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替え玉がやってきた

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「では、よろしくお願いいたします」

 輿を砦の中央広場に置いた、耀家の侍女頭だという者は、頭を下げると、家の者を引き連れて、さっさと帰って行こうとした。……侍女の一人も残していかずに。
 輿に乗せられた『お嬢様』とやらは、お疲れで眠っているという。お起こしするのは忍びないので、このままお暇すると。

 いやあ、それはないでしょう。
 なんて杜撰な嘘だろう。取り繕う気もないのだろうか。いや、頭が悪いのか。

「まあ、まあ、そう言わず、一晩泊まっていってください。皇帝陛下の御外戚である耀家の方が、来てくださるというので、ささやかながら酒宴の用意をしてあるのです。こんな鄙びたところにいると、都が恋しくてなりません。あなたのような都びた美しい方とお話しできるのを、たいへん楽しみにしていたのです。……泊まっていってくださいますね」

 意地の悪そうなばあさんの手を取り、両手で握って、親しみを込めて目を覗きこむ。
 私、美男子ではないけれど、人に警戒心を抱かせない、いわゆる癒やし系の若い男なので、だいたいこれで年上の女性は落ちる。
 ばあさんは、まんざらでもない顔をして、そこまでおっしゃるなら、と頷いた。

 ははは。ちょろいお人だなあ。そういう可愛げは好きですよ。手荒なことをしないで済むから、ありがたい。

「長旅、お疲れでしょう。まずはお部屋でごゆっくりおくつろぎください」

 兵に目配せして、連れて行かせる。
 しっかり足音が遠ざかってから、急いで輿に近付いた。呆れ顔で見送っていた禹殿も同じだ。
 私は閻との交渉の責任者。彼は砦の責任者、かつ、公主を護衛して閻の使者に引き渡す、ではなくて、送り届ける任を命じられている。我々はしばらく一蓮托生の身の上なのだった。
 輿の引き戸を開ける。中に人影が見えた。空ではなかった。ちゃんと豪華な衣装を着せられた女性のようだ。……だが。

「死んでいるのか?」
「いや、死んではいないが、脈が弱い」

 妙齢の女性の首元に手を突っ込むのはどうかとは思ったが、背に腹は代えられない。脈を確かめさせてもらった。

「おい! 洪のじいさんを呼んでこい!」

 禹殿が軍医殿を呼びにやった。あのじいさん、得意な治療は、切り落とすか縫い閉じるかだって豪語していたが、病人の面倒も見られるのだろうか。

「ちっ。耀家の野郎、ぎりぎりまでやってこない上に、死にぞこないの女なんて送りつけて来やがって。どういう了見だ。自害なんて冗談じゃねーぞ。貴族の義務も教え諭してないのか」

 禹殿が悪態を吐いている。
 私はついでに、妙齢の女性の袖口に手を突っ込むのはどうかとは思ったが、もう今さらなので、手指も見せてもらった。
 ひどく痩せた手首だった。それに、爪は綺麗に真っ赤に塗られていても、肌はあかぎれだらけ。

「自害じゃなくて、替え玉、かな。この痩せ様だと、どこかの食い詰めた貧民から買ったんだろう。まあ、そうは言っても、養女にはしているんだろうから、皇帝の御外戚、耀家の娘には違いない。問題はない」
「ああ、そうかよ。けったくそ悪いな」

 禹殿は、ぺっと唾を吐き捨てた。

「一応言っておくけど、今のは内密に。露見したら、君が縊られることになるからね」
「俺の首かよ!」
「そう、君の首」
「じゃあ、その前に、俺がおまえの首を刎ねてやる」
「ははは。遠慮しとくよ」

 どすどすと軍医殿がやってきた。

「じじいを走らすな! 患者はどこだ」
「輿の中です。耀家のお嬢様が、お目を覚まされない」
「はあ? まさか、蛮族に嫁ぐのを嫌がって、世を儚んだとかじゃなかろうな」

 軍医殿は、しゃがんで輿の中に上半身を乗り入れた。しばらくごそごそ脈を診たり顔を寄せたりした末に、外に出て振り返った。

「毒と言えば毒になるんかのう。何か飲まされて、眠らされておるようだ。どこの娘っ子捕まえてきたんだか知らんが、痩せ細っていて、目覚めるまでに、体力の方が保たんかもしれん」
「軍医殿」

 しー、と口に人差し指を付けながら、私も彼の前にしゃがんで目を合わせた。

「今、口にしたことのすべては、内密に。でないと禹殿が縊られることになるので」
「ほう、ほう」
「あと、あちらに送り届ける前に死なれると、軍医殿も縊られることになるので、よろしくお願いします」
「こりゃまいったのう」
「冗談はさておき! どうする?」

 禹殿が決まりきったことを聞いてくる。

「もちろん、予定どおり出発する」
「だよな。それしかない」

 閻と約束した期日に間に合わせるには、今日、ここを出発しなければならない。そして一刻も早く、『お嬢様』が息をしているうちに、あちらに引き渡さなければ。

 そうでもしなければ、この娘は死に損だ。

「耀家の者は、私たちが戻ってくるまで、全員逃がさないように、しっかり見張っておくように。もしかしたら、禹殿と軍医殿の首の代わりに、差し出すことになるかもしれないので」
「あんたのことを信じていたぜ! あんたが味方で良かった、心強いぜ!」

 どうやら、人の冗談を半ば本気にしていたらしい禹殿に、肩にがっしり腕をまわされ、耳元でカラカラ笑われた。……不本意だ。私はたいへん良心的な人間だというのに。
 浮かれた禹殿が、いつまでもわいわいうるさいので、彼の顔をぐいと押しやった。



 輿の横を歩きつつ、うんざりするような山道の先を見上げた。馬を引いていくしかない坂道ばかりで、全員が徒歩だ。もう三日も、尾根から尾根へと渡り歩いている。
 輿の担ぎ手が一番気の毒だ。兵を次々変えてはいるが、疲弊が酷い。

 こんなところを領土にしたってしょうがなかろうに、先代の砦の責任者が手柄を立てようと、すけべ心を出した結果がこれだ。
 砦とは名ばかりの土塁を造り、閻の辺境の村を取ったと報告したのだ。帝国の支配下となれば、税を納めてもらわなければならない。それで、いざ税を取り立てようとしたら、閻から援軍がやってきて、馬百頭が奪われ、兵は蹴散らかされた。

 なぜこんな山奥に馬を百頭も無理矢理持ち込んでいたって、更に領土を広げるための、前哨基地のつもりだったのだそうで。
 ……返す返すも、脳みそ筋肉でできているのか、と聞きたい浅はかさっぷりに、蔑みのまなざししか向けられない。おかげで、ぜんぜん関係ない私たちが、こんな苦労をするハメになっている。

 なにはともあれ、そろそろ休憩だ。この先の谷で、この婚姻の価値を上げるために、瑞兆を起こす予定なのだ。何のことはない、妻問鳥のつがいを飛ばすだけだが。そうして、輿入れの途中に妻問鳥の求愛が見られたと、瑞祥の記録を残すのだ。

「え……な……」

 か細い悲鳴のような声が聞こえた気がして、耳をそばだてた。輿の担ぎ手を見遣れば、彼らも中での異変を感じ取ったらしく、頷いている。空耳ではなかったらしい。

「例の谷まで行ったら、輿を止めるように」

 後方の炊事係に、軍医殿の書いて寄こした病人食を準備するよう、伝令を飛ばした。高齢の軍医殿は、さすがにここまで来られなかったのだ。

 なるべく驚かさないようにと、そっと少しだけ引き戸を開けて覗いてみる。『お嬢様』は、「ひっ」と恐怖一杯に顔を引きつらせた。
 貴人に対する言葉遣いをしても、自分の立場がまったくわかってないようで、衣を見て驚き、不慣れさ丸出しで被(かず)き物をかぶり、夢かと問いかけてくる始末。

 とりあえず輿から連れ出してみると、おどおどびくびくしながらも、自分でしっかり歩いて、案外元気だと思っていたら、おそらく緊張から来る火事場のくそ力だったのだろう。谷を見たところでへなへなとくずおれてしまった。
 用意しておいた椅子に座らせ、病人食が来るのを待っていられず取りに行き、急いで持って帰ったが、ぐったりとして反応がない。
 肝が冷えた。被き物を剥ぎ、鼻と口の前に手をかざしてみる。息が吹きかかった。ありがたい、生きている。肩を揺すると怠そうに目を開けたので、椀を口元にあてがった。彼女は、貪るように飲み干した。

 本当の本当に、何一つ知らされないまま薬を盛られ、連れて来られたらしかった。それでも、なにがしか思い当たることがあったのだろう。不自然でない範囲で状況を説明したら、最後には震える唇を噛みしめて頷いた。

 こんな幼い娘が、歳に似合わぬ諦めた目をするのが、不憫だった。
 禹殿と結託すれば、少女の一人、逃がしてやれないこともないという考えが、よぎらないわけではなかった。
 だが、それでこの娘の運命を切り拓いてやれるかと言えば、違った。結局は、使い捨てられるような下働きの口を紹介してやることしかできない。その上、耀家の使いのばあさんたちにも死んで貰わなければならなくなる。
 それならば、皇帝の養女として他国の王族の妃になった方が、同じ苦労でもよほどましなのではないか。……あの男なら、こんないたいけな少女を無碍には扱わないだろう。

 昨年、閻王の許で会った男を思い出し、少し愉快な気分になった。
 砦から、百頭の馬を奪った男。……ただの一人も殺さずに、その声一つで馬を操り、連れ去ったらしい。そんな荒唐無稽な話も、彼なら造作もなくやりおおせただろうと確信できる。

「なにも心配なさることはございません。皇帝陛下のお身内である公主を無下に扱うは、帝国への反逆。けっして粗略に扱われることはございません。
 また、蛮族と呼びならわされてはおりますが、少々風習が違うだけで、そこに住まうは同じ人でございます。
 わたくしは、皇帝陛下より外交の任を承り、一年にわたって彼らと交渉してまいりました。彼らは家畜を主食としていますが、額に鬼のごときツノなど生えてはおりません。どうぞお心安く思し召されますよう」

 そうだとも。子供一人逃がして一瞬の自己満足を得るよりも、八方満足な成果を上げるのが私の仕事。帝国一良心的な外交官の矜持にかけて、最良の道を選び取る所存だ。
 少女の頭越しに送られてくる、どうするんだという禹殿の視線に、涼しくにっこり笑って見せた。
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