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ナンセンス
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しおりを挟む意識が戻った時に見えたのは、白くて高い天井。
木の梁にあるシーリングファンが回ってた。
ここが自宅じゃないことはもちろんすぐに分かった。
頭を動かしてみると、右に白い革張りのソファの背もたれ。
どういう訳かソファに横たわってた。
胸から下には毛布が掛けられてる。
左を見ると、同じシリーズでサイズ違いのソファとオットマン。
それにローテーブル、その向こうには今は火の気のない暖炉が見えた。
どうしたんだっけ?
お屋敷の前で倒れて…ここはその中?
気分は悪くない。
半身を起こしてみようと、ついた左腕に痛みが走った。
「っつ…」
ソファに何とか身体を起こした。
袖をまくると、肘の下に青あざができてた。
「良く眠っていたよ」
突然声をかけられて、肩がビクン、と跳ねた。
すぐに声のした方を振り返った。
向こうのテーブルで、こちら向きに着席してる男性がいた。
足に絡みつく毛布を脇に追いやって、急いで立ち上がった。
ズキンと膝が痛んだけど、声に出さずに耐えた。
少し離れたここから男性を見下ろした。
年の頃は40代…?
スーツを着て、新聞を読んでたようだ。
漂ってくる香りから察するに、傍らにあるカップにはコーヒーが入ってるのかも知れない。
出勤前なんだろう、今が朝なのだと男性を見て知らされた。
「あの…」
その時、ハッと気づいた。
この人を知ってる。
専務だ、真田専務。
この洋館は専務のお宅?
それに専務にここまで私を運ばせてしまった?
「も、申し訳ありません。大変なご迷惑をおかけして。しかも一晩休ませて頂いてしまったようで…」
「君は確か、うちの社員のはずだよね?」
頭を下げてた私は、その言葉に顔を上げた。
まさか自分を知ってるとは思わなかった。
勤めていたのは有名洋菓子メーカー、本社の従業員は数百名。
役員の部屋は私の所属していた課とはフロアが違った。
受け付け嬢でもなければ、秘書課所属でもなかった私。
営業課のそれもただの契約社員だった。
専務とはエレベーターや廊下であいさつを交わしたことはあっても、それ以上の会話をしたことはなかった。
「専務…」
答えに詰まった。
もう社員じゃなかった。
でも同じ職場だった上役に嘘をついても仕方がない。
大家さん風に言えば、ナンセンスだ。
正直に話すことにした。
一昨日、業績不振により契約解除されたことを。
それを聞いた専務は、眉間にシワを寄せた。
どういう感情から見せた表情なのかは分からない。
肘をつき顎の下で両の指を組ませて、質問は続いた。
「仕事の当てはあるの?」
私は首を横に振った。
「訳あって、次の職場も探せそうにありません」
「差し支えなければ、その理由を聞いてもいいかな」
理由は簡単だった。
住所不定者を雇ってくれる企業はないだろう。
これまた正直に、台風で屋根が飛んだこと、漏電の恐れがあって電気が点かないこと、老朽化によりその住まいを追われることを話した。
ドラマか映画のような不幸話に、流石の専務も耐えきれない、と笑い出した。
「ハハッ、すまない、笑い事じゃないな。フッ…」
手の平で口を覆って無理矢理笑いを殺してる。
「本当です、笑い事じゃないです」
私は頬をふくらませて見せた。
「確かに、住まいはともかく、んっん、仕事の責任は私にもあるね」
途中で再び笑いそうになるのを、咳払いで誤魔化す専務。
楽しんで頂けるならともう、放っておくことにした。
だけど専務はすぐに真剣な表情に戻って、驚きの提案をした。
「ここに住みなさい」
瞬時には理解できなかった。
「いえ、専務にそこまでして頂く訳に…」
「君ならそう遠慮すると思ったよ、」
私の言葉は途中で遮られた。
専務は腕時計を見て立ち上がった。
「だから家政婦として働いたらいい。わずかかも知れないが給料も支払う。空いた時間に職を探しなさい」
「あの、」
専務はアンティークなキャビネットの前に立った。
その上には固定の電話機が置いてある。
その受話器を取るとボタンを押した。
話し出した内容からするとどうやら、内線で誰かを呼び出したようだ。
受話器を置くと、振り返って言った。
「ただ、一つだけ条件がある」
テーブルに戻ると、座ってたイスの一つ隣のイスにあった鞄に新聞を詰め込んだ。
それからカップを取り上げて、ドアのない続きの部屋へ消えた。
あっという間に戻ってくるとカップは消えて、手には鞄のみが下がってた。
「あの、」
急に慌ただしくなった雰囲気に、なかなか言葉が繋げなかった。
完全に彼のペースに飲まれてた。
「今から君は、私の婚約者だ」
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