上 下
5 / 39
蒼山のきょうだい

しおりを挟む
 それからはトントン拍子に私たちの結婚話が進んで、それでもお山同士の婚姻だからいろいろと手配があり、ひと月の間に輿入れの準備をすることになった。
 と言っても、私には事後報告ばかりで、彼からはラブレターも届かない。
「また戦いが起こっているそうですよ」
 フレディが心配そうな顔をする。
「争いの多い地なの? 聞いてないわ、ねぇリンネット?」
 エリー姉様が心配なのは紅山ではなくそこへ嫁ぐ私だ。
「領土を広げましたからね。でもあの方が王に君臨してから負けなしです」
「勝っても負けなくてもいいから戦のないところがいいに決まってるじゃない」
 地形のおかげで蒼山は狙われることが少ない。王宮は自然の要塞に守られ、民たちが暮らす平野部分も果てしなく平らで敵が侵入しづらいらしい。だから私たちが生まれてから戦は起こっていないのだ。
「フレディ、王様なのにあの人は戦いに出るの?」
 私は聞いた。蒼山だったら父様ではなく兵隊さんが戦地に赴くと思う。
「はい。そうやって王になられた方ですから」
「怖い怖い」
 エリー姉様と入れ違いで、サイカ姉様がやって来た。
「ではお姉様方おやすみなさい」
「おやすみ、フレディ」
 結婚までの間、フレディ以外の誰かしらが私の部屋で眠った。
「小さいときはみんなで寝たわね」
 サイカ姉様だけはいつも自分の枕を持って来る。
「はい。暑い日は氷を部屋に置いて冷やしてみんなで寝ましたね」
「覚えてるわ」
「ねぇ姉様、結婚してからあの人が怖い人だと思ったらどうしましょ?」
 実際に会ってしまえばいい人なのに、離れているから悪い想像ばかりしてしまう。世の中には妻を虐げる男の人もいるらしい。
「そのときは戻ってきたらいいわ。お手紙を頂戴ね、リンネット」
「はい」
 心配なことはたくさんある。姉様たちと違って私は蒼山から出たこともないし、この王宮以外で眠ったことすらないのだもの。他の国のトイレは? 毒のある蜘蛛はいるのかしら? ヘビは苦手。

 私が手紙をしたためると紅山からは返事が届いた。トイレの構造まで。
「技術力はうちよりも上じゃないかな」
 とフレディも言う。
「そんなことよりもあの方は今も戦っているのかしら。心配だわ。結婚前に婚約者が亡くなったらどうなるの? ああ、こんなことを考えてはいけないわ」
 私の身の回りの整理はサシャがしてくれた。
「姫様、この下着はもう捨てますよ。もう王妃になるのですから」
 取捨選択のとき。
「さようなら、私のダルダルパンツ。この肌着は必要かしら?」
「紅山はこっちよりも寒暖差が激しいらしいですよ」
「困ったわ。私、冷え性なのに」
 必要なものとそうでないものを区分け。輿入れだから見栄まで持たされて、どんどん荷が膨れる。
「姉様の荷物にこの本を紛れさせておくれよ。長い物語だから暇なときに読むといい」
「ありがとう、フレディ」
「それから頭痛の漢方。いい匂いのクリーム」
 次から次へと荷物が増える。
「フレディ様、女の部屋に入り浸るものではございません」
 近頃サシャはフレディにそんなことばかり言う。
「姉様とはあと僅かしか一緒にいられないんだ」
 父様は婚礼の服が紅山で作られることが気に入らないらしい。
 今宵はエリー姉様と眠る。
「母様の衣装なんて30年も前のものだし、私たちは嫁入りする側なんだからしょうがないわよね」
 エリー姉様が髪を梳いてくれる。
「ええ」
「リンネット、これ持って行って」
 姉様が私の手中に櫛を納める。
「お気に入りでしょ? 姉様の髪がきれいなのはこれのおかげだっていつも」
「遠くに行く妹のほうが大事に決まっているでしょうが」
 うちはなぜか生まれた順に背が高い。フレディなんて男なのに私と同じ。これから成長するのかもしれない。
「姉様、私は嫁に行くけど遊びに来てくださいましね」
「うん」
 私よりがっちりしたエリー姉様を抱き締めながら、私は父に使える従者たちの話を聞いてしまったことを思い出していた。
「これでいざというときは紅山に助けを求められますな」
「娘が四人もいるんだ。手駒は多いほうがいい」
「金と手が一番かかるリンネット様が一番先とは」
「こちらにとっては願ったりかなったりだ」
 父の従者たちはいつも笑顔で優しい人ばかりだと思っていた。それは表向きのこと。確かにそうだわ。私みたいな厄介な女を妻にして、あの方には利点があるのだろうか。
 エリー姉様は昔から寝つきがいい。

 初めてのあの方からの手紙は馬についてだった。馬蹄の管理をする者もいるし、
「馬と話せる婆がいるらしいわ」
 と私が言うと姉様方がげらげら笑った。
「大丈夫なの、あのお山」
「しっかりしていそうな国だと思ってたけど」
 とフレディまで。
「ん? この書簡、今までの筆跡と違うわ。あの方が書いたのかしら」
 ハネの部分がちょっと乱暴で、文字全体が右肩上がり。
「馬と話せる婆が書いたんじゃない?」
「ベルダ、笑わせないで」
 私たちは手紙ひとつでけらけら笑っていた。フレディはその間も私のために薬を用意してくれていた。芋虫を乾かしたものなんて絶対に嫌よ。
 サイカ姉様は保存の効くお菓子を作り、エリー姉様とベルダ姉様は母様の形見を漁っているようだった。
 私は自分に重要なものがあまりわからなくて、杖以外はみんながくれたものになってしまった。
「リンネット様、新しい口紅ですよ」
 サシャがふたを開ける。
「赤すぎない?」
 こんなのつけたことない。
「もう王妃なのですから」
 サシャは私と目が合うたび涙を目に溜めた。私は私以外の人が私のことで泣くのが苦手。それが嬉し涙でも。結婚が決まってから益々そう思う。
 それを手紙にしたためると、
『少しわかります』
 と、右肩上がりの文字で返事が来た。
 結婚までは本当に短かった。恐らく、私が生きてきた人生の中で最もせわしなく、ある意味充実していて、それでいて嬉しくて物悲しい。
 私が出立する前夜の晩餐ではみんな泣いてしまって。せっかくの鶏料理がもったいない。
「リンネットの好きな芋を揚げたものよ。私の分も食べなさい」
「サイカ姉様、食事のマナーが悪いと叱られます」
「いいのよ、最後なんだもの」
 姉様方が右と左の手も握るから、揚げ芋にソースがかけたかったのに、サイカ姉様に口に運ばれてそのまま食べた。
 父様はずっと黙っていた。
 夜、宰相に連れられて久しぶりに父様の執務室に入った。
「リンネット、なにを贈ればいいのかわからず今日になってしまった。流れる時間は同じだから時計を与える」
「ありがとうございます」
 父様は父様だった。王なのにしくしく泣いて、母様の肖像画を小さくしたものを手渡した。
「宰相、いえ叔父様、父をお願いします」
「はい」
 帰りは宰相が部屋までカトを押してくれた。
「王が申しておりました。リンネット様を嫁に出すのは国のためだけではないと。ここにいてみんなに守られる人生もいいだろうが、蒼山を出てもきっとリンネット様なら幸せになれると。少し過保護に育てた後悔もあるようです」
「宰相は母様と一緒にここへ来たのですよね? 母様も蒼山に馴染むまでに時間がかかりましたか?」
「ゲイローでいいですよ、姫様。姉の場合は幼き頃より家同士での婚姻が決まっていたのですが、大人になる前にうちの銘山が噴火してしまって。家族だけでなく民まで受け入れてくださって王には感謝しかありません」
「そうだったのですね」
 そんな事情があったなら母様は人質みたいな気持ちだったのだろうか。
「では、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい、ゲイロー叔父様」
 緊張して眠れなかった。ずっとこの部屋で眠っていたんだもの。明日からは違う場所で眠るのだ。
「大丈夫かしら、私」
 ドキドキすることもない人生だった。今は早く夜が明けてほしいような、時間が止まってほしいような、不思議な気持ち。葛藤ではない。
 王宮は山の中腹にあって、窓を開けると民の家に明かりがついているのが見える。そうだわ、蝋燭も持って行かなくちゃ。あっちにあるかしら。
 夜のお山様を見るのも今夜が最後。ありがとうございました。お山様が元気でいらしてくれたので、私たち家族も民たちもこうして生きてこれました。明日からは別のお山に暮らすなんて嘘みたいです。
しおりを挟む

処理中です...