コガレル

タダノオーコ

文字の大きさ
4 / 75
ナンセンス

3

しおりを挟む


意識が戻った時に見えたのは、白くて高い天井。
木の梁にあるシーリングファンが回ってた。

ここが自宅じゃないことはもちろんすぐに分かった。
頭を動かしてみると、右に白い革張りのソファの背もたれ。
どういう訳かソファに横たわってた。
胸から下には毛布が掛けられてる。
左を見ると、同じシリーズでサイズ違いのソファとオットマン。
それにローテーブル、その向こうには今は火の気のない暖炉が見えた。

どうしたんだっけ?
お屋敷の前で倒れて…ここはその中?

気分は悪くない。
半身を起こしてみようと、ついた左腕に痛みが走った。

「っつ…」

ソファに何とか身体を起こした。
袖をまくると、肘の下に青あざができてた。

「良く眠っていたよ」

突然声をかけられて、肩がビクン、と跳ねた。
すぐに声のした方を振り返った。
向こうのテーブルで、こちら向きに着席してる男性がいた。

足に絡みつく毛布を脇に追いやって、急いで立ち上がった。
ズキンと膝が痛んだけど、声に出さずに耐えた。
少し離れたここから男性を見下ろした。

年の頃は40代…?
スーツを着て、新聞を読んでたようだ。
漂ってくる香りから察するに、傍らにあるカップにはコーヒーが入ってるのかも知れない。
出勤前なんだろう、今が朝なのだと男性を見て知らされた。

「あの…」

その時、ハッと気づいた。
この人を知ってる。
専務だ、真田専務。
この洋館は専務のお宅?
それに専務にここまで私を運ばせてしまった?

「も、申し訳ありません。大変なご迷惑をおかけして。しかも一晩休ませて頂いてしまったようで…」

「君は確か、うちの社員のはずだよね?」

頭を下げてた私は、その言葉に顔を上げた。
まさか自分を知ってるとは思わなかった。

勤めていたのは有名洋菓子メーカー、本社の従業員は数百名。
役員の部屋は私の所属していた課とはフロアが違った。
受け付け嬢でもなければ、秘書課所属でもなかった私。
営業課のそれもただの契約社員だった。

専務とはエレベーターや廊下であいさつを交わしたことはあっても、それ以上の会話をしたことはなかった。

「専務…」

答えに詰まった。
もう社員じゃなかった。
でも同じ職場だった上役に嘘をついても仕方がない。
大家さん風に言えば、ナンセンスだ。
正直に話すことにした。
一昨日、業績不振により契約解除されたことを。

それを聞いた専務は、眉間にシワを寄せた。
どういう感情から見せた表情なのかは分からない。
肘をつき顎の下で両の指を組ませて、質問は続いた。

「仕事の当てはあるの?」

私は首を横に振った。

「訳あって、次の職場も探せそうにありません」

「差し支えなければ、その理由を聞いてもいいかな」

理由は簡単だった。
住所不定者を雇ってくれる企業はないだろう。

これまた正直に、台風で屋根が飛んだこと、漏電の恐れがあって電気が点かないこと、老朽化によりその住まいを追われることを話した。
ドラマか映画のような不幸話に、流石の専務も耐えきれない、と笑い出した。

「ハハッ、すまない、笑い事じゃないな。フッ…」

手の平で口を覆って無理矢理笑いを殺してる。

「本当です、笑い事じゃないです」

私は頬をふくらませて見せた。

「確かに、住まいはともかく、んっん、仕事の責任は私にもあるね」

途中で再び笑いそうになるのを、咳払いで誤魔化す専務。
楽しんで頂けるならともう、放っておくことにした。
だけど専務はすぐに真剣な表情に戻って、驚きの提案をした。

「ここに住みなさい」

瞬時には理解できなかった。

「いえ、専務にそこまでして頂く訳に…」
「君ならそう遠慮すると思ったよ、」

私の言葉は途中で遮られた。
専務は腕時計を見て立ち上がった。

「だから家政婦として働いたらいい。わずかかも知れないが給料も支払う。空いた時間に職を探しなさい」

「あの、」

専務はアンティークなキャビネットの前に立った。
その上には固定の電話機が置いてある。
その受話器を取るとボタンを押した。
話し出した内容からするとどうやら、内線で誰かを呼び出したようだ。
受話器を置くと、振り返って言った。

「ただ、一つだけ条件がある」

テーブルに戻ると、座ってたイスの一つ隣のイスにあった鞄に新聞を詰め込んだ。
それからカップを取り上げて、ドアのない続きの部屋へ消えた。
あっという間に戻ってくるとカップは消えて、手には鞄のみが下がってた。

「あの、」

急に慌ただしくなった雰囲気に、なかなか言葉が繋げなかった。
完全に彼のペースに飲まれてた。


「今から君は、私の婚約者だ」



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

12年目の恋物語

真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。 だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。 すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。 2人が結ばれるまでの物語。 第一部「12年目の恋物語」完結 第二部「13年目のやさしい願い」完結 第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中 ※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...