暁にもう一度

伊簑木サイ

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第二章 水の都 王都アティアナ

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 ウィシュタリア王国は、東大陸の中央部にある。ハレイ山脈より南側すべてを版図としていたこともある軍事大国だ。
 長く、拡大、分裂、統合を繰り返してきたが、三つの国に分かれることによって安定を得た。つまり、西の商人の国ウィシュクレアと、東の賢者の国ウィシュミシアである。
 二国は軍を持たない。また肥沃な土地が少なく、食料自給率が極めて低い。

 一方、ハレイ山脈を水源とする大河をいくつも擁するウィシュタリアは、国土のほぼ全域が豊穣の地であり、強大な軍事力を支える源となっていた。
 食料と軍事力の見返りに、ウィシュクレアは諸々の物品と流通ルートを、ウィシュミシアは医術をはじめとする様々な知識を提供してきた。
 この奇妙な共存関係は、千年以上続き、安定した国家関係は、それぞれの国を繁栄させた。

 しかし同時にまた、ウィシュタリア国内においては、外に向けられることが少なくなった軍事力と余剰の富が、いつしか領主貴族たちを肥大させ、それにより、王家を巻き込んだ勢力争いが頻発していた。
 一番近い大乱は、ソランが生まれる直前にあった、現王とその叔父の王位を巡る争いである。

 そのため、長い戦乱の間も建国以来一度も遷都されなかった王都は、防衛面からほとんど迷路と化していた。そもそも、大河のほとりの広大な敷地に王城を建て、十重二十重に水路で取り囲んだ始まりからして、今の姿にたどり着くのは当たり前だったと言えよう。
 王都アティアナは、美しい水の都だった。



 ソランたちが王都に着いたのは、夕刻にはまだ間がある時間だった。馬は王都内ではむしろ邪魔になるため、正門の脇にあるうまやに預けた。
 マリーとイアルを先触れとして先に屋敷に行かせ、ソランは祖父と見物がてら、ゆっくり行くことになった。

 小船に乗り替え、都内へ入る。小船はどれも極彩色の装飾が施され美しかった。建物は白っぽい石で作られており、造詣がどこか玩具めいている。凝ったデザインの橋がいくつも架かっており、それがよけいに非現実めいていた。水路も道もゆるやかに曲がりくねり、枝分かれし、進めば進むほど道が分からなくなっていく。
 感覚的に城門の方向はわかっていたが、それは建物も水路も関係なく真っ直ぐに行った場合のことで、ソランには、この迷路のような通路を使っては、一日かけても辿り着ける自信が持てなかった。

 市は仕舞う準備を始めていたし、水路を渡る小船も、幾百となく架かった小さな橋の上を行く人々も、どれもが帰り足に見えた。昼間の喧騒の半分にも満たないその中で、けれど、ソランは見るものすべてが物珍しく、きょろきょろとあたりを見まわしてばかりいた。

「好奇心で死にそうな顔しているな。まだ時間もあるし、王城でも見にいくか?」

 祖父が小船から降りたところで足を止め、ソランに話しかけた。

「いいえ、そんな所はまたでいいのですが、これだけの水を引き入れている場所と、出している場所を見たいですね。まさか、一箇所ということはないですよね?」
「そうだ。取水の運河は三本。排水はもっと多いな。なぜそんなものに興味がある?」
「こんなたくさんの水、私は怖いです。今まで水攻めで王都が沈んだという話は聞いたことがないですが、どうなっているのか確かめておきたいんです」

 運河の水は川辺と同じ匂いがし、淀んでいる様子はなかった。常に一定方向に新しい水が流れている。ごみや汚物も放り込まれていない。それは街を清明にしていたが、同時に留まる気配がなく、落ち着かない気分にさせた。

「それと、王都を見晴らす場所があったら行きたいです。周辺の様子と街の構造が見たいです」
「王都を攻め落とすつもりか? 聞き捨てならないな」

 背なからかかった声に、ソランは振り返った。軍服を着た男たちが小船に乗っていた。咎める口調とは裏腹に、面白がっているようだ。船頭が船を固定させる間もなく、一人がひょいと陸に上がってくる。

 背の高いソランより、まだ高い。若葉色の瞳が印象的で、まじまじと見上げる。相手も視線をそらさず、まっすぐに見返してきた。

「アーサー、また物騒なのを連れてきたな」

 ソランを見つめたまま、その男は祖父に言った。

「恐れ入ります。お約束しておりました者です。私の妻の血縁者で、いずれこれに領地を継がせようと思っております」
「そうか。名は?」
「ソラン・ファレノ・ド・ジェナシスと申します」
「私はアティス・ウイシュタリア・エレ・キエラだ」

 『ド』は次期を表す。つまり、ジェナシス領の次期領主である、ファレノ家のソラン。エレは領主を表すから、彼はキエラの領主だということだ。
 王の御子たちは出生と同時に領地を賜る。この若さで領主であってもおかしくはない。ウイシュタリア王家のアティス。第二王子の名だ。
 若さに似合わぬ威厳をまとった様子に、そんな予想はしていたが、改めて名乗られ、礼を尽くさないわけにはいかないと、ソランはすぐに跪こうとした。

「失礼いたしました」

 それを、腕を掴まれ止められる。

「公式の場以外は必要ない。それで、王都の構造を見て、何が知りたい?」

 問いかける様子は真摯で、答えるまで逃してくれそうにない。身分や年齢に関係なく、わけへだてなく接してくる態度に、こちらもごまかさずに、きちんと答えねばという気にさせられた。

「ここは方向が捉えにくく造られているので、今も私は迷子です。このままでは館に辿り着くことも、城門から出ることもできません。ただ道を知りたいだけです」
「そうか。なるほどな。迷子の選択としては賢明だな」

 殿下は面白そうに笑った。

「おまえさえよければ、明後日からの取水施設の見まわりに同行を許すが、どうする?」
「ぜひ!」

 思わず口走っていた。軍のトップに近い人間に同行すれば、詳しい話が聞けるかもしれない。そうでなくとも、部外者としてよりは詳細に見られるだろう。どんな土木技術を使っているのか、水攻めされないための防衛策はどう取られているのか。

 だがそこで、まだ屋敷にも入っていない上に、軍医の任命さえ正式に受けていないのを思い出し、祖父に視線を送る。

「わかった。間に合わせよう。……殿下、明日の早朝に出仕させますので、任命が滞りなくなされるよう、お取り計らいいただけますか。それともう一人、以前お目にかけましたイアル・ランバートを、これの助手として同行をお許し願いたいのですが」
「許可する。聞いたな、ディー。手配しろ」

 やはりソランから目を離さず、殿下は少し頭を傾けて、背後の小船に控えていた男に声をかけた。

「かしこまりました」

 声に反射的に見遣ると、にっこり笑って手を振ってきた。それに軽く会釈を返す。

「ディー・エフィルナン・ド・フロイトだ。私の副官だ。これから顔を合わせることも多いだろう。おかしなことを言ったら聞き逃しておけ。それで問題はない」
「は?」
「では、明日な」

 にっと笑ってソランの腕を離し、別れの挨拶だとでもいうように、同じ場所をぽんと叩いた。踵を返す。それで初めて視線が離された。見送る背が身軽に小船に移っていく。

「殿下、お気をつけて」

 護衛の船を含めて三艘の小船が去っていった。すっかり見えなくなってから、祖父が新しい小船を呼び寄せた。ファレノ家の家紋が付いている。見れば船頭は領内の者だった。思わず懐かしさに笑いかける。
 乗り移るとすぐに、腰を落ち着けるのももどかしく祖父に尋ねた。

「さっきの殿下の船頭は、ラルフではなかったですか?」

 ラルフはマリーの兄だ。両親と共に王都で仕事をしているはずだった。

「ああ、護衛に付けているからな」
「では、殿下が通りかかるのを知っていて、ここで待っていたのですか」
「そうだよ。初めて出会うのが執務室だなんて、味気なさすぎるからね。口説くなら、ドラマティックにいかないと。しかし、ソラン」

 くっくっくっく、と祖父が笑いだす。

「迷子かね。あれは久しぶりに歳相応に見えたぞ。殿下はおまえを子供と思って心を許されたようだな」
「子供」

 鸚鵡返しに呟き、自分の未熟さに赤面する。
 伸びやかな目をした人だった、と思い返す。濃い木肌色の髪色とあいまって、風に葉を揺らす大木を思いおこさせるような。へだてなく歩み寄られて、つい、ありのままに答えてしまった。
 虚勢を張っても見抜かれてしまっただろう。それならいっそあれで良かったのだと思える。

 だが、ソランは、王太子になってもらうよう説得しに来たのだ。果たして、子供の進言など聞き入れる気になるだろうか。普通ならあり得ない。
 ソランはがっくりときて、黙って水面にできる波紋を見つめた。あんな方に、自分がいったい何を言えるというのか。浅はかな自分が恥ずかしくて堪らなかった。

「あの方は、お小さい頃から命を狙われてばかりでな。ついこの間も毒殺騒ぎがあったばかりだ」

 ソランは眉を寄せて祖父に向き直った。

「身辺は固めてあるし、料理人も納入業者も、農家にさえ目を配っておったのだが、鋤き入れた肥料に毒が混ぜられておった。おかげで殿下のみならず、かなりの被害が出たのだ。毒物にも詳しいおまえならば、必ず殿下のお役に立てるだろう」

 毒物に詳しいというより、過ぎれば毒になるというだけで、本当は薬物に毒も薬もないのだ。

「それに、子供はいずれ必ず大人になる。急ぐ必要はない。おまえは必要な時間をかけて大人になればいい。それを笑うような方ではないよ」
「はい」

 あの方ならそうだろうと、すんなりと腑に落ち、気持ちが落ち着いた。

「首謀者は見つかったのですか?」
「いいや。だが見当はついている。まあ、この話は食後にでもしよう。さあ、着いたぞ」

 小船が水路から外れ、建物の下に入っていく。入り口の柱にも家紋が取り付けられていた。どうやら屋敷に着いたらしかった。
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