花カマキリ

真船遥

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Scene 1

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 廊下ですれ違った男の顔は以前と打って変わって自信に満ち溢れていた。俺があんなに男前だったら、この世界の主人公にでもなったのかと錯覚するだろうに、とすれ違った男の後ろ姿を眺めて思っていた。俺が担当することになった女優の玉城由衣とあの男がホテルに入っていく時の顔は、あんなに自信に満ち溢れていなかった。男は、最近売り出し中の二枚目俳優だった。顔が好みだったから、と言って、玉城由衣は自分が宿泊している高級ホテルの一室にあの男を酔わせて、誘った。バーカウンターで話しかけ、獲物を見定めた肉食虫のような目つきで男を口説いているところを、俺は客の中に週刊誌のカメラマンが紛れていないか、あたりをのべつ警戒しながら遠くの席から見張っていた。
 携帯電話で呼び出された俺は、部屋の扉をノックすると、扉越しに、マネージャー勝手に入ってきて!、と声が聞こえてきたので、ガチャリ、と音を立てて、慎重な足取りで、ベッドルームまで足を運んで行った。事務所が用意した俺が泊まっているビジネスホテルとは、全く造りが違い、見事に豪奢だった。扉を開けてすぐにベッドが見えない部屋を俺は初めて見た。廊下を抜けると、西洋風の絨毯の上には、上等なベージュの家具がいくつも置かれていて、壁一面を使った大きな窓の向こうには、闇夜に際立つ紅いシックな東京タワーが芝公園の隣りに聳え立ち、眠ることを知らない東京の街が眼下に広がっていた。テーブルの上には、食べかけのナッツと飲みかけのウイスキーにワイン。彼女とあの男が会話を楽しんだ痕跡のある部屋を抜け、脱ぎ捨てられた衣服を辿るように視線を移していくと、キングサイズの大きなベージュのベッドの上で、全裸でウイスキーグラスにジャックダニエルを注いでいる玉城由衣の姿があった。
 玉城由衣はウイスキーグラスを片手に、俺のことを見つめている。秀でた形のいい鼻梁に、長く麗らかなまつ毛と大きな瞳。怜悧な口元から、口に運んだウイスキーが垂れている。彼女はもう片方の手で、指先に力を込めずピースの形を俺に見せつけた。
「タバコですか?」と俺は彼女に訊いた。
 彼女は、物憂げな瞳で何かやり残したことがあるように鏡台を見つめて、「違うわよ。それ」と言って、台の上に置かれている紙に巻かれた萎びた何かを指差した。
 おぼろげではありながら彼女が指差した物の正体に勘づいた俺は戸惑った。彼女は、俺が内心狼狽えているのを見抜いたのか、早く!、と俺に声をかけた。俺はその何かをとり、彼女の指の間に挟むと、彼女はそれを咥え、伏し目にしながら顎を突き出した。俺は、胸ポケットからジッポライターを取り出して火を点けてやると、彼女は大きく煙を吸い込み、勿体ぶったように、満足そうに煙を吐いた。
「私が男と寝た後、手をこの形にしたら、タバコのことじゃないから。前の担当から何も聞いてないの?」もう一度、先ほどのピースサインをさせて、俺に言いつけた。
「タバコは好きな銘柄しか吸わないから自分で勝手に吸うわ」
「それは?」と俺が念の為に訊くと、彼女は独り言でも言うみたいに「マリファナ」と小さな声でつまらなそうに、吐き捨てた。
 口から漏れた煙は、たゆたいながら、彼女の綺麗な肌を滑り、昇っていく。そして、紅い口紅のついたマリファナの吸い口を俺の方に差し出し、「試してみる?」と意地らしく笑いながら俺に訊いてきた。俺は彼女の媚態混じりの視線に緊張し、唾を一度、ゴクリと飲み込んでから、やめておきます、と断ると、彼女は、何だつまんないの、と言って、ウイスキーを上唇で舐めるように口に含んだ。
 彼女がもう一度深く煙を吸い込み、恍惚とした表情で煙を吐き出すと、「教えてあげるよ」と言って、ネクタイを掴んで思い切り引っ張りベッドに俺を押し倒して、全裸で上に跨った。彼女はウイスキーを口に含み、俺の顎を片手で掴んで、覆いかぶせるように唇にむしゃぶりついてウイスキーを流し込みながらキスをしてきた。口移しで流れ込んでくるウイスキーが二人の口の隙間から漏れて、俺の体温で冷たく揮発すると、熟成された匂いの中にツンと鼻を刺すようなアルコールの匂いが立ち込めはじめ、口内を通り抜けてきたウイスキーは俺の喉を熱く焼いた。俺がウイスキーを全て飲み干すと、ヌメヌメした食道が焼けるように痛み、胃酸と混じり合ったウイスキーが腹の中をジワジワと温めていった。徐々に、気持ち悪さと、脳みそが痺れていくような感覚を覚え、思考は弛緩し、体から意識が浮遊していきそうになっていく。突然の出来事に体を硬直させていると、抵抗しない俺の口の中に、彼女は一酸化炭素臭い舌を突っ込んで、舌を探すように俺の口の中で舌をまさぐった。俺はネクタイを緩め、もう片方の手で彼女を抱き寄せて、舌を重ねたり吸い込んだりすると、彼女はシャツのボタンを上から順番に乱暴に外していき、ズボンに丁寧にしまっていた俺のシャツを粗雑に引っ張り出しベルトを外した。彼女は上体を起こして、形のいい胸の形を強調するように、両腕寄せながら俺の胸をしばらく押さえつけ、呼吸を荒くしている俺の様子をしばらく窺っていた。
 すると、何かを諦め、悟ったような顔をして、俺の体から降りて、ウイスキーグラスと灰皿を持って、リビングルームに歩いて行った。俺は上下する左右の尻の動きを眺めながら、呼吸を整えて、ベッドで頭を掻いた。まだ、頭が痺れるような感覚がある。彼女は脱ぎ捨ててあった下着を着て、ソファーに片膝を立てながら座った。
 下着は刺繍のある可愛いものではない。男を興奮させるための特別なものではなく、生活感が滲み出ている使い込んだ白い地味な下着だ。薄地のキャミソールからは乳首の色が透けて見える。アイズワイドショットでニコールキッドマンが着ていたハンロの下着によく似ている。金色に染められた髪と、派手な内装のせいで、余計にあの映画のワンシーンが頭に浮かんでくる。 
 十八で映画の主演を務め、そこから一気にこの三年間で日本映画界のスターダムを登ってきた彼女だ。俺と違って欲しい物は何でも手に入るのだろう。この光景だって彼女にとっては日常だ。豪華なスイートルームに、初めて会った顔の良い男とのセックス。俺には特別な出来事のように思えるが、彼女には日常そのものなんだ。下着の地味さがそれを物語っている。
「ねえ、ヤってる最中、何度も気持ちいい?って訊いてくる男ってどう思う?」と唐突に俺に質問してきた。
「さあ、男だからわからないですけど、俺が女だったら、ダサいなって思いますかね」俺は乱れたシャツを直しながら、彼女の方へ歩いていった。
 玉城由依は、大きく口を開けて笑い、何度も手を叩き、
「そう。よくわかってるじゃん。あんた名前は?」と失礼な質問をしてくる。別に彼女とは、初めて顔を合わせるわけではない。会って、4、5回な上に、初めて顔を合わせた時には、自己紹介もしている。
「如月竜です」
「キ、サ、ラ、ギ、リュ、ウ、かっこいい名前じゃん。歳は?」
「22です。今年23になります」
「一コ上かー。じゃあ新卒じゃん。いきなり私の担当とか大変じゃない?。なんで、ウチの芸能事務所なんか入ったの?」
「映画やテレビが好きなので。僕は華がないので出演するのは無理ですけど、そういった業界を裏から支える仕事ならできるかなと。加賀美事務所に入ったのは、社長がいい人そうだったので。大変かどうかは、玉城さん次第?」もちろん嘘だ。
 単純に派手な世界をこの目で見たいだけで、俺は別に映画もテレビも好きじゃない。もっと大きな事務所で働きたかったが、将来のためにしたくもない勉強を頑張って、いい大学に入るなんて考えたこともない俺の学歴では、この不景気な時代には、到底無理な希望だった。今は加賀美事務所というところに勤めている。昔、一世を風靡した加賀美陽子という女優が所属していた事務所で、引退後には事務所の社長を勤め、若手の育成に励んでいる。大した事務所ではないので満足しているわけではないが、リーマンショック後の不景気のこの時代に落ち着く所に落ち着いたくらいには思っている。正直、金が貰えて、死ぬほど退屈じゃなければ、仕事なんて何でもいい。何でも人並み以上にこなせる俺にとって退屈しなさそうな業界が芸能界だった。そして、彼女は俺が勤めている事務所の看板女優で、今の事務所の大黒柱と言っても過言じゃない。尊大な態度もそのせいだ。
「ふーん。ねえ今の仕事楽しい?」
「まだ研修が終わったばかりで、本格的な業務はこれからなので。まだ何とも」と俺は当たり障りのないことを言った。
「仕事楽しい?って訊いてくるやつと、ヤってる最中気持ちいいか確認してくる奴の共通点知りたい?」
 ええ、まあ、と煮えきらない態度で言うと、彼女は、俺なりの答えを待ち侘びているのかニコニコしながら俺の顔色を伺っている、俺が何も言わずに部屋の片付けを開始すると、そんな好奇心が肩透かしに遭ったためかなのか、決めつけるように、小心者なトコロ!、とキッパリ教えて見せた。
「自己愛強いナルシストのくせに自分に自信がないの。見た目だけ派手にして。虚勢ばっか張ってるダサいやつ、あんたのことは今採点中。あんた、えーと、キサラギは仕事について踏み込んで聞いてこないから、今のところは及第点」
 彼女はマリファナを最後に一吸いして、灰皿に燃え滓を擦り付け、ジャックダニエルを口に含んで、口の中を濯いでから、ゴクリ、と一思いに飲み込んだ。急に静まり返った一室で、彼女の様子を観察していた。何か思い詰めたように、片手でグラスを振りながら、廊下の隅を見つめている。何か別の世界が見えているみたいだった。昂った気分が落ち着いて、脳みそがとろけていきそうな感覚を味わっていると言うよりは、物思いに耽って昔のことを思い出しているように見える。ウイスキーグラスを退屈そうに振ると、グラスの幾何学模様の彫り込みが琥珀色に光を反射していた。
「あいつ、顔だけは良かったんだけど。それ以外は本当に最悪だったわ。クスリやりながら、ヤリたかったけど。ああいうやつの前で、マリファナとか吸うと、相手もやりたがるから困るのよね。中学生みたい」達観したふうに言っているが、相手の男は確か二十六歳くらいだった気がする。
「バレたら大変ですもんね」と適当に流すと、「そうじゃないの。確かにバレたらやばいけど。薬やると勃たなくなるやつがいるのよ。勃たないくせに、テンションだけ馬鹿みたいに上がって、全然イカないの、最悪でしょ」
「別に嫌ならヤル必要ないじゃないですか。話を聞いてると、玉城さんは別にセックスとか好きじゃなさそうですけど。なんか義務感でやってるみたい」
「本当に何も聞いてないのね。明日から、本格的に次の映画の撮影が始まるでしょ。私にとってセックスは儀式なの。撮影が始まる前にセックスした映画は必ず売れるの。しなかった時は、ドラマでもなんでもだいたいコケる。ジンクスってやつ。なんかね、ヤッた後に台本読んで役作りを詰めると、私の中で、もう一人何か新しい人格が生まれてくる感じがして、そのイメージのまま、撮影に臨むとなんかシックリくるの。自転車の変速ギアを変えた時に、チェーンが、ガチャンって、綺麗にハマる時あるでしょ。あんな感じ」
「そう言うものなんですか」と、俺はあくびを押し殺して言った。全く興味が持てない。
「あと、いい加減、玉城さんって呼び方やめてもらっていい。私の方が年下なんだし。でも、ユイちゃんもダメよ。由衣、で良いから。ユイちゃんと、玉城さんって呼ぶのは絶対やめて、出たくもないバラエティ番組で大嫌いな汚いおっさんの司会者に自分の名前を呼ばれているみたいで気持ちが悪いの。そうだ、そういえば、あれ持ってきた」
 俺は部屋に置いたバックから、B5サイズの冊子を取り出して、彼女に渡した。明日からの撮影の台本だ。彼女は台本を受け取ると、さっきまでの気だるい眼差しと打って変わって、真剣な眼差しで、冊子をめくり、何箇所も赤ペンでメモが書いてある台本を確認し始めた。
 彼女が台本を読み込む横顔を見た時、俺は初めて彼女を、美しい、と思った。五分?、十分?、何も話しかけず、彼女を眺めていると、台本をテーブルに投げ出して、急に立ち上がり、俺の方に歩み寄ってきた。
「クスリのせいかしら。それとも、アイツのせいかしら。何だかヤリ足りない気分なの」と俺の腰に手を回して、下から見つめてきた。
「流石にちょっと」と俺は、頭をかきながら断った。事務所の社長に聞いている、どんなに誘われても彼女とは絶対に寝るな、と。
「よく見てみると、あんた結構カッコイイ顔してるのね。瞳も綺麗だし、鼻も結構高いのね。あの人に似てる、ファイトクラブの」
「ブラッド・ピッド?」と俺が言うと。
 彼女は、屈託なく俺の胸元で笑い、「もう一人の方よ。流石にブラピは無理あるでしょー」と言った。
「エドワード・ノートン?」
「そうその人。てか、ブラピ?さっきは自分には華がないなんて言ったくせに。自信家なのね」
「エドワード・ノートンだってかっこいいでしょ。なんなら俺はノートンの方が好きかも」
「そうなんだ。でも、こうやって、密着してたら、本当にしたくなってきたわ。私がどうやって、男落とすか特別に教えてあげる」と言って、俺の後頭部を両手で持って、自分の顔の方に俺の顔を持ってきて、背伸びをしながら、熱烈にキスをしてきた。
 唇が離れると「それで、ちょっと、恥ずかしそうなふりをしながらね、上目遣いで、あなたといるとなんか自分に自信が持てるような気がするの、とか言えばいいの」と上目遣いで見つめながら言ってきた。
 さっきまでの気だるい淫乱な雰囲気が消え去り、濁っていた瞳は、光を当てられたみたいに、輝き始めた。肌もよくみると、キメが細かく、上質な陶器みたいに綺麗で、思わず触って感触を確かめたくなるほど、滑らかだった。酔っている状態で、こんなこと言われたら、落ちない男はいないだろう。俺は、思わずそっぽを向きたい衝動に駆られたが、その視線を受け止めた。部屋に走った緊張感のせいで、固唾を飲んだ。俺は目の前にいる女が、本当に女優なのだと再認識した。
「でもダメね。あなたは優秀そうだもの。そんな簡単に死なれちゃ困るわ」
「死ぬ?」
「ママから何も聞いてないの。社長が私の親ってことは流石に知ってるわよね」
 玉城由依は社長の加賀美陽子に引き取られ、今日まで育てられた、と聞かされている。
「それは知っていますよ」
「本当はね。本名も全く別なの。両親が強盗に殺されちゃってね。私、強盗の様子を隠れて見ちゃったの。証人保護ってやつ?それで、名前が変わったの。信頼している人にしか本名は教えないけど」
「そうだったんですか。苗字が違うのがなんか変だなあ、と思ってましたけど。今、腑に落ちました」
「多分、強盗に見せかけた殺人だと思うけどね。私ね、聞いちゃったの、強盗が私の両親を殺した後、誰かに電話をかけてるの。なんかね、芸能界の用語使ってたから、絶対に黒幕が芸能界にいるわ」と言った後に、続けて、
「私、その犯人を見つけるために女優やってるの」と彼女は自分にいい聞かせるように言った。
 俺は部屋を片付ける手を止めて、初めて彼女の話に耳を傾けた。見た目や経歴に隠れているせいで、見えにくいが、彼女も他の人と同様に壮絶な過去を持っていた。人は皆、相手の外見と履歴書みたいなもので他人を評価しようとする。大手企業のクソ人事みたいにつまらない奴は特にそうだ。彼女の言葉に耳を傾けていたのは、俺がそんなつまらないやつになりかけていたのを内省していたのかもしれない。
「嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。急に真剣な振りをして聞かないでよ。そんな辛気臭い理由じゃないの、私がこの仕事をしているのは単純にみんなが欲しいものが手に入るから。金とか、名声とか、綺麗でオシャレな服とか」彼女は台本に目を落としている。
「そんなことのために?」俺は冷淡に言った。
「そう、みんなが手に入らないものが手に入るのが気持ちいいの。そうじゃなかったらこんな仕事やらなーい。浮腫んだり、太ったりしないように常に食べるものに気をつけて。体型維持のために、したくもない運動を週に三回もして。売れるために際どい水着をつけて写真撮られたり。芸歴が私より長いだけで、才能も実力もない女優とかアイドルに礼儀正しく接して。おまけに仕事のためにおっさんと寝たり、どこぞの有力者を接待したりするのは、全部、承認欲求とか、優越感のため。この体に産んでくれた両親に感謝しないと。私の実の母親もね、女優だったの、まだ無名だったけど。パパは脚本家、映画メインの。事件の当日も、家でママのために脚本を書いていたわ」
「そんなに詳しく事件のことを話してもいいんですか?」
「どういうこと?」
「それだけの情報があれば、事件について調べられるでしょ。もしかしたら、俺の知り合いに事件の関係者がいて、今聞いたことを俺がそいつにうっかり漏らしたら?由衣を生かしておかないかも」
「あなたは調べたりしないでしょ。だってあなた、私のこと全く興味ないでしょ。わかるのよ、みんな私に、媚びを売ろうとするのに、あなたは全くそんな気配を見せないもの。ここで上手くいかなくても、次があるから、くらいにしか思ってないでしょ。今、言ったことだって、どうせ忘れるでしょ。クスリでラリって適当なこと言ってるだけかもしれないし。どうせ話さないわよ」
 俺は部屋を片付け終わり、ようやく、椅子に座れた。どうせこの世界しか知らない、視野の狭いお嬢ちゃんが好き勝手語っているのだろう、と適当に彼女の話を聞き流していたが、意外と視点は鋭かった。俺のことをよく見抜いている。彼女は人に見られることのプロだ。俺が彼女をつまらなそうに見ていたのを見抜いたのだろう。
「まあ、そうですね。正直どうでもいいです」と俺は鼻で笑って答えた。
「正直者でよろしい。あなたってどこにいてもそんな感じなの。裏表がなくて付き合いやすいわ。昔の事件まで話すなんて、初めて。歴代の彼氏にだって言ったことないのよ」
「クスリのせいじゃないですか?」
「そうかもね」
 そろそろ帰ろうかと、わざとらしく膝を叩いて立ち上がると、
「もう少しここに居てよ」と彼女が俺を呼び止めた。
 俺はイスに座り直し、やることもないので、明日のスケジュールについて考えていると、ふと、ある考えが浮かんで彼女に訊いてみた。
「あの、質問してもいいですか」
 彼女は熱心に台本を読み込んで、何かに気がつくと、その辺のボールペンでメモを追加している。
「いいわよー」
「さっき言ってた、死ぬってどういうことですか?」
 彼女は作業をやめて台本を膝の上に置いて、呆れた顔をして俺の方を凝視した。
「本当に何も訊いていないのね。私と寝た男はね、一ヶ月以内に絶対に死ぬの」
 俺は真剣な顔をしてあり得ないことを言っている彼女の発言を聞いて、眉を顰めて、思わず笑いが込み上げ、思いきり笑ってしまった。彼女は俺の反応を見ても、何も言わない。ただ俺の次の反応に備えて、俺の様子を観察している。俺は初めての真面目な沈黙に耐えきれず、
「そんなアホなこと信じるわけないじゃないですか。冗談もいい加減にしてくださいよ」とその場をやり過ごそうとした。
「いいえ、本当よ」
 真面目な彼女の態度と、非現実的な発言の乖離に混乱している俺に向かって、彼女はつぶやくように言った。
「彼、一週間後に死ぬと思うわ」
 彼女の宣言通り、あの男は一週間後にマンションの屋上から飛び降りて、死んだ。
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