いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

文字の大きさ
2 / 49
第1話「いつかペンと制度の力で」

1ー1

しおりを挟む
 拳を振るわずとも諍いを解決できる!
 そういう景色を目指して、歩む方角を決めたのである。
「だから! 払いが三〇〇ゲール少ない、つったんだ!」
 二人の男どもが言い合う。
 そんな目前の揉め事とて、解決手段はまた同じのはずだ。
「代わりに売れる土地があるんだって! 何度言ったらわかんだこの」
「――まァまァまァまァッ」
 市街、道端、薄い亜麻色の髪が振り乱れるのも構わずに、掴み掛からんと競り合う二つの胸板に割って入った。
 そして見下ろす、二つの顔がある。
「両者の言い分、お聞きしますよ」
 刺さった視線に臆するところは一つもなく、きりりと眼差しに力を込める。
「私はアンリエッタ・ベルジェ。公書士です。契約に関するトラブルであればきっと御力に――って、え?」
 口上を止めて疑問を呈す。上目に見据えていた目線を下げて、男に掴まれた肩を見た。
「紙書きが、しゃしゃンじゃねえ!」
 ぐいと左へ肩を押される。強く横へ振られる感覚と共に、アンリエッタの体は浮力を得た。


 税、財産、貸借、身分、婚姻……。
 それら法制度におけるあらゆる証明と表明に公書士は立ち会う。些細なものから大きなことまで。ヒトの住処に生きていれば避けては通れぬ手続きを、差し障りの起こらぬよう処理するのだ。
「つまり? 頼まれもしない仲裁を引き受けようとした結果? 君は到着早々に怪我と遅刻をしたわけか」
「う」
 端的に因果をまとめた言葉でなじられ、机の前に立たされたアンリエッタは声を詰まらせる。目の前には、これから教官兼雇い主として世話になるところの男性が座っていた。公書士見習いとして修練を積むべく、トーリア地方は都市マティルドに移住したアンリエッタは、彼の下で働くことになっている。
 ロラン・シュタルン。それが、目の前の男の名前である。
「突き飛ばされ肩から倒れて強打、うずくまって医者に担ぎ込まれる間に鞄をなくし、治療費を私に立て替えさせた、と。全く結構な営業成果だ」
「うう」
 明らかに非難する口調で先ほど話して聞かせた事情を繰り返されて、アンリエッタは居た堪れなく呻いた。
「その、利き腕は無事です。なのでペンは」
「耳障りだから黙っていてもらえるか」
 三十三の歳若さで一等公書士の資格を有し、日々精力的に依頼をこなす彼はさて、決して愉快とは言えない佇まいで机に肘を付く。頭痛を治めるようにこめかみにぐりぐりと指の節を押し付けて、その様を見るにつけ、アンリエッタは腕を吊って庇った左肩がじくじくと痛むのを感じた。
 本日は、正確に言えばただの顔見せで、実際の就業は翌日からの予定であった。そのため遅刻とはいえ業務に影響は出ていないのだが、与えた印象はすこぶる悪い。
「金庫を出してくれ」
 居心地悪く唇をむぐむぐとさせていたアンリエッタに一つため息をつくと、ロランはそう言った。指示はもちろんアンリエッタにではなく、事務所に在室する別の女性へのものだ。ロラン公書士事務所唯一のスタッフであるアニー嬢は、準備の良いことに既に手提げ金庫を手にしていて、がちゃんと音を立ててロランの前へと置いた。
 紙幣を掴み出し、数え始める。
「一〇〇ゲールもあれば当座は凌げるかね。銀行に預金はあるんだろう」
 確かに地元で手続きは済ませてあるので、数日もすれば口座情報は共有され、生活資金の目処は立つ。降って湧いた手厚さに、アンリエッタは繰り返し瞬きをした。
「よろしいんですか」
「むしろ他に当てはなかろう。クーポンで我慢してもらうがね」
 と言って机上に置かれたのは、市場での商品交換に利用できる金券だった。使用前後の署名が必要であったり、釣銭が多いと取り引きを断られたりといった面倒さはあるが、市内では概ね貨幣と変わらずに使用できるという代物だ。個人間の取引や報酬にも代用されるなど本来の用途を超えた利用のされ方をしているところが特徴的でありかつ便利な点で、アンリエッタも、道中の列車内にて、やや有利な額で交換できるとの販促に乗せられて手持ち金の一部を替えている。
 ロランが一言断ってきたのに、アンリエッタは大いに首を振り頭を下げた。
「ぜ、全然全然っ。どうもありがとうございます!」
 恭しく取り上げようとしたところで、券面にロランの手が伏せられた。即座に意図を掴めなかったアンリエッタは、つるりと髭の剃り上げられた彼の顔を眺める。
「君は公書士だな? 金品の貸し借りが生じた場合、君は何を用意する?」
 出し抜けに職務に係る問いかけをされて、アンリエッタは努めて畏まる。
「貸借契約書です、ボス」
「ん。今回は念書でいい。起案しろ」
 手のひら二つ並べた程度の大きさの紙を寄越される。アニー、とロランが短く呼ぶと事務員はアンリエッタの隣に立って、彼女の片腕の代わりに用紙を押さえた。
 二人に視線を注がれつつ、条項を書き連ねる。途中アニーから提案があって、初回に四〇ゲールを借り、後は日給として一〇ゲールずつ受け取る内容に変更した。
「ふむ」
 アンリエッタが素案を書き上げると、ロランは目線の位置までそれを持ち上げ、素早く目を通す。
「いかがでしょうか」
「綴りに間違いは見られない。字も均整で読みやすい。しかし重要な項目が抜けている」
「ええと……?」
「利率だよ。当然だろう。週当たり五%で設定したまえ」
「……高いのでは」
 ぱさりと机に放られた念書を見つめつつ、言う。暴利ということもないが、実家ではあまり聞かない数字だった。
 こちらが滲ませた難色に、ロランは表情にさしたる感情を浮かばせないまま、考えるふうに瞳を上向ける。
「確かに、協議は大事か。しかし君と私に大した縁はなく、私自身の本職も金貸しではない上に少額だ。さらに言えば、君の報酬は月払いである分やや高く取り決めてあるわけで、それを前借りにすれば多少の差額は発生する。つまり、妥当だよ」
 次々と根拠をあげつらってきたのに、アンリエッタは口を挟めない。
「それに、いちいち謝礼について考える必要がないのは君にとっても利点だろう」
 ロランはそう付け加えると、用紙の空白部分をトントンと叩いた。アンリエッタは促されるままに利率の条件を追記する。
「うむ。正書を作る必要はなかろう、サインを」
 指示を受け、署名。
 完成した念書を受け取ってひと目確認すると、ロランはそれを手提げ金庫の中へと放り込む。一ゲールと五ゲール相当の金券を十数枚り分け、こちらへ渡した。アンリエッタは平身低頭でそれを受け取り、そそくさと仕舞う。
 向かいから、聞こえよがしにため息が落ちた。
「嫁に行って子供を育てて、それから始めても良かったんじゃないかね?」
 顔を上げれば、深く椅子に腰かけたロランが、いかにもつまらなさそうに眉を歪めている。
「それは。少々、時代に逆行した御意見かと」
 硬い声音で発した抗弁には、見立て違いをするなと返される。
「私個人の考えで言えば、女性が身を立てるのは大いに結構なことだ。そも高名な公書士の中には御婦人も数多くおられる。しかしね、君の迂闊さは家庭に縛られるくらいでちょうど良い塩梅でなかろうかと、そう言ったまでだ」
「……」
 性別由来の文句を言われたのだと早合点をしていたアンリエッタは、過失を絡めて放たれた嫌みに口を噤む。
「まあ――安心していい、顔を合わせて早々金の無心を行った部下は君が初めてではない。これは、前代未聞の失態ではないというわけだ」
 残った紙幣を揃えて収めながら、言う。
 がちゃんとうるさく、金庫の蓋が閉じられた。
「いずれの人間も、長続きはしなかったがね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました

小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。 しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!? 助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、 「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。 幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。 ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく! ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー

没落した建築系お嬢様の優雅なスローライフ~地方でモフモフと楽しい仲間とのんびり楽しく生きます~

土偶の友
ファンタジー
優雅な貴族令嬢を目指していたクレア・フィレイア。 しかし、15歳の誕生日を前に両親から没落を宣言されてしまう。 そのショックで日本の知識を思いだし、ブラック企業で働いていた記憶からスローライフをしたいと気付いた。 両親に勧められた場所に逃げ、そこで楽しいモフモフの仲間と家を建てる。 女の子たちと出会い仲良くなって一緒に住む、のんびり緩い異世界生活。

契約婚のはずが、腹黒王太子様に溺愛されているようです

星月りあ
恋愛
「契約結婚しませんか? 愛を求めたりいたしませんので」 そう告げられた王太子は面白そうに笑った。 目が覚めると公爵令嬢リリカ・エバルディに転生していた主人公。ファンタジー好きの彼女は喜んだが、この国には一つ大きな問題があった。それは紅茶しかないということ。日本茶好きの彼女からしたら大問題である。 そんな中、王宮で日本茶に似た茶葉を育てているらしいとの情報を得る。そして、リリカは美味しいお茶を求め、王太子に契約結婚を申し出た。王太子はこれまで数多くの婚約を断ってきたため女性嫌いとも言われる人物。 そう、これはそのためだけのただの契約結婚だった。 それなのに 「君は面白いね」「僕から逃げられるとでも?」 なぜか興味をもたれて、いつしか溺愛ムードに突入していく……。

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

処理中です...