37 / 39
Episode 36:満ちてゆく月
しおりを挟む
引っ越しから数年後。私たちの新しい家には、新しい命の産声が響いた。
生まれたのは、湊にそっくりな元気な男の子と、少し私に似て内気な女の子。
子供たちが幼い頃は、湊の店『LUNA & CAMP』の裏庭が、彼らの絶好の遊び場だった。
湊は仕事の合間に、小さな焚き火の起こし方や、ランタンの芯の整え方を教え、私はその傍らで子供たちの笑い声をBGMに原稿を書き進めた。
「ねぇ、ママ。お月様はどうしてついてくるの?」
幼い娘が首を傾げて尋ねた夜、私は彼女を膝に乗せ、かつてオリ婆が私に語ってくれた言葉をそのまま伝えた。
「お月様はね、あなたを見守っているのよ。太陽の光を優しく受け止めて、あなたの足元を照らしてくれているの」
そんな日々も、過ぎてみれば瞬きのようなものだった。
子供たちはやがて自立し、それぞれが自分の「旅」へと出かけていった。
息子は湊の背中を追うようにアウトドアの道へ進み、娘は私の書斎にあった古い洋書をきっかけに、海を越えてイギリスへと留学した。
そして、季節が幾度も巡ったある日。
私たちの元へ、新しい知らせが届いた。
「パパ、ママ。赤ちゃんが生まれたよ。女の子なんだ。名前はね……」
電話の向こうで弾む娘の声を聞きながら、私は隣で老眼鏡をかけてランタンを磨いている湊と顔を見合わせた。
孫が生まれたのだ。
私たちの描いてきた円が、また一つ新しい軌道を描き始めた瞬間だった。
孫を抱きに娘の住む家を訪れたとき、私はその小さな手に、かつて私が着けていたアームカバーをそっと握らせた。
青い毛糸は少し色褪せていたけれど、湊が込めてくれた温もりは、時を超えても失われていなかった。
「……ねぇ、湊。私たち、ちゃんとバトンを渡せたかな」
帰り道の公園で、少し足取りがゆっくりになった湊の腕を取りながら尋ねると、彼は白髪の混じった眉を下げて笑った。
「ああ。十分すぎるくらいだ。……美月。お前が書いた本、孫が大きくなったら読み聞かせてやらないとな」
湊は少しだけ腰をさすりながら、それでも誇らしげに空を見上げた。
そこには、私たちを見守るように、満月が皓皓(こうこう)と輝いている。
私たち二人の時間は、少しずつ、けれど確実に静かな黄昏へと向かっている。
けれど不思議と寂しさはなかった。
子供たちが自立し、孫が生まれ、私たちの愛した物語や知識が彼らの中に根付いているのを感じるたび、私は自分たちの人生が、より大きな「円」の一部として完成に近づいているのを感じていたからだ。
「……湊、ありがとう。私をここまで連れてきてくれて」
私が呟くと、湊は何も言わず、少しだけ節くれた大きな手で私の手を握り返してくれた。
その手の温もりは、あの日ココアをくれた時も、プロポーズをしてくれた時も、ずっと変わらないままだった。
私たちは、自分たちの人生という物語を、最後の一行まで大切に書き進めていく。
いつか、時を超えてあのカフェで「過去のオリ婆」に再会するその日のために。
胸を張って、自分の人生は最高に幸せだったと報告するために。
生まれたのは、湊にそっくりな元気な男の子と、少し私に似て内気な女の子。
子供たちが幼い頃は、湊の店『LUNA & CAMP』の裏庭が、彼らの絶好の遊び場だった。
湊は仕事の合間に、小さな焚き火の起こし方や、ランタンの芯の整え方を教え、私はその傍らで子供たちの笑い声をBGMに原稿を書き進めた。
「ねぇ、ママ。お月様はどうしてついてくるの?」
幼い娘が首を傾げて尋ねた夜、私は彼女を膝に乗せ、かつてオリ婆が私に語ってくれた言葉をそのまま伝えた。
「お月様はね、あなたを見守っているのよ。太陽の光を優しく受け止めて、あなたの足元を照らしてくれているの」
そんな日々も、過ぎてみれば瞬きのようなものだった。
子供たちはやがて自立し、それぞれが自分の「旅」へと出かけていった。
息子は湊の背中を追うようにアウトドアの道へ進み、娘は私の書斎にあった古い洋書をきっかけに、海を越えてイギリスへと留学した。
そして、季節が幾度も巡ったある日。
私たちの元へ、新しい知らせが届いた。
「パパ、ママ。赤ちゃんが生まれたよ。女の子なんだ。名前はね……」
電話の向こうで弾む娘の声を聞きながら、私は隣で老眼鏡をかけてランタンを磨いている湊と顔を見合わせた。
孫が生まれたのだ。
私たちの描いてきた円が、また一つ新しい軌道を描き始めた瞬間だった。
孫を抱きに娘の住む家を訪れたとき、私はその小さな手に、かつて私が着けていたアームカバーをそっと握らせた。
青い毛糸は少し色褪せていたけれど、湊が込めてくれた温もりは、時を超えても失われていなかった。
「……ねぇ、湊。私たち、ちゃんとバトンを渡せたかな」
帰り道の公園で、少し足取りがゆっくりになった湊の腕を取りながら尋ねると、彼は白髪の混じった眉を下げて笑った。
「ああ。十分すぎるくらいだ。……美月。お前が書いた本、孫が大きくなったら読み聞かせてやらないとな」
湊は少しだけ腰をさすりながら、それでも誇らしげに空を見上げた。
そこには、私たちを見守るように、満月が皓皓(こうこう)と輝いている。
私たち二人の時間は、少しずつ、けれど確実に静かな黄昏へと向かっている。
けれど不思議と寂しさはなかった。
子供たちが自立し、孫が生まれ、私たちの愛した物語や知識が彼らの中に根付いているのを感じるたび、私は自分たちの人生が、より大きな「円」の一部として完成に近づいているのを感じていたからだ。
「……湊、ありがとう。私をここまで連れてきてくれて」
私が呟くと、湊は何も言わず、少しだけ節くれた大きな手で私の手を握り返してくれた。
その手の温もりは、あの日ココアをくれた時も、プロポーズをしてくれた時も、ずっと変わらないままだった。
私たちは、自分たちの人生という物語を、最後の一行まで大切に書き進めていく。
いつか、時を超えてあのカフェで「過去のオリ婆」に再会するその日のために。
胸を張って、自分の人生は最高に幸せだったと報告するために。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
王女様は聖女様?おてんば姫の大冒険~ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しに行きます!~
しましまにゃんこ
ファンタジー
アリシア王国の第3王女ティアラ姫には誰にも言えない秘密があった。
それは自分が全属性の魔力を持ち、最強のチート能力を持っていた「建国の賢者アリシア」の生まれ変わりであること!
8才の誕生日を境に前世の記憶を取り戻したものの、500年後に転生したことを知って慌てる。なぜなら死の直前、パートナーのドラゴンに必ず生まれ変わって会いにいくと約束したから。
どこにいてもきっとわかる!と豪語したものの、肝心のドラゴンの気配を感じることができない。全属性の魔力は受け継いだものの、かつての力に比べて圧倒的に弱くなっていたのだ!
「500年……長い。いや、でも、ドラゴンだし。きっと生きてる、よね?待ってて。約束通りきっと会いにいくから!」
かつての力を取り戻しつつ、チートな魔法で大活躍!愛する家族と優しい婚約者候補、可愛い獣人たちに囲まれた穏やかで平和な日々。
しかし、かつての母国が各国に向けて宣戦布告したことにより、少しずつ世界の平和が脅かされていく。
「今度こそ、私が世界を救って見せる!」
失われたドラゴンと世界の破滅を防ぐため、ティアラ姫の冒険の旅が今、始まる!
剣と魔法が織りなすファンタジーの世界で、アリシア王国第3王女として生まれ変わったかつての賢者が巻き起こす、愛と成長と冒険の物語です。
イケメン王子たちとの甘い恋の行方もお見逃しなく。
小説家になろう、カクヨムさま他サイトでも投稿しています。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜
日々埋没。
ファンタジー
「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」
かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。
その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。
レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。
地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。
「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」
新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。
一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。
やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。
レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。
【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。
ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。
彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。
婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。
そして迎えた学園卒業パーティー。
ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。
ガッツポーズを決めるリリアンヌ。
そのままアレックスに飛び込むかと思いきや――
彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
追放された悪役令嬢、辺境で植物魔法に目覚める。銀狼領主の溺愛と精霊の加護で幸せスローライフ!〜真の聖女は私でした〜
黒崎隼人
恋愛
「王国の害悪」として婚約破棄され、魔物が棲む最果ての地『魔狼の森』へ追放された悪役令嬢リリア。
しかし、彼女には前世の記憶と、ゲーム知識、そして植物を癒やし育てる不思議な力があった!
不毛の地をハーブ園に変え、精霊と友達になり、スローライフを満喫しようとするリリア。
そんな彼女を待っていたのは、冷徹と噂される銀狼の獣人領主・カイルとの出会いだった。
「お前は、俺の宝だ」
寡黙なカイルの不器用な優しさと、とろけるような溺愛に包まれて、リリアは本当の幸せを見つけていく。
一方、リリアを追放した王子と偽聖女には、破滅の足音が迫っていて……?
植物魔法で辺境を開拓し、獣人領主に愛される、大逆転ハッピーエンドストーリー!
地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです
有賀冬馬
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」
そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。
社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。
そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。
過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。
そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。
「君が隣にいない宮廷は退屈だ」
これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる