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36.身代わりの女
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「最初からうちに頼んでくれていたらこんなことにはならなかったかもしれない」
ライゾン様がため息をつく。うまく進んでいないようだ。本当にそう。偽物の女がきっとボロを出したんだわ。確かに、自由だった農民の女の子が、常に人から見られる側になるのはストレスだろう。うちならばその精神論から叩き込むから。想像力が大事だ。バレたらどうなるのか考えられる人でないと己に嘘をつき続けることは難しい。
嫁ぎ先に悟られぬよう次の手を探る。
「その娘の結婚相手から多額の結納金をもらって家を建て直したようですね」
フランクは休日出勤が続いて苛々している。
「隙のない家だな」
情報屋からの取集した話や間取りをライゾン様がまとめる。その真剣な顔、普段は家では見せないから私は目が離せなくなる。
「はい。当主が人間嫌いのようで使用人は少なく、それも知り合いからかき集めているようなので屋敷に入り込むのは難しいですね」
ライゾン様とフランクが打開策を考えているのを横で聞いているのが好き。紅茶を飲みながら。
「食い物は自分のところで調達。酒まで作っているのか。服は当主の妹の嫁ぎ先か」
「そこに誰かを入り込ませますか?」
フランクの目が私を一瞬見た。
「素性を念入りに調べるようだ」
ライゾン様は私を行かせることは考えていないよう。私にもしものことがあればライゾン様に行きつくから。そんなへまはしなわ。もしもそうなったとしても…。私があなたに捧げられるのはこの救われた命だけね。
「ライゾン様、少年から手紙が届きました」
スティーブが暗号のような紙を知らせる。
「使用人が果物を市場に買いに行ったようだ。何か聞き出せるかもしれん」
ライゾン様が立ち上がる。
「私が行くわ」
私は手を挙げた。
「だめだ」
「ここは使用人同士、私が参ります」
スティーブさんが頭を下げる。
「すまない。君の仕事の範疇ではないのに」
ライゾン様はスティーブやシャーロットさんを裏家業に巻き込むことを嫌う。私にでさえ、もしもライゾン様が捕まったり殺されても何も知らないふりをしろと言う。そうしたほうが残った人間は生きやすいから。
わざわざスティーブさんが出向いたのに、
「家の名前さえ出しませんでした」
と意気消沈。私に枇杷を買って来てくれた。
「ありがとう」
自分で剝いてそのまま食べた。甘くておいしい。
それからもライゾン様はその家を探った。当主の息子、つまり娘の代わりになった女の夫には調教の癖があるらしい。さすがのライゾン様も調べられたのはそれだけ。
その日も少年がうちに知らせを届けた。医者が屋敷に出向くらしい。
「金で動くだろうか?」
家と医者は古くからの付き合いなのだろう。今日、フランクは別の用事で出かけている。
「行ってみます」
私しかいない。ミランを呼んで看護師風を装う。医者に頼み込んで同行の許しを得る。
「私の従姉妹が嫁いだ家なのですが姉様との手紙が途絶えて。先生が診察をしているところを見るだけです。一目会えば私の気が晴れますから」
と涙ながらに訴えた。こういう嘘と演技は得意なの。
「わかったよ」
先生はその娘の診察に出向くところだった。死んではいないようで一安心。
「だいぶお腹大きくなりましたね」
娘は妊娠をしているようだった。聞いていない。これが連絡の途絶えた理由なのだろうか。部屋も屋敷内できれい。悪い待遇ではないみたい。
「次は大丈夫でしょうか。もう流産は困るんです。次は絶対に産まないと」
絞り出すように彼女は震えた声で言った。
「大丈夫です。落ち着いて。赤ちゃんがびっくりしちゃいますよ」
先生の言葉を聞いても彼女は悲鳴を上げるように泣きじゃくる。
使用人が部屋を出たすきを見計らって私は耳打ちした。
「ご家族が心配しています」
「家族? 私の家族はここの家の人間よ」
取り乱した彼女の様子に医師が首を振る。目はうつろで話にならない。諦めて私は帰宅した。
「話にならなかった」
とライゾン様に報告。
「無事でよかったじゃないか」
「そうね」
その点だけはほっとしている。が、あの状態では子どもよりも彼女の心が心配だ。
「家族や使用人に彼女の身の上はバレてはいないのか?」
ライゾン様が聞く。
「わからないわ。ごめんなさい」
あれでは夫や当主も、彼女の家に説明ができないだろう。
私は看護師だと偽って薬を届けたり、彼女の話を聞いた。彼女はすぐに私が幼いことに気づいた。今はグレースという名で気に入っていると笑った。
「私は親の顔を知りません。私を育ててくれた人にはとても感謝しています」
と彼女は言った。
「私もです」
ライゾン様にはいくら感謝をしても足りない。
「この子が生まれれば全部が終わる。私はちゃんとこの家の人間として認められる」
呪文のように彼女は唱えた。私は並行しながらなんとか彼女を救い出す術をライゾン様と考えあぐねた。今から彼女に似た妊婦をすり替えることなんて不可能。
彼女の嫁ぎ先が彼女をいじめていることは明白だった。家族も使用人も彼女に優しくない。表向きは人として扱っているが私にも陰口が聞こえる。私がライゾン様の立場だったらなんとかして家族を不幸に追いやってやる。私のような人間は人の上に立たないほうがいい。
グレースを救い出したかったが、言い包めることができない。理由をつけて彼女の親に来てもらうべきか。
そうこうしているうちに、ライゾン様が嫁がせた他の女の素性がバレそうになり、私はグレースにばかりを気にかけることができなかった。
幸せってどうしてこんなに難しいのかしら。生まれつきたくさんのものに恵まれている人がいる反面、何も持たず奪われるだけの人もいる。ライゾン様がどうにかしようとも遅かった。彼女は自ら命を絶ってしまった。
「自害してくれて助かった」
ライゾン様が言った。本気で言っている、この人は。うちの裏家業が公になったらたくさんの人に迷惑をかけるからだ。
私はグレースがそうなってしまったら嫌だなと思っていた。彼女は出産の前に別荘に連れてゆかれるそうだった。そこで子どもと幸せに暮らしてほしい。
偽物とバレなければいいのだ。亡くなってしまった女の葬儀は女の実家主導で行われ、夫は彼女を追い詰めた罪で警察に問い詰められることにはなったが逮捕はされなかった。そうやっていろんなことが終結する。
人の死なんて子どものときから慣れっこ。それなのにちょっと知っている相手だと胸が痛むのはなぜなのかしら。
ライゾン様がため息をつく。うまく進んでいないようだ。本当にそう。偽物の女がきっとボロを出したんだわ。確かに、自由だった農民の女の子が、常に人から見られる側になるのはストレスだろう。うちならばその精神論から叩き込むから。想像力が大事だ。バレたらどうなるのか考えられる人でないと己に嘘をつき続けることは難しい。
嫁ぎ先に悟られぬよう次の手を探る。
「その娘の結婚相手から多額の結納金をもらって家を建て直したようですね」
フランクは休日出勤が続いて苛々している。
「隙のない家だな」
情報屋からの取集した話や間取りをライゾン様がまとめる。その真剣な顔、普段は家では見せないから私は目が離せなくなる。
「はい。当主が人間嫌いのようで使用人は少なく、それも知り合いからかき集めているようなので屋敷に入り込むのは難しいですね」
ライゾン様とフランクが打開策を考えているのを横で聞いているのが好き。紅茶を飲みながら。
「食い物は自分のところで調達。酒まで作っているのか。服は当主の妹の嫁ぎ先か」
「そこに誰かを入り込ませますか?」
フランクの目が私を一瞬見た。
「素性を念入りに調べるようだ」
ライゾン様は私を行かせることは考えていないよう。私にもしものことがあればライゾン様に行きつくから。そんなへまはしなわ。もしもそうなったとしても…。私があなたに捧げられるのはこの救われた命だけね。
「ライゾン様、少年から手紙が届きました」
スティーブが暗号のような紙を知らせる。
「使用人が果物を市場に買いに行ったようだ。何か聞き出せるかもしれん」
ライゾン様が立ち上がる。
「私が行くわ」
私は手を挙げた。
「だめだ」
「ここは使用人同士、私が参ります」
スティーブさんが頭を下げる。
「すまない。君の仕事の範疇ではないのに」
ライゾン様はスティーブやシャーロットさんを裏家業に巻き込むことを嫌う。私にでさえ、もしもライゾン様が捕まったり殺されても何も知らないふりをしろと言う。そうしたほうが残った人間は生きやすいから。
わざわざスティーブさんが出向いたのに、
「家の名前さえ出しませんでした」
と意気消沈。私に枇杷を買って来てくれた。
「ありがとう」
自分で剝いてそのまま食べた。甘くておいしい。
それからもライゾン様はその家を探った。当主の息子、つまり娘の代わりになった女の夫には調教の癖があるらしい。さすがのライゾン様も調べられたのはそれだけ。
その日も少年がうちに知らせを届けた。医者が屋敷に出向くらしい。
「金で動くだろうか?」
家と医者は古くからの付き合いなのだろう。今日、フランクは別の用事で出かけている。
「行ってみます」
私しかいない。ミランを呼んで看護師風を装う。医者に頼み込んで同行の許しを得る。
「私の従姉妹が嫁いだ家なのですが姉様との手紙が途絶えて。先生が診察をしているところを見るだけです。一目会えば私の気が晴れますから」
と涙ながらに訴えた。こういう嘘と演技は得意なの。
「わかったよ」
先生はその娘の診察に出向くところだった。死んではいないようで一安心。
「だいぶお腹大きくなりましたね」
娘は妊娠をしているようだった。聞いていない。これが連絡の途絶えた理由なのだろうか。部屋も屋敷内できれい。悪い待遇ではないみたい。
「次は大丈夫でしょうか。もう流産は困るんです。次は絶対に産まないと」
絞り出すように彼女は震えた声で言った。
「大丈夫です。落ち着いて。赤ちゃんがびっくりしちゃいますよ」
先生の言葉を聞いても彼女は悲鳴を上げるように泣きじゃくる。
使用人が部屋を出たすきを見計らって私は耳打ちした。
「ご家族が心配しています」
「家族? 私の家族はここの家の人間よ」
取り乱した彼女の様子に医師が首を振る。目はうつろで話にならない。諦めて私は帰宅した。
「話にならなかった」
とライゾン様に報告。
「無事でよかったじゃないか」
「そうね」
その点だけはほっとしている。が、あの状態では子どもよりも彼女の心が心配だ。
「家族や使用人に彼女の身の上はバレてはいないのか?」
ライゾン様が聞く。
「わからないわ。ごめんなさい」
あれでは夫や当主も、彼女の家に説明ができないだろう。
私は看護師だと偽って薬を届けたり、彼女の話を聞いた。彼女はすぐに私が幼いことに気づいた。今はグレースという名で気に入っていると笑った。
「私は親の顔を知りません。私を育ててくれた人にはとても感謝しています」
と彼女は言った。
「私もです」
ライゾン様にはいくら感謝をしても足りない。
「この子が生まれれば全部が終わる。私はちゃんとこの家の人間として認められる」
呪文のように彼女は唱えた。私は並行しながらなんとか彼女を救い出す術をライゾン様と考えあぐねた。今から彼女に似た妊婦をすり替えることなんて不可能。
彼女の嫁ぎ先が彼女をいじめていることは明白だった。家族も使用人も彼女に優しくない。表向きは人として扱っているが私にも陰口が聞こえる。私がライゾン様の立場だったらなんとかして家族を不幸に追いやってやる。私のような人間は人の上に立たないほうがいい。
グレースを救い出したかったが、言い包めることができない。理由をつけて彼女の親に来てもらうべきか。
そうこうしているうちに、ライゾン様が嫁がせた他の女の素性がバレそうになり、私はグレースにばかりを気にかけることができなかった。
幸せってどうしてこんなに難しいのかしら。生まれつきたくさんのものに恵まれている人がいる反面、何も持たず奪われるだけの人もいる。ライゾン様がどうにかしようとも遅かった。彼女は自ら命を絶ってしまった。
「自害してくれて助かった」
ライゾン様が言った。本気で言っている、この人は。うちの裏家業が公になったらたくさんの人に迷惑をかけるからだ。
私はグレースがそうなってしまったら嫌だなと思っていた。彼女は出産の前に別荘に連れてゆかれるそうだった。そこで子どもと幸せに暮らしてほしい。
偽物とバレなければいいのだ。亡くなってしまった女の葬儀は女の実家主導で行われ、夫は彼女を追い詰めた罪で警察に問い詰められることにはなったが逮捕はされなかった。そうやっていろんなことが終結する。
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