22 / 272
第三章 大河サラン視察
1-3
しおりを挟む
昼前には二号取水施設に着き、駐屯部隊に出迎えられた。
取水施設では、大河サランより高い場所にある王都に水を送るため、水車を使って汲み上げている。
大河は満々と水をたたえ、川幅は水流のある場所だけで千メートルから所によっては千三百メートルにもおよぶ。ただし、雨や雪解けで水量が増えれば、この限りではない。今は砂や小石、湿地性の植物に覆われている場所も、数百メートル以上にわたって沈んでしまうのだった。
「これは民衆の求めに応じて造られたのだそうですよ」
ケインは巨大な水車が唸り、水音が騒々しいそこで、怒鳴るように教えてくれた。ソランは続きを聞きたくて、水車近くにいる殿下を気にしつつも、ケインを出入り口付近に誘った。少し離れるだけでもだいぶ騒音が違うからだ。
それでも、あちこちに目を配って警戒しながら話す。イアルもその中間あたりに待機。ディーを含めて二人が殿下の周辺を囲み、あとの二人は場内の反対側を見まわっていた。
「なぜ彼らはそんな要求を?」
「もともとは王城を守る堀として一号水路は引かれたのですよ。それも自然の支流に少し手を加えただけでした。国が栄えるとともに、そのまわりに街ができていったのですが、内乱の度に略奪が行われたのだそうです。それで、労力は提供するから、ぜひ街を守る水路を造って欲しいと。だから、ここの始まりはとても古いのです。もちろん、何度も修理や改良を重ねてきているそうですが」
「三号水路もですか?」
「あちらは比較的新しいです。といっても、三国に分裂する少し前だそうですから、もう千年にはなりますか。一番栄えていた頃ですから、急激に王都の城下町も膨れ上がり、二つの水路ではまかなえなくなったようです」
「そうだったのですね」
ソランは熱心に相槌を打った。
「その上、当時はごみも屎尿もすべて投げ込んでいたそうで、疫病も流行ったらしいです。綺麗な大量の水が必要となったんでしょう。それで、屎尿の投げ込みを禁止し、今は近隣の農家に払い下げられています。ごみも王都の外に処理場が造られました。その時に王都の水路も、今とほぼ同じ状態に整備されたようですね。それらの改革で名君と名高い王も、宝剣の持ち主だったそうですよ」
「お名前は?」
「ああ。宝剣の主様は、すべてアティス様と名付けられます。その方は五世だったかと。殿下は九世でいらっしゃいますよ」
九、と聞いて、なぜかソランは息苦しくなった。ハレイ山脈に朝日が当たる瞬間と同じ気持ちがわきあがり、その痛みに目をつぶる。
「どうかしましたか?」
「いいえ」
ソランは目を開け、苦笑してみせた。
「ここは本当にうるさいと思いまして」
「そうですね。おや。呼ばれてます」
それは見てわかっていた。殿下が手招きしている。何事かと駆け寄る。
「説明を聞け」
御前に着くなり言われた。しかも自ら退いてくれ、管理責任者の前を空けてくれる。
「は。私は後ろで」
遠慮して一歩引こうとしたのを腕を取られ、責任者には聞かせられない内容を、耳元で囁かれた。
「よい。私が何度この説明を聞いたと思っている」
思わず見返すと、力強く頷かれた。助言を求めて、ディーやその他の面々に目が泳ぐが、皆そっぽを向いている。警護のためというより、目を合わせたら大変だ、という感じである。どうやら、ソランにとってはありがたい話でも、彼らにとっては違うようだ。
「では、お言葉に甘えて」
ソランが答えると、殿下はほんの少し表情をゆるめた。殿下は大抵、表情の読めない真面目くさった顔をしている。立場的にそうしていなければならないのだろう。しかし、初めて会った時の殿下は人懐こく、気さくな方であった。そういう面が見られると、嬉しくなる。
だから、ソランは無邪気に笑った。殿下も今度はフッと笑いをこぼし、掴んだ腕をぐっと引いて、責任者に向き直らせた。
「これに説明を」
目を丸くしてやり取りを見ていた責任者も、目を奪うような魅力的な笑みを浮かべたソランに、よろしくお願いしますと頭を下げられ、まんざらでもない心境になった。何より、自分の仕事に心底興味を持ってもらって、悪い気のする者がいるだろうか。
この日の説明はいつになく饒舌で力が入り、いつもの倍ほどもかけて案内がなされたのだった。
取水施設では、大河サランより高い場所にある王都に水を送るため、水車を使って汲み上げている。
大河は満々と水をたたえ、川幅は水流のある場所だけで千メートルから所によっては千三百メートルにもおよぶ。ただし、雨や雪解けで水量が増えれば、この限りではない。今は砂や小石、湿地性の植物に覆われている場所も、数百メートル以上にわたって沈んでしまうのだった。
「これは民衆の求めに応じて造られたのだそうですよ」
ケインは巨大な水車が唸り、水音が騒々しいそこで、怒鳴るように教えてくれた。ソランは続きを聞きたくて、水車近くにいる殿下を気にしつつも、ケインを出入り口付近に誘った。少し離れるだけでもだいぶ騒音が違うからだ。
それでも、あちこちに目を配って警戒しながら話す。イアルもその中間あたりに待機。ディーを含めて二人が殿下の周辺を囲み、あとの二人は場内の反対側を見まわっていた。
「なぜ彼らはそんな要求を?」
「もともとは王城を守る堀として一号水路は引かれたのですよ。それも自然の支流に少し手を加えただけでした。国が栄えるとともに、そのまわりに街ができていったのですが、内乱の度に略奪が行われたのだそうです。それで、労力は提供するから、ぜひ街を守る水路を造って欲しいと。だから、ここの始まりはとても古いのです。もちろん、何度も修理や改良を重ねてきているそうですが」
「三号水路もですか?」
「あちらは比較的新しいです。といっても、三国に分裂する少し前だそうですから、もう千年にはなりますか。一番栄えていた頃ですから、急激に王都の城下町も膨れ上がり、二つの水路ではまかなえなくなったようです」
「そうだったのですね」
ソランは熱心に相槌を打った。
「その上、当時はごみも屎尿もすべて投げ込んでいたそうで、疫病も流行ったらしいです。綺麗な大量の水が必要となったんでしょう。それで、屎尿の投げ込みを禁止し、今は近隣の農家に払い下げられています。ごみも王都の外に処理場が造られました。その時に王都の水路も、今とほぼ同じ状態に整備されたようですね。それらの改革で名君と名高い王も、宝剣の持ち主だったそうですよ」
「お名前は?」
「ああ。宝剣の主様は、すべてアティス様と名付けられます。その方は五世だったかと。殿下は九世でいらっしゃいますよ」
九、と聞いて、なぜかソランは息苦しくなった。ハレイ山脈に朝日が当たる瞬間と同じ気持ちがわきあがり、その痛みに目をつぶる。
「どうかしましたか?」
「いいえ」
ソランは目を開け、苦笑してみせた。
「ここは本当にうるさいと思いまして」
「そうですね。おや。呼ばれてます」
それは見てわかっていた。殿下が手招きしている。何事かと駆け寄る。
「説明を聞け」
御前に着くなり言われた。しかも自ら退いてくれ、管理責任者の前を空けてくれる。
「は。私は後ろで」
遠慮して一歩引こうとしたのを腕を取られ、責任者には聞かせられない内容を、耳元で囁かれた。
「よい。私が何度この説明を聞いたと思っている」
思わず見返すと、力強く頷かれた。助言を求めて、ディーやその他の面々に目が泳ぐが、皆そっぽを向いている。警護のためというより、目を合わせたら大変だ、という感じである。どうやら、ソランにとってはありがたい話でも、彼らにとっては違うようだ。
「では、お言葉に甘えて」
ソランが答えると、殿下はほんの少し表情をゆるめた。殿下は大抵、表情の読めない真面目くさった顔をしている。立場的にそうしていなければならないのだろう。しかし、初めて会った時の殿下は人懐こく、気さくな方であった。そういう面が見られると、嬉しくなる。
だから、ソランは無邪気に笑った。殿下も今度はフッと笑いをこぼし、掴んだ腕をぐっと引いて、責任者に向き直らせた。
「これに説明を」
目を丸くしてやり取りを見ていた責任者も、目を奪うような魅力的な笑みを浮かべたソランに、よろしくお願いしますと頭を下げられ、まんざらでもない心境になった。何より、自分の仕事に心底興味を持ってもらって、悪い気のする者がいるだろうか。
この日の説明はいつになく饒舌で力が入り、いつもの倍ほどもかけて案内がなされたのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
87
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる