出張万屋やくも奇譚

あしたてレナ

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依頼1

3 魔除けの香

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「山田さん、はご用意いただけておりますか?」
「ああ、あるよ。寺さ置いである」

 山田が安曇あずみ八雲やくもを案内したのは、古びた小さな寺だった。木造の壁や柱は日焼けにより変色し、階段は登るたびにギッと音が鳴る――「やくも」のドアと同じだ。
 本堂の鍵を外して観音開きの扉を開けると、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていたものが溢れ出すように白檀びゃくだんの甘い香りが広がった。それをことに、安曇は気づく。
 視界に入ったのは小さな仏像と、その手前に山田が用意していたというもの。
「社長、これって」
「ああ、そうだよ。きみが毎日焚いてくれるお香と同じものだ。まあ形は違うけれどね」
 真っ黒な缶と小さな箱が、木製の箱に敷き詰められている。それを避けると、小さな香炉と、香を焚くための道具がひとまとめに置かれていた。
 八雲は香炉の灰をかき混ぜ、表面をならすと箱から新しい炭を取り出した。すると山田がライターを差し出し、火をつける。二人とも手慣れている。
「あの」
「これは定期的に行っている仕事だからね。ぼくも山田さんも初めの頃に比べたら手早くなった」
 問いたいことはわかっているとでも言うように、手を動かしながら八雲が話す。灰の中に炭を半分ほど埋めると、小さな木片を近くに置いた。
「それはなんですか?」
香木こうぼくだよ。お香の原料だね。いい香りがするだろう? この炭で温められると、香りがさらに広がるんだ。本当はすべての家でこれをやってほしいところだけど、もっと簡単なほうがいいからね。皆さんのお家は、これ」
 指差した先には、避けられた木箱。
真夜まやくんは、缶香ほとぎこうって知っているかい」
「いえ……」
「『ほとぎ』っていうのは缶の昔の呼び名。缶にさ、お香が入ってるから缶香」
「なんか、そのまんまですね」
 安曇の指摘に八雲はふふっと笑みを零した。
「そう。でもそれでいいんだ。簡素だろうがなんだろうが、大事なのは効くかどうか。なんだってそうだろう? 難しければ高尚ってわけじゃない。高ければいいってものじゃない。これは簡単でも、きちんと魔除けの力を発揮してくれる」
 そこまで聞いて、はっとする。
「毎日お店の外で焚いてるお香って、そういう意味だったんですか!?」
「そうだけど、言ってなかったっけ?」
 きょとんとする八雲。
「そんな大事なものならちゃんと説明してくださいよぉ! これ毎日焚いてねとしか言われてませんっ!」
 憤慨する安曇に対して、八雲は柔和な表情を崩さない。
「いいんだよ、あれは真夜くんが覚えていてくれれば。ぼくよりも、きみを守るために置いているようなものだ」
「え」
「さあ、今から集落すべての家の缶香を、新しいものに交換しに行くよ。陽が落ちる前に終わらせないと」
 わたしのためですか?と安曇が発する前に、八雲が遮った。必然、彼女の次の言葉も変わる。
「これ……何個あるんです?」
 八雲はええと……と考えるような仕草ののち、朗らかに笑んだ。
「二十二、三個じゃないかな? 数はたいしたことないだろう? それよりも家同士が離れている所があるから、移動のほうが大変かもね」
 家同士が一キロ以上離れている場所もあり、なおかつ山間やまあいの集落。坂道が多い。
「えっと、山田さんの、車は」
「歩ぎでねぇど入っていげねぇどごがあんだ」
「真夜くん、筋肉を信じよう。魔除けに必要なのはパワーだよ。いやあ若い従業員が入って良かったなあ~!」
 意味のわからない励ましをする八雲の片手にはスマートフォン。すでになんらかのアプリを起動している。安曇に作業をさせて、ソシャゲに興じるつもりなのだろう。
「もー……初めてなんですから、ちゃんと教えてくださいね……」
 もちろん、と満面の笑みで返す八雲に嘆息しつつ、安曇の初仕事が始まった。

 ♦︎♦︎♦︎

 日本に香りの文化が根付くきっかけとなったのは、仏教の伝来である。香木が生育しない日本に沈香じんこう――樹木が自身の傷を修復するために分泌した樹液が樹脂となり、香りを放つようになったもの。産地や樹木の種類によって香りが異なる――や、白檀の香りがやってきたのだ。
 香りは場を清める宗教儀礼としての一面のほか、組香くみこうなどといった香りを聞き当てる遊戯、香水や衣服へのきしめといった身にまとうもの、時香盤じこうばん常香盤じょうこうばんといわれる時計、そして古くは病を癒やすと考えられ、薬と同様の管理がなされるなど、多くの役割を持っている。
 八雲がH市の依頼で用いたのがこの香り――とりわけ魔除けとしての意味合いを持つ使用法だ。清めるといっても香を焚く、塗る、匂袋など方法は多岐に渡るが、この依頼では人間ではなく畑や動物が被害を被っているため、集落の人間が匂袋を持ち歩いたり身体に香を塗ったとてたいして意味はない。それならばすべての家屋で香を焚き、狒狒ひひから集落全体を守るというのが彼が選んだ手段だ。

「社長、こんな感じですか……?」
「うん、いいね。その調子で頼むよ」
 真っ黒な缶の中に円錐型の香を置き、風で倒れたりしないよう固定する。家によって、吊るしてほしい、缶の下部を埋めてほしい、柱に固定してほしいなど要望はさまざま。それに応えながら作業を進めてゆく。
 一度やり方を覚えてしまえば難しいことはなにもない。安曇は家主の要望を聞きながら作業を進め、八雲は異変がなかったか聞き取り……という名の談笑。ときどきソシャゲ。
「社長ー、先にお隣のお家向かってますよ?」
「うん……あっ! 強いっ……!」
 その地に出現する化け物を倒すゲームなのだとか。もはやなにも言うまい。

 十五時を少し過ぎた頃、安曇は最後の缶香の設置に取りかかっていた。ぽつぽつと一軒ずつが離れた集落の缶香、二十四個――八雲が言っていた数より多い――を交換するとなると、歩いた距離は数キロに及び、作業は簡単でもじんわりと汗をかく。
「これでよし」
 安曇の手元には重たそうなブロックがあり、中心に缶香をはめ込む穴が開けられていた。そこに缶を固定してほしいというのが家主の要望だ。
 設置を終え、手の甲で額の汗を拭うとふいに後ろから声をかけられた。
「安曇くん、ごめん。奥にもう一軒あるんだった」
 振り返ると少し申し訳なさそうに、家があるのであろう方角を指差す八雲が立っていた。西陽を受けて、表情はよく見えないが口をもごもご動かしている。大方おおかた、安曇が作業している間に家主からなにかをご馳走になったのだろう。
「はいはい。どこですか」
 少し頬を膨らませながらも安曇が歩み寄ると、八雲はこっちこっちと先導する。
「あれ、でももう缶香ないんじゃないですか?」
「ああ、大丈夫。急いで用意したから」
 整備された道路を外れ、獣道のような細道を進んでいく。草木ばかりで見通しが悪く、山の奥深くへ入っていくかのようだ。太陽光が遮られ、辺りは少しばかり薄暗い。安曇には心なしか、気温が下がったように感じられた。
「社長、こんな所通るんですか?」
「近道なんだよ。もしかして安曇くん……こわい?」
 いつもの調子で彼女をからかうように、八雲はけらけらと笑う。
「なっ! まさか! そんなことあるわけないじゃないですかっ!」
 八雲は前を向いたまま、再びけらけらと、笑った。
 甲高い、まるで悲鳴のような一陣の風が吹き抜けた。

 ♦︎♦︎♦︎

「おーい、設置はどう……あれ?」
 八雲が家主との談笑を終えて外に出てみると、安曇の姿はない。玄関先にはが置かれており、缶の中には真新しい香も入っている。作業は完了しているようだ。
「ふむ……差し入れに玉こんにゃくをいただいたんだけどな」
 熱々のほうがおいしいんだけど。
 そう思いつつ、八雲は串に刺さった玉こんにゃくを一つ、頬張った。
 
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