん また家は 点々と変わる これは私たち しっかりしないと大変なことになる 。
せいぜい 中学 高校卒 止まりになりかねないと真剣に考えるようになった 。
これは不憫すぎて笑える 。母に褒められたくて一生懸命勉強していた。
弟は 母が手術するために 長期入院する頃から全く勉強をしなくなった 。オール5だった 通信簿が1と2しかなくなるのに そう時間はかからなかった 、5だったのは 体育と絵 美術 のみ 。
私はバイトが忙しかったので勉強は適当だった 324 と5がたまに混じる中の上 の成績 程度だったが 、
母が入院していよいよ 生活が苦しくなってきて俄然 真剣に勉強に励んだ オール5とまでは行かないが、4より5の数字の方が 多かった そんな 上々の成績になるのに そう時間はかからなかった 。
高校に私たちが行くには 私は勉強とソフトクラブを特待生 入学 、弟は剣道で特待で進学することしか道はなかった。
下手したら私たち中卒と呼ばれ 進学 どころか中卒で集団就職 組になりかねない。
父といえば 元々は 大金持ちの 坊ちゃんで立命館大学まで卒業しているのに冗談じゃないと 、
本気でその時の私は 重いランドセルを稼ぎながら 横をビュンビュンと車が走っていく道路の端で考えた。
えらいところに生まれてきたな はくの声が聞こえた 聞こえないふりをして
やっとの思いで 毎日家にたどり着くのだ。 後から疲れ切った顔で帰ってきた弟の方を掴み、 真剣に私は弟に宣言した。
「ケン、 私は勉強か、運動部で進学する 私なりに 得体になれるように努力する! けんちゃんは、剣道を極めなさい 。そしたら剣道だけで大学まで行けるかもしれないわよ !とにかく今のままだと とんでもない惨めな人生 しか待っていない可能性が高い 、。必ず私たちは何が何でも進学するのよ ‼️親も大人も信用できない これからは私たち二人で生き抜いていくのよ 。絶対 後で後悔しない人生を 誰にも頼らず 勝ち取るのよ わかった ❓️」
ケンは半分 分かったような顔で「 うん 俺 剣道で 1番になったらいいんだね、 勉強はもう捨てたから 」「そうなるかな。」 でも元々頭いいんだから勉強も少しはしたらと言ったら
「 絶対嫌だ」 と弟は言う 弟は母の喜ぶ顔が見たくて今まで勉強してきたんだ。
母ちゃん 今いないからもう勉強はしない 筋の通っているような通っていないような理屈だが、本人はいたって真面目な顔で 言う。
「あーそうですか 、分かりましたなら 剣道だけ命がけでやりなさい」と諦めた顔で蛍は行った。
「うん」と にっこりを笑う 弟に小さく ため息をついた 。
私も弟も アルバイトが忙しく 、
私は勉強をいきなり やり始め 、一番特待生が取れそうな 大女ばかりいる ソフトボール部に 入部し 特待を狙った 入部した理由は誰も女の子がソフトボールなどやりたくない部だったから人数も少なかったからだ 。
人気のあるバレー部や テニス部で1年間も 球拾いする余裕など私にはなかった 。入部して1年の3学期にはもう ソフトボール部のキャプテンを任されていた 。それほど 人気のないクラブだった これなら行けるかもと 、
バイトに部活に勉強に 懸命に蛍は励んだ 運命に負けるのだけは嫌だった 。
ましてや 自分の意志で転生した このデタラメな環境に 屈することはハクに負ける ことを意味する 。私は私の選んだ人生で 意義のある人生を必ずこの手でつかみ取りたかった 」
[まあ~せいぜい頑張れよ とからかうような 拍の声が 聞こえてきた。
もうすぐ蛍の季節だ。
私はあの赤い橋にまた行くのだろうか ?猛烈に行きたくない 気分がふつふつと湧く。
それでもやはりあの夢のような源氏蛍の艶やかな前姿には抗えない 自分がいた 。
ある意味 あの場所が唯一の蛍のふるさとだったからだ。
第13章 荒れるケン 戸惑う 蛍
もう 薄々 皆様もお気づきでしょうが、私たち姉弟はいわゆる クォーターです 。父の母がアメリカ人だから父はハーフだ 。幸いなことに私は真っ黒な髪 大きな瞳の色は黒 さすがに 彫りの深さや 、鼻の甲の高さなど 血は受け継いでいるがパッと見 日本人に見える 。
しかし 弟は白人の血を強く引いていた顔立ちをしていた 。茶色の栗毛の紙やはり大きな二重まぶたの 瞳の色は茶色 白人 特有の白い肌 当然 彫りも深い 幼い頃は1日で 混血時と一目でわかる 愛らしさを持つ男の子だった [あいのこ 、あいのこ]
とよく どこに行っても石を投げられたり いじめられたりするのを 姉の私が 棒や 木刀を振り回し その土地の男の子 を叩きのめし いじめを止めていたものだった。「 姉貴は、なぜ日本人と間違えられるの」
とケンはよく私に聞いたものだ。
そんな弟が私の遊び 相手を作るためにどこに行っても、すぐにそこのガキ大将に気に入られ 仲間に 入れてもらうのはどれほど大変だったろうかと思う。
人を笑わす 本を買うほど大変で 苦労し 、どれほど 本来の自分の性分を抑え込んでいたかは想像に難くない 。全て私が心地よく遊ぶ場所 人々をを確保するためだけだった に他ならない 。
蛍がそばにいればそれだけで幸せだったのである。
本気で私と大人になったら結婚しようと思っていたケンが 兄弟同士は結婚できないと知って 、
本来の自分に戻っただけだ 弟の愛読書は[人を笑わせる本]から宮本武蔵の[五輪の書]に代わり ひたすら 武術に打ち込んで 行く人に変わっていった 。
見た目が白人特有の愛らしさと日本人にない ハンサムサを年を追うごとに出してきた。
ケンは当然女の子には憧れの目で見られ 見られ 行く先々で女子からの熱い視線を浴びていたが ケンは全くいに返さなかった。
またそれと同様に いや それ以上に 男どもからの嫉妬の目 反感の思いの方が多く 毎日毎日腕自慢の男たちが喧嘩を売りに来て いつもどこかしこに傷を作り 血 を 唇の端ににじませて帰ってくる 。今日は、 勝った の?と 蛍は聞く もちろん だと ニヤッと笑うケンだが手の指が折れて いたことを 多々あった「 あー 殴りすぎたかな」
そんな喧嘩が毎日毎日続くのであった。
〈あいつが負けたなら 俺が行く〉 という具合に毎日毎日喧嘩が続く。
私以外に心を許さぬ [孤独の住人]になっていく 弟のを 悲しく申し訳ない思いが蛍の 気持ちに湧く。
そして、毎日腕自慢の男たちが 喧嘩を売りに来て、 いつもどこかしこに傷を作り 口の橋は 違う にじませて帰ってくる 弟。
「 今日は勝ったの?」と 蛍が聞くと、
もちろんとにやりと笑うけんだが 手の指が折れていたことも多々あった。
「 あー 殴りすぎたかな」
そんなケンの 喧嘩が毎日毎日続くのである。 普通男は喧嘩をして友達ができるというが こと 弟に関しては そういうことが全くない。 多分 混血と言う 偏見 からだろう、 全く 腹が立つ。 昭和30年から40年はそんな時代だった。 まだ 戦争の傷跡が 生々しく残っている時代だったのだ。
ケンは、 私以外に心を許さぬ[ 孤独の住人]になっていく
弟の姿に申し訳なく悲しい思いが蛍にわく。
だが日々の学業クラブ活動に至っては 文芸部の部長。 ソフトボール部のキャプテン、
毎日夜11時までのお好み焼きのバイトは10年を超え、 放課後の方が多忙を極めている蛍であった。 お好み焼き屋のアイドル的存在になった私 目当てにおじさんたちで店はいつも満席だった。
歳を偽って キャバレーの専属歌手にもなっていた。
博多に新しい ジャンルでフォーク歌手を夢見る、 今は 超有名になっている歌手の若き頃の歌手や、歌手の卵たちでひしめく、
〈 昭和〉というバンド喫茶で飛び入りで歌っているのが、 何とも言えぬ 半音ずれたその歌声は人々を引き付けて話さなかった 。
たまたま 博多に仕事できていた。
有名プロダクションのスカウトの目に私は、とまった。
家まで押しかけられ 将来必ず日本一の歌い手にさせて見せます 家に預けてもらえませんかと見たこともない 札束を積み上げられた時 思わず その金を父が 手を伸ばす前に私は足で蹴り飛ばした。
絶対や 誰かに縛られるような金など絶対受け取らない 帰れ この家から早く出て行け と叫ぶ 私に プロダクションの スカウトは みんなすごすごと 畳に散らばった1万円札を拾って帰って行ったものだ。
それを 物干 しそうに見ている父に 私はおぞましさを感じた。
〈あんたは芸者を継がせるのが嫌で 私をは実の母から生木を 裂くように母 カラー 私を 引き離した そしてそれを了承した 実母の思いを 無にするつも りなのか ❓️ もう 情けない。〉
食い下がる スカウトの妥協案で 、
土曜の夜から東京に行き日曜日は 歌のレッスンをプロダクションで 受け 旅費 やホテル代を持つという案に私は渋々 了承した 。
そうでもしないとスカウトたちの男たちはてこでも動きそうにもなかったからである 。
半年ほど東京レッスンが続き 23曲 私の歌も作られたが 「こんな歌 嫌い ❗』と思ったが 、やはり どれほど 販売活動をしようと 全くと言っていいほど世間に広まらず中津飛ばずの半年間が過ぎた。
ただ疲れるだけで 、何の収入にもならぬ 砂をかむような生活を私は断ち切った金にならない それが原因だ 。
半年において 私が感じた 芸能界はヤクザの世界とさほど変わらずむしろ ヤクザの世界よりも 闇深い ヘドロの臭いのする 社会だった 。
小説を書くことにも興味を示し出した頃も 同じ頃だ 。
何回か 文芸コンテストに短編小説を投稿してみた どれも 入賞したり 優勝したりはするが 賞金 は3万から1万 1年で 50万にもならぬ 生業はコスパが悪すぎる 。
よって 物書きの職業は 私の選択肢から外れた。
好きなジャンルの仕事はまるで 浮草 家業のようで 明日の生活の保証さえもなくおそらく 不安定で成功が限りなく 未知数だった 。
[これは 小説家がよく自殺するはずだわ]
とつくづく思った ということで 2つの 私の夢は泡と消えた。
現実の 俗世は 恐ろしく、 どろどろと厳しく 汚い 全く行きにくい世の中だった。
仕方なく 地道に 勉学と部活に励むことにした。
どちらかが優れていれば 成績で学費の安い県立高校に通えば バイト代でなんとかなる。
部活で入れば 、無料の特待生待遇で私立高校に入れる とにかく中卒だけは 回避しなければ ならない。
こんな 俗世は学歴社会だと蛍は気づいていた。 何でも 俯瞰で物事を見てしまう 性分は生涯 消えることはなかった。
誰も信じず 神も信じず 己のみを信じて その性格を信じ 努力するしかないのが 現実だと感じ (急がば回れ)という ことわざが浮かび 妙にムカついた。
第14章 魔界の 鹿児島
17歳のホタルは2つの夢 歌手も 小説家の夢も諦め ある意味 心にぽっかり穴が開いていたような状態なのかもしれない 。
自分の夢が叶うとした虚無感 は 大きな心の空洞が 誰にも そして 己にも埋められる 埋められない18歳の 蛍の心を蝕んでいた。 おそらく 2~3歳の頃から 自立した 気持ちを強く持つ 、この 得体の知れぬ 少女は 疲れていた 。
弟の 特待生態 待遇 大学入学も剣道でほぼ決まり 、一番給料の良い 保険会社の入社も決定していた。 彼は 本気で、
高校を卒業したら私と結婚する気 でいたらしい 。
私にとっては初めから ガードマン ボーイフレンドから全く動いておらず、恋しても、愛してもいなかった 。ただ ガードマンとして近づけた彼は全くその役割を果たさなかったことに 気分はますます 冷え込んでいたが 、逆に彼氏の方はますます 恋心が燃え上がっていたのが 手に取るように 感じるのだ 、、、彼の一途な 私への思いは 初恋の時の私の感情を思い出させた そしてあの凍えるような悲しみ苦悩をも思い出させた 。
一途に1点の曇りもなく 私を見つめるその目には愛が 浮かんでいた 。
だが 蛍は 彼を愛しても恋してもいなかったのだ 「結婚しよう」 と言われた時 「いやよ 、これからが 私の人生なのに 1人に縛られるなんて考えても ゾッとするわ 」
と私は 冷え冷えとした声で断った。 彼は 私にくれた あげたプレゼント 当たり前のように君は 受け取っていたんだ 俺は俺の愛と同じほど 蛍も同じ思いでいてくれると信じていたのに そういう 彼氏の目は 赤く にじみ 涙があふれていた 。
ホタルは大きな過ちをしていたことに その時初めて気づいた 。
だ が蛍の構造は その正反対のことを やってのけていた 。今まで 彼氏からもらった服 スカーフ 指輪 ネックレスなどその他もろもろのプレゼント ゴミ袋に詰め 走って近くの川に力いっぱい投げ捨てたのだ。
さあ これであなたもすっきりしたでしょ 明日から私もあなたを忘れる だからあなたも私のことなんて忘れてちょうだい 冷たく 彼に言い放った だって私はあなたを愛していないんだもの 結果的とはいえ 蛍は 自分の初恋 で いたんだ 苦しみの 何十倍もの痛みを 絶望を彼に与えてしまっていたのだ 姉貴 あれはないよ 弟が悲しげな声で言った 風の便りに聞いたのだが 彼は大阪で会社を起こし 大成功しているらしい 今でも独身を通しているらしいが せめてもの自分への慰め蛍の会社勤めが始まった 。そこで すぐに自分には コンピューターには向いていないのがわかった 。
各 保険セールスマンの女性が 月々 集金 してくる保険料を、ただ パソコンで本社に打ち込む 普通はごく簡単な仕事なのだが私が打ち込んだデータだけ 8割方 エラーで 支社に戻ってくるのだ 。
最初のうちは 自分で再度送り返すのだが また その8割がエラーで返信してくる 。とうとう 主任の バリバリ仕事のできる先輩が あっという間に正しいデータを送ってくれるようになり、 2ヶ月後には 私は 事務処理を外され 受付嬢となっていた。
この仕事は非常に私に向いていた。 自分で腕を切り落と したヤクザ屋さん 。明らかに仮病を予想 来訪者を 平気な顔で応対し 、監査役の元刑事に耳元で「詐欺です。 桜です」と報告し、また社長室に爽やかな笑顔でご案内 しその間に 監査役の人が 前科を調べ 書類をまとめ 鬼のような形相で 社長室に入っていき、ものの5分もせぬうちに その来訪者はすごすごと 帰って行くのである 。受付嬢は特に保険会社の場合 ほとんど 女性が務まらず 3ヶ月以上続かないらしい だが 、蛍は全く平気で毎日元気に出社していた。 人には 職業の向き不向きは確かにあるようだ 。
ある日 名前も知らない先輩が地元の大企業の新人歓迎パーティーに来るように 私に勧めた 、私も一応 新入社員だった からだそうだ 。その大企業は ゼネコン 関係で男子しかおらず ほとんど 女性のいない会社なので あらゆる 関連企業の 女子 新入社員 を誘っているらしい 。
嫌な予感がした。
そのパーティーは 、とある 独身男子寮であり その庭でバーベキューをした後にバス 配布があり 観光するというプランである。
私は人間と群れるのが大嫌いだ。
故に 新年会 新人歓迎パーティー 忘年会 ましてや 社員旅行など ぞっとするほど苦手であったので全く気が進まず 、
何とか断る口実を考え 訪ねているうちに 当日が来てしまった。 嫌な予感の中 無理やり連れて行かれたのは 大きく 玄関の広い 独身寮の前に立った時、
ものすごく嫌な予感は大きく膨れ上がり 知らぬ間に体中の毛が 総毛立だっている私がいた。
〈これから私はとんでもない 災難にあう〉 確信に近い予感に逃げ出したいくらい気分の中 、彼は現れた 。大きなガタイ 広い背中 小さな目 。
そしてそのおどけた態度 ゾッとするほど面白くもない ギャグで女の子たちを笑わせている 集まった女子は何が面白いのか ゲラゲラと笑う。 私といえば 一番後ろで 紫の シャツの型をすぼめながら真顔でその場面に 白けた目で佇んでいた 男と目があった。
あの目の奥の邪悪さと言ったらなかった キラリと光ったのだ。
次から次へと呆れるほど面白くもない ギャグで周りの女の子たちを笑いの渦に巻き込んでいく 男 。
どうやらこの独身寮の寮長だと教えられ 、
「ふーん」
と冷やかに男を見たらまた目があった。 満面の笑みで 私を見つめて きたが その目の奥は笑ってはいなかった。
何かそう 動物が獲物を狙う あの目だ 、、、どうしてみんな 気づかない なのだろうと 周りを見るが、
皆 取り憑かれたように 笑い転げている 。
きっと私はこの時点で帰るべきだったのだ 。逃げ出すべきだったのだ。
その 鹿児島弁丸出し の寮長は、 バーベキューパーティーでもバスハイクでも、 なぜか いつも そばで だらだらと くだらないギャグ を言っては、 多いに生活 相変わらず 皆 バカみたいに笑い転げている (これ仕込みかよ)
と思うほど。
バスハイクで とても爽やかな笑顔の少年が 、私にの 横の席についていた。 とても すんだ目で話す 彼は話もあい、とても楽しく 電話交換の までした。
来て よかったとその時初めて思った。
次の日 会社に出社して仕事をしていると 「ほたるさん 電話だよ」と言われたので 、 てっきりバスハイクで隣に座った 男の子だと思い
弾んだ声で「はーい」と返事をし当然あの彼だと思い 受話器を 取る から流れてきた声は 知らない男の声 。
誰 と思いながら しばらく黙っていると 「オレオレ ほら 寮長の 上村」
なぜこの電話番号を知ってるの ?なぜ私に電話をするの ?いろんな はてな、?が 私の頭の上に浮かびながら
「あの 何の御用でしょうか 」
と聞いた 彼は当たり前のように 、
「もう退社時間だろう 家まで送って帰ってあげるよ 今君の会社の前に車を停めているんだ」
びっくりして7階の 会社の窓から下を
見つめてみると、
オレンジ色のベンツが 場違いに会社の前の 歩道脇に止まっている 。
驚いた 私は 、
「いえ❗ 結構です ❗知らない人の車に、私 乗りませんから 第一誰から この電話 番号聞いたのですか?! 』
少し怒り気味に 社内 なので精一杯 抑えて 私は聞いた 。
「昨日 蛍といい感じになった新入社員の男がいただろう?あの彼から聞いたに、 決まっているじゃないか 、俺が彼女を譲れと言ったらあいつ 素直に従ってくれたんだぜ』
「あの 私、物じゃないんですけど、 失礼します❗」
とガツンと電話を切った。
第一印象も最悪 次の日の電話もキモい じわじわと 嫌な予感と嫌悪感が溢れてきた だがその男は全くいい返さず 次の日の朝 家を出たらオレンジ ベンツ 仕事が終わって会社を出たら玄関にオレンジ ベンツ 毎日毎日朝夕 そんな日が続き 彼は人懐っこい声で 今日こそは送っていけるかな などと明るい声で私に声をかけてくる こんな大人の男の人は初めてだった 本当は良い人かも 1週間目 とうとう私は彼の車の助手席に乗り込んだ 足元になぜか 新聞紙が敷き詰めてある その横に ボックスが置いてある あ 靴脱いでね そしてボックスに入れてくれたらいいからね 鹿児島弁を無理に 標準語にしたようなヘンテコなイントネーションで話す男 これはまずいことになったぞ 。直感的に私は感じた どんどん男のペースに乗せられていくのがわかる 18歳の私 。
なんだか 逆らえないような奇妙な 威圧感が 大男にはあった 。好きか嫌いかといえば 大嫌い そんな男 名前は 礼一と言うらしい 。
なんとも 名前と見た目が一致するのが 笑えた。 やっと笑ってくれたねと おどけた調子で 礼一は私の目を見て行った 何かとてつもなく嫌なことが これから起こる 心の中の私が必死で私を止めているのがわかる 今日は少し寄り道をして買い物にでも行こうかと高級婦人服店の前で オレンジベンツを止めた 。
ずいぶん探したあげくの店 なのだろう 。とても 私好みの私によく似合う服がずらりと並んでいた。
客が私たち2人しかいないのを不審に思った私は 礼一に聞いた 。
「俺が、借り切ったんだ。 何でも好きな服 買ってあげるよと微笑んだ 。」
何を着ても似合うのでどんどん ハンガーに並べていき ラック いっぱいになったので 、
どれを選ぼうかと迷っていると
「それ全部買うから包んで」
と店のスタッフに彼は何事もないように言った。
普通 ここまで選んで買ったら 服 20枚以上あった場合 配送にないなるんだが 、
彼は 包んでくれという 抱えきれないほどの 大荷物になるが 必ず 私に手渡す もう私は 常にどんな服を買ったのかも覚えていないほどだった 。
靴屋に行っても同様だった 何色もの スニーカー パンプス ブーツを試しに履くと必ずそれ全部買います と彼は言う 彼の財布はいつもパンパンで体重200万円以上は入っていた そうして必ず現金で店員や私に 見せるようにして開き 支払ったものだ 。
1ヶ月間、彼は指一本 私に触れなかった ただひたすら私へのプレゼントの山が 我が家の ボロ屋にたまり続けた 。
弟はそんな彼が大嫌いで 気味悪がり 「マネキン 昔のあのヤクザの兄ちゃんの方がまだまし だったよ なんか変だぞ あの男 」と言った 。3ヶ月後に彼は私の両親に正式に挨拶に来た 「結婚を前提にお付き合いさせていただいております どうかご了承ください」と 律儀に頭を下げた 。
すでに私はその時 妊娠3ヶ月だった。 どうか 断ってくれと両親を見ていたが 2人は2つ返事で、
「娘をよろしくお願いします」
と言ってしまっていた 。
両親の前では 大島紬のお揃いのセットの着物と 分厚い封筒 茶封筒が置かれていた 。数えてみたわけではないが 、おそらくは1000万以上入っているようだった 。
雨漏りがするような ボロボロの家にも平気で通い 、人懐っこい笑顔と毎回の手土産で両親は 有頂天になっていた 。
ただ 弟だけが怪訝な眼差しを変えることはなかった 「姉貴 やめとけ ‼️本当に君が悪い アイツ
絶対変だぞ ❗」
しかし 激流に流されるように あれよあれよという間に結婚式が正式に決まっていく 。
18歳で バージンだった私はまるでレイプのようなセックスが普通のセックスだと思っていた 知らないということは 誠に 怖い 。
しかも 場所は 壁の薄い あの 独身寮 なのだから ビックリだ❗ 帰りに 管理人のおじさんがそっと私に耳打ちした 「あいつはやめておけ 君の他に8人セフレがいます。あれ程の最低な男見たことない。」
あれほど私との時間を割きながら どこに そんな時間があるのだろう あるはずがない。
だがあ の管理人のおじさんの言葉には嘘を感じなかった 「今私大変なことになっている 」
私の中の私が悲
鳴を上げていた。
みさお に も 、かおりにも親友だからとあって見せたが 2人揃って 「蛍、どうかしちゃったの ?あんな男のどこがいいのよ 今すぐ別れた方がいいよ 私たち あんなやつ 認めない大嫌いだわ」 生理がよく月とまった 私は妊娠していた。
妊娠検査薬の日本の赤い線がはっきりと出ていた 。その検査薬を持つ手が自然に震えている 。
私は大きな蜘蛛の糸に捕まった 蝶 あがけばあがくほど 蜘蛛の糸に捕まる蝶々 、それが今の私の姿だった。
〈うん そうだよね 一人で転生した罪は深いよ 〉ハクの声がはっきりと 私の心に
響いた。
彼を愛していたわけでもない恐れているわけでもない 。
私はただ単に金に転んだだけなのだ 。
だが このお腹の子供だけはどうしても生みたかった。
学生の頃から生理不順でいつか か 産婦人科の女医の先生から「骨盤が異常に狭いので
、
子供は無理かもしれませんね 」
と言われていたからだ 18歳のまだ力も体力もある 。
今なら無事に 赤ちゃんを産めるかもしれない 。
今を逃したら 私は一生 子供を産めない 、そう確信していた。
正直 愛してもいない男と、一生添い遂げられるとは
初めから私は 思っていなかった。
ただ父親のいない私生児を生むのはあまりにも子供が不憫だった。
最初から 一人で育てねばならない 子供だと 覚悟して産んだ子供だった。
そうして私は18歳の花嫁 となった。
結婚式は300人以上もの人々が集まった。
だがその中で私が見知っている人はわずかであった 。
高校の担当の先生が私の白無垢姿を見て 目を潤ませ 。「まる人身御供のようだ 」とつぶやいた。
皆が皆 反対した結婚だった 。
皆が皆 本当の 彼の本性を見抜いていた。
父だけが 、ニコニコして「大丈夫です すぐ帰ってきますから」と 皆に答えていた。
その言葉が皆を 唖然とさせた。
知らなかったのはいや 素人 しなかったのは18歳の私だけだった 。
女に生まれた以上 子供が欲しいと願った。
私が1つだけ 失念していたことがあった 。
後に嫌というほどわかる。
後に 生まれてくる子供は 、本家の血を引いている子供であり、
望んでいるのは男の子であったという事実だ 。
私は 鬼の子を望んで産んだのだ 結婚して、
半年後に 女の子が私の中から出てきた 骨盤が狭い せいか 50時間以上もかかって 、仮死状態で生まれてきた 幼子だった 分娩室でやっと出てきた、
赤ちゃんは泣かなかった 紫色の花びらのような肌には、生気がなかった、 薄れて行く意識の中で 、バタバタと蘇生させている作業をしているのが分かった 。しまいには 先生が両足を掴み ブンブン振り回していた 。
それでも泣かない赤ちゃんを見て 〈あーやっぱりダメだったか この子は〉と思った その時 、
弱々しい声で オギァ、、とその赤子は泣いた 。
一筋の涙が 私のホホを伝った 。
それから私は意識を失った 。
3日後に意識が戻った時 母子ともに命が危なかったということを伝えられた 。
最初の子供なのに 夫は出産にも立ち会わず 病院にも来ず やっと来たのは生まれて10日後の仕事 帰りだった 。大勢の看護婦を笑わせ、なかなか病院に行かず たどり着かない夫。
生死を彷徨った母と子である 。
その赤子には最初から抱きしめ 愛し 守ってくれる父親はいなかったのだ。
だがこれから 悪夢のような5年間が待ち受けているとは、
その時 ホタルはまだ知るよしもなかった。
結婚して半年で鹿児島市 の義父が脳卒中で倒れた 。
長男で一人っ子の礼 一 は、
直ぐに会社に長期 休日を取り?取るものも、とりあえず 鹿児島へと向かった、 結婚前
「うちは 小さな農家だからね 昔こそ 庄屋 だったけど 、ほとんど 他の人に譲ってるから 、あなたたちは農家をすること無いからね」
義母は 何度となくそう告げて 、私に結婚を納得させていたがそれは大嘘だった 。
明日が峠と言う医師の言葉に 、姑はさっさと、葬儀の準備を始めていた 。
「お父さんは、 まだまだ死にませんよ 」
と見えたまま 感じたままのことを 姑に伝えると 、
病院のベッドに横たわる姑の薄い体を包んだ 病院のベッドに横たわる姑の薄い体を包んだ 白い布団が 病院のベッドに横たわる姑の薄い体を包んだ 病院のベッドに横たわる姑の薄い体を包んだ 白い布団がかすかに上下に 、規則正しく動いていたからだ。
年齢56歳という若さから見ても脳内の出血の多さ から 見ても も
外面から見れば
死が近い人間に見えた。
「 そんなはずないわよ ❗いい加減なこと言わないでちょうだい‼️」
私を激しく罵る 義母は 真っ赤な顔をして 私の言葉を否定した。
゛ 何これ 良かれと思って 教えたのに ゛
この人の奥さんだよね このおばさん 。
もう何やら吐き気がしてきた 。
誠一の家は今も 庄屋であり その土地一帯の所有者でもあり 家であった であり 山は ぱっと見 3個の山が 本家の山であり 、田んぼは 5ちょうあるらしかったが まあ 農家に疎い 私は全く ピンと来なかった、
が 広い盆地でもあり 土地がとても超えていて 良質の米が取れる 土地柄であるらしい文系の人々は
「本家の 坊ちゃん 帰って 来てくれたので 、これで一安心だ 」と 義父がまだ死んでもいないのにその後の ことを、あちこちでひそひそと話し合っていた。
岐阜は150cm もない 身長で 、
とても 本家の主とは思えない貧相な顔出しのこうとこであった ゛
嫁に来た義父は白豚のように太り 大柄で身長は170cm はあるだろうか まるで 〈千と千尋の湯婆婆のようだと思った 〉とにかく態度がでかい。
口癖は 「この世の中でお金で解決できぬことなど一つもない」である 。
なんだかんだ 鹿児島にいた5年間で 約100回は聞いたような 気がする。
その太い 指10本 全部に指輪を褒めているような人だった エメラルド、サファイア 、ダイヤモンド、 ルビー 、そのどれも恐ろしく品が無い。近くの 小川で 泥のついた大根を、その指輪をつけたまま ゴシゴシ と洗いながら 私に
「私が死んだら この指輪 全部嫁のあなたにあげるからね」
と よく言われていた ですがそのたびに、
「いえいえ 、私の方が先に逝くような気がするので 結構です」 と答えたものだ。
鹿児島は男尊女卑と の土地とは聞いていたが 来てみて まず 180度変わった。
【これから 鹿児島の人が 話す 鹿児島弁は 思い出すのも嫌なので 普通の言葉で書く】まず、 鹿児島の人が何を言っているのかがわからない 。
だから 相手が笑うと私も笑い 相手が黙ると私も 神妙な表情を作った 。
あの 何でも欲しいものは言わずとも、
買いすぎるほど 買い与えてくれた 彼が 、
そしていつもニコニコ と優しく していた彼が、
正しい 鹿児島の 男に 変貌した。
しかし 何を話しているのかは 全く理解できなかった。
まさか この時点で、
乳飲み子のを抱えた私が病院で2年も、
付き添い 婦を 寝泊まりして介護するとは夢にも思っていなかった。
奴(元夫) と 義母は、
時々しか病院に訪れなかったが
抱えきれないほどの 高級果物を手土産に ナースたちに 必ず持って行き すこぶる 病院側の評判が良い 。
もちろん 多すぎる金額の主治医への袖 の下も抜かりなく 渡しているようだった。
そうなると それまで 邪魔者扱いだった私が、
気味が悪いほど みんな優しく接して話しかけてくる 。
これにはわけもなく腹が立った。
そして 案内された本家の屋敷はでかすぎて 、古すぎて、 広すぎて。 天井が高すぎて 、下品すぎて、その屋敷の周りのすべてに、真っ黒な黒い幕のような ぶよぶよとしたものが 住み込んでいる。
それは生きているように くねくね とうねって動いていた。
≪ こいつら生きている≫
まさに 〔魔物の屋敷〕に私には見えた。
その日から少しでも意に返さない 発言 や行動をすると 奴は手加減なしの蹴りや ビンタが飛んできた。
それも人目に触れないような背中から太ももの部分に伸びた 肋骨が折れたのも 一度や二度では済まない。
驚くよりも 救いようのない絶望感 だった。
あれほど 途中で私の中の私 が やめろと忠告したのに、
私は 自ら 禁足地に足を踏み入れていたのだ。
19歳の 蛍は己が招いた泥沼の中で、
深く うなだれ 佇んでいた。
その腕の中には、まだ 4ヶ月の赤子が火がついたように泣き叫び、
腕の中から 身をよじり続ける
「泣かせるな 」奴の 怒鳴り声が飛ぶ。
後から 分かったのだが 、姑には 20人以上のツバメがいた 姑には3人のお妾さんがいた 。
さすが 男尊女卑の薩摩 ?
想像を絶する現実が 次から次へと 私を襲った 。
奴は お気に入りの10代愛人を5~6人 北九州から連れてきて それぞれに 豪華なマンションに住まわせていた 。
短いスパンで10代の女の子を 誘っては して 入れ替わりが実に 早い。
10代を超えた女性には 1歳 興味がなくなるらしい 。
もちろん 鹿児島でも次から次へと女を作り そして捨てていった 。
なぜ私がそれを知っているかと言うと 、私たちの家の電話番号を それぞれの女の子に教えていたからだ 。
によって自宅にしょっちゅう その女の子たちから電話がかかってきだした 。
「もう1ヶ月も彼から連絡がないのどこにいるか教えて 」
女の子の鳴き声 交じりのいろいろな子から電話がかかってくる。
「今は みきちゃんに夢中だから そっちじゃないかしら 気の毒だけど君はもう飽きられたんだよ」
泣き崩れる 10代の女の子の鳴き声が聞こえてくる 。
泣きたいのはこっちの方だよと心の中でつぶやいていた 。
溢れるほどのプレゼントはいつのまにか 他の10代の女の子に渡り 私は化粧を止められた 。着て良い服を決められた 。
白いブラウスに胸当てのあるピンクのつなぎのミニスカートのみだ 、それに白いハイソックス 呆れるほど私に似合わない服装だった。
《 小学生 か 私は》
その頃から 半年後 彼の DV が 始まる。
【気配を感じると 我が子を抱きしめて 全力で逃げる 。その逃げ方も実践で右付き上手になっていた その逃げ方も 実践で 身につけ上手になっていた、
殴られたり蹴られたりするとやはり 痛い。
無駄な痛みなどまっぴらだった、
また、信じられないことに
【彼は 1日1000円の生活を強いる】ようになってきた。
従って 3000円くれると彼は3日 帰ってこない。
1万くれると10日間 帰ってこないのだ。
1日1日が無意味で砂をかむような生活が続いた。
長い暗いじめじめしたトンネルの中で 出口がないように 思える生活だった。
家に 時々帰ってくるとまず彼は 家計簿のチェックから始まる。
近くのスーパーの 全ての商品の値段を調べているのか 大根1本でも 日々変わる 値段を彼は把握していて、
すぐに私のへそくりは見抜かれてしまった
おい あのタンスの5段目の 髪 の式神の下に16,000 20円あるから 17日は金は渡さないからな ニアッと、 笑いながら彼は私に告げた。
私はいつのまにか彼を殺してしまいたいほど憎んでいたが、
彼を殺すより自分が消えた方がマシかと2回ほど 自殺を試みた だが不思議にいつの時も彼が帰ってくるはずのない日の に現れ 私を抱え 病院に車を走らせた (あー私は死ぬこともできないのか )
彼の父は手のかかる患者で やはり 生き続けていた 。
ベッドに寝たきりなのに突然大声を張り上げ 暴れ出すのだ。
彼が雇った付き添い婦 の人にも、
看護婦の手にも負えず、
それにつき添い婦の手当は1日1万円以上かかっていた。
だが私が病院に見舞いに行き行くと。嘘のように 穏やかになる 手を握ってあげると誠に ニコニコ と機嫌が良い。
さすが 彼の父親 女たらしは血統だな と彼は いい。
あんたが言うと思いながらずっとやっぱり血は争えないわね」
と言った ボケじじいのくせに と彼が言う
次の日 軽トラに布団1組とこたつを積んで
「おい蛍 今日も親父の見舞いに行くぞ」
と言った声には何とも言えぬ悪意を感じた。
個室の山の上の病院ではその土地でもう助からない人間が入院する 姥捨山のような病院だった。
おまけに 隣の塔は結核病棟 だ 実際 毎日のように人が死んでいった。
病室に入ると ベッドの横に 畳が敷かれてあった 個室で入院していたので 彼は 素早くセットした
「今夜から お前が お前が 親父の 看病をするんだ」
5ヶ月の赤ん坊を抱えた私は 耳を疑った 後から しれっと入ってきた義母も
「嫁が見るのは当たり前のことだからね」
と笑いながら言った
「あのその嫁ってあなたのことじゃないですか 」と聞くと
「 あーもうこの人とは 10年以上別居してるから 私には嫁の資格はないわホタルさんこそ 適任だわ」
ねえ 誠一 その会話をぼんやり聞きながら もうこれは殺すとか死ぬとかいう問題ではない 必ず別れなければそう 蛍は心に誓った その日から畳1枚の生活が私と赤ん坊に待ち受けていた。
義父の病状は少しずつではあるが 回復に向かって 行ったのだ 目が開き 少しずつ話ができるようになり 座れるようになってきた 「もう死んだ かしら?」
と 時々 訪れる義母が 悔しげな表情をして
そして私を睨みつける 今のように 紙を持つ などなく布のオムツなので排便をすると赤ん坊と違い ものすごく臭い それを専用の流しのな流しで手で洗い流し 手で洗濯をするのだ 。
手が切れるような 真冬の冷たい水で 、赤ん坊を背負い 朝一番のはじめの仕事がそのオムツ洗いだった 。
夜までに乾かないと 替えのおむつを持たないのだ 。何十億ほどの財産を持ちながら 、
そういうところは 妙にケチる 、義母と 、冷一だった 。
赤ん坊の 安子は夜泣きがひどく 、日中いつも背負わされてるせいか 。こたつ布団に寝かせると途端に水がり病院中に響き渡るほどその鳴き声は大声だった
婦長が飛んできて 「他の患者さんから苦情が来ているから泣き止ませなさいと」
言うと バタンと個室のドアを閉めた 。鹿児島伊佐郡の冬は 凍てつくほど寒い 。
雪の チラつく 外に出て 赤ん坊をあやしながら歩く 私の息は真っ白だ 。
その背中だけが暖かい 手も足も顔も凍りつくほど冷たい 。赤子はスヤスヤ眠り私は声を殺して白い雪の中で 泣いた。
【もっともっと苦しめ 蛍 と白の薄笑いの声が聞こえる 】
主治医が 冷一に 「渡り廊下の先の病棟は、結核病棟 なんですよ ❗あの赤ちゃんが小児結核になったらいや あなたの奥さんに結核が移ったらどうするつもりですか 」と意見をしたことがあった 。
よほど見かねたのだろう。
「大丈夫ですよ 代わりはいくらでもいますから」
と ニコニコ 答える彼に 彼は 医師は 退き 睨みつけて 言い放った
「ではどうなっても知りませんよ 。結核は 空気感染しますからね 。当病院では 一切責任は 追いかねます それを承知であれば この誓約書にサインをしてください ❗」
彼は 「はい、はい 」とスラスラとその誓約書にサインをして立ち去った 。
医師は振り返って 私に言った
「僕がどうこう言う立場じゃないがあんな非道な男とは別れた方がいいと思うよ」
そういう医者の拳は怒りで震えていた 私は はっきりと答えた 。
「お父さんはもうしばらくしたら退院できるほどに回復します そしたら私の役目は終わるので 必ず彼と別れるつもりです 」
暖かいお言葉ありがとうございますと、こうべを打たれた まだ若いインターン の医者は いきなり 私の肩を掴み 「負けるなよ‼️」と叫んだ 。
遠い昔 同じような目で同じような言葉をくれた人がいたような 気がする、
あまりの厳しい現実生活の中で
思い出せずにいた。
そうだ
あの男前のヤクザの お兄ちゃんだ 。
半年後 義父は退院できるまで 体力が回復した 。杖で歩けるようにもなった 。話せるようにもなり 、病院の医者も看護婦も皆これは奇跡だ 。こんな事例は見たこともない。
「全部ここにいる 蛍さんの命がけの献身的な看護につきますよ❗また ご主人 で この患者の妻で夫である あなた ❗これは人のやることじゃない 。
僕は人を人とも思わないあなた方に比べ、一言の愚痴もこぼさず患者の手をさすり 、背中を揉み 、声をかけ続け 、父さん 必ずまた元気になるから 今は一緒に頑張ろうと 励まし続けていた蛍さんを見ています。 この患者さんを死の縁から救ったのは 蛍さんなのです 。
なのに、あんたたちは何をした ❗こんな 乳飲み子の20歳のお嫁さんに お父さんを任して、ろくろく 見舞いさえも来ない‼️
これは人間のやることじゃない ❗
こんな汚い金、一銭たりとも 僕はいらない 返すよ」と 、
ポケットから 分厚い茶封筒に入った金を2人に投げつけた。
春の桜の花びらのように1万円札が青い空にひらひらとまった 。
2ヶ月前 だ。やっと すやすや寝かし込んだ我が子を
背負い 渡り廊下から 病院の中に入れる扉を開け 、
暗く長い廊下を自分の個室に帰るために歩いていたら
「泣かせるな!」と言って 怒られた 婦長が「 ギャー‼️」と言って、
文字通り 腰を抜かし 廊下にへたり込み
「ギャー来ないで ❗来ないで ❗私が悪かったわ ‼️あの時は本当にごめんなさい ❗来ないで ‼️」と、
何やら、わめき散らしている 。遮二無二に懐中電灯を振り回しながら。あなた 何したの と感じた
ガタガタと震えて 私に拝んでいる
「ごめんなさい。ごめんなさい」 と泣きながら 。
あらこれ 私のこと 幽霊と間違えてるの? そう思いながら、
「 あの~婦長さん 。上村です。子供をあやし
に外に出てました 。髪もボロボロでこんなひどい姿に、幽霊と間違えられましたか ?ほら足もあります」
と細い足首を不調に見せた 。
単なる勘違いだと気づくと
婦長は、さっと立ち上がり みなりを整えると気を取り直して
「もうこんな夜中に、びっくりするじゃないの 」と言われた 。
赤ん坊の泣き声がうるさいから 、
外で あやしてこいと言い放った 同じ女の口から だ 。
あーこれだから人間は嫌いだと思いながら私は病室に戻った
その婦長も、
涙ぐみながら私の両手を強く握りしめ 「お疲れ様でした本当によく頑張られましたよね えらいわよ」
とまるで新人看護婦を褒めるかのように、
何度も何度も 両手を 見切り 締めた。
いろんな人間がいるんだなと感じ 、
冷一と、
義母を振り返ると、 また婦長と主治医にお金を渡していたが 新人のインターンには 一切渡さなかった。
よほど
お金を放り投げられたのが 頭にきたのだろう。
その時に一枚 残らず 一心不乱に 乱れ飛んだ お札を、2人で這いつくばって 拾っていたこの2人が一番醜いと 私は見下ろした。
「もったいない。 もったいない。」
とつぶやきながらお札を拾っている 2人に 、そんな言葉は聞こえていなかったのだろう、
いや聞こえていない ふり
をしていたのかもしれない。
お金だけが 命の 2人だったのかもしれない。
だが 幼き頃より 極貧 だった私が その汚いお金に転んだのだ。
退院後 本家に 帰ってきた 義父もまた同じだった。
だが本当に嬉しそうだった しかし 大きな問題があった。
脳卒中で倒れ 、見た目は 杖をつけば 歩き 回れる、どもりはするが聞き取れるほどの言葉を話せ、 人との会話もできる 。
だが3人のお妾さんからはすでに見捨てられていた。
家には ほとんどの日々 私と義父だけの 日が続いた。
礼一は 相変わらず、 いろいろな若い10代の女性のところに入り浸っており、
20歳になった私にはまず 興味を示さなくなったので、 私としては大変ありがたかった。。
お風呂に入っていれば一緒に入ろうと裸で入ってこようとする ベッドで寝ていれば その布団に潜り込もうとする。
義父は自制心と いう能力を失い、煩悩のままに 行動をしだした。
「冷一のものはわしのものだ 」本気の顔の 義父 の言葉だった。
さすがに 冷一に相談しても
「だからあのまま死なせてあげたら良かったんだ 助けたのは 蛍だろ。 自分で何とかしろよ 俺に頼るな」
と にやにや笑う その姿に、 もう絶対に別れようと何千回目の誓いを 己に立てた。
【心配しなくてもそのうち 絶対お前を捨ててやるから待っておけ】と私は 礼一にそう言い放った。
あれから 気が遠くなるほどの 、
時が過ぎ 様々な男性に出会ったが冷一ほどの、
頭の回転が早く そして悪賢く 悪魔の化身のような男性にはあったことがない。
ここで一言、言っておくが 、
鹿児島の人が全員悪魔のような人とは、
私は 思っていない いい人もたくさんいた。
ただ私がいた 鹿児島での環境がそうだっただけの話である。 鹿児島全体を侮辱するつもりは 私は一切ない。
さて話は戻るが、
身の危険を 本気で感じた私は 、
弟の遺品の中から日本のジャックナイフを取り出した 小さい方は日中いつもポケットに入れ、 大きな 切れ味が恐ろしく 良い ジャックナイフはいつも 枕の下に忍ばせていた 。
ある夜中私に覆いかぶさり 獣の目をして私に襲いかかってきた 義父に本気でジャックナイフを義父の喉元に突き付け これ以上変なことをしたら 、私の手でお前をあの世に送ってやるよ」
と はっきり私は言った。
そんなことされたら
我が家の恥だ幼い 安子は誰が育てるんだ ほんのちょっと我慢すれば良いだけのことだ 。
私は呆れ果てて 物が言えなかった が気を取り直し 義父にはっきり言った。
「いや、いらん世話だよ 。お前の家の恥などしたことか 。てめえが死んだ後の心配なんかする必要ないよ。 自分の始末は自分で着ける❗とにかく死にたくなければ 、それ以上私に近づくんじゃない 」
不思議なほど、そう 私は静かに行った。
それからの 義父は 驚くほど私に対して丁寧になった 。おそらく 気の小さい男なのだろう。
だがその代わり 分家の女たちをいつも追いかけ回していると 文句。
「私に文句を言われる筋合ありません。私のせいではありません 。
貴方たち一族の血筋ではないのですか ?文句を言うなら 本人に言ってください。 もしくは息子の 冷一に申し立ててください 。そうそう、 皆さんもこれを持って歩いたら」
と 光る ジャックナイフを片手 で開いて見せた 。
【狛の含み笑い が聞こえた】
この土地に 他の土地から嫁に来た人で3ヶ月ともつ 嫁はいなかった。
洗濯物は男物 はお日様が光る 表での 物干し竿で干し
女物 の洗濯物はじめっと 薄暗い家の裏で干さねばならず 、
食事も主人は大きな お膳で食べ
嫁は台所で食事の9時をした後に、その残り物を立って食べる。
またどの家にも 台所に降りる 横にタンスなどを置いた 四畳半 ほどの納戸と言われる 狭い部屋がある。
新しく来た嫁は、
毎朝4時半頃には起きて その何度に キチキチに引いた 、
その家で一番古い布団で寝させられる。
その上 、
薩摩の男は、ほとんどが 大酒飲みで一同に集まれば クルワザ となり 、
横に一升瓶を置き ポット をおき、
つまみに絶えず気を使い 切らしてはならない 、
つまり 嫁は一晩中眠れず 、そのことに集中せねばならないのである。
夫に口答えなどとはもってのほか 、「はい 」という返事のみ 。
大根や、 たけのこ などが朝起きれば 庭に山と積まれている。
分家の人が置いて行っているのだ。 それを 庭の窯で茹でたりして1年間持つ保存食を作るのだ。
隣の 納屋の大きな 樽に保管してある。
近くにスーパーや 百貨店 はない 。
よって自給自足の生活を強いられることになるのだ。
こんな生活に、大阪や 広島 などから 他の地方の方から嫁に来た女性が耐えられるはずもなく、ある日突然姿を消して 二度と 嫁が戻らぬ家が多くあった 。
しかし私は 不思議にその土俵に難なく合わせていた。 いろいろな土地を 点々と暮らしてきた 自分の過去が 優位に働いていたのかもしれない。
女性の自由や仕事が認め られ 、東京などの都会では アッシー君だのメッシー君だの、貢君だ の、流行り言葉が言われていた時代のバブルの話だ。
その 逃げ出した嫁たちは、そんな バブル期の中で育った女性たちであり 、
いきなり100年前の時代のようなこの土地で暮らせるはず などなかったのだ 。
しかしながら 、
鹿児島の田舎では めんめんとその悪しき伝統がまかり通っていた。
今になって思うが 私が18歳だったから、5年間もあんな生活に耐えられたのだろう。
これが25歳とか 世間を知っている女性なら おそらく 皆と同じ行動をとっていたと思う 。
今は過疎化が進み 見る影もないらしいが、
あの5年間の苦行のおかげで、
それから 襲う 数々の試練に私は 耐えられ 乗り越えられたのだとつくづく思う。
どんなに辛く苦しく悔しいことがあっても、死のうとは思わない。
【あの5年間に比べたら、なんてことないわ】 そう~いつも思えたからだ。
ある意味 〔良い勉強〕をさせてもらったのだと今では思う 。
その当時は死にたくなるほど辛い経験だったのだが、
それが私の人生の【大きな杖】になっていた。
ここで話はそれるが、これは【私の事実の自叙伝】ではあるが、人は〔他人の不幸は蜜の味〕と思うらしいが。
ここまで残念な不幸だとどうやら 皆さんドン引きらしい。
まあ 人気のないこと 人気のないこと 。
まあ 事実なので、面白かろうと 、面白くなかろうと もうここまで来たら書くしかない。
私としては自分の人生を一度 【小説】 にまとめておきたいと思って、
始めた 作業なのだが、今、ものすごく やめたいが 、
途中でやめるわけもいかず、
今 こんなんな作業を続けている次第だ。
読む 読まないは皆さんの自由だ。
【できれば 読んで欲しくない。】 これが、正直な気持ちだ。
第15章 蛍の決意
鹿児島に帰ってからの 礼1は全く働いていない 。
それどころか テニス三昧でテニスの 先生になってるみたいだ 。
生業の 農業が嫌いで 、冷一の 強い希望で 鹿児島を自ら捨てていた 。
なりゆき状、
実父が病に倒れたので、
渋々 鹿児島の地に戻ってきたというのが 本当のところだ 。
その礼 一も 26歳になっていた。
蛍は3歳年下だった。
思えば、花嫁の私が18歳。 花婿の礼一が22歳の結婚だったのだ。
冷一は 幼き頃より神童 と呼ばれるほど、 秀でていたという。
あの 広すぎる黒い屋敷の中で一人で育ったのだ。
義父は妾の家に入り浸り、
義母は、次から次へと男を金に物を言わせて 遊び回り、
幼き頃から実質的に冷一は うみっぱなしで放置されたも同然だった。
と分家の人は言う。
分家でも珍しく とても人のいい 近くの分家の 、力蔵 おじちゃんのところで 聞くところによると 、まだ2~3歳の冷一が泥のついた大根を空腹に耐えかねて、
暗い土間でガリガリと貪るように食べているのを見たという 。
何とも哀れだったという。
本家の農業を切り盛りしていたのは、
わずかな手間賃で力蔵 おじさんが任されていた 。
礼一はいくら食事に来いと言ってガンとしてこない子だったという。
仕方がないので釜飯の炊き方を教え、 野菜の煮方を教え、 大根の漬物の作り方を教え、
最低限の食事を自分で作れるよう 教えたのは、 力蔵 おじさん 夫婦だったという。
「あの子 はあっという間に覚えるんだ 一度教えたら二度と同じことを聞くことをしない子だった でも何度も何度も失敗しては チャレンジしていたよ 生煮え の飯に醤油をかけて 卵で卵ご飯が一番のごちそうだったようだ。
だが、私はその話に一向に同情はしなかった。
何しろ 私の方が 1枚も2枚も上手の 悲惨な育ち方をしていたからだ。
陸上 おじちゃんの話は続く 「ある日のこと 、その 冷一が近くの小川から毎日水を汲み 入れて 風呂釜に水を貯めていたのだが、3歳のくせに 納屋から長いホースを見つけ出し 小川の 小枝にホースを外れないように縛り付け、 風呂釜まで通し 出口のホースを力いっぱい 吸い込んで 小川の水を風呂釜にたっぷりと 貯めていたのを見つけた時は驚いたよ 」と言っていた。
分家の力蔵 おじさんの家はとっくの昔に水道を引いていたが、
ケチな 本家は近くに 豊かな 飲める 川の水があるのだから、
水道 なんていらない 引いていなかった子供ができても わずかな養育費を 、
わしら 夫婦によこしていたな。
帰ってこないんだから 、
ほとんど水道など必要なかったんだろう。
1人 本家に置き去りにされた 。
冷一は傍から見ていても本当にかわいそうだったよ 。
親譲りの超頑固者ではあったがな 。
一度として わしら家族と一緒に食卓を囲むことはなかったよ。
いくら 誘っても決してこなかった もんじゃ。
今思えば、 わいわいと暖かい夕食を食べてるわ しらと、
1人歩いて誰もいない 本家に帰って、
一人ぼっちで孤独の中で一人で布団を敷き寝るのはあんな幼子にはさぞおかしい 辛かっただろうと思う。
小学校に上がれば 人一倍 勉強して 村一番の成績を取り、 運動をさせれば一番になるまで皆を帰らせなかった。
質の良い着物や 洋服は派手好きな母親が見栄っ張り だったから、買い揃えていたので村の誰よりも、上等の服と、ピカピカの革靴を履いて学校に通っていたが 、
洗濯を母親がしてあげる 姿などとんと見なかった。
全部 冷一が一人で整えていたんだよ 。
誰もが知っていたが誰一人 、本 家に意見など できない人たちだった。
2人とも 恐ろしく 傲慢な人間だったからね。
そう聞くと あの異常なほど 歪んだ性格は子供の頃の環境から生まれたのだろうとは 予想がついた 。
あの黒い屋敷を取り巻く蠢く 黒い膜は風の音に紛れて《子供の鳴き声みたいな音》が聞こえる ああ~あれはきっと 礼一の幼い頃の泣き声だ。
あれほど硬く ねじれ ゆがんだ心は、誰にもほどけないだろう と 蛍は感じた。
もちろん 蛍 自身も ほどいてやる気はさらさらなかった。
思えば 礼一はホタルを一目見た時から、自分と同じ匂いがすると強く引かれていたのだろう
それもこれも今となっては 、
いや あの頃でも2人の間の大きな溝は埋まるはず などなかったのである 。だが少なくとも 出会うべくして出会った2人ではあった。
十分大学に行ける学力がありながら 財力もありながら、
中学より ラグビーに打ち込み中高と インターハイで優勝し大企業のゼネコンからスカウトを受け即それを了承し 入社したという ラグビー部のある釜石支社に入った時には放置しまくっていた 冷一の両親は、 当然、、 国立大学に進学させるつもりだったので 目を丸くして いたという。
その時から彼は違う意味で両親とすでに縁を切っていたのだ。
しかし現実は厳しい。 日本中のラグビーで 入ってきた強い選手たちの中で、 礼一はレギュラーには
なれなかった。
捨て鉢になり 本社の北九州に移動してきた直後に 私と出会ったという。
全く 迷惑な話である。
さて 過酷な 鹿児島の時代の経験に戻る。
深い傷となり 蛍の心に刻まれたが
よく夢を見ていた 。目が覚めて 周りを見ますと まだ 鹿児島である。 まだ私は北九州に戻ってないのかと、
がっかりと肩を落とす 朝が続いていた。
礼一は市内のテニス クラブに明け暮れ 大会のテニス教室の 女の子に手を出しまくっていた ので、
テニス教室から追放されてしまった 。
そこから礼 一は1人で何とか暮らせるようになった父を 本家に残し 、
鹿児島市内に 蛍と出て行っただが何一つ 満足に 身の回りのことをできない 義父は 、すぐに 鹿児島市内の狭い 誰かの家の2階の間借りをしていたところに 3人で暮らし始めた 。
一番困ったのは 近くのスーパーやお店の若い女性に セクハラをすることだった そのたびに 私は謝りに行き 、
義父を連れて帰ってこなくてはならないのだ、当然 、冷一は家にいない。
家業の農業は 、力蔵一家に任せていたが、私の家計簿を厳しく チェックするのと同様に 、
す力蔵一家に 手間賃として 管理費を渡しても抜け目なくそれを厳しく チェックしていた 。礼一は上より金を取る人間だった。
世間の人間は大まかに この2通りに分かれる。
どこまで行っても 交わることのない
情を取る人間と、
金を取る人間の
2通りだ。
さて 我が子 も3歳となり 可愛い盛りの愛らしく美しい幼子に育っていた。
鹿児島の片田舎とは 全く違い 鹿児島市内は 先進的で皆の考え方も 本州の人間のそれと ほとんど変わらなかった。
人々は活気に溢れ、
桜島は時々 癇癪を起こすように 爆発する。
すると 皆 窓を開け 風向きを見極める。
海への風邪なら 黒の粉塵は飛んでこないが、陸地への風向きだと 、
皆 外に 干していた洗濯物を家の中に入れ込み
冊子を閉め 鍵を閉める。
おかげで 鹿児島の車は大概 ボコボコと 穴が開き 耐久年数は非常に短い。
そして 、いくら 鍵を閉めても 冊子を閉めても 、それでも細かい粉塵は家の中に入り込み いつも畳もどこもかしこも 黒い粉塵だらけで、鼻をかむと黒い粉塵 混じりの鼻水が出る 、耳かきをすると黒い塊がボロッと出てくる。
こんな 劣悪な環境なのに鹿児島の人たちは至って平気である。
鹿児島の人たちにとっては 桜島は鹿児島の誇りなのだ。
人々は活気に溢れ ている 桜島は 時々 爆発を起こすので 、
黒い車が鹿児島は少ない 白が多い。
そして、 鹿児島市内の女の人は不思議に美人がものすごく多い 、
彫りが深い 西洋系の顔の人の人が多いような気がする。
そして、蛍にも友達ができた 。
近くの大島紬の工場の機織りさんで 明美さんという3人の子供を抱えた 母子家庭の女性だった。
元々 、奄美大島の女性らしく明るく朗らかで裏表のない たくましい女性だった 。
大島紬の機織りの腕が 大変いいらしく 工場に出勤せず 寮である 8畳2間の部屋を 無料で住め、朝から晩まで その寮からは
機織りの規則正しいリズミカルな音が聞こえてくる 。
周りの人は うるさいというが 蛍には誠に心地よい音に感じ
て 、
その音の中にいると落ち着くのだ。
それは源氏蛍たちが 競い合って 飛び回る時の羽音の音にそっくりだったのだ 。
初めてのアルバイトは、
その 3人のお子さんの3歳から6歳までの子守りを ひょんなことから引き受けたことだった 。
それは我が子も入るので合計4人の子守である。 公園で遊ばしたり、
隣の部屋で絵本を読み聞かせ すると 誠におとなしくなり
新作の大切な着物を汚されなくて、
涼子さんに大変喜ばれたや 〔機織り アタック〕などをして、
母にせがうことがなくなり 助かるようだ。 そうそう 面白いことは一度あった。
鹿児島の実家でも2度ほど 、冷の愛人が 自殺未遂を起こしたのだが 鹿児島市内でも一度あった 。
まあ 人の家の2階に間借りしているので 、下の大家は大変迷惑がり 。
私は急いで救急車にその娘と一緒に乗り込んだ。
手首をまあかなり深く切っていたが助かりそうだなと思って、その子に話しかけたと
「結婚したいのなら、いつでも結婚していいよ。私は別れる積もりだからと。ただあなたが人生をかけるほどの奴ではないよ。とりあえず元気になろうね 」
と言いながら病院まで付き添った 。
治るまでに3ヶ月ほどかかったが 、不思議とその娘とは気が合い、
友達になってしまった 。半年もするとかなり良心的な かっこいい彼氏ができた。
その時期 礼 は1週間に1度くらいのペースで帰ってくるので 、
まあまあ 家に訪ねてきても会うことはない 。
で2人してよく家に遊びに来ていたので、
帰ってくる日じゃない日に突如帰ってきた冷は元カノと 、その彼氏の姿を見て 仰天して一言も口をきかない 。
そうすると元カノは「初めまして。奥様にお世話になってます」
と ニコニコ と笑いかける 。
彼氏も
「ご主人様ですか?奥様にお世話になってます 。もうすぐ僕たち結婚するんですよ 」
と嬉しそうに話す。
黙って聞いていたら、冷は そのまま無言で バタンと家を出て行った。
その後 その娘と2人で大笑いをしたものだ 。
彼氏だけが きょとんとした顔をしているのがなおさら 面白かった。
時にテニスの 遠征 と称して 1ヶ月以上 家に帰ってこない時もある。
お気に入りの女の子でも見つけたのだろうと思ったものだが、
その間 自由にアルバイトができるので 非常に都合が良かった 。
次に見つかったアルバイトは、
いつも公園で4人を
遊ばせている時に見守っていた ベンチの横で その4人の大はしゃぎの姿を 、
楽しめにスケッチしている老人との出会いである。
ちらっと覗くと、 びっくりするほど 、4人の子供たちの姿は躍動感にあふれ 実に上手であったいや 上手すぎた。
「 お上手ですね。 絵が ご趣味なんですか 」と聞くとその老人は鹿児島 美術大学の有名な教授 であった。
どこかで見かけた顔だと思ったら 県が小学校の頃
全国 絵画 コンクールで弟が「」優勝した時に 東京まで2人で出かけ、 壇上で にこやかに弟に表彰式で症状と賞金を渡してくれた男の人だった 。
もう20年以上も経っているので 、
ツヤツヤした黒髪も、すっかり 銀色に光る白橋になっていたので思い出せなかったのだ 。
その時のことを語りかけると老人はよく覚えていた。
「まだ彼は絵を書いているのかい」 と聞かれたので、
もう1つの弟の才能である剣道で特待生 として国士舘大学 に通ってますと伝えると
「惜しいね あれほどの才能が海に沈んだのか」と悲しげつぶやいた。
しげしげと私を見つめ
「君 大学で絵のモデルをしてみないかと誘われた 1時間で2万円出すという最高 1日3時間勤めてくれればありがたいんだが なかなか 務まる女の子がいなくて困ってたんだよ」
と 身を乗り出してきた。
絵のモデルと聞くと ヌードを連想した私は いいえ 結構です お金のために裸になるつもりなど全くありませんからと 彼を見据え 返して返事をしたははは」と 笑った老人は「
いや違うよ 違う 今季はね学生たちに世界中の有名な民族衣装を書かせているんだよ 。
今はギリシャ ローマの女性の衣装をやってもらっているそれがもうすぐ終了するので次は ネイティブアメリカンの女性の予定だ 。
君 クォーターだろう だが不思議にどの国にも属していない顔とスタイルだ君なら世界中の民族衣装を着こなせるよ お願いだ 。一度やってみないかね 頼むよ」
と手を合わされて お願いされた。
いい加減 、どこかの漫画の女の子の主人公のような、ピンクの胸当てのついたミニスカートに飽き飽きしまくっていた 私は2つ返事でそのアルバイトを引き受けた。
老人は不思議そうに「 ところで、君はいつもその格好だね 。
どこかの保育園の制服なのかい申し訳ないがいつも似合ってないな 、と 気の毒に思っていたんだよ」
「いえいえ、これ 主人の趣味なんです 。これしか 私服 持ってないんです」
私がそう答える、と老人は顔をしかめ 「こんな場合 、言葉を選ぶべきなんだろう けれども 君のご主人は 変態なんじゃないかい ?できれば別れることをおすすめするよ 」と言った。
私は沈んだ声で
「はい、何人からも同じことを言われてます。ですがお金を主人が管理しているので 帰郷する資金がないのです 。ですから 今も3人の子守りで アルバイトをしている最中なんです。
これでもバイト中 なんですよ 。」と にっこりと笑うと
「君 独身とばかり思っていた だってまだ若いだろ とても4人の子持ちには思えなかったな 。」 「あの中の一人の女の子が私の娘で私は今21歳です 」
と答えると、
腑に落ちないような顔をして、何度も子供達と私を見比べていた。。
「君は不思議な娘さんだな」
と しげしげと また私を見つめていた。
次の日から3時間の絵のモデルのバイトを始めた。
これがまたなかなか大変な仕事だった一度 ポーズを決めると、
手も足も動かせず目も動かせない。
どこかが動くと 、どこからか 学生が目の位置が違うよ! と 苦情が出る30分に5分 休みがあるのだが (これは誰でも音を上げるわ )と思った。
何しろ 真ん中の丸いステージに立ちっぱなしで、周りに70人近くの美術 学生たちが真剣に絵を書いているのだ。
1ミリもだから動かせない 30分で目が真っ赤になった。
だがこの高額バイト 鹿児島を出るまで私は続けた。 週3回のこのアルバイトが一番稼げた。
無口で要点しか言わない その 老人 美術 教授は、余計なプライベートなことも聞かないのに、全てお見通しのような目で見て、とても、とても優しかった、 暖かい人物だった。
(お父さんが こんな人だったら良かったな。)
などと思ったものだ 3時間のアルバイトが終わると、全身が固まったように こわばるが1時間もすると、元の体に戻っていた。
誠に若いというのは素晴らしい。
今の68歳の私がやると、
1回で、1ヶ月は寝込むだろうその自信がある。フム。
次のバイトは公園の裏手に鹿児島 テレビ局があった。
時々 我が子を連れて テレビ局の見学をしていたら、 アシスタントや、ディレクター、プロデューサーやなどと 顔見知りなり
どこかのプロダクションのタレントと間違えられたのか 「君!子連れで仕事に入ってもらったら困るよ!」としかられ
「いいえ私 、近所のもので時々散歩がてら テレビ局内を見学させて頂いてましたが ご迷惑ならやめますけど」と喧嘩腰で答えると「すまんすまん 。どうやら僕が間違えていたようだ 。邪魔にならない程度ならいつでも OK さ」
といきった声で 彼は答えた。
その日から あまりテレビ局に遊びに行くのはやめた ある日 公園に 私を見つけると走って話しかけてきた。
その息は、キレキレ、 ぜーぜー テレビ局中をどうやら 探し回ってあげく、
あの女の子 時々 公園で見かけますよ。
と警備員の助言で公園に走り込んできたようだ。
「 君探し回ったんだよ 頼みがあるんだ!」
聞くと 土曜日の朝の、1年間 素人の奥さんを朝8時からの時間の モーニングショーのアシスタントにするという企画が立ち上がり、
何回もオーディションの末に決定した 主婦 アシスタントの奥さんが、
親の反対で土壇場でキャンセルしてきたらしい 。
夫は認めていたのだが、 妻の実家の父親が知り 烈火のごとく怒り、
「娘は人様の見世物にするために 、お前の嫁になることを許したのでは断じてない!」
と取り付く島もないらしい。
そうして思いついたのが、
どこかのタレントと間違えた素人の私のことだという「 あの女性が 探せ!」
と大騒ぎ だったらしい 。
きょとんと ベンチに座っていた 私は早口で事のあらましを 語る時 。ツバキが飛ぶのが嫌で右に左に椿を避けながら聞いた。
さすが 芸能界 。
東京でも鹿児島でもギャラが安い 1時間5000円にはさすがに驚いた。
おまけに その前に その前に 2~3時間前の打ち合わせがあるらしい。
私は たかが1時間のモーニングショーのアシスタントでギャラが5000円っていうことを、
「どうせ1年間の、素人若妻のたどたどしく 、初々しい 絵が欲しいんでしょ ?
アドリブで対応するならオッケーしますけど 5000円?はあ~1万円になりません?」
さらに2~3時間前の打ち合わせも断った。
そのプロデューサーはそれを聞くと 桜島が今にも爆発するように顔が真っ赤になり
「ふざけるな テレビを舐めるな !」
と叫んだがどうやら かなり 切羽詰まっているらしく
「なら一応流れの台本だけ カンペで流して形になるかどうか やってみませんか 今から」と提案した。
私の提案した 試みは思いのほか 楽しい雰囲気を醸し出し 、
アドリブでのボケの 私。ツッコミ のアナウンサーとのコンビが面白く、
「これなら行ける 」
いつのまにか スタジオに来てた局長の鶴の一声で、私は 第3のアルバイトが決まった。
だが 5000円しか出さぬ(まあ 後で1万円になったが )衣装は自腹という。
ピンクの胸当ては ミニワンピースの 着た切り雀の私には無理な相談だ。 それで 断ろうとすると、他のアナウンサー女子や 衣装部の人たちが衣装を揃えてくれた 。
「全部こちらで揃えますから間に合わせましょうよ。 もう今更 オーディション から始められませんから」
この私の思いつきは思いのほか 受けたらしく、
一度など衣装部門で借りた 十二単を着て出たら、バカ受けして半年は ネタに使えたほどだ。
衣装を貸し渋っていた女子アナも「この服ですか? 見覚えがありますか? そうそう 3日前 、蛍さんに私が貸した 私服で~すと、大いに受けた」
1年間のバイトはあっという間に過ぎ去った 蛍は22歳になっていた。
いつのまにか 鹿児島では 、
結構 顔をさす タレント 扱いをされることが多くなった。
しかし まずいことに、 テニス インストラクターの 子が 冷に
「僕 奥さんのファンです 」
と言ったらしい 。
テレビなど家にないし テレビなど、全く見ない冷には、
ばれないとタカをくぐっていたら、 ひょんなところところからバイトがばれた 。
冷が気づいた。
家計簿 もごまかさず、
きちんと記入しているのに 、なぜだか 蛍の態度に余裕が見える。
例の勘のよさを知っていたので、バイト代は家に おかず 、
良子さんの家で預かってもらっていた 。
ある日、冷が、帰ってくるはずのない日、
令は帰ってきていた。モデルのバイトが終わり 家に入ったら 、
一瞬 泥棒が入ったのかと思うほど 、家の中のタンスや 棚 押し入れが全部開けられ、果ては、 畳まで ひっくり返されていた。
「蛍、俺に隠し事があるだろう」
と、 ドスの効いた声で冷は私に言った。
最初ははぐらかしていたが、
テレビ出演がバレたと聞き 私は 開き直った。
「前にも言ったと思うけど〔いつかお前を捨ててやる〕って 私言ったよね。その通りにしてるだけだよその準備をしているだけだよ 。前にあなたのお母さんから言われたようにあなたのお金は1円も使っていない よ。裸で嫁に来たのだから裸で帰れと言われた わ!
ただ私が産んだ子供だけは連れて帰るわ 。もうあなた、外に2~3人は子供がいるでしょ?私のも娘など、もういらないわよね」
「お前がその気なら 、養育費も慰謝料 も、 もちろん財産も一銭もやらん! そのつもりの 離婚なら 別れてあげてもいいけどな! いいか、お前は 本妻なんだ 本妻はこの家でデンと、構えてくれていればいいんだ 。
愛人 などいくらでも 変えがきくが、本妻の蛍だけは 変えが効かないんだ ! 俺は別れるつもりはない!」
「あなたの汚れた金など1円もいらないわ 。私はただ自由が欲しいだけなのよ 。もうこんな 奇妙な結婚生活 私は耐えられないの」
と正直に答えた。
「蛍まで俺を一人にしないでくれ」
今にも泣き出しそうな 冷の顔 。
最後の声は震えていた。 絞り出すように 彼は呻くように言った。
私の凍え 切った心に、
その悲鳴のような冷の言葉は 入っても来なかった。
珍しくお金も渡さず 2週間ほど、冷は帰ってこなかった。
2週間ぶりに 帰ってきた 例は 冷ややかな視線で
「なんだその目つきは !」
と言われ 黙っていると いきなり こぶしが飛んできた 。
一瞬気が緩んでいた私は まとももまともに、右頬 右目にこぶしが入った 。
クラッとした 目の前が真っ白になった 。
その後の記憶がない 私は気を失っていたのだ。
翌日 気がついたが腫れ上がった右ほほは 、青黒くむくみ上がり、
右目に至っては 、半月 、何も見えなかった。
その時からだろうと思う 本気で 礼を殺そうと思い始めたのは それで全てが解決するような気さえ覚える 蛍 であった。常軌越えをしてしまった私がそこにいた 。蛍の周りは赤黒い炎がまとわりつき 、己 さえ 焼きつくさんばかりに燃え上がっていた。
その日から 令は、家にいるようになった。
猫鍋 声でお粥を作り料理をし 、
家事全般を一手に引き受けていた。
久しぶりに長期間いる父親に 、我が子は喜び 父親の膝の上でキャッキャ と甘えていた。
腫れ上がった 右側の顔に包帯を巻いた 私は一言も口をきかず 、
出された食事にも全く 箸をつけなかった。
半月で蛍の体重は31キロまで落ちた。
もう何もかもが嫌だった。
ある時 我が子が 、私を見て 大人びた声で 聞いた。
「 ママはパパを殺すつもりなの 」
「そしたら 私は殺人犯の娘になるの。」
ある意味、 娘の〔 その一言〕で 私は我に帰ったように思う。
あの一言がなければ 私はあの時、何をしていたかわからない
1時は医者から失明するとまで言われていた右目は 奇跡的に徐々に視力を取り戻してきた。 例の母も頻繁に家に来た
「女1人で今の時代子供を抱えて生きていくのは大変よ、私だって我慢しているんだから、 蛍 さんは冷に、こんなに大切にされているんだもの ありがたく思わなくちゃね 、以前 、裸で来たから 裸で帰れと言ったのは冗談だから気にしないでね。」
2人に何を言われようが 完全に心を閉ざした小樽はまるでそこに2人がいないかのように無視して一言も言葉を発さなかった あの宮崎の時のようにただ義母の私だって我慢しているんだからという言葉だけは、
《どの口が言ってるんだ》
と本気で憤ったが もう何も言ってあげる気もしなかっ た。
その義理も情も彼女になかった。
蛍の凍るような自然と を視線を浴びると結婚前のように 欲しいものを与えようとする 例しかし もう この男から紙くず 一つもいらない 私は無表情に首を横に振る ばかりだった ただ 早くこの顔が元に戻らなければ早く!早く!早く!出ないと。
私はこの暗く ヌメヌメしたトンネルから一生 逃げ出せない 。
アルバイトができる からだに 1日も早く 戻らなければ!
私は何をするかわからない。
自分で自分は止められない思いは怖い 。
それが愛であろうと。
激しい憎しみであろうとも。
この5年間の間 、
私に バック 1つも、
娘におもちゃ 一つも、
買い与えなかった冷が人が変わったように色々と買い込んでくる。
冷たい視線でそれを見る私。
そうされるたびに 蛍の憎しみは大きく燃え上がる。
今 は稲刈りのために 本家に戻っていた。
時は 農家の稲刈りの季節を迎えていたのだ。
羽をもがれた鳥のように、ぼーっと蛍が外を眺めていたら 、ドッ!トドッ!ドッ!というバイクの音が 庭先からしてきた。
ひょうきんな。変顔で ケンがひょいと顔を出した。
白い包帯を撒く 右側の目と左側の目から膨大な 涙が止めどなく流れ落ちた。「 姉貴 ! 来たぜ! 何でも言われればしてやるぜ 。 姉貴をこんな姿にした奴!! 俺、絶対許せねえからな!」
そして殺意を込めた目で冷を見据えた 。
大きくたくましく成長したケンは武術を極め 、
そのそれぞれの段を合わせると 20段を優に超えていたそのケンに向かって 、
至って軽い 調子で 、
ケンの鋭い視線をさっと交わしながら 「やぁやぁ。いらっしゃい。 蛍の不注意でこんな姿になったが、 医者が言うにはもうしばらくすると傷跡も残らず全開するそうだ。 そうか すまないね 。稲刈りの手伝いに来てくれたのか いや ~ありがとう、ありがとう! ほら蛍 もこんなに喜んでいる。 あれから失明するかもしれないというショックから 全く話さなくなってね。。ろくろく食べないんだよ。
夫としての僕も心配で心配でたまらなかったところだったんだ。いやー 助かったよ。ケン」
平気な顔でスラスラと嘘をつく、冷の話を射抜くような鋭い顔つきで無言で見ている 弟に本能的に 危険を感じた蛍は
「ケン、 久しぶり 会いに来てくれて嬉しいわ」
と1ヶ月ぶりに口を開いた。
私に走りより、私の耳元で
「やってやろうか」と囁く 弟に
「だめよ! やるなら私の手でやる ! これは私の喧嘩。ケン は手を出さないで!」
その年の稲刈り 作業は、いつもの半分の 時で終え、冷や、分家の人々からの指導を聞きバリバリとこなし 、人の 3~4倍は仕事を黙々とし 特に 、力仕事ではまるで、見せつけるようにその怪力をふるった。
稲刈りが2日で終わり 酒盛りの席を上座に据え、 弟に加わることを無言で断ったケンは、
「姉貴、 用がある時はいつでも呼べよ。 あいつはやる価値もないやつだ 。 別れた方がいいと思う 。 子供は俺が面倒を見るか、ら生活の心配はいらない 。ガキの頃の俺とは違うから」
大学を 中退して 自衛隊に入隊したケンは、 そう 蛍に告げ 夕焼けの道をバイクで帰って行った。その後ろ姿を刺すように 睨む 、冷の姿があった。
腫れ上がった蛍の顔も 、しっかり元に戻り 例の生活もすっかり また元に戻っていた 。
ただし 3日と明けず家には帰ってきていた。
有り余る財産で、何か事業を起こそうとしていた。
色々と勉強し、 いろいろと 見学した末に、
焼肉 チェーン店をやると決めたようだ。
一旦 方向性が決まると 次々と行動を起こしていた。
まずは2人して調理師専門学校へ入学した。
半年で調理師の資格を取った。
私にはもっと勉強をして栄養士の資格も取れという。
焼肉チェーン店は まずは 鹿児島を制覇する。
次は、 全国展開だ 24時間営業。 年中無休は譲れない。
そのためには 蛍、
お前の才覚が必要になってくる 経営全般は俺が見る。
各店舗のお金と人の管理は蛍に任せるが、
一応 朝の7時にレジを閉めるから毎日俺が集金に行くことになるだろうな。」
【おい!おい! この上 、一生 ただ働きかよ!】とうとうと、
夢を語る冷を見つめ 冷たく見つめ 、
「その夢の中には 、きっと私はいないよ」と心で罵った。
おそらく 、冷の夢を 、
氷のような瞳で一切返事もせず聞かない
私を見てのことだと思うが、
あの日から バイト 止められ 、
私がふと冷に、冷たい視線を向けると、
まるでマグマが溢れ出たような 例の激しい暴力が始まった。
全く 突然に だ。
暴力を受けてる最中に電話の音 。
やっとの思いで電話を取ると 操の声 。
そのせいで逃げ出せず、好き放題 殴られ続けてしまう私。
「また後で電話して!」
と切羽詰まった声で私は行った
「蛍! どうしたの ?また殴られてるの!?」
その手を 無理やり 受話器からもぎ取り、
有無を言わさず 冷が ガシャリと電話を切る。
暴力はほぼ30分ほど続いたがどこか 手加減しているのが ホタルには分かった以前のことが よほど 答えたのだろう。
3時間後、 操が憤然とした顔で私の目の前に現れた 。
3時間で北九州から飛行機を飛ばし 鹿児島にみさお はやってきてくれたのだ
「もう我慢できません 蛍と別れてください !」
操は冷を見据えて、はっきりと言った 。
「他人が入る問題じゃないんだこれは 夫婦内で決めることだ赤の他人の お前はいらない 口は挟まないでくれ 」
みさおがふっと笑った。
「は ?夫婦間の問題? あんたは 、たった4~5年の蛍との付き合いでしょ? 私は15年の付き合いなんだよどちらに重みがあるか 歴然としてるよね !
あんたみたいな奴、けがらわしくて、ヘドが出るわ、 いいこと、 あんたと知り合ってから 蛍の笑顔を 、私は一度も見たことがないわ !! 」
焼けつくほど 激しい言葉で みさお は霊に言い放った あんたに ホタルの夫の資格など1ミリもないわ 真っ赤に怒ったせいは 娘を抱きかかえていった「あー! もう別れてやるよ ! ただ一人娘の 安子だけは、渡さない一人で帰れ!!」
と言うなりベンツに乗り込んだ。
窓から我が子が
「ママ ! ママ!」《と叫ぶそのもみじのような幼い 手を 私 ひとみさんは必死で握りしめた。
約100m も車に引きずられただろうか 。
「蛍! この手を離したら一生、娘と会えないよ!!」操の必死な 声が心に響く 。
騒ぎを聞きつけた 近所の人たちが集まってきた。
私は、近頃時々思う。
あの時 我が子の手を離していたらかえって、 安子は幸せだったのかもしれない 。育ててみて 気がついたが 靖子は 上村家の血を強く引いた 子供だったのだ。 私と生き方も、考え方、も全く違った女性だった 。さんざん 苦労して育ててあげく やすこは情より、金を取る 人間性だったのだ。
私が65歳になって 安子と一生縁を切るハメになるぐらいであれば、
3歳の時に縁を切っていた方が 帰って良かったのかもしれないと 、本当に思う時がある。
しかし 人生は選択の連続だ あの時私は あんな 乱れた男女関係の環境の中に 我が子を置いて逃げ出すことはとても考えられなかったのだ そのことについてはいっぺんの悔いもないが 全くの 別人格の人間が 私のお腹を痛めて生まれてくるという事実は やすこを通じて はっきりと 認識した あらゆることが 全く違う考え方 なのだ 実の親の母親の私に対し 6年間も 見どころをごまかしていた 福岡に帰ってきていた家を建てていた その事実は私を 愕然とさせた そして はっきりと安子は私のことを恥じていた だから 洗えることに対して何を話し合おうと平行線で交わることが全くない 親子であった 67年も裏切られ 何千万も安子から奪い取られその心の傷は私は一生 癒えないえないだろう。 その事実が分かった年の正月 。我を忘れて人前で、初めて生まれて初めて大声で泣いた瞬間だった 。 あの絶望感は生涯忘れることはないだろう 。
あの時に手を離していれば、
いや 、みんなが反対した我が子を産むことを思いとどまっていればなどと 考えるが、
全てはその時に私が これが正しいと、選択したことなので 悔いはない。 {正直悔いは、あるけどね。}
人生を生きていくということは、 選択の 連続だし
1秒先もわからないし 1秒後にも戻れないけれども 、
その時に 自分が決めたことに責任を 持つしかない。
【 潔く】諦ねばならぬことは、諦めるしかない。
また話はそれるが 、私は 落ち込む時は とことん落ち込むようにしている。
中途半端に落ち込むと 、
また忘れた頃に その苦しみがぶり返してくるからだ。
悲しみは苦しみは一度で十分だ。
だから 落ち込む時は、
落ち込む 底の底まで押し込むように 私はしている。
さて 。
話を戻そう 。人目を気にする 令は、集まってきた みんなに ペコリと笑い
「お前ら 頭おかしいんじゃないか 俺は父親だぞ 」
そう集まってきた
みんなの 批判の目に説明するかのように怒鳴った 。
その隙に さっと 操が安子を抱き上げ私に渡した。
そして3万円のお金を私に渡すと
「もういいよ 蛍、 帰っておいで」
と2人ごと 抱きしめ 、そのまま 去って行った。
次の始発の電車で私たち2人は 着のみ
着のままで、 サンダル姿で北九州行きの鈍行の車中に座っていた。
そのホームに 良子さんが走ってきて、
私から預かっていた アルバイト代の封筒を渡してくれた。
「元気でね !! もう会えないかもしれないけど、 お互い 精一杯生きようね !!一生 蛍さんのことは忘れません」
と大声で 泣きながら叫んでいた。
後でバイト料の 封筒を開くと バイト料の約3倍のお金が入っていた 。
ありがたくて 、ありがたくて、後から後から涙が溢れた。
これでやっと自由に飛べると。
こうしてやっと蛍は北九州に戻ってきた。
実家に帰ってきて 父や母が ちらし寿司を作って待っていてくれた。
「 ただいま 」
と一言、言うのが精一杯だった 。
「おお~お帰りかえり。 ずいぶんと、長い旅だったな。 お風呂が沸いてるから入るといいよ 」
と父が優しく
この上なく優しく声をかけてくれた 。
お風呂入ってっていると 、
タオルと着替えを持ってきた母が、
私の背中の 赤あざ、青あざ、擦り傷だらけの体を見て 、
その場に泣き崩れた。
私は何も言わなかった。
何も言わずとも 私の背中の傷跡が、この5年間の苦しみ、悲しみ、辛さ、を物語っていた。
私は23歳になっていた。
「ほたる ご苦労さん いい勉強になったな」 まあ ~飲め飲めと2人とも一滴も酒を飲めない、父と 蛍がぐいっと 酒を一気に飲み干した。
今 思えば 、18歳から23歳まで 、【青春真っ盛りの時だ】 だが、私には1日も青春と呼べる日はなかったように思う。
23歳から 26歳の 【自分を壊すような3年間の月日】は、とても 青春と呼べるような日々では消してなかった。
あの頃の酒の苦さは生涯忘れないだろう。
第15章 蛍 奮闘 編
23歳になった方 ホタル4歳になった我が子
全く未来が見えない。
実家に帰れば相変わらずのボロ屋で 、雨漏り用のバケツがあちこちに置いてある。1日でも早く仕事を探さねば。手元のお金がなくなる前に。
その頃のホタルはもう自分がゲンジボタルの分身だということなど忘れはせていた 。
自分の意志で転生した、
あの時から 蛍は 人間になっていたのだ。
あっという間に老い去らばえて
逝く、あの儚く 醜い人間 を、蛍は選んだのだ。
ホタルは想像していた以上に 、俗世は誠に厳しかった。
ハローワーク ・アルバイト ニュース。
とうとう 色々なルーツで懸命に仕事を探したが即採用されるのだが 必ず 、よこしまな男が寄ってくる。
「女1人で子供を育てるのは大変だろう? 何だったら、俺の愛人にならないかい?」
とその会社の社長から必ず言われる。
どの会社で働いても必ず そんな人がいた。
1回結婚で失敗した女は 、愛人になるか 、水商売になるか 、2つに1つだと、世間が思っている時代だった 。
蛍はそんな下劣な男に出会うたびに、 即! 会社を辞めた。
23歳といえば さすがにいくらでも仕事があると思っていた その 己の認識はもろくも崩れ去った。
「 水商売以外ならどんな仕事でもします!」
それがいつしか 私の口癖になっていた。
そんな下劣な男に 、不躾な 言葉を投げつけられようと、
どんなに 跳ね つけられようと、
どれだけ甘く見られようと 、
蛍は決して諦めなかった 。
そして何度も何度も立ち上がった。
30億もの 財産を 持っている男と必死で別れて、
なぜ?!
月 何十万の愛人にならなければならないのか?!
この前まで正妻 だった私が、
なぜ愛人 という立場に貶められなければならないのか?!!蛍は、
腹が立って、腹が立って仕方がなかった。
世の中の男という男は、
全て浅ましく 汚らしいものに思えた。
そして そんな男たちに甘く見られている、
自分が 腹立たしかった。 モテているという気持ちなど1ミリもなかった 。
男たちは、
私を 《おもちゃ》のように遊び道具にしたかっただけなのが、見え見えで、
本当に腹が立っていた。
何か資格でもあれば仕事にありつけるのかもと様々な資格を取るためにブツブツ切れる 仕事の合間に資格取得の勉強を、
子供が寝静まった頃から夜明けまで様々な資格や 国家試験を受けた頃があった。
20代から30代半ば頃までだ。
おそらく 学生時代より 、
この時代の方が 5倍も 6倍も私は勉強をした。
司法書士 ・宅建 ・栄養士・ 第4危険物取扱者・ 簿記1級 ・速記2級・珠算 一級 。
しまいには 社交ダンスの講師の資格まで取った。
日本舞踊の名取の資格は10代の時にとっていた。
しかしそれらの様々な資格は私に 生きる生活の力を与えてはくれなかった 結局 整形を立てられる仕事は アパレルの仕事だった。
あれほど 必死に なって 勉強した 末に、
20年近くの資格を取ったのは、
一体何だったのだろう ?!!
面接の際 、
蛍の履歴書の資格の欄に、納まり 切れないほどの、
資格を 記入する だけの事だった。
しかし アパレルの仕事は そしてお客様との接客の仕事は驚くほど 順調に成績を伸ばしていった。 有名アパレル企業に中途採用で入社し、
配属された店で、
翌月には 店の売上のトップになっていた。
たいしてそれほど苦労もなしに 、いつのまにか トップになっているのだ。
蛍の接客は。
まるで 怪しげに光る ピカピカと光る蛍に 自然と人が集まってくるように 人が群がり、
そして商品が売れて行くのだ。
そのお客様に会うコーディネート力にも蛍は優れていた。
自分で自分の似合う服を選べない 女性が何と 多いことか。
この業界に入って蛍は初めてそのことを知った。
結局、
男性は、ほぼいないファッション業界で 蛍は頭角を現してきた。
皆が皆 ライバルなのだ。
このヒリヒリとした世界が 蛍にはあっていたそれは 大勢の何番何万引き が 、
我こそは 一番と光り舞い踊る源氏蛍 の舞姿によく似ていたからだ。
離婚して3年目にようやく たどり着いた仕事であった 。
その間に何度 仕事を変わったか数えきれない。
7時など私は社会不適合者なのだろうか という気持ちがありそれを無理に胸の中に押し込めていた必ず必ず必ず明るい お日様の下での仕事を探す私はあの長いトンネルを抜け眩しすぎるお日様のもとに身を置くがその前には草一つ入ってない 砂漠が限りなく広がっていた厳しい生活の中で鹿児島から美術大学の文書が届いていた 確か1回分ぐらいのバイト料はもらっていない 自覚はあったが その現金書留の封筒の中には覚えのない結構な金額が入っていたそして美術大学 教授からの短い言葉を見つけて泣けてきた 【自分を信じろ ❗君にできぬことなどない ❗僕は確信する 】
短いが私に 多いに力を与え 勇気をくれた温かい言葉だった。
あの地獄のような5年間で、
真っ暗な夜空に《いくつもの キラリと光る星》が輝いていたことをその時 改めて感じ、 感動さえ覚えた 。
【私は負けない!‼️】
と空に向かって 思いっきり叫んでいる自分がいた。
生きていく上にはそれなりのお金を働き お金がいる 。
その お金を 得るためには そして 確実にお金を稼ぐためには 、
センスでも才能でも、資格でもなかった 。
【私は必ずできるとそう思うその覚悟のみ】であるということを実感した 。
私が大嫌いな他人の中でも 《星のような人々がいるという奇跡》
に 、〔鹿児島〕という 土地ではない どこに住もうとも 、
知らない赤の他人の何気ない刃のような言動も言葉もやはりある。
しかしあの絶望的な 鹿児島の5年間には 、持てなかった夢や希望が、今の私は持てる 。
だからそれを信じよう。
鹿児島では あれほど時は月日が父として進まなかった日々。
だ が、むしゃらに生きている北九州では 月日の流れは驚くほど早かった。
私は27歳になっていた 実に多くの男が私の弱みにつけ込んできた 。
そしてその男たちの中で私は懸命に戦っていた。
さて私のを誰も読まないであろう 自助 でもそろそろ 最終版に入ってきた。
もはや もう誰にも私の生き様を呼んで欲しいとも 理解して欲しいとも 、見てほしいとも思わない 自分がいた。
27歳になってようやく たどり着いた。 此処には女の世界が 【昼間の女の世界】が存在していた。
アパレル という 百貨店の中での忙しすぎる日々やりがいもあった。
頑張れば頑張るほど給料も上がっていった 。
そして、ようやく 私は安定した日々を 、かろうじて手にしていたが、
娘の 安子は祖父母に任せきりだったある時、
娘の変化に気ががついた。
小学校に上がる前の年頃から
北九州で私1人で世間と戦っている間に、
甘やかされ、【自分の分は自分の分。人のものも 自分の分】という上村家一族の〔基本的考え方〕がその心の中にあることが顕著に現れてきた。
時々 、触れ合う娘は全く私の言うことを聞かなくなってしまういつもむくれた表情で、
「ねえ~パパはパパはどこにいるのどうして会えないのどうして3人で暮らせないの?」と 、
問いかける娘に何と答えてやれば良いのか、 戸惑いを隠せなかった。
【あんな 黒い 屋敷】で、あれほどに
乱れた男女の人間関係の中で、我が子を成長させてさせるわけには行かない❗
そう信じて私は何一つ 持たず必死に 鹿児島から逃げた 。
そして 出口がないと思えたトンネル を走り抜けようやく 出口を見つけその出口から出たんだが、
娘はその暗いトンネルを恋しがっていた。
帰りたがっているその現実に私は愕然とした。
明らかに、 謝った ものの受け取り方 考え方をしている娘に、
私がどれ程
言葉を尽くして 話し合っても、 時に 殴り合いの喧嘩をしても、、
2人の考えは交わることは 一切なかった。
土台二人の考え方の出発点が全く違っていたのだ これでは、
いくら 話し合おうとお互いが、
真に理解し合えることなど不可能だったのだ。
私は 自分が産んだ 3歳の娘を 鹿児島に置いて、
娘の年を遠くから 数えることだけは本当に嫌だった。
令は、おそらく私に 娘を会わさないだろう。
結果的には、
それが40年後に 、具現化されだこのことだ。
おそらく、
私の生死も娘は知らずに 、これからも生きていくだろう。
それは 娘も同じことで娘が死んでも、 私は娘の死を知らずに生きていくのだろう。
そういう運命 の上に 私たちは生まれてきたのだろう。
もう~そう思うしかない。
しかしそう 悪いことだけでもなかった 。娘が産んだ、まあ ~私の孫になるんだが、
その娘〔幸〕は上村家の血はあまり引いてなかった。
私の考えも理解でき、とても暖かく、たおやかな思慮深い娘である。。 私の予想通り やすこは 連れ子の 幸を ありとあらゆる虐待し、 無理やり産んだ 長男を溺愛していた。
だが 結婚した 男性には 考えられないほど 嫌われていた。
元々 家庭を持つ資質がない娘なのかもしれない。
父親の冷と 同じように。 私の今 幼女になってる幸は、 まだ22歳だというのに 、誰からの愛情も受けず 〔どん底の生活〕ですさみ きっていた。 この5年間で、
やっと普通の感覚の娘になったのはとても嬉しい。
今 5年間 その娘と 私は生活している。
戸籍上は私の養女娘となっている 。
もうすぐ 結婚する予定である。もう~金銭的には、実の娘泰子に嘘にまみれた口実で余裕のある生活では無いので人並みの結婚式をあげて挙げられないのがさみしいが、致し方ない。これも、泰子がのこした負の遺産か、、、、、、
だが
その男性が、善き男性で
幸を 、一生本当に大切にし幸せにしてくれると私は信じたい。
彼女には彼女の人生がある 。
私に私の人生があるように だ。
彼女は自分の力で 自分の人生をこれから力強く切り開いて行ってほしいとも思う。
第16章 父のケン
ケンは、自衛隊時代唯一自分らしく、イキイキと活きていた。それを、【跡取り息子】という理由だけで父は、無理矢理引きはがすように自衛隊を辞めさせた、。
ケンの瞳から輝きが消えた。家徳を継がせると、父は言うが、肝心の家徳とやらは何処にあるのだ?! 姉娘の援助がないと生活出来ない家の何処に家徳などという代物があるのだ‼️
あのバイク事件同様。父は、弟の
【生き甲斐】さえもうばいさったのだ。弟の生き甲斐をうばったもう一つは、きっと私の2度目の結婚だろう。ケン
は、一度も結婚せず、子孫さえも残さず、35歳で終る筈の私の命の身代わりに、この世をさった。父は弟のお骨に何時間も
はなしけていた。詫びるように。我が身を責めるように。。。母は何年間も、ケンのお骨箱を抱いて寝ていた。
【姉貴、お母ちゃんと、親父を頼む】と言い残して海に消えた。何が《世が世であればだ‼️》今生きている現世のみが
私達かぞくの世であるのに。
父は、二度も弟の【宝物】を、奪った。命より大切な宝物を。そして私の身代わりに、何の未練もない俗世を35年間で棄てた。
さて、蛍に戻る。
驚く事に冷は、離婚したあと13年間もほたるに、興信所を通じて監視していたらしい。
らその間冷名義の財産を全て他の親族に全て変更したそうだ。1円もいらず、慰謝料も養育費も払わない男が財産不安のために、毎月たかい探偵は費用は支払うのだ。わらえる話だ。。
私は仕事をして昼間にいない間に、気の弱い母に、せっせと 説得しに来ていた 間に、冷の母が時々家に来て、抱えきれないほどの手土産を携え
「娘の 安子だけは返してくれ」と せっせと 説得しに来ていた 。
ある日 体調が悪かった私が 早退して 家に帰ってきた時、
冷の母が ちょうどいて母が母を口説いていたが、
ちょうど私の体調が悪く 早退してきた日に 口がうまく 圧の強い女に、タジタジだった、
観たとたん、私は白豚女をどなり上げていた❗
ちなみに 結婚生活をしている時には冷の母親に 一度も口答えなどしなかった私でした。
いろいろな角度から 、気の弱い母を例の母は、
孫 欲しさに口説いていたが私は父と母に、
「私がいない間に安子を鹿児島に渡したら母や実習と必ず私は絶縁するからそのつもりで 」
と釘を刺した さしていたおかげで かろうじてどれだけ 説得されても安子を手放すのを止どまっていた。
【 何をしに来たのあなたたちのお金は 一円も使ってないわよ❗私の産んだ子供だから、あなたたちみたいな、でたらめな生活環境に私の子供は渡さないから帰ってちょうだいお母さん 塩 持ってきて‼️】 そして例の母親が持ってきたあり 抱えきれないほどの手土産を 力任せにゴミ箱に投げ捨てたしかしさすがアク取り入れの母あなたはまだ24歳なのだから独身のつもりで 1からやり直したら若い女がバス1で行けるのはこれからの人生に大変だよ再婚するにしてもねうるさいわ 絶対渡さないでよ もう結婚なんか こりごりだしそしたら冷の白豚に洗脳されたかのような母が
「まあ ホタルちゃんたらもう~、、、」と得意の唯一の母の返す言葉がかえってきた。
そこで私の我慢の限界は 音を立てて 切れた持っていたバッグを思いっきり その白豚女に投げつけた見事に背中にヒットした白豚女はびっくりして私を見た 。
「あんた ‼️
いつも こんな調子で私の母を脅しているのもう離婚しているんだから、
お前がでしゃべることなど何もないのがわからないのかい?あんたの顔を見るのも口をきくのも 虫唾がはしるわ❗ 今すぐ出て行け‼️」と、
私は大声で怒鳴っていた。
が、さすがは冷の母親。
そこまで言われても 猫なで声で、
「私は、ホタルさんのことの将来を心配して 、安子を引き取りたいとお願いしてるのよ。 綺麗な体になって若いんだから、もう1回やり直したら」と しれっと言う。
「は?私は前科者かよ❗ほんと人を人とも思わぬ 下品で失礼なババアだなあ ~あんた❗悪いが お前に1ミリでも心配される 言われはないね‼️ もう二度と来ないでくれる ❗本当 吐き気がするわ‼️」。 と怒鳴る私。
私の母といえば、
ゴミ箱に投げ捨てられた高級メロン等を物欲しげに眺めている 。
もう何もかもに腹が立っただが、
このけがらわしい 白豚女とは本気で二度と会いたくなかった。
翌月 わがまま放題になっている娘を 連れて、歩いて5~6分のマンションに私と娘は引っ越した。
ちょうど引っ越し費用がたまり 手頃なマンションが見つかっていたからだ。
白豚女は実家に来て、
私と娘が引っ越したことに驚き転居先を聞いたが、
【教えるな】と言っているので教えない 母。
白豚女は 必死に 転居先を 問い詰めたらしいが 《もし 教えたらこの先、生活費は1円もあげないからね 》と
母に宣告した私の方が怖くて 、
かろうじて 転居先を教えなかったらしい。
例の母親の訪問は なくなったが、
今度は冷からの電話 攻撃が始まった。
もうげんなりした結婚する時は津波に流されたように飲み込まれ た感じで、
あれをあれよと結婚したが、離婚はその何百倍ものエネルギーがいる事を、
嫌というほど思いしらされた。
久しぶりに投稿している だが誰一人として 私の自叙伝を呼んでいる風邪はない 別に誰も読まなくてもいいのだが 文才が私にはないのだろうと思い知らされている今日この頃でしばらく筆を折ると思う私の自叙伝はもう8割方 変えているので後の2割 だが最後まで書き上げる 地震は正直 全くない まあ 私の人生を文章に残しておこうと思って投稿した自叙伝 だがさすがに 誰一人 呼んでないっていう現実を目の当たりにすると正直 心が折れる ひょっとしたら また後 2割 分 を書き上げるかもしれないしこのまま放置するかもしれないはっきり言えることは人は他人は自分以外のことは死のうと生きようと幸せだろうと不幸せだろうと何かの生まれ変わりであろうと どうでもいいっていうことだ そんな冷たい 属性に私は今生きている って言うこの現実を思い知らされてますそれではまたいつか
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