記憶の発酵と 言葉の死骸と 風景の裏側

赤城一

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第三部 本文

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第十五編 裏通りの記憶
 
裏通りは、静かだった。  
表通りの喧騒が、  
遠くでくぐもっていた。  
私はその静けさの中に、  
過去の足音を聴いた。

錆びたフェンスに、  
誰かの怒りが残っていた。  
ひび割れた舗道に、  
私の涙が染み込んでいた。  
裏通りは、  
記憶の保管庫だった。

誰も見ない場所に、  
語られなかった物語がある。  
あの角を曲がったとき、  
私は言葉を失った。  
あの電柱の影で、  
誰かが待っていた。  
風景は、語り手だった。

私は裏通りを歩く。  
過去の匂いが、  
風に混ざっていた。  
それは懐かしさではない。  
それは、  
忘れようとした記憶の残響。

裏通りには、  
名前がなかった。  
地図にも載っていない。  
だが、私の中には刻まれていた。  
その無名性が、  
記憶を自由にした。

私は風景に触れる。  
壁のざらつき、  
空の低さ、  
光の濁り。  
それらが、  
私の感情と重なっていた。  
風景は、私の鏡だった。

裏通りは語る。  
誰にも聞かれない声で。  
私はその声を、  
詩にする。  
風景の裏側に潜む記憶を、  
言葉の表側に引き上げるために。


第十六編 錆びた看板の祈り

看板が、錆びていた。  
文字はかすれ、  
意味は風に削られていた。  
だが、そこには祈りがあった。  
誰かが残した声の痕跡。

「安全第一」  
「ようこそ」  
「未来へ」  
それらの語は、  
鉄の表面に貼りついたまま、  
雨に打たれていた。  
祈りは、風景に埋もれていた。

私は看板を見上げた。  
その錆に、  
誰かの願いが染み込んでいた。  
それは届かなかった声。  
それは忘れられた呼びかけ。  
それでも、  
風景はそれを抱えていた。

錆は、時間の言語だ。  
語られた言葉が、  
風と雨に晒され、  
変質していく。  
だが、変質は消失ではない。  
それは、別の語り方。

私は錆を撫でる。  
指先に、  
誰かの祈りが触れた気がした。  
それは、  
私の記憶と重なった。  
かつて私も、  
届かない声を掲げたことがある。

看板は語る。  
誰も読まない言葉で。  
その語りは、  
風景の奥に沈んでいる。  
私はその沈黙を、  
詩として綴る。

錆びた看板の祈りは、  
消えかけた声の記録だ。  
それを拾い上げること。  
それが、  
風景の裏側に耳を澄ませるということ。


第十七編 風景の皮膚
  
風景には、皮膚があった。  
壁のざらつき、  
舗道のひび割れ、  
空の湿度。  
それらが、  
誰かの感情を吸い込んでいた。

私は風景に触れた。  
指先に、  
過去の温度が残った。  
それは、  
誰かが泣いた日の湿り気。  
それは、  
私が黙った夜のざらつき。

皮膚は、記憶の容器だ。  
風景の表面に、  
時間が染み込んでいる。  
私はその染みをなぞる。  
それは語りではない。  
それは、沈黙の触感。

風景は、身体だった。  
電柱は背骨、  
路地は静脈、  
看板は声帯。  
その身体に、  
私の記憶が寄り添っていた。

私は風景の皮膚を読む。  
文字のない文章として。  
誰かの怒りが、  
壁のひびに刻まれていた。  
誰かの祈りが、  
空の色に混ざっていた。

皮膚は、語る。  
言葉ではなく、  
感触で。  
私はその語りに耳を澄ませる。  
風景の皮膚が、  
私の皮膚と重なる瞬間。  
それが、詩の始まりだった。

風景は生きている。  
その皮膚に触れることで、  
私は語り手になる。  
語られなかった記憶を、  
風景の表面から引き出すために。


第十八編 廃駅にて
  
駅は、止まっていた。  
時計の針も、  
電光掲示板も、  
誰かの足音も。  
すべてが、  
時間の外に置かれていた。

私は廃駅に立った。  
風が、  
かつての声を運んでいた。  
「次は終点です」  
「乗り遅れないようご注意ください」  
その声は、  
もう誰にも届かない。

ベンチには、  
誰かの待ち時間が染み込んでいた。  
改札には、  
別れの気配が残っていた。  
廃駅は、  
記憶の保管庫だった。

私は歩いた。  
誰もいないホームを。  
足音が、  
過去の響きと重なった。  
それは、  
私がかつて見送った誰かの影。

駅は語る。  
沈黙の構文で。  
錆びたレールが、  
行き場のない願いを抱えていた。  
私はその願いに、  
耳を澄ませた。

廃駅には、  
未来がなかった。  
だが、過去があった。  
その過去は、  
風景の奥で息をしていた。  
私はその息を、  
詩に変えた。

駅は止まっていた。  
だが、語りは動いていた。  
誰も乗らない列車が、  
私の記憶の中で走り出す。  
それは、  
風景が語る物語だった。


第十九編 地図にない場所
  
地図には載っていなかった。  
その場所の名前も、  
座標も、  
境界線も。  
だが、私はそこにいた。

道は曲がりくねり、  
標識は消えかけていた。  
空は低く、  
風は言葉を持っていた。  
私はその風に導かれ、  
誰にも知られていない場所へ辿り着いた。

そこには、  
記憶の断片が散らばっていた。  
誰かと歩いた影、  
言い損ねた言葉の残響、  
見送った背中の温度。  
風景は、私の内側だった。

地図にない場所は、  
忘れられた感情の避難所。  
誰にも見つけられないからこそ、  
語りが息をし始める。  
私はその息を拾い、  
詩に変えていく。

その場所には、  
建物もなかった。  
ただ、空と地面と、  
沈黙があった。  
だが、私はそこにいた。  
確かに、そこにいた。

地図は、記録する。  
だが、記憶は漂う。  
私は漂う記憶に身を委ね、  
その場所の語りを聴いた。  
それは、  
誰にも届かない声だった。  
だが、私には届いた。

地図にない場所は、  
詩の始まりだった。  
言葉にならない風景が、  
語り手の中で形を持つ。  
私はその形を、  
誰にも見えないまま綴った。


第二十編 風景は誰かの夢だった
  
風景は、夢のようだった。  
だが、それは私の夢ではなかった。  
誰かが見た夢の残響が、  
空の色に滲んでいた。

公園のベンチに、  
誰かの祈りが染み込んでいた。  
踏切の音に、  
別れの気配が混ざっていた。  
風景は、誰かの記憶を抱えていた。
  
私はその風景を歩いた。  
夢の中を歩くように。  
現実の輪郭が、  
少しずつぼやけていく。  
そのぼやけの中に、  
語られなかった物語が潜んでいた。
  
風景は語る。  
夢の言語で。  
それは、意味ではなく、  
感触で伝わる。  
私はその感触に触れ、  
誰かの声を聴いた。
  
夢は、風景になる。  
誰かが願ったこと、  
誰かが忘れたこと、  
誰かが見た幻。  
それらが、  
風景の奥に沈んでいる。
  
私は風景を記録する。  
地図ではなく、  
詩として。  
夢の残響を、  
言葉のかたちに変えていく。  
それは、  
誰かの夢を綴る行為だった。
  
風景は誰かの夢だった。  
だが、今は私の語りになった。  
夢と現実の境界で、  
私は詩を書く。  
風景の奥に眠る声を、  
そっと呼び起こすために。

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