いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

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第1話「いつかペンと制度の力で」

1ー5

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「ごめんください!」
 勢いよく戸を開けて来訪を伝えると、奥の席に座っていた男性がこちらに注目する。片手に載せた帳面から目線だけを上向けて、アンリエッタのことをじっと眺めた。
「お客さんかな」
「客ではなく、善意の通報者です」
 答えてずんずんデスクに歩み寄ると、男性はぱたりと帳面を閉じ、組んだ脚を下ろす。
「すまないが昼休みでね。この通り、皆出てしまっている」
「警官規則に定時の昼休息の規定はなかったはずです」
「こりゃまた、物知りなお嬢さんだな。だが、何事にも地域に合わせた実態というものがある。警官は、あの無限に働く機織り機とは違って、生き物なのでね」
「ここマティルドでの規則がそうなっているという話です。分署ごとに変わっていたら滅茶苦茶になるでしょう。あと、フラット社製の最新の紡績機であっても、トラベラやロール、スピンドルなど可動部の調整が必要です。無限に動かすなんてできません」
「トラベラ、と……なんだって?」
 訊き返されたが、つい補足してしまった機械の解説については関係がないので、繰り返さない。
「大体そちらは、応対のために駐在されていたのでは?」
 問えば、男性はたいそう面倒そうに目を細めて、ため息をついた。
「まあ、来ちまったもんは仕方ないな。あちらへどうぞ」
 茶髪の頭を掻きながら立ち上がると、入り口横にある応接椅子への移動を促してくる。
「それで? 本日はどういった御用向きで?」
 向かい合って着席すると男性は再び脚を組んだ。アンリエッタは胸元に片手を添え、言う。
「私、アンリエッタ・ベルジェと申します。三日前、盗難の被害届を提出した者です」
「あー、本官はフランツだ。盗難ね、そりゃ大変なことだ」
「……こちらの分署で通報をしたんですが、内容をご存じない?」
 フランツと名乗った男は、調書をぱらぱらとめくりながら肩をすくめた。目をつまらなさそうに細めて記述を追う彼はいわゆる警官服を纏わず、リネンのシャツにタイは締めずカーキ色のベストのみ羽織る、といった出で立ちをしている。
「すまないが赴任したてでね、ご覧の通り制服もない――おお、あったぞ。二十一歳、女、髪は肩下の亜麻色、やや小柄で丸い目鼻」
「私のことはどうでも良いんですが」
「なるほど怪我をして、鞄を盗まれたと。残念ながらまだ見付かってはいないな。さぞご心配ではあるだろうが、今しばらくお待ち頂きたい」
 顎を傾けて述べたフランツに、アンリエッタはふるふると首を振った。
「先ほど鞄の行方はわかったんです」
「ほう。なら解決か」
「いえ、取り返すことはできていなくて……十歳くらいの男の子が持っていました。汚れている様子でしたし、金券の使い方も覚束ないようでしたから、浮浪児ではないかと思います」
 ふうん、とフランツの反応はいかにも他人行儀である。
「で? さっさとその少年をひっ捕らえて欲しい、と?」
 首を振るアンリエッタ。
「窃盗についてはもう問題にしませんから、探して、しかるべき場所で保護して頂けませんか」
 フランツは顎髭を撫で、こちらを見つめるばかりだ。アンリエッタは重くなりつつある唇を、さらに開く。
「教育機関か修道院に申し出れば何らか引受先が見つかるのでは、と――。難しいでしょうか?」
「ここでやってる仕事じゃあないな」
「……ちなみに被害届を取り下げることは」
「おすすめできんね。お巡りを動かすのに必要なのは命令か賄賂か仕事だ。現行犯で見かけでもすれば別だが、仕事じゃなけりゃ探すまでのことはしない」
「……」
 アンリエッタは言葉を探して黙り込む。けれども抗議を秘めた視線は下げずに注いで、それが効いたのかどうか、フランツはしようがなさそうに鼻息を鳴らした。
「逆を言えばだ、犯罪者であるなら探す」
「え?」
「だから、まるで出来ない話でもないと言ったんだ」
「ご協力頂ける、と?」
「せいぜい口添えをする程度だがな」
 後ろ頭を掻きながら、フランツは続ける。
「学校にせよ修道院にせよ、しばらく身柄を預かる程度はするだろ。今のご時世、裁判で子どもを擁護する団体もあるくらいだ。見受け先を探すのもそう手間取ることじゃない。あちらと連携するかどうかは、ここの責任者の判断次第だがね」
 手のひらを掲げてそう言われる。近年、子どもに対する量刑に環境や背景が大いに考慮されるようになったことは、彼の話した通りだ。
 とはいえ。
「前科が付くのは避けられないでしょうか」
 犯罪歴が里親に対してマイナスな印象を抱かせることは、依然として変わらない。
「言ったろ、おすすめしない。あんただって一人じゃ探せないから話しに来たんだろう」
 彼の言葉には答えないまま、アンリエッタは顎に指を置いてしばし考える。フランツのことを一度見やって、それから口を開いた。
「こうするのはどうでしょう? 盗んだのではなく、拾ったことにする」
 あのなあ、とため息交じりの声が返った。
「こんな場所でンなこと持ち掛ける奴があるか。大体、そいつと口裏を合わせることもできんだろうが」
 確かに、仮にフランツの協力を考慮に入れたにしても、他の目を盗んで少年に話を持ちかけることは難しい。状況によっては、そういう誘導を行う機会もないまま彼が罪を認めてしまう場合だってあり得る。
「はい。なのでそちらの調書に、『やはり所持していたのは二〇〇ではなく、二五〇ゲールだった』という証言を加えましょう」
「はあ?」
 いきなり何を言い出すのかといった具合で眉を歪めたフランツに対し、アンリエッタは説明する。
「供述の修正によって、私に関する心証を悪くするんです。架空の金銭被害を訴え出ている可能性を浮上させれば、双方の言い分を精査しておこうと考えるのも自然になります。そこでフランツさんに」
「待て待て待て待て!」
 慌てた様子で言葉を遮る。
「あんたは一体何を言ってる? そもそも被害者だろ、どうしてわざわざ立場を悪くする必要があるんだ」
「捜査をかく乱できれば、フランツさんの方も介入しやすいのではないか、と。偽証を指摘される余地こそありますが、最終的に記憶違いであったとすれば、さしたる問題には発展しないと思います」
「俺が話しているのは企みの中身じゃなく、あんたの動機の方だよ。理由がないだろ」
「私の?」
 そこから躓いているのかと思うアンリエッタである。
「ですからあの子の窃盗罪を立件させないために」
「そうじゃない、見ず知らずのガキだろ」
「確かに面識はありませんが、ええと……それが?」
「それが、って」
 言葉を詰まらせたフランツのことが、アンリエッタにはよくわからない。ここまでの会話に、何か絶句する要素などあっただろうかと思う。瞬きを繰り返したアンリエッタにフランツは唇を歪めて、それから息をついた。
「まあ、良い。あんたの案に乗ろう。子どもが鞄を所持していた目撃談と、損害金の修正、それが今日行った供述ということで良いな?」
 確認に頷く。
「どうか、よろしくお願い致します」
 念を押して依頼すると、中断していた説明の続きをして、打ち合わせを終える。
「フランツさん」
 分署を辞去する段になり、アンリエッタは改めて彼の名前を呼びかけた。
「ありがとうございました。調書を読まれたので御存じでしょうが、私は公書士をしています。フランツさんも何かお困りがあればご相談に乗らせて頂きます。御用向きの際にはどうぞ、ロラン公書士事務所へ」
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