記憶の発酵と 言葉の死骸と 風景の裏側

赤城一

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第二部 本文

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第八編 言葉の骨格
  
言葉が死んだ。  
意味は腐り、  
音だけが残った。  
私はその残骸を拾い集め、  
骨格を組み立てていた。

「愛」という語は、  
軟骨のように崩れていた。  
「記憶」は、  
乾いた肋骨だった。  
「あなた」は、  
折れた鎖骨のように、  
私の手の中で軋んだ。

言葉の骨は、  
冷たい。  
触れるたびに、  
過去の温度が消えていく。  
それでも私は、  
その冷たさにすがった。  
それだけが、  
確かな形だったから。

私は骨を並べる。  
意味のない順序で。  
それは詩ではない。  
それは祈りでもない。  
ただの構造。  
ただの残骸。  
それでも、  
誰かが見れば、  
それは風になるかもしれない。

言葉の骨格は、  
私の中にもあった。  
喉の奥に、  
言い損ねた言葉の椎骨。  
胸の裏に、  
伝えられなかった語の肋骨。  
私はそれらを、  
静かに撫でていた。

言葉は死ぬ。  
だが、骨は残る。  
その骨を拾い、  
並べ、  
見つめること。  
それが、  
私の詩だった。


第九編 辞書の墓場
  
辞書が、息をしていなかった。  
ページの隙間に、  
死語が折り重なっていた。  
私はその墓場を歩いた。  
言葉の亡骸に、足を取られながら。

「懐かしむ」は、  
黄ばんだ紙の中で眠っていた。  
「たましい」は、  
定義の檻に閉じ込められていた。  
「あなた」は、  
語源の迷路で迷子になっていた。

辞書は、記憶の墓標だ。  
誰かがかつて使った言葉が、  
意味を失い、  
音だけを残して沈んでいる。  
私は指先で、  
その沈黙をなぞった。

ページをめくるたび、  
言葉の霊が立ち上がる。  
それは声ではない。  
それは、残響だ。  
誰かがかつて発した息が、  
紙の上で震えていた。

私は言葉を拾う。  
定義の外側で、  
意味を失った語を。  
それらは詩にならない。  
だが、詩の種にはなる。  
死んだ言葉の根から、  
新しい声が芽吹くかもしれない。

辞書の墓場には、  
私の言葉も埋まっていた。  
言い損ねた語、  
書き損ねた句、  
忘れた比喩。  
私はそれらに、  
静かに手を合わせた。

言葉は死ぬ。  
だが、死骸は語る。  
辞書の墓場で、  
私は耳を澄ませる。  
その静けさの中に、  
詩の骨が軋む音がした。


第十編 声にならない母音
  
母音が、喉の奥で震えていた。  
声にならず、  
ただ、息のかたちだけが残った。  
私はその震えを、  
胸の裏で聴いていた。

「あ」は、叫びになれなかった。  
「い」は、祈りになれなかった。  
「う」は、疑いのまま沈んだ。  
「え」は、返事にならず消えた。  
「お」は、想いの途中で折れた。

母音は、感情の骨だ。  
子音が意味を運ぶなら、  
母音は温度を運ぶ。  
その温度が、  
言葉の死骸に血を通わせる。

私は声にならない母音を集めた。  
夢の中で漏れた「あ」  
手紙に書けなかった「い」  
別れ際に飲み込んだ「う」  
それらは、  
私の詩の地下水だった。

母音は、沈黙の中で生きている。  
誰にも聞こえない声が、  
私の内側で波打っている。  
それは語りではない。  
それは、揺らぎだ。  
言葉の前にある、  
感情の原形。

私は母音を撫でる。  
意味を持たない音に、  
意味以上の重さを感じながら。  
それは、語りの胎動だった。  
声にならないものが、  
詩になる瞬間を待っていた。

母音は、声の影だ。  
その影を抱えて、  
私は詩を書く。  
言葉にならないものを、  
言葉の外側で語るために。


第十一編 書かれなかった手紙

封筒は、空だった。  
便箋には、何も書かれていなかった。  
だが、そこには言葉があった。  
書かれなかった言葉が、  
紙の繊維に染み込んでいた。

私は手紙を書こうとした。  
何度も、何度も。  
だが、筆は止まり、  
語は逃げた。  
残ったのは、  
書こうとした痕跡だけ。

「ありがとう」と書けなかった日。  
「さようなら」と書き損ねた夜。  
「許して」と言えなかった朝。  
それらの言葉が、  
封筒の中で眠っていた。

手紙は、語りの墓場だ。  
語られなかった思いが、  
紙の白さに埋葬される。  
私はその墓を開ける。  
言葉の骨が、  
静かに軋む音がした。

書かれなかった手紙は、  
誰にも届かない。  
だが、私には届いていた。  
胸の奥に、  
その未完の語が響いていた。  
それは、私の声だった。

私は手紙を書かない。  
だが、詩を書く。  
書かれなかった言葉を、  
詩の中で呼び起こす。  
それは、遅れて届く声。  
それは、封を開ける行為。

手紙は書かれなかった。  
だが、言葉は死んでいない。  
その沈黙の中で、  
私は語り続ける。  
誰にも届かないまま、  
届こうとする声として。


第十二編 意味の残骸

意味が崩れていた。  
言葉はまだそこにあるのに、  
何を指しているのか、  
誰もわからなかった。  
私はその残骸を拾った。

「永遠」は、  
時間の中で砕けていた。  
「希望」は、  
誰かの嘘にまみれていた。  
「愛」は、  
使いすぎて、  
輪郭を失っていた。

意味は、消耗する。  
繰り返されるたびに、  
少しずつ剥がれていく。  
残るのは、  
音と記憶のかけら。  
それでも、私はそれを詩にする。

残骸は、美しい。  
完全ではないからこそ、  
語り手の手に馴染む。  
私は壊れた意味を撫でる。  
そのひびに、  
私自身の傷が重なる。

意味の残骸は、  
語りの余白だ。  
そこに、  
語られなかった感情が染み込む。  
それは、  
詩の発酵と似ている。  
腐敗と再生の境界で、  
言葉が息を吹き返す。

私は残骸を並べる。  
意味の断片を、  
音の流れに乗せて。  
それは、  
誰にも読めない詩かもしれない。  
だが、私には読める。  
私の記憶が、  
その意味を補うから。

意味は壊れる。  
だが、残骸は語る。  
その語りに耳を澄ませること。  
それが、  
詩人の仕事だと思った。


第十三編 沈黙の綴り方

沈黙は、語りの一部だった。  
言葉の隙間に、  
誰かの感情が沈んでいた。  
私はその沈黙を、  
綴ろうとしていた。

「……」は、  
最も深い語だった。  
言えなかったこと、  
言わなかったこと、  
言うべきでなかったこと。  
それらが、  
沈黙の中で息をしていた。

私は沈黙を編む。  
語と語の間に、  
空白を挟み込む。  
その空白に、  
記憶が染み込む。  
それは、  
語られない詩だった。

沈黙には、構文がある。  
間の取り方、  
呼吸の長さ、  
視線の揺れ。  
それらが、  
語りのリズムを決める。  
私はそのリズムに、  
耳を澄ませた。

誰かの沈黙が、  
私の沈黙と重なる。  
言葉ではなく、  
沈黙で通じ合う瞬間。  
それは、  
語るよりも深い理解だった。

私は沈黙を綴る。  
言葉の裏側に、  
沈黙の骨を埋め込む。  
それは、  
詩の静かな構造。  
誰にも見えないが、  
確かにそこにある。

沈黙は語る。  
その語り方を、  
私は詩と呼ぶ。  
言葉が死んだあとに、  
残された沈黙を、  
綴ることができるなら。


第十四編 再生する死骸

言葉は死んでいた。  
意味を失い、  
音だけが残っていた。  
だが私は、  
その死骸に触れた。

「さようなら」は、  
何度も使われて、  
骨だけになっていた。  
「愛してる」は、  
擦り切れて、  
皮膚のように薄くなっていた。  
それでも、私は拾った。

死骸は、語る。  
語られた記憶が、  
その残骸に染み込んでいる。  
私はその染みを、  
詩の布に縫い付けた。  
それは、再生の始まりだった。

言葉の死骸は、  
腐敗ではない。  
それは、発酵の途中。  
時間と感情が混ざり合い、  
新しい語りのかたちになる。  
私はその変質を、  
見届ける者だった。

再生は、静かに起こる。  
誰にも気づかれず、  
語の奥で芽吹く。  
私はその芽を撫でる。  
それは、  
かつての語とは違う。  
だが、確かに語だった。

死骸は、詩になる。  
壊れた語、  
忘れられた語、  
使い古された語。  
それらが、  
私の声の中で再構築される。  
それは、  
語りの再誕だった。

言葉は死ぬ。  
だが、詩は死なない。  
死骸を抱えて、  
私は語る。  
再生する声として、  
死んだ語を生き返らせるために。
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