ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~

松山リョウ

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5月17日 螺旋怪談

第26話 うしろの正面だあれ?

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【犬っころ】
 笑い声がリビングに響く。ミツルの母親がバラエティ番組を見ている。今日はパートの仕事は休みのようだな。どうやらしばらく出かける様子もない。

 昨日の闘いから一夜明け、俺は体力を取り戻しつつあった。外に出ていたことがばれないようにこっそりと家に帰り、何食わぬ顔でミツルに寄り添った。

 ミツルはなにやらお疲れのご様子だった。俺の姿を見ると弱弱しく微笑み頭を撫でようとしてきたが、母親がミツルに安静にしているように強く言って俺を部屋の外に追い出した。仕方がないので体力回復を優先することにし、骨付き肉を三本平らげた。夜も暖かい毛布にくるまってぐっすりと寝ることができた。

 狼の誇りはどこへ行ったのかと言われるかもしれないが、俺はこの姿に順応するために仕方なく犬を演じているのだ。犬の姿でもある程度闘えるようにしておかないとあのフランケンシュタインの野郎にやられた時と同じ結果になるからな。俺も断腸の思いで子犬になっているわけだ。

 そんな子犬を演じて眠っていると、いつの間にか太陽が高く登っていた。母親のかける掃除機の音で目を覚ました時にはミツルは既に登校した後だった。

 これには俺もかなり焦った。これはさすがに誰からも擁護されまい。もし自分の仲間が同じようなことをしでかしていたら即刻噛みついていただろう。

 俺は今ミツル母が外に出かけるタイミングを狙っているのだ。俺にもクローイのように気配を消す術が楽に使えればいいんだが、俺にはその方程式がちんぷんかんぷんで時間と体力を使う。できれば余計な幻力を使いたくはない。

 ミツル母がCMの間に小さな庭に干してあった洗濯物を取ろうと窓を開けた。風にカーテンが靡いている。強行突破しようかと考えたときだ。

 ピンポーン。

 来客を告げる呼び鈴が鳴った。ミツル母は小さく「もうっ」と呟いてこちらに向かって歩いてきた。俺のいる段ボールハウスの上に外の様子が分かる画面付きインターホンが設置されているのだ。俺は段ボールに掛けていた前足をしぶしぶ下ろす。

 ミツル母が画面を見て、一瞬訝しげな顔をした後、受話器を取る。

「はい、どちらさまですか?」

 しかし受話器からの応答はない。ミツル母は首を捻って、すぐ横の扉を開ける。トントンと廊下を歩く音がだんだんと小さくなっていく。足音が止まり、数秒の無音の間が生まれる。それから再び廊下を歩く音が聞こえてきた。「んん~」と唸るミツル母の声も聞こえてきた。

 扉が開く。ミツル母は後ろ手で扉を閉め、フンと強く鼻息をつく。ちらりと俺を見ると、話しかけてきた。

「ワンちゃんも気味悪いよねぇ? ただの悪戯だろうけど。本当迷惑」

 覗き穴から覗いても誰もいなかったらしい。「番犬になってもらおうかな」などと言っている。まったくもって迷惑な輩がいるもんだ。もう少しでこの部屋を抜け出せそうだったのに。

 ミツル母は再び始まった番組を立ったまま眺めている。まあこの調子だと洗濯物を取り込むのも時間の問題だろう。俺は大人しくお座りをした。

 チクリと尻に何かが刺さった。

 キャオンと小さく声が出たが、ミツル母は気が付かなかったらしく、テレビを眺めて噴き出している。

 俺は首を回して尻を置いたところを確認する。毛布の間に画鋲が転がっているのが見えた。なんだってこんなところに画鋲があるのか、今日はとことんついていない。

 俺は口でうまく咥えると、段ボールの縁に手を掛けて身を乗り出す。それから画鋲を地面に落した。ころりとフローリング式の床に転がる。このままではミツル母が踏んづけて危ないか?

 俺はキャンキャンと鳴いてミツル母の注目を引こうとした。しかし番組の芸人が頑張ったのか、笑い声にかき消されてしまった。

 まあいいか。どうせスリッパを履いているんだし。俺は再び腰を下ろす。

 尻に激痛が走った。

 今度は声を食いしばる。歯をむき出しにして下を見ると、またも画鋲が落ちていた。

 ふざけやがって。どこから沸いて出て来てんだこの画鋲どもは。

 俺は再度画鋲を口でくわえて段ボールから身を乗り出す。今度は首を振って画鋲を放った。誰が踏んづけても知ったことかと思っていた。

 画鋲が宙を回る。結構飛ぶもんだと感心する。画鋲が空中でくるくると回転して、フローリングに落ちようとする寸前。

 

 俺は瞬きを数回繰り返す。首を振って辺りを見渡す。画鋲が描いた放物線の終着点には塵一つなかった。バウンドして横に転がったのかと思ったが、その付近にも見当たらない。

 俺は不審に思いつつ一度腰を据えて考えることにした。しかしその場に座ろうとして思い直す。座る直前の姿で固まった。そのまま首だけ振り返る。俺の尻を置こうとした地点を見る。

 

 俺は段ボールから飛び出る。が、飛び出た先に無数の画鋲が現われた。

「ぐおっ!?」

 俺はそれを避けようと片足で床を弾き、そのせいで床にころころと転がるはめになった。

 さすがにミツル母も気が付いたらしく、こちらを振り返り、目を丸くする。

「どうしたの? ワンちゃん」

 俺は鼻をひくつかせる。薔薇の香り、昼食の残り香、よく乾いた洗濯物の太陽の臭い。

 そして、微かに匂う、鼻をくすぐる臭い。俺はこの臭いをよく知っている。

 煙草と、硝煙の臭い。

 間違いない。

 赤髪の女が、乗り込んできやがった。



 *



 どこに居やがる? 俺は耳をピンと立てる。

「あらまあ。なんでこんなところに画鋲が?」

 ミツル母が画鋲に気付き、その場にしゃがむ。画鋲を両手で拾い集める。俺が突然慌てた様子になったのも画鋲を踏んだせいと考えたようで「ごめんねワンちゃん」と謝ってくる。

 だが俺はいつもようにキャンキャン返事をしている余裕はない。奴が常識を知った敵なら欠伸の一つもついてやろうものなのだが、この屋敷にいきなり侵入してきた時点で常識を度外視した者と見ていいだろう。目的さえ達成できればほかがどうなろうと知ったこっちゃないという危ない奴かもしれない。さすがの俺も世話になっているミツル母が傷付けられるのは気が引ける。

 奴はニンゲンだ。どうやったって攻撃の瞬間に幻力が溢れ出る純正の幻魔どもと違って、月の影が展開されるまえに人ひとり殺傷することなど造作もないだろう。

 こんな回りくどい手をわざわざしてくるのは、畏怖をためようとしているんだろう。俺たちの戦いは詰まるところ、相手をいかに畏れさせるかだ。畏れを得ればそれがそのまま幻力となる。その手には乗らねぇぞ。

 ギシリ。

 微かに音が聞こえた。床を軋ませる音。

 俺は廊下を振り返る。少し開かれた扉から薄暗い廊下が見えた。俺は扉の隙間から廊下に出る。進むにつれて後ろのテレビの音が遠のいていく。

 廊下の突き当たり、水色のカーペットがお出迎えしてくれ玄関口に辿り着いた。靴は女性物の黒いヒールが一足と花柄の付いたサンダルが一足。いつもの光景に見える。

 だがしかし。俺は鼻をひくつかせる。カーペットの下からあの女の臭いがした。めくって見ると小さな紙が折りたたまれて置かれていた。

 俺は慎重にそれを広げて見る。

 丁寧な字でこう書かれていた。



 



 俺が振り返るよりも先に白い布を鼻に被せられた。意識を手放す直前に見えたのは、奴の燃えるように赤い髪だった。
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