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再婚と妊娠

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 お腹がどんどん大きくなった頃、サシャが来てくれた。その報告をしつつ、私の妊娠のことを姉様方に知らせる。
『コットが怯える理由もちょっとわかるの。私も怖い。でも、それ以上にお腹にいる命が愛しいし、明日が待ち遠しいです』
「統計によると腹が大きくなるにつれ気分が悪くなると。ゲロまで吐くそうだよ」
 新しく身につけた知識を披露するコットにサシャがやれやれという顔をする。確かにちょっと食欲がない。サシャがリンゴをすってくれる。
 お産婆さんに、
「そろそろ安定期ね」
 と言われたときにはほっとした。妊娠している人は腹が膨れているんだと思っていたが、自分がなってみるとわかる。下っ腹から出てくるのだ。おへそも出てくる。なんだ、これ。
 姉様方からは産着に赤ちゃんカゴなどが届いた。コットが用意してくれた臓物は食べられなくてごめんなさい。
 王妃でよかった。昼までも寝ていても誰にも叱られない。
 サシャだけが、
「少し運動なさりませ」
 と上半身だけでも動くように促す。
「ずっと眠いんだもの」
 寒いからお布団から出たくない。
 歩いたほうが血流が巡って体にはいいそうだが、私は自力では数歩しか歩けないし、お腹が大きくなってバランスがとりづらい。うっかり転んだら大変だ。
 見かねたコットが散歩に連れ出してくれる。
「リンネット、梅の花が咲いてるよ」
「本当ね。甘い匂いもするわ」
 サシャがいるから梅干しをつけようかしら。梅のゼリーもいいわね。
「リンネット、本当にありがとう。リンネットが傍にいてくれるから生まれてきて、生きていて幸せだなと思う」
 王様なのに私の肩に顔を埋めてコットが泣く。この人は、いや、人間なんて本当は弱いものなのだ。強がって心にも鎧をつけて生きてきたのかもしれない。その弱さを見せられる相手に巡り合える確率は低い。私にとってコット、コットにとって私。それでいい。
「そんな…。私のほうがあなたに迷惑をかけているわ。今だって、子どもの分重いでしょう?」
「幸せな重みだよ。パンを作ってくれてありがとう。誕生日を祝ってくれてありがとう。子どもも本当にありがとう」
 コットがだらだら涙を流すから、私もハンカチを忘れてしまったから、服の袖で拭ってあげる。
「私も、あなたと同じ気持ちです」
「いい父親になるよ」
 と決意表明をする。そんなことしなくてもコットならなれるでしょうね。もう充分すぎるほどいい夫です。私はいい母親にはなれないでしょう。でももうあなたたちから離れたくない。
 紅山の冬山は枯れ木でも夕日に照らされればきれい。コットが泣くから私も泣いちゃうの。
 私と同じように子どもにもたくさんキスをして、たくさん抱き上げてくだサイカ。
「君は子どもを産んでもほっぺがむにむにしているんだろうな」
「おばあさんになってもこうやって撫でてね」
「うん」
 紅山に来たサシャが、一蓮托生という言葉を使ったが、私はとうにその気持ちです。ずっとここで、コットに迷惑をかけながら生きてゆく。コットだけじゃない。たくさんの人の助けがなければ私は生きられない。
 妊婦の私を気遣ってなのか、姉様たちからの手紙が減る。
『リンネット姉様にお願いがあります。うちのおさじではあてにならないのでいい医者を紹介していただけませんでしょうか? 妻が長いこと臥せっておりまして』
 フレディは相変わらずだ。フレディの奥さんということは蒼山では王太子妃にあたる義妹とは婚姻の儀式の際に顔を見た程度。年上だからって、意地悪そうな顔だからって、蒼山にとっては大事な人。蒼山の何が合わないのだろう。水、空気、風、方位だろうか。私は蒼山にいるときうっかり北の方角に頭を向けると金縛りにあった。紅山では一度もなっていない。
「心配だわ。アンナ、ハイエツに蒼山へ行ってもらえないかしら?」
「聞いてみます」
 フレディはまだ側室を迎えてはいなかった。幼馴染の恋人が自害をしたからもう誰も好きにはなれないのかもしれない。それでも妻の心配なんかして、知らない間にすっかり大人みたい。
「蒼山のおさじは本当に雁首揃えてぽんこつ。王宮の池で鯉を飼ってるんだけど、石を投げ入れて鯉が浮いて来たら子ができると思ってるのよ。あんなのコットから出る白い…」
 私の言葉をコットが遮る。
「わー、リンネット他にも手紙が来ているようだぞ」
「エリー姉様からだわ、干し柿も」
『四の節になってしまいましたね。こっちの冬はこたえるから春になったらそちらへ行きたかったわ。でも冬にはかごや敷物を編んでいるし、春も種まきで忙しいんだろうな。だからできるだけのんびりそちらに滞在したいです。田植えが済んだ頃くらいかしらね?』
 タイミングよすぎます、エリー姉様。
 その頃にはちょうど子どもが生まれているかしら。きっとコットはうんと大事にするのだろう。今から焼きもちを焼かない練習をしておかなくちゃ。
 サイカ姉様が植えていった野菜も実るはず。
 ベルダ姉様からは珍しい練香が届いた。ほっとする木の香り。
「リンネット様、紙とペンです」
「ありがとう、サシャ」
 手紙を書くと不思議と落ち着く。もう足のことなどたいして悩んでいない。
 私たちだけじゃない。こうやって、誰かと誰かも約束をしているのだろう。姉妹や家族が互いを想いながら。
『そう考えると、私にはこの世界が美しく思えてなりません』
 おわり
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