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詩方夢那

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第十七話 運命の羅針盤は台所に

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「ねぇ、本当に此処にずっと居たいって思ってるの?」
 オリヴィーニは無言で頷いた。
「兄上殿がもうすぐ武芸大会に出られると言っても」
 オリヴィーニは重ねて、何のためらいも無く頷いた。
 フィークスは盛大に溜息を吐きながら首を振る。
「あのね、何度もう言うけど、人間界ってのはあんたが思ってるよりもいい場所じゃないのよ? 人間なんて気がついたら死ぬし、真実を見抜く目を持った人間なんて殆ど居ないし、今や神秘の力を信じる人間は嘲笑される、それが人間界……そんな所で、百年単位で生きてるエルフが、神秘の力を持った魔族が、真実を見て生きていくのは容易たやすい事じゃないの。分かるでしょ、オリヴィーニ」
「でも、此処、面白いじゃない。人間って馬鹿だけど純粋な生き物だと聞いたし、こっちの世界には面白いおもちゃが沢山あるじゃない。その発想力は見習うべきだわ」
 何ら悲観する様子の無いオリヴィーニに、フィークスは重ねて首を振って頭に手をやった。
「あー……中途半端に頭のいい頑固者ほど面倒は無いわ……」
「もういいですか? 今日はお客が多いらしいんで、仕込みに戻らないと」
 去っていくオリヴィーニの背中を見つめながら、フィークスは思った。
 このまま戻ったところで、一族からの追放と、奉公先からの私刑は免れないが、このまま人間界に置いておきたくもない、と。
 そもそも、オリヴィーニはその家系がこの数代にわたって従属している高位のエルフの氏族に仕える女中だった。しかし、高位の氏族からの庇護ひごを得る為の生贄いけにえも同然に奉公へ出された彼女は、その館で理不尽な扱いを受け、遂には身体を求められた事に激怒し、人間界へと逃亡していた。
 一度はロディアが説得し郷里に帰したが、自分が生贄の女中を放棄した為に氏族が庇護を失った以上、家には帰れないからと、今度こそ旅支度を整えて人間界に舞い戻って来たのが、数日前の事。
 しかし、魔界の眷属が人間の世界で生きていくには、面倒が多すぎる。特に、戸籍という制度が拡充されるにつれ、その場その場を人間には無い力で誤魔化すにしても、不整合を正す事が難しくなっていく。ただでさえ、人間とは年の取り方が違うだけでも、苦労をするというのに。
 ましてや、オリヴィーニは人間界では当たり前の“家電”という物をまるで知らず、調理場の使い方を覚えたのもつい先日の事である。長年、人間界で“少し不思議な力を持った一族”として暮らしているフトゥールや、魔界の眷属から人間に転生し直した珍しい人間の男と所帯を持ち、人間として暮らしているロディアとはまるで事情が違う。
 だが、やはり、本格的な反乱戦争が始まり、彼女に対する私刑が有耶無耶になるまでは、帰すに帰せない。
 後は彼女がどう思うかだろう。フィークスは紅茶の水面を溜息で揺らした。



 八月二十六日。
 一日の休みを経て、明日歌は店に居た。
 店は日曜日という事もあり、客入りは多く、ランチタイムの客が二階にも入っていた。
「ブランチセットのお客様は二階にどうぞー、注文そちらで承りまーす」
 二階の客席を動き回っている金髪の男は、時折一階に下りては客を二階へと動かしていた。
「お料理は一階の厨房よりお持ちしますので、少々お待ち下さい」
 たまには黄色がいいと、用意されていた黄色いワンピースをフラーラに取られてしまい、やむなくピンク色のワンピース姿で明日歌は二階の客席を手伝っていた。
 客には笑顔を見せつつも、内心ではフラーラに対する憤りが、焼き立てのグラタンよろしく煮えくりかえっていた。
「いやぁー、たべるんガイドの効果は凄いよねー、イベント便乗でクーポン出したらこの客入りなんてね」
 金髪の男は忙しさを感じさせない様子で厨房がサラダを出すのを待っていた。
「人間って単純ですね。たかがおまけのレタスに群がるなんて」
「そう言ってくれるなよ~、オイラだってスーパーのクーポンは使いたいタチなんだから~」
 厨房のオリヴィーニは金髪の男の言わんとする事が今ひとつ理解出来ないまま、彼女は厨房に、男は客席に戻っていく。
「タンドリーチキンサンド出来ました?」
 金髪の男と入れ替わり、新しい注文伝票を手にした明日歌が厨房を覗いた。
「三番にタンドリーチキンサンドとサラダ、トマトスープ付きふたセットお願いします」
 受け渡し口になっているカウンターへ、オリヴィーニはふたつのトレーを下ろす。
「二番のセット、持ってって」
 軽くはない皿を乗せたトレーを片手に持つオリヴィーニに、明日歌は感服する。
(すげぇ、ひとつでも重たいもの軽々と両手に……)
「あー、ふたつならオイラが行くよ」
 戻って来た金髪の男はオリヴィーニ同様、軽々とそれを両手に持って客席に出て行った。
「人間って、案外非力なんですね。魔界じゃエルフは使えないって散々言われるのに、それ以下が存在しているなんて……」
「え」
 半ば感心する様なオリヴィーニの言葉に、明日歌は眉を顰めたが、その視線を受けるより先にオリヴィーニは厨房へ戻って行った。



 午後五時が近づいた頃、客足も減った事から、三階と二階の厨房が一足早い店じまいとなった。
 明日歌は忌々しいピンク色のワンピースから、着慣れた空色の普段着のワンピースに着替え、帰ろうとしていた。
 後は帰るだけ。そう思っていると、突然明日歌を呼び止める声がした。
「ねえ、ちょっと占いしてくれない?」
 その声の主は、エプロンを外したオリヴィーニだった。
「え? えぇ?」
「使い魔は居るって言うし、ロディア様は二階で占いしてるし、あなたでもいいから」
 その言い草はなんだと反発したいのを堪え、明日歌はやんわりと断ろうとした。
「ですが、もう少しで店じまいですし、私の勤務はもう終わりですから、またの機会でも」
「早いところ決めたい事を決めあぐねているから、占いでもしようかと思ったの」
 帰ったところでやりたい事があるわけでは無かったが、バスの便数が少ない分、早めに帰りたくはあった。そんな明日歌を、使い魔もまた、無情に引き留めた。
 ――別にこっちはいつでもいいし、どうせ客はもう来ないんだから、今日の仕事は終わらせて帰れって。
「……わかりました」
 明日歌は渋々とタロットルームに入り、明かりを灯した。
 向かい合って座った時、明日歌の目に映ったオリヴィーニの瞳は、内包物に輝きの無い宝石の様だった。
「では、占いたい事についてお伺いします」
 クロスを広げた明日歌はオリヴィーニに尋ねた。
「このまま人間界ここに居るべきか、帰るべきか分からない」
「え、それって……」
人間界ここに居るべきかどうか、私にはそれが分からない」
 オリヴィーニの言わんとする事が今ひとつ理解出来ない明日歌に、使い魔が声を掛けた。
 ――ふたつの選択肢について、現状からそれぞれの未来を占う方法がある。解説書の下から二番目あたりにあるよ。
 明日歌は言われるまま左手の台から解説書を取り出した。
 ――ダブル・フューチャー・スコープ、何かをするとしない、それぞれの未来を、左手で何かをしなかった未来を、右手で何かをした未来をそれぞれ占う。
「……では、此処に居る事により起こる未来と、帰る事による未来、ふたつの未来を、占ってみます」
 ――山はみっつ横並び。真ん中で頂点の現状を置き、左手のしなかった未来を左から、右手の何かをした未来を右からそれぞれに引いて並べて。
 使い魔の言う通りに、混ぜられたカードが並べられてゆく。
 ――頂点から、二段目、三段目と展開。本来は本人がそうするべきと思っている方から開けるけど、今回は詳細の良く分からない質問だから、左右同時に開いてみて。
 全てのカードが順に展開される様子を、オリヴィーニはぼんやりと眺めていた。
 ――んー。まず、現状はカップの七、見たい物だけを見ようとしている、現実逃避の状態。今回は、此処に居る事を左手の何もしなかった結果、右手を何かした結果として見ていく。基本、何かをする事の方を正と捉えるから、今回は右手から読むよ。まず、現状を伝えて。
「まず、現在の状況は、見たい物だけを見ている状態、つまり、現実逃避に陥っている状態ではないでしょうか」
「それで」
 急かされる格好で、使い魔は次の解説を述べる。
 ――帰るというのなら、未来に待ち受けているのは、ソードの十が示す最悪の結果。障害になるのはカップの六が示す家族との揉め事、あるいは、恩知らずな行為。
「もし、帰る事を選んだなら、未来に待ち受けるのは、最悪の結果です。それが何か、先ほどの質問からは理解しかねますが、家族との揉め事や、恩知らずな行為が原因となり、その結果になると見えます」
「じゃあ、帰らなかったら」
 ――帰らない未来は運命の輪……読み解きの厄介なカードだな、幸運が訪れる半面、正位置でもぬか喜びに対する警告になるし、その原因がペンタクルの五、経済的な困窮の意味があるけど、環境の変化で、充足感を失う事の暗示とも考えられる……。
「帰らない事を選んでも、楽観的な未来は見えません。原因は、環境の変化で充足感を失ったり、金銭的に苦労をする事になる為です」
「……カードに聞いただけ馬鹿だったかしら」
 オリヴィーニは虚ろな目で広げられたタロットを見る。そして、ソードの十に目を止めた。
「……でも、串刺しの刑は御免かな。帰ったところで、お兄様、いや、ネフリテスお兄様以外、私を受け入れる者は誰も居ないわけだし」
「く、串刺しの刑……」
 恐ろしげな言葉に、明日歌は思わずそれを繰り返す。
「そう。串刺しの刑。私は立場のいいエルフの、クソみたいなお屋敷から逃げてきたの。あんなオッサンの夜の世話まで出来ないし、子供なんて出来たら、奴隷にしかされないわ、あんな連中じゃ……どうせ、どうにもならないなら、このままこっちに居ようかな」
「え……」
「此処に居れば、また、お兄様も来てくれるだろうし」
 オリヴィーニは立ち上がると、何も言わずにカーテンの向こうへ消えて行った。
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