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落ちこぼれ勇者は白焔を灯して
しおりを挟むその時、フィアは翠い瞳を瞠っていた。
目線の先では、全身傷だらけでいまにも倒れそうな有り様のアルヴが俯き気味に佇んでいる。
その少年の身体に、突如として変化が起こったからだ。
「なに……?」
訝りの声を洩らすと同時、彼の胸を中心として純白の炎が吹き荒れるさまを目にした。
得体の知れないその白焔は瞬く間にアルヴの全身へと駆け巡る。だが肌も衣服も焼き焦がすことはなく、炎に空気が爆ぜる音もしない。
揺らぐ白焔はやがて彼が握る剣にまで伸び、鈍色の刀身を白く染め上げた。
それは間違いなく異質な光景だった。
にも拘らず、フィアは数瞬、白焔を纏う少年の姿に目を奪われた。
アルヴが一歩、歩を踏み出す。
その足音で、フィアは我に返った。
二歩、三歩とアルヴは無言でフィアの許に歩み寄ってくる。
やがて二人の距離が二〇メートルほどにまで迫ったところで、彼女は自らに注がれる少年の赫い双眸に気付いた。
(………血赤の、瞳?)
アルヴの目はその髪色と同じ黒色のはずだ。
だがいまは、まるで血そのものを流し込んだかのような鮮烈な赫に染まっている。
その違和感に目を眇めたのは一瞬だった。
次の瞬間、視界の中心に捉えていたはずのアルヴの姿が掻き消え―――
気付けば眼前の距離で、その手に握る直剣を大きく振りかぶっていた。
「ッ―――!!?」
息を呑む暇さえ惜しかった。
反射的にフィアは錫杖を構え、自らの正面に障壁を幾重にも展開する。吹き荒れる魔力風の中に躊躇なく飛び込んできたアルヴは、白焔纏う刃を袈裟懸けに振り下ろす。
染み付いた基礎に従ったような単調な一振り。
だがその一斬は直後、彼女の目の前で、強力な反魔力の込められている彼女の防御魔法をいとも容易く破壊してみせた。
「なっ!?」
今度こそ驚愕に息を呑む。
障壁が幾千もの硝子の欠片となって派手に飛散する。アルヴの纏う白い炎に照らされてか、無数の硝片が色とりどりに舞う光景はこの状況でありながら浮世じみていて、とても幻想的だった。
「……すみません、フィアさん」
剣を振り抜いた姿勢のまま微動だにしていなかったアルヴが、ふと、そう言った。
なぜ謝られたのか分からないフィアが怪訝とともにアルヴを見れば、至近の距離からその血赤の瞳が彼女を射抜く。
「結局、こんなやり方しかできないけど」
ゆらりと空に白焔を棚引かせながら、穏やかな貌と声音でアルヴは言った。
「僕はこれから―――あなたを助けます」
「っ、」
「何もかもを諦めてしまったあなたの本音を知って、これ以上何もできないでいるのは……絶対に嫌だから」
ギリ、と歯軋りの音が聞こえた。
それはフィアの口から発せられたもので、彼女はアルヴの言葉にいろいろな感情が綯い交ぜになった表情を浮かべていた。
端麗な貌に鋭さと険しさを込めて、アルヴを見返す。
「だったら私は、もう一度あなたを斃す……いえ、今度こそ殺します! もう私は、泡沫の夢を見せられるのは嫌なんですッ!!」
叫ぶと同時、フィアが錫杖の先端に魔法陣を展開する。刹那の後に放たれた『金光』の魔法を、アルヴは大きく横合いに飛ぶことで回避した。
二人の間に距離が空く。中距離の間合いで有利なのはフィアの方だ。
彼女は間を置かず自身の周囲に幾つも魔法陣を出現させ、躊躇いなく金色の光線を射出する。しかしその尽くをアルヴは最小限の体重移動により紙一重の距離で躱していった。
光芒が撃ち抜くのは彼の残像であるかのように揺らめく白焔の残滓だけ。どれだけフィアが精密な狙いで魔法を撃とうが、全てが危なげなく避けられてゆく。
(動きが速くなってる……? いや、そうじゃない)
彼女はアルヴの血に染まる赫色の双眸を見た。
彼は眼を凝らし、瞳を絞り、フィアが放つ魔法の一撃一撃を焼き付けるように見据えている。
(アルヴさんは元々目が良い……そしていまの彼なら、攻撃の軌道を見切ることさえできれば、あとは全ての回避が可能……!)
容易に避けられるのは、フィアの狙いが精密だからこそ。
しかし。
しかしである。
攻撃を目視できさえすればどんな攻撃も回避できる、との理論は間違いなく机上の空論だ。
だがアルヴはいま、『目視』と『回避』を完全に繋げて一つの行動としている。
もしもカザロフがいまのアルヴを見ていたなら、こう思うだろう―――戦闘者であれば誰しもが理想とする極地の一つに、足を踏み入れていると。
(この力はなに……? 勇者が使う能力増幅術の『聖剣励起』? いや違う、さっき見たアルヴさんの『励起』はただ弱い灰色の光を纏うだけだった。この、こんな焔とは違う!)
異質な力の正体は紛れもなく、アルヴの纏う純白の炎。少年の体内より噴き出たあの白き火焔が、彼の力を格段に底上げしている。
……否。
あれはそもそも、アルヴなのだろうか?
身体捌きも、足運びも、剣の鋭さも、何もかもが以前の彼とは一線を画している。もはや別人と言われた方が納得もいく。
(いえ、いまの彼が何であるかなんて関係ない! いまは、ただ!!)
雑念を排除し、さらに魔法の精度を高める。
射出される光線はいっそう研ぎ澄まされていくが、それでもなお、アルヴは踊るような滑らかな足捌きで全てを躱す。
「ッ……だったら、避ける隙なんて与えないくらいの質量で押し切ればいいだけ!」
フィアが体内で魔力を練る。
それに伴い、彼女の周囲に展開されていた複数の魔法陣が線で繋がり、大きな一つの陣と化す。
「『極光』―――『却砲』ッ!!」
そうして放たれた極大の光線が、フィアの前方広範囲を丸ごと薙ぎ払った。激しい衝撃と轟音に『覆われた狩場』全体が揺れる。
何もかもを滅却せんとする金色の砲撃は、先と同様にアルヴを容易く吹き飛ばし―――
だが。
ダンッ! と強く地を蹴る音が聞こえた。
フィアは瞬時に砂塵の立ち込める周辺一帯を見回すものの、前後左右にはあの白焔は見当たらない。
だとすれば、
(……上!)
素早く頭上を見上げる。アルヴは白い炎の尾を引き、『覆われた狩場』の天蓋付近にまで跳躍していた。
この距離からでも、穏やかなあの赫い眼が自身を捉えているのが分かる。
……何故だか。
フィアはあの凪の如き穏やかな眼差しに、見られたくないと思った。
しかしその思いを即座に振り払う。
「―――『極光』―――」
錫杖を前方上方へと構える。
鈴、と先端の銀輪が小さく鳴った。
(単一魔法の連続攻撃も、広範囲の一掃攻撃も避けられる。それなら!)
「―――『星々鏃』!!」
詠唱と同時、数百に及ぶ星々の如き黄金の矢が出現する。
浮かび上がる矢の軍勢はその全てが空中のアルヴへと照準を定めていた。
「いまのあなたでも、そこではどうすることもできないでしょう!」
フィアが勢いよく錫杖を振れば、引き絞るように溜めていた魔力が一度に解放された。一つ一つが流星を思わす清冽な煌めきとともにアルヴめがけて一気呵成に飛来する。
「―――、」
自らへ殺到する星々の如き矢の波濤を、アルヴは変わらぬ穏やかな面差しで見下ろしていた。
スゥ、と短い息が一つ。
そして。
「ふっ………!!」
眩い純白の閃光があった。
大上段から鋭く振り下ろされた斬撃が、白焔を帯びた一閃となって『星々鏃』の中心を縦に大きく斬り裂く。そうして、さながら炎が燃え広がるかのように、次々と金色の鏃を連鎖的に爆発させていった。
「そん、な……」
あまりにも圧倒的な力。
信じられない光景に、フィアは半ば茫然となった。
だがそこでアルヴの動きは終わらない。
剣を縦に振り抜いた際の惰性を利用し、くるりと身体の上下を反転させた彼は、天蓋の岩肌に両足を付けた。
そして、天から地への跳躍。霞むほどの速度で落下してきたアルヴは、無防備に隙を見せるフィアを狙い剣を構えて……、
「くっ!」
決定的な遅れの後、フィアは全力で後ろに飛び退りながら苦し紛れに障壁を張った。
しかし当然ながら、防御壁はアルヴの斬撃により再び硝子の如く砕かれる。
それを、フィアは狙っていた。
「――〝舞い踊れ〟ッ!!」
飛散した無数の障壁の破片に魔力を送る。硝子片一つ一つが刃同然の切れ味を持つ旋風が巻き起こり、地に着地した姿勢で静止していたアルヴを襲う―――
「無駄です」
端的な言葉に、フィアは訝りの表情を浮かべた。
だが直後にその言葉の理由は判明する。
薄緑の刃風は確かにアルヴの身体を覆うように襲った。しかし、刃の小片が彼の身体を傷付けることはない。
彼の全身に揺らぐ白焔が、襲い来る刃たちを片端から燃やし尽くしていた。
何者をも傷付けることなく残り火と共に消えゆく硝子片の群れは、さながら蛍火のようで。その只中に静かに佇むアルヴはゆるりと剣を提げながら血赤の眼差しをフィアへと注ぐ。
思わず目を背けたくなる衝動に、彼女は歯を食い縛って耐えた。
「……何なんですか、その力は」
努めて感情を呑み込み、そう口にする。
「散々無能だの落ちこぼれだの言われておきながら、それほどの力を隠し持っていただなんて……アルヴさんは人が悪いんですね。もしかして、自分を侮辱してくる人たちのことを、寧ろ見下していたりしてたんですか?」
「――、」
アルヴは口を開かない。
ただ紅く染まる静謐の双眸で、フィアを見据えている。
「ッ、……その目で、私を見ないでください!」
衝動的に叫び、正面へと真っ直ぐに錫杖を突き付ける。
だが。
ガキンッ、と。
構えた錫杖が、気付けば剣によって抑え込まれていた。
自らの肌が触れる距離に、音もなく揺らめく白焔があった。刹那の間に肉薄してきたアルヴがその直剣でフィアの錫杖を地面に縫い止めたのだ。
「く、ぅ……!」
拘束を解こうにも、彼女の膂力では僅かも動かすことができない。
ゆえにフィアは――視線だけをアルヴへと差し向けた。
錫杖を構えぬまま、視界に彼の姿を捉え、そして言を紡ぐ。
「『隷鎧』―――『二重装』!!」
「それもです」
言葉が遅れて聞こえた。
フィアの詠唱が終わらぬ内に、またも視界からアルヴの姿が消えていた。
だが今度は、その白焔の残滓で動きの軌跡が見えた。アルヴはその場で真上に跳躍し、フィアの頭上を飛び越えるようにして瞬時に彼女の背後へと回ったのだ。
キン、と刃の鳴る音が耳元で聞こえた。
首筋に剣が当てられていることは見なくても理解できた。
「……どう、して」
「フィアさんがその魔法を目線の動きだけで使えることは、さっきまでの戦いで分かっていました」
冷静な応えに、フィアは目を瞠る。
「ただ、視線を媒介にした魔法の行使は、発動の際に対象者の姿を視界に捉えていることが必須条件のはずです。それさえ知っていれば、対処は幾らでもできます」
「……、」
今度はフィアが沈黙を返す番だった。
やがて、微笑みが零れる。
「……その剣を、振り抜かないのですか?」
「はい」
明確な返答として、アルヴは首肯を返した。
「フィアさんと、話をしたいので」
「っ、」
少女の顔が数瞬、険しさに歪む。
だがそんなことは分かっていた。彼が立ち向かってくる理由は、最初からそれが理由だったのだから。
一つ息を吐いたフィアは、表情を元の穏やかなものに戻してから共に言った。
「ならばせめて、アフタヌーンティーのご用意でもしたかったですね。……いいえ、もうそのようなお時間でもありませんか」
ダンジョン攻略のために街を出発してから、すでに五時間近くが経過している。洞窟の外は、とうに夜の帳が下ろされている頃合いだろう。
「これ以上、私と何をお話ししたいので?」
「あなたを苦しめているものの、正体を」
「……それは不愉快だと、言ったはずですが」
低い声でフィアが応じる。
「それに、それを知ったとしてあなたには何もできないでしょう。それともまさか、国の歴史の妄執に取り憑かれた者の意思を、あなたが覆せるとでも……?」
フィアはその麗しの貌に、鋭い剣幕を浮かべた。
「ふざけないでください……そんなことが叶うのなら、私はいま、ここにはいない!」
途端、少女の身体を金色のベールが覆った。
「『天鎧』――『五重装』ッ!!」
聖なる浄化の鎧が対象者の身体能力を底上げする。〝付与〟の上位魔法を自らへと掛けたフィアは、素早く体勢を反転させ、その錫杖で以てアルヴの直剣を下から撥ね上げた。
ギンッ、と硬質な音が響く。
そのまま距離を取ったフィアが、手にした錫杖を両手で構える。
白焔を纏うアルヴと、金色のオーラを纏うフィアが、数メートルの距離を空けて対峙する。
「……落ちこぼれと言われ続けてきたあなたにそれができるなら、私の六年間はいったい何だったんですか」
声を震わせながら彼女は言う。
「理不尽を強いられて、それが覆せない現実に絶望して! 欲しくもなかったこの才能が全ての元凶だったんです! 捨てられるなら何もかもを捨てたい! 『聖女』なんて死んでしまえばいい! そうすれば私は、これ以上何も間違えずに済むんだからッ!!」
引き攣れたような激情と共にフィアは駆け出す。
錫杖を棍棒のように振り回して、アルヴ目掛けて叩き付ける。
しかし接近戦の心得など持たないフィアの物理的な攻撃など、いまのアルヴには児戯も甚だしい。剣で受け、横合いに弾き、受け流してゆく。それでもフィアが攻撃を止めることはない。
ガギンッ! とひときわ激しい音を鳴らし、フィアの振り下ろした錫杖をアルヴが刃の腹で受け止めた。
至近の距離で、二人が翠と赫の眼差しを突き付け合う。
「……本当に後悔しているんです、あなたに私たちの昔話をしてしまったことを。もしもあの話をしていなかったら、きっとあなたはいまここにはいない。あなたのお人好しと善性はとうに分かっていたはずなのに……どうして私はあの時、正直に過去を打ち明けてしまったんでしょうね」
「その行為も、あなたの本音だからじゃないですか」
アルヴの答えに、フィアは言葉を詰まらせた。
「僕はさっき言いました。フィアさんには二人との記憶を大切に思うこころがちゃんとあるって。大切な幼なじみとの、かけがえのない思い出を人に話したくなるのは、当たり前のことだと思います」
「っ……な、ん……」
「気付いてませんでしたか?」
そのときだけ。
アルヴは淡い微笑みを浮かべて言った。
「二人との思い出を話してるとき……フィアさん、とても楽しそうな顔をしていましたよ。あの時の顔だけは、絶対に仮面なんかじゃなくて、フィアさんの素顔だったんじゃないですか?」
「ッ……!!」
フィアが鋭い剣幕を浮かべる。
錫杖を握る手に強い力が込められるのが分かった。
ガギン、と硬い音が響く。アルヴの直剣と交差するように打ち合わせていた錫杖を、フィアが乱雑に振り払った音だった。
彼女はそのまま数歩、アルヴから距離を取る。
「……そんなものはあくまでアルヴさんの想像。理想を想い描くのはやめてほしいと言ったはずです! 私にそんなこころなんてありません! ただあなたの目に、いまも心優しい偽りの私が映っているだけです!」
そうして真っ直ぐ正面に錫杖を構えたフィアは、『天鎧』を発動させたままに魔法陣を展開させた。螺旋を描くようにして高密度の魔力が収束していく。
「やっぱり……あなたは純粋すぎる。その清廉さが勇者としての美徳なのだとしても……私にはそれが、どうしようもなくあなたの〝破綻〟に思えて仕方がない。だって―――」
そこでフィアは一度言葉を区切った。
大きく息を吸ったのち、微笑みとも苦笑ともとれない曖昧な笑みを口許に覗かせて、言う。
「一度見殺しにされてなお、私たちのことを許したあなたは……結局、いまの私のことも、最後には許してしまうんでしょう?」
その言葉を、アルヴは黙って受け止めた。
吹き荒れる魔力風が、彼の黒髪と白焔を音もなく揺らす。
血赤の双眸が見据える先で、フィアがさらに魔力の密度を引き上げた。
「そんなものは要らない。だから、私はもう、あなたを殺すしか―――」
その、瞬間だった。
ズキリ、と。
無視できないほどに鋭い頭痛が唐突にフィアを襲った。
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